ー幸せの確率 あなたにもできる!  
               アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著)
   * 地位財・非地位財
        〜幸せになる近道は「非地位財」の追求
 会社清算の結果、「地位財」を無くしたが、「非地位財」が行蔵として残った。 
この感覚は、解りやすくいうと、充実感、達成感の手ごたえで、第三者からは
窺い知れないこと。趣味で手造りのヨットを完成し、世界一周をすれば、目的は
プロセスと満足感。 最後に遭難をして全て失ったも、悔いがないのと同じ。
  〜その辺りの、簡潔な洞察が面白い〜
≪ 幸福について、「持続性」という観点からもう少し考えてみましょう。
 経済学者のロバート・フランク
・周囲との比較で満足を得るものを「地位財」、
・他人との相対比較とは関係なく幸せが得られるものを「非地位財」と整理。

「地位財」の具体例は、所得や貯蓄、役職などの社会的地位、家やクルマなどの
物的財。一方の「非地位財」は、健康、自由、愛情などです。この2つの違いに
ついて、心理学者のダニエル・ネトルは著書『目からウロコの幸福学』で、
「幸福の持続性が異なる」と論じています。図では「結婚」が両者の間にある。
 これは「結婚」が、「他人に自慢できる配偶者」「家庭を持っているという
社会的ステータス」という意味では地位財であり、「パートナーとの絆」
「家族への無償の愛、つながり」という意味では非地位財だからです。

重要なのは、地位財による幸福は長続きしないのに対し、非地位財による幸福
は長続きする、という点です。「少しでも年収を上げたい」は地位財の獲得を
目指す志向ですが、それでは幸福が持続しません。

それなのに、なぜ人はついつい地位財の獲得に走ってしまう。〔目の前に
ぶらさがった具体的な餌に飛びついてしまう〕のでしょうか。フランクは、
人間は自然淘汰に勝ち残って進化してきた生物だから、と説明しました。
子孫を残すために重要なのは「競争に打ち勝つこと」。だから人間は、競争に
勝つと嬉しくなるようにできている。そのため、他人との比較優位に立てる
「地位財の獲得」を目指してしまう。

しかし現代社会では、生存競争にそこまで躍起になる必要はありません。
平均年収を超える程度までは「地位財」を目指し、それ以降は幸福の持続性が
高い「非地位財」を追求するのが、幸福をつかむ近道かもしれません。 ≫


▼ とすると、本来は、地位財を非地位財に交換するのが目的だったため、
 結果は何であれ非地位財以上?の何かを手に入れたため、サバサバできている。
5年半にかけ、アルツハイマーの母親を看送った51歳から、還暦まで、好きなこと
を遣り尽くすと決心、10年近く捨身で生きた。その時が、非地位財を、さらに
昇華させ消しさっていたことになる。その後、10年少し経ったが、地球の生活が
ますます面白くなっている。いい歳をして、意固地になり、肩肘を張り、比較地獄に
汲々としている「世間人」が可愛らしくもある。その最たる者が内なる化物だが… 

〜ところで、8年前に日本文理が、決勝戦に進出していた〜 
さらに、5年前にはトランプの本を読み書評までしていた。ったく!
