閑話小題 ~サイレント・ブルー 2

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   * サイレント・ブルーの世界
 ブルーは空と海の色。人が青に魅かれるのは、生物の起源が海にあるため、
緑と茶に魅かれるのは、陸地の森と林を起源となるため。深海は、まだまだ
未知の世界。 ~海の概要といえば…
【 ・地球表面の70%を占める海。その海全体の98%が「深海」。「深海」とは、
太陽の光の届かなくなる200m以深のすべての海をさし、暗黒、低温、高圧が世界
を支配する。
・「超深海」は、6,000m以深の海域をよび、主に海溝で構成されている。
世界で一番深い海は、日本の南東に位置するマリアナ海溝。深度は約11,000m、
世界一高い山であるエベレストも沈む。
・地球全体の海の深さを平均すると、平均の深さは、約3,800m。富士山が
沈む深さ。また、海底は3000mから6000mの深さが最も広く全海洋の70%、地球
の全表面積のほぼ半分を占めています。】

▼ 深夜を海に例えると、超深海が、夜明け前の2時~2時半。成るほど、
サイレント・ブルーの言葉が似合うわけ。 「サイレント・ヴォイス」は、
さしずめ深海魚。それが、海底から湧き上がる直感ということも理解できる。
そこには、古代魚が、生延びている。自ら発光する魚や、内臓や骨が透けて
みえる怪魚などが、生存をしている。何やら、ブラックホール周辺の漆黒の闇
のイメージに似ている? 大たい、それを命名するのに問題はないのか?
仮死状態を自らつくり、漆黒の脳空間を漂い遊ぶことは… 許されない行為? 

 で、やはり一年前の文章に、つながっていく。 人生なぞ一瞬だもの!

・・・・・・・
6288,読書日記 生きることへの冒瀆とは! ~3
2018年06月01日(金)
          『旅人よ どの街で死ぬか。~「男の美眺」』
                   (伊集院静 2017年)から。
   * 予感、あるいは沈溺

≪ ◉ 長く旅を続けるには術が必要である。友人の勝負師とどうように、
 頓着を持たないことだ。旅人の一人の些細な感情など都会という土地では
とるに足りなぬものだ。
そんな時は高台に行き、都会を見おろせばいい。
河岸に立って川を眺めればいい。人の感情など関わりなく、
―川はただ流れている。それだけのことだ。
 ー何かを手に入れたものは何かを失う。自明の理である。
旅を続けている限り、失うものはない。しかし失わないことが旅に求める
安堵であるのなら、その旅は愚かな行為でしかない。流れる水を見て思った。
ともかく旅を続けるしかない。             127-128p
◉ ヨーロッパ大陸を飛行機で旅し、窓から大陸を見たことがある人は、初夏に
 レモンイエローの花を咲かせた菜の花畑の美しさを知っているはずだ。148-149p
◉ ポーランドアウシュビッツ収容所を訪ねた。見ておくべき場所だから
 出かけた。私をむかえてくれた日本人の案内人は物静かで温和な人だった。
収容者たちが列車から降ろされ、歩かされた道を案内人と歩いた。折から
やわらかな初夏の風が吹いて流れ、路傍の野花を揺らしていた。かつてここが
殺戮の場所であったとき、花は咲いてもいなかったろう。収容所で目にした
ものは、予期したとおり私たちが見ておくべきもの、知っていなくてはならない
ものだった。黙示であってはならないものである。残されたものたちが立証して
いるのは、これがまぎれもなく人間がなしたものであるということだ。
~過ちをくり返すのが人間だとしたら、人間はどうしようもない生きものである。
-そうかもしれない…。    207p     ≫
 ―
▼ ツアーの面白さ、厳しさの一つが、1~2週間、移動空間と旅先空間を密着
 すること。 嫌でも、様々な人生を垣間見ることになる。また、重厚な人生観を
知ることになる。行先の多くが秘異郷もあるが… 10年近く前までは、まだまだ、
高度成長時代の恩恵を受けた人たちが多かった。その反面、仕事に追われてフッと
気づくと晩年に差し掛かり、人生を取り戻そうとすがる思いの人が半数だろう。
それが圧倒的大自然の只中で、自然と出てくる激情が、呟きで聞こえてくる。
『ズ~ッと老人ホームで働いてきたの。で、ハッと気づいたら、自分が年寄りに。
現実に流されて、周辺の人だけを見てね。何にも考えないで、決断もしなくて、
これまで生きてきたの。ところが先を切られたの… …旅行前に色いろの問題を
箪笥の中に押しこんでね。帰ったら、それを出して整理をしないと。
でもここに来て良かった。心おきなく死ねるわ。』 
パタゴニアの、山中の道すがら、初老の女性が、何気なく話しかけてきた言葉。
話は続く。
『養老院って、人生の果てでしょ。人間の本性が丸出しになるの。特にね、
夜這いって、御婆さんの方が多いの。夜中に男の人の悲鳴が聞こえてくるの。
‘何するんだ、この野郎’ってね。 寂しかったのね。』

