この日曜日のNHKスペシャルで「巨大津波 その時ひとはどう動いたか」が凄い!と家内から聞き、録画を見ることにした。
 その内容は、≪「津波が来るかもしれない」という時、人は何を考えどう行動し、何が生死を分けるのか。≫ が テーマ。
 ここで正常性バイアスと同調バイアスが、多くの犠牲者を出してしまったケースを炙り出していた。そこでネット辞書で調べると
【 正常バイアスとは、外界の強烈すぎる刺激に対して、理知的動物がそれを心理で抑制して、慌てないようにしてしまうこと。
 当然、日常性を保護するために必要な措置だが、度が過ぎると「本当の危険」に対しても、「煙はやがて収まるだろう」とか
「今の地震が全てで予震などではなく、もっと大きな地震などやってこない」とか、暴風雨被害や津波、テロ等々あらゆる事態に対して、
 緩い判断をしてしまいかねない。現代は謎を駆逐した明るい社会である。が、そのために殆ど無感覚者と化し、まさにこれが原因で
 被害が甚大化している。】とある。また同調バイアスは、【大災害のとき、人は大多数の人と同じ行動をとる(ことで判断を誤る)】
▼ ここで、「いざとなった時の人間の判断は、鈍い」ことを浮き彫りにしている。 ここで気づいたことは、この千年に一度の
地震津波を察知して直ぐに逃げる判断は、一般的に難しいという事実である。 この大津波から連想されるのが、リーマンショック
これは数百年に一度の経済大震災であり、その本格的大津波大恐慌が今年から数年かけて、世界中を大混乱に陥れる大惨事の震災。
その影響は、まずG8の中で一番弱体化している日本の地方にやってきている。 それが、次に欧米の株式の大暴落がくるのは必定。
 日本の大多数の中小企業と鈍い大衆には、それが他山の石としてしか見えてない。 地球規模の大津波ハイパーインフレ)が
来ているのに現実として受けとめることが出来ないとしか思えない。何故か? 正常性バイアスと同調バイアスが働いているからだ。
その先取りしてしまったこともあり、それがよく見える。 思わず耳を疑う言動に唖然とすることしばしば。
「御前の会社は低地だが、自分のところは少し上にある(業績の見通しは悪くない)、偉そうなことを言っているが、その様は!」と。 
私から見れば「 それは数年の時差でしかない、数キロ先に過ってなかった大津波が来ているのに、当方の崩壊の立ち話をしているだけ」
という単純な視線が冴えてくる。 轟音をたてて、そこに来ている事実を、「正常バイアス」と、鈍い連中間の「同調バイアス」が、
動物的直感を狂わしている。 ドルとユーロの暴落は2年ほど前から始っていて、まだ下落の道半ば。 後は株式の暴落である。
本格的にくるのは、今月中か、遅くとも来年三月。 リーマンショックの上に半年前の東北大震災。 この費用は増税で賄うしかない。 
その各家庭の預金は、回りまわって、アメリカ国債と日本国債にいっている。それも暴落することになる。 ギリシャ国民の、
あの鈍感さは察知しても、自国になると!  偶然だが、以下に、日本の近い将来を暗示する内容が取り上げてある。
 韓国ドラマが受けるのも分かる。 以下の状態を経験する以前に、隣なカルト国家がある。
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3479, 15年前の韓国・国家破綻のすざましさ! −2
2010年10月04日(月)
  昨日の「韓国・国家破綻のすざましさ」の実態のレポートの続きである。
 日本も「失われた20年」と言われているが、その間に韓国では「国家財政破綻」の中で 国家リストラが断行されていた。
 日本も小泉・竹中コンビが金融再編成で大鉈を振るい、また自民党を破壊。しかし政権与党の民主党には政策理念が見えてこない。
  ―まずは、昨日の続きの要点であるー
IMFの改革を通してそれまでの古い柵が消え、経済が自由化されアメリカナイズされたことで、韓国は大きく変わった。
 それまであった終身雇用が崩壊し、年齢よりも能力が重視されるようになリ、社長でも経営がうまくいかないと株主にクビにされる。
 現在、韓国では四十五歳定年が定着しているが、これも経済破綻が起点となっている。ベンチャービジネスも盛んになり、
 三十代、四十代の社長が数多く出てきている。 国全体が破壊から再生に立ち上がろうとしている。
・国が経済破綻すると、庶民の資産はどうなるのだろうか。 破綻と同時に起きたのが、金利の急上昇。破綻前は13%だった
 住宅ローン金利が、いきなり二倍以上の27パーセントまで上がった。このため、マイホーム購入の契約が次々と破棄され、
 新築社宅の売れ行きが急激に落ち、同時に価格も下がった。すでにローンを組んでマイホームを購入していた人は、支払い額が
