つれづれに

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  今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=xFEN7BQ7Zus&feature=related

 * 気がムシャクシャしていたら、今東光に限る。
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2666, 結論で読む人生論 ー2
 2008年07月23日(水)
  ー三十年ぶりの、今東光の毒舌ー
順不順でなるが {第6章 人生の価値、人生の意味ー なにはなくともこの糞坊主ー今東光
が面白い。 久しぶりに今東光の毒舌にお目にかかった。亡くなって30年近くも経つだろう。
  ーまずは、その部分ー
 人生なんて、そんなにむずかしいものか。じつにさまざまな考えがあって少々、食傷気味である。
もしかしたら、人生論が人生をむずかしくしているのではないか。たしかに人生には山があり谷がある。
悲喜こもごもである。だが結局、生まれて、生きて、ただ死ぬだけのことではないか。どう生きるかは、
それぞれの計らいでいいではないか。ここまで見てきたさまざまな人生論はあまりにも近寄りがたいし、
荒唐無稽すぎるし、立派すぎる。もっとスカッとしたものはないのか、とお嘆きのあなた、これがあるのだ。
 その男が生存中は、なんだこの濁声の坊主は、と多少の反感を持っていた。
が、わたしはいまでは今東光を尊敬している。 そう、今東光和尚である。 聞いていただこう。
 *「正しい人生」とか「何とかの人生」なんてものはないよ。本人にとっての人生しかないんでね。
自分にとっての人生しかないんだ。おめえが十八なら、「十八の人生」というものしかないよ。
それしか、オレは言いようがないね。(略)だから、自分にとっての人生で、
自分が、これが正しいと思って闘って、勝つか負けるか、これだけだよ、人生なんて。        
                        ──『毒舌身の上相談』集英社文庫
 *「バカ正直だと損をする。もっとずるく悪賢く立ち回れ」なんてよく人が言うけど、
その言っている野郎が、ずるく悪賢く立ち回って成功しているかっていうと、絶対にそうじゃねえんだな。 
そんなのはダメなんで、真実火の玉になって人生を渡っていって、社会にぶつかっていくんじゃなけりゃあ
ダメだよ。人がよすぎて結構じゃねえか。そんなタワ言ぬかすような野郎なんぞ相手にするな!─同書
 *「人生始めたばかりでスランプに落ちたら、死ぬまでスランプだぜ、この馬鹿野郎!」
「おめえみてえな野郎は一生、女を本当に愛することができねえよ。女を捨てて自慢してるような野郎は、
人間の屑もいいところだ」「そんな夢みたいなこと考えてねえで、てめえのキンタマのフクロのシワでも
のばしてた方がよっぽどましだぜ、この野郎!」。  ー      ──『極道辻説法』集英社
 *二十三歳の学生が近所の中三の女学生の家に半年間、毎日毎日いたずら電話をかけた。
 どうしても彼女に自分が好きだということを知ってもらいたい。おれはどうしたらいい?
 自首すべきだろうか、という質問に対する傑作回答
「 自首するより死んだ方がいい。悪いことは言わん。死にな。二十三歳にもなってそんな
電話かけたりするバカなら、 自首するより死んだ方がいい。自首すりゃあ、恥をかくからね。
恥かくより死んだ方がいいよ。 切に自殺をお勧めいたします。
                                        ──『毒舌身の上相談』
後記)「死にな」がいい。「悪いことは言わん」「お勧めいたします」がいい。現在、これだけのことを言ったら
「馬鹿たち」に袋叩きにあう。   だから誰も、こういうことはいえない。だから懐かしいのである。  
今東光が現在の若者、特に負け組みといっている連中。
   
