<『孤独の発明』または言語の政治学 三浦雅士著>
   * 孤独から飛翔する言葉
 アイフォン、タブレットPC、パソコンの進化などで、個々人主体の情報化
社会の本格的到来で、旧来の新聞、TVなどのマスコミの役割が、どのように
変わったかを知りたかった。これまでは、地元新聞、TVの地方局、地方銀行
市議会と県会議員が、地方社会の骨格をつくっていた。これが10年前から本格的
に普及したアイフォンと、タブレットなどで、個々の情報端末が、互いに直接
結びつくことによって、社会の骨格を変えてしまった。 強者弱者の境目が
情報と資金力になるが、そこに情報選択と加工する能力のインテリジェンス
(地頭)の格差が端的に現れ出てきた。TV画面が、番組のディレクターの
素質もまた映しだしてしまうため、コミック的でさえある。大衆が大衆たる
由縁、マスコミが発信する情報を妄信し、考えないで済まされた。
ところが、情報化で大量な情報が、フェイクニュースを含めて常時、入手
可能のため、自分で考えざるを得なくなってしまった。地頭は、幼児の頃から
親がかりでしか育成は不可能? 孤独に耐えきれないから、一般大衆になる。
考えるとは、孤独に晒され、そこから滲み出る言語で格闘することである。
  
  〜その辺りが解りやすく説明してある〜
≪ 言語と人間は互いに互いを育てあってきたと述べたのがC・S・バース。
AI革命がいわれインターネット革命がいわれるいま、この言語と人間の付き合い
方は新しい段階、というより、本格的段階に到達しているように見える。状況が
これまでと全く違ってきている。むろん、言語の本質が変わったわけではない。
これまで以上にいっそう顕わになってなって、いわば人は日々その本質、その
途方もない力――とりわけ嘘をつく力、騙す力、煽動する力――に直面しなければ
ならなくなってきたのである。人は自ら知らずに嘘をつき、たやすく騙されるが
――すなわちイデオロギーを持ちパラダイムに浸されているが――その事実に
46時中、直面させられるようになってきたと言っていい。言葉は人を騙し煽動
するが、同時に、人を励まし勇気づける。だが、それだけでない。
 言葉は人を傷つけ、ときには殺しさえする。
インターネットは人間ひとりひとりを新聞社に変えテレビ局に変えたとは、
よく言われることだが、重要なのは、誰もが同じ資格で自由に発信できるように
なったということではない。その結果、新聞やテレビがサブカルチャーすなわち、
下位文化に格下げされたということである。新聞やテレビの権威が失墜したわけ
ではないが、大幅に縮小されたのである。それは、国家的メディア、国際的
メディアではなくなりつつあるということだ。その結果、新聞、テレビがこれまで
以上に主義主張を鮮明に出すことになり、あるものはより右翼的に、別のものは
より左翼的になってきた。簡単にいえば熟慮することが少なくなってきた。
ということはつまり、自らサブカルチャー化に拍車をかけ始めたのである。
 失ってみてはじめて分かるが、権威の失落は重大である。これまで、いかに
新聞やテレビの権威に頼ってきたかが分かる。そして、失われていく過程で、
これまでの権威がいかに基盤の脆いものであったかが分かる。権威として登場
してきたものの多くが、若くて未熟な記者やディレクターによって恣意的に
選ばれたものにすぎないことが露呈してきたからである。インタネットの情報が
飛躍的に増えて、容易に比較することが出来るようになったのみならず、記事も、
番組をたやすく批判されるようになった結果である。
 マスコミの時代が終わった、あるいは、新たなマスコミュニケーションの時代
に入ったのである。… …情報は溢れかえっているが、それは分別も整理をなさ
れてない生の情報なのだ。いわば膨大の情報の海の渚で遊んでいるようなもの。
人類はいま、巨大な波がいつ押寄せるかもしれない波打ち際で戯れている。≫

