つれづれに

イメージ 1

 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=z_e8R0Uy3nc&feature=youtube_gdata_player
 サザエさんの家の間取りのYoutubeというのも面白い。

 ・・・・・・・・・
3103, 終わりなき旅
2009年10月03日(土)
 「心に残るとっておきの話ー第九集」 
    ー終わりなき旅ーより
 これを読んで、深い何かに覆い包まれたような気になった。
頭に残ったまま私の言葉で、その内容を書いてみる。
≪ ツアーに参加しようと飛行場に向かったが交通渋滞でギリギリに飛行機に乗ることになった。
殆どの同行の人の顔も知らないまま飛行機の席に座ったところ、近かくの席の60代の初老の夫婦が
赤ちゃんの世話をしていた。孫にしては両親がいないのでオカシイとは気になりだした。
スチュワーデスが声を掛けたが、 赤ちゃんを見たところ、変な顔をして行ってしまう。 
周りの人も何か変な雰囲気。そして飛行機を降りたところで、 その赤ちゃんをみたら、何と人形だった。
そのツアーの人たちは気持ちが悪かったのだろう、誰も近くに寄らない。ところが食事のおりに
同席したところ、その初老の男の人が「変だと思うんでしょうね」と、その事情を話し始めた。
 「二人とも教師だったが、なかなか出来なかった赤ちゃんが、やっとのことで授かった。
ところが直ぐに亡くなってしまい、そのショックで妻は自殺を図ったりした上に、精神を病んでしまった。 
その精神治療のために医師と相談した上に、 せめての慰みにと人形を身代わりにして、10年、
衣服を替えたり、食事をしているふりをしたり、生きているように 扱ってきました。 
何で、こういう話をするかというと、あなたが初めて食事で同じ席についてくれたからです」という。
それを聞いて、返す言葉がなかった。 ≫ 大筋は、こういう内容である。
 何か、その二人の姿が目に浮かぶようである。 今でも何処かに三人で旅行しているのだろうか。
ツアー、それも秘境ツアーには、色いろな人と出会う。 人生の甘いも辛いも味わいつくし、さて、
あの世に行く前にチョッコラ世界の果てでも行ってみるか、みたいな人とか、博識の人とか、色いろな
人生を背負ってくる人が多い。  この二人の背負った運命と、ツアー舞台の組み合わせが、
何とも悲しみが直に伝わってくる話である。
・・・・・・・
2738, フォードが4ドル、GMが9ドル!
 2008年10月03日(金)
 アメリカ株式市場で史上最大の暴落で金融恐慌の様相を示してきた。この影響で世界中の株価が
暴落を始めている。それにしても、火の手のまわりが早いのに驚かされる。 今回のサブプライム問題は
1~2年で収束するほど生易しくない。火の手が早まれば銀行閉鎖など何が起こるか分からなくなる。
アメリカは、この火消しにドルの輪転機をフル回転すしかない。その結果、金融破綻というハイパーインフレ
待っている。欧州では、次から次へと銀行の国有化が始ったというし、取り付けが静かに進んでいる。
金融システムの崩壊は、まず弱者に皺寄せがくる。 一波として大量の倒産が数ヶ月後に始る。
身一つで山の上に逃げなくてはならない具体的な行動とは、金を買うぐらいのことしか思いつかない。
情報化社会は以前のような情報コントロールが不可能になる。今年に入って、悲観的な本を何冊か読み、
資産防衛セミナーで知ったことは、あまりに危ない世界経済の実態。この半月だけでも、劇的な世界の
銀行の破綻と、再編成が生じている。 これは既に金融恐慌である。世界恐慌に入ってしまったと仮説をたてて、
現在の動きをみると、一連の動きが違って見えてくる。これまでは金融機関の破綻に眼が行っているが、
アメリカの大企業を見てみると、GM の株価が9ドル、フォードにいたっては4ドルである。
一時期の1割の株価である。そして9月の全米の車販売数が、去年の25%オフである。
目先、米政府が資金援助をするようだが、焼け石に水。更に数年前まで、世界の企業の最優良企業と
言われていたGEが次の危ない会社と見られ、急遽増資を発表した。こういうニュースが、今後とも休憩を
入れて続いていくのである。 歴史の残る出来事を連日、目撃することになる。そして、ある日、その火の手が、
自分達の世界にも押し寄せる。  戦争でも、家に赤紙が届いたり、爆撃がくるまでは、普段の静かな生活は
変わらないという。   (字数制限のためカット2010年10月3日)
・・・・・・・・
2007年10月03日(水)
2374, 人は60歳で何をしたか -3                 
  「人は60歳で何をしたか」藤原治・著    ー読書日記
