閑話小題 ~自殺未遂の生現場にて -3

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   * 書き足りないので… 昨日の続き
 9年前の会社清算時に精神の危機が無くもなかったが、そこが創業の強み。
失敗した時の計算を入れてある。「身内を会社に入れない」「『個人と会社』を
混同しない」「家内の受けハンをしない」「営業の甘言に注意」「手持ち資金を
持ちだしが半年続いたら、即自、事業撤退」などを公言し、徹底していた。
清算時から、これに「自分の死に時を75歳として、これも公言。実は、これが、
精神の崩壊の特効薬。<どうせ、直に死ぬんだから…>が、殆どの怒り、後悔、
哀しみの毒消しになっていた。
 般若心経の『 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 』とは
<「行こう、行こう、真実の世界に行こう、 みんなで共に行き、仏の悟りを
 成就しよう」という意味 >
<真理を悟った者、ほとけの境地を体現したもの、という意味 …なる程、
『捻りがあればこそ、メビウスの輪として完成する』 死は生の完成の実感とは、
こういうことか!… と!>

 この12年間、駅東から、川西の信濃川の二つの長岡大橋と大手大橋を一時間
かけ一周しているが、一番のミソが、川西から駅に向かう大手大橋のヒキチャリ。
そのピークが真中の辺り。そこで、地球の軸の一点をエネルギー源の対話相手
として、対峙する私の「ホット・スポット」。そこで、アワヤ、自殺に迷った
女性が飛び降りようとした。これも何かの奇遇か。それに全く気づけないで
通り過ごした私も私! 地軸様に『ほらみろ、御前はこんなものさ!』と…
『何のために生かされているか』…『自問自答が足りないことを自覚すべし!』

・・・・・・
6736,閑話小題 ~映画観賞 ―『ロケットマン
2019年08月25日(日)
    * ロケットマンの映画評論・批評。
 昨年、大ヒットを記録した「ボヘミアン・ラプソディ」を陰の監督として
完成に導いたデクスター・フレッチャーが続いてメガホンを取ったのは、
英国のロックスター、エルトン・ジョンの伝記映画。「ボヘミアン・ラプソディ
同様、私にそぐわないホモセクシャルの世界。それが、前作よりリアルに映像化
されていた。としても、ステージは感動もの。アルコール、薬物漬なればこそ、
湧き出てくる? 物語の出だしは、薬物依存症のグループでの、そこまで至る
経緯を暴露するカタチで進行していく。夫婦間の亀裂が、いかに子供にとって、
痛手になるか… そうこう振返ると大家族の末っ子の立ち位置が、いかに恵まれた
幸運に思いがめぐる。 「ボヘミアン・ラプソディ」が、95点なら、これと、
レディーガガ初主演の「アリー・スター誕生」は… 90点。
  
  ~先ずはネット上の幾つかの映画評から~
《 物語は、エルトンが抱える「誰からも愛されない」という孤独に
 ヒューチャーしている印象。非常に素晴らしい音楽の才能があるのに、
と一般人は安易に思うけど、一人の人間なのです。傷ついて育って、音楽に
身を委ねて、その音楽を通じて知り合った人たちとの出会い別れを経て...
キングスマン ゴールデンサークル』でそんな思いを、きっとそこまで
言葉にせずともエルトンはタロンに伝えてたのかなぁ、と。
伝説のミュージシャンってほんと人間臭いよね。
だからこそ素晴らしい音楽を生み出してくれるんだろうなぁ。
いやぁもうこうなったら、次はジョージ・マイケル待ちです。
Sir、あなたの曲たちは素晴らしい贈り物です。》
  ~他にも~
《 本作『ロケットマン』。ロンドン郊外の住宅地で生まれ育った学童期から
 世界的なミュージシャンにのし上がり、やがて沈静化していく50代半ばに至る
エルトン・ジョンの足跡が描かれています。時代でいえば、1950年代から1996年
まで。つまり自伝的な映画です。昨年、引退したとはいえ、まだ健在なのに、
自分の人生が赤裸々に暴かれるなんて……。
 英国人ミュージシャンの伝記映画といえば、やはり大ヒットした
ボヘミアン・ラプソディー』(2018年)と比較したくなりますよね。それに、
「二匹目のドジョウ」を狙っていると思いますよね。おそらく、そうでしょう。
でも、映画の作りが異なっています。ヒット曲を散りばめているのは同じですが、
ミュージカル仕立てになっているのです。ごく自然に歌と踊りの世界へと移行
していくところが妙で、どことなくファンタジーみたい。そこが本作の売り。》

