* 「ん〜 ったく、もう!」
 今さっきのことである。このテーマ日記を書きあげて、アップをしようと
したが、以前書いていたのでは?と、HP内検索をかけると、2年前に、5回に
わたって書いてあった。酷似したテーマで、時々、書くことがあるが… 
で、急遽、下記のテーマを書いた次第。 この程度の拙い文章でも、
全エネルギーを投入しなければ完成不能。「ん〜 ったく、もう!」である。

   *「東京都知事選」から一年ですか!
 さてと、書上げた今日のテーマ日記に過去分の文章をコピペをしようと、
みると、去年の以下の文章が目に入ってきた。成るほど、その後の経過を鑑み、
読み返してみると、色いろ考えさせられる。魑魅魍魎の利権団体の自民党基盤を
叩き壊しただけでも小池知事の選出が正解か。とすると、「東京オリンピック
備えた、地味の増田」の当時の判断は間違えていた? これも実際のところ、
分からない。安倍政権の現状が続くと、「国政からの根本的改革のため、小池
都知事を首相に!」になる可能性も出てくる。舛添前知事、前々都知事
猪瀬直樹を考えると、利権団体に丸め込まれていたイメージしか沸いてこない。
小池知事もポピュリズムでしかない? 「ポピュリズム」をネット検索すると、
ポピュリズムとは、一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、
大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しよう
とする政治思想、または政治姿勢のこと】とある。
現状の一部勝組の利権団体の自民党保守派が牛耳る体制に対抗するために必要
だが、国家間の力バランスに対抗するにはマイナーにもなる。それにしても、
時の権力者は、好い加減なもの。国も地方も、妄信しないこと。最後の最後は、
吾身は私しかまもれない。ポピュリズムの結末は、北アフリカ、中東の民主化
運動を見れば、妄想でしかないことも事実。8〜9割の人の気分に迎合にも
無理がある。

・・・・・・
5609,閑話小題 〜「東京都知事選」談義
2016年07月24日(日)
   * 「東京都知事選」談義
  都知事選が面白い。 ネットニュースでは、
≪ 産経新聞社とFNNが16、17両日、全国を対象に実施した
 合同世論調査で、東京都知事選(31日投開票)についても聞いた。
都知事にふさわしいと思う人」は、元防衛相の小池百合子(64)が最多。
 ジャーナリストの鳥越俊太郎(76)=民進、共産、社民、生活推薦=と、
 元総務相増田寛也(64)=自民、公明、日こ推薦=が続いた。≫
消去法からして、まず鳥越は論外。4度のガン手術経験からして進行ガン。
これは、例えると、死刑前の仮出所の身。健常者の数倍の再発の可能性がある。
「何が都知事か」は、誰の目にも明らか。不健全な身体には不健全の判断が
纏わりつく。しかし、都民は、感覚だけで選ぶから、何が起きるか分からない。
それも政治経験ゼロなら、何をか言わんや。 東京オリンピックを考えると、
増田だが、ポチのイメージが強い。すると勝つのは小池と思うが、どうだろう。
 このところ欧米世界は、女性がトップの座に就いている。英国はメイ首相。
米国は、大統領候補クリントン氏が有利。フランスでは極右のルペンが首相の
座を狙っており、ドイツの現首相がメルケン。米国経済界の女性トップは、
イエレンFRB議長である。ローマで市長選が行われ、ラッジが当選。
この流れからし東京都知事も、小池氏? ロシア、中国は、組み易しと
喜んでいるだろうが。一時代前には考えられない現象である。
「私に判断しろ」というなら、東京オリンピックに備え、地味の増田。

・・・・・・
5244,他諺の空似 〜ことわざ人類学 〜?
