* 51歳の誓い
 人生を変える切掛けになった、カズオ・イシグロの『日の名残り』を読んだ
51歳の時節に、「還暦までの9年間に80歳までの大よそ30年分を圧縮して生きる」
と決心し、実践した。そこで「具体的に、どのように生きたか」を思い返した。
・まずは、捨身で! 目先に面白そうと思えば、迷うことなく決断。常識的な人
 や会合と一線を画す。何故か、その頃、近しくしていた友人・知人が、亡く
 なるか、転勤などで遠ざかっていった。
・その頃、拡大戦略の教えのペガサス・クラブから脱会。拡大路線の見直しに
 入っていた。
・また、意識の重心をパソコンとネット世界に移動することに決心した。
 まず、取引先のパソコンに詳しい人を紹介してもらい、個人HPの開設のための
 基礎の教えを乞うことに。その数年後に自宅近所にパソコン教室がオープン。
 早速、通うことに。その数ヶ月後に、このブログを開設することになる。
・40歳代の10年間に合計10数回、2年に3回の割合で海外ツアーに参加していたが、
 2年で5回近くにアップ。結局、50歳代では20数回、行くことに。40,50歳代で
 40数回、年に2回近くの割合になった。それも、秘境・異郷の難易度を数ランク
 がアップ。
・母親の介護の5年半の間で、子供たち二人が巣立っていった。
死に物狂いで、目先の面白そうなチャンスには躊躇することなく挑むことに。
少し迷うと曽野綾子女史の言葉、<人生の良いところは還暦まで、今を楽しめ」
のキーワードを想い浮べ実行していた。毎日が面白く、楽しく、精一杯の日々。
そしてハッピー還暦を向かえることに。
☆ そういえば、1994年のケニアツアーの同行者の一人が、『父親の介護を
 終え、念願のケニアにきた。万感の想いだ』と涙を浮かべてキリマンジェロ
を見ていた。イスラエルでは60歳の女性が目を血ばらし『2000万の退職金の全て
を毎月のツアーで使い切る予定。働きづめの人生を取り返すの!』と宣っていた。
アフリカ・中近東の一人参加には、深い人生を背負い、思い詰めて来る人が多い。
人生、生きているうち、動けるうち、気力があるうち、笑えるうち、泣けるうち!
追)日々是口実か、結局は自慢話ですか!それも似たようなことを何度も何度も。
 でもね、何度言いたいのが、「楽しんだもの勝ちさ、人生は」。
<エッ、楽しそうに思えない?> <薄汚れているからね、日常に、誰の眼も。> 
 …これを「日々是口実」という。 

――――
「47」ニューカレドニア                2010・8
{46」イングランド                  2008・12
「45」ギリシャ                    2007
「44」北イタリア                   2006・
「43北ケニア                     2005・08
「42」オーストリア                  2004・08
「41」アイスランド                 ー2003・10
「40」アラスカ                    2003・07
「39」パタゴニア                  ー2002・12
「38」スイス                    ー2002・07
「37」西アフりカーコート−ジボアール・ガーナ・ベナントーゴ /02・03
「36」ベトナム                   ー2001・11
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ          ー2001・06
「34」メキシコ                     2001・01
「33]モッロコ                    ー2000・11 
「32」パキスタン・中国                ー2000・06     
「31」シリア・ヨルダン・レバノン            2000・04  
「30」ノルウエー                   ー1999・12 
「29」ケニア                     ー     ・08   
「28」イスラエル                   ー    ・04     
「27」ネパール                      1999 ・02
「26」北インド                    −1998・10   
「25」 北スペイン                    1998・07  
「24」タンザニア・ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原) 1997・12  
「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地)                ・08
「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)        1996・06    
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)     ・02   
「20]南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)1995・10   
「19」ニュージイランド(クウーンズタウン・ミルフォードサウン)ー ・05    
「18」ブラジル(リオのカーニバルイグアスの滝)・  ー   ・02?
「17」ケニヤ(ナクル湖・       )         1994・06 
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  1993・12 
「15」フィジー(コマ島・ )              1992・11
「14」スペイン1周の旅(アンダルシア・アルハンブラ・闘牛) 1991・08  
「13」カナダ・ロッキーの旅              ー ・05
「12」香港クルージング                 1990・07 
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)    ー・04     
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅    1989・12   
「9」 中国(北京・けいりん・上海)          1988.09    
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス           ー  ・06
「7」カナダ・ナイアガラの旅              1987・08 

・・・・・・
2016/06/29
60歳までに、人生を前倒しをしていて!

