<世紀の贋作画商: 「銀座の怪人」と三越事件、松本清張、そしてFBI;
七尾 和晃(著) >
* 世紀の贋作画商: 『銀座の怪人』
偽札つくりは大罪になるが、贋作つくりは、それほどの罪にはならない。
また客を騙す行為も、贋作か本物かの鑑識眼の問題であり、それは誰も証明
出来ない。だから横行するのである。従って、趣味とはいえ、素人の骨董収集
は頂けない。もう一つが、本人の鑑識眼と信用の問題になる。父親の収集癖を
見ていて、別に自宅倉庫に仕舞いこんで二度と見ないのなら、美術館の国宝級
の宝物をジックリと接した方が遥かに良いのに? これは、毎日毎日、せっせと
知識・情報の収集しているこれにも言える。「この程度なら、ネットサーフィン
の方が遥かにプラスになるのに、如何して?」と同じ?。「この行為そのものが
面白いから、充実するから」の私の答えは、父の骨董収集も同じことになる。
成るほど、世界は騙し騙されの闇が広く深く存在している。
Amazonー内容紹介
≪ 銀座・並木通り画廊街―。贋作絵画を雨あられと降らせた男がいた。
松本清張、江上波夫ら大家の名を騙り、手練手管の画商たちを操った稀代の
詐欺師、「銀座の怪人」と呼ばれた男を追う。
9.11テロの関連捜査をしていたFBIがニューヨークで捕えたユダヤ人画商は、
日本に驚くほどの数の「贋作」を売りさばいていた。バブル狂乱前夜から銀座
を拠点に暗躍したこの男は、企業、富裕層、美術館を標的に贋作を撤き散らし、
作家松本清張にも接触していたという。82年には三越の贋作秘宝事件で世間を
驚愕させ、社長解任・逮捕まで巻き起こした。FBIをして「世紀の贋作画商」
と呼ばせたその数奇な運命、そして彼の贋作バブルに生命を与え続けた日本人
の精神の「膿」を、綿密な取材からえぐり出す。 ≫
〜レビューより〜
本作は、バブル時代の前後に、ニセモノの美術品を売りまくっていたユダヤ人
画商イライ(エリ)・サカイの事件を追いながら、著者の七尾和晃氏が、イライ
が逮捕されるまでに直接インタビューを成功させることができるのだろうか…
という迫真のノンフィクション。
個人的に注目した点は二つ。
・一つは、昭和57年(1982)8月29日付の朝日新聞にすっぱ抜かれた、
「三越本店で開かれている古代ペルシャの秘宝展の大半が偽物である」という
記事から始まる「三越贋作事件」の顛末。 殺人事件まで起こっていたこの事件
(しかも遺体は遂に見つからなかった)には、事件発生前にニセの展示物と同じ
アナーヒター女神像を松本清張に売り込みに来ていたというちょっとした事件も
あって、清張も興味津々。
「(三越の)渡辺社長も、サカイという外国人ではなく、『無尽蔵』の主人の
ような日本人が持ち込んだものなら、だまされなかっただろうし、三越の展示品
でなければ、ニセ物の解説を書く学者も、予約する客もいなかっただろう。
今度のニセ秘宝事件は、舶来崇拝、ノレンや権威に弱い、といった以前から指摘
されている日本人の欠点を改めて露呈させたといえる」と‘清張’が呆れ顔で語る
ように、未だに本当にあった事件なのかと首を傾げてしまうほど馬鹿げた事件。
・二つ目は、その事件の中心にいるイライが、「『あの人はいい人だった。
もう死んでしまったけれど』と懐かしそうに称える人物のこと。
「圧倒的な実績と権威を誇っていた。おそらく日本の考古学会では一切の抵抗を
無に帰せしめる唯一の人物」と、著者の七尾氏が満を持して登場させしめた、
本書の裏ボス敵存在の話が大必見。「東京大学名誉教授の故・江上波夫」その人。
<(前略)イライが、日本民族の由来を説いた『騎馬民族征服王朝説』で文化
人類考古学の最高権威に君臨した東大名誉教授の故・江上波夫を『いい人だった』
と讃えたとき、日本だけでも潜在被害が数百億円は下らないと言われるイライ・
サカイの贋作事件は、戦後の日本が遮二無二に突き進んだ経済発展の裏で、絵画
という文化や芸術をも『通貨』に貶めた無節操ぶりを、鏡のように映し出しても