2015年07月24日(金)
             『他諺の空似 〜ことわざ人類学』米原万理著
   * 寄らば大樹の陰 
 下ネタや、以下のようなグローバルのネタは、悲しいかな、地方では書籍
でしか知る機会がない。ロシア、それも極東は、アメリカ開拓時に酷似して
いるのだろう。 何事も現場に行くと、思いとは違った世界が見えてくるもの。
≪ 六年ほど前、大学の先輩で長年某老舗商社の名物社員だったMさんの送別会
がもたれたことがある。「何を今更、商社員に海外出張や海外赴任は日常茶飯で
しょうが。どうせ飲み会の口実でしょう」 声をかけてくれた幹事のS君に言い
かけて、口をつぐんだ。手渡された案内状の文面から「ヴラジヴォストーク市」
という文字が飛び込んできたからだ。
「まさか……冗談でしょう。モスクワ支店長もつとめたことがあるMさんを」
体のいい肩たたきだと思うんだ。まあ、オレもそろそろかなあ」S君は力無く
微笑んだ。送別会でも、友人たちの誰もがMさんに同情した。
「あいつも今まで気味悪いほど順調だったのに、ついに運に見放されたか」
豪放轟落な快男児として慕われてきたMさんも、この時ばかりはびびっていた。
 ・・「でもね、ほらオレ再婚だから、子供はまだ小さいし、家のローンは
いっぱい残ってるし・・」 声を詰まらせてグイッと杯をあおった。
Mさんは死地に赴く、その場にいた誰もがその時そう思った。
 帝政時代に太平洋に開かれた不凍港として建設されたヴラジヴォストーク市は、
ソ連時代は太平洋艦隊の基地となり、外国人の出入りを禁止したいわゆる閉鎖
都市だった。ゴルバチョフペレストロイカが始まってしばらくして閉鎖を
解かれた時は、画期的な出来事として騒がれたものだ。
 ところが、たちまちソ連中のマフィヤが集結し、ソ連邦崩壊以降は、激動の
かの地でももっとも物騒な街となった。日本や東南アジア諸国から持ち込まれる
中古車をはじめとする大量の物品が、原価の数百倍、いや数千、数万倍の価格で
取引されるのだから、当然。利益の匂いを敏感に嗅ぎ付けて群がってきた。
経済が破綻し、貧富の差が急激に開いたことによって社会不安が広がる中、
ただでさえ犯罪率がものすごい勢いで上昇するところへ、マフィヤ同士の縄張り
争いが日常化するのだから、たまったものではない。そこへ明らかに金を持つ
無防備な日本人が乗り込んでいくのだ。狼の群れに飛び込む兎、狐の群れに投げ
入れられる鶏、猫の群れに放たれる鼠、蝿たたきの下に飛び込む蝿。標的に
ならない方が不思議である。ホテルや住宅地は、マフィアの合戦の対象になって
いるから、いつ流れ弾に遭うかもしれない。彼を送り出す商社が防弾チョッキを
配給したと聞いた時には、私も膝が震えた。
 そのMさんから赴任後半年ほどして電話がかかってきた。声が拍子抜けする
ほど陽気である。「いやあ、米原さん、寄らば大樹の陰ですよ」何だか心配して
あげて損したなあと思ったほど嬉々としている。そんな私の胸中など察するはず
もなくMさんは得意げに話を続ける。「てゆうか、灯台もと暗しってのかなあ。
クックックックッ。要するにだねえ、この街最大最強のマフィヤが直接経営する
マンションに入居したんですよ。これ以上安全なところはないんだな。
警察なんかよりはるかに頼りになるんだよ、これが」 ・・・≫
▼ ここで、戦後日本が選択した生き方が、まさにこれであったと指摘する。
 世界最強の暴力団アメリカの傘下に入ることで、自国の安全を確保する
道を歩みざるを得なかったが、これが幸いした。利権を守るため、警察官と
称して殺戮を続けてきたが、アメリカの最大の邸宅内の飼犬として被害は最小?