 70歳を過ぎた現在、「60歳までに人生を前倒しをしていて良かった!」と、
つくづくと思うことしばしば。以下にコピーしたの13年前の文章を読返すと、
1年後に中越地震、その3年後に刈羽柏崎沖地震、4年後の2008年に、リーマン
ショック、更に8年後に東北大震災が、たて続いた。その結果、私も、まさかの
事業整理に至った。 作家の曽野綾子が、「人生の良いところは、60歳まで」
といっていたが、体力も考慮すると、成るほど正しいと実感する。 
 以下の内容を書いて13年間、友人、知人、親族が次々と倒れ、亡くなった。
病に倒れて発する共通の言葉は、「まさか、自分が! これから、ノンビリ
するつもりだったのに!」である。 死に直面した時の恐ろしさと動揺は、
「人生に、やり残した無念」があるため。 とすると、老後の残務整理は、
それを探し、潰していくこと。そうこう考えると、【して失敗した後悔より、
しなかった後悔の方が遥かに大きい】ことになる。 どうだろう?
「してしまった後悔1に対して、しなかった後悔が3」ではないか。
 30年分を10年に圧縮して生きた50歳代は、充実感があって実に面白かった。
60歳代の最大のイベントが、会社整理だったが、3・11もあって、未練も後悔も、
最小になっていた。両親の晩年に同居していたこともあって、「その都度、
計画的に楽しんでおくべし」という、人生の何たるかを、後姿から学んでいた。
この教えを学んで実行していたのは大きい。10年前と、13年前に書いてある
文章を読返してみると、計画通りに、遊び、楽しむ必要性を知っていた。
その時々に、真面目?に学び、楽しみ、遊んでおけ、ということ。
 辛いことも多かったが・・ それも楽しみの内。
――――
2003/06/16
50歳の頃ー1
  −60歳までの人生
 曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。
丁度私が50歳の時であった。50歳で、母親を見送り(亡くなり)人生の
損益分岐点を超えたという思いがあった。あとの人生を如何生きようかという
自分への問いかけをしていた。その翌年、下の子供と家内と3人で南米の
ギアナ高地に出かけた。テーブル・マウンテンのキャンプ場で、夕陽を見ながら
息子と日本酒を飲みながらふと思った、「自分の人生の元は充分にとった」と。
 その時に考えたのは、
曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』なら、それ以降の人生を60歳
までに詰め込んで生きよう!『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」と。
・海外旅行をそれまでに50回行くことー不景気で無理か?
・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう
・好きな事を可能な限りしよう 等、生き方を変えようと。
しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。
その時、母の行き方を見ていたこともあり、まだ解っていないと思っていた。
本当に良いのは60歳からというのを母から教わっていたが、しかし
「60歳以降の前倒しにする決心』は良いと解釈した。 
 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人から人生の秘訣を
教えてもらった。「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。それを前提にし、
そこまでに人生のすべてを燃焼し尽くした。その一つに日本を全てを家内と
娘と3人で回り尽くした。しかし死ななかった。その後は世界にチャレンジを
始めて、ほぼ全てをまわり尽して現在もこうして生きている。短命の家系の
前提がなかったら人生をここまで味わいつくせなかった!」。 深い人生の示唆
であった。「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた
直後であったから、尚のこと心に響いた。あと2年半で、その60歳である。
「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。
元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きる
ことができるのではないだろうか。そして、それまで経験をしたことのない
分野を探し出しチャレンジすることである。その意味では、逆に広い世界に
飛び出せるのではないかと考えている。
 最近、景気後退ー恐慌一歩手前になってきたり、SARSやテロなどで
アフリカや中近東には以前ほど気楽に行けなくなってきた。
この時勢に優雅に海外旅行などともいっていられなくなってきた。
あの時点にやはりギアチェンジをしていて良かったと思っている。
――――
2006/05/23
1876, 10年後に後悔する事とは?
             おはよ〜!(*^ワ^*)i 
あるHPを見ていたら、次の言葉に引きつけられた。
「10年後に後悔しそうなことをリストアップして、それを潰していく
生きかたをする」である。(七田チャイルドの七田真氏と本田某氏の対談)
 私が十年前に考えたことは、   (。-`ω-)ンー
「50代の10年間で60歳以降の人生を全て押し込んで生きる」である。
20~30年間を50歳代の10年間で全て前倒しにする、と。
それがこの程度の変化でしかなかったのか?。 という自問自答は残るが。
現在になって振り返ると、先まわしをして良かったと思っている。
後悔しそうなことを潰していく生き方は消極的に思えるが、
「消極的な生き方(後回しーその大部分は中途半端)が一番後悔する」
とリストアップすれば、逆に積極的な生き方が出来る。  
 想定可能なマイナスをあらかじめ潰すのは、最善の行為と同じか、
それ以上である。後悔することは、その時は気がつかない行為か、判断ミス
が最悪だったということ。 それが想定可能かといえば、可能である。
ということは最善の準備と同じぐらい大事なことになる。
                          (‐”‐;)
ところで10年後に何を後悔するだろう?
一期一会と、何ごとも真摯に立ち向かえば後悔することはないはずだが。
いや10年前に事業で時代の先行きを、より悲観的に読んでいれば
もっとシビアな手が打てたはず。
 ー面白おかしく「10年後の最悪の後悔」をイメージをしてみた?
・酒を飲んで暴れて、家内に愛想をつかれて離婚。
 現在は年金で、何処かの街の安アパートで冷酒を飲みながら懺悔の日々・・
 それでも冷酒を飲んでいるのだから、懺悔にはならないか?-ω-`A) フゥ…
・死んで、この世にいない。誰も、もうこの男のことを憶えていない。
 二人の子供も、あの父親のことだけは思い出したくもないと墓参りもない。
(しかし、自分がいないのだから後悔しようがないか!)                 
脳梗塞で入院しているが、気が短く、毒舌が冴え、
 同室の患者や看護婦から嫌われて自閉症気味。
・考えていたより遥かに、日本という国家の疲弊が酷い状態。
 10年前に海外に思い切って財産や生活の場を代えておけば
 よかったと、毎日の生活の追われる日々。
ありそうな10年後の姿である。より深く時代を読まなくては!
酒にも、病気にも注意しなくては!    
―――
〜2016年6月29日・記
この2年後に、リーマンショックが起きて世界経済は大混乱をした。
その煽りを受けて、3年後に事業清算に至ったが、何とか、それまでの
生活の延長上にある。大病もなく、この随想日記を書き続けている。