――
▼ 学生寮でコーヒーや、酒を飲みながら、様々な大学の人たちと軽口に近い
議論をしてきた。それが突然、厳しいことで知られ、次々と脱落をしていく
ため、一年の補充コースで「途中入会」したのが、『人事管理』の武澤ゼミ
(ゼミ員・20人)。 前週に一枚のレポートをわたされる。それは、人事課
に持込まれた社内のトラブルの生々しいケースの書かれたレポート。
 2〜3班に分かれて議論をして、問題のありか、解決法を導き出した後に、
全体で、その結論を互いに批判し合う、厳しい現場に立つことになった。
そこには、「東レ」から、見るからに切れ者の社員が5名参加をしており、
現場叩き上げの凄みがあった。議論の結果、その解答の書式が配られ、
ゼミ全体の結論と解答の差を、教授が結論として出す。 
 とんでもないところに来てしまったと、当初は思っていたが、それが、
私には水を得たように解決案が出てきた。それは両親の終戦後の転業の中で
の幼児体験。その日の売上が、生命線の命金。 幼児体験そのままの知恵が、
突然、シリアスな議論の中で表立ってきた。それと25人のオープンハウスの
ような寮生活そのものが異質な地方の学生同士のトラブルの問題解決の日々。 
 要するに、表立った問題は姿変われど、本質は変わらない。
知識と知恵で、深く掘下げれば自ずと解決する。問題は、地頭! 
20万年に一度あるかなしかの情報革命の断層で、一人一人の個々の知恵、
『孤独』の必要性が現われてくる。
 
このブログ内検索で出てきたのが以下の二つのレポート。 
ーーーー
2005/09/14
1625, 戦略的思考について−2

アインシュタインは、質問の力について、
「もし自分が殺されそうになって、
助かる方法を考えるのに一時間だけ与えられるとしたら、
最初の55分は適切な質問を探すのに費やすだろう」と述べている。

それだけ最適な質問には、莫大なエネルギーと力が秘められている。
その事態に対する『隠された質問』を探しだしさえすれば、
問題の殆どを解決したことになる。
それは思考についても同じことがいえる。

問答による思考発展として2500年前のギリシャで、
ソクラテスの対話による教育手法が生まれた。
現在もソクラテスメソッドとして、主流の教育方法になっている。

18世紀にアメリカで大人数の教育が世界に伝わり、ソクラテスメソッドを破壊してしまった。
これは高等教育を普及させるのに役にたったが、個人の教育の立場ではギリシャ以前に
立ち戻ってしまった。
その為に教育とは、生徒に情報ー知識を詰め込むことと考えてしまうようになったが、
教育という言葉の語源の『エデェカーレ』は、本来は‘引き出す’という意味がある。

古代から教育者が、生徒自身から持っている知覚や洞察力を引き出す方法で、
ソクラテスによって名が知れるようになったテクニックである。
先生が鋭い質問を生徒に投げかけ、彼らの持っている知覚を試して、
説明するように仕掛けることである。
これは闊達な対話を通して進められる教育形式である。
はじめに結論を言わないで、対話の中から結論を見出していく。

私が学生時代に武澤ゼミで訓練された
「ケースメソッドーケーススタディ」は正にこれであった。
多彩な事例問題を毎週二回与えられ、それに対して先生とゼミ仲間同士が問答形式
ソクラテスメソッド)で、ある結論に導いていく方法である。
与えられた(一枚の紙の)ケースに対して、はじめはアトラン. ダムに論じ合い、
最終的には全員で一定の結論を導くという方法である。

その効果は
・不確実性の内容の中で、的確な意思決定ができる
・自由な質問(ソクラテスメソッド)を使い、 
 論理を引き出し問題を明確にしていくプロセスの学習
・ロジック構築のプロセスの学習である。

内容が「思考」に偏ってしまったが、戦略についてに戻そう。
戦略は鳥瞰としての絵図である。
その絵図の構図を練ることが戦略思考である。
それも地頭で考えることが戦略思考にとって最も要求される。
戦略とは、限られた資源を集中して最大の効率を図ること。
その為には、時流とその方向を見極めることが求められる。

わたしが最近ゲンキがないのは、
デフレのすざましさを読み違えたことだ。
インフレ脳でしか考えてなかったことか!

