つれづれに

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 古希を超えて、2年になるが、成るほど、背後から迫っていた
『死』の影が、前面に回るというが、成るほどと実感する日。
男は75歳過ぎると急激に弱ると、渡辺淳一が、生前に書いていたが。
 セサミンを、この1年、飲み続け、SJに7年近く通ったためか、
目先の日々の元気だけは良い。この年齢に、弱気が一番よくない。
しかし、同年代の老け具合をみるにつけ、自分に重ねてしまう。






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3905、さらし首の独り言
2011年12月04日(日)
 あの日から八ヶ月、現在置かれている立場は打首獄門の刑場のさらし台の首のようなもの。
しかし、それが面白い。その首が目をパチクリし見物人の評価している目線と心境が、である。
それも、「その辺の世間様レベル」の目線が、かって憶えのある自分の目線として蘇ってくる。
カント哲学の具体例とすると分かりやすい。見物人は、それぞれ知っている範囲の情報と知識
で烙印を押し付けてくる。それは自分のことを言っているに過ぎないことを全く自覚ない?
愛らしさ。人生の満足度が低い人ほど、自分の影としての対象として鬱憤をぶつけている。
それが世間様の犠牲者、「その辺の輩」という所以。自己卑下を他の対象に投影するに一番
手っ取り早い世間話のため、その視線が、そのまま、その人となり。他者を批難することは、
自分を更に卑下しているだけの理屈が分からない。それが身近ほど辛辣になるから人間観察
にはもってこいになる。元もと卑しい臭いのする人は近づけないつもりだったが、実は違って
いた? しかし、それが人間の赤裸々の姿。これは「自己確立の出来ているかどうか」の
基準で見ると、直ぐに分かる。この10数年、独学で哲学を学んできた?が、自分の頭で
考えること、現象の中にある事実と、その中の真実。その真実も、本当に真実なのか、
それともカントの言う、自分の経験と知識の範囲の思い込みなのか?という自問自答。 
その意味では「その辺の何=自己卑下の人」も、実は私自身が貼り付けた言葉でしかない。
世の中、何も考えてないと思える人が多い。特に老いてくると、それが露出する。
それが、この文章を書いている自分に当てはまるから、これも自己卑下。
これは、実はお互い様ということ。人生は悲劇と喜劇は紙一重。 悲しくもあり、
可笑しくもありが人生、と実感する日々この頃である。 

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3540, 価値観の中心の書き換え ー2
2010年12月04日(土)
  * 石井一男という画家
「ビジネス書 大バカ事典」勢古浩爾・著の中で、数多のいい加減なビジネス書をなで斬りを
している反面、こういう画家には優しい眼差しを向ける。さっそく、ネットで絵をみたが息を
飲むほど素晴らしい。一種の自閉症?なのだろうが、画家の魂が対象の画中の女性や花から迸り
出ている。何か自分の世界の中で作り上げた女性像が彼の魂から溢れ出て迫ってくる。
何が成功か、そんなものと、勢古がいうのも理解できる。
  ーまず、勢古の文章からー
【 石井一男という画家である。TBSの「情熱大陸」という番組で知った。人付き合いが苦手で、
 四九歳までアルバイトだけで生計を立ててきた。それも、人とあまり関わらなくてもいい仕事
ばかりを選んだ。神戸在住で長屋の二階にひとりで住んでいる。母親が購入したものだから
部屋代は必要ないが、生活費は月七、八万円。酒も煙草もパチンコも一切やらない。喫茶店にも
滅多にいかない。 夕食は近所の惣菜屋で100円に値下がりした惣菜二種類と100円のパック
入りごはんを買って済ます。しかしそれらをきちんと器に移して盛る。可愛いことにみかん一個
のデギトもつける。それをひとりで正座して食べる。絵を描いてきた。だれにも師事せず、どの
団体にも属さず、途中休止した年月もあるが、たったひとりで描いてきた。
ときおり行く画廊の主人が書いた文章を読んだことがきっかけだっ。この人なら自分の絵を見て
もらえるかもしれないと思い、手紙を書いた。この気持ちはじつによくわかる。ちょっとだけ
大きい世界に開くこと。そして、ひとりの承認者がいてくれたら、と願うこと。主人は石井の絵を
見て「こんな人がいたのか」と驚き、個展を開いた。石井一男の絵は49歳ではじめて陽の目を見た。
人々の目を惹きつけたのは、ルオーの画風に似た純粋な「女神」シリーズである。目を瞑った
慈母か天使のような顔が描かれている。その絵を見た人のなかには、涙を流す人がいた。