 以下、参照… 

・・・ ――
3063,閑話小題 
2009年08月24日(月)
  * 日本文理高校が決勝だと 
日本文理高校が、あれよあれよという間に決勝戦まできた。
国体開催の一月前ということもあり是非とも優勝をしてほしいもの。
今日は県内は大きな盛り上がりになるはず。昨日は県岐阜には勝てないと
踏んでいたが、まさか勝つとは。過去に準々決勝が最高だったから、新潟県
にとっては大快挙である。地元の予選では対戦相手とは段違いの力だったが、
ここまで来るとは思ってもいなかった。彼らナインも監督も同じだろう。 
新潟県は、このところ二度の大地震が続き、景気も最悪の事態の上に、
この天候で稲作も期待できない。優勝でもしたら国体までのつなぎになる。
たまたま今日は飲み会が入っているので、酒の味が美味くなる。
   * 新インフルエンザの恐怖
 商売が商売だけに、この新インフルエンザで日本中に蔓延した最悪の事態も
考えなくてはならない。半年も客が誰も泊まらないこともありうること。
そうすると「  」 考えても仕方がないことだが、現実に有りえることである。 
この恐慌?の中で、更に日本経済は壊滅状態。特に地方経済は体力が消耗して
いるので深刻の事態になる。ビジネスホテルは直撃を受ける。新潟国体の特需
を計算に入れていたので、もし大幅の縮小となると大問題になる。困ったもの。
支配人の近所の親しくしている家の子息が新インフルエンザになったとか。
タミフルを飲んでホボ直ったというが、現実に身近に感染者が出てきたのである。
 お盆で海外旅行から持ち帰った菌と、帰省などの国内旅行でばら撒かれた菌が、
10日の潜伏後で表面化する。更に来週から学校が始ると、密室の教室内で大蔓延
するのは火を見るよりあきらか。一ヵ月後には、日本中が新インフルエンザで
大問題になっている可能性が大である。新潟国体の縮小も充分に有りうること。 
これからは一日一日が、スリルとサスペンスの日々になる!  
そうこう考えると、恐慌も重なった大津波の本体が押し寄せてきたというのか。 
数ヶ月先も読めなくなってきたが、それが日本の現実か。 高校野球の優勝か
どうかより、直撃を受ける本体、大問題である。不安と不機嫌の日々がつづく。 
・・・・・・
4168, あなたが大金持ちではない10の理由
2012年08月24日(金)
     「あなたが大金持ちではない10の理由」ドナルド・トランプ著 
 アマゾン内のネットサーフィンで見つけた不動産王ドナルド・トランプの著
「あなたが大金持ちではない10の理由」が面白い。
耳が痛いが・・ まず基本的な考えは「お金持ちになりたいなら、
お金を持つ前からお金持ちのように思考しなくてはならない」である。
まず金持ちであるかのように考え振舞うことから始めよ、である。
そう振舞ってもダメなのはダメだが・・・
  ー「あなたが大金持ちではない10の理由」ーとは
? 休みをとらなくちゃいけない・・・と思っている
 「休みをとりたいなぁ」と思ったらその仕事はあなたに合っていない。 
  まず自分が好きになる仕事を選ばなくては!
? 睡眠とらなくちゃ・・・と思っている
 著者は一日4時間しか寝ない(午前1時〜午前5時)。
 寝る間を惜しむほど仕事に打ち込むことが基本。
? 集中力に欠けている
 「私は相手が二、三語話しただけで次に何を話すかがわかる。
  それが出来れば会話をリードできる」 相手に集中する能力。
? テクノロジーに頼り過ぎ
 メールでは感情を伝えられない。電話したり、直接相手に会うこと。
? 相手の期待値を考慮していない賞賛や驚きは相手の期待値により変わる。 
  相手の期待を知って初めて効果があがる。
? 仲間に頼りすぎている
 最後は一人。「どんなことでも自分でできる!」と思い、自分でやるべきこと
 をやらなくては何も進まない。人に頼りすぎると仕事の遂行が遅くなってしまう。
? 成功グセをつけていない
 一つの成功は次の成功を呼び込む。まず実際に行動を起こし何かを成し遂げる。
 著者は「彼の触ったものは黄金に変わる」評判がある。
? 意思決定がいいかげん
 「意思決定は恋人を決めるときと同じように」。 多くの人が意思決定を
 「一目ぼれ」のように扱っていることを嘆く。会議で他人の意見を聞くのは
 「あの子のことをどう思う?」と聞いているのと同じ。意見を聞きつつ、
  注意深く意思決定を進めること。
? 家族とうまくいっていない。
 家族はもっとも重要。 家族と良い関係が、基本中の基本。
? 好奇心をもっていない
 成功者は何にでも興味を持つ。興味はイノベーションにつながり、
成功の鍵。起きていることすべてに興味を持つこと。
 ▼ 今さら金持ち云々など、関係ないが、それでも道理は面白い。
上手くいっている人は上記はクリアーしている。会社を創業し軌道に乗せるに、
ほぼ上記をカバーしないと不可能だが、それも震災ひとつで、パーである。
  お金は、お金を意識しないで済む程度が一番よいという。年齢にもよるが、
一般的に100万ドルか、一億円が目安。
・・・・・・
3803, 哲学人 ー?
