「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」  
  * 財布
 10歳のときから、いままでの28年間に8回財布を落としました。
そのうち6回は誰かが拾ってくれて、返ってきました。 日本はよい国だと思う。    東京都  マキ
  * 傘
 ある雨の日、両親は車で買い物に出た。しかしなかなか帰ってこない。
聞けば、帰り道にパス停で、濡れながらバスを待つサラリーマンと目が合ったのだという。
そして、かわいそうだったので「よかったら入ってください」と声をかけ、自宅まで送り届けてきたそうだ。
こんな東京でそんなことしている人見たことないよ、と私は呆れた。 翌日、私はバイトに出かけた。
地下鉄を降りると、外はゲリラ豪雨。傘はない。濡れるのはいやだけど、バイトに遅れるわけにもいかない。
覚悟を決めて人混みのなかを走りかけたとき、背後から声をかけられた。 「よかったら入ってください」
見知らぬ若い女性は、小さな折り畳み傘の右半分に私を入れて、バイト先まで走ってくれた。  }東京都 佳恵
 〜〜
 再び、私の体験談だが、30年近く前の話。 家内の実家が建材店をしており、年に一回、取引先を招待して倉庫で、
展示会をしていた。そこには古物商、ラーメン屋など20軒ほどが軒をつらねていた。 その古道具屋の仏像の中に、
20センチ位の大きさの象牙阿弥陀仏が目に入った。 値段を聞くと45万円という。 買う気がないので冷やかしで、
「25万円なら買うけど・・」というと、ケンモホロロに断られた。 そこの娘婿とは知らなかったようだ。
で、そんなことをスッカリ忘れてしまった2週間後に、25万円の請求書とともに、その仏像が直送されてきた。 
何気なく、その仏像の台座の下をみると、何と、私の家内の「恵子」という名が刻まれていた。
もちろん新しく刻まれたものでない。 それが仏像師のものか、それを造らせた人の名か、亡くなった娘?のものかは、
分からない。 そこには、たまたま知人がいたが、私よりも驚いて、「私の直感だが、直ぐに寺に納めたほうがよい」と、
顔を青ざめて忠言してくれた。 仏像は精巧に彫っており、数珠の玉まで細かく見えるほど。 中越地震のおりに、
その数珠が破損してしまったが、これも因縁。 今も仏間にあるが、家内は一切、「お金が勿体無い」と、興味なし!
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3500, 10−10−10 ー?
2010年10月25日(月)
 「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」   スージーウェルチ (著)
   ーアマゾンの内容からー
  仕事、夢、結婚、家族、友情。人生に迷ったとき、「決める力」が身につく本。
  紙とペンさえあれば、10-10-10は今、この瞬間から試せます。 もしも、この選択をしたら……
 □ その決断は、「10分後(今)はどうなっている ? 」
 □      「10ヶ月後(ちょっと先)は ? 」
 □      「10年後(未来)は ? 」  ・・・こう自問するだけでOKなのです!
  短期、中期、長期と、3つの視点で選択肢を見つめれば、後悔しない決断ができます。
  この本があればぐずぐず迷うクセ、優柔不断、チャンスを逃すパターンが変わります。
 ●もう、うんざりの職場。辞めてしまえば10分後はスッキリ。でも、10ヶ月後に後悔しない?
  10年後、お金は大丈夫? その選択が正しかったと、本当に言える?10-10-10で考えよう。
 ●大事な取引先とのアポ当日、田舎の親が病気に!どう決断をすべきか、10-10-10で考えよう。たった3分集中するだけで、正解が見える。
 ●結婚の見込みがなさそうな彼と、続ける?  別れる? 別れたとき、続けたときのメリット&デメリットは、10-10-10が教えてくれる。
  ■ 経営の神様、ジャック・ウェルチの公私にわたるパートナーの人生とは? ■
 著者スージーウェルチは、ジャーナリストであり、四人の子供の母であり、40代で経営の神様、ジャック・ウェルチと運命を
 変える出会いをした魅力あふれる女性。 アメリカでは、女性としての幸せを模索するアラフォーたち、働く女性の共感の声、続々!