・・・・・・
2004年06月28日(月)
1182, 秘境・異郷ツアーレッスン -3

いま一つ面白いのは、添乗員と現地ガイドである。
旅行の3分の1は添乗員の質できまってくる。
そして、質とは我々をいかに楽しませてくれるかである。
結局、自分でその仕事を積極的に楽しんでいるかどうかである。
そして自分の仕事の役割を理解しているかどうかだ。
どんな仕事でも、それは共通している。

そこには、その人の素材としての質と会社の教育が重なって出てくる。
ツアー客の、代理店に対する評価は辛辣であり、それに耐え得なくては
存立し得ない厳しい世界である。見ていて本当に激務の仕事である。
次から次に起きてくる予期せぬトラブルを、一つずつ確実に処理をしていく。
ベテランなら解るが、20代の女性の場合見ているほうが辛くなることが多い。
トラブルを処理をしてくれるのから、ツアーは非常に楽といえば楽である。

北スペインの時の女性はまだ忘れることができない。20代半ばなのに、
30分前に閉館した博物館を日本からワザワザ来たと談じ込んで開けさせた
のには驚いてしまった。「私は不可能を可能にする女」と自分でいっていた。
そして最後まで、その姿勢を崩さなかった。
最後は泣きながら大きなトラブルを処理をしていた。
仕事の辛さという面で、究極の場面が次々と出てくる。

やはり南スペインのアンダルシアの時の女添乗員もすばらしい。
スペインが大好きという本人の気持ちが全員に伝わっていた。スペインの
カセットを持ち込んで、バスの中ではその地方地方の音楽を流してくれた。
まあ、人生の何であるかを教えてもらったようだ。厳しい中でも、その環境
を楽しむこと、それだけでなく世界を知る努力の必要性である。
                              つづく
――
ー以前書いた文章をコピーしておきます。
[90] 人生のコツ   2001/12/21

ツアーで今ひとつの楽しみは、全国より集まってくるツアー仲間である。
本当に色々な人がいるものだ。推測だがどこかの高校の校長だったのでは
ないかと思われる67歳初老の人の事が印象的であった。
「60歳までに50回の秘境を中心にした海外旅行と、人生の余白を可能な限り
埋め尽くす生き方」をその人の感化でその旅行で決心した。

その人が言うには「自分の父の家系は40歳前半までに全員死ぬ家系!
若いときよりその死期までに人生総て生ききる生き方をしてきた!家族で
日本中を車で総て回る計画を立て実行、そしてその時期がやがてやってきた。
しかしどういうわけか死ななかった。
それなら一年一年が勝負と世界中を回る計画をたて実行、いまだ死なず世界中を
ほとんど回ってしまった。」

この時これだな!と思った。そして先ほどのの決心をしたのである。
「人生は後回しでなく、前回し」人生だけでなく何事もそうであるが。
その時「貴方だけが何故生き残れたか、こころあたりは?」の私の質問に
「毎日朝食にキャベツを千切りにして、紫蘇のドレッシングをかけて食べている」との答え。
「あとは好きな事だけをやること」だそうだ。

なるほどと考えさせられた。

・・・・・・
2018/03/07
閑話小題 ~大変な人
   * 旅は根こそぎ人生観を変えた
 何度も書いてきたが、51年前の21歳の「30日間・欧州旅行」が人生を変えた。
国内さえ殆ど旅行したことがない私が、年間20万人しか渡航してなかった当時に、
ツアーに大金持ちの子女・子息たちと豪遊旅行に参加したのだから…、当時の
日常との段差が如何ばかりか。それまでの人生と、その後の人生というほどの
段差によるカルチャーショックが、そこにあった。 
 良かったのが、事前情報が皆無に近かったこと。名所名跡に出あいがしらの
感銘がより大きくなっていた。その衝撃は、その後の秘異郷旅行のライフワーク
に繫がっていた。 
 