・・・・・・
5720,嫌われる勇気~人は変われる
2016年11月12日(土)       
         『嫌われる勇気〜自己啓発の源流「アドラー」の教え』
   * 人は変われる
 都会では目立たない「個人主義」を地方で貫けば、「大変な人」として
忌み嫌われる。「郷に入っては郷に従え」だが、どうしても露見するのが
地方の生きづらさ。これは、そのまま欧米社会と日本社会に、スライドする。
 それでも、31年間、職住分離だったためファジーだった。この二人の
対話、青年と哲人ともども、現在の日々の自己対話に近い。
 更にいえば、これを20歳から続けてきたことになる。
普通の生き方では、世間に押しつぶされたIT(こいつ)になる。  
   
  〜まずは、Amazonの「紹介内容」より
≪・フロイトユングと並び「心理学の三大心理学」と称されるアドラー
 再評価されている。それは、トラウマに象徴される“原因論”の心理学とは
一線を画す“目的論”を唱えたものだ。過去も世界も変えることはできないが、
「自分は変わることができる」とするコペルニクス的転回の心理学を知ることで、
対人関係の悩みも解消されるかも。

アドラーの心理学を、青年と哲人の対話という形式でまとめた本書では、
「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という哲学的な問いに迫る。
「人は変われる」「世界はシンプルである」とする哲人に対し、青年は懐疑的だ。
なぜなら青年は学歴や容姿の劣等感があり、過剰に人の視線が気になってしまう
悩みを抱えているため、哲人の主張が絵空事に聞こえてしまうのだ。
しかし、世界を複雑にしているのは青年自身の主観なのだと哲人は言う。
過去に「トラウマ」という「原因」を見つけて物語的に分析するのがフロイト
心理学だが、アドラー心理学はトラウマ(過去)を明確に否定し、
「いま」の「目的」で考えることを基本としている。