 急激に増えた。当時、韓国ではほとんどの人が住宅ローンを変動金利で借りていたので、金利が二倍になった途端に払えなくなり、
 延滞者も急増。この延滞利息が、なんと六〇%。とても払えず家を手放し、親元などに身を寄せる人が激増した。
・株価は四分の一。預金金利が暴騰し31パーセントになった。ちなみに物価は経済破綻をしても、それほど上がらなかった。
▼ 以上だが、日本の失われた20年も異常だったが、国家破綻の韓国の惨状には驚きである。現在はアメリカナイズされた国に
 変身しているが、その間、日本は長期不況でただ、立ちすくんでいるだけ。 今後10年、韓国に近い惨状は覚悟すべきである。
 日本の地方は既に恐慌の様相を示している。残る関東と東海地区も、リーマンショックで、それぞれ原爆が落とされた状態。
 今のところエコ・ポイント制度などのカンフル剤で持たせているが、これも今年の暮あたりで終了。既に暗雲が漂い始めてきた。
 金利が暴騰したら日本経済は即死になる。とはいえ、ハイパーインフレとは、そういうものである。
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3104, 返済猶予法案の成立から見えてくること! −3
2009年10月04日(日)
 昨日の朝のモーニングショーに亀井静香が出演、TV側の評論家と「返済猶予法案」の是非について議論をしていた。
亀井節で、この評論家を根こそぎ否定していたが、コメンテーターの無知が露出した漫画的な内容。
都会のマスコミの世界の中から一歩も出たことのない連中の浅はかさが、あまりに酷い。亀井節でバカ・チョンと罵倒されていたが、
されて当然。 何を言っても議論にならないレベル。最後は、「この程度のしかコメンテーターはいないのか、この局は」と
適切な御言葉で切り捨てていた。まあまあ?の肩書きを持っていながら、論理形成ができないとは。 生の現実に接してないからである。
参考のために、そのコメンテーターは、岩井奉信(日本大学法学部教授) 奥野史子(スポーツコメンテーター)
高橋進日本総合研究所 副理事長) 森本敏拓殖大学 海外事情研究所所長)である。
 ところで、9月29日の朝日新聞の「返済猶予法案」に対する論説を読んで、何か浮世離れをした内容に驚いていたところ、
コンサルタントの林さんから次のようなメールが届いた。本人の了承を得て、紹介することにした。 あんな連中より以下の
メールの遣り取りの方が数段まとも。なぜなら、現場にいるからである。 TVは生の姿を映し出すから恐ろしいものである。
 ー To:堀井様 ー
 29日付け朝日新聞の社説の内容があまりひどいので、同社の質問コーナーに電話してみました。
意見だといえば「貴重なご意見を有難うございました。今後紙面をより良いものとするよう努めます。」
で終わりかねないので、「なぜ銀行は3兆円失うことになるか」教えて欲しい、と。 当初、質問コーナーの回答者が
適当に答えそうだったので、「自分の理解では、返済猶予は元金だけで利息は入るわけだから、利益が3兆円消える
ことにならないと思っている。 ただ、天下の朝日新聞の、しかも社説にかかれていることだから、私の知らない
何か特別の理由があるかもしれない。 その根拠をぜひ聞かせて欲しい。できれば、書いた方に教えて欲しい。
時間はかかってもいい。」といい、回答話を待つこととしました。 1度か2度、電話を受けた担当者から質問の趣旨について
確認があった後、午後3時前後でしたか、最初の回答がありました。(当初「書いた人に直接聞きたい」といっていた点について、
チームで検討し書いていることなので、直接書いた人間ではないけれど、メンバーの一人として「私」が回答します、との断り
がありました。こちらは、社説という朝日新聞を代表する欄についての質問したわけですから、このことに異論があるはずも
ありません。)最初の回答は「誤解を与えるような書き方をしたことは遺憾でした」というような趣旨でした。 
 これに対しては、
(私)「いや、書き方、あるいは表現の問題ではなく、社説の根拠、あるいは前提としたことに基礎的な誤りが
あったかどうか、です。誤った根拠をもとに、『亀井氏にはもっと取り組むべきことがあるはずだ』と書いたのかどうか、
ということの確認ですから、そのような回答は認められないのでは?」といって、再度回答を待つこととした。
その後、1、2度ほぼ同じような趣旨の回答がありましたが、
(私)「要するに、論ずる上での基礎的な事項を間違ってとらえ、社説を書いてしまったのではないか。
私なら、まず、訂正して、再度主張を述べるなら述べる。まずは、(無知による?)誤認という事実の訂正が必要では?
