* 先週の土曜日は同級会で上京し… 
 先日、学生時代の同級会のため上京。一時間半ほど、上野の『西洋博物館』で、
北斎ジャポニズム’の美術展をみる。9月にNHKで放送された「眩(くらら)
北斎の娘〜」のドラマを見ていたため。 北斎の実物の版画と、それをマネ
た有名画家の西欧絵画や、北斎漫画の挿絵・陶器を対比させ並べてあり、
観る者にとって、非常に面白く解りやすい!
 そして、日本橋の『魚久』に30分前に到着。 10年近く前から、この会に
出席しているが、料理がさすがで、鰆の味噌漬けと、マグロの刺身が絶品… 
いつも、お土産に、ニシンと、鰆と、イカの西京漬けを買って帰る。成るほど、
ここは日本橋の甘粕横丁。吉原に近く、その流れの御客用に、酒蔵とか、魚屋、
それを使った西京漬けの店などが列をなしていた界隈。
 帰りは、20時52分の新幹線に乗って、帰ってみれば23時近く。それでも、
朝の6時前に起床し、8時前に「随想日記」を書上げ、アップ。これも習慣が
成せる業? 年一の上京が、岩場の魚には刺激的で面白い! ‘明治’から、
今度は‘昭和は遠くなりにけり’ですか。再来年に元号が変わると、更に実感
するのだろう。 私の両親は明治生まれ、家内の両親は大正生まれ… 
 〜参考のために〜
 平成元年は西暦1989年。現時点で、
 昭和にすると92年、
 大正は106年、
 明治は150年になる。
 明治元年は西暦1868年。
時代が激変するが、自分の意識は、さほど変わってないのは、これ如何に?
そう思っているだけで、実は様変わりをしている。知らずと、挑戦し、戦い、
変化し続けているのだろう。日本の歴史上、我々世代は、最善の時代環境の中、
最適な大波の上をサーフィンをしてきた。ここにきて、怪しげな大波が近づい
てきたような… 
追)去年も同じような文章が書いてあった。篭の中の回転車でハツカネズミが走り
 続けている世界だ! ネズミ:「じゃあ、どうする?」 「 … 」 「チュウ」
https://matome.naver.jp/odai/2134658143035339801
https://www.youtube.com/watch?v=KRXaE7SwJp8

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5743,閑話小題 〜同級会 ?
2016年12月05日(月)
 一昨日、毎年行われる学生時代の同級会のため上京した。
今回の出席は12名。いつも、17〜8人で、3分の2で少な目。
会場は、同級生の『魚久』という甘粕の魚漬物店で、本店の
隣に料理店。百貨店地下に必ずある有名店で、同級生が、
社長、いや今では会長。 毎年、食べる度に、その美味さに、
惹かれていく。日本橋は昔、料亭とか、遊郭があり、酒造工場
とか、魚が集まったところ。今でも昔風の料理屋が多く並ぶ。
 この会は、教養課程で編成されたクラスの人を中心に集まった
忘年会である。学校の人間関係は、クラスのコンパや、クラスの
指定席の周囲が、まず顔見知りになり、友人になっていく。
そして3年、4年の専門課程の二年間は、クラブ、ゼミなどを
中心にした人間関係へと変わっていく。その変遷が学生時代の
醍味で、自分づくりである人間関係構築の機会になって、卒業と
同時に全国の「緑の原野(社会)」に散っていく。
 まず当初のグループは、大雑把にいうと、
・小中高の付属校からエスカレターで上がってきたグループ、
・東京在住の人たちが主のグループ、
・地方でのアパート暮らしのグループ、へと自然と分かれる。
そこから更に、クラブ、ゼミなどの選択で人間関係が深まっていく。
 私の住居は、早大の理事が私的に経営していた寮で、日常生活は、
そこの気の合った各大学の学生たち。5〜600坪ほどの角地に平屋の
L字型の建物に部屋が並んでいて、角の部分に共同炊事場、それぞれ
の端にトイレがあり、通路は土間。今風にいうと、シェアハウスの
要素が強く個々の絆は強かった。悪くいえば、牛小屋そのもの。
敷地の中央に大家の家族が住んでいて、その間には芝生の庭があった。
南早稲田の住宅地に、オアシスという風でもあった。 朝晩は自炊で、
昼は学食が中心であった。当初は小学校の家庭科の実習を思いだし、
カレーや水炊き風の鍋、野菜炒めをつくっていた。実家の送金は誰も
ギリギリ。実家の貧富など関係なく、資金的余裕など有ろうはずない。
学生とは、そういうものと上京組は思いこんでいた。その中で、彼女を
持ち、アルバイトをし、学業をこなす人もいれば、真面目に勉学を励む
生活をし、時々、安酒を買込み議論をしたり、人生を語る人たちもいる。
 7年前に、この首都圏在住のグループで、勤勉のグループの忘年会に
誘われ、参加するようになった。 各駅停車の鈍行列車のように、学び
あおうと、『鈍行』というグループをつくっていたのは、学生当時、
知っていた。その彼らが、卒業後もゴルフや、宴会を開いていた。
殆どが二代目でオットリ?した顔ぶれ。武澤ゼミ仲間の一員が幹事を
していた関係から、地方在住の私に声を掛けられ出席をするように
なって、はや8年になる。   〜つづく

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5378,閑話小題 〜独身世帯の半分、全体の3割は貯蓄ゼロ!
