* ますます災害の頻度が増していく
 オウム教の教祖と側近の幹部の大量の死刑の一週間後に、
・中国、四国地区で豪雨が発生、(以下にコピー…)
・その一週間後に、関東から上陸、左折して東海に向かう不自然な台風。
・その一週間後に、関東をかすって、右旋回をして東北の海岸沖に向かった。

 コジツケだが、オウム死刑囚の刑場を三回に分けて周ったことになる?
何かしら不思議な因縁の現象と思えないでもない。としても、形而上、表現しては
ならない仮説だが。恐らく信者の何割かは、この仮説をたてて当然。台風の季節
到来としても、毎週欠かさない到来。「バカバカしい」で終わる話だが。
まだまだ物語が、続いていくのだろうか… 
 
 こういう世界的異常気象などが頻繁に起きている時節に、何故か、トランプ、
プーチン、金主席、中国の習主席の顔ぶれが並ぶ。そして矢継ぎ早に、愚策が
公然と実施され、世界が息を飲む図式。世界的異常気象、本格的ネット社会の
到来、そして情報機器の果てることない進歩が、20世紀的社会構造を破壊する。
で、オウム教のようなカルト教団の勃興と衰退。

 NHKBSプレミアムで5年前から【幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー】
の科学ドキュメンタリー番組がある。先日、この番組で、アメリカでは屡々、
社会現象としてUFO騒ぎが起きているが、これは第二次大戦以降から始まった。 
国家には、神話が存在しており、そこにはミステリーな物語が存在している。
しかし、歴史の浅いアメリカでは、それに替わる物語として「UFO、宇宙人との
遭遇騒ぎが代行している」と… オウム教と、この豪雨、台風を関係づけるのも、
カルトに手助けになるため、この辺りで打ち止めにする。

寅:7月末に、俺がさ、何か変?と、取上げただろう。その後、その変なのが、
 延長して続いていないかい?
熊:最後の、東北の海岸線への台風も仙台の刑場と、辻褄があってるね。
八:それがカルトの教祖の手軽の手法さ。でも、大本教祖の出口王仁三郎が、
 <空から火の玉が降ってくるぞ>と予言していたが、そのとおり、東京空襲、
 広島、長崎への原爆投下で、現実になってしまった。
寅:変な予言めいたことを言う前に、上手く隠したね。これもコジツケ?
大家:そう見れば、少しは面白いが、何か八つぁん、変じゃないか。
 前回の文章で、<魂で、対象の魂を屠る!> って話。あれ、やられた方は
 堪らないよ。でも、私も、あんまり腹が立ったんで、やってみたよ。
 10回でも、スッキリしたね。但し、アンタにね。

――――
2018年07月30日
6347、閑話小題 〜変といえば変だが?
   * オウム教の大量死刑で
 麻原はじめ、7人のオウム教徒が処刑された時には、中国地区で大雨が。
そして今回の6人の死刑で、この不自然な台風発生と、東京拘置所のある関東を
カスって名古屋拘置所のある近畿地区に逆走し中国地区を抜けていった。
東から西への逆風は気象庁初待って以来、初めて。前の大雨の土砂崩れの地区を
狙いすましたようなコースを吹いている。 これは「意味ある偶然の一致?」。
 この2つの災害と、オウムの死刑執行を結びつけるべきでないだろうが… 
それにしても、出来過ぎ? こじ付けといえば、それまで。
 
≪ オウム真理教は、平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や平成6年の
 松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こし、
合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭った。
平成7年3月から始まった強制捜査では192人が起訴され、首謀者とされた
松本元死刑囚など13人の死刑が確定した。
一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化したが、ことし1月に
地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで
終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなった。
 その後、一部の死刑囚は東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ
移送され、今月6日、元代表麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人に
刑が執行された。
ほかの6人は、東京拘置所、名古屋拘置所、仙台拘置支所に収容されていたが、
法務省によると、26日午前、刑を執行したという。教団に対する強制捜査
から23年余りがたち、教団の死刑囚全員に刑が執行された。≫