 当時よく聞いた話が「カルチャーショックで気が変になる人が多々ある」。
今では情報化で現地の事前情報があるため少ないようだ。私も帰国後の数ヶ月は
自失茫然状態であった。それまでは、私なりの世界観、価値観を保って秩序を
守ってきたが、そのベースが根本から揺れ、それが新たな再生になっていた。
 老いる度に、私たちは小さな世界に閉じこめられ、その世界しか知らなかった
ことに気づき、慌てる。その後、数知れない衝撃を受ける度に、生き方、人生観
が根こそぎ変化していった。成るほど、「大変な人」と言われるのは至極当然。
私の限界の中の衝撃で、破壊と再生の「変化」を経験すれば、「変」が大きく
なる筈である。 とはいえ、その道のプロ、例えば、秘境の地への赴任とか、
添乗員から見たら、何をバカなことと笑われる半端なド素人でしかない
。 
 一歩、旅行に向け踏出すと、非日常の世界になる。 新幹線から成田線
乗継いで、機内に入ると、非日常が、日常になり、これまでの普段生活の日常が
非日常に逆転する。黄色のミニ集団の一員として、こちらの正しいことは、旅先
では正しいとは限らない世界になる。世界は多様であり、それぞれが特殊であり、
また自分の世界も特殊であることに、気づかされる。それぞれの地域で、それ
ぞれの言葉を話し、様々な考え方をし、地産地消をしており、それぞれの文化
の中で生活をしている。その実体験が旅行の醍醐味になる。一回の旅行で、
ホテルや、観光先や、乗り物内で、様々な文化文明に触れ、感動や感激をする。
変わっていく旅先に順応しながら、自分も変わっていく。感動、感激の経験は自分
の感情を豊かにする。旅に出て、感動し、感激し、感涙する度に、違った自分に
変化していることに気づく。

一年前に入れた4KTVが内なる世界を変えた。『アクティブ・カウチポテト族』
と言うが、世界の秘異郷先を、実際の人間の視力より、遥かに鮮明に映し出す。
今では、YouTubeで4kの映像を見ることが可能になっている。数十年経っても、
これで追体験が可能になる。更にブログで、旅先からライブの生々しい写真と
映像と実感の言葉を見ることが出来る。 21世紀は、楽しみ方を知ってるものに
とって面白い時代だ。 これは何事でも言えることが…

・・・・・・
2017/11/02
閑話小題 ~チョットした旅の思い出
   * 世界で出会った動物の世界 
 10年ほど前のニューカレドニアのオプションの、小島の磯辺での出来事。
小さな湾の浜辺で、家内と休んでいると、同行の若いカップルが楽しそうに
遠浅の沖から戻ってきた。 彼氏が興奮気味に、『沖に行くと、小魚が一杯、
嘘のように、まとわりついてくる!』という。 そこで、家内が冗談で、
『その群れ、ここまで連れてきて!』というと、『パン屑あります?』と。
そこでビスケットを差し出すと、それを持って沖に出ていった。家内と私が
唖然として見ていると、沖から何と魚群を連れて嬉しそうに戻ってきた。
魚自体が人間という天敵と出会ったことが無いようである。
 
 南米のテーブルマウンテンでも似たような経験をした。群生していた花園に、
蝶々が群れていたが、これまた、触っても逃げない。条件反射で逃げるのが
当り前と思っていたので「ああ此処はワンダーランドなのだ!」と思い知った。
 
 ペルーのチチカカ湖でも、葦で作られた500~1000平米の小島にいた鵜に
似た鳥が、逃げようともしないで、目の前で現地人の親子に捕獲されていた。
日本でもアホウドリが逃げないで殺されるため、この命名になっている。
 日本ではカラスは幼鳥しか襲わないが、カラコルムハイウェーで、雀を
小型のカラスが襲っているのをみた。雀はケタタマシク鳴いて、私たち人間
の間に逃げ込んできた。鳥の本能がそうさせたのだろうが。

 スペインで見たのが、鳩の群れとカラスの群れが空中で入乱れて争っていた。
異種の群れが争うのを「ドックファイト」というが、本来は、飛行格闘戦。
<航空戦で、戦闘機同士が 互いに機関銃・機関砲または短射程空対空ミサイル
の射界に相手を捉えるために機動しながら行う空中戦闘。> 自然界には、
多いのだろうが、フッと空を見上げて見えてきた戦闘に一人、興奮していた。