 10-10-10は発売まもなく『ニューヨーク・タイムズ』『ウォール・ストリート・ジャーナル』のベストセラーリストにランクインし、
 テレビ番組でも特集が組まれるなど、大反響を巻き起こした。
  〜解) 
  例の「20世紀最高の経営者」といわれたジャック・ウェルチの連れあいである。この本は発売されると同時に
 ベストセラーになりテレビ番組などで特番が組まれるなど大反響を及ぼした本とか。日本では今年の1月に発売されたばかりの本。
 二日前に図書館で見つけて一読して驚いてしまった。10-10-10と分かりやすい。 短期、中期、長期の視点で、直面の問題を
 直感で見定めるに有効である。 思いもよらない出来事に遭遇したとき、現在(10分〜10日後)、中期(10ヶ月〜2年後)、
 長期(10年後)の対処を単純に考える習慣をつければ、その習慣がないのと比較すれば時間とともに膨大な差が出る。
  金投資を考えると分かりやすい。現時点では、これからハイパーインフレは間違いなく起こるのは必定? しかし、2年スパンでは
 大きく乱高下もあるから、目先のかく乱の動きに対し、10−10−10を予測すればよい。10日、10ヶ月は、乱高下するが、
 10年後には三倍以上は間違いないと踏むかどうか。そう判断すれば、思い切って投資をすればよい。
 東芝の株とすると、原子力発電に重点投資をしているので、10年後には株価は5倍と想定し、10ヶ月後は、まだ投資効果が
 見込めないので、塩漬けが出来るかどうか。長期投資の資金の用意があれば長期投資すればよい。等々、見分けることができる。
                                             つづく
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3125,「法則」のトリセツ  ー1
 2009年10月25日(日)
  ー 知っているようで知らない「法則」のトリセツ ー水野 俊哉著
 書店や図書館などのビジネス書に記載されている「法則」がカジュアルに面白そうに編成してある本である。
分類が「職場の法則」「仕事の法則」「ビジネスの法則」「勉強の法則」「心の法則」「成功本の法則」と分かりやすい。
160冊以上の書籍からコンパクトにまとめた人生の取り扱い説明書にもなる。
40年以上かけて多くの原理原則の書物を読んできたが、ここで初めて知った法則が次から次と出てくるのには驚いた。
この年齢になって今さら原理原則の勉強でもないが、人生の節々で多くの「法則」で、救われたことは度々である。
また知ってはいたが、注意を払ってなかった法則がコンパクトに核心だけが書かれていると改めて納得する法則もある。
それが、この本の題名「知っているようで知らない「法則」ということ。ここで新たに面白そうな「法則」と、キーワードを考えてみる。
 ーブルーオーシャンレッドオーシャン
ブルーオーシャンとは、競争のない穏やかな海のイメージであり、独自の市場=ブルーオーシャンを切り開くことで、
  さまざまなメリットを享受することができる。一人勝ちのメリットである。  
レッドオーシャンとは、既に過当競争でマーケットシェアを奪い合い、際限ないコスト競争に突入してしまった市場で、
 過当競争で赤い血に染まっている海のイメージをいう。時代の変わり目には海の潮目は赤色に変わるもの。
    (字数制限のためカット 2010年10月25日)
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2760, 閑話小題 
 2008年10月25日(土)
 *毎日が薄氷の上
9月の半ばから、恐慌前夜の重い雰囲気である。日経平均も、三ヶ月で40%以上も暴落、何と7600円まで下がってしまった。
ドルが95円、ユーロが120円。 世界はパニック寸前か、パニックに入っているのだろう。この結果どうなるのか? 