2011年08月24日(水)
 ここでもテーマにした吉本隆明の「共同幻想」という言葉がある。
その典型が国家である。その元になっているのが、ウパニシャッドといわれる。 
また信長が好んで舞ったといわれる部分の敦盛の歌詞
《 思へばこの世は常の住み家にあらず 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほ
 あやし 金谷に花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる 南楼の月を
弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり 人間五十年、下天のうちを
比ぶれば、夢幻の如くなり  一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・・》 
所詮は、幻想のようは儚い一生を鳥瞰した歌詞。
   マギーは、ウパニシャッドを簡潔にまとめてあり、分かりやすい。
  * ウパニシャッドとは   ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
【 15、6歳のころ、世界の偉大な宗教の経典を集めた「世界の聖典]という
 本を学校の図書館で見つけ、好奇心から読んでみた。この本の中で、唯一、
私の想像力を心底かき立てたのが『ウパニシャッド』だった。驚いたことに
次のような記述があった。「ー人間の知識と経験の全領域はイメージだけで成り
立っており、そのイメージは流動的であって、永遠不変の存在を持たないのだが、
 それに対して実在する現実は、永遠に存在するものであるけれども、我々は
直接それを知ることができず、それを明確に把握することもできないー」。 
私は自分の考えが目の前のページに、それも数千年前の昔の書物に載っている
のを見て愕然とした。そこには、さらに、私の思いもつかない説明まで書かれて
いた。それによれば、「私たちの心には無数の多様なイメージが浮かぶが、
そのイメージを去来させているのは、個々とのイメージと同数の、直接触れる
ことのできない対応物ではなく、あるひとつの大きなものである。
 私たちは個人として生まれたときから分化し、死ぬと再びそこにとけこむ。
突きつめると、実際には、その大きなものしかない。互いに相容れることなく
個々に分離しているのは、イメージだけである。また、イメージはあくまで
イメージであって、主観的ではかないものである以上、そしてとくに、人間には
生来、イメージを独立して存在する事物と混同する傾向がある以上、イメージを
 幻想とみなすのは、しかるべき理由があることになる。分離した個々の事物、
人間を含む個々のあらゆる事物は、してみると現像ということになる。現実には
万物はひとつである。」… 私には、この見解は確認できないように感じられた
のである。たとえこれが真理であったとしても、そのことを知るすべが見当たら
なかった。 とはいえ、この見解は、ある重大な事実を痛感させてくれた。
私は自分でも気づかぬうちに、ー存在しているものは基本的に私たちの考えて
いることに「似ている」、すなわち多種多様なものが存在していると想定して
いたーのだが、この想定には根拠がないことが明らかになった。考えてみれば
確かに、現実の本当の姿はどういうものかをめぐるいかなる意見にも根拠が
ないように思われる。】
▼ 過去を振り返ると、実際あの時の経験は記憶とていて残っている。
 その対象も物理的に残っているものもある。しかし時間は、記憶も、物理的
残存しているものも、容赦なく変えてしまう。そうすると、残っているのは
イメージである。そうこう考えると、ブラフマンの存在こそ、そこから発生し、
そこに戻っていくという考えに、ついつい・・・夢幻でしか!と。
恋愛など、性欲がつくりあげたイメージのダンスでしかない。
ダンスが終わったら・・・ 類推は、いくらでも出てくる。
  ・・・・・・・
3438, 腰痛について
