閑話小題 ~気づけば、年末に近づいてきた!

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    * 年賀欠礼、死亡通知の時節に…
 そろそろ年末… 恒例の‘年賀欠礼、死亡通知’の時節に…入った。
従姉で最高齢の父方の従姉(95歳)と、私より一つ年下の母方の従弟と続く。
千葉の住む二番目の姉夫婦の義兄が施設に入所したとか。 存命の兄、姉の
平均年齢も80歳半ばに到達した。兄・姉を仰ぎ見るに、{人生は一期一会!」
行ける時、出来る時に、前倒しにしておくべきと、思うこと屡し。 。
人間は、経験したこと、食べたものと、読みこんだ本から出来ている!
 人生は、経験したもの、より知ったもの勝ちである。それしか永遠の彼方に
持ってはいけない。群れるのは良いが、そこで留まり、同質の低下化が悪い。
 ――
    * コロナ禍で進化し、実用化が進化したリモート化
 その事例の番組が、これ! 今回は大統領選挙に揺れるアメリカの人々の
本音をダイナーで聞いたユニークな内容!。 ディレクター分身ロボット”を
現地に派遣て、ダイナ―なればこそ、気楽に遣り取り出来るところが良い。
若者カップルから、老年夫婦、今朝、失業した中年黒人等とう、多彩の顔ぶれ。
《 ♦ ザ・リアル・ボイス
 世界の人々の本音“リアルボイス”を、現地の大衆食堂で聞いていく
「ザ・リアル・ボイス」。今回は、大統領選挙に揺れるアメリカの人々の本音を
ダイナーで聞く。 出演者ほか【語り】宇崎竜童   詳細「新型コロナ対策」
「衰退する製造業」「失業対策」「人種間問題」をテーマに、アメリカ大統領選
を控え議論が沸騰している4つの都市の大衆食堂ダイナーを訪ねて、人々の本音=
リアルボイスに耳を傾ける。今回は、新型コロナ禍で取材の制限が大きいため、
リモート操作できる“ディレクター分身ロボット”を現地に派遣。タブレット
装着したロボットを日本から遠隔操作してインタビューを行い、アメリカの人々の
本音を引き出す。》
 ―
▼ 「失業で月に50万も貰えれば、働く意欲も無くなるよ!」など、
「エーッ!」という発言も何度も聞こえてくる。オバマケアの賛否のリアルな
話も、ダイナーでしか聞くことが出来ない。オバマも、トランプの政策も極端
なことが、窺い知れる。二人がアメリカと分断してしまった。…その根は深い。

・・・・・・
6822,閑話小題 ~下越周辺、とりわけ新潟駅周辺は
2019年11月18日(月)
   * この数年、新潟周辺で…
 また新潟駅周辺で殺人事件が発生した。ここで4棟のビジネスホテルの経営を
30年してきたこともあってか興味がある。常時、危なそうな客が平均7~8人が
宿泊しており、刑事が彼らの素性を把握し、尾行をしたりする。仮名を使えば
罪になるから犯罪者には肩身が狭い。フロント内には直近の指名手配書が貼られ、
そこは交番の様相。何も知らない流しのチンピラが、因縁をつけて脅しをかける
のは無知なるがゆえ。小説『御宿かわせみ』の世界そのもの。得体の知れない、
その日暮らしの男女が出入りする。 自殺は多々あったが、火事と殺人事件は、
一度も無かったのが奇跡のよう。近くのピンサロに赤ちゃんを部屋に残して、
働きに出る若い女性。半崩のチンピラの紐の男。あきらかに素人娘に売春をさせ、
凌ぎを稼ぐ。年に一度、定期的にやってくる流しの売春婦。警察に怪しまれるの
熟知していて、初めから仕事を明かす。
 
 2年に1度ぐらい、ジャスト7時の会社から電話は、自殺か、恐喝の報告。
宿泊業は、水商売そのもの。様々な社会の実態を目の当たりに見ることになる。
当事者として、ここで書けない内・外部の不審な現象が… とはいえ、これで
生業を成すものは、それは巧妙。 まあ…事業として20年が限界。 30年間は
10年も長く携わってしまった。 先日の事件は、私が事業をしていたホテルの
至近距離。若い男女の痴情の縺れ。殺したくなるような女も世の中に存在する。
痴情の沙汰には、正視できない問題が垣間見れる。
『何ゆえに、新潟周辺ばかり、危ない事件が起こるの?』と、家内に聞かれて
自然と出てきた言葉は、
『新幹線のドン詰まりで、東京から2時間。飛行場、港、高速道がある首都圏
の飛び地。何処にでも高跳びが出来るからさ!』と。海に近い河口は、飛込ん
だら死体が消えてしまう? 闇の世界には魑魅朦朧の底知れない世界が…
                          ~つづく
・・・・・・
6458,閑話小題 ~「ババくささは伝染(うつ)る」
2018年11月18日(日)
   *「先のない年代に大切なのは、偽装。これのみ」
 内館牧子朝日新聞のエッセイが面白い!「老いるほど、普段着と生活習慣
に気をつけろ!」と。 スポーツジムで様々な人を見るにつけ、そこには長年、
