つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=-2CCng9FfOE

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あの中越地震から、まる7年になる。 その後、柏崎沖地震、そしてインド洋沖地震チリ地震に、
中国四川地震ハイチ地震、そして東北大地震と、毎年のように大地震が続いている。
何か地球そのものの転換期が来ているようである。そして、政治経済的には、三年前のリーマンショック
これが大地震とすると、今年になって津波という形で、恐慌が起きようとしている。

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2004年10月25日(月)
 1301, まさか、地元で大地震!-2
この文章を書き出したと同時に、再び大きな揺れである。震度5強と予測して、TVを見たら5弱であった。
まだ、震度に対する体感には誤差がある。既に36時間も経っているのに、今も地震が現在進行形というのが
驚きであり、不気味である。 今朝の地震では、電気と水道が止まらなかったのが救いである。
一昨夜の二回目の地震は、揺れると同時に、電気が消えた。真っ暗になったので、まず仏壇前にあった
ロウソクを皿に数本立て明かりをとる。地震が少し落ち着いた後、もう一皿に移動用のろうそくを立てた。
今日仏壇周りを整理して倉庫にしまった,大きなロウソク二本を取ってきて更に大きな明かりの確保をする。
その後、懐中電灯を探すがナカナカ見つからない。次に携帯ラジオを探す。両方ともあったが、今度は
電池が見つからない。それでも、やっと見つけ取りあえず居間の整理を始める。現在から考えてみても、
冷静に対処していたようだ。 鉄骨の二階で、かつ座っている場所の空間に、危ないものが無いから
冷静でいられるのだろう。こう書いている現在また震度3の地震がおきている。慌てて、水の確保を思い立ち、
鍋にポットに水を入れる。(ゆれると同時に、サイドボードの前にいってドアを押さえている)その合間に、
この文章を書いている。面白い体験である。電気、水道と、ガスが全て止まると、全く普段の生活が
ストップしてしまう。 まず、水である。 トイレが使えない(風呂の水が当面使えたが)飲料水がない。
(ジュースが5~6本、ノンアルコールビールが10本あった)
TVからの情報が途絶えた(携帯ラジオがあった) 食料はスナックが代用できた。
感覚的には、一週間は代用で持ちそうだ。 近くの24時間スーパーに行ったら、閉鎖していたが、隣の
ドラッグストアーは店内散乱の中で営業を始めていた。 それでよいのだ、緊急時は。食品と、飲料水が
飛ぶように売れていた。40人位がレジに並んでいた。地震から一時間もしないうちにヘリコプターの音がした。 
報道か自衛隊か解からないが、発生と同時に準備をしなくては、その時間に飛んでこれないから、
その瞬時体制は凄いものである。昨夜は市民の4分の1の4万数千人が、避難所に夜を明かしたという。
電気も、ガスも、水道も確保出来ないのだから、それも当然だろう。 近くに住む兄が昨日の午後、
訪ねてきたが、やはり家の中は足場も無いほど倒れたモノが散乱しているとか。
また、庭にある石灯篭も二つ倒れ、隣の家に入り込んでいるという。          つづく