ー―
寅:八つぁんに聞くけどさ、こんなことを、言うと「変じゃないか?」と
 言われるけど、偶然の一致にしても出来過ぎじゃない。「意味ある偶然に一致」
 の手の話なら、得意分野でしょう。 実際のところ、如何?
八:東京拘置所のある関東まで一度行って、そこから逆コースを辿るんじゃ、
 何かのサインと仮説をたてやすいね。でも、集団によるヒステリックで、自然
 現象を発生させることは非科学的だね。それより、そのタイミングに自然に
 合致した刑の執行とすると、何にも不思議ではない。「意味ある偶然の一致」
 とは、本来、そういうもの。
寅:それにしても、宗教団体がさ、サリンテロはないよ!誇大妄想もいいところ。
熊:寅が言われるまで、全く関連して考えてなかったね。言われれば、やはり
 何かを感じるけどね。ネット上だから、あまり深い問答をしない方がいいよ。
寅:カルトだし、公安もピリピリしているからね。20年以上経過した現在、
 早々に、消し去る必要は、あったね。
八:最近、何か変な力が自分の内部で動き出したので、今回の件に気づいたの。
 半年に一度は、クラス会とか、ジムで、露骨な嫌がらせに合うの。そこで、
 二日かけて、100回、全身全霊で首を削ぎ落すイメージを持つ。そうすると、
 怒りの繰返しから解放されるの。でも、1〜2年後に、対象者の身辺に異変が
 起こる。元もと異変を抱えているから、わざわざ私に仕掛けてきた返り矢だが。
熊:ほぼ、8〜9割方は、そうだよな。でも、コジツケもあるね。これを自分も
 真似をして遣りだしたが、良いね、これ! スッキリするしね。
寅:どうも、最近、俺が変なのは、熊のせいかい? 嫌味を言うと、数日、
 変な目つきをしてさ、その後、スッキリした顔をしていたな。
熊:御前の場合、その都度、念を入れて200回はしているよ…。 冗談、冗談!
八:問題はさ、無心で怒りをこめて、打ち落とすことさ。それで、解決すればね。
 ここで言いたいのは、オウムの死刑囚が13人も、全身全霊で日本という国家に、
 怒り心頭で呪ったら、この程度のことは可能ではないか?ということ。
 私の場合、信濃川の大橋の上で、地球の芯に向かってエネルギーの補充をして
 いるイメージを持って… これ凄いエネルギー。でも現象化が二年後だからね。
大家:御前の良くないのは、この一連を楽しんでいることさ。でも、合理的だね。
 八つぁんの心象風景も貧しいね。もっと、豊かなイメージを持てないのかね。
八:リタイアまでの20数年は、秘・異郷ツアーで、バッサと、削ぎ落とせたが、
 今ではね… それでも、TVでYouTubeなどの行き先の映像を見て楽しめるしね。
寅:寝室に連日、籠って、TVを嬉しそうな声を出してさ… 楽しそうじゃないか。 
 でも、俺なら変になるな… 
八:『3:10:60:27の法則』のさ、「3」だけを取り出して、紡いだスケジュール
 がね、非常に効果的に動いているね。あと僅か?の残された人生なら、「3」
 を最優先して毎日を過ごさないとね。もったいないじゃないか。

・・・・・・
5997,視覚と聴覚、どちらが大切
2017年08月16日(水)
         ー「ひとり達人のススメ」山折哲雄著―
   * 視覚と聴覚、どちらが大切
 著者による学生たちへの質問、「視覚と聴覚、どちらが大切か」に対し、
半々に分かれたという。私に問われたら「視覚」と答える。その生徒たちに、
「聴覚を選んだ人は神に近い。視覚を選んだ人は悪魔に近い。」と語ったとか。
近代人は、その点、悪魔に近いことになる。何も考えず静かに目を瞑っている
状態は、神に近いのか。 逆にいえば、静かに目を瞑ると8割の情報が遮断さる
ことになる。 ところで、味覚が無くなった当人から直接、聞いた話だが、
これが、「厳しい」という。 〜その辺りから〜
≪・<ひとり目をつぶり、聴覚だけで何かを感じ取ろうとすると、その先に
 自分の姿や形が見えてきて、いつの間にか、自分の心に直面させられる。
芸術芸能の伝統に、盲目のアーティストの系譜がある。… 彼らがあれだけ
の喚起力を持つのは、視覚を遮断して聴覚のみに自分を預けたからである。>
・<戦後の変化といえば、TV文化の普及もそのひとつ。家庭内の娯楽の主役は
 ラジオからTVに移り変わった結果、現代人は視覚を過剰に重要視し、それに
振り回されるようになった。>
・<視覚は人間を比較の世界に誘います。この人は(自分より)良い服を着て
いる、容姿が整っている。…自由だ平等と教えられている中、現実は、何から
何まで違う。そして、「比較地獄」に陥ってしまう。その恨みがつのって、
「嫉妬地獄」に移行する。> ≫