戦略思考など偉そうなことは書けない立場のはずだが!
冷静に鳥瞰しなくてはならない時期のおさらいである。

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2015/12/03
武器としての決断思考 ー②
             ー武器としての決断思考〜 瀧本 哲史(著)ー
  * 人間を自由にするための学問を ーリベラルアーツ
 高度成長期は、20年以上も昔におわり、今では時代は氷河期に入ろうと
しています。そこで選ばれし者同士の熾烈な戦い生じてくる。そのための
明らかなエリート教育が、これである。著者そのものが、更に選ばれし者。
自分自身の経験を、筋立てて教えればよい。 〜その辺りから抜粋〜
《 リベラルとは本来「自由」を意味する言葉で、アーツとは「技術」。
 すなわち人間を自由にするための学問である。その基礎としての教養は、
10〜20代の若い時にそのベースをつくっておくべきである。
 教養の起源は、古代ギリシャにまでさかのぼります。
 当時の社会には奴隷制度があり、奴隷と非奴隷を分けるものとして、
学問の重要性がさけばれていました。かなり大ざっぱに言えば、
「学のない人間は奴隷として使われても仕方、ない」、ということです。
 奴隷などというと、21世紀の日本で生活しているこの本の読者にはあまり
関係のない話のように思えますが、決してそんなことはありません。
 私は、いまだからこそ、リベラルアーツが必要だと強く感じています。
それも、未来の日本を支えていく10代〜20代の若い世代にこそ必要なのです。
どうしてか? それを説明するため、京都大学医学部生の話をしたい。
  * どうして京大医学部生の40パーセントが「起業論」を学ぶのか?
 私は京都大学で、「意思決定論」だけでなく、「起業論」の授業も受け
持ってます。教えているのは、成功したベンチャー企業ケーススタディ
中心とした、実践的な起業の方法であり、その根底にあるべき考え方です。
 その授業を受け持ってしばらく経ったときのこと。ふと履修者の情報を
整理してみたところ、驚くべきことに気づきました。
 なんと、学部別の割合で見ると、医学部の学生がもっとも私の授業を
受けていたのです。その率、40パーセント。
 京大医学部ば、東大医学部と双璧をなす最難関の学部として知られています。
卒業後は、ほぼ100パーセントの人間が医者になります。やりがいだけでなく、
高い社会的地位も報酬も得られ、まさに一生食いっぱぐれない安粛な人生を
約束されたはずのエリート中のエリートたちが、なぜ私の起業論の授業を
受けるのか?不思議に思い、私は学生にヒアリングを試みました。
すると、こんな答えが返ってきたのです。
「この国では、医者になったって幸せにはなれない」
「もう昔のように、医者髄お金持ち、という時代でもない」
「やりがいだけではやっていけない。新しい方法を見つけないと」
彼らは自分の将来に対し、明確な不安を抱いてました。》
▼ 医者の卵でも、勤務医より開業医の方が遥かに恵まれていることと、
 その開業(起業)のための知的準備を学生時代から始めておくべきも
知っている。だから、連れあいも、医師とか、資産家の娘の中から、
探すことになる。医師を目指そうというのは、本来、ある程度の資産が
必要条件である。開業するには、医師としての特性がなければ成立たない。
その特性を磨くには学生時代からの長期のリベラルアーツが必要となる。
「鬼に金棒」の金棒と、使い方は、学生時代から準備すべし、ということ。

ーーーー
4269, 閑話小題 ー虚無より傷心が上
2012年11月23日(金)
   * 人生、虚無より傷心が上?
 W・フォークナーの言葉に、「人生は虚無より傷心が上」がある。 
両親が大戦の長岡空襲で財産の全てを失い、第二の創業を幼児から少年期に
わたり目の当たりにしていた。 そして自分も創業人生を過ごしたいと20歳
頃に決心し、去年まで挑戦と挫折を繰り返した45年間。その心血を注いだ
事業も、3つ(9・11、9・15、3・11)の歴史的震災?で、呆気なく消滅した。 
口ではカラ元気なことをいっても、やはり深く傷ついている。 とはいえ
「何も人生をかける機会がない虚無の人生」や、「上手く後継者の譲った
ハッピーエンド」より、傷心している現在の方が良かったと思っている。
いや、自分にそう言い聞かせる日々。節目には挫折感がともない、深く傷つき、
虚無が覆う。何事もない虚無や順調な人生より傷ついた後の虚無の方が、
(ドーナツの穴のように)傷そのもので取り囲んだ結果、虚無を浮きだたせる。
何度も、底知れない虚無感に陥ったことがあった。何事にも自信が無くなり、
虚脱状態で、ただ独り、極小に縮んで滅していくような妙な感覚。 現在も、
ひとつ間違えると、陥る可能性があるのが解るため、ブログを書き、スポーツ
ジムに行き、読書をするなどで自分に隙を見せないようにしている。ただ愚痴を
言い、他人を標榜するしかない老人を多く見てきたので、その愚はしたくない。
しかし、知らぬ間に愚痴を独りで呟いている自分がいる。 先日も、近くの道路
で大声で愚痴を喚きながら歩いている老人がいた。家内がよくスーパーで買物を
しているのを見たというから、痴呆の独居老人らしい。心の傷口が化膿している? 
男ヤモメの痴呆症は近くの親族は苦労する。「人生、傷心、時どき虚無」か。
いや、「虚無、時どき傷心、のち躁鬱」か。 毎日が、心の天気模様のよう。
台風もたまに来るが。服装と、心と、身体の管理は充分に気をつけてないと…
 
