つれづれに

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 今日のYoutube

 日馬富士の引退が決まった。 
まさか引退まで追い込まれるとは思っていなかようだ。
これは、あとあとまで尾を引くだろう。三人横綱の共謀に問われるか?
 



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2011年11月30日(水)
3901, 精神力ーその偉大な力  ー2
  ▼ 世界でもっとも重要なもの
著者が言わんとすることは、「原因の世界に住んで努力を続ければ何事も必ず
実現する。成すべきことを成し遂げれば、何事にも光がさし込む」ということ。
精神力とは信念のことをいい、確たる目標に対する継続した努力をすれば、
その努力が信念になっていく。そこには、当然に難題が立ち塞がるが、それには
必ず対策がある。そう信じることが信念。ここで、エマソンの次の言葉を引用。
「すべての個人には共通の一つの心がある。各人は、同じものの一つ一つの、
また同じものの全部の入口である。この普遍の精神に触れた人は、実存するもの、
あるいは、行われうることすべてへの仲間入りをした人である。これこそ唯一の、
そして最高の力だからである」 この辺は、中村天風の積極一貫の精神と同じ。
精神ー信念は、自然界が全ての人に贈った要具である。
それを使いさえすれば人生は美しく、光栄に満ちたものになる。
   ▼ 人が知識を得る三つの方法
 ◎ 知識を得るには、科学的方法があり、経験と実験によるわけ。 
 ◎ 二つ目は哲学的方法であり、それは理知による。
 ◎ 三つ目は宗教が用いる神秘的方法もあり、内心的に感知する。 
この三つを組み合わせたときこそ、満足する結果が得られることを著者は見出す。
   ▼ 人生は胸おどる冒険 、苦難は間違った考え方の結果
 「大生命力は実在します!それを生きなさい。人は大生命力のなかの、自覚を
持つポイントです。精神は大生命力の法則、生命が作用する方法、創造のための
大生命力の要具です。それを使いなさい!」そのためのドアは、本人が開けな
ければならない。不快、失敗、不満などの苦痛は、当然なすべきことをしてない
結果に過ぎない。その苦痛は心の使い方を不健全に使っていることを忠告して
いるに過ぎない。その反対に、幸福や裕福や健康や心の平和を、正しく考え、
正しく行なっていることに報いる自然界一流の方法です。 
 ホランドの詩に次のようなものがある。
「天国は、ひと跳びに行けるところではない  登るはしごを建造するのだ
低い地上から、まる天井の空まで― はしごの横木を一つ一つ登っていくのだ」
いかに思うかを学ぶことは、いかに生きるかを知ることだ」と、皆知っている。 
しかし信念の在り方を変えなさいと力説する人たちも、どうすれば、それが
できるかを教える人は、非常に少ない。

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3536, 沈黙せよ!
2010年11月30日(火)

「語りえぬものからの問いかけ」という東大駒場〔哲学・宗教・芸術〕連続講座ー
《 「言い表せないもの」の詩学 -チュッチェフ『沈黙』の逆説ー沼野充義 》の「沈黙」という詩に、
 思わず息を飲んでしまった。 何か、毎日、自分が書き続けていることを根底から否定されたようである。 
否定されるほどのものも無いことを私が一番知っているから書いているだけだが。
  ーまずは、以下の文と詩からー
【 チュッチェフには「沈黙」と題された詩がある。この詩人は、ドイツ・ロマン主義の影響の色濃い哲学的・
思弁的な作風で知られ、バラティンスキーと並んでロシアにおける思想詩の系譜の一人とみなされている。
「沈黙」も、そういった傾向を代表する彼の初期の代表するチュッチェフ初期の代表作の一つで、ロシア人なら
誰もが知っているほど有名なものです。文豪のトルストイはこの詩に感激し、「なんという驚くべき作品だろう!
これ以上の優れた詩を私は知らない」とまで言ったと伝えられていす。それほど有名で優れた詩であれば、
これまで多くの専門家によって数多くの研究や解釈がなされてきたのも、また当然のこと。 ・・・・・
翻訳で読み、解釈するという作業にはどうしても限界がありますが、そのことを肝に銘じたうえで、
しかしそれでも何かを読み取ることができるかどうか、読解を試みてみましょう。
  ー 沈黙! ー
沈黙せよ、隠れよ、そして隠せ           自分の気持ちも夢も―
魂の深みでそれらは                 夜の星のように黙々と
昇っては沈むことを繰り返しているがよい     それに見惚れ、沈黙せよ!