倒産の続出と、失業者の増加、そしてハイパーインフレと、食品の高騰である。それで済めばよいが、数年以内に大小の半分以上の
事業所が倒産、廃業だろう。何か考えただけでゾッとする。それにしても、大津波、世界中を押し流しそうな勢いである。
ー以下は、一年前と現在の比較である。これからみると、まだまだ経済破壊は序盤ということが分かる。
 (2008年 10月22日現在)      
      2007年10月24日       2008年10月22日
ドル円         114.10             97.70
ユーロドル       1.42              1.27
ユーロ円       162.80            124.70
NYダウ       13,675            8,519
米国債(10年もの)  4.3%              3.5%
原油         87.10             67.48
金          757ドル            724ドル
日経         16000            8500
 ーーー
 *アクアラインが1000円に
私のゼミの一年後輩の松下さんが、《道路経済学》とかいう本を出版。その中で川崎市木更津市を結ぶ、
アクアラインの通過費を1000円とか、2000円に値下げをする運動を起こしていた。
    (字数制限のためカット 2010年10月25日)
 *台風の来ない年は珍しい
    (字数制限の関係でカット 09年10月25日)
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2007年10月25日(木)
2396, 白い壁とドア                オハヨォ…
 「生」と「死」のイメージを詩的に書いてみた。
  −−
私の生のイメージ、それは白い四角の立方体の壁に囲まれている空間。十数年前に一度、そのイメージをリアルに持ったことがあった。
おそらくは、この白い箱の中の壁の何処かに見えないドアがあって、ある刹那に、その外に放り出されるのである。白い立方体は
生に囲まれた日常である。その意識下の見えない死へのドアがあって、一度出てしまったら、二度と箱の中には戻ることは出来ない。
白い箱の外は、無。 大きな黒い無限の中で、小さな箱はチリのような存在。いつか、その白い壁が開いて、その虚無の真っ只中に
放り出される。それがスグ明日かも知れない、それとも20年、30年先かもしれない。その一瞬、白い壁と黒い虚無の狭間で永遠を
見るのだろうか? それは歓喜だろうか、それともただ寝入る瞬間のようだろうか?そういえば寝入る瞬間を感じ取ったことがある。
「アッ!」という間の一瞬であった。それを言葉でいうと、数千秒の一のプツンという刹那のよう。
▼ 以上だが、このイメージにピッタリの詩を見つけた。死の際にたった魂の叫びが詩の奥から聞こえてくる。
 ドアの前に立つと、こんな声が聞こえてくるのだろか!それとも「おらは死んじまった」の歌声か。
 中島義道ではないが、いずれ誰もが直ぐにドアの前に立たされる。
ーー
暗やみの中で一人枕をぬらす夜は   息をひそめて
私をよぶ無数の声に耳をすまそう   その果てから空の彼方から
遠い過去からほのかな未来から    夜の闇にこだまする無言のさけび
あれはみんなお前の仲間達      暗やみを一人さまよう者達の声
沈黙に一人耐える者達の声      声も出さずに涙する者達の声
                
ー ブッシュ 孝子 (30年前に28歳で逝った女性の詩である。)
            o(*・ー・)〇"ぐっ♪o(*・▽・)ノ"ばーい♪
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2006年10月25日(水)
2031, 「私」のための現代思想  −15    (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
 前・評)
人間は「生きること自体が『緩慢なる自殺』である」と言ってしまえば、それまでだが、戦争もある意味では集団自殺ともいえる。 
いや集団殺戮の方が正しいか? 《私》にとっての「超越確実言明」を守るために死ぬことも、時にとって必要なのかも知れない。
人間の最後に残された自由へのジャンプとしての自殺もある。自殺にも正しい自殺と、正しくない自殺があるという。
自分であるために死ぬ、それもイスラエルマサダの砦の集団自殺のように、自殺厳禁のユダヤ教徒の自殺なのだから
意味も深い。この場合の自殺を正しくないとは言い切れるだろうか。誰の目にも明らかな自殺に「子供の道づれ心中」がある。 
子供を自分の所有物と思いこんでいるから、暴挙にでるのだ。自殺をするには、それなりの理由があるが、やはり
「自殺は決して許されるものではない!」のは、道理である。 それが永遠の自由のためにといっても!
ーー
第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味 −?