・何年もひきこもっている人が「両親に虐待を受けたから社会に適合できない」と
主張していたとしたら、親は子育てが間違っていたのかと思い悩み、腫れ物に触る
ように子どもを丁重に扱うようになる。これは、自らのトラウマを武器に相手(親)
の注目を集め、支配しようとする働きかけなのだ。ただし、家にひきこもっている
限り自尊心は守られるが、一歩外に出ると誰からも注目されない凡庸な「私」に
なってしまう。ひきこもりの状態に不満もあれば不幸も感じているが、自尊心を
傷つけられることはもっと嫌なこと。これを避けようとする「目的」が、過去の
トラウマに理由付けしているのだ。

・過去の経験が人格形成に及ぼす影響がゼロだというわけではない。
ただし、過去の経験が必ずしも人格を決定するわけでもないのだ。
経験をいかに解釈するかが自らを決定する、というのがアドラー心理学の考え方。
過去を変えることはできない。しかし、経験に対する意味づけや解釈は更新する
ことができる。これが「人は変われる」とするアドラー心理学の前提となっている。

・青年はひねくれた性格であることや自意識過剰という短所ばかりが目につき、
自分のことを好きになれない。これに対し、哲人は「他者との関係のなかで
傷つかないこと」が「目的」となっているため、対人関係に踏み込まない理由
付けとして、自分の短所ばかりに目を向けていると言うのだ。

・孤独や劣等感を感じるのも他者あってこそのものであり、
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とアドラーは断言した。
そして、対人関係の軸に「競争」がある限り、人は悩みから逃れることは
できないとする。「競争」で考えると、他者が敵のように映り、世界が危険な
場所のように感じられてくるからだ。「競争」から解放されることができれば、
他者が「仲間」だと感じられるようになり、世界の見え方は安心できる居場所
へと変わってくるのだという。≫

――
▼ これを平易の問いかけに転換すると、こうなる。
『そこで、まだ、何やってるの! 群れてないで、人のことばかり
  気にしないで、もう少し自分のことを考えたら!』
『何で本を読まないの? 一歩、外に出ないの? 今を遊ばないの?
 果てしない世界の深さと広さを知ろうとしないの? それも今!』
『何で、愚痴ばかり言っている内向きな老人のマイナスから学ばないの?』
 