▼ ここで、やはり「孤独」の問題を扱っている。最たる孤独なればこそ、
 それが人の心に感動を呼寄せる。この年齢まで至ると、それぞえが抱えていた
問題を、語りだす。それぞれの立ち位置の家族の問題が非常に多い。その対処が、
その人生を支配し、時には破壊もし、反対に、起爆剤になる。
 お盆で次男の家族が帰省してきた折のこと。孫娘が大好きなグループダンスを
YouTubeの映像に合わせて踊りだした。それと、同時に息子夫婦も、何時のまに、
踊りだした。そして家内も仲間入り。さすがに私は入れなかったが… これが
家族の原型かと見惚れていた。 家族には満ち足りた愛情が必要ということ。
その温みこそ、互いを温めてくれる優しさ。幼児期に、音楽による情操教育を
如何に取入れてやるか。ともあれ、恵まれた人生で良かったといえる幸運に感謝。 
 <良かった好かった、これで良かった!> が、私の辞世の言葉。
   お目出度いことで… 
 
・・・・・・
6373,閑話小題 ~長岡弁に魅せられて ー3
2018年08月25日(土)
 ネットに、数多の長岡弁があるある。こうして真正面に向合うのは
初めてだが、首都圏の法事などででる話題が「長岡弁」。姉三人が車で20分
以内に住んでいるため、長岡弁から抜出せないようだ。元もと、駅前の繁華街
に住んでいて標準語に慣れていたと思いきや、どうも、そうではないという。
 私の場合、上京をして標準語を使えるまで2年近い時間を要した。それでも
寮生活で日常生活で多くの人との接点が多かった利点があった。 改めて当時
を思いだすと、無意識で標準語を外国語として組込んでいたようだ。それまで
話してきたほゞ全てが癖の強い長岡弁なればこそ。全てが標準語に置換え可能
であった。 福島、秋田など東北各地の地方出は、もっともっと癖があった。
 
 ~ネットにあった長岡弁を二回に分けて、幾つかを紹介してみる~
あっちゃい、あっちぇー : [形容詞]熱い、暑い、の意。(対:しゃっこい)
あんにゃ、あねさ   :兄、姉の意。
一緒くた       :混ざっている、の意。
いっぺこと      :沢山、の意。
おじ、おば      :弟、妹の意。いずれも"お"を高く発音する。
おっかかる      :寄りかかる、の意。
おっぱなす      :放っておく、放置する、の意
おめさん       :貴方、の意。
おめった       :お前たち、の意。
かしがる       :傾く、の意。
がすごみ、      :屑の意。専ら廃棄物のことなど罵倒語。
かんじん、くゎんじん :卑しい、卑しい人、の意。
きーもむ       :心配する、の意。
げっぽ        :ビリ、最下位、の意。
けつまづく      :勢いよくつまづく。「け」は蹴るの意。
けむ、けぶ      :煙、の意。
豪儀(ごうぎ)     :大変、すごい、(人が)堅牢な、気が強い。
こすい        :ずるい、の意。
こって        :すごく
しゃぐ /しゃつける  :なぐる、たたく、の意。
しゃっこい、ひゃっこい :冷たい、の意。(対:あっちゃい)。
しょーしい      :恥ずかしい、の意。
しょったれ      :だらしがない、の意。
…らすけ、すけに   : [接続詞]「~から」「~だから」の意。理由を表す。
ずる         :[ラ五動詞]動く、の意。「電車がずる」は、電車が
           (普通に)動く・進むことであり、脱線の意味はない。
せつない       :悲しい,辛い,苦しい,参った,困ったなど不愉快系感情。
せぼんこ       :猫背
そ(ー)いが     :「そうなのだ」、の意。
そろっと       : [副詞]そろそろ、の意。静かにゆっくり、慎重に、の意。
だまかす       :[サ五動詞] 騙す、の意。
たまげる       :[ラ五動詞] 驚く、の意。
ちっと、ちっとばか(し) :[副詞] 少し、の意。
…らて        :…だよ、の意。
とぶ         :[バ五動詞]走る、の意。
(ん)な        :お前、の意。


