『美人の正体』〜越智啓太著 
   * 外見的魅力がある人が「意外とモテない」という理由
  恋愛には3つの場面があるという。
・一つは出会いの瞬間。その場合は、美男美女は有利だが、そこまで。
・そして、2つ目の恋愛の場面。この場面で、趣味と、実際の相性、
 育った家庭環境などが複雑に絡むため、頓挫をするケースが多い。
 ここで外見の要素は大きく下がる。誤解をした後、理解して離別する。
 この段階で早々熱がさめるのが成田離婚。 だから、幾つか恋愛経験を
 した後の結婚が望まれる。
・三番目は、互いの役割。長期の恋愛とか、結婚生活。学校で言えば、
 東大の偏差値に例えられる学年1〜2の美男美女が、そのまま結れて、
 添え遂げることはほぼ無い。互いのプライドが高過ぎて、実態との
 違いで仲たがえをする。  
残念なことに男女とも上位2割に8割以上の異性が集まる。そのため、
恵まれた人には、異性経験が多くなる分、魅力が蓄積される。恋愛心理学から
すると、男女とも、多くのチョイ?人に声をかけ、「やり逃げ」を重ねた分、
魅力が蓄積され濃厚な人生経験を得ることが出来る。 何ごとも、世の中、
不平等に出来ている。 世の中、男女とも、「ちょい乗り」「やり逃げ」が
満ている?  〜その辺りから〜
≪ 美人・ハンサムの人が、さほど持てないと口を揃えてる発言は誤りなので
しょうか。じつは一概にそうとはいえません。確かに、彼ら彼女らは注目の的。
クラスの多くの異性がその相手に引きつけられ、おそらく心理学の実験で彼ら
彼女らの写真を呈示されれば「とても魅力的である」とか「ぜひつきあって
みたい」とかの選択肢に○をつけるでしょう。 しかし、本当にアプローチ
されるかは別問題です。第9章で述べたように、長期的な交際を考えれば、
やはり自分と釣り合った魅力度の人と交際するのが、コスト的に一番安くすむ。
相手が浮気するのを防ぐための余計なコストがかかってしまうからです。
そして現実的に、心ではその美人やハンサムにあこがれを持っていても、
実際にアプローチしに行かないということは十分考えられます。このように
考えると、じつは美人・ハンサムは恋愛において大変不利な状況に置かれます。
容姿が普通であれば、自分と釣り合う人はクラスにも会社にも日常生活にも
たくさんいますが、美人やハンサムであると釣り合う人の数は激減してしまう
からです。ちなみに美人度・ハンサム度も測定すると正規分布になることが
わかっていますが、あなたが偏差値70〜71クラスの美人(学力でいえば東大に
入れるレベル)だった場合、クラスの美人(平均よりもほんのちょっと美人)に
比べて、理論上釣り合う人の数は8分の1以下になってしまいます。
これが意外とアプローチされないという感覚の原因と思われます。≫
▼ 超美女は、(ちょい美人)に比べ、釣り合う人の数は8分1以下 とは驚き。
 あまりの美人に、もと駄目と軽く声をかけたら、以外と好反応を示されたことが
あったが、カラカイはカラカイ。短期的には釣合いの取れた相手と機会があっても、
一定期間が経過した後、熱が冷めて辟易し、分かれてしまっていたのだろう。

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5235,NHKスペシャル「腰痛」治療革命  ー①
2015年07月15日(水)
  一昨日、NHKスペシャルで、ー「腰痛」治療革命ーを放送した。
< 腰痛は、「腰」ではなく「脳」に原因があり、劇的に改善する可能性が!>
 が、その要点。偶然だが、6年前の一昨日の同月同日(7月13日)に、
私にとって最後の重症?の腰痛について書いてあった。「最悪を覚悟した上で、
上京する!」と決めたと同時に痛さが何故か半減、無事、学校行事に参加して
きたが、決心が痛みを半減させたとは知らなかった。 〜その日の内容から〜
【  3021,卒業40年周年か〜
   2009年07月13日(月)
 「大学卒業40周年記念の集い」に参加してきた。
これまで、20周年、30周年記念の集いにも参加をしたが、良いメルクマール
になってきた。(10周年は、20数年前から企画されたので、『集い』そのもの
が無かった) 今回は、数日前から腰痛が出て、上京など無理の事態だったが、
「這ってでも行く」と決めた瞬間から、痛みが少なくなった。
 まず「前日の金曜日に銀座でクラブの仲間が集まろうよ」の誘いを断り、
当日の土曜日だけを出席すれば何とかなるのではと考えた。出席するとしたら、
前日に東京に行って、クラブ仲間の会の出席は一度ホテルで休んだ後で、
腰と相談すればよいと。「当日に上京するよりも、前日に行き、翌日ギリギリ
までホテルで待機して集いに参加すれば何とかなるはず」ということで決行、
クラブの会にも出席。二日間を乗り切ることができた。最後は覚悟である。】
その時には気づかなかったが、不安と迷いが、腰痛を拗らせていたようだ。
 NHK・HPの  ー腰痛」革命ー の案内より〜
≪ その腰痛、「腰」ではなく「脳」に原因があり、劇的に改善する可能性が!