・・・・・・
6098,閑話小題 〜北欧系の幸せのカタチ
2017年11月23日(木)
   *‘ヒュッケ’ですか? これからは…
 幸福度数が高い国に、北欧諸国が多い。そこで、北欧の‘幸福’に関し、
調べていたら、『ヒュッゲ』たる言葉に出あった。そこで、ネット検索すると、
なかなか面白い。雪国の暮らしぶり、とりわけ角栄王国だった越後の公共立国
の県民性と北欧が似ている。公共投資の恩恵の豊かさが、北欧の資源にあたり、
ライフスタイルも然り。目立たないが、豪雪が、地下水としてダムになり、
フィヨルド同様、隠れた資源になっている。 
 ヒュッゲ(Hygge)は、デンマーク語で「幸福」「心地よさ」を意味する言葉。
寒い冬の乗り越え方として親しまれる。家内の柏崎の実家の暮らしぶりが正に
”ヒュッゲ”を絵に描いた家柄。要するに、地元の言いようで、『内福な家庭』。
婿取りの家系で、ヒッソリした隔離された火が出るような温みのある世界である。
目立たないようが信条で、平々凡々の日々を楽しみ味わう生活。太平洋戦争から
高度経済成長辺りの世界が日本にも、まだ残っていた。「仲間内で楽しむ!」。
 時代は、‘ヒュッケ’に回帰しているようだ。
 〜ネット辞書によると〜
≪ ノルウェーフィンランドスウェーデンデンマークの北欧諸国は、
教育・福祉大国と呼ばれている。税金が高いが、国に渡した税金のほとんどが、
教育と福祉に使用している。現在の日本は税金を増やしても福祉などに回る金は
少しと言われるため、日本では老後を心配する人が多い。しかしデンマーク
国が国民に対して税金の透明性をしっかりと示しているため、国民も安心し高い
税金を払える。また北欧の人は無理な働き方をしない。高い税金は教育無料・
病院無料で返ってくる。最低限の仕事しかいないから自分の時間にゆとりが
生まれる。「人生一度きり、楽しまなければ」の考えが強く染み込んでいる。
所得がある段階に達すると、稼いだ半分は税金として国に支払う。生活に不自由
さを感じない程度の所得があれば十分という考えだ。要するに、お金持ちには
なれないが、みんなが幸せに暮らせる国。
 最近になって、デンマーク以外の国でも「ヒュッゲを見習おう」という動きが
出てきている。イギリスでは昨年半ばからヒュッゲブームが起きているんだ。
「キャンドルが灯っている様子をヒュッゲ」・「家族や友達と家でくつろぐこと
もヒュッゲ」。ストレスのない、自分のための時間を作るヒュッゲに今、注目が
集まっている。
  北欧の伝統的な過ごし方
◎寒い冬に暖炉のそばで火を見つめながら暖かいホットワインを飲む。
 そこで家族と何気ない話をする
◎暖かい部屋でキャンドルをともしながら友人たちと食事をする
◎好きな雑貨やインテリアに囲まれながら一人で静かに本を読む
◎自宅でゆっくりとパンを焼いたり料理をする
◎ゆっくりと時間を感じるために部屋の中から外をぼんやりと眺める
◎日常から少し離れて小旅行をする ≫