救いは、そのことを大部分の国民に自覚が無いこと。ポチよ、沖縄は・・
・・・・・・
4879,閑話小題 ー最近、またカラスが・・
2014年07月24日(木)
   * 最近、またカラスが・・
 このところ、若いカラス数羽が自宅の庭周辺のテリトリー争いで、威嚇の鳴声
が鳴響いている。一年ほど前に以下の文章を書いていたが、現在も、その延長戦
が続いている。ポタリングを毎日2時間していて見かける動物は、ほとんどが鳥。
その中でカラスが目立って多い。その上、庭に雀の群れ、小さな地鳥、渡り鳥が
次々とやってくる。 ー去年に書いた内容といえばー
≪ 4440, 閑話小題 ーカラスの糞かけ <2013年05月13日(月)>
 数年前になるが、自宅近くを自転車で走っていると、カラスが低空できて、
二m先に糞を落としていった。「これは果たして私を狙ったか、偶然か? 毎朝
近くを通る度に考えていた。ところが一昨日の朝日新聞のコラムで、四コマ漫画
「ののチャン」が、専門家に質問する形式で、「カラスの糞かけは、意図したか
どうか」を取り扱っていた。よくあるので、取り上げたのだろう。 
答え手は「あくまで偶然で、カラスにとって何ら利益にならない」と、ゲーム説、
カラカイ説には否定的。専門家とはいえ、私のように30年以上、毎朝、散歩や
ミニサイクリングでカラス観察をしていた訳でない。で、私はゲーム説。(中略)
 ・・そういえば、散歩中の小型犬を、カラスが至近距離で威嚇し遊んでいる
のを見たことがある。犬の飼主も、そのやり取りを面白がって見ていたが、
明らかにカラスが小犬をバカにし遊んでいた。 
 ところで昨日の午後、帰宅をすると、隣の空地で4羽のカラスが入り乱れての
空中戦。よく見かけることだが昨日は違っていた。二組の激しい乱闘。初めは
車内で見ていたが、決着がつかないので、一度、車庫に車を入れて門の陰から
みたが、その間7〜8分。 鳴声を聞きつけた他のカラス数羽が駆けつけ、騒然と
した乱闘は、見もの。上下に体勢を入替わり互いの身体をワシヅカミの突つきあい。
4羽が無事に飛びたったのが不思議なほど。 最近、来ているのが、その一羽? ≫
▼ 今回は、他の小さな渡り鳥や、モズも入乱れて、カラスと牽制しあっていたが、
 どうも、我家のインコが野鳥の興味を惹くようだ。で、「カラス除けグッズ」を
ネット?と思ったが、他の野鳥も来なくなる上、無粋。 そういえば近所の土手も、
信濃川河川敷も、野鳥の絶対数が年々減っているのが気がかり。至近距離の田畑
20反も住宅地に変わってしまったがこれも小さな緑地の我家の庭のテリトリー
争いの激化の理由?仕事から離れ、自然と向合う機会が多くなると、今まで見て
見えなかった自然に触れあうことが多くなる。地方の良さは、軽井沢、那須など
に行かなくとも触れ合える! ますます御隠居生活に慣れてきている。
・・・・・
4512, 閑話小題 ーつれづれなるまま
2013年07月24日(水)
   ―つれづれに―
 人生も、あと二年もしないうちに古希。杜甫の詩「人生70 古来 希なり」
の年齢になる。後悔も、満足感もさしてない。人生の終わり間近には必ず後悔の
念に支配されるという。 実際に、こんな時代の断層を経験をするとは思いも
よらなかった。それと地球の絶景をこれほど多く見ることが出来るとは・・ 
日進月歩の情報端末の進化が、日常生活を変えるとは・・ 
 終戦直後に生を受け右上りの時代を40歳半ばまで経験し、その恩恵を受けた。
そしてバブル崩壊と、9・11テロ、リーマンショック、2011年の東北大震災、の
三つの経済・自然震災で、世界が更に変わった。それがあっても良い時代だった。 
団塊世代の一年前に産まれ、時代の恩恵を十分に受けてきた。 バブル崩壊と、
新世紀21世紀の時代変動の中で、何とかソフトランディング?が出来た。