 治療しても効果がなく、一度治ってもぶり返すなど長引く「慢性腰痛」。
最先端の治療現場では、「脳」の働きを改善し、慢性腰痛を克服する対策が、
大きな成果をあげています。たとえば腰痛 の不安を解消する映像を見たり、
恐怖心を克服する運動をするだけで、改善する人たちがいます。専門的な
心理療法で、極めて重い症状の患者の腰痛が改善するケースも出始めている。
3か月以上痛みが続く「慢性腰痛」の方へ。世界が認めた最新対策を伝える。
厚労省研究班の調査によると、いま腰痛にお悩みの方は2800万人、
 実に日本人の4人に1人に及ぶと言われています。中でも問題なのは、
3か月以上続く「慢性腰痛」の人が半数以上を占めると考えられていること。
通常なら、腰痛の原因となる腰の骨や筋肉の異常は3か月たたずに改善
するはずです。痛みの大元は改善しているはずなのに、なぜか痛みが
長引く人がたくさんいるというのは、一体どういうことなのでしょうか?
最近の研究で、痛みの長期化(慢性化)に「脳」が大きく関わっている
ことがわかってきました。脳にはもともと、痛みを抑える鎮痛の仕組みが
備わっているのですが、慢性腰痛の人ではその仕組みが衰えていることが
わかってきたのです。 ≫
▼ 現在、3年前からスポーツジムで、週2〜3回のヨガ・エアロに参加。
 これが、セルフ・腰痛治療のかわりになる。これが腰痛の身にとって、
決して楽でなく、数時間は痛みが残る。それでも徐々に良くなっている
から続いている。不安、恐れが、腰痛だけでなく、人生のあらゆる問題に
なっている。大方が、これに潰され、人生を小さくさせてしまう。
この私の対策が、不安・恐怖を凝視し、「正中心一点無」の言葉。
これは極限の場面で前向きになるために絶大な効果がある。後ろ向きは、
最大の内なる敵。腰痛も、「何とかなる。ガタガタするな!」ということ。
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4870,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー38
2014年07月15日(火)
   * 設計と、建設と、ゼネコン・シンジケート
 ビル設計の私の方法は、各階の平面図を設計士と話合い何度か書換えながら
穴があくほど凝視する。その過程で他の戦術などを考える。そうこうすると、
夢の中で、その場に立つまでになる。今では3DやCGがあるが・・問題は設計
担当者と自分レベル。それが、そのまま出る上、後になって隠れた問題が出てくる。
 千葉・千城台と、実家の商業ビルの基本設計担当者が事務所を辞め独立していた。 
その担当者とは呼吸が合い、創造(想像)力が引き出されていた。が、彼は私を
全くの素人と見ていた。私の場合、創造工学などの本を何冊か読み込んでいた。
また学生時代のゼミなどで、ものを考え出したり、作り上げるに、何も捉われの
ないピエロ役「X」を仮想し、暗黙のうちに誰かが演じ、飛躍した案を正・反・合
を繰り返しながら練り上げていた。 千葉、長岡の手掛けた二つのビル設計も、
私がピエロ役(暗黙)をしていたが、それを未熟?にしか思えなかったのか、
一度会った後、居留守を使ってきた。それより、千葉と長岡の露わな姿を身近で
見ていたこともあったか。 この人物、一棟目のホテルの成功をみた後、改めて
組みたいと言ってきたが、許せないのが私の限界。既に故人だが、設計担当として
神がかり的であった。 長期投資は、時代の変遷を乗越えなければならないため、
長期的視点(神的視線)が必要になるが、ところが分かってないのが多い! 