▼ 人間が情報を得る8割は視覚からであるならば、やはり視覚を取るのが
自然である。 群れの、「比較地獄」「嫉妬地獄」から逃れるために、
「ひとりの時間」が必要になる。世間とは、「比較・嫉妬地獄」の人をいう。
その毒ガスで、大方が脳をやられるのが現実社会だが、彼らにその自覚はない。
「孤独と、孤立に慄いて、互いの顔色を窺い過ぎている」 面白いといえば、
それまでだが… もう少しクラシック音楽を聴かないと! 確かにTVのドラマ、
映画の見過ぎ。車中のラジオの人生相談からは、悩みが直に伝わってくる。
音楽、歌舞伎、演劇、ピアノ・リサイタルなど、多彩な趣味を持ち、羽根の
はいた天使の様に飛び回る「連れ」の感受性に、違いを感じることがある。
67年間、思いのまま、ひたすら、面白いことだけに集中した結果。
 その点、負けてはいないと思っていたが、感受性には… 「ったく!」
長女への幼児期の「習い事」の‘渡り’と、8人兄弟の末っ子では、感受性が
違うのは当然… 人間、誰しも「未発達」のところを多く持って差引ゼロ。
失敗すると必ず言われる、「あの男、実は出来が悪い!」は、自分の秘密を
指摘しているに過ぎない。 特に「比較地獄」の住人の常套の言葉である。 
最後は、いつも「世間」に対する非難になるが、それも「比較地獄」の産物。

・・・・・・
5632,お金に強くなる生き方 〜?
2016年08月16日(火)
            【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】
   * 幸福のパラドックス
 ここで紹介している、イースタリンの「幸福のパラドックス」には、
考えさせられる。  〜ネット検索によると〜
・《『貧しい人は、お金により幸福感が増すが、中流に達すると、それ以上
の金が増えても、幸福感はあまり変わらない。ある研究によれば、年収が
7万5千ドルを超えると、お金が増えても幸福感はほとんど増えない。』
という、お金の増大が必ずしも幸福と比例しないパラドックスを表した言葉。
これはリチャード・イースタリンという経済学者が考えた説である。》
・《逆に、「幸せはお金で買える。しかもお金が多いほど多くの幸せが手に入る」
と、米ミシガン大学の2人の経済学者が結論づけ、逆説で挙げられるような、
飽和点(7万5000ドル)を示す証拠はなく、「一国の中では、平均幸福度と
平均所得との間に明らかに相関関係が見られた」という説。
 彼らの研究で、国が豊かになると所得から得られる満足度は低下していくが、
イースタリンの逆説で挙げられているような)幸福度の上昇がほぼなくなる、
と主張。「イースタリンの逆説」を否定している。》
・《今では所得が幸福に与える影響に関するデータは世界中ほぼどこにでもある。
一部の国(たとえば南アフリカやロシア)は、他の国(日本やイギリス)に比べ
相関が強いものの、それでもどこでも成立している。 人生満足度は国ごとに
すさましくちがう。トップの諸国(ほとんどが先進国)は満足度が十点満点の
8点をたたき出す。底辺の諸国(ほとんどはアフリカ諸国だが、ハイチとイラク
はたった3点。金持ち諸国は明らかに幸せだが、相関は完璧でない。
これは他の、おそらくは文化的な要因も作用していることを示唆するもの。
 アジア人は、所得が示唆するよりはちょっと幸福度が低いようだし、
スカンジナビア人は所得相応よりもちょっと幸せだ。たとえば香港とデンマーク
は、一人当たりPPP所得は似たようなものだけれど、香港の平均人生満足度は10点
満点の5.5、デンマークは8だ。南米諸国はえらく陽気だし、旧ソ連諸国は
とんでもなく惨めだ。そして一人当たり所得から見て地上で幸福度最低なのは、
ブルガリアだ。》
▼ イースタリンの説が正しいとすれば、750万を目安に必死になって稼ぎ、
 その辺りで、人生を楽しむような人生設計をすれば良いことになる。
小・中学校の同級生を振りかえると、貧富などの家庭環境と成績が正比例。
還暦、古希の会でも、それそのまま、拡大して現在まで続いていた。
 20歳代は、激しい浮沈みの環境にあったため、生活の幅があった。
やはり、「興産あって恒心」で、リッチであるほど、幸せ度は高い。
2倍の1500万円が、私の実感である。 いや、今と大して変わりはしないか!
「好きなことに散財をしてきたかどうか」が、分岐だが、その点、
「面白かった、楽しかった、充実していた!」と、心底いえる。
何処かから、<お金は、あればあるほど、良いに決まってるじゃないか>
<余裕があるからこそ言える言説!> という声が聞こえてきそうである。
「で、如何した?」「どうもしません!」 自問自答が趣味と誰かが言っていた。