2015年12月05日(土)
 ネットサーフィンをしていると、以下の深刻なレポートがあった。
核家族化が進んだ日本は、老夫婦の片割れは単身世帯になる。その時、
多くが下流老人に陥る厳しい現実が、バブル崩壊以降、突きつけられている。
年金支給日の支払窓口の殺伐とした年寄りの姿があるが、貯蓄ゼロなら当然。
 オリンピックバブル崩壊の数年後、10年、いや5年もしないうちに、
スペインやアメリカのように、宗教団体やボランティアが提供する、
無料食事提供所への行列が街中に出来る現実味が出てきた。
  * 〜単身世帯の47.6%は貯蓄なし
《 2015年の貯蓄率ですが、単身世帯の貯蓄なしが47.6%となり、
 2014年より8.6%も増加しています。また平均値は773万円
ですが、中央値は20万円で、2014年より何と55万円も減少している。
この55万円も減少している理由は定期的収入の減少により貯蓄を取り崩した
とされています。このペースでいけば2016年には単身世帯の貯蓄平均値は
10万円を下回り、限りなくゼロに近づくことになります。
 今や日本は恐ろしいスピードで単身世帯の貧困かが進んでいますが、
では全世帯ベースではどうでしょうか? 貯蓄なし世帯は30.9%と
2014年より0.5%増加しています。全世帯ベースでは平均値は
1209万円となり、中央値は400万円となっており、この中央値は増減
なしとなっており、収入を全て使っていることになります。日本の貧困は
この数字から見ますと単身世帯の貧困となりますが、今後益々単身世帯が
増えるとなれば国民の半分以上が貯蓄ゼロになる日も近いと言え、そうなれば
貯蓄ゼロ単身世帯は生活保護一歩手前にきているとも言え、日本の社会保障
制度は崩壊に直面します。この社会保障制度を維持するには持つものから
持たざる者へ所得を移転させる他なく、即ち政府による持つ者への課税を
通じて再分配するしかありません。 具体的には資産2000万円以上の
富裕層へ90%課税を行い、その課税分を社会保障に回すことになるのかも
知れませんが、持つ者が持たない者の面倒を見るしか道はありません。
あと5年もすれば、日本には貯蓄ゼロの単身世帯が50%を超え、全世帯
ベースでも40%が貯蓄ゼロになるかも知れないのです。
日本は今や貧困社会に入りつつあると認識しておく必要があります。
(註:中央値とは、対象の人口の丁度中央の人の値) 》
▼ 単身世帯の半数、全体世帯の3割が、貯蓄ゼロとは、驚き。
 他人事ではない。ブラックスワンの到来で呆気なく事業清算をしたが、
何とかセフティネットで、現在の生活を維持している。今のところ夫婦とも
健在だが、どちらか欠ければ、片方が大きな岐路に立つことになる。 
若者も老人の弱いところに貧困問題が直に現れてくる。娑婆は誰も助けて
くれない。あるのは自助努力。 〜で、以下の若者の貧困問題につながる。
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5013,閑話小題 ーなぜか結婚できない人たち
2014年12月05日(金)
   * なぜか結婚できない人たち
 TVのトークショーで、「なぜか結婚できない男たち・女たち」
をテーマで放送していた。結婚相談所のアンケートで、
 ★ 「なぜか結婚できない男たち」で、嫌われる順に、
1位が、実家暮らしの男、それも一度も独り暮しの経験のない人
2位が、趣味への拘りが強い
3位が、女性に高収入を求める
4位が、上から目線
5位が、ペット中心の生活の男性
 ★ 「なぜか結婚できない女」では、
1位が、専業主婦を希望している女性
2位が、同性からの支持が高い
3位が、恋愛に困ったことが少ない
4位が、母親と友だちの女性
5位が、化粧や服装などの自分磨きに走りすぎた女性 となっている。