いよう。生前の江上をよく知る弟子筋の人間に会って、江上とイライとの関係を
質すと、当人は意外という風もなく、むしろ納得いくといった様子で語りだした。
『やはり江上さんの名前が出てしまいましたか…』>と某氏が語る衝撃の話。
≪ 高価な美術品に贋作はつきもの。ニセの『有名ブランド品』と同じです。
現存するモジリアニ、ゴッホなど、名画の作品点数は、増え続けています。
増え続けている、という現実そのまま、贋作であることを証明しているわけ。
とくに、近代、現代の名画に関する真贋判定は、ほとんど不可能性です。
なぜなら数百年まえの作品ではないので、近年の作品は科学的鑑定が難しいから。
作者が現存していても、アテにならないこともあります。
画家自身が制作の有無を忘れていて、判別できない場合です。
ようするに、画家(作者)自身に判別できないほど、クオリティーの高い贋作が
ある、ということです。ということは、過去の巨匠の作品も、おなじということ。
本書は、美術品市場の現実を裸にしています。美術館の収蔵品にも、贋作は
すくなくないのです。
本書は、美術品市場の現実を覗き見た、稀有な取材の成果といえるでしょう。
美術に趣味がある人間には、本書は一読の価値があります。
―
▼ これらを読むと、お宝鑑定団の判断も間違いが多いとみてよい。本物か、
偽物かを確かめる内容の、それ自体が、ほぼ判定不能なら、番組そのもの
が成り立たない。 詐欺師が罷り通る闇世界のエログロの笑をつくキツイ
側面がある。ここでいう、「文化や芸術品を『通貨』に貶めて笑い飛ばす
バラエティである。そう固く考えることでもないが…
楽しくもあり、恐ろしくもあり、哀しくある内容だということ!
何が恐ろしいかといえば、無知の自覚の無い無知な人。 私ですか?
自覚をしているが、実は心の底から自覚をしてないのでは?と。
いや、してるさ!
―
寅: おい熊よ、最近、なけなしの金をたたいて、変な骨董を買ったと
言うじゃないか。誰かに騙されたと、もっぱらだよ。大体、長屋に、
何が骨董だよ。
熊: いや、これを持っているだけで御利益があると言われてね。
生まれてこの方、俺の人生に良いことがないから、仏像の一つでも
欲しいと思ったが、盗まれないかと冷や冷やだよ。でも、これを買ってから
いやに良いことが続くんだ。不思議だよ。
大家: 金持ちの家には、仏像か七福神の像が、幾つかあるというじゃないか。
御前のような、あまり恵まれてないオツムの男には、きっと効果があるよ。
この御蔭で、良いことが起こってると像に思いこめれば、それ自体で、
良いことを呼寄せるんだよ。
八: 私の家には、大きい仏像が3体に、5〜20?のモノが20はあるね。机の
パソコンの隣には10体はあり、毎日、頭を撫ぜているが心が落ち着くよ。
半分は両親が集めたモノ、半分は私が国内外で買った民芸品だがね。
マリア像が2体、七福神、仏像3体に… その割には、金が無いがね。
寅: あれだけ、使えば? 貯まらないよ。
八: いいじゃないですか、持って、あの世に行けないし。死んで三日も
すれば300年前に死んだと同じというじゃないか。
熊: ところで、何で骨董収集に興味がないの?
八: 子供の頃から、父に連れれて骨董店に行って、見飽きるほど、
見た上に、ツアーでパリ・ロンドン、フィレンツェ、旧レニングラードで、
世界の名品のシャワーを浴びるほど見てきたの。その時だけは、気持ちを
一期一会と思い、集中するの。そうすると、何しれないエネルギーが伝わって
くるんだ。だたただ無心になり、対象の世界に入り込むんだ。ピカソとか、
ゴッホや、セザンヌの絵画が凄いよ。分かったような言い方をするが、
「心が垂直 に立っている感」がするんだ。
寅: 何のことかサッパリ分かりません。
熊: 俺って、仏像を握って昼寝をするとね、何か気持ちが安らかになるんだ。
あの気持ちって、悟りに近いんじゃないか。
寅: 俺に、その仏像、貸してくれよ!