・・・・・・
5267,忘れていた「ホッファー」
2015年08月16日(日)
 実は、この6月末に書いた、「ホッファー」は、8年前に4回シリーズで
書いてあった。書いたような気がしたので、HP内の検索で、チェックを
したが何故か?引っかからなかったが、改めて読んでみて、再び取上げる
価値は充分にある。 これを再読すると、要点は理解していたようだ。
 考えてしまうのは、8年前のシリーズの内容の方が上?と思えること。
としても、現在、書いた内容を補足とすると、丁度よいから不思議。
 以前は、図書館で借りて読んだ後、ネット検索を中心にまとめたが、
最近のは、具体的エピソードを中心にした内容で、微妙に違っていた。
 ホッファーを読んでいると、己の甘さ、軟弱さ、無知を突きつけられる。
一つの哲学を貫き通すなら、その他を、捨て去らなければならない現実を
彼の生き方から教わる。
 ネパールのツアーで、元学校関係者が参加していた。 ホッパー同様、
早死にの家系で、「実家・親戚が殆んど40歳半ばまでに死ぬ家系。で、一年
一年、可能な限り国内の「家族ドライブ旅行」に出ていた。 ところが、
何故か今でも生きている。恐らく、人から教わった、一日一個、生キャベツ
にドレッシングをかけて食べ続けてきた効果だろう。その結果、国内は隅々
行き尽くしたのため、還暦を過ぎた現在、毎年、海外に出ている」という。 
 数奇な激しい人生を送ってきた人が秘境ツアーには多いが、逆に、淡々と
何も考えずに生きてきたが、急に死の問題が現れ出て、慌てて世界の果てで、
その答えを探しに来ている人もいる。
 これだけ熱を入れて、まとめていたのに、全く忘れてしまうとは、我
ながら恐れ入る。成るほど人が看破する、『あんまり頭が良くない男』に、
私自身、大いに納得する。ただ、それは、万人に当てはまることと、
自分に言い聞かせておかないと・・ こうみると、パッケージにして
書き残す効果は、頭の悪い私には、最適だ。
・・・・・・
2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」
2008年08月14日(木)
                   −読書日記−
 ー遊びをせんと生まれけむー
亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、
口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。

・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。
美に感応する心である。
・「感」は、 感性、感動、共感。 旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、
  絵画、音楽、映画、演劇などに感動することが人生を豊かにしてくれる。
・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。 
「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」にあるように、人間は「ホモ・ルーデンス」。
  遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。
「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。
一瞬の新しいものへのシュンパツ力。 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素。 
確かに、人生はこれを磨くプロセスであった。この中でも、「遊び」が、
人間にとって最も有用な行為になる。

エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、
 遊びについて次のように述べている。
《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある。
最初に家畜化された動物ー小犬1は、もつとも役に立つ動物ではなく、もつとも遊び
好きな動物であった。猟犬が出現したのはかなり後のことである。最初に家畜化された
動物は子供たちのぺットであった。おそらく,植物栽培と灌漑も、初めは遊びとして
行なわれたのである。 車輪・帆、煉瓦なども遊びの中で発明された可能性が強い。 
たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を使わなかったが、足の代りにローラーを
つけた動物の玩具をもっていた。装飾が衣服に先行した。弓は武器となる以前は楽器
であったといわれている。人間が初めて粘土を使用したのも、土器をつくるためではなく、
土偶をつくるためであった。 こう見てくればわかるように、昔から人間のもつとも
有用な行為は、遊びであった。土器をつくり、布を織り・金属を加工し、動物を飼育
するはるか以前に、人間は絵を描き、線刻画を描き、彫刻をし、像をつくったことを
銘記すべきである。 芸術家としての人間の誕生は、労働者としての人間の誕生より
もはるかに早かった。 遊びが労働に先行し、芸術が有目的な生産に先行した。
人間はしばしば必要に迫られて楽しむためのものを有目的なことに利用した。
必要に迫られて働いている間は、依然として人間は動物界の一員である。
人間は、ただ生きるだけであったら不必要なもののためにエネルギーを注ぎ、さらに
生命の危険さえもおかす場所に、特異な存在としての人間となり、最高の創造力を
発揮する、したがって、人間の人間化が起こったのは、自然の恵みで豊かで、
余暇があり、遊び戯れる性向があった状況においてであったと考えるべきである。 
自然界における人類の台頭は、心細い戦場においてではなく、
エデンのような遊びの庭において起こったのである。・・
私にいわせれば、オートメーションの時代の到来は、魔法円の完成である。人間は
エデンという遊びの庭で初めて人間になった。そして今、人間は遊びの庭に帰還して、
人間の究極的使命を、すなわち人間性の完成をはかりうる機会をてにしている。 》
〜〜
遊びの重要性を上手く説明している。良く遊び、良く学び、良く働く、を
バランスよく豊富にすることが人生の豊かさだが、私の場合は、そのバランスは
とってきたが、「良く」に問題があった? まあ、いいだろう。遊びが4、学びが3、
働きが3というところだろうが、厳しい娑婆では、働きが4で、他が3だろう。
学びも、働きも、遊びまで持ち上げるのが理想である。そのためには好きなことを
仕事にすれば良い。
・・・・・・
2332, ホッファー −1
2007年08月22日(水)
                  オノヽ∋―_φ(゚▽゚*)
アメリカの社会哲学者というより、哲人・ホッファー。
彼の文章を読むと、深い魂を呼び起こす熱が伝わってくる。
彼は自分の生きかたを通して人生の何たるかを考え続けている。
知識として、やっと彼まで行き着いか!というのが感想である。
日本でいうと中村天風のような人物である。「ホッファー」で検索をして、
日本で現在一冊だけ出版してある本を見つけ、中古本だがアマゾンから
発注をした。「エリック・ホファー自伝 構想された真実」だが、
今から読むのが楽しみである。HPに彼に関する書き込みが多いのに驚いた。
これからみても彼の哲人ぶりを垣間見れる。生きていく上で真の
「学び・学習」とは何かを深く考えさせられる。
まずは、検索で調べた哲人・ホファーの人生の概略図である。
 ーーー
・ホッファーは(1902年7月25日〜1983年5月20日)は、独学の社会哲学者。 
 ドイツ系移民の子としてニューヨーク、ブロンクスに生まれる。
・7歳のときに母と視力を一緒に失った。
・8年にわたる失明ののち奇15歳で跡的に視力を回復。
・生涯孤独を貫き、学校にも行かず渡りの日雇い労働者としてただ働き、
 時間ができると読書に没頭して思索を深めた。
 学校はまったく出てないかわり一日10時間、いや12時間、本を読みつづけ、
 綿花摘みから、鉱夫、ウェイターなど ありとあらゆる仕事を体験。
 1941年から、サンフランシスコで沖仲士として働いたことから、
「沖仲士の哲学者」とも呼ばれる。
・20歳前後で父が死に、長らく養育役を買って出てくれたマーサ・バウアーが
 ドイツに帰っていくと、本当の天涯孤独になった。
・残った300ドルをもってバスでロスに行き、「スラム」に入った。
 「まるで幼稚園から、いきなり貧民窟に入ったようなものだった」。
 1930年、28歳までスキッド・ロウでその日暮らしを続けた。
 死んでみようかと思ったがそれはならず、ロスを出てカリフォルニア
 中を動きまわった。
・1934年の冬、こういう自分がいったい社会の中の何にあたるのか、
 やっと思い知った。「ミス・フィット」(不適格者)という階層に属する
 ということだったのだ。ミス・フィットは白人とか黒人とか、富裕者とか賃金
 労働者とはべつに、ひとつの階層をつくっていた。それがアメリカという社会。
 今でいうフリーターである。
・その後、農業労働に近い仕事を転々としながら、また読書に没入していった。
 あるとき砂金掘りに出掛けるときにモンテーニュを鞄の中に持って行ったのが、
 ホッファーを変えた。「モンテーニュは自分のことを書いている!」と思えた。
・自分の活動に方針をもったホッファーは軍隊に入ろうとするが、ヘルニアで
 失格、その後はサンフランシスコで沖仲仕の仕事をしつづける。
・「家系はみな短命で、五十歳以上生きた者は一人もいない。
 将来のことなんか心配することないのよ、エリック。
 お前の寿命は四十歳までなんだから」
 養育役のマーサのこの言葉は私の奥深くに刻み込まれ、そのおかげで季節
 労働者をしていたときも、あれこれ先々のことを思い悩まずにすんだ。
 ーーー
 老年になるまで、ミス・フィットと沖仲士を続け、決して高ぶらず底辺の
人たちから学び続けた哲人の姿に全米の人たちから激賞を受けた。
その言葉の一言一言が重い。       − つづく