「時代のめぐり合わせが良い世代は、最後までハッピー」という説がある。
現に同年代の人たちは、大方が恵まれていた。 2〜10数歳年上の兄姉達は
戦前・戦中時代派。 時代の価値観に大きく影響されているのが見て取れる。 
両親が明治生まれ、叔父叔母は明治・大正時代に、兄姉は、昭和1桁生まれから
10年代。それぞれの時代に大きく影響されている。それからすると、私は
終戦生まれで、高度成長期育ち、最後は、その崩壊で御終いの人生」。
そして、日本の本格的衰弱を目の当たりにして最期を迎える。 
長生きをするほど、辛くなる。
   ーいま、ドラッグストアが面白いー
 最近の中小のSCには、スーパーの横に、必ずドラッグストアが並んでいる。
スーパーは生鮮三品を周囲のメイン通路に配置、挟むように日用品と、袋物食品
などを配置している。酒とツマミの買出しに週一、SMと、ドラッグストアに
通って二年になる。 そこでは地元スーパーと、全国チェーンのドラッグストア
との非生鮮食品と日用品をめぐる激しい戦いが見て取れる。
更にSCの入口近くに、コンビニが出店、両者の隙間をつく構図になっている。
ドラッグストアも、ここで色いろ模索をしている。近くにある3つのチェーン
が同時に、食品コーナーを二倍ほど拡張、98円均一の小パックの単身者向け?
コーナーをつくった。 企業規模と、小回りをきかせた、それぞれの特徴を
備えた本格的な戦いになっている。 酒あり、生鮮あり、缶物食品あり、
パンコーナーあり、冷凍コーナーあり、である。消費者も商品と値段に敏感に。 
県内最大の「コダマ」も、いつの間にか、全国チェーンの傘下になっていた。
これに消費税のアップが控え、小売の最前線は更に熾烈な戦いになる。
・・・・・・
4138, 元始、ママは太陽であった ー1
2012年07月24日(火)
 ある雑誌の「元始、ママは太陽であった」都築響一
  のスナック・ママのレポートが面白い。ーまず、その一部を抜粋するー
≪「スナックの良い店の見分け方がありますか?」と聞かれるが、そんなのが
 あったら苦労してないです。スナックのドアがああなっているのは、そこが
家庭だからだ。「家庭的」じゃなくて「家庭」。あのドアは店のドアというより、
ママなりマスターなりと、常連さんたちがつくる「家」のドアなのだ。
ドアがガラス張りで、中の暮らしが丸見え、なんて家はあんまりないでしょう。 
ママやマスターという「家長」がいて、常連さんという「家族」がいる。
僕みたいな一見の客は、知らない家にお邪魔する人間としてドアを開け、奥の
ほうで和んでる一家に「僕も混ぜてもらってもいいですか」とお願い、
「まあ上がって飲んできなよ」とか言われて上がりこむ。ちゃぶ台やコタツ
かわりのカウンターで肩を並べて飲んで歌って、そういうのを2、3回も繰り
かえせば、知らないうちに家族の一員になっている、スナックとはそういう場所。
だから長いこと営業しているスナックでは、ママやマスターと常連たちが、
やたらとバーベキューだのボウリング大会だの栗拾いだの一泊温泉旅行だのに
行ったりする。どんなに歴史があるところだって、レストランやショットバー
がそんなことをするだろうか。飲食業にもいろいろあるが、スナックという
業種は、開業するのがいちばん簡単な飲食業でもある。飲み物と乾きもの出す
ぐらいだから、調理師免許もいらないので、一日講習を受けて食品衛生責任者
資格を取って(よくカウンターの隅とかに青い板が貼ってある、あれ)、保健所
に食品営業許可、警察に酒類販売のための風俗営業の申請をすればいいだけ。
あとは毎月の家賃と、お酒とつまみと氷代と、カラオケのりース代を払えれば
やっていける。バーやキャバクラみたいに女の子を何人も雇うのでなければ、
人件費もかからない。料理店とちがって食材の心配をする必要もないから、