心はどうしたら自分を言い表すことができるのか   他人にお前のことがどうして理解できようか
お前の生きがいが他人にわかるだろうか       心に思うことも口に出せば嘘になる
泉を掘り返しても、水をかき乱すだけだろう      ただ泉の水を飲み、沈黙せよ!

自分自身の中で生きることだけができればよい    お前の魂の中にはまるまる一つの
神秘的で魔法のような思念の世界がある       その思念を外の騒音がかき消し
昼の光が追い散らしてしまう               それら思念の歌に耳を傾け、沈黙せよ! ……
 ~~
「 ・・・・ 」この詩について、何かを語れといっても・・ 「HP読みながら、いつも思っていた!」
って言わない。 思念公開も面白いもの。 土いじりや、趣味の世界、神への思念に没頭すると、沈黙せ
ざるを得なくなる。 ーつづく
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2009年11月30日(月)
3161,つれづれに ー閑話小題
 * 円高 85円
為替が円高・ドル安に動き出してきた。 それにつれて金の価格もジワリと上がってきている。
年末に向かって周辺も冷え冷えとし、殺伐としてきている。 年末年始は大荒れになるのか、それとも何とか
中小企業特別救済で乗り切れるのか? 公共事業の大幅カット、そしてボーナスの減額、デフレスパイラルによる
不況の深化などで、一日一日と厳しさを感じる。 この上に円高というから、救いようがない。 
社会はますます内向きに成りざるを得ない。
 * 「坂の上の雲」がNHKドラマの初回が放送されたが
「坂之上の雲」が日曜日夜のNHKで数回シリーズのドラマとして放送が始った。 私たちの年代の多くが、
この小説に大きく感化された。 筋立ては、秋山兄弟と正岡子規の生きかたを通して、明治時代の人間像と
時代背景を書いている。 ある意味で、戦後日本人に一番影響を及ぼした歴史小説で、「大きな物語」の典型。 
20歳代の青春時代を思い出しながら、このドラマを見るつもりである。 ただ、小さな物語(個々人の物語)
の時代の現在、大きな違和感も出てくるだろう。 司馬遼太郎が晩年、日本のバブルの狂態をみて、
「自分が、こんな連中の時代のために、小説を書いてきたのではない」と怒っていたのも印象的である。
 * 同じ映画を二度みたのは始めて! 
土曜日にシネマ「2012」を再び観てくる。映画を二回つづけて観るのは初めてである。二回目にみた方
がズシリとくるから凄い。 初回は、世界崩壊のリアルさと、物語の筋たての両方に気持ちがいったが、二回目
は地球崩壊の画面をリアルに観ることに絞って、気持ちを入れて観た。そのため前回には観えなかった画面を
シビアに感じることができた。何で、これだけ引きつけられるのか?といえば、地球規模の破壊スケール。 
南極と北極が入れ替わるというから。 金融恐慌から恐慌への過程の中で、タイミング的にピッタリの内容である。
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2008年11月30日(日)
 2796.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・5
ー 金を追うな、金に追われるような人間になれ ー
【第4の法則】 金を追うな、金に追われるような人間になれ
 「空気人間になれ」
(ゲットーに住むユダヤ人は隙間で生きていかなればならなかった。自分に対する誇り、自尊心が確立されている
から、仕事の体裁などにこだわることはない。チャンスとみれば偏見に囚われずに何でもやる。元手が少なくても、
わずかなチャンスを確実にっかみ、成功に近づいていく。空気のように軽く、どこにでも入っていく。それでいて、
空気のように誰もが必要とする資質を兼ね備えた人間。苦難を空気化した人間、それがルフトメンシュである。)      
                               ユダヤの知人の言葉
*「この仕事で 豊かな気分になることはない
 ただあるのは、どれだけ稼いでも、新しいレベルの 相対的貧困感に苛まれること」 ユダヤ人の知人のコトバ
*「神がお金について どう考えているのかを 知りたいのでしたら、
