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   * 「夕景の美しさ」について
 カズオイシグロの『日の名残り』で、
<夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。
 夕方が一日で一番いい時間だって言うよ。>の言葉が印象的だった。
暗闇色の漆黒と残照の赤褐色の色合いが、生と死、そのままを現している。
 夕景といえば、世界各地の日没の輝きを目の当たりにしてきた。
その感激と感動そのままを描写した幾つかの文章と、夕映えの写真も数多く
見てきた。 学生時代に読んだ船舶王・オナシスの自伝に一場面。 
 死期を悟ったオナシスが、ギリシャエーゲ海にある故郷で、夕景の中、
幼馴染と酒を飲みながら昔を偲び邂逅し、涙ながらに踊る場面が今でも強く
心に残っている。最期は、愛人のマリヤカラスでなく、妻のジャクリーン
でもなく、幼馴染との魂の邂逅に涙を流す… 
 エーゲ海の夕景といば、サントリーニ島と、ミコノス島の夕景が絶品。
夕陽が大自然自身の魂そのものを写しだす瞬間である。魂の故郷とは、
『幼児期の想い出』と『両親の温みの感触の想い出』である。 
  
   夕陽の詩では、八木重吉の詩が良い!
 
  ゆう焼をあび 手をふり 手をふり 胸には ちさい夢をとぼし 
 手をにぎりあわせてふりながら このゆうやけをあびていたいよ  
                         〜『夕焼』より
  あの夕焼のしたに 妻や桃子たちも待っているだろうと 
 明るんだ道をたのしく帰ってきた         〜『夕焼』より

  ゆうぐれの陽のなかを 三人の児が ななめの畑をのぼってゆく 
 みていれば なきたい            〜『ことば』より
  
  私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。
 この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、
 私を、あなたの友にしてください。      〜『「序」秋の瞳』より 

☆ 孤独の際から叫び出ている愛と孤独の絶叫の詩。 夕景は切ない!
 死と生の刹那そのままが、景色に反射するからである。八木重吉だったか、
は忘れ、かつ不正確だが、
<夕陽に向かって手が千切れるほど いつまでも手をふっていたいよ>
 の詩が頭によぎる。

【 みじめなということは低きところにおる人ではなくて、
   進むことのできなくなった人です。      〜(八木重吉) 】
 …それでも這ってでも進まなければならない時が、人生に何度もある…
 それも、夕暮れ時には、身につまされる言葉。

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2016年11月30日(水)
5738,閑話小題 〜2016/11/30 今年も、あと
    * つれづれに年末
☆  今年も、あと一月になるが、早いもの。リタイア直後にたてた
  スケジュールそのまま、毎日を過ごしている。毎週金曜日のシネマ通いは、
  これまで3週、休んだだけで合計44回、通っていた。一週だけ二日続け
  行ったこともあった。2年に1回あるかなしかの百点評価はなかったが、
  95点が2つあった。あと残り5週あるが・・

☆ ニュースとしては、英国のEU離脱と、米国のトランプが大統領選で勝利。
  これは日本、アメリカ、世界各国にとっての大転換を意味する歴史的一大事。
  アメリカがグローバル化政策を止める決断をしたことになり、欧米の凋落の
  道標になる。 それに勢いづいた欧州のテロは、とまることなく続く。

☆ 体調は、すこぶる元気。サントリーの販売戦略に乗せられ、「セサミンEX」
  「ロコモア」を常用するようになった。これが体調にプラスに働いている。
  両方とも、一日の目安の半分にして合わせ飲んでいる。腰痛も、腰痛ベルト
  を新調したことと、夜半の寝返りを意識的にしていることもあって調子がよい。
   何はともあれ、無事健康が一番。

☆ この随想日記も5700のテーマを超えている。時どきスランプになるが、
  精神のバランスを保つプラス要素になっている。

☆ 去年に一番上の姉の連れあいが亡くなったのに続き、今年は長岡駅近くに
  住む父方と、母方の従兄が2人亡くなった。ついに、身近な親族の順番が
  まわってきたようだ。平均年齢が80歳なら、何の病気で亡くなったかは
  問題はなくなる。老衰による三大疾患の何れかでしかない。