培ってきた生活習慣が滲み出ている。私の外出は、SJと、早朝の自転車散歩、
週一の映画館と、同級会位である。 一般的だが、一日、週一、月一、3月に一、
年一と、各スパンに分かれている行事。 その繰り返しで生延び、老いて、
「ジジくさ」「ババくさ」になっている。 70歳の峠を過ぎると、何ごとも
億劫になる。そこで気を緩めたら見事な老人の完成と相成る。そこで偽装で
いいから、身なりと、生活習慣から気をつけるべしと、宣う。
    =朝日新聞2018年11月10日掲載= 
≪ 5年ほど前、80代中心の集まりにオブザーバーとして出た。
 「くっきり二つに分かれていたんです。
自分に手をかけておしゃれにしている人たちと、身なりにかまわない人たち」。
見ていると、おしゃれな人たちは明るく元気で、リーダーシップがあり、気配り
もすぐれていた。
「外見と中身は連動している」と感じた。
 自分の同窓会で。さえない男たちに混じって、すてきな男性がいた。
友人に「あの人は何君だっけ」と聞いた。「ばかねえ、先生よ」と返された。
こうした体験から、品格ある老い方について考えた。おしゃれな高齢者の物語を
書きたいと思った。 
 そうして生まれたのが、主人公の忍(おし)ハナ。78歳。
銀座を歩いていてシニア向けの雑誌編集者に「写真を載せさせて頂きたい」と
頼まれるほどの女性だ。このハナさんの言葉が刺激的というか、過激というか。
・「ババくささは伝染(うつ)る」
・「先のない年代に大切なのは、偽装。これのみ」
・「『ナチュラルが好き』という女どもは、何もしないことを『ナチュラル』
 と言い、『あるがまま』と言っている」
・「大事なのは他人の評価だ」 こうした言葉を連ねたのはなぜか。
 「すぐ死ぬんだから楽が一番というのは分かる。中身が大事というのもその通り。
 けれども、それだけではないのではないか。逆に、すぐ死ぬんだから好きにやる、
 自分の装いを磨いて心を弾ませるという考え方があってもいい。 
ハナを通じて、それを伝えたかった」
 数年前、桜に見とれながら歩いていて段差があるところで転んだ。右足の指が
全部折れた。外に出なくなり、化粧もいいかげんに。誰かの手を借りるのが嫌で、
何をするのもおっくうになった。「ああ、これが老人になるということだな」と
思った。動けるようになって、自分に手をかける気力がよみがえり、ほっとした。
 「終活」はしない。エンディングノートをつけるのも嫌だ。
「性に合わないから。相撲だ、プロレスだ、ボクシングだと心弾むことと接して、
残りの人生を生きたいんです」   ≫
 ―
▼ さすが、物書き!老人の心得を、あっさり書上げている。著者の、骨折が、
 私の7年半前の会社清算に同定して考えてみる。こういう危機管理は、て慣れた
モノ… 要するに時節到来の「節目管理」になる。遊びとして、俯瞰した目線で
見おろしている自分と、見おろされている自分を、遊び感覚で楽しむゲーム。
そこに、やってくるのが… ヘドロの蚊。そこで、まず私レベルの二ランク上の
スケジュールつくり。閑静の「閑」の門の中の「木」が生活習慣。「門」が下界
から吾身を守る唯我独尊。 一日一日を楽しみ、ストレスを貯めない。
 デトックスといえば、嫌がらせに、その日の内に全身全霊で、あるイメージを
繰返す。独り傷口を舐めるより、これはスカッとするが、これも内なるゲーム。
ある意味、対象の魂の抹消になる。 

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3889, 積極的逸脱 ー2
2011年11月18日(金)
 積極的逸脱は、その視点で捉えると多くの分野で見て取れる。
ベターに妥協せずベストを求めた結果の現象が逸脱になる。
天才と秀才の差は逸脱をしているかである。秀才は決して逸脱はしないで、
その世界の価値観の中で頭角する。野茂がメジャーに行き、その後にイチロウ、
松井秀喜が続いた。初めてのチャレンジは逸脱と捉えられがちになる。
彼らは天才、それとも秀才だろうか? 日本のレベルを超えているので、
日本では天才、アメリカでは秀才? いやイチロウはアメリカでも天才だろう。
そう考えると天才、秀才は比較の問題。とすると、自分で地元で、積極的逸脱
をしていたと思っていたのは、自己詭弁でしかなかったことになる。
単なるアウトサイダー、ハグレモノ。天才は、対象に没頭するあまり誤解の
ベールに包まれ逸脱者として扱わた。ところで、酒や薬でトリップするのを
積極的逸脱というのか?というと、それは違う。前回、書いたが、40・50歳
代に多くの問題が重なり、そのストレス解消のため秘境旅行に数多く行ったが、
これは日常からの積極的逸脱であった。その総量のエネルギーと感動は、