 *正しくない自殺*
正しい、正しくない自殺というのも変なものだが、それでも「正しくない自殺」は、誰の目にもハッキリしている。
それを象徴するのがインターネットで知らないもの同士を募り、複数の者達が一度に命を絶つ「集団自殺」である。
彼らは「死ねば楽になる」という「誤論理」で揺らいでいるので、その揺れを止め、自殺を遂行するために、
<他者>による引き受けを必要としている。この場合、普通の他者の共振を受けることもできるが、集団自殺志願者は 
その人たちの《私》を嫌います。
その人たちの《私》は自らの「超越確実言明」を守る方向に走るからです。
そのような呼びかけに答えてくるのは、同じく「死ねば楽になる」と感じ、死を決意している人たちということになる。
それはお互いの《私》の「非存在=存在の否定」を引き受けあうのだから。
「《私》の存在を引き受けてもらう」はずの行為が、「《私》の存在を否定すること」を通して行われるからです。
存在の引き受けは、「存在しつづけることを引き受ける」ことであるはず。
しかし集団自殺は、「ともに存在しなくなること」を引き受けあうになってしまうからです。
{解}死に際まで独りでは不安なので一緒に行こうという弱者の論理もなるほどと思わないでもないが・・・
「死にたいやつは死なせておけばよい」と同じ意味で彼らは「死にたいのだから勝手に死なせて」というレベル。
壊れたラジオは自分地震で自らを直すことが出来ない・・この本を読むまで、自殺について考えたことがなかった。
しかし考えれば考えるほど、自殺を否定できなくなった。 自殺を否定したのは、
「支配階級が最下層の働き手のロスを最小にするためにつくり上げた価値観でしかない」という論もある。
    ーー
 *正しい自殺*
正しい自殺とは、一回性の人生で、闘いぬき、他の物語を時間の許す限り試し、その結果としてギリギリの判断において、
「死ぬことによってしか、<私>が<私>でありつづけることができない」と考えるとき、それは「正しい自殺」
となるということです。これは「名誉のための死」とか、「誰かのための死」を称揚するのではなく、
あくまでも「<私>でありつづけるために死ぬ」ということである。
  ーーー
後評) 正しい自殺かどうか判断できないが、イスラエルで初めて知った「マサダの砦の集団自殺」である。
マサダ砦は、死海の西南にある要塞。ヘロデ王の建てた離宮だったが、70年のローマに対する反乱時、
過激派のユダヤ教徒が最後の砦として篭城したが、ローマ軍によって落とされ、その後2000年間、
ユダヤ人は流浪の民となった縁の地である。ケーブルカーで頂上まで上がるとヘロデ王の宮殿、サウナなどが残っている。
(字数制限のためカット 2010年10月25日)
・・・・・・
2005年10月25日(火)
1666, 日本のこれから 今どきの若者たち
先週の土曜日のNHKで、ゴールデンタイム19時半〜22時半まで三時間にわたって「日本のこれから 今どきの若者たち」 
の討論がおこなわれた。 若い人は、何を考えているのだろうと興味を持って最後までみた。
 (字数制限の関係でカット 09年10月25日)
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2004年10月25日(月)
 1301, まさか、地元で大地震!−2
この文章を書き出したと同時に、再び大きな揺れである。震度5強と予測して、TVを見たら5弱であった。
まだ、震度に対する体感には誤差がある。既に36時間も経っているのに、今も地震が現在進行形というのが驚きであり、
不気味である。 今朝の地震では、電気と水道が止まらなかったのが救いである。一昨夜の二回目の地震は、揺れると同時に、
電気が消えた。真っ暗になったので、まず仏壇前にあったロウソクを皿に数本立て明かりをとる。地震が少し落ち着いた後、
もう一皿に移動用のろうそくを立てた。今日仏壇周りを整理して倉庫にしまった,大きなロウソク二本を取ってきて更に大きな
明かりの確保をする。その後、懐中電灯を探すがナカナカ見つからない。次に携帯ラジオを探す。両方ともあったが、
今度は電池が見つからない。それでも、やっと見つけ取りあえず居間の整理を始める。現在から考えてみても、
冷静に対処していたようだ。 鉄骨の二階で、かつ座っている場所の空間に、危ないものが無いから冷静でいられるのだろう。
こう書いている現在また震度3の地震がおきている。慌てて、水の確保を思い立ち、鍋にポットに水を入れる。
(ゆれると同時に、サイドボードの前にいってドアを押さえている)その合間に、この文章を書いている。面白い体験である。
電気、水道と、ガスが全て止まると、全く普段の生活がストップしてしまう。 まず、水である。 
トイレが使えない(風呂の水が当面使えたが)飲料水がない。(ジュースが5〜6本、ノンアルコールビールが10本あった)