☆ 世界的大規模の天変地異は、無かったが、国内では熊本と鳥取で発生した。
  200年〜300年スパンの大地震の周期に入ったようで、不気味だが。

☆ 今年は会社整理の関する弁護士からの連絡は一切なし。 
  この激変の時代、6年近く前の問題なぞ遥か彼方の問題ということか。
  元もと銀行債権以外、一切無いのだから、当然といえば当然か。

☆ 去年の今時分、寝室のTVにブルーレイを加えたのを切欠に、WoWoWの二台目
  契約をした。そこは居間とは違って、映画、ドラマを見るには最適空間。
  一年間、面白そうな映画を次々と入れていたところ、最近、「制限一杯に
  近づいています」の表示。数えてみたら300本。一日、一本見ても一年は
  かかる。それでも、番組表に面白そうなのが次次と出てくる。そこで、
  過去分を消去するが、これが惜しいくて堪らない。これは完全に映画御宅。
   ネットとブログ御宅に、映画御宅に、スポーツジム御宅に、チャリ御宅。
  そして近い将来、プツン!といきたいが、その前に色いろイベントもある
  ようだ。 としても、まあ、幸せなことで。

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2015年11月30日(月)
5373,楽しむことを人生の目標に 〜�

  * シリアスで、面白い格言
 自虐的な格言ばかりだが、鋭く心の弱点を指摘しているものばかりを、
選んである「面白い格言」集があった。 老いるとは、神の視線で、己の
生涯を振り返る視線を持つこと。そこから目を背け、他人に対して、悪魔の
目線で批判をしたがる。それが老いの厭らしさである。ある時は、神様。
ある時は検事に。ある時は、優しい天使に変身、漂う老境は、寂しい。
≪ ・馬鹿には会いたくないというのなら、まず自分の鏡を壊すことだ。
   〜フランソワ・ラブレー(フランスの人文主義者、作家/1483〜1553)
・もし神様を笑わせたいのなら、君の将来の計画を神様に話してごらんなさい。
 〜ウディ・アレン(米国の映画監督、俳優、脚本家 / 1935〜)
・我々は、幸福になるためよりも、幸福だと人に思わせるため四苦八苦する。
 〜ラ・ロシュフコー(フランスの貴族、モラリスト文学者/1613〜1680)
・人は自分の友に秘密を話すが、その人にもまた友がいるのだ。
 〜トルストイ(ロシアの小説家、思想家 / 1828〜1910)
・母親は子供を男に育て上げるのに20年かかるというのに、他の女性は20分で
 男をバカにしてしまう。〜ロバート・フロスト(米国の詩人/1874〜1963)
・見て見ぬふりして下さい、先生、何年かたてば笑い話ですから。(マーシー
 人生って買い物カートみたいなものなの!私たちひとりひとりカートを
 もってる、そして世界はスーパーなの!世界はすばらしい物でいっぱい…
 あなたのカートを押して行くのよ、チャーリー・ブラウン! (ルーシー)
 〜チャールズ・M・シュルツ(米国の漫画家、スヌーピーの作者/1922〜2000)
・私を会員にするようなクラブには入りたくない。
 〜ウディ・アレン(米国の映画監督、俳優、脚本家 / 1935〜)
・いとしい女にはあんな長所、こんな長所があると君が信じて疑わないのは、
 ひとえに想像力のなせるわざである。
 〜スタンダール(フランスの小説家『赤と黒』著者/1783〜1842)
・お世辞を言うには金がかからないが、大多数の者はお世辞に対して大金を
 支払っている。 〜トーマス・フラー(英国の聖職者、歴史家/1608〜1661)
・私の一番つらかった戦いは、最初の妻とのものだ。
 〜モハメド・アリ(米国の元プロボクサー /1942〜)
・医者は人間を弱いもの、
 弁護士は人間を悪いもの、
 牧師は人間を愚かなものと見る。
 〜ショーペンハウアー(ドイツの哲学者 / 1788〜1860)
・勇敢の誉れ高い人のなかには、ただ逃げるのが怖かっただけの人もいる。
 〜トーマス・フラー(英国の聖職者、歴史家 / 1608〜1661) ≫
▼ 「お世辞」を、いかに巧妙に言えるかどうかが、知性? そうじゃない?
  ー世界はすばらしい物でいっぱいのスーパーなのー も良い。
 こういうのはどうだろう。《世界は、大都会なの。コンビにも、スーパーも、
百貨店も、高級専門店もある。逆に、下町には貧民街もある。世界は、喜びも、
悲しみも、いっぱい詰まっているの。別に買わなくてもいいから、チャンとした
身なりの服装と、身すぼらしい服装を二着と、少々のお金を持っていれば、
何処に行けるの。良くないのは、少々の金と、一着しか、持ってないことよ!