▼ 北欧は海の幸と、海底油田、フィヨルドがもたらす水資源などの豊かさが
 背景にある。第二の人生をヒッソリと、豊かに暮らすには、北欧でなくとも、
日本の北国で充分、味わうことが出来る。今年など、中学校の同期会が5回も…
 各家庭でリビングを飾りたて、互いを招き入れて、ミニ・パーティを楽しむ
という生き方。また暖炉の前で、読書を楽しむ生活。一つ間違えると、重苦しい
鬱症から鬱病に至りそうだが… 。 経済成長期から、停滞に陥った日本に、
この‘ヒュッケ’という支点の変更の時期に来ているようだ。何せ、4k・8kTV
と、高度のネット機器が、家庭内に入りこんで、広く、深く、明るく窓を開けた
のだから。先は長くなるのか、短いのか?そこが問題。 良い時代を生きたから、
充実した時代背景があればこそ‘ヒュッケ’が味わえる? 
‘ヒュッケ’でなくて、‘ユッケ’ですか!  そういうこと…鬱鬱? 
・・・・・・
5001,閑話小題 ーつれづれに〜5001回
2014年11月23日(日)
   * つれづれに〜5001回
 一昨日で、随想日記が5千回になったが、一日一テーマの作成の重圧は、
ストレスになるが、これも慣れ。一線から離れると、これが丁度良いストレス
とエネルギーの消耗になる。 としても、5千日連続して書き続けたもの。
この習慣は、頭を使いざるを得ないことと、自分しか書けないことを書き残せる
ところが最大の魅力。テーマを探し、決まったら、一気に書き上げ、書き直し
書き換えに全力をかけるしかない。これはストレスでストレス発散をしている
ことになる。 自分が何かを感じなければ、未来の私に、それをを伝えることが
できない。 だから、心のアンテナが敏感になるのが良いようだ。 
 未来の自分が再読するため、嘘とか中途半端なことは書けないから、
まず正直に書くしかないが、読み直すと、それでも、偽善、偽悪も、露悪、
露善が出ている。そこを第三者が見ているのだろうが、その緊張感が面白く、
反面、恐ろしい。 毎日、書き続けていると、日常に浸り流されている自分が
鮮明に見えてくる。それも、この年齢では平凡な日々を感謝しなくてはならない。 
早朝、この文章を書き直しをしたり、過去数年分の同月同日分を読み返すことは、
一種の内観。そして「何をしてきたのか、考えてきたのか、この男は!」と・・ 
 それにしても、文筆家の言葉はアマチュアや、素人とは全く違う。
それで、生計をたてているから当然だが。それにしてもである。
それは、書き続けたからこそ分かったのだろうが。
・・・・・・
5731,閑話小題 〜低反発マットと腰痛 〜1
2016年11月23日(水)
   * 低反発マットと腰痛 〜�
 翌日分を書き上げて、同月同日分に目を通したところ、7年前の、
<2009年11月23日(月)、3154,「低反発マットと腰痛」>に目がとまった。
低反発マッドの御かげで?、今では睡眠は至極快適に、腰痛は半減している。
これに5年近く、週に3〜4回、SJのヨガに参加。足腰、姿勢の矯正をしてきた。
その割に、良くなってないのは不思議といえば不思議であった。毎日、書斎の
椅子に4〜5時間も座ることが一番の原因と解っていても、私には孤独と孤高を
保てる場所のため、この椅子生活から脱却ができてない。 
 先日、ここで取上げたNHKの『ためしてガッテン』で、
『腰痛の大きな原因は、寝返りをうたないこと』と、思いもしない原因を
示していた。『寝返りは、その日の歪んだ姿勢を、無意識に解している行為。
それを押さえて動かない方が不自然』と言われれば、成る程ガッテンする。
 ヨガで、両足を合わせて前屈みになり腰を解すポーズや、仰向けで大文字に
なり、片足の平を軽く曲げて膝につけるポーズからヒントを得て、寝返りを
したい方の足を曲げただけで、そのままで収まるため、一晩中、静かなもの。
 ところが、ジッとしているのが悪いというから、驚いて当然。 
「仰向け状態で、寝返りをうつことなく、静かに寝ることが良い」
ことと勝手に決め込んでいた腰痛持ちの私には驚くべき内容。