せっかく与えられた地球上で、何もしないで、何も知らないで、卑近な
物事に拘り、気付いた時には先がないのが人生。あくまで比較の問題だが。

・・・・・・
5355,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー?
2015年11月12日(木)
  * 人生は人性なのだ
 あまりにエゲツナイ内容で、取り上げようか迷ったが、今さらと取上げた。
 大僧正、シバレン、坪内寿夫、梶山と当時の主だったフルメンバーのクセ
 の強い人たちとの交友が出来た島地は、幸せだ。
≪・シマジ: ミツハシはまだまだ甘い。女性は男性と違って、何歳になっても
 セックスが可能だから性の問題は奥深いんだよ。これはずっと昔の話だが、
 八十三歳の松山の老芸者が、来島どっくの坪内寿夫さんに「私はもう二十年
 以上、男さんに抱かれていません。もう長くない命ですから、死ぬまでにもう
 一度抱かれたい。私を抱いてくれる男性を紹介してくれませんか」と懇願した。
 そこで坪内さんは今東光大僧正とシバレン先生に相談した。さすがの大僧正も
「おい、坪内、俺より年上か……。二人して死んじまうぞ」と丁重に断られた。
 シバレン先生も「そりゃ無理だ」となって、二人が顔を見合わせて
「梶山だな」と意見が一致した。そこで梶山さんが呼ばれたわけだ。
・ミツハシ:『赤いダイヤ』や『黒の試走車』を書いた当時の大流行作家の
 梶山季之さんですか?
・シマジ: そう。梶山さんの女好きは規格外の怪物だったからね。
それで、老芸者を坪内さんが経営する奥道後の温泉に入れて、十分に体を
ほぐさせ、梶山さんがお相手を務めたというわけだ。翌朝、大僧正とシバレン
先生が「おい、カジ、昨晩はどうだったんや?」と訊いたら、梶山さんは興奮
気味にこういった。「いやあ、女というのは恐ろしいですね。八十三歳でも
大洪水になって、雄たけびもすごかったです」
・シマジ:ミツハシはまだまだ甘い。女性は男性と違って、何歳になっても
 セックスが可能だから性の問題は奥深いんだよ。≫
▼ こういう毒にも薬にもならない話題は、刺激の少ないボンヤリ生活に
 とって一番。男は、その点、無理なものは無理。
〜達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ」 禅言葉〜
 ・・・・・・
4990,暴走する世間 −6
2014年11月12日(水)
     {暴走する「世間」―世間のオキテを解析する}佐藤 直樹(著)
  * 家族の解体の原因とは
< 日本の「家族」は、世間様の「贈与・互酬の関係」の共同幻想に侵食
 されていて、元もと解体されていた> という論旨は、身近を見れば納得
できる。特に世間に生きる女性の場合、連添いで人生が大きく変るため、
「贈与・互酬の関係」にシビアになり、相手も商品と同じ?ように選定する。  
  ーその辺りからー
≪ 高度消費社会がもたらした「過剰商品化」によって、なぜもかくも、
 やすやすと家族が解体されたのか、それは一部例外を別として、日本には
市場原理に対抗できる近代家族、愛情原理が存在しなかったためである。
この家族の解体に大きな役割を果たしたのが「世間」であった。
その本質は共同幻想だが、ある場合には社会を意味し、ある場合には、
親族や家族を含むという、極めて曖昧な共同幻想である。 世間体が悪い、
という世間とは、「公」であるが、日本では家族もまた「公」と考えられる
ので、ヘーゲルのいう愛情原理で構成される家族と、市場原理で構成される
対立は存在してない。家族は「世間」という共同幻想に侵食されていて、
高度資本主義=高度消費社会によって「解体」されるまでなく、あらかじめ
「世間」によって、解体されていたのである。 ・・(略) 
 日本の夫婦には愛情がないためなのか?たしかに男女の恋愛はない。
恋愛は、個人の存在を前提とし、しかも二人の間が平等であることを前提に
するが、「世間」の中では、男女の間でも「平等な個人」は存在しない。
「世間」には「目上・目下の関係」という差別性原理があって、さまざまな
男女差別は、これから起因しいている。 例えば、夫婦茶碗や夫婦箸が、夫用
が妻のものより大きい。日本では男女間の愛など、もともと信じなかった?
日本の家族愛が建前、「滅私奉公」になっているが、日本の「愛」は、
「贈与・互酬の関係」があるため、どこかで見返りを求める「愛」となる。
日本人は何か親切にすると、「お返し」を求めるから、ボランティアと
行為が、広まらない。≫    
▼「世間」という共同幻想は、知らないうちに、「愛」や、「家族」の
 ベースに大きな影響を与えている。 そこには、「目上・目下の関係」
の差別性原理があって、少しでも弱点をみせると、襲い掛かってくる。
それに動じないためにも、その本質を見極めてないとウツに陥る。
その防御には、ただボ〜ッした「ぼんやり」の時間と、長年かけた教養が
必要になる。家族の解体の流れ、家族、核家族化、個族化は止まることない。
それを暴走する世間が加速させているとすると、ただ事でない事態である。
日本は国家として下り坂になった。
・・・・・・