熊: 御前に貸すと、かえってきたためしがないから、嫌だよ。
・・・・・・
2014年03月31日(月)
4764,閑話小題 ー3年前の日記より ー2
* 昨日で、あの日から三年になった
先日、3・11災害から3年経った、と書いた。そして10年日記帳から、
3月9日〜19日までを書き写した。今度は、会社整理の日々になる。先日に続き、
2011年3月20日〜4月2日の二週間。(一般債権がほぼゼロもあり)自宅も、会社
の事務所にも一度も抗議電話も押しかけが無かった。債権者会議も当然無く、
無事、切り抜けていた。それもあってか、計画倒産の噂が流れたが、そんな
ことは出来よう筈がない。事業計画をたてる段階から、万一のリスク管理
(下の数値ライン設定と、避難のためのシェルターを長年かけ用意)をしていた。
これを計画倒産と言われれば、それまでだが・・ これを書き写していて、
涙が出そうになったが、面白いと懐かしがっている自分もいる。
・3月20日(日):この連休明けから、具体的手順に入る。差し迫ってきた。
モーニングショーでは、大震災を詳しく報じている。それもあるが、
私も、ある意味、被災者である。 あとは、流れに任せるしかない!
・3月21日(祭日):TVで週末の東京の歌舞伎町、新橋、銀座、魚河岸など
中継していたが、震災のためいずこも閑散。昼食は近くの
‘サエゼリア’で。満席だが、被災民と思しきグループが目立った。
これが現実である。
・3月22日(火):新潟の万代のラブラに行くが、人は閑散。 昼飯は
ケンタッキーの鳥ハンバーガー。コンサルトの林氏にメール。
今日、決断をしたが、この2〜3ヶ月、特に動揺をしている。
この災害が、後押しをしたのは確か。
・3月23日(水):大矢、斎藤、弁護士と事務所で、状況について
最後の話合い。17時〜18時半。
・3月24日(木):16時40分に弁護士と打ち合わせ。厳しいが、しかたがない!
・3月25日(金):弁護事務所で、弁護士と打ち合わせ。最後の決断の確認。
・3月26日(土):NTTで、携帯電話の会社から個人への切替の手続きをする。
・3月27日(日):NTTへ、再度、手続きをしなおしに行く。
・3月28日(月):整理の具体的手順に入る!身体が浮いたようで、
頭はフル回転。違う人格が入り込んでいるようだ。
・3月29日(火):会社には行かず、個人の整理のための手順の幾つかを踏む。
久々に際どい危機感の中の自分が、いる。
・3月30日(水):13時より、弁護士二人に女子事務員と、現金など経理部門
の引渡しを大矢と私、5人で始める。そして、17時に正式に
弁護士の宣言で、30年以上の会社が消滅をした。
全員、起立をしてm(_ _)m。
・3月31日(木):9時10分より、弁護士と二人、第四、商工中金、新潟信金
の順にまわる。何処も、豆鉄砲をくらった様子。
:13時、従業員を集め、解雇の言い渡し。全員が不安そうな
顔をしているのを見て、気持ちが切れ涙を流す。
17時、車で帰路の途中、Iさんより携帯に電話。迷ったが、
これも記念と、18〜20時半まで長岡駅裏の居酒屋で酒を飲む!
Iさんも、まさかと信じられない顔。
・4月01日(金):13時半、弁護士と会社の事務所で打ち合わせ。
15時、昨日の説明会で出席できなかった5人に説明。
18時半〜燕のKさんと燕で酒を飲む。3人の就職先の依頼を。
21時44分で長岡に帰る。
・4月02日(土):県内の親戚に数人に事情の電話。仙台の学生時代の行方
不明だったO君より無事の電話。5分の差で助かったとか。
前に仙台の住所にハガキを出していたのが、遅れて届いていた。
▼ 良質もあるが、悲しいとか、惨めとかいう感傷的気分はゼロに近い。
目の前の一日をひたすらこなし過ごすしていた。それは今も同じだが。
それでも「喉ぼと過ぎれば熱さ忘れる」で、何事も2年半〜3年。
陰湿の嫌がらせはないことはないが、慣れてしまえ、「理解出来る範囲で
見ている方々の程度の測量」で遊ぶ楽しみになる。これは実体験でないと
分かるはずがない。その意味でも、自分観察、人間観察でベストの経験。
救ったのは長期のリスク管理?