創業は、その都度、会計事務所も、設計事務所も、何もかも変えるのが筋だが・・ 
その甘さが、贅肉として、付いていた。 当初のビル建設から薄々気づいたのが、
建設業界そのものがゼネコン・シンジケートの存在。当時のビル建設の99%は、
その談合で決定されていた。あとの一%は、関係者の熟知した中で、何とか?・・ 
 その網の中で、私は小虫レベル。その都度、何とか努力をしたが、長年かけた
膨大かつ緻密の網目で、雁字搦め。10数年前に社会的大問題になって、大きく
変わったというが? 今でも巧妙に、マフィア化し、巧妙に現存? 相手を
パターン化し、シンジケートが談合で決めた粗筋どおりに、施主を躍らせる集団
詐欺的要素が強い世界。装置産業は、これと、税制のカラクリで、長期的に存続
するのは至難の業である。軌道に乗ったころには、時代遅れの産物になる。
だから、長期の装置投資をする時に、当初からシェルターを組込むしかない! 
創業は上手くいけば天国、失敗すれば地獄。その中間にあるのが煉獄。
そこは <キリスト教の教義において、小罪を犯し地獄に行くまでに至らないが
すぐには天国へ行けない霊魂が、苦しみを受けながら浄化 され最後の審判
待つ場所、その状態> 老後は、誰しも煉獄状態? 創業は、地獄、天国、煉獄
が直に味わえる。で、シェルター内は、煉獄? 建設業界は、生き馬の目を抜く
修羅世界でもある。偶然だが、以下の文章に続く!
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4503, 実録・ゴールデンブリッジからの身投げ
2013年07月15日(月)
 先日、蔦屋で本を一冊買ったところ、レジの人がいうに、「今なら、シニア様
なら無料でDVDが借りられます」という。そこで借りてきたのが、『ブリッジ』。
軽い気持ちで、身投げ自殺のドキュメントのタイトルにひかれ借りてきたが、
初めから終わりまでシリアスで見入ってしまった。次次とサンフランシスコの
ゴールデン・ブリッジから身投げをしていくのが映し出され、遺族や友人が、
インタビューに答えている。このところ『大往生したけりゃ医療とかかわるな』や
『どうせ死ぬなら「がん」がいい』の読書録と、その下書きを書いているので、
死にゆく者の心模様がシリアスに伝わる。橋の手前で、死のうか迷って考え込み、
決断する悲痛な姿が痛ましく映し出されている。 バンジージャンプのように、
飛び込んでいく。身近の人の証言では、ほぼウツ病で、それが高じ自殺に到る。
生きているのが辛く、死にたいのである。 反面、誰かに助けて欲しい気持ちが
迷いを生み出す。その中で、一人、助かった人がいた。足から落ち、上手く靴が
水面に突き刺さって衝撃を和らげた上に、水中でサメかアザラシ?が踏み台に
なり、押し上げられたという。普段なら40Mの落差の衝撃で亡くなるが、
このブリッジは66M。内容は暗く恐しいが、心の闇が、身投げを通して
浮かび上がってくる。  ーウィキペディアによるとー
≪『ブリッジ』(原題:The Bridge)は、2006年に公開されたアメリカの
ドキュメンタリー映画。社会の禁忌としている『自殺』をテーマにしている。
観光の名所のゴールデンブリッジに1年間カメラを設置し、自殺者の様子をカメラ
に収めた。後に遺族にインタビューをし、そこから自殺を図る人々の様子を映し
だそうとしている。映画では24人が、橋から66Mの高さから海面に向かって飛び
降りている。監督のエリック・スティールはこの映画を取る際、映画の宣伝効果で
自殺者が増加しないように極秘に行っていた。また、橋の柵に足をかけたら管理局
に通報することをルールとして定めていた。映画は主に橋とその周囲の日常を撮影
した風景、自殺者の飛び降りるシーン、遺族や友人、目撃者へのインタビュー、
遺書などから構成されている。中でもインタビューの映像が多く、自殺者の情報は
インタビューの情報でしか語られない。自殺者の多くが精神的な病やトラブルを
抱えていることがその中で分かる。≫
▼ 2006年の時点で、この橋からの自殺者は年に24人もいるというから、
 全員撮ったことになる。次から次へとブリッジから飛び降りるが、躊躇して
いるうちに警官や近くの人に、取り押さえられた人が数人いた。生死の問題も
あり、それぞれの人生が浮かび上がる。ゴールデンブリッジという名所が、
ロマンチックな気持ちを駆り立て、志願者が国内から集まってくる。県内なら
新潟の万代橋が河口に近いため海に流され、死体が上がりにくいとか。
人知れず消えている人がいるのだろう?テーマがテーマだが、決して後味が悪く
ないのは、シリアスすぎて、実感がわかない為? 死ぬには死ぬ理由があるはず!