4623, 閑話小題 ー創業当初の営業担当の年賀欠礼の葉書
2013年11月12日(火)
  * シネマ・人間資金
 シネマの『人間資金』が期待してなかった分、良かった。邦画で90点は、
私としては高評価。内容といえば、「実は噂のM資金が存在しており、
日米の選ばれた人たちで運営されていた。それも人類の発展のためが建前。
日本の戦後の復興資金にも貸し出されていた。しかし米国の責任者が、
それをファンドで、自分たちのために利用しようとし、日本の責任者と
対立する。その一部の資金で情報端末を某国の国民の多くに配布、それが
国民に有意義に使われて、理想像に近い国家になっていた。しかし、
それを良しとしない米国の責任者が、その国を攻撃しようと企らむが、
ギリギリの場面で、国連の壇上で、個々の国民の生の映像が次々と流され、
その企みを阻止する」というストーリー。もっと、欲と欲の中での
生々しいと思っていたが、最後はヒューマンストーリー。
こういうのも、良いのだろう!
  * 創業時の営業担当の、年賀欠礼の葉書
 実務で創業を始めて40年になるが、10年ほど前から次々と年賀欠礼
葉書が届くようになった。昨日は、35年前に実家の商業ビルを建替えた
淺沼組の新潟営業所長だった牧野さんの奥さんから、年賀欠礼の葉書が届いた。
3ヶ月前の8月2日に、74歳で死亡、とあった。長岡のビル建設の後、
新潟駅前ホテルを三棟、合計四棟を営業責任者として直接の交渉担当者として
やりあった相手。 酒好きで、重症のアル中。 一時、二千万の酒代のツケが
あるといっていた。ゼネコンの営業は、会社の上司と、施主、現場責任者、
下請けなどに挟まれた軋轢があって、殆どがアル中になるか、ガンでの
壮絶死が待っている、と言われる世界。一緒に飲む分には、これほど面白い
相手はいないヤクザな役割。3〜4年前に、以前の会社の事務所に10年
ぶりに訪ねてきた時には、以前の面影は無く別人のような顔つき。
「ガンが進行していて、長期間、何度も入院、いつ何時、お迎えが来るかも
しれない」と、深刻な顔。互いに、これが最期と別れた。 勿論、そんな
ことは、口に出さないが。 私も、この人との付き合いで、酒浸りの日々が
続いたことがある。逆に、「あれだけ飲んで、74齢まで、生きていたもの!」
というほど、酒浸り。 ところで長岡も含めた事業の当初の親しくなった
営業担当が、半分近く亡くなっている。朝広の五十嵐さん、新潟デザイン
センターの阿部さん、マルヒロ不動産の後藤さん、富士総業の小竹さん、
と次つぎと顔が浮かぶ。亡くなる順番は、来るまで誰もわからない。
全てが夢幻の宴の仲間。辛さ三割、面白さ七割、だった。ご冥福を!
・・・・・・
4258, しまった!  ー7
2012年11月12日(月)                   
         「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン著
  * 状況は「偉大な杖」の如しーしまった!
 私たちは目先の出来事(現象)に、惑わされてしまう。大部分の人は、
目先の周りばかりみて長期的見方をしようとしない。それをするには考え
なければならないが、本質など見知りたくないのである。出来るのは、
他人の表面を見ることだけ。そういう私も同じだが、そのことを自覚して
いると思い込んでいるだけ、タチが悪い。 
   ーその辺りを要約してみるー
≪ 日常の出来事を認知するうえで私たちがいかに「状況」に頼っている
 かである。 状況は偉大な杖だ。私たちは自覚しているよりもはるかに
この杖に頼っている。ハロウィーンの時期に事件があると(ろくに考えも
しないで)ハロウィーンに関係があると思いこむ。たいがいはそのとおりだ。
しかし、そうでないことも多々ある。街角で首吊り自殺が実際にあっても、
ハロウィンの飾りの一つと見てしまう。スキムという法則がある。
情報の表面的理解のことだ。これはベテランの投資家や、音楽家などで
多く見られる。人は得意の分野ほどウッカリミスのスキムしがちになる。
特に集団が暗示にかかった時など、それに大きく左右される。
日本のバブルと崩壊が、その典型的事例である。それを悪用したのが
証券会社。現在、アメリカの金融工学とかで世界中に不良債権をばら
撒き、恐慌一歩手前の金融危機を向かえている。世界の金融機関が状況に
騙されたのだ。ある実験で、催眠中に暗示を与えられ気分が楽くなった人と、
悲くなった人が、それぞれ以下の物語を聞かせた。
【 二人の大学生が仲良くなり、テニスを楽しんでいる。一人は何をしても
 うまくいく楽観論者、もう一人は、何をしてもうまくいかない悲観論者。
後催眠をかけられた被験者たちは、物語を読み終えた時、主役は誰かと
問われた。すると、楽しい気分の人たちは楽観論者に、悲しい気分の人は
悲観論者を主役と感じた方が多かった。】
これが人間。 ≫
▼「幸福な記憶は、幸せなときこそ鮮明によみがえる」のである。
 だから貧してはならない。貧すれば鈍するになる。人は、あまりに
目先の状況に対して隙だらけ。だから考えなければならない。
自ら省みて、考え足らずを思い知らされる。