▼ 「げっぽ」「こすい」「しゃぐ」「ずる」「ためげる」「とぶ」など、
 数十年ぶりに目にする言葉。特に「げっぽ」は、旧知の友に再会したような気分。
年に数回ある同期会で、ほぼ誰とも会話がない。昔とった杵柄で、「ふんふん」
と聞役になるしかない。御品よくしてるのではなく、恥ずかしくて(しょうしくて)
言葉が出てこない。「こって」「…らすけ」も使えない。よくよくみると、昔ながら
の城下町言葉が脈々と続いているのだ。新潟に通っていた30年で、新潟では多弁に、
地元では無口になったのは、言葉の問題も大きい。使い分ける必然性もなかった。
柏崎出身の家内は、ほぼ標準語。私と家内の両親も、方言は皆無に近かった。
7年半通っているSJの会員の言葉つかいは長岡弁が多いが、気になるほどでない。

・・・・・・
6006,閑話小題 ~随想日記、6000回超え、
2017年08月25日(金)
   * 随想日記も、6千回超え
 千回単位を超えた度に、その時々の実感を書いてきた。この16年と数ヶ月の間、
‘テーマ探し’が、遊びの柱になっている。 凡庸な者が書上げるには、膨大の
時間とエネルギーを使うしかないのが逆に利点になるが、時おり何も浮かばず、
茫然とする。 この下地が20歳半ばにあった。卒業の直後に感じたことは、
「長い人生で、多くの経験をするのだろうが、それを高めるため、現場体験や、
情報をコンパクトに纏める能力( =経験を言葉に変換し、起承転結に完結する
物語化する技能)こそが重要と… そこで会社を辞め、産能大に籍を置き、KJ
法や、創造工学の書を独学で学んで、辿りついたのが、ハガキ大のカード二枚を
ホチキスでとめファイルにし、カードに感想文などを書き、その間に新聞やメモ
を挟み、カードボックスに分類して放りこむ、システムである。それそのままが、
個人HPであり、ブログになっている 16年前に、ネット上のブログとして公開、
外部脳として、活用している。 情報収集に検索と、ネットサーフィンが非常に
有効に働いている。まだ、ブログが出揃う前後で、パソコン教室で「個人のHP」
の共同制作を通して、ネットに別世界をつくり始めていた。現在でも、細菌対策
のバックアップの役割として続いている。これは、ブログ閲覧の10分の1以下
だが、当初からの閲覧者が根強く存在している。6千回も続くのは、それなりの
軌跡があってのこと。批判・批評なら誰も出来るが… 好きにならなきゃ無理。
 2つの合計、350人前後の閲覧者が、今年に入って500人近くに増えた。
少しでも力を抜くと、即、減るため… 抜くに抜けないのが実情。結果、馬鹿
丸出しになる。自覚をしているため、平気だが… 
 要するに、「ライフワークになってしまった」ということ。
――
2014/11/22
閑話小題 ー今日で5000回!
   * この随想日記も5千回
 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に、再び、
その時の自分と出会える。5千回は、以前より大きな目安としていたので、
やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
 この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、
この30年の大きな行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて
問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。
面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。
 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。 5分遅れでアップできな
かったことが一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの! 
 学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、書く以外は、
殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、ダイアリーにメモ書き
で残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことをしてなかった
ことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳としてネット上に
公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりのパソコン教室
を見つけて本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの出だしの頃で、
手作りのHPだった。それが、今でも、エンピツの「随想日記」と、「分類」
として続いている。 そして7年前に、この二つのフォロー用に始めた「はてな
のブログに、読み手の殆どが移動してしまった。そのことに気づいたのが一月前。 
13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、300人の閲覧。
もっとも、最大のファンは、同月・同日の自分と、未来の自分だが。
アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。
なるほど、言葉は言霊! 「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」
を、読み返すと分かる。ーまずは初回からー
――
4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。旅行中も「書きだめ」
をしたのを知人に頼んでアップをしていたのでほぼ休まず書いてきた。自分でも
11年近く四千も連続して書いたと驚いている。次は五千が目標になるが、四千回
を契機に、時どき休むことにする。 また五千回に到達した時点で半年位は休む
つもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した内容を
書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから可能だった。
「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、
クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し知識と
して残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける動機づけ
にしている。気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いたため、その
まま伝わっていたはず。それも四千ともなると、自分の脳内そのものでもある。 
自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む楽しみは格別。今では、その日書いた
分を含めると11年分の同日の自分に出会っている。書いたことも、その内容も、
ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で奇妙な感覚になる。だから倒産
とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、心が洗われる。文章を起承転結
でまとめるのはプロならいざしらず、気力が無いと無理。 但し、一度、その習慣
をつければしめたもの。 しかしブログに字数制限があるため、当日分の書いた分
だけ、過去に書いた文章をカットする。それが、身を切る思いになる。
しかし、それが好い加減な文章を書くと数年もしないうちに、自分の手で削除する
ことになるので、内容の質を落とせなくなる効用がある。 文は、一度書き、
アップすると、あとに戻せない。何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が
何人かいる。 注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなって
しまう。時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、
毎日、書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。
また分類ボックスの一番下に、過去に書いた文章の検索が可能になっている。 
時々、検索をすると、キーワードの入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、と
入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。
――
3000、3000回か~
2009年06月22日(月)
 この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣
だから続けているだけ。確かに、続けているとプラスにはなる。考えざるを得ない
からである。それと、常に何か書く材料がないか注意を周囲に向けるようになった。 
その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。書く
ことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、紺屋の
白袴で…? ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 
なるほど、今回も同じような気持ちである。ふと、気づいたが、自分とは時間の
経過と同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない‘X’が
魂ということになる。
ーー
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
2003年12月30日(火)
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35~40が合わない。
調べてみると206~222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」の
つもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。
父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく
変った。一日一日が本当に充実したのだ。50人位の人に毎日読まれていると思う
と、誰かに見守られているような感覚になる。作家などの物書きが必死になって
書くのも解るような気がする。