2010年08月24日(火)
 腰痛について何度か書いたことがある。《下にコピー》去年にも二回
書いている。そういえばこの一年、日常的な腰の重みはあっても、顔をしかめる
ほどの腰痛はない。一年間何もないのは近年には記憶がない。低反発マットと、
海老反りマシーンによる背筋伸ばしと、立振動のバイブレーション・マシーン効果
がでているようだ。四足だったサルの祖先を持つ人間が、両足で立って歩くように
なったのが、腰痛の原因。特にディスクワークで椅子に座る時間が長い人とか、
立ち仕事の過剰が腰に負担をかけるのが原因。
  日常的に心がけることは、
・なるべく歩くように心がけること(一日1万歩を目安にする)、
・普段の姿勢で胸を広げアゴをひいて頭を背骨に上に置くようにし、
・前かがみの時は、屈まないようにして膝を曲げるように心がけ、
 ものを拾うときは、腰から上は立てたまま膝を曲げる。
・右手でものを拾うときは、反対の左足を必ず前にだすこと
・電車の座席や、喫茶店、居酒屋で座席に座る時に、足を組まないこと
・腰の冷えに充分気をつけること、また夏の冷い飲物の過剰摂取による
 内臓の冷えも危険
・常に自分は腰痛持ちであることを意識をし、腰痛を目覚めさせないように、
 注意をすること
・季節の変わり目には、腰痛になる前から腰痛ベルトを事前にすること 
 などなど、ある。
腰痛と、嫁姑問題は、人類の永遠のテーマのようだが、予防の習慣で、
ある程度は押さえ込むことは可能。腰痛の御かげで、早朝の散歩の習慣を
25年間も続けることも出来たし、姿勢は良くなった。その結果、全身の血の
巡りは良くなった。 まずは嫌わないで腰痛と仲良くすること。

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2698, 閑話小題
2008年08月24日(日)
 *大曲の花火
昨夜は、秋田の大曲の花火をNHkのハイビジョンでみた。
この数年の年中行事の一つになっている。電気を消した見ていると、自分が
土手で見ている気分になる。プロの花火師の評論が面白い。花火には「菊」と、
「牡丹」の形があるとか。 丸い花火は割りものとか、云々。
大曲は、日本中のプロの花火師が競う競技大会。 その結果が公表される。
開くタイミング 10点、 開き具合 30点  色彩および配色 30点  
技術 30点 の比率で評価される。
地元の長岡の花火も良いが、大曲の方が華やかで規模(数)が大きい。
 〜〜
 *日本野球がオリンピックで敗れた訳
日本が、良いところがないまま、敗退してしまった。結果論からいうと、
星野監督の選定ミスである現役を退いて何年もたった監督と、コーチでは勝負勘
が全く無くなっている。せめて副監督として古田元ヤクルト監督をつけておく
べきで、御友達感覚の監督、コーチで勝てるわけがない。選手が、星野監督
コーチの前で、すくんでしまって実力を発揮できなかった、ということ。
更にG.G佐藤の二回の大エラーも、水を大きく指した。本人の一生の傷になる。
数年間は針の筵だろう。ニュースに流れた日本人の観客のヤジ
「御前ら、日本の野球はこんなものだったのか?」も厳しいが、それくらい星野
には良いだろう。 あまりにプロ野球の監督とし鮮やかな辞め方をしたのだから。
それより、あの二年前のワールド・ベースボール、あれは劇的過ぎただけ。
ただ星野は、酷かった。 人生は、こんなものだろう、 所詮は!+−ゼロ。
 〜〜
 *オリンピックが終わるか
これまでは、あまりオリンピックは見ないが、時差のあまりない北京で行われた
ことと、お盆を跨いでいたこともあり、これだけ見るのも珍しい。といって決勝
進出と、注目された試合だけだが。前回の三分の二の金メダルだったが、こんな
ものだろう。テロによる混乱も無く、まあ無事終了のようだが・・
中国にとっては大成功のオリンピックとは言えないが、そこそこ(65点)だった。
独裁国家がオリンピックを開催すると、何年後かに独裁体制が崩壊するのは、