・・・・・・
2017年03月31日(金)
5859,閑話小題 〜何だこれは?
* 何ってこと?
昨日のこと。起きて、まず「飲むヨーグルト」を一口。そして風邪予防に
「生姜湯」の白湯を飲んで、前日、仕上た文章を一時間かけて書き直した。
で、アップしようとした時に気付いたのが、前日の文章だったこと。
連日、過去10数年の同日分を読み直しながら、誤字や、論理の好い加減さに
独り赤面しているが、前日分でさえ、気付かず何度も書き直していた己に、
「これは、どういうこと?」と、考えさせられた。この程度の文章に、これ。
前日も、同じように書き直したに関わらずである。
数日前、家内に、『もう、こんなのを書くのを止めなさいよ。呆けを公開
しているようなもの。公開ならまだしも、バイ菌を振り撒いているのと同じよ!』
と罵声を浴びていた。思い当たる節があるため、これには効いた。 何割かは、
そういう見方をされているのは覚悟の上だが、僅か一日経過しただけでも、
これだけ訂正箇所が出てくるから、怖ろしい。だから、過去の人生を振返って
色いろ思い悩むのも頷けること。
私たちが普段、目にするのは、プロの文章。読み手は、それを忖度しない
のは当然のこと。これは、時間を置いた自分の文章に対しても同じ目線になる。
「だから公開している」というのは、あまりに甘い。上から目線で、これを
読めば面白いはず。ブログは自然と、自画自賛の「自慢話」と、失敗などの
「自虐話」が、殆ど。 書き手責任はあろうとも、読み手は責任がない。
炎上を回避するため、同じ内容を2つのブログに公開している。2つを読むこと
もないから、単純に加えると1日、平均350人の読み手が存在するが、16年も
書き続けていると、本音が丸出しになる。現実をトリップした見方そのまま、
露出して楽しんでいるのも変といえば変…
人間である限り、自分の知っていることしか知りえない。全ての人が、
歪んだ眼鏡をかけ歪んだ視点しか持ちえないが、そのことを自覚できない
ことが大問題。その歪みの大きいのが、このブログと割切ればこそ、読める?
そういうこと!
・・・・・・
2013年03月31日(日)
4397,「武士道」という諸悪の根源
* 「武士道」という諸悪の根源 《「世間」の捨て方 ー3》
「武士道」が諸悪の根源という説は面白い見方。しかし少し考えれば当たり前
のこと。徒党を組んだ侍の親分が武力で農民の米を徴収し、仲間内に配っていた。
その暴力装置を持つ集団が綺麗ごとで尤もらしい規範をつくりあげだけ。
それを子育てを含め根こそぎ否定しているところが新鮮。ーその辺りから抜粋ー
≪ 子育ての見本として、絶対に見習ってならないのが江戸時代の武士道。
「武士という者が日本を悪くした存在です。(略)武士の頭の中にあるものは
主君に使えるということだけ。端的に言えば、奴隷ですよ。(略)・・
この奴隷というものを、武士道だなんて、日本人はやけに持ち上げるんですよね。
・・(略)その点、ヨーロッパは違いますね。武士はすべて傭兵だった。
戦争は国王が傭兵を使ってするわけです。武士は『七人の侍』みたいなもので、
雇われの用心棒だった。「日本は典型的な武士の社会。
鎌倉幕府が成立して以後、ずっと軍事国家だと私は思っています」≫
▼ 現在も武士社会が会社に入れ替わっただけ。そのため現在でも勤め先の藩と
役職と禄高で、社会的評価がされている。そうこうみると、我われは現在でも
奴隷、それも人生の大半を何も考えずに、その生活に満足して過ごす。その中で、
人は趣味を見出し、奴隷生活の中で自由な時間を持つ。士農工商が江戸時代の
身分制度。そこで他の奴隷管理をしていた武士のつくった武士道など
信じるなどもっての外。 ーウィキペデアで葉隠れをみると
≪「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」葉隠の中で特に有名な一節。
葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と単純に解釈