 猫とか、犬などのペットを飼うと、その方にエネルギーをとられて、
異性までエネルギーが回らなくなるというが・・
 実家で炊事洗濯を母親が用意をして、趣味の世界を持っていて、女性の収入
を当てにして、上から目線で女性をみて、家にペットでもいたら、特定の女性
に固定されるのは面倒になるのは分かる。 女性も同じで、この不景気の中、
専業主婦が理想になる。そして女同士で群れ、母親と友だちのようにして、
自分を飾り立てていた方が良いが、そんな女は男は真っ平。 コンビニや宅配
サービスが充実をしている現在、収入面さえシッカリしていれば、結婚など
したくないのは分かる。それも、9割以上が実質破綻している結婚の生態を
両親に見せつけられていれば尚のこと。驚くのは、ヨーロッパの離婚率の高さ。
最も高いのがベルギー、なんと7割強の夫婦が離婚。その次がポルトガルで68%、
次いでハンガリーが67%だった。なお日本は、2010年時点で36%というから驚き。
今では、4割? 時代は大きく変わってしまった。とすると後妻業、後夫業
という仕事としての夫婦業が出てくるのも必然か。そう割り切らねば絶対無理?
・・・・・・
4646, 一年で全米記憶力チャンピオンになれた理由 ー3
2013年12月05日(木)
 『一年で全米記憶力チャンピオンになれた理由』ジョシュア・ジョア
   * 人は、思いのほか、遥かに記憶力がある!
以下の一節には驚いた。一枚の写真だけでは分からないが、隣に違う写真を
並べることで、記憶が浮かび上がる現象。それが30枚でなく一万枚でも殆ど
憶えている事実。これを利用したのが速読法の『事前に、ページ全体を凝視
するか、流し読みをすれば、遥かに読書の速度が上がる』ことが納得出来る。
私たちは、鍵や物事の名前を忘れ嘆いているが、「最大の忘れものは、
私たちはごく稀にしか忘れないことを忘れていること。」
物覚えが悪いと自分自身、決め付けているのである。
『私は記憶力が少ない。それも二面があり+−0』という暗示を、
この年齢まで引きずってきた。 ーその辺りからー
《 エドは、「僕はイギリス生まれ。だから、社会生活を満喫するよりは
記憶でもしようと思わざるをえなかったんだ」と自虐的なジョークを混じえた
自己紹介のあと、70桁の数をほんの1分で憶える」がかかった時間の3分の1)
という正真正銘の記憶力を披露し、続いて高校生と私の記憶力テストに移った。
「これから君たちに写真を多く見せるよ。すごく速いスピードでいくからね」
「できるだけたくさん憶えてね」。そう言うと前の映写幕に、次々と写真が
映し出された。0.5秒足らずで次の写真に移っていく。ソニー・リストン
勝利したときの・アリ、・月面上につけられたニール・アームストロング
足跡、フリードリヒ.ニーチェの『道徳の系譜』の表紙、赤いバラ…。
写真は全部で30枚あった。あっという間に次の写真に移るので、全部どころか
一枚でも思い出すのが難しいような気がした。それでも私は全神経を注いで
一枚一枚、脳に刻みつけた。最後の写真のあと、部屋は真っ暗になり、再び
照明がついた。「憶えているかい?」に「思いません」と私の前の女子高生が
皮肉めいた口調で答え、幾人かがクスクス笑った。「そう、それが聞きた
かったんだ」とエドは答え、腕時計を見て時間を書きとめた。-- 30分後、
次々と見せられた写真の記憶が忘却曲線にしたがってかなり消えてから、
エドは、新しいスライドを見せていった。今度は2枚の写真が並んでいる。
1枚は先ほど見たもので、もう1枚は初見のものー左側にアリ、右側に泡を
出している解熱鎮痛薬の写真だった。エドはさっき見たほうの写真を指さし
言った。簡単だ。アリの写真はさっき見たもので、アルカセルツァーは
違うと誰もがわかった。エドは「ね、簡単に思い出せただろう」と言ってから、