その世界しか知らないのは、不幸と幸福が裏腹ということが知りえないからよ!》
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2014年11月30日(日)
5008,人は死ぬとき何を後悔するのか? 〜4
         『人は死ぬとき何を後悔するのか 』小野寺時夫(著)
  * 治療を後悔する人が多すぎ
 読むにつれ憂鬱になるのが、病院経営の利潤が優先され患者はグチャグチャ
にされる実態?である。父が亡くなる直前にポツリといった一言、「あんなに
苦しむなら、手術をしなければよかった!」 死を覚悟した時、「どのみち
助からないのに、あの激痛を長時間も耐えなければならなかったか?」
の疑問が生じるのは当然。 ー治療に対する後悔する原因を要約するとー
・ここで外科医だった当事者の著者が、末期ガン者の手術のやり過ぎの実態に
 強い疑問を投げかける。 転移している場合、根こそぎの切除は不可能に
かかわらず、大掛かりな手術をするケースがあまりに多い、と。 食道ガンの
名医が、転移している膵臓ガンも切るため、その方が好い加減な手術になる。 
・日本では、「手術して直る可能性が高いのか」「再発する可能性が高いのか」
「再発するならどれ位生きれるのか」などを、医者が説明せず、患者の方も医師
に質問しないのが普通だが、欧米人には考えられないことという。
抗がん剤が効くのは、ある種の白血病悪性リンパ腫、睾丸ガン、小児ガン、
7割位の人に有効で、5年生存率も6割を超えている。問題は、それ以外のガン。
延命効果があるのは10人に1人。著者が外科医だった頃、試みた中で殆ど
効果はなかった。新薬治験という誘惑があるが、これも薬品会社のモルモット
かわりか、法外の費用になる。新薬治験効果があった話はほぼ聞かないという。
・また民間療法も、あまりの法外の費用面で、「一千万単位の借金を背負った」
 という話があまりに多いとか。家族が苦し紛れで、自宅を抵当に入れケース。
これなど、少し冷静に考えれば、効果などある訳がないが、溺れるもの藁をも
すがるで、家族全体が破滅に向かう。代替治療という‘無法地帯’が、世の中
にはある。岩盤浴低周波装置、ガン免疫療法などなど、幾らでもある。
しかし、著者の知る限り、全て効果は無かったという。
▼ 高齢の転移したガンの手術は考えた方がよいことになる。治療の後悔も、
 情報と知識不足が原因。それで目先は助かっても、長期間の苦しみが待ってる。
人生の晩年は、厳しい『生老病死』が待つ。やはり「手遅れで余命半年」が、
一番良い? その瞬間から地獄のような日々になるが、これも人生。同年代の
4人に1人は、そうして逝った!どうしたら良い?今を充実させ、楽しむしかない。
「死んで花実が咲くものか」で、死にかける前に、元気なうちでなければ、再び
よい目に会えない。さて今日は何を楽しもうか?面白そうなことは幾らもある・・ 
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2013年11月30日(土)
4641, 閑話小題 ー「考えないこと」こそ罪
 朝日新聞の‘論壇時評’で、作家の高橋源太郎がー暗い未来「考えないこと」
こそ罪ー をテーマに書いていた。「馬鹿な考え休むに似たり!」としても、
社会の常識を疑い、逆照射をしたり、哲学書を生半可とても、融かすように
学び続けるしかない。だから、考えようとしない人は直ぐに分る。まともな
順にA,B,Cと分け割り切っている。その全ては過去の自分の行蔵に含まれており、
険しい山道の道標の自分の姿でもある。死刑囚の『無知の涙永山則夫
という書があるが、「考えないこと」からくる罪は、無知から生まれ出る。 
過去の記憶のフラッシュは、B,Cの自分の行蔵が殆ど。他人の評価は別として、
私自身としてAに到着したのは、還暦辺りか、それとも65歳の辺り。
いや、Cのまま? ABCが混在しているのが人間だから人生は面白い。 
経済震災と自然震災もあって? この結果に終わり、あたかもオセロの白駒が、
黒駒に変わったような経験をしてから、更に考えざるを得なくなっている?
筆者は「日々の暮らしに目を奪われ、考えないことが、如何に罪を積み上げて
いくことを知るべき」という。   ーその辺りの一部よりー
《「憎悪の差別語をまき散らして憎悪をかき立てる『凡庸な悪』と、社会は
如何に向かい合うべきか」の座談会の出席者たちは、いわゆる「在特会」の
朝鮮人は死ね」といったヘイトスピーチの主張に、かってハンナ・アーレント