されていて実際、太平洋戦争の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われたが、
山本常朝自身は「私も人である。生きる事が好きである」と後述している様に、
死を美化した書物と一括りに出来ない。現代でいうビジネスマナーのマニュアル
に近い記述がほとんど。また衆道(男色)の行い方を説明した記述等、一般に
近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。戦後、軍国
主義的書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士の生活
に根ざした書物として再評価されている。先述したように処世術のマニュアル本
としての一面もあり『葉隠』に取材したビジネス書も出版されている。≫とある。
奴隷社会の処世術というところ。どうも日本人は、やたら道を付けたがる。
商人道、柔道、剣道とか。何かを極めるのに、どの位置にいるかを知る道標が
必要だから、道を思い浮かべたのだろうが。日本が、戦後、ここまで経済成長を
遂げたのも、江戸時代の「お家制度」の文化が背景にあったのも事実。
絶対否定は出来ない。元長岡藩の城下町、今でも色濃い武家社会の影響が大きく、
世間とかいう噂の奴隷の群れがいる。
・・・・・・
2016年03月31日(木)
5494,人生 〜何のために生きるのか ―池田晶
『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田晶子(著),
〈人生、何のために生きる?〉
* わからないのは当たり前 〜☆は、私の感想
≪ そもそも私たちは、自分の決断で生まれたわけではなく、自分の決断で
死ぬのでもない。生まれて死ぬという、人生のこの根本的な事態において、
私たちの意志は全然関与していない。 気がついたら、どういうわけだか、
こういう事態にさらされていたわけです。このことの不思議に思い至れば、
人間が自分の人生について、自分のことか意志で決断してどうのこうのという
ことが、いかに小賢しいことであるかにも気がつくでしょう。
人間が自分の意志でできることなんか、たかが知れている。
人生は自分の意志を超えているのです。≫ 『死とは何か』
☆ 人の心は、その意志あればこそ。「たかが意志、されど意志!」
「最善を尽くして、後は神の意志に任せる」しかないが、最善を尽くさない
限り、神の意志は働かない。 問題は、その問いを発し続けるかどうか。
――
* 信じてはいけません
≪ 苦しみから救われるためには、信じなければならないと、皆さんは
思われるでしょう。しかし、考えてもみましょう。苦しみを苦しみだと思う
のは、なぜ。人生に意味はありやなしやと苦しむのはなぜでしょうか。
それは、人生には意味があるものだと思っているからです。しかし、もしも、
人生にはとくに意味は最初からないとしたら、「どうでしょう。意味はありや
なしやと苦しむこと自体が、ひょっとしたら、勘違いなのかもしれませんよ。≫
『41歳からの哲学』
☆ 意味ない人生を、いかに意味付けるか。意は心。その意に味付けを
していき、『意味』にする。どの道、人生など錯覚、その錯覚を、 己の
意志で意味づけしていくのが人生。だから面白い。どの道、死ぬのだから。
――
* 定点をもつ
≪IT革命を究めたところで、我々が生身であることに変わりなく、自然災害の
前には降参するしかない。自然すなわち人智には絶対不可解な大宇宙に、この
自分が生きて死ぬとはどういうことなのか、考えて気がつくだけでも、我々の
人生は変るのである。なんだ人生というのは、あんがい変らないものだなと。
変わるものにおける変わらないものとは、定点である。定点からみると、
先行きどうなるかわからない地球上のこの状況も、永劫の宇宙史における
一風景、そんなふうに見えてくる。 定点とは、相対化する視点である。
これを手に入れるとラクですよ。 ≫ 『週刊ポスト』
☆ 定点とは、考えること? 変化する自分を見つめる視線?
自分の中の、他我? それとも、揺れ動く心を見つめる、小さな自分?