著者・藤原が60歳の時に「人は60歳で何をしたか」の本の準備をしてことになり、それ自体がユーモアに聞こえてくるし、
本人が一番勉強になったはずである。それにしても、選りすぐった人たちとはいえ、そのエネルギーは強い。
彼らに一致しているのは、この時期は「起承転結」の「結」の時期ではなく、起承転々の「転」である。 
最後まで転げまわるのも良いものである。この本では、古今東西の大家の「60歳の時点」の創作を具体的に提示して、
そのプロセスで、その人となりの精神を現わそうとしている。 著者は私と同じ年齢になるが、比べようもない
知識の広さと深さに大きく溜息をつきながら読んでいる。 それよりも紹介されている人たちに驚かされる。
比較しようということ自体が、おこがましいのは解っているが、それでもである。殆どの本がそうだが、「まえがき」に
多くの著者が言わんとすることが凝縮してある。その中に「定年退職する人には、職探しの前に自分探しをする人が
多いという。 企業を離れたとたん、個人としてのアイデンティティの確認に苦しむという話をよく耳にする」とあったが、
解るような気がする。会社という制服を着てきた人間が、それを脱いだ時に初めて自分に直面する。
自分=「私」は哲学的にいうと、過去のトータルの
「・・」である。それが制服を脱いだと同時に自己喪失感にとらわれ、個人としてのアイデンティティの確認を求めざるを
得ないのは当然のことである。 その辺のことを、この本の中では解りやすく説明している。
 ー P・7
それまでの自分は、会社の規範の中で生きてきた。異動や転勤があり、人生の生き甲斐も家庭の悲喜も、
会社の意思で決定された。そのような企業組織に対する依存度が高い人ほど、人生が変わってしまうのが定年。
会社の出世コースを外れた人ほど、第二の人生を生き生きしているという。 そこで生き甲斐を見出せないためか、
会社以外に自分探しをしているためである。還暦とは、稀有な長生きの先に、僥倖として新しい人生が開けたという考え方だ。
60歳まで無事生きれたのだか、これを契機に新しい人生を生き直してやれというから、哲学的な概念である。
定年はそれまでの縛りがなくなることだが、還暦は新しい人生を生き直すことである。
なら積極的に新しい人生を探してみて、第二の人生を深くしていって方が良いに決まっている。
 ー P・8
精神科医の中沢正夫は、その著書『人生が二度ある』の中で、
第二の人生計画を練るにあたっての原則を次のようにまとめでいる。
1、第一の人生のなかでの自分とは、自分にとって何であったのか、見きわめること
2、何をしたいのかは徹底的に個人主義的に考えること、配偶者にもそうしてもらうこと
3、計画は終了・完成を目標としないこと  4、道草・浮気の旅を心がけよう
5、働くこと、社会参加することを中心に  6、世にはばかるパワフル・シルバーに
7、挑戦を一つ入れること         8、記録をのこそう
9、早めに計画をたてる         10、もう遅いという人へ
これに加えて自分探しの要諦について、評論家の佐高信は「会社への『離塁感覚』を持て」といっている。 
作家の堺屋太一も「職縁から離れる時だ」といっている。この離塁感覚というのは以前の組織にいた時の
自分を引きずるなということ。あくまで自分の頭で自由に決めることを前提に、自分探しをすべしということであろう。
考えてみれば会社を去るわけだから、束縛されるものはもう何もない。 時間の過ごし方も、考え方も、
自己を規制するルールもまったくないのである。ある意味で、こんな幸せなことはない。
とはいえ、具体的にどうすれば自分探しができるのか。初めての経験だから、途方に暮れる人も多かろう。
僕は気に入っている作家の60歳の著作を書斎で探してみた。文豪といわれた人たちが、60歳という人生の
切れ目でなにをしたかを調べたくなったのである。 通常、著作の是非は内容で諭じるもので、60歳という視点で
各分野の作品を斬ることは、おそらく誰も試みたことがないように思う。その還暦調査を手掛ける前に、
実はふたつの予感があった。一つは、巨匠たちが節目ということを意識して、 自分の代表作をものに
しているのではないかという予感。二つ目は、この調査が新しく第二の人生を模索する人たちの、
参考資料になるのでは という予感。そして、調べていくうちに、二つの予感が正しかったことを確信した。
 ーーーー
 以上だが、過去に何回も書いてきたが、座卓犬が突然、首輪をとられ家の外に放り出されるようなもの。 
 家の外は、誰も見向きもしないし、何処の犬だったなど通用しない。そうすると放り出された野犬の群れに入るか、
 他の家の屋外犬として軒先に入るしかない。それともさっさと一匹狼として、街の外に出て自然の中の餌を探すか。
 逆に考えれば、そのまま老いた座卓犬でいるより、余程よいかも?