          〜NHKためしてガッテン』のHPより〜    
<ー解禁!腰痛患者の8割が改善する最新メソッド
          ー 2016年11月2日(水)午後7時30分
 腰痛といえば、マッサージなどで一時的にラクになっても、すぐに痛みが
ぶりかえしますよね?でも、今年8月に発表された東京大学病院の最新研究
によると、「あるストレッチ」を行うと症状が劇的に改善するだけでなく、
再発がストップする人が続出しているといいます。実は、腰痛持ちの人には
「寝返りが少ない」という意外な共通点があり、それを解消すれば腰痛を
元から絶てる可能性大!2000人近くの患者さんが症状改善を実感した
「腰痛対策の新鉄則」、詳しくはお役立ち情報をご覧ください!>
▼ 週刊誌で、『低反発マットは、身体に良くない』というテーマにして
 いたが、内容を確かめるほどでないと、見過ごしていたが・・
ここで、腰痛療法を幾つか紹介しているが、ほぼヨガのポーズ。
夜半、目が覚めたとき、意識的に寝返りを始めているが。
・・・・・・
5366,閑話小題 〜久々に聞いた面白い話
2015年11月23日(月)
  * 久々に聞いた面白い話
・身近で聞いた話だが、『あるグループの一員で、74歳の若作りの
小金持ちのオバアサン?が、思い立って真っ赤な乗用車を400万で
買ったが、家族には不評! 私には考えられない。』という。聞いていて、
大都会なら、いざ知らず、地方都市で良くぞ、この年齢で買ったものと感心。
 お金を持って、あの世とやらに、いけるわけでなし、持っていけるのは、
「コト」だけ。「74歳で真っ赤な乗用車を400万で買って乗り回したコト」は、
持って逝?ける。それを実行した当人は、人生の何たるかを知っている。
・そういえば、母親が、80歳の時、何を思ったか、ボケ現象の入りかけか、
『姉二人と、家内と、兄嫁の4人をお供に欧州旅行に行く』と、言い出した。
『どの道、お金を持って、あの世にいけるわけでなし、良いの!』と、酒の
入った勢いで啖呵を切った。4人は大喜びで、母共ども二週間、旅立っていた。
 その間、留守のお祖母ちゃん、お母さんに不満を持った小学生の二人息子
の面倒と、家事を私が見ることになったが、これが大変。帰ってきた家内が
一言、曰く、『楽しかった!悪いけど、子供も、彼方のことも、一切、
忘れていたわ!』。30数年前で、総額300万代半ばの旅費だった。まだ、
高度成長期の真只中、これも母の預金の一部をコトに換えたことだが。
どの道、息子達の旅行代か、酒代になって、どこかに消え去っていく金。
 私にとっては、多くのお金を、コトに換えてあるので、残す苦しみが
全く無いので、その点では、心残りは無いコトが、良いのか悪いのか?
  * 優勝決定の珍現象 〜目出度くもあり、目出度くなくもあり!
 千秋楽まで、一敗一人、二敗二人だったが、日馬富士が、大関稀勢の里
敗れ13勝2敗となったが、2敗で追っていた横綱白鵬、平幕の松鳳山
それぞれ黒星を喫し、優勝が決まった。千秋楽に三人とも敗れての優勝は、
聞いたことがない珍現象。「目出度くもあり、目出度くなくもあり」である。
残酷な話だが、理事長であっても、死んでしまえば、30年続いた一代限り
の相撲部屋の消滅が、昨日限りで決まった! 死期を悟った?当人は、
死ぬに死ねない苦悩を抱えていた。最期は、全ての人が挫折が待っている。
だから、人生は面白く、スリリングになる。「三日も経てば、三百年前に
死んだと同じ!」である。この世は、生きている人の為にある。だから、
生きているうちは、「活きていなければ!」ということ。
・・・・・・
4634, 閑話小題 〜また一人、奥さんからの年賀欠礼の葉書
2013年11月23日(土)
   * また一人、奥さんからの年賀欠礼の葉書
 また一人、創業時からの営業担当の奥さんから年賀欠礼の葉書が届いた。
創業を始めて40年、地元に帰ってきて38年も経てば、その時節ということ。
東芝エレベーター」の営業担当の馬場さんで、この8月に亡くなっていた。