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2012年07月15日(日)
1129, マネー大動乱  ー2
     「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」増田悦佐
 アメリカの金融業界と他の産業の格差は二倍。そして製造業が商業より三割高。
日本もアメリカほどでないとして同じ傾向にある。最近では公務員が民官に比べて
2〜3割以上も高いことが問題になっている。強い立場を利用して御手盛りをして
いるのである。情報化もあり、一強多弱の傾向が全ての産業で強くなってきた。
日本の自動車業界も日本資本はトヨタとホンダぐらいしか残っていない。
家電にいたっては総崩れの様相になってきている。グローバル化は世界各国の
垣根を超えた戦いになり、一強しか生き残れない事態になる。
 ー第二章 アメリカの金権社会は、荒治療でしか直せないー
  * 産業間格差と、一業界一社の時代
≪ 日本の金融業界の給与水準は、その他産業の20〜30パー増しくらいである。
これがアメリカだと、その他全産業の倍。20〜30パー増しではなく二倍なのだから
驚いてしまう。製造業と商業の給料ベースを比べると、日本では製造業が商業の
15〜16パーセント多いだけだ。これがアメリカになると、製造業は商業よりも
30パーセントは高くなっている。あらゆる職種について給与水準の差が大きい
のがアメリカの特徴なのだ。当然、給与がいい産業には誰れもが殺到するから、
どうしてもその産業は慢性的に人員過剰になる。いくらでもスペアは利くから
リストラもしやすい。逆に、低賃金のところは慢性的な人手不足になりがちだ。
人手不足だから時給を上げて人を手当をしようとすると採算割れになるので、
他ではどこにでも採用されそうもない低賃金労働者で久場を凌ぐしかない。
移民には絶好の勤め口だが何時までも経っても生産性が低いままだ。
結局、会社ごと産業ごと衰退してしまう。アメリカに比べると、日本はどの
産業を見渡しても収入に大きな格差がない。人手不足も人員過剰も極端ではない。
それでいながら採用する会社側は「人員過剰の人手不足時代だ」と愚痴をこぽし、
雇われる側は「天職に転職したい」と夢ばかり追いつづけている。どちらの陣営
も自分たちがいかに恵まれた環境にあるかご存じないが、一般庶民が夢を追い、
高い要求水準を主張しつづけられるのは文句なくよいことだ。
 参考までに、お隣の韓国は教育水準がますます高くなっている。
だが、1997〜1998年の大不況でIMFが乗りこんできて、大企業は一産業一社
というアメリカンスタイルにつくり変えてしまった。おかげで、それまでの
7〜8つの財閥が競争して採用活動を展開していた時代は遠い昔、企業の求人
活動はすっかり衰退している。電機.電子ならサムスン、自動車なら現代に
採用してもらえるかどうかで、その後の人生が天と地ほどもちがってしまう。 
同業で生き延びているのはクズ同然のその他大勢企業だけだから、敗者復活戦
もありえない。同じ電機業界でも、パナソニックもあればソニーも日立も東芝
もあるという構造はいま、世界中でも日本だけになりつつある。
ドイツもかっては大きな産業ごとに代表的な企業が3〜4社ずつあって
しのぎを削っていた。これがドイツという国家の活力になっていた。いまは
そんな状況ではないぜいぜいフォルクスマゲンとダイムラーペンツ、BMW
抱える自動車くらいしか、複数の企業が切磋琢磨して高い技術水準を維持できる
産業は残っていない。こうして改めて見渡すと、いまや基幹産業ならどれを
取っても少なくとも三〜四社の大企業同士の激しい競争が続いている国は、
日本だけなのだ。あとはどこでも、基幹産業それぞれで国際競争に打って出て
通用する企業は一社だけという「競争」環境になっている。≫
▼ 情報化によるグローバル化が産業間格差と、一業界一社の時代を作り上げた
 といってよい。但し、その周辺で、それにとって変わる群れがいることが前提
になる。問題は個人レベルの格差に直接影響すること。日本の産業も大きな
亀裂が出来たようだ。
 ・・・・・・・
3763, ユング ー6
 2011年07月15日(金)
* この東北大震災を、ユングの「布置」とし日本国家に置き換えてみると!