わたしが好きなのは、後藤正治『奇蹟の画家』の冒頭に載せられた黒一色の「女神」(二〇〇八年)
である。表情がいい。石井その人もまた、絵に似て、いい。長身で痩身。照れ屋で寡黙である。
無愛想ではない。温厚である。恥ずかしそうな笑顔である。1943年、神戸生まれ。父親は
フィリピンのルソン島で戦死。祖母と母の三人で暮らしてきた。その祖母も亡くなり、現在、
母は九〇代になり老人保健施設で暮らしている。この個展で100万円の収入があった。
しかし石井はそれを貰うことを拒み、ある団体に寄附しようとしたのである。 画廊の主人は
それを思いとどまらせた。絵を見てもらえるだけで満足だったのかもしれない。それ以上の反応
は、おそらく過分なものだったのだろう。その後、個展は大阪や東京でも開催されるようになり、
作品もほとんど完売するという。 固定ファンもついた。小さくて静かなブームになっている
といっていい。だが、石井一男の生活は以前とまったく変わらない。マンションなどに移るつもり
はまったくないという。長屋の二畳と六畳一間の部屋。母親を見舞う。生活費は相変わらず
月7.8万。・・・】
 ー
勢古の本を読むのは数年ぶりだが、なかなか味わいが出てきた。 ところで朝のNHKの
ドラマ、今年になってから、「ゲゲゲの女房」以来である。時間帯を7時半からBSで放送した
こともある。現在は、「てっぱん」である。下宿屋の人間模様を藤純子を主役?としている内容
だが、そこに自閉症の初老の画家がいる。石井一男をモデルにしたのだろうかと思ったが。
 ネットでみた石井一男の絵に、一瞬で虜になってしまった。パソコンにファイルしたが・・・ 
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3165,金本位制が復活? -2
 2009年12月04日(金)
* ーそれでは、「アメリ金本位制復活論」の高橋靖夫が文藝春秋に記載した一部を抜粋するー
 1971年8月15日、ニクソン大統領は突然、金とドルの交換を停止した。世界を仰天させたこの
ニクソン・ショック」で、金は「通貨としての役割」を否定され、たんなる「商品としての地位」
に追いやられた。 当時の通説は、「モノづくり」で競争力を失った米国が、ドルを守り切れなく
なったために「ブレストンウッズ体制を自ら放棄した。 ところがその後の米国といえば、崩壊
どころかドル覇権を拡大し、冷戦終結後にはユニテラリズムを振りかざす唯一超大国として
「独り勝ち」を達成した。では「崩壊」したかに見えたニクソン・ショックの狙いはなんだったのか。
 ブレストンウッズ体制下では、アメリカは1オンス35ドルで各国政府の保有する金の交換を保証して
いたため、赤字の増加は金の流出につながる。そこで米国は”負けたふり”をして「失った金の再備蓄」
を密かに狙ったのだ。 米国は金とドルの交換という「責任」を放棄しながら、基軸通貨特権を享受
しつつ、固定相場制から変動相場制への制度変更を仕掛けたのだ。と同時に、金の通貨としての
魅力を否定することで金相場を下落させ、失った金を安く買い戻せるように仕掛けた。
つまり金本位制を停止した時からすでに、再び金本位制に戻す機会を狙っていたのである。
 むろん、そんなことは、経済白書で発表されることも、ウォールストリート・ジャーナルに
書かれることもない。しかし、米国が金を「捨てた」かのように見せつつ、決して金の価値を
忘れていなかったことを記す状況証拠なら、幾らでもある。
たとえばニクソン・ショックからわずか3年後の74年12月、米国は奇妙なふたつの政策を実行した。
 ▲40年ぶりの「国民の金所有の自由化」
 金先物市場の狙いは「ロンドンから金の価格決定権を奪う」こと、そして金所有の自由化は
「民間による金の備蓄を進める」こと。共に戦略的な「米国による金の囲い込み」である。 
米国の金相場の操作は極めて巧妙だった。ヨーロッパの投機家たちを抑え込むために、74年12月31日、
国家備蓄のなかから200万オンス(約62t)の金を放出すると発表し、相場の「冷やし玉」にした。
 同時に有力金融機関には「不買キャンペーン」を行わせた。その結果、金価格は74年12月31日の
「国民への自由化」の197.5ドルを ピークに、75年6月の130ドル近くまで下落を続けた。
こうして米国国民は安い価格帯で金を買うことができるようになったのである。
  (字数制限のためカット 2010年12月4日)
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2800,イングランド・ツアー 
 2008年12月04日(木)
 昨日、イングランドのツアーから帰ってきた。この世界恐慌前夜に行くべきかどうか迷ったが、