長岡の大手通四角の物件から始まり、都合、五台のエレベーターを入れていた。
その都度、本当かどうか、ギリギリの値段で入れていたため、会社から厳しい
視線で見られていたとか。サッパリした性格で、私とは相性が合ったようだ。
毎年、会社の忘年会に出席してもらった常連の一人。10年前に定年退職して、
自宅近くの公用地・500坪を借りて、野菜つくりをしていた。定年後も、前の
会社の事務所に訪ねてきたり、新潟駅前の町内の懇親会で酒を酌み交わしていた。
 彼から酒飲みで学んだことは、「自棄酒など、美味くない酒は飲まないこと。
さらに落ち込む!」である。長岡の実家の商業ビル建設を建てかえていた時の
修羅場の姿を見ていた数少ない人である。それもこれも、過ぎてしまえば、
夢幻である。当初からの忙新年会の上席で残っている?人は、
数人だけになってきた。「ひとは先、我は後」。 享年、74歳。 ご冥福を!
   * 昨夜は、高校同級生の偲ぶ会
 昨夜は、昨年の今頃に自死した高校の同級生の「K君を偲ぶ会」が長岡駅
の居酒屋で開かれた。出席者は16名。商売上の事由というから、他人ごとでない。 
30年近く、この同級会は毎年開かれているが、常連組17〜8人のうち、これで
5人が亡くなった。幼稚園から大学までの同級生で、自死は始めてである。
自死には、それだけの事由がある。明るくサッパリした性格の反面、神経が繊細。 
高校では山岳部に属し、趣味は落語を聴くこと。偲ぶ会の寄せ書きは、如何な
ことか、と思ったが、色紙に、それぞれが一言、書き留めて仏前に添えて
もらうことにした。
   * 雪下ろしの雷
冬の雷を「雪下ろし」という。11月の雷は初雪の前兆で、轟音がすざましい。
その後の雷は、激しく降る合図になる。今年も、例年と同じ下旬。
直ぐに降雪するか、1〜2週間後に50センチ位の積雪になる。一度、消えるか、
降ったり止んだりし、1月半ばか、下旬に2M位の積雪になる。
それが消えるのが四月の初旬の頃。
・・・・・・
3894, ギリシャの次は・・ ー2
2011年11月23日(水)
  前回、取り上げたPIIGS国債の数値化を、改めて考えてみる。
 ・ ギリシャ    32.29%      
 ・ ポルトガル   11.52%
 ・ アイルランド   8.22%
 ・ イタリア     7.28%         
 ・ スペイン     6.43%     
ギリシャの32・29%からみる。EUが今回、国債の残高の半分を免責、
ギリシャが現在の国家の支出を大幅にカットしても、 数年もしない
うちに行き詰まるのは明らかな数字である。あくまで延命である。それに、
他のPIIGSの金利も、この数値からみて、重体である。これらの国の
トップは殆ど、ここで変わったが、それで問題は片付いた訳でなく、
間違いなく破綻が近づいている数値。もしもの話をしても仕方がないが、
日本国債が今後どうなるかである。現在の10年もの国債は1・47%であるが、
何時、国際的 投機筋に狙われるかである。 現在の利払いだけでも千兆の
一%としても10兆円になる。その上に返済をしているので、既に国家予算
の半分が、国債に向けられている。ある日、国債に対して不信感から売り
浴びせられたら、国債金利は高騰する。考えただけでも末恐ろしい。
首相を一年ごとに変わるので長期的政策を持てずに、無責任の垂れ流しの
予算しか組めないのが現状。その破滅的システムが、この数年続いている。 
アメリカにとって、それがベストのため変えられないこともある。
5年、いや、もっと早くIMFの管理下に入って徹底的なリストラを行われる
しか手立てはない。そのキッカケはハイパーインフレ? それでも消費税が
5%で、欧米の平均値の20%まで15%のノリシロがある。また、国民の
預金が1千兆円以上ある。それも、アメリカ国債を買わされている・・ 
ギリシャか、イタリアが破綻すると、リーマンショックの比較にならない
ほどの大混乱になるというが、その具体的な状況は誰も想像つかない。 
一線をひいてみると、なる程、より鮮明に見えてくる。