ユダヤ人虐殺の中心人物であったアイヒマンについて語った「凡庸な悪」を
見いだす。深みのない「凡庸な悪」であるからこそ、底無しに広がってゆく
可能性があると指摘。彼らは特殊なのではない。
 私たち社会の中に、彼らの考えに同調する素地があるのだ、と。
だが、その「凡庸な悪」に染まり、世界を滅ぼそうとしているのは、「在特会
とそれを支持している人たちだけなのだろうか。アーレントは、アイヒマン裁判
を傍聴し、彼の罪は「考えない」ことにあると結論づけた。
彼は虐殺を知りながら、それが自分の仕事であるからと、それ以上のことを
考えようとはしなかった。そこでは、「考えない」ことこそが罪なのである。
私たちは、原子力発電の意味について、あるいは、高齢化や人口減少について
考えていただろうか。そこになにか問題があることに薄々気づきながら、
日々の暮らしに目を奪われ、それがどんな未来に繋がるのか「考えない」
でいたのではないか。だとするなら、わたしたちもまた「凡庸な悪」
の担い手のひとりなのかもしれないのだ。》
▼ 年末年始になると、中学、高校、大学、そして趣味などの忘年会に出席。
 学歴が上がるほど、「凡庸の悪」の人が間引きされ?少なくなる。それが、
その場の空気を綺麗にする。「凡庸の悪」の傾向の強い人は、とにもかくにも
考えない。その代わりに、他人との比較と噂が主たる世界。そこから出る毒ガス
で脳が侵され、噂を嘘に変えていく「凡庸な悪」の担い手、無知の涙に浮かぶ
シラミ。で、どの会にも一定の割合で存在する。逆に「考えるとは何か?」
という問いかけは哲学の問題。「考えないことの罪」は、人類そのものの原罪。
だから、人は学び続けるしかない。その結果、我が内なる(過去・現在)B・C
に出会う。その姿を見ている視線が、Aなる自分、考える自分になる。
・・・・・・
2012年11月30日(金)
4276, 100の思考実験 ー2
「100の思考実験:あなたはどこまで考えられるか」ジュリアンバジーニ(著)
   * ギュゲースの指輪
 印象的だったのは「ギュゲースの指輪」である。
  〜ウィキペィデアに次のようにあった。
≪ カンダウレス王の治めるリュディア国に住む牧人のギュゲースはあるとき
 地震にあった。地震の後に畜群を放している山の手に洞窟を見つけた。
入ってみると中には玉座に遺体が置かれていた。その遺体は金の指輪をしており、
ギュゲースはその指輪を盗み出した。戻ってきたギュゲースは指輪を身につけて
あれこれと探るうちに指輪を内側に回すと透明になって体が見えなくなり、
外側に回すとまた見えるようになることに気づき、悪だくみを思いついた。
家畜の様子を告げる伝令として宮殿に入ると、透明になって后に近づいて姦通、
密謀してカンダウレース王を殺し、位を簒奪した。豪富で知られるクロイソス王
はギュゲースの子孫である、という伝説が当時行われていた。
プラトンは「国家」の談義では兄グラウコンがこの話を引用して
「人は知られなければ悪事を働くのものだ」と述べて、プラトンのこれに反対
する形で「悪事は知られなければ構わないという考えは良心を腐らせ悪しき
結果となる」と述べている。≫
▼ ギュゲースの指輪は、人間の心の奥に潜んでいる不道徳性を試す物語。 
 人にさえ知られなければ、誰も誘惑に駆られ多くの悪事をするが、他人に
なると声高に非難をする。もし、私がギュゲースの指輪を持っていたとしたら、
恐らく何をしでかすか分からない。見せかけの自分と、本性の自分は全く違う
ことは、自分の心を考えれば分かること。「指輪物語」は、これをヒントに
つくられたという。ギリシャの哲学者プラトンが、2千数百年も昔に、この
人間の性を物語にしていたというから恐れ入る。性善・性悪説の論争に似ている。 
若い時には純粋で理想に燃えて社会に出るが、何年もしないうちに垢に汚れ、
何時の間にか良心を腐らた世俗人になってしまう。それを他人には見えるが、
自身には見えないから、その矛盾が直接、自分に跳ね返ってくる。
その結果、精神分裂になり、自分の壁をつくって篭ることになる。
それからして、カントの道徳律は重要である。「仮言命法」としてではなく、
定言命法」である。仮言命法とは,「もし…なら…べきだ」というもの。
道徳律においても、「人から信用されたいのならば、嘘をついてはいけない」
「早起きは三文の得」などがそれ。それに対して、条件なしに「…すべきだ」
とだけ命ずることを定言命法(無上命法)。 人間、良心に反する行為は、
すべきでないということ。しかし、・・  この「しかし」が、人間を
迷わせる内語になる。悪事は結局、回りまわって自分に帰ってくる。で、! 