 どんな人に神が お金を与えたのか を観察してみるといいでしょう」  ドロシー・パーカー
*お金は手段にすぎません。自分が行きたいところには 連れていってくれますが、
*11ポ・ドの金塊よりも、 1オンスのツキのほうが 価値がある」  東欧ユダヤ社会の諺
*「人生は、賢者にとっては 夢であり、 愚か者にとっては ゲームである。
 金持ちにとっては 喜劇であり、 貧乏人にとっては 悲劇である」 ショーレム・アレイヘム
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2007年11月30日(金)
2431, ネット君臨      ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
ネット君臨」-毎日新聞取材班ー(出版・毎日新聞社
                       -読書日記
この本を図書館で見つけ、読んで驚いてしまった。この春先に毎日新聞が連載したものを本にしたものだが、
この連載は大きな社会問題を提起、幾つかの規制の法案ができるキッカケになった。私も政治や、ゼネコン
などの談合に批判を書いているが? 言い方には気をつけなければと自戒させられた。マイナーの人?いや色いろ
な考えの人が見ているのである。それにしても、ネットによる虐めの陰湿さには驚いてしまう。特に「2ちゃんねる
上における、匿名による誹謗・中傷の内容は、人を死に至らしめるほどの内容に満ちている。毎日新聞の連載を
まとめた本だが、ネットのマイナス面に絞っているのも、ネット社会の規制を考える面で、良いこと。
*まずはアマゾンの、この本の紹介文から
 ー内容紹介ー
匿名社会の恐怖、拡大するネット犯罪…。ネット社会の急速な進展は、我々の生活 に便利さや効率をもたらす
一方、さまざまな負の部分を生み出している。ネットは我々をどう変えるのだろうか。また我々はネット社会を
どう築けばいいのか。ネット社会に警鐘を鳴らした毎日新聞取材班の大反響連載「ネット君臨」の書籍化。
本書では、国内最大のネット掲示板2ちゃんねる」に代表される匿名による誹謗・中傷が人々の暮らしに
深刻な影響を与えている実態を現場から報告。「2ちゃんねる」の管理人ひろゆき(西村博之)氏にインタビュー
している。さらに国の政策がインフラ整備に偏り、企業や個人のマネーゲームを生んでいる実態や米国、韓国、
中国のネット犯罪の現場をルポ。
 ー概要ー
マスコミがこれまで殆ど触れてこなかったネットの問題点に真正面から切り込んでいる。難病(拘束型心筋症
の上田さくらちゃん(四歳)がアメリカでの心臓移植をうける費用(約一億三六〇〇万円)を賄うために
さくらちゃんを救う会」が結成され、ボランティアによる募金活動が開始された。
(字数制限のためカット、09年11月30日)
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2006年11月30日(木)
2067, あたりまえなことばかり -18
                      (+>∀<+)ノ おぁはは~ようさん!
人生には、それぞれに相応しい時期がある。その年齢ごとに新しい経験を織り込んでいくのが人生である。
私の中学校のクラスは卒業後も非常に仲がよくて、節目ごとにクラス会を開いていた。地元にボス的な女性がいて、
その都度声を掛け合って20人は集まっていた。卒業後15年ほどしてからは1~2年ごとにクラス会を開いていた。
担任の先生の停年の年には(18年ほど前)、湯沢に一泊した翌日、長岡に帰ってきて、延々と夜半まで三〇数時間
も一緒に飲み続けた。最近までは毎年のように理由をつけては会を開いていた。そこで見えてくるのは、
「歳をとるから老いる」ということではないことである。経験を自分の人生の中で織り込んでしまえば、生きる
ということ、老いることも、むしろ面白く、味わいが深くなる。人生など大したことがないものである。深刻に
考えるだけ馬鹿馬鹿しい。気楽に考えて、その時々を真正面から生きていさえすれば、それでいいんじゃないか! 
ということである。
        ( ^3)~♪よ~よ~それが一番、難しいんじゃないかい!        
 ーーーーーーーーーー
 老いは個人の生を超え  -? 