 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅して
しまうか。そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
 ところで実感としていうと 一番勉強になり良いのが、自分であること。
・テーマ探しに46時中頭が1杯
・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し
・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。
 ス~と書ける日はよいが、全く書けない日がある。
それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。
書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなって
きたが。来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿ん
だり、土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている?
このまま続けると、ある日突然「や~めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に
切り替え集中しなくてはならない。
 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?
どうなるか?自分でもわかりません。
 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!

・・・・・・
5641,閑話小題 ~ジムに異変が!
2016年08月25日(木)
    * 通っているジムが活気づいてきた
 駅東口の、ダイエーが入居していたビルの最上階にあった、ジム最大手の
コナミスポーツジム」が7月末で撤退。大量の難民?が、歩いて15分の
私の通う「ホリディ」に移動してきた。 何か「ホリディ」とは人相が違う、
街中の衆という感が強い。 不景気もあってか、ジムの経営も大変のようだ。 
但し、「ホリディ」は、最新の施設もあってか、会員数が安定している。
 人気の「ヨガ」エアロが常に満席。 競合対策で?「平日・昼間会員」枠で、
二年前まで週に3回だったのが、現在は6回に増えている。 増えた枠は、
外部のヨガ専門の先生だけでなく、エアロのインストラクターが、見よう
見まねの指導を始めたが、それはそれなりに? 時に週4回参加もあるが、
週3回が私には最適。 4年半も続けた結果、腰痛からくる腰の重みが、
かなり軽くなっている。 これで、3~4割は増えたようだ。これは大きい!
 ところで、スポーツジムの大手は、どうなっているかと検索すると、
最大手の「コナミ」が750億円。次が「セントラル」が半分近くの500億、
ルネサンスが420億」、「ホリデイ」が10位で100億。それぞれの戦略を
持っている。 「ホリディ」は<初心者向け>が売り。
平成26年のフィットネス業界の数値は次のとおり。
 市場規模:4,316億円
 施設数 :4,375軒
 会員数 :4,193,706人となっています。
この数値を元に推計すると、1施設あたりの年間売上高は約1億円。
会員数は約1,000人になる。「ホリディ」は私の推測だが1,500~2000人、
売上は1億2~5千万。 コナミ撤退もあって、地域NO1。
 こういう装置産業は、後だしジャンケンが勝つ。 満足度90点。