 10年前の9・11テロと、3年前の9・15のリーマンショックで大打撃を
受け瀕死の事態に、今度の3・11の東北大震災と福島原発事故が重なり襲った。 
これを「二つの歴史的経済震災」に対する、この東北大震災は「めぐり合せ」
(布置)と考えると、この大地震の意味が見えてくる。 世界的経済震災が二つ
日本に直撃した。それで経済基盤が弱い東北・北海・北陸など地方経済は、
これ以上ないほど疲弊をしていた上に、このめぐり合わせである。ただ偶然が
重なっただけでなく、そこに意味を見出すべきである。 
 また世界全体からみれば、地球温暖化の中で原子力の是認が流れになっていた
矢先のこれ。「西洋的合理主義に対しする根底からの見直しのサイン」と、この
「布置」=めぐり合わせを見るべきではないか。日本もグローバル化の時代の中、
西洋的合理主義の考え方を、根底から変える機会と見るべきである。また同時に
開放も図るサイン?ではなかろうか。外国人を入れるだけでなく、外国に日本人
も出ていくべき時期。現在の政治体制では日本は成り立たなくなっているが、
現在の日本は自己修正能力が失われている。 この「布置」は、この震災が
最後のダメ出しとして、否応なく壊滅的状態まで個人から国家までの既存の
システムの破壊が進むことになる。世界は日本を先駆けとして、その崩壊と
先行きを冷静に学習することになる。これは取ってつけた民主主義と、隷属
国家の末路として捉える。波乱の中で現状を変えるのは、信長か、秀吉のような
下克上で、成り上がってきた者である。 日本も世界も、思い切ったダウン
サイズの時期に来ている。 この10年間の、幾つかの自然災害の頻発は、
地球規模の大転換へのサインである。まさに、その時に、9・11、9・15
の経済大震災である。やはり、来年後半にかけて、世界は政治的、経済的に
津波が荒れ狂うことになる。 その中で、全体が、より合理的な、身丈に
あった生活になっていくのでは? 現に、日本は、その一歩を踏み出している。 
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398, ゴリラは人間の隣人 ー1
2010年07月15日(木)
 ビートたけしと、ゴリラ学者の京大大学院教授・山際寿一の
「ゴリラは人間の隣人」をテーマにした対談が面白い。山際寿一の
「アフリカでのゴリラ研究の現地ドキュメント」を数年前にTVで見た。
  ーまずは、印象に残った部分からー
≪ゴリラと人間は97パーセント以上同じ遺伝子を共有しているとか。
ならばゴリラが分かれば人間も分かる?・・ 遺伝子かみると、オラウータン
チンパージー、ゴリラは「ヒト科」に属しており、人間に非常に近い存在。
サルとの差の方が遥かに大きい。では、「人間と類人猿と大きく違うところは何」
というと、人間は劇を作ること。類人猿のゴリラやチンパンジーは、劇を見て
いても意味が分からない。その中に入っていけない。劇中で、AとBという人間
がいたとして、それぞれの行動を見ながら、どういう思惑で、何をしようかと、
劇中の人物に共感しながらみるが、しかしチンパンジーやゴリラは、それが
分からない。彼らは現実に起こって事実からあまり離れられない。しかし
我われは現実から離れて、空想の中でドラマを作ることができるわけ。≫
▼ ー以上だが、これは人間にもいえること。本を読み込んでない人は現実の世界
から離れることができない。現実を形而下とすると、形而上の言葉の訓練が
ないので想像力や空想力が弱い。小説を読むとは、文字から作者の創りあげた
イメージの世界に入り込むことである。 本を多く読み込んでいる人と、ほぼ
読まない人とはゴリラと人間の差ほどがある、というと言い過ぎになるか? 
その位、本を読み、考えることは人間の人間たる所以である。人生設計を前もって
作っておいて、それに従い生きることは自分の人生劇を作ることになる。必死に
生きてきた人は、形而上も形而下の質量が豊富になるので、言葉とイメージは、
それに比例して出来てくる。ゴリラと人間の差は考え、イメージする質量が
圧倒的に違うということになる。情報手段としての言葉がキーワードということ。 
街に徘徊するヤクザは、ほぼゴリラの原型の世界とみれば分かるだろう。
時どき弱者を見つけてデモンストレーションをしたりするが、他者への
迷惑は、あれほどかけない。   ーつづく