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3883, 無知蒙昧が老いると、無知老害! ですか
2011年11月12日(土)
 「無知蒙昧」が歳をとると「無知老害」になるというが、成るほど老いて、
つくづく実感する。何事も知っていると知らないとでは天地ほどの開きが
出てきて当然である。それが自覚出来ないのが人間の儚さ。それでも情報機器
の飛躍的進化で私たちは、情報(知ること)が無限に近く入手可能になっている。
とはいえ情報蓄積と、分析と加工のベースがないと、情報が、そのまま通過する。 
知識の蓄積と知恵への変換の基礎教養が必要になる。そのため己の無知蒙昧を
自覚するのが、第一歩。「無知の涙」という死刑囚の執筆があるが、
これは万人の姿。人生を精一杯生きるほど、自分の限界線が鮮明に見えてくる。
何度か極限を見えたことがある。その先は何とか意識的狂気で乗り越えた。
事故死をしたレーサーの名言がある。「誰もが極限まではやる。問題は極限
の先を何処までやるかだ」と。限界を超えようとすることを狂気という。
自分の正気は小さな限界を示している。狂気こそが、その限界を破壊する。 
正気の世界のみで生きている人たちこそ、蔑視に値する人としてみると、
成るほど合点がいく。自分の現在だからである。正気の世界のみで生きた人生
こそ「正気の沙汰」の人生になる。「若気の至りがない人生こそ、若気の至り」
も同じこと。「若気」こそ、人生のヒントが隠されている。この言葉から
「老気」という造語?が浮かぶ。 歳相応の「老気」も悪くはないが、人生
を旅路とすると、最期まで旅そのものを楽しむ「若気」は失わない方が良い。
私たちは、あまりに人生を無意味に生きている。それもこれも、死んで
しまえば皆同じ、と思えれば良いが、心は足りなかった部分にいく。 
それが無知老害になっていく。これ、顔に出るから恐ろしい! 
最近、鏡を見るのが恐ろしい? 
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3518, 不況景色とは、こんなもの? −2
 2010年11月12日(金)
 これまで何度も書いてきたことだが、日ごと娑婆が留まることなく冷え
込んでいると実感。「来年2011年から2012年にかけて世界も日本も大きな節目」
と仮説を立てると、現在の深刻度がはっきり見えてくる。二年前、アメリ
のプライムローンの債権ばらまきから発した金融恐慌が、本格的に世界経済を
大混乱に陥る時期である。1929年に始った恐慌も大波は3〜4年後の1932年〜
33年度にきている。その一番の大波がまず日本に来る。
アメリカの軍事・金融属国の宿命で、当然といえば当然。悪いことに、
その時期が団塊の世代が大方、年金生活に入る時期に重なる。その引き当て
財源の多くがアメリカ国債などに化けている。 それが表面化すると一挙に
円高から円安に転換し、5〜10年かけて300円まで下がると予測される。
あと数年で国家予算すら組めなくなり、国家の信用失墜となり、長期金利
上昇をもたらす。不動産は底抜けし、株は暴落、ハイパーインフレが吹き荒れる。
日本がG8の中で最初にデフォルトを起こし、IMFの管理国家として悲哀を
味わうことになる。これが近未来に起こる大波の現象である。現在は、まだ
預金が1400兆円あるというが、それらはハイパーインフレで価値が激減する。 
一部の資産家は金の現物か、香港、カナダか、オーストラリアの国債に替える
等の避難をするが、一般人は丸裸に近い状態というイメージがわく。 
この5年間の年替わりの政権たらいまわしをしてきたツケが、今後10年の間、
さらに低落に拍車をかける。日本の政治システムが激変に対応できない。 
これらを考えると悲観的になってしまうが、これが現実。割り切るしかない。 
これも情報化社会の到来による劇的変化の一現象でしかない。
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3143,プロ野球の順位予測と結果
 2009年11月12日(木)
毎年、毎日新聞の「記者の目」のコーナーで、スポーツ記者10人による
プロ野球の順位予測が、開幕前に取上げられる。それぞれのリーグに5人
ずつの記者が予測するが、その平均予測順位はセリーグ、巨人、中日、阪神
広島、ヤクルト、横浜。結果が巨人、中日、ヤクルト、阪神、広島、横浜。 
ヤクルト5位の予測が3位に入れ替わっただけだから、良しとしなければ。
しかしパリーグが惨敗で、予測平均は西武、ロッテ、日本ハムオリックス
ソフトバンク楽天。 そして結果は日ハム、楽天ソフトバンク、西武、
ロッテ、オリックスというから惨憺たるもの。特に西武が完全に外れ。
その原因はコーチの大久保と、黒江が抜けてチーム全体が緩んだことを
上げていた。さっそく大久保の現場復帰が決定された人事が発表された。 
それと楽天を最下位に5人中3人が予測していたから、これまた大きな
外れといってよい。一位日ハムを予測した者は誰もなく、二位楽天も一人も
予測する者は無かった。野球はチームプレーで、チョッとしたコーチの
配置で、結果が変わってくる。だから、面白いのだろう。