ナチのドイツとソ連の崩壊から推測出来る。これから10年間は、大きな試練が
待っている。上海の万博まで持つだろうが、火はついたことは間違い。
・・・・・・・・・・
2007年08月24日(金)
2334, 離人症体験       オハ…YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+
ある本の中の「離人症」の経験者の話に目が釘付けになった。
私の最も好きな内容だからである。そこでネット辞書で調べてみた。
 ーー
離人症とは、自分が自分の精神過程または身体から離れて外部の観察者に
 なったかのような自己の知覚または体験の変化」と定義される。
離人感は深刻な感覚の歪みがあらわれる。例えば、世界が霧か煙を通すように
 ぼやけて見えるとか、声が遠方からのように聞こえます。ガラスの檻に閉じ
 込められ、それにより「現実の」世界から切り離されている感覚。具体的には、
 自分が存在する実感がない、自分が見知らぬ人間であるように感じる、 
 自分が生きている感じがしない、などがある。
・身体に関する訴えとして、自分の体が死体・ロボットのように感じる、
 自分の体の実感がない、自分の体が大きく・小さく感じる、などがある。
・また、行動する自我とそれを観察する自我の分離があり、自分の行動を
 離れたところから自分が観察するという感覚がしばしば起きる。このような
 分離は、心の中での果てしない自問自答、堂々めぐりと体験されたり、 
 自分の体から自分が抜け出す経験(体外離脱体験)と感じられることもある。 
 トランス状態にあるような様相を呈することもある。
・自分以外の人間は自分の体験を真剣に取り上げてくれないと嘆き、これらは
 心的外傷に深い関連があり、自傷行為や自殺企図もある。
 ーー
以上だが、その中で体外離脱体験もあるようだ。私自身、色いろな体外離脱や
パニックに陥ったことが度々あった。この「離人症経験」とは違うプロセスで
体外離脱体験になったのである。 人生の大きな変わり目とか、厳しい秘境旅行
の帰りの飛行機の中とか、大きなストレス状態の時などに生じるところが似ている。
過去の随想日記に、そのことを幾つか書いてきたが、離人体験とは少し違う。
(後記の数年前の文章を貼り付けた中に、偶然に夢について書いてあった。)
一番近いのが、ある旅行からの帰りの飛行機の中での恐怖パニック体験。
(何度か書いたことがあるが・・・)秘境旅行の帰り、ホッとして眠っていた
ところ夢をみた。自分が地上からフワフワと風船のように浮遊して、空に舞い
上がっていく。みるみる電信柱を越え、空に上がっていく。「これは危ない、
地上に戻らないと!」と、本能的に夢から我に帰ったところ、そこは地上では
なく空中を飛行中。戻るはずの地べたがないのである。
空中から地上に帰ったはずの自分が、逆に更に高い空中を飛んでいるのである。
それも自分が1000キロの速度で飛んでいる実感がしたのである。
飛行機も、周囲の人も消えて、独り空を超高速で飛んでいるのである。
恐怖で失神?なんてものではない! このような特異の恐怖体験をした人は世界
広といえ、殆どいないだろうと、パニックが収まった時に頭に浮かんだ。
(実際は多くいるだろうが、特異という意味で・・・)
バンジーで二回飛び降りているが、落下時の恐怖より恐ろしい?瞬間だった。
その落下としても垂直に空中を飛んだ経験があるから、実感できたのだろう。
数分は続いただろうから、よく心臓が止まらなかったものである。離人体験の
恐怖を語っているブログがあったが。その類の知識のない子供が、自分が自分
から抜け出た感覚は本当に恐ろしいのは解るような気がする。 離人症という
病があるとは、知らなかったが、欝になり、落ち込んでいる心理状態は、正に
これじゃないか? 「ものみのとう」とかいう、あのカルト集団、あれも集団
離人症候群じゃないかい?
{娑婆を「物見の塔」から見下して、あの集団で修行すれば、千年後に奇跡が
あらわれ、キリスト様と出会い・・}それも、幸せな集団離人症ということ?