――
* 何のために生きるのか
≪この人生、何のために生きるのかとは、生きている限り避けられない問い
ではありましょう。それは人間にとって最も根源的な問いであって、だから
こそこんな問い、人に問うて答えが得られるものではない。根源的な問いほど、
自ら問い自ら答える以外はあり得ないのです。もしも本当に答えを得たいので
あれば、生きている限り一度は必ず自らに問うてみるべきでしょう。
「私は、食べるために生きているのか、生きるために食べているのか」
さて、本当に楽しい人生は、どっちだと思いますか。≫ 『人生は愉快だ』
☆ 旅先で、何のために旅をしているのか、とは考えない。答えが出るのは、
目的がハッキリしている時で、それを旅行という。そのプロセスを楽しむ、
味わうのが旅。とすると、人生は、与えられた条件の中で、可能な限り人生を
味わい、生を全うすることになる。で、それを前提として生きているかどうか!
・・・・・・
2012年03月31日(土)
4023, シングルイン、31年間の総括 ー5
* どこで間違えてしまったのか?
「会社の寿命30年説」を検索したところ、日経ビジネスが1983年に総資産額の
ランキング分析を基に唱えたもの、とあった。私の事業も、この説のとおり
30年で寿命を向かえた。 創業当時、私が30歳代半ば、当時のマネジャーと、
次長は20歳半ばから後半。30年後の現在、3人の平均年齢が60歳近くになって
いた。ホテル4棟の平均年齢も25年になっており、引き時と見ることができる。
ここで、三つの震災などの外的要因を別にして、
「この事業、何処で間違えてしまったのか?」という問いを立ててみる。
◎ 首都圏から新幹線2時間圏内の駅前ホテルの客室需要が数分の一に
落込む予測が出来なかったのが大きな原因。
◎ 更に企業の営業活動のあり方が、この20年間に根底から変わった。
20年前のバブル崩壊と、ソ連・東欧の崩壊で東西の垣根が無くなり、
グローバル化が日本の国力を根こそぎ奪ってしまった。その意味を捉える
ことが出来ず、思い切った方向転換を出来なかった判断ミスが次の要因。
◎ それに加えて1995年にマイクロソフトが、ウィンドウ95を発売、
パソコンが飛躍的に使いかってが良くなり、爆発的に普及した。
それにネットが結びついたネット社会が現実社会の上位に出来てしまった。
これで、ビジネスのあり方が根本的に変わってしまい、経済も社会も、
スピードと変化が激しくなり、それが資産デフレと物価デフレをもたらす。
◎ 首都圏と地方という経済と社会の関係が、首都圏と東南アジアとへシフトが
変わっていった。そのため、日本の地方の力を大きく削いでしまった。
それにリーマンショックと、東北大震災が重なり致命的大打撃になった。
ー 以上を、簡約すると、
* 20年前のバブル崩壊の影響が、ここまで日本を弱体化させる
重大性が理解できなかったこと。
* 資産デフレと、物価のデフレが、これほど長期に続くと読めなかったこと。
* 情報化で、ネット社会が現実社会の上位に出来上がり、経済・社会を
根こそぎ変えたスピードが、ここまで早いとは。要するに、バブル崩壊と
情報化がもたらす影響の大きさの読みが甘かったこと。
30年前は新潟駅に新幹線がオープン。新潟駅周辺は活気に溢れていた。
しかし10年後のバブル崩壊で、20の都市銀行も三行になっていった。
時代の激変がもたらす影響を理解できず、バブル後に、さらに客室数を増加。
これが最大の間違い。間違ってなかったとしても、それも時代の大津波が
襲って破壊しているだろうから、どこで間違えたのだろうか?という問いが
間違えていることになる。 継続しているじゃないか?というが、
良くて半分、悪いと五分の一。 これに原油高に、消費税のアップ。
・・・・・・
2011年03月31日(木)
3657, つれづれに
私にも大きな試練と転機がきた。65歳ということか。
毎日が、原発事故の悪化を示すニュースである。本格的な恐慌へ一歩
踏み込んだようだ。 今日は、ホテル開業30周年になるが、・・
違う意味でのメルクマールになる!偶然だが、去年の下の文章が身に沁みる。