その他の人生の総量と同じぐらいはあった。人生の積極的逸脱で見られるのは、
40歳半ばから50歳で一線を引退し、早々に自分の趣味の世界に入る人がいる。
江戸や明治時代には多く見られたが、現代では経済的事情があり、そんな優雅
がことは難しい。 いや、それより、早々に産業廃棄物扱いをされてしまう
恐怖感が壁になっている。 私も結果からして、10年前に会社を売却して、
第二の人生に入った方が得策だった?と考えたが、それは後講釈。
どちらにしても結局は同じ。事業に「たら、れば」はない。積極的逸脱もある
なら消極的逸脱もあってよい。一般にいう落伍者である。落伍による失意の
果てに待っているのが自死。これも、あの世への積極的逸脱と考えられなくも
ないが、好き好んで自死をする人は皆無に近いから、消極的逸脱の果てになる。 
鎌倉時代中期の僧侶一遍は時宗の開祖。「捨聖(すてひじり)」
と尊称された。捨てて捨てて捨て去った人。
・・・・・・
4629, 夫婦格差社会 ~どういう男女が結婚するのか
2013年11月18日(月)
 『夫婦格差社会 ー 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著) (その他)
* 結婚相手に何を望むのか ー
 ∵ 「なぜ一夫一婦制なのか?」に、
第一に、子供を養育する義務があるのは、男女の関係を結んだ一組を明確に
するためである。大昔は、生まれてくる子供の親が特定できないことが多々
あったため、養育に支障をきたした。一夫一婦制で子育てを義務化する
ことができる。第二に、キリスト教などの倫理観から生まれた。
性の乱れを防ぐ目的もある。第三に、弱者保護の目的である。権力、資産、
容姿、体格、知能などを有する以上、弱者と強者が出てくる。強者が多くの
異性を抱え込んで、弱者が異性から排除される事態を防ぐための人類の知恵
としての制度という学説がある。
 ∵「何故、男女が結婚をするのか?」に、「相補説」と「類似説」がある。
 相補説は、互いに違った点をもち、補完できるような組み合わせの方が結婚
生活は、うまくいくと考える説。類似説は、素質の似た者同士の方がうまく
いくという説。補完説でいえば、経済力がない人は、経済力のある人を、
精神的に弱い人は、心の強い人を、背の高い人は、低い人を求める、という
ことになる。自分のない部分を相手に求める。 一方、類似説では、
背の高い人は、背の高い人を、低い人は、低い人を、美男は美女を求めるなど、
同じ素養、素質を共有する方が、相手の欠点を気にしないで済む。
人と好み、育ってきた環境で異なる。人それぞれの優先順位で変わる。
 ∵ 「未婚者は相手に何を望んでいるか?」に、
第一に、男女とも相手の人柄で、具体的に会話が弾み、結婚生活をスムース
 に進む相手、
第二に、「家事能力」である。第三は、男女とも大きく異なるのが、職業と、
 学歴。女性の9割は経済力、男性は4割でしかない。まだ男女の役割分担
 の意識が高いが、学歴に関して、男女とも同類婚を望んでいる。
 ∵ 「見合いか、恋愛か、どこで出会うか?」に、
 大まかに分けると、職場と、友人・兄弟姉妹を通じてが、それぞれ30%。
学校が10%。サークル、街中、アルバイト、見合いが、5%と9割を越す。
見合いが低いが、結婚紹介所の出会いが、それを補完。
▼ 世界のおお方が一夫一婦制のわけや、何故結婚をするのか、何を相手に
 望んでいるのか、が解りやすい。殆どの人は、学歴、家柄、容姿のうち、
二つが揃っていれば良しとして結婚するしかない。誤解で結婚をし、理解し
合って、離婚するのが、今では3~4組に一組。世の中、すべからく妄想で
なりたっている。その最たるのが結婚の妄想。青年期を振返ると、女性の方が
シビアで、見るところを見ていたようだ。それで人生、決まってしまうからだ。
・・・・・・
4264, しまった!  ー12
2012年11月18日(日)
 ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著)
  * 人生の財産 ーこの著書を総括するー 
 瞑想は、静かに独り座し、心を沈め、バイアスのかかった自分を見つめ、
かえりみること。ある人は、「飛行機のビジネスクラスで世界を移動する
ことを仕事の核にしている」という。10時間以上の、まとまった時間、
ただひたすら、黙想する。その時、深い何かに触れるという。
前回の旅行でエコノミーの席だったが、耳栓をし、同じように、ただひたすら
黙想をしてみた。「一万メートル上空で、時速千キロ以上のスピードの空間の
半睡のような黙想体験は、言葉で表現し得ない悟りというか、マドロミに
包まれた夢のよう。 考えるでなし、何かの思いが浮かんでくれば思うまま、