少なくとも年一の海外に出る習慣は守るということで、決断した。29名のツアーで、イングランド
北の湖水地区と、古い町並みのコッツウォルズ地区、ロンドンをバスで回るツアー。英国は秘境ツアー
御宅にとって、毛色の変わった場所だが、たまたま現在の中では一番、価値があると判断をした。
私の評価基準からして、80点以上は無いだろうと思っていたが、その通りであった。
しかし、今回の旅行は75点の評価だから、まあ良かったということになる。湖水地区の自然を散策
するイメージに引き付けられたが、奥深く行く探索する内容ではなかった。二日じゃ無理だが。 
それよりコッツウォルズ地区のの古い村の景色の美しさには感動をした。一箇所が二泊ずつ三箇所に
泊まるため、非常に楽な日程。格式の高いところや公共に対する意識が高いところは日本に似ていた。
いや日本が、イギリスに感化されたということだ。 
 ー印象を思いまま書いてみると
・島国で、立憲君主制?で、緑に覆われているところが、日本に似ているので、
 違和感が少ないのが印象的である。
・面積は日本の本州とホボ同じ大きさで、
・人口が6000万人、
・平地面積が80%で、日本の16%とは違う。そのため日本人は非常に大きく感じるという。 
・小さい国土のわりに食料自給率は80%もあるという。
大英帝国を築き上げた歴史があるため、豊かさが国土に深く沁みこんでいるのがバスの中から
 でも分かる。
・村には、中央広場とメーン通り、教会、パブの三点セットが必ずあるというが、
 最近の不況でパブが多くの村で消滅をしているという。「階級制度がハッキリしていて、
 特に労働者階級は反発を感じないのか」と、現地の日本人ガイドに質問をしたら、「日本人から
 みたら個人主義が強くて、『人は人』という意識が、その反発を消している」との答えだった。
弱肉強食のシステムは、国の活性化のために必要で、没落と成り上がりのシステムはあるという。
なるほど、外は広く、内は広い、世界は!それを忘れないためにも海外に出る価値がある。ーつづく
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2007年12月04日(火)
2435, 絞首刑 -2    ((´_`○)ノ ノヾィ♪☆ぉきた?♪
 死刑は荘厳にさえみえる。処刑に引き出されたものと、他のものとの段差。それは我われの
二人称の人の死と、変わらないではないか。ただ露出された人間の心情は、表現は違っても普遍的。
もう、20年前の夢を鮮明に憶えている。 中東の何処かで、自分が絞首刑になる夢である。もしか
したら、彷徨ってた霊が夢に出てきたのか?さえ思えた内容。何か、この死刑囚の場面に似ていた。
 ーまずは昨日の続きである。
(字数制限のためカット 09年12月4日)
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2006年12月04日(月)
2071, ゆっくり急げ! -2      b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪    
以前も「ゆっくり急げ!」のテーマで書いたことがあったが、最近、この意味の深さを痛感する。 
ラテン語で「フェスタ・レンテ」という。 この言葉を暗記して繰り返していれば、少しは短気が
直るだろう。還暦をむかえると、人生に焦りが出る。私の場合、60歳までにそれ以降の全てを50代
にやり遂げようと、10年間に詰め込んで生きよう心がけて過ごした。 そのため焦りすぎて多くの
ミスも多かったが、ほっとしたような心の余裕ができている。あとは、おまけ!という気楽さというか。
団塊の世代の人達が定年を向かえようとして急に、「明日から会社には来なくても結構です。ご苦労様!」
と言われても、産業粗大ゴミが空地に捨てられたように呆然とする。そして、‘60歳後の生き方’の
ような本にある「ゆっくり生きましょう。群れてないで、一人で自分の世界を確立しなさい。
してなかった?それは貴方の責任です。これから一つずつ趣味をつくって生きましょう」と・・・ 
しかし焦っても、焦っても、どうすることはできない。焦らず、ゆっくりと死に?急ぎをするには
どうすべきか?いや死は実際には本人に存在しないのだから、寿命の尽きるまで輝いて生きるには
「ゆっくり急げ!」を座右の銘にすべきであろう。「ゆっくり急げ!」という言葉に似た格言と
しては、  
 ー字数の関係でカット(2010年12月04日)
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2003/05/15
ゆっくり急げ!