なにしろ天下の朝日新聞の、しかも社説なのだから」といいました。
 ー TO: 林様 ー
メール拝見しました。 新聞の社説やTVのワイドショーを見ていると、指摘のあった?上からの圧力があるようです。
 (字数制限のためカット10年10月4日)
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2739, 何故、こんなに多くのバブルを経験するのか?
2008年10月04日(土)
「資本主義は嫌いですか ―それでもマネーは世界を動かす 」−1     竹森 俊平 (著)
この本は私の知人からメールで「面白い本がある」と紹介され早速買って読んだが、成るほど面白い!
世界恐慌の様相を示してきている米国発の金融システム崩壊の原因は住宅バブルの崩壊によるもの。 
そのバブルが何故起きるかを解りやすく書いてあった。
  ーまずは、その部分からー
なぜ、われわれは、こんなに数多くのバブルを経験するのだろうか。
その結論を要約すれば、「バブルの頻発」は世界経済全体の高い成長率を維持するために、経済システムの「自動制御装置」が
働いた結果であった。高成長の維持が難しくなる局面に来ると、民間(とくに金融機関)や政府が、さまざまな手段を動員して
高成長の維持を図る。 そのことが繰り返され、結果としてバブルが生まれた。あまりにも単純なルールに従って動く「自動制御装置」
は、システムの安定をもたらさないこともある。特定の要因だけを重視して制御する結果、制御されない他の要因によって、
かえってシステムの安定が乱される可能性があるからだ。今回のサブプライム危機も、「自動制御装置」が「高い経済成長率」という
一つの要因にあまりに重点を置いてきた結果といえるかもしれない。 「サブブライム危機」を契機に、今後は「自動制御装置」も
根本的に調整し直されるだろう。バブルの発生に歯止めをかけるということに重点を置いた調整がなされるのである。
その結果、バブルの頻発もさすがにストップする。その代わり、世界経済の成長率は低下する。これが結論。
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解)これが現在の金融恐慌の原因のバブル発生のあら筋である。 バブルの収縮を繰り返しをしながら、経済は動いていく。
日本の2002年以来の、景気の好調も、著者は、その原因をただせば、「小泉改革」ではなくアメリカの「住宅バブル」という。 
それが崩壊したと言うから、日本は大不況に入ること必定である。 バブル、通貨危機、投機ファンド、市場原理主義、デフレ、
インフレ、など多くの問題が発生する「紙切れ通貨制度」の功罪はあるが、それでも、この管理通貨制度以外に方策は見出せない。
紙幣そのものが、既にバブルそのものである。 そのことは、次回に取り上げる。 
これから最低でも10年は、この通貨制度の危機がつづく。
 著者は「序文」で、シカゴ大学の経済学者フランク・ナイトの
・発生確率が予測できる危険を「リスク」といい、
・そのリスクを予測できない危険を「不確実性」という、
  考え方を取り上げている。
 (字数制限のためカット09年10月4日)
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2007年10月04日(木)
2375, コシヒカリが売れない!
             (* ̄0 ̄)ノ[才八∃一]
先日のニュースで{最近になって「コシヒカリ」が売れない}と、ミニ特集をしていた。
去年だけでも、県内で3万トンの余剰米が出たという。事態はかなり深刻のようである。
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2006年10月04日(水)
2010, 「私」のための現代思想 −7
     おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ ねむ・・さむ
ここのー「私」とは何かーという文は非常に難解であるが、一番の触りでもある。
独我論」-唯我独尊の独りよがりの論法ーで生きている人は何処の世界にもいる。
究極的には全ての人にいえるだろうが(<特に私は強い!>・・と、思ったほうがよい)
しかし、それ(独我論)では、長い時間の中で自然と淘汰されていく。
言葉は「言語という制度」に従わなければならないが、その「言語という制度」に従って使用することが思考である。 
そして思考する主体が「私」である。 言葉の意味とは、その使用であり、「言語制度に従って言葉を使用すること」が
「言葉に命を与えている原因」であるならば、思考の「主体」は「言語制度」ということになる。
つまり私たちは「自我」「私個人」で思考しているのではなく、言語制度に従って言葉を使用している状態を「私の思考」
と呼んでいるだけ、ということになってしまいます。 しかし、それだけでないと誰でも考えます。 
それでは・・・それが以下に述べられている。 話すにしても、文章を書くにしても、まず「私」がある。
その私とは何かが明確になっていない。ここで、その私の正体が解剖されている。
随想日記を2,000書いてきたが、それは独我論の「私」に気づくプロセスだった。
《私》という「私」の芯は、歪んだ過去の残物でしかなかったということ??・・
 過去の感動・感激・感謝の倉庫? 夢で溢れた夢倉庫? その総体ということ??