TVからの情報が途絶えた(携帯ラジオがあった) 食料はスナックが代用できた。感覚的には、一週間は代用で持ちそうだ。 
近くの24時間スーパーに行ったら、閉鎖していたが、隣のドラッグストアーは店内散乱の中で営業を始めていた。 
それでよいのだ、緊急時は。食品と、飲料水が飛ぶように売れていた。 40人位がレジに並んでいた。
地震から一時間もしないうちにヘリコプターの音がした。 報道か自衛隊か解からないが、発生と同時に準備をしなくては、
その時間に飛んでこれないから、その瞬時体制は凄いものである。昨夜は市民の4分の1の4万数千人が、
避難所に夜を明かしたという。電気も、ガスも、水道も確保出来ないのだから、それも当然だろう。
近くに住む兄が昨日の午後、訪ねてきたが、やはり家の中は足場も無いほど倒れたモノが散乱しているとか。
また、庭にある石灯篭も二つ倒れ、隣の家に入り込んでいるという。          つづく
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2003年10月25日(土)
 934, 成果についてードラッカー
ドラッカーの言葉の中に「成果」という言葉が頻繁に出てくる。努力そのものでなく成果をあげることの重要性を説いている。
経営は理屈ではない、結果をいかに出すかだ。 成果能力を問われるのだ。
成果とは長期にわたって業績をもたらし続けることである。ドラッカーは人生の生き方を経営学を通して教えてくれる。
ーこの成果について、ドラッカーの本より抜粋してみるー
・「成果が自己実現の前提になる」
ー成果をあげる者は、社会にとって不可欠な存在である。 同時に、成果をあげることは、
 新入社員であろうと中堅社員であろうと、本人にとって自己実現の前提である。
・「自らの最高のものを引き出す」
ーまず果たすべき責任は、自らのために最高のものを引き出すことである。人は自らの持つものでしか仕事ができない。
 しかも、人に信頼され協力を得るには、自らが最高の成果をあげていくしかない。
・「成果をあげることは習慣である」
ー成果をあがることは一つの習慣である。実践的な能力の積み重ねある。
 実践的な能力は、習得をすることができる。それは単純である。あきれるほど単純である。
・「成果をあげるための五つの能力」
ー成果をあがるための実践的な能力は五つある。
第一に、何に自分は時間をとられているかを知り、残された時間を体系的に管理をする。
第二に、外部の世界に対する貢献に焦点を合わせる。
第三に、強みを中心にそえる。
第四に、優先順位を決定し、優れた仕事が際立った成果をあげる領域に力を集中する。
第五に、成果をあげるように意思決定をする。
 ー以下は字数の関係でカット(2007年10月25日)
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560, ある時間の断片 −5 
2002年10月25日(金) 1968年ー9月15日
朝7時半に起床、食事の後に東京の寮に帰る支度をする。
裏の家で姉の正子さんと、帰省中の3番目の姉の優子さんと、甥の宗彦ームーチャンと写真を撮る。
12時5分発の第三佐渡に乗る。いやに長く感じられる4時間だった。青雲寮につく、懐かしいわが部屋だ。
市川さんが飼っているミケに子猫が2匹生まれていた。苦手だった先輩の河路さん、欧州行きが延びてまだ寮にいるようだ。
夕食後漫然とTVを見て過ごす。またマンネリとした寮生活が始まるが、もう残された学生時代の時間はない。
最後はちゃんとして卒業しなくては。
 ー現在の感想ー
日記を書く習慣を持っていればよかった。それと写真をもっと多く撮っておけばよかった。
大学を卒業する前年の8月31日から翌年の2月半ばまでに半年間、気分が高揚としていたのだろう、
日記が残っていた。たまたま6年前に倉庫を整理していたら、その当時の教科書の一番下に隠すようにあった。
机の引き出しに入れて、読み返している、そして折々にこの随想日記に書いている。
一種の躁の状態の自分の気持ちがそのまま残っている。懐かしい本当に懐かしい!
タイムマシンに乗って当時に帰ったような感がする。何も変わっていない自分が
そのままいるのが奇妙といえば奇妙だ。社会に出るにあたり不安と希望に揺れているのが懐かしい。
結局私にとって学生時代が人生の縮図であったようだ。口泡を飛ばして議論をしていた青い時代があった。
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[198] 天の広さ  2001年10月25日                
  * 井の中の蛙,大海の広さ知らず,
 この言葉の後の言葉をもじって‘井の中の蛙大海を知らず!されど天の広さを知る’
この後の「されど天の広さを知る」がいい。世間知らずの学者が考えたか?
    (字数制限のためカット 2010年10月25日)
  * つれずれに
 (字数制限の関係でカット 09年10月25日)