 字数の関係でカット(2008年12月4日)
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2005年12月04日(日)
 1706, [我が家の家訓] をつくってみた
ところで、この本『家訓の作り方』を参考にして、「わが家の家訓」をつくってみた。
(作成時間3~4時間)
 【【 堀井家の家訓 】】
 =人生について      ヽ('A`)ノェェェ マンドクセ
・群れるな!  一人どっしりした生き方をすること そのために、
 教養の蓄積と余裕ある蓄財をしておく
・一度だけの人生、思い残すことなく生きよ
・何ごとも楽しめ!嫌なこと苦しいことほど楽しみのネタはある!
・自分の強みを見つけ、それを生かした人生を歩め
・自然体で生きよ 無理しない、あわてない、気にしない
・何ごとに対しても誠意を持ってあたれ        
・笑いと、喜びを持って日々励め       (´m`) ムフッ♪  
・はやい時期に自分の楽しみを見つけ、一生をかけて追求すること
・継続すべきプラスの習慣を一つずつ身に付けていくこと
・何ごとも一期一会、「いま現在」を大事にして生きよ 明日は常にないものと心がけよ!
・頭が固いとは、『脳硬化』と心得よ つねに変化に備えて、変身の用意を怠らないこと
・言葉に気をつけること  特に(心の中の自己対話)内語に気をつけること
       (;^_^A " kuso! baka! teinou! kogitune! ore dameda!
・行動、行動、また行動。常に積極的に行動すること、その周辺に情報と、
 さらなる行動がついてくる
・勉強、勉強、また勉強  知れば知るほど、知った周辺の知らないことが増えてくる
                         *:;;;:*゚。+☆+。゚+*:;;;:*  
  =お金に対して=
・保証人になるな ー請け判は人生を滅ぼす    ・借金は能力範囲ですること
・商品取引、先物取引は厳禁のこと 大きな博打はしないこと
・個人的な金の貸し借りは親兄弟でも絶対にしないこと -友人の出資とかいう手合いの
 話に絶対乗らないこと
・お金は楽しんで使え              ・支出は収入の8割までにすること
=家庭について=
・生活は質素倹約に徹すること (=_=;)
・親しき仲にも礼儀あり、特に挨拶は必ずすること
  *おはようございます ∩(´∀`)∩ オハヨ~♪
  *おやすみなさい |寝室Юヾ(●´∀)ノ" おやすみ~♪
  *いただきます    (^人^)
  *ごちそうさま ( ̄ω ̄;)!!
  *いってきます  (^-^)ゞ
  *ただいま   (* ̄0 ̄*)
  *ありがとうございます   Σd(ゝ∀・)アリガトォ♪   ♪~♪~ ♯♭
・自分のテリトリーは整理整頓に心がけること
  *自分の部屋の掃除
  *靴の並び
  *割り当てられた掃除          ~ヽ( ̄Д ̄*)ちっ
・親子、夫婦といえども自分のトラブルは家庭内に持ち込まないこと    
・笑いと感謝を持ってお互い敬うこと                         
・常に話し合う習慣を日常よりつけておくこと
  =社会に対して=
・常に笑顔を持って他人に接すること  ー近所の人とは、表面的な親しさに止めること 
ライオンズクラブロータリークラブなどの社会的ステータスを求めている場所には近寄らない 
  ~但し、商売上止むを得ない場合は例外とするが、それを必然とする仕事は可能な限りさける
・マイナス語を日常に使う人種とは一線をおくこと    butubutu(; ゚ ロ゚*)!