 ーーーーーーーーーー
老いるほど人生は面白くなるという言い方は、確かに可能である。その歳まで、いったい何をしてきたのかと
訝りたくなるような老人が多い。おそらく何もしてこなかった。摂食、生殖、快楽の追及以外何もしてこなかった。
刺激に反応して、反応したら忘れるといった動物的生存の日々、そういう人々は、したがって老いることを拒む。
動物的生存に価値がある限り、肉体の衰えは価値の喪失以外ではないからだ。老いた自分に価値が認められない。
「老醜」とは正確には自虐的に使われる。逆に、内省を知っている人は美しい。 鏡を内側に持っているからだ。
外に映る鏡の姿が崩れているにしても、ともに崩れる必要がない。若年からの内省の習慣、老いるほどにその姿は
違って見える。内省すること、心の姿を整えること、それが魂の世話をする意味である。歳を重ねると、内省と
回顧が判然としなくなるが、
面白いのは、このとき回顧されているのが自分の人生ではなくなっているということだ。自分の人生を振り返って
その視野に、自分の人生としての人類の人生、すなわち「歴史」が、当たり前のように入ってくるようになる。
内に鏡を所有して生きることの面白さは、その現在の鏡に過去が映っているからだ。
過去とは現在以外ではなく、歴史とは自分以外のものでなかった、と気づかされるのだ。
それが鏡が鏡であることの秘密である。「歴史は鑑である」とは、本来その意味であった。
 ーー  
 母親が80歳の時に、「私の生きた5~6倍前に家康や秀吉が生きていたと思うと、大して昔じゃなかったのね!」
いった言葉は、歴史が鑑であるという意味ではないが、ハッとする言葉であった。 自分の生きた時間と家康の
生きていた時代を対比して感じ取った言葉だからだ。 田中角栄がどうした!と、今では確信を持っていえる
自分がいる。それは自分の人生とは比べようもない実力を持った人も、過ぎ去ってしまえば、ただの悪名高き
犯罪者でしかなかった政治家。その男が活躍していた時、私は学生で、雲の上の人とみていた。いまは、
「何じゃい!戦後バブルの波に浮かんだ泡以上でも 以下でもない男。そしてまだ、その娘が馬鹿丸出しで恥を
さらしているだけ」としか思えないのも、自分が生きてきた 時間の中で、自虐の自分を鑑にしてみるからだろう。
これも長年生きた歪みが、この言葉であるということだ。あと十年経てば70歳、20年経てば80歳である。
これは生きていればの話で、もしそこまで生きていて加齢した自分を 自虐していたとしたら、全く何もして
いなかった人生を嘆いているだけになる。それは現時点でも言えることである。 
   (ノ≧ロ)ノ< いまさら何をいってんだ、ばかやろぉ~~~!!!     (*^ワ^*)i バイバイ
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2005年11月30日(水)
1702, 中学校還暦同期会 -2      nemu(ρ_-)
先日「中学校の還暦同期会とはこんなものだった」という概略を書いた。
今回は還暦から人生を振り返って、感じたことを書く。人生の60代に入り、40数年ぶりの幼馴染に会い
感じたことは「人生の成功とか、失敗は大して変わりはしない」ということだ。(いや、あるか?)        
 *上手くいったという人はそれでよし、
 *上手くいかなかったが、それも自分の責任、悔いはなし、というのもそれでよし。要は、自分の人生の
 受けとめかたである。人生の成功・失敗とは何だろうか?改めて考えてみる必要がある。
 どういう人生であっても、明るくニコニコしていればそれで良いのではないだろうか。 誰にでも悔いが
 あるのが人生である。それに対し、でも生まれてきてよかった!と、心から思えれば良いのではないか?
 そうすると、笑いと感謝さえ失わなけれ、「『ありがとう』を一日、千回いって、その結果として自然の
 笑いが出てくればよい」ということになる。♪~(=^ε^= ) 出席している人は、比較的に恵まれている
 人?のためか、全体として、明るい人が多かった。めでたい席で暗い顔もしていられないのだろうが。
 私が、彼らの気持ちを代弁していうと、「ここまで、人生の良いところを生きてこられて良かった!」
 というのが、偽らざる気持ちだったろう。 年齢に気持ちがついてきてないのが本当のところだろう。 
 人生は短い! 成人式ということだ! (^_^)/~~baybay
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 2004年11月30日(火)
1337, 「自分を活かす極意] 」   ー読書日記 -1
  齋藤スタイル―自分を活かす極意   齋藤 孝 (著)           
書店のエンドでよく斎藤孝の本を見かけたが手にとるだけで買わなかった。いや一度、この著者の本を図書館
から借りてきたが、読まずに返したことがあった。先日、図書館でこの本を見かけ借りてきて速読をしたところ、
内容が濃厚である。斉藤孝の多角的世界を集大成してある。日本語、身体、能力、読書、教育、子ども…。