◎ 私が今東光に変わって言ったとしたら、こうなるだろう。
  「この馬鹿野郎が!何が負け組みだ。そうしたのは御前自身だろう。何が格差社会じゃい笑わすな。 
手前に能がないのさえ自覚しないから、能がないままにしてきたのだろう。 知恵を使え知恵を。
その程度のことは幼児でも使っているじゃねえか、馬鹿野郎。 知恵が無いとぬかすなら、足と手を倍以上使え。
御前に覚悟も知恵も無いことを自覚もしてねえで何が格差だよ。いいじゃねか、格差も。
   もし、格差をつけられたと思っている連中、あんなものゴミみたいなものじゃ。御前よりはマシぐらいだよ。
   そんなことより、知恵を使え知恵を、この馬鹿が・・・」   てな具合になるか。      ーつづく
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2667, 結論で読む人生論 ー3
 2008年07月24日(木)
 今東光の毒舌が、この本に次から次へと出てくる。今度、図書館に行って今の本を借りてくるつもりだが、
これを読んでおけば充分?か。  とにかく、面白い。何で面白いか? 悩みなど言っていられるのは可愛いいだけ。
自分を、くそ坊主と割り切れば、「所詮は悩みなど欲と嘘の織り成す妄想」と割り切って、好き放題いえる。
自分を、くそ坊主と自覚できるかどうかが分かれ目になるが。
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「眠れないんだったら、眠らなけりゃあいいじゃねえか」「別のブスを探しな、おめえの顔に合ったよ」
「手のつけられねえほど愚鈍であるよ、てめえという男は!」「てめえがみじめそのものなんだよ」
「生意気なこと言いやがって。親のスネ齧りのくせして、チンポだけ発達してやがる」
「バーカ。そんなこと、医者に聞けばいいじゃねえか。オレがわかるわけねえだろうが」「ぶっ殺してやりたいよ」
「何とぼけてんだよ、こん畜生は!? 何のために兄貴に生まれたんだ!?」「けったくそ悪いガキだぜ、てめえも」
「バカか、てめえは」「張り倒すぞ、この野郎!」
「人生で一番大事なものは、あくまでも正直であり、誠実であり愛情であるんだ」
「愛のないような人間は人間のクズでな」「ひとりの女を不幸にするよりは、てめえが不幸になる方がいい」。
極めつけは、これ。
・「おめえは一人のいい女を見つけたら、それにひれ伏すような謙虚な気持ちになれ!そこから出発するんだ。
恋だの愛だの言う前に、まず己を空しゅうして、謙虚になってひれ伏す。愛する人の前にひれ伏すという気持ちに
ならなければ、女を愛することもできないし、女にも愛されない」。 「自分(人間)はどうして生きなければ
ならないのだろうか?」という二十一歳の学生の質問。利いた風なことをいう者には東光は容赦ない。
「バカとちがうか、こん畜生は? 生きているのに“生きる義務”もねえもんだ。 いやならとっとと死にゃあいいだろう。 
そんなこっていっぱし物を考えていると思ってるのはバカだよ。生きるのは何も義務でもないし、運命でもない。
 オレたちは命のあるだけ生きるだけのことだ。努力によって生きてるわけでもありゃあしねえ。
それでどうせ死ぬんだとか、あとには何も残らねえとか、そんなくだらねえことを若い身空で考えてよう。
たしかに残らねえよ、おめえみたいなバカ者は!その生きる義務とやらをさっさと放棄して死んじまえ!──『極道辻説法』
おなじように、「人生ってちっとも面白いと感じたことがない」「つまらなかったらさっさと自殺していいんだと思う」
十九歳の学生に。
「自殺より、最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、『おまえの人生、つまってるか?』って。
 みんな「つまらねえよ」って言うよ。そのつまらない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを見出していく発見だ、
 この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。どこへ行っててもつまるものを発見するという能力をまず養う。
 能力というより、そういう努力をするということだ。(略) それでもつまらなかったら、さっさと死んじまえばいい。
 オレは別にとめやせん。生きてる意味を放棄したんだから、勝手に死にゃあいいさ。」 ──同書
最後に、「死んだらどこへ行くのか?」という十八歳の学生へ。 「そんなことわかるかい!」。
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これを読んでいると、悩むのが馬鹿馬鹿しくなる。 そして、言葉は何時までも残るというのが解る。
本当に言葉は大切だ。 その中に感情と理性が入るからである。 最後は人間性ということだ。