次のスライドー左側に一匹の鹿、右側にはニーチェの本1に移った。
これも全員が正解した。結局、全員が30枚を全部答えることができた。
「さあ、面白いことがわかっただろう」。エドは教室の前方を教授さながらの
ポーズで歩きながら言った。「1万枚のスライドを見せたって、君たちはちゃん
と答えることができるはずだ。君たちの記憶力はそれくらい優秀なんだよ」
続いて彼は、1970年代に行われた、よく引用される実験について話した。
今やったのと同じような方法で行われたテストだが、30枚ではなく1万枚を
憶える(このテストには1週間かかった)。憶えるには多すぎる量だ。
一度見ただけで憶えるならなおさらである。》
▼ ドッキとする一節である。「なんてこった〜」である。毎日読む
 新聞も本も、一度、スキャニングをした方が良いことを分かっていても、
していなかった。それと『私の記憶力が弱い!』というバイアス(思い込み)
の強さに今更である。もっと強いバイアスに囚われているはず。
「余命半年!」と宣言され見えてくるのだろう。
・・・・・・
4281, 日本人の思い −1
2012年12月05日(水)
  * これが日本人?  「日本人の思い」ーほぼ日刊イトイ新聞 著
これは、ネットの人気サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で、毎週のアンケート
50回の「日本人の思い」のテーマの回答! 
ー 八割以上、イエスと答えた内容をみると、
 「音楽が好き!」は  96.2%!  「旅が好き!」は   84.7%!
 「よく本を読む!」は、81.2%!  「エッチです」は   84.6%?
 「恥ずかしがりや」は 82.4%!  「よく笑う!」は   81.8%!
この結果からみると、ー音楽が好きで旅が好きで、エッチで恥ずかしがりやで、
よく笑いよく本を読むー これが、日本人!。 しかし、意外な結果も多い。
* 日本人の67%が「私は働き者でない」と思っている。多くは、
 逆の3分1と予測していた。自分を振り返ると、この結果は理解できる。
 心の奥では、働くより遊んでいた方が良いと思って当然。
*「あなたは、運がいいですか?」に対し、76%が運が良いと思っている。 
 「自分が生まれてきて、ここにいるだけで充分に運が良い」と思っている
 から健全である。
*「あなたは、持てますか?」に、62%が「持てない」と、答えている。 
 年齢別でみると、持てるピークは50歳代で60%が「持てる」と答える。
 社会的立場の充実感が人を惹きつける。若いときは、どっちに転ぶか分から
 ない不安定さが緊張感を醸し出し、それが異性や友人を惹きつけが、50代は
 経験からくる充実感が吸引力になる。私は、50代の10年間で30年分を
 生きた感がある。
*「あなたは、親切ですか?」の問いには、53%が親切と答え、
 47%が、親切でないと拮抗しているが、そんなものか。
*「あなたは、健康ですか?」には、7割が健康と答えている。
 逆にいうと3割が病を持っていることになる。 ー続く
・・・・・・
3906, 閑話小題
2011年12月05日(月)
   * 一昨日は大学の同級会。
 大学1・2年時の同級会が服部栄養料理学校の服部幸應さんを中心で
開かれている。首都圏に住むグループの会で、遠距離の地方出身には声が
かからない。その会の幹事が武澤ゼミ仲間だった縁で去年初めて参加してみた。
しかし春先に色いろあったので今年は不参加と決め込んでいた。ところが、
そのクラスで親しかった男が42年ぶりに参加と聞いて、急遽、出席すること
にした。彼は全国を転勤した後に、終の住まいを仙台空港近くにし、釣りと
ゴルフ三昧を決め込んでいた。ところが東北大震災の津波九死に一生を得て、
現在は実家のある前橋に戻り、新たに住居を購入した。私の大学で初めての友人