半睡状態にいる。それが飽きることなく(トイレと食事以外)、その状態。
宇宙と一体になっているような、何かから解放されているような永遠な何かと
一体になっているような。疲れ果てたとき、決断したいとき、頭を整理したい
とき、ただ、あの空間で、飲食のサービスを気ままに受け、自然体で黙想する
には理想的空間である。高速の移動空間は、脳内活動を活発にすることは
新幹線内での読書で経験していた。学生時代の友人の娘が日航のスチュワーデス
をしていて、小泉元首相が外国への飛行での機内専用サービスの担当になった時
経験談を聞いたことがある。「10数時間、お茶を一口飲んだだけで、
ただ眠り続けていた」という。あれは疲れで寝ていたと同時に、黙想?も
あったのだろう。 過去に機内で同じ状態でいた時間はあったが、ひたすら
10数時間を黙想状態にしたのは初めての経験だった。 時間とお金に余裕が
あれば、充分価値のある時間になると、納得。この経験から、ひとつの習慣が
出来た。休日などで、ふと何もすることが無いとき、独り寝室で半睡をする。
大体30分~1時間。ただ目を瞑り、休む。この春から始めたヨガで、
最後の5分、マントラを聞きながら大の字で弛緩する。これも機内と同じ状態。
好きなことに熱中している時も、これと似ている。この時間こそ、人生の財産
である。私には時間という財産だけは充分にあった。装置産業を選び、それゆえ
に固定化されたマイナス面があったが、反面、自由になる時間が充分にあった。
これこそ財産。秘境ツアーに、読書に、パソコンに・・ 日本人には、何も
しないと価値のない時間と思い込む妙な習性がある。定年をむかえ、それまでの
延長に生きている人が、あまりに多い。私も似たようなものだが、改めて、
じっくり時間の過ごし方を考えなければ!
・・・・・・
4996,暴走する世間 -10
2014年11月18日(火)
     「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著)
  * 公共性と「世間」とは、同じでない!
往復一時間の新幹線通勤を30年続けてきたが、そこは全国レベルの公共の場。
時どき、台風などで在来線が不通になると、一般客で満席になることがある。
そこが、公共性のある新幹線車内の「社会」と、通学、通勤の客の「世間」の
ミスマッチのクロスになる。都会と田舎の違いは、両者がクロスしているか、
いないかの差。それは、ネット社会でも同じことがいえる。ーその辺りからー
≪「世間」は私たちを支配しているが、具体的にみえるモノではない。しかも
「世間」は、「広い世間」のウチに「狭い世間」が存在し、その「狭い世間」
のウチにもまた「より狭い世間」があるというように、一種の入れ子のような
複雑な構造をもっている。問題なのは、「世間」は「共通の時間意識」をもつ
ために、「世間」のウチの人間にたいしては相互に「配慮」しあい「優しい関係」
をつくるが、「世間」のソトの人間は、人間だとは思わないという本質をもって
いることだ。つまり「世間」は「世間」のウチにいる者を「身内」とよび大切に
するが、ソトにいる者を「赤の他人」と排除する。公共性という概念が「世間」
に似ているのは、ある種の社会的強制力をもつからである。しかし「世間」が
公共性と異なるのは、「世間」がつねにウチとソトという区別をおこない、
「世間」の内部の原理がソトまで及ばないこと。さきほどの例でいえば、
「世間」のウチとみなされる町の駅はキレイに保たれるが、「世間」の目の
とどかない「世間」のソトとみなされる富士山の頂上では、この「キレイにする」
「ゴミを捨てない」という倫理・道徳は通用しない。日本は「旅の恥はか捨て」
というとんでもない格言があるが、これこそ、自分の「世間」のソトでは、
「世間」がみていないので、タガがはずれて「なにをしてもいい」ということを
意味する。 居酒屋で盛り上がっている人間は「世間」をつくっているから、
他の人間は「赤の他人」であり、人間だと思ってない。「世間体」とか
「世間の目」という言葉は、その内部だけで通用するのであって、その外では
まったく機能しないのである。花見でも同じで、世間はグループ内だけの話で、
他のグループには通用しない。最近若い女性が電車の中で他人の目を気に
しないで化粧するのも、自分の「世間」を離れたところの行為。≫
▼ ワールドカップで、日本人観客席が、帰り際に綺麗にゴミを持ち帰る
 姿が話題になったが、これも「世間」の特質の現れである。その世間が、
神様かわりをしているとしたら、三年前の節目から突然、私の前に現れ出てきた
神様気分の、あの連中をコミック的に思えたのは当然至極。これは、実際に経験
してみないと味わえない経験でもある。世間様世界は、面白い動物で満ちている。
とすると私は、珍獣?