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2011年11月30日(水)
3901, 精神力ーその偉大な力  ー2
  ▼ 世界でもっとも重要なもの
著者が言わんとすることは、「原因の世界に住んで努力を続ければ何事も必ず
実現する。成すべきことを成し遂げれば、何事にも光がさし込む」ということ。
精神力とは信念のことをいい、確たる目標に対する継続した努力をすれば、
その努力が信念になっていく。そこには、当然に難題が立ち塞がるが、それには
必ず対策がある。そう信じることが信念。ここで、エマソンの次の言葉を引用。
「すべての個人には共通の一つの心がある。各人は、同じものの一つ一つの、
また同じものの全部の入口である。この普遍の精神に触れた人は、実存するもの、
あるいは、行われうることすべてへの仲間入りをした人である。これこそ唯一の、
そして最高の力だからである」 この辺は、中村天風の積極一貫の精神と同じ。
精神ー信念は、自然界が全ての人に贈った要具である。
それを使いさえすれば人生は美しく、光栄に満ちたものになる。
   ▼ 人が知識を得る三つの方法
 ◎ 知識を得るには、科学的方法があり、経験と実験によるわけ。 
 ◎ 二つ目は哲学的方法であり、それは理知による。
 ◎ 三つ目は宗教が用いる神秘的方法もあり、内心的に感知する。 
この三つを組み合わせたときこそ、満足する結果が得られることを著者は見出す。
   ▼ 人生は胸おどる冒険 、苦難は間違った考え方の結果
 「大生命力は実在します!それを生きなさい。人は大生命力のなかの、自覚を
持つポイントです。精神は大生命力の法則、生命が作用する方法、創造のための
大生命力の要具です。それを使いなさい!」そのためのドアは、本人が開けな
ければならない。不快、失敗、不満などの苦痛は、当然なすべきことをしてない
結果に過ぎない。その苦痛は心の使い方を不健全に使っていることを忠告して
いるに過ぎない。その反対に、幸福や裕福や健康や心の平和を、正しく考え、
正しく行なっていることに報いる自然界一流の方法です。 
 ホランドの詩に次のようなものがある。
「天国は、ひと跳びに行けるところではない  登るはしごを建造するのだ
低い地上から、まる天井の空まで― はしごの横木を一つ一つ登っていくのだ」
いかに思うかを学ぶことは、いかに生きるかを知ることだ」と、皆知っている。 
しかし信念の在り方を変えなさいと力説する人たちも、どうすれば、それが
できるかを教える人は、非常に少ない。