−−−−−
第三章 「私」とは何か −?
 ーウィトゲンシュタインの「言語ゲーム論」−
私たちの脳裏に発生している思考は、言語によって表現されます。言語以外の方法で表現された自分の思考を、
認識することはできません。原稿を書いている私は、キーボードの打ちすぎで右手が少ししびれてきたが、
それもしびれてきた」と言葉にしてみるまでは気づかなかったことです。
「眠いかも知れない」と感じたことも、言葉にするまで気づかなかったことです。
脳裏で言葉になった瞬間に「感じた」であり、それまでは「思っても見なかった」ことだと言えます。
そういう私は、本当に主体者なのだろうか?「私」の営みは、純粋な意味で全て「私」に帰属しているといえるだろうか。
(字数の関係でカット2008年10月04日)           \(^▽^*)バイ!
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2005年10月04日(火)
1645.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・4
 4、超一流の人   宗親
 どうしてもこういう商売をしているとね、人間の悪い面だけが見えてしまってね。
でもいいことも多いよ。絶対にこういう仕事でないと会えない人と直接話ができる事だね。
芸術家で日本国宝の人とか、超一流の奴。やはり普通じゃないよ。一流になる人は違うね。そう信念ね、持っているね。
「酒をの飲むなら男とのみゃれ、10年かけたる読書に勝る」あれだね。一生を一つの事にかけている奴は違うよ。
ひと言ひと言が、にじみ出てくるんだよな。教わる事は、「真剣に」ということさ。その人の周囲はピーンと
張り詰め空気が漂ってるんだよな。 あの空気というか雰囲気は、実際会ってみなくては解らないよ。
自分の仕事と何も違うところはないよ。ただ真剣、純粋そして高貴というか後光が漂っているね。人間こういう人は、
1000人に一人いるんだよ。まず50人に1人、別格のがいるんだ。その50人のなかから20分の一選ばるんだよな〜。
そのへんの人は、自分で考える能力があるんだ。物真似を超えて自分の何かを作り上げたやつさ。
50人に1人は物真似レベル。そのなかで20人に1人自分のものを作れるやつが出てくるんだ。
これ私の客商売で人を見た中で感じたことさ。
・・・・・・・
2004年10月04日(月)
1280, 「乾杯!」を考えてみる
 乾杯といえば、忘年会などの酒席や、祝いの席には欠かせない。
家内や知人と飲む時も、グラスをぶつけあって乾杯をしている。「乾杯」は、そもそもは日本古来のものではなく、
その起源は古代ギリシャ、ローマ時代に遡る。 『世界大百科事典』(平凡社)には、「古代に神または死者のために
神酒を飲んだ宗教的儀式が起源とみられ、ギリシャ、ローマでは食事中に神酒を神にささげ、公の宴会では列席者
ならびに死者のために乾杯した。…それがいつのまにか生きた人間の健康を祝福する乾杯となった」とある。
古代ギリシャ人の間では、「酒を飲むと、一緒に魔物が入ってくる」と考えられ、飲む前にグラスをぶつけ合うことで
悪魔を払ったといわれている。 悪魔は大きな音や騒がしい音が嫌い!特にグラスの鳴る音を嫌がったらしい。  
その一方ではもう少し生々しい説もある。「紀元前6世紀、ギリシャ人の間には主人が友人の健康を祝って乾杯をする習慣があった。
当時、敵を殺害するため、ワインに毒を入れることがよくあったため、まず、主人がワインを飲み、客はそれを見て安全を
確認してから自分のグラスのワインを飲んだ」というのだ。互いにグラスを勢いよくぶつけたり(酒が混じる)、
一斉に飲みほす…… というのも、毒殺対策がいわれというわけである。飲みほすことについては、杯に底が平らでない貝殻や
獣角が使われており、飲みほさないと傾いてしまう(こぼれてしまう)ためともいわれる。記録によると、毒殺の盛んだった
中世ヨーロッパでも、グラスをぶつけ合い、互いの酒を入れ合うことで、毒が入っているかどうかを確かめていたという。
時の王様は自身の権力をライバル達に知らしめるために、大勢のお客を呼んで夜ごと、豪華な晩餐パーティを開いていたが、
しかしライバル達を暗殺する絶好の場だった。 そこで乾杯をして、毒など入っていない事を証明し合う行為だった。
乾杯は世界中、どこにでもある習慣だ。スペイン南部の結婚式で行われる風習とは、乾杯で新郎新婦が乾杯酒を飲み干し、