で、私が入っていたクラブに引き入れた経過がある。卒業後は全国の転勤もあり、
大学関係の会には一切、顔を出したことはなかった。 会った瞬間、私は
「おい変わったな!」で、相手は、「全然、変わってないな!」である。
今回の会の出席者は17人で、去年とほぼ同数。私も一応東北大震災の経済
被災者だが、彼と私の話に他の出席者は、目をパチクリ。 
その友人は明るく振舞っていたが、やはり痛手は隠せない。そういう私も、そう見えていた
のだろうか。 ところで、ゼミで一緒の人と、久しぶりの再会の友人が異口同音に、
「堀井のこと、絶対にリスク管理をしていたはず。学生時代から用心深かったので、会社と
個人は分けていたと思っていた」と言う。 地元の友人が、全く同じことを言っていたので、
逆に驚いてしまった。性格は昔も今も変わっていないということ。 
それをもって計画倒産と揶揄されるが、20年、30年の長期投資、リスク管理をして
おくのは当然である。家族を一切、会社に入れないとか、連帯保証をさせないとか。
破綻の恐ろしさの両親の教えもあるが。
  * 有楽町・東京駅の再開発
 最近、有楽町周辺に行って驚いたのがJR駅銀座口出口の変わりよう。
この10年で次々と大型ビルなどの再開発がオープン。ニュースで知っていたが、
実際に現場に立った実感は違うもの。 特に秋葉原や有楽町駅銀座口の雑然と
していた飲食街が一掃されて、近代ビル街が出来ると、その変わりように驚いてしまう。 
家内がJRの2〜3ヶ月に一度出す格安料金で、東京のスポットを回るのを楽しみに
しているが、何か分かるような気がする。 都会は、脳が外部化したものというが、
成るほど、そのとおりである。また東京駅の丸の内の再開発ビル群にも驚いてしまう。
丸ビル、新丸ビル、そしてオアゾも地下で通路が行き来できる。たまに行くには良いが、
都会暮らしは、私にはそぐわない。とはいえ、田舎の閉鎖性も、どんよりして好きでない。
 ・・・・・・・
3541, 価値観の中心の書き換え ー3
2010年12月05日(日)
 誰もが、人生の節目は価値観の中心の変わり目になる。
それが小中高校の進学時だったり、社会人になる時だったり、家庭を持ったり、大病を
患った時だったり。若いときは成功物語を夢見、そして挫折を繰り返しながら、中心の
価値観が変貌していく。節目を打つとは中心の思い切った書き換えということになる。
社会に出て10年スパンか、20年スパンで、節目を自分で作っている人を時々見かける。
人生設計をし、それに従って生きるのも道理。起承転結という文章作法(あるいは
四コマ漫画)のとおり、起=0〜19、承=20〜39、転=40〜59、結=60歳〜 を、
区切りとする視点も、分かりやすい。文章作法では、一番大事なのが「転」というから、
40〜59歳が胸突き八丁で大変だが、心して生きなければならない時期。
しかし振り返ると、それぞれが同じ位、重要であるのも事実。19歳までは、基礎づくり、
39歳までの20年全力投球、59歳までは苦しみ、楽しみを味わい、60歳以降は、
それまでの経験を振り返り、鳥瞰した目で人生の仕上げに入る時期になる。
「価値」に一番近い言葉として「意味」がある。人生の意味を突き詰めると、
自分の物語をつくっていくことになる。そうすると自ずから人生観の中心に自分の理想、
挫折などの経験が、物語の要素になる。どれがベストという訳にはいかない。
それぞれの人生があるから。「上を見れば限がない。横を見れば情けない、
下を見れば底がない」のが比較の世界。所詮は、死んで三日も経てば、過去の人として
忘却の彼方に消えていく。「価値観の中心の書き換え」も生きていればこそ。 
それが出来るのは「いま、ここ」だけ。 「人生の意味など何も無い!で、
いいじゃないか!」も、事実。 「日々是、己に口実!」もある。