・社会は本来『不平等』と知ること、間違っても、平等が基本などと誤解をしないこと
 平等と信じている人を信用しないこと
・他人に対して、心にやましいと思うことはしないこと (=_=;)
・人は人、我は我、されど仲良くを基本とする           
*:;;;:*゚。+☆+。゚+*:;;;:*
 =家訓としての戦略=
つねに長期的視点に立ち、求めることを一つに絞りこみ、全精力を集中して、競争相手を定めて、
先手を打つこと 夢を持ち、明るく、質素に、ものごとの本質をみつめ、他人に良かれと思い、 
日々を一歩一歩踏みしめて 生きること!
「変化・挑戦・戦い」の絶え間ない繰り返しこそ、活きることである。
つねに新鮮な気持ちを持って 日々生きること。
   一流の人物を見つけ、その習慣を学ぶこと  
  ーーー
 こんなものだが、自戒の言葉でもある。 (^┰^;)ゞ
 ・・・・・・・ 
2004年12月04日(土)
1341, 岩にスジをみつけよ
 20代に、読んだ本の中に、「どんな岩でも、必ずスジがある。そのスジさえ見つけノミを入れれば
簡単に割れる。岩は中味が均等には詰まってはない。地球の力によって貼りあわされた合成物にすぎない。
その接着の後が残ってスジになっている。それさえ見つけ、そこにミノさえ入れれば簡単に割れる。」
たしか、松永安左衛門の言葉だった。最近は、この人のことは話題にはならなくなったが。それを読んで
から、常にこの言葉が座右の言葉になった。それでは、それを実行してきたかというと何もいえない。
どういう訳かハンマーで岩を割ろうとして、スジさがしはしない。ハンマーで割ることが素晴らしいと思い
込んでいるのだ。その為か、割れやすい部分さえ探そうとしない。 他人事ではない、自分のことである。
プロは、そのスジを経験から直ぐ見つけ出す人である。これも長年の経験が必要である。ふとこの文章
を書いていて、「自分の中にスジを見つけよ」という言葉が浮かんだ。自分の中のスジとは何だろう?
習慣化、マイ・ゴッド、それとも口癖の言葉? そういえば、習い事で「貴方はスジがよい」というが。
才能ということか。 スジの意味が違うか。
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2003年12月04日(木)
974, 「黒い十人の女 」ー映画日記
 ー字数の関係でカット(2007年12月04日)
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2002年12月04日(水)
 600, カットスロープ
ある経営セミナーで聞いた戦法・商法である。 立地やプライスラインで おこなわれる。
立地で解りやすいのが、先日新潟駅前にオープンした東横インだ。税込み6500円ラインを駅直通
の再開発ビルのテナントでぶつけてきた。咽喉仏を掻っ切られるのが、そのプライスラインの
ワシントン、アルファーワン、東急イン、第一ホテルである。
ー字数の関係でカット(2010年12月04日)
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忘れられない言葉   「2001/12/04 08:21 」
ー青年期の言葉
1、ベートーベンの
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐ええることを証明したいと思う」
  ーロマン・ローラン
 これが学生時代の私の一番好きだった言葉である。これにこだわりすぎた部分もあった為、
 行動を制限されたが。「苦境を突き抜けて歓喜に」ーこれもおなじべトーベンの言葉だ。
2、ソルジェニーツィン
「人生小説でないと思います。弱者は悪、強者が善です、強くあってください。
 いや強くあらねばなりません。良くあるためにも強くなくてはならないのです!」
  ーこれは25歳の頃やはり社会で強さが求められたためか。
3、「そうだ。人生に期待するには間違っているのだ。人生の方が、私たちに期待しているのだ!」
 人生の問いのコペルニクス的転換。 未来には貴方に生み出される何かが待っている。
 人生が貴方に見出される事を期待しているのだ。 フランクルは、人生に何も見出せなくので自殺する
 つもりだった二人の囚人を説得し、生きる意志を起こさせている。事実一人の男性には、深い愛情を
 よせている一人の息子がおり、外国で彼の帰還を待っていた。もう一人は、科学者として本のシリーズ
 を書いていたが、まだ途中で完結が待たれていた。 ーこれは15年前に「夜と霧」に出てきた内容。
 自分が死んで葬式の額の写真の目から視点を全く変えてみたのと類似している。
・・・・・・
12月4日ー1968年
・11時に起床。
 中間試験の勉強だ。 ところで昨日の件で、今になって怒りが押し寄せる。「何なんだ!」
という感情がくる。 
ー字数の関係でカット(2010年12月04日)