そのグラスを地面にたたきつけて割るというもの。「これには独身時代には色々な事があったけど、
全てきれいさっぱり捨てて、今ここから新たなるスタートとしよう!」という意味が込められている。
大学の卒業式の後、学食で学部の全員が集まり、パーテーがあった後、乾杯してグラスを割った記憶が生々しい。
これで学生時代とお別れという節目としての粋な計らいであった。
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2003年10月04日(土)
ある時間の断片ー33
11月6日 ー1968年
・10時起床。
風邪で頭が痛かったが、少し良くなってきた。12時、佐藤君のところでお茶を飲む。その後本を読む。
夕方、飯を炊き、刺身を二人前買ってきて食事をする。 風邪を回復するための滋養だ。
食べ過ぎのせいか逆に気分が悪くなる。21時にレポート用紙を買いに出ると、市川氏と高橋君に会う。
近くの行きつけの「サンキスト」へ飲みにいく。となりの30過ぎの女性と話す。一人で楽しんでいるみたい。
 (字数制限のためカット10年10月4日)
・・・・・・
539,至高体験−2

  • 2002年10月04日(金)

「この経験をしただけでも、この世に生まれてきた価値が充分にある。
この瞬間を経験する為に生まれてきたとといって良い」という感覚である。
精神病は精神のマイナスの偏りの病だが、プラスの人(何をしてもうまくいく人)は、至高体験を異常に多く重ねているとか。
私の至高体験具体的に書いてみる(恋愛・下ネタはないのが少し残念だが?)
 ー旅行先でのそれが多い
・初めて海外旅行ーヨーロッパに行った時、生まれて初めて腹の底から笑った、何回も! 確かイギリスのパブで、
 それとオーストリアのワイン居酒屋で、それとミュンヘンのビアホールで。感動と歓喜の毎日であった。
 その旅行で私の固い頭を(固定観念を)叩き壊されたのが最大の収穫であった。
 中学高校時代は腹の底から笑う事は本当に少なかった。またそれだけ刺激の強い事は、それまで全く無った。
・あとは20数年前、実家の会社にいた時30人近くを引き連れてハワイに行った。その時も、至高といっていい位ぐらい
 ハワイの総てに感激した。 世界に名だたる観光地、ショーにしても、洗練された内容が次々出てきた。
・カナダのロッキーも感動感動の連続であった。「一回しかチャンスが無いが、何処に行ったらよいか?」といわれたら、
 カナダのロッキーだ。多くの旅行経験者はそう言う!地球でなくどこかの星に行ったような錯覚に陥る。
「ロッキーでの旅行の感激は、「自分の家を売ってでも経験する価値がある」であった。
 この日を境にして、この経験をする前と後という感じだった。
・9年前に震えながらいったケニアもそうだ。 アフリカの大地の広大のサバンナを見たときの驚きと感動!
 遙か彼方にシマウマとヌーが数十頭走っている姿を始めてみた時の 感動も強烈な思い出だ。
・事業でもそうだ。初めて千葉で千城ビルを立ち上げ仕事も軌道にのり、ふとそのビルを見上げた時の
 何ともいえない絶頂感も良かった。誰もがその瞬間を持っているはずだ。
・会社の忘年会や竣工式の後の宴会でも、それに近い気持ちになる。成功経験を重ねる人は、至高体験を重ね
 続けることの出来る人だ。 巨人の長島は至高体験を普通の人の数百倍、いや数千倍経験している。
 それがますます至高体験を呼び寄せる。自分を良くしようとしたら、至高体験を重ねる事だ。
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2001年10月04日(木)
「随想日記について」
新たに考えた事より、殆どが過去に日記帳などに書いた内容が多い。それをむしろ再度まとめ直しているといってよい。
具体的文章と、抽象的文章と、その中間の文章を意識して分けて書いた。 かなり刺激的な文章もあるが、
これも迷ったが思い切って載せた。この随想日記と事業百訓などの20年の文章は私の潜在意識かもしれない。
潜在意識の顕在化のプロセスを、毎日実施していることになる。
よくテーマが出てくると感心する。一週に一回ぐらいの割りに全く何を書いて、いいか解らなくなることがあるが、
しかしいつの間にかテーマが出てくる。‘しかかり文章’を先に2〜3作っておくことがポイントである。
そうしておかないと、常に不安感が付きまとう。仕掛かりとしての文章は余裕を持って気楽に書ける。
土日曜日に、3〜4つ仕掛かりの文を書き溜めておく。 どろどろした経験でたまった原始言語の概念化か。