多彩なテーマを独自のスタイルで語たりかけていて、斎藤ワールドのダイジェストといえる。
対談という形を通して著名な人の意見と議論がより深みを持っている。特に「三色ボールペンで読む日本語」の
ダイジェストの章がよい。赤ペンチェックの言葉が多い。「図化と文章化」「具体的かつ本質的」「エネルギー
を出し続けているが故に、技も必然的に磨かれていく」などもよい。著者は、「勉強でもスポーツ仕事でも、
自分が体験し学んだことは、自分のスタイルとして練り上げ、技化しなければならない」といっている。
齋藤氏の「スタイル」と、ノウハウの集約書である。ー今回は、まずは三色ペンについて書いてみる。数年前に、
三色ボールペンで読む日本語」を図書館から借りてきて目を通したが、ほとんど読まないで返してしまった。 
おそらく他に面白い本があったのだろう。しかし先週の土曜日に、この本を借りてきて再度「三色ペン」の効用
を読んで、4色ペンを買ってきた。
ー著者の勧めの青、緑、赤だけの三色ペンが無く、これに黒の入った4色ペンしかなかったー
まずは買うことによって、実際の効果を確かめたかったのである。
この本では、三色ペンで読書をしながら
・重要な部分を「赤」の線、 ・少し重要な部分は「青」の線、 ・面白いところを「緑」の線、 
で色分けをすることを勧めている。これは取りも直さず20対80法則の、20の区分けをしていることになる。
( 以下、字数の関係でカット 2010年11月30日 )
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2003年11月30日(日)
970, 「遺言川柳」
 UFJ信託銀行が11月25日に単行本「遺言川柳」を発売をした、と新聞やTVで話題になった。
当銀行が「遺言川柳」を募集したところ、約1万2000人から5万通以上の作品が寄せられたという。
せいぜい2000~3000作品」と見込んでいたUFJ信託銀行にとってうれしい誤算だった。そこで
急きょ、出版社からの申し出で「敬老の日」を狙った作品集の発行が決まるなど、「遺言川柳」がちょっと
したブームになっているという。遺言といえば、両親とも、私にとって「有利な遺言」を書いて亡くなった。
遺言は残された子供にとって、その後の人生を左右するほど大きい要素になる。母が亡くなったときは、
さすがに4人の姉に「恨み辛み」をいわれた。それだけ、両親は「家」というものを重んじていたのだ。
両親が亡くなるとき、同居をしていたため情が移っている部分と、末っ子という特殊要因もあった。
 相続は、それぞれの子供に連れ合いがいるから複雑になる。日常でおこる争いの一番の原因になる。
そして生々しい。ー以下の遺言川柳は一つ一つの意味の深さを十二分に実感できる。
 -------
ー特選ー 1作品
・遺書書いて 腕立て伏せを 二十回 (64歳・男性)
 ーー
ー入選ー 5作品
・遺言も 開けてみるまで 宝くじ (25歳・女性)
・情よりも 法が出しゃばる 遺産分け (63歳・女性)
・書き替える たびに痩せゆく 遺産額 (70歳・男性)
・通夜の席 銀行マンが 勢揃い (55歳・不明)
・遺言を 地球が書いて いるらしい (46歳・男性)
  ーーーー
以下は、字数の関係でカット
 2007年11月30日
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2002年11月30日(土) (2)
 596, スーパー床屋は席貸業 -
最近、新潟でも目立つようになってきたスーパー床屋の実体が面白い。日経流通新聞の広告で
フランチャイジーの募集の内容に興味を持った。「経営は理髪師の免許がなくても可能です」どうして?
と思うのは当然である。若い人が既存の店で修行と称してタダ働きに近い状態?を強いられていた職人の
世界である。そのプロセスを踏まないと新規の出店の時に想像を絶する嫌がらせに会うと聞いていた。
誰もが知っているあの日本的馬鹿いや愚かの世界である。関西人がそこに目をつけ、チェーン化を始めた。 
場所貸し業と捉えたのである。スーパー床屋のシステムはその席貸し業に組み替えたシステムである。
この辺の話しは良く解る。オーナーは不動産業なのである。最適な立地の不動産のオーナーと理髪の
フランチャイザーが組む。フランチャイジーはマニュアルどおりにやればよい、タダそれだけでしかない。
席を借りた人は働いただけお金になるのだ。札幌のススキノで飲んで帰るタクシーの運転手さんの話が今でも
忘れられない。深夜のタクシーは倒産した人の最後の砦の世界という。とりあえず、お金がほしい自分達の
必至の金稼ぎの世界である。タクシー会社も深夜の高い人件費を考えると、そのままタクシーを丸投げで
貸したほうが良いという。その応用がこのスーパー床屋の世界なのである。場所貸しで割り切った若い人が
必至に働いてもらった方がいい。若い人で4~50万稼ぐ人がいるとか。都会の既存の床屋はここにきて
大きな落ち込みが始まり、また新規開店が激減したとか。床屋の世界おまえもか!である。そういえば
宅配便の運転手はもっとシビアの世界だ。
 (以下は、字数の関係でカット 2010年11月30日 )