・・・・・・
5361,うらやましい死に方 ~愛犬に見守られ
2015年11月18日(水)
          ーうらやましい死に方ー五木寛之[編]
 20世紀末に、文芸春秋に投稿された、身近な「うらやましい死に方」が
幾つか編集されていた。死に方は様々あるが、この中には、素朴な何処
にでもある死だが、何か心をうつ味わい深い死が連なっている。
「死に方」は、その人生き方に左右されている。「うらやましい」は、
あくまで受けとめる者の主観でしかない。そう思うのも供養の一つである。
昨日、兄の連れあいの御父さんの葬儀に参列したが、故人は穏やかな
人生を絵にかいたような人で、白寿をむかえて、ひっそりと亡くなった。
うらやましい生き方で、うらやましい死に方だった。 御冥福を!
  * 愛犬に見守られ    吉田達也(広島県三原市85歳)
≪ 近所のアパートに30年住む、独居老人が昨年暮れ心臓発作で他界された。
老人は年金生活者で、数年前に連れ添った妻とも別れ、我が子も訪ねてこない
孤独な一人住まい。愛犬を連れての散歩が唯一の楽しみであった。
近所付き合いもなく、愛犬と寝食を共にする生活であった。
 真夜中に急に苦しくなり、階下の管理人にすぐきてくれと電話する。
 管理人が駆け付けると、苦しい苦しいと胸を押さえて寝返りする。
愛犬は部屋の中を泣きながらぐるぐる駆け回る。主人の死を予感したのか
泣き声は悲痛であった。管理人は直ぐ近くの医師に連絡する。医師と看護師が
駆け付ける。診察の結果心臓麻痺で手のうちようもなく、死亡が確認された。
 その時の愛犬の泣き声がひときわ大きく、遺体に取り付いて離れようとしない。
周囲の人達は嘆き悲しむ愛犬の姿に、涙を拭うことができなかった。
 主入を慕う愛犬の姿に、親子以上の関係を見ることができた。
 老人と愛天とは十数年のつながりであったが、その後血のつながった我が子が
駆け付けると、涙ひとつ流すことなく、葬儀屋と相談し遺体を棺桶に型通り納める。
愛犬は棺桶から離れることなく、回りを泣きながら駆けまわる。
老人はいつも愛犬と一緒に寝る。愛犬を抱えた時の笑顔、微笑みは、安らぎの
境地を思い出していたのではないかと、管理人は回想する。
 息子は犬が嫌いで、置いていくという。「ご主人様がこれほど可愛がっている
犬を置いていくとは何事か」と、犬は棺桶から離れようとしない。
「その犬はお父さんの形見だから連れて帰れ」と管理人は強く言う。
息子は周囲の意見に従い連れて帰ることになる。犬は嬉しそうに車に飛び乗る。
孤独な老入は愛犬によって、安楽な往生を与えられたのである。
 我が家で家族に囲まれ、静かに息を引き取ることが、私の希望である。
とはいえ、一人暮らしの老人になったら、この老人のように、愛犬を友に
暮らすことも考えてみたくなった。孤独死だけは避けたいと思う。≫
▼ 動画投稿で鮮明に記憶に残っているのがある。「殺された若いギャングの
 傍で、可愛がっていた?野良犬が悲しげに佇んで、人を寄せ付けない姿」と、
「交通量の多い車道で、轢かれた仲間の犬を、必死に歩道に引いている犬の姿」。
犬は、死の何たるかを直感で分かるようだ。ところで、『孤独死』という言葉に
違和感がないか? 誰もが死ぬ時は、最たる孤独感が渦巻いているのでは?