 TVのドキュメントやユーチュブで、ライオンと、ハイエナやバッファロー
群れの闘いを、詳細に映しだしたのが多くある。これが真剣勝負の迫力がある。

<達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ>
 より、遥かに面白いことが満ちている。
YouTubeに面白いキーワードを入れさえすれば。 世界は広くて面白い。

・・・・・・
2016/05/06
若者よ、外に出よ! ー⑩ 日本には限界がある
               『人生の教科書』なかにし礼
  * 日本だけでは限界がある
 40歳前半までは、自宅に中・高の二人の息子がいた。そこで、行くところ
といえば国内の自動車旅行が中心だった。その二人が学園生活のため、上京
していったのを機会に、海外ツアー切替わっていた。その非日常の面白さに
惹かれたのが家内もである。一人では躊躇する秘境・異郷でも、家内と一緒だと
何とか行ける。また、非日常の中に家庭の日常を持ち込むのも慣れてしまえば
悪くはない。 夫婦してのホテルのレストランの朝食が何とも豊かな気持ちになる。
 学生時代の昭和42年に、大学の「海外旅行研究会」というクラブが企画した
『世界・30日の旅』の存在を知り、行ってはや、49年になる。当時の海外旅行者
は20万人。信じられない数だが、これがツアー観光の愛好者になる切欠となる。
何もかもが新鮮で、ただただ面白い経験だった。人生観が一変した経験である。
 なかにし礼の、以下の内容には大いに賛同するが、自分では書けない。
書けば上から目線が、露出する。 しかし、事実は事実である。
≪ 旅に出るならば1日でも早いほうがいい。自分の感受性が全部そこで
 晒されて、カメラにたとえるならいろんな映像を受け止めていることになる。
そのインプットは大きいものだ。そのインプットは日本にいてもできない類
のものなのだ。これは賭けてもいい。日本という国には限界がある。
刺激の限界だ。食べものだけ見ても、なんの刺激もない。それが日本の料理
だといえば、それは確かにそうだ。だが世の中の料理はそれだけではない。
「肉じゃがを作れる女性がいい」、とか言う男がいる。こういう人も旅行を
していない男と思う。世界の味を知らないからこうした面白くない発言になる。
 北アイルランドジャイアンツ・コーズウェイにも肉じゃがはある。
それはスープという形で出てくる。肉じゃがの原型はビーフシチューだが、
これはさらにその原型だと言える。牛肉と芋が入ったこの肉じゃがの原型を、
現地の黒いビールを飲みながら食べる。これがうまい。明らかに元祖の味。
日本の肉じゃがよりも断然おいしい。だから日本は食事にしても、もっと研究
しなければいけないと思う。日本の文化は確かに素晴らしいものがあるが、
そこに踏みとどまって進化をストップしていい理由にはならない。・・(略) 
日本人のいいところはいっぱいある。創意工夫とか、細かいことに関する
こだわりとか・・ しかし、一方では何かにつけて「疑いを持つ」ことが
非常に罪悪視される環境になっている。それで画一的な価値観を植付け
られて、「肉じゃがを作れる女性がいい」などという頭になってしまう。
これではもったいない。
 だから若者よ、疑いを持つために旅をしなさい。
 そしていろんなものを自分にインプットする。
 インプットしたらさらに視野を広げて守備範囲を広げる。
 そうしないとインプットする内容も尽きてしまう。
だから何度も言うように、限りない欲望と探究心、好奇心を持ち続けないと
いけない。それは、夢という非日常の世界を見続けるためである。
寝たときにだけ夢を見るのでは寂しい。目醒めて、そこで夢を見るべきだ。≫
▼ 何度か書いたが、成田へのスカイライナーに乗って暫くすると、
「あ~帰ってきた!」という妙な感覚になる。そこから非日常の刺激の強い
時空になるため、その蓄積が、磁石となって、旅を誘い、その非日常の世界が、
真なる時空、真実の自己であるような錯覚をもたらす。だから、別腹の
世界を自分の中に持っていて、暇な時間にトリップすることが出来る。
この現実世界に、世間の常識に対し、疑問を持ち続けることが出来る。
<目醒めて、夢をみることができる>