商売としてリスクは、他の飲食業と較べてずいぶん少ない。そのかわり、
儲らない。スナックでお客さんが払う金額というのはふつう、キープポトルを
飲んで3000円から5000円ほどだ。最近では、それくらいで飲み代、歌い放題
という店もたくさんある。ドリンク代を考えれば、カラオケボックスより安上り、
なんてこともある。それで一晩に5人か10人、常連が出来れば上等という店が
ほとんどだから、お金儲けのためにスナックをやってるママやマスターなんて、
日本全国にひとりもいないのではなかろうか。≫
▼ 20歳頃から現在まで46年間、スナック、居酒屋で酒を飲んできた。
 20代後半から30代半ばまでは、仕事に没頭していた為、スナック通いは
少なめだったが、それ以外は、月に二回は通っていた。だから、上記に書かれて
いるのは全国津々浦々、殆ど同じということがよく分かる。 男は傷ついて
誰かに慰めてほしいが、連れ添いは「ツレナイ」ため、外のママ様にお上手を
言って欲しいのである。女の子を置いている店は、クラブの要素を入れて、
疑似恋愛空間をつくってお客を呼び寄せる。アルバイトや、酒好き、男好きの
女性を客に如何に集めるのもママさんの腕。それもこれも、采配一つで店の盛衰
が決まってくる。ただ一つ絶対的基本がある。店は綺麗に磨きあげておくこと。
愚痴を言わないこと。客の悪口を言わないこと。
プロ筋の店が少なくなってきた。客もだが! ーつづく
 ・・・・・・
3772, 閑話小題
2011年07月24日(日)
  * タレントは日本特有の職業人
 NHKのBS番組「クール・ジャパン」で、各国の外国人が日本のテレビ番組
に特殊性を語っていた。日本のTV番組は、それぞれの国からみると、過剰な
ぐらいサービスが徹底していて、特にバラエティー番組に、その傾向が見られる
という。そこにはタレントと称する職業があり、何でもこなすマルチ的才能の
職業がある。  ーそこで、タレントをウェブ辞書で調べてみるとー
【 俳優や歌手以外で、その才能・個性をセールスポイントにTVやラジオに出演
して活躍する人を一般に「タレント」といいます。バラエティーやクイズ番組に
出演している司会者、リポーター、コメディアンなどをさすことが多い。
プロダクションに所属してチャンスをつかむほか、街を歩いていてスカウト
されることなどもある。いずれにしても、きっかけをつかむ運と、魅力ある
キャラクターを持っているという、生まれついての素養が重要となります。】
とあった。このような職業は外国では存在しておらず、日本固有のものという。
また、日本のようなバラエティーも特殊であり、そのテーマに教養を取り上げる
ことなど外国では考えられない。その意味で、日本は遥かに外国を凌いでいるとか。
もし、それぞれの専門家が、それ以外の番組に多く出演しただけで、仲間内で馬鹿
にされる土壌がある。教養番組に出演する時は、背広を着て、厳しい雰囲気が常識。 
ゴールデンタイムに、教養的知識を面白おかしく番組が構成されるなど有得ない
といか。お笑いなら徹底的にお笑いに徹するのが習い。 タレントという存在、
そう言われてみれば不思議である。タレント教授、お笑いタレント、元プロ野球
タレント、タレント代議士、マスコミ出身タレント、など不思議といえば不思議な
存在である。専門職で名をなした人が、そのキャラでバラエティーに出て、
その場を盛り上げる一員である。そういえば、公道で通行人がインタビューを
された時、多くの人が堂々と受け応えする。一億総タレント化の様相でもある。 
しかも今度は携帯電話がパソコン化されてきた昨今、ミニブログなどのツイッター
で、誰もが情報を発信できるようになってきた。その中で、色々な方面の多種の
タレントも出現始めてきた。面白いといえば面白い時代、総白痴化と否定だけは
してはいられない。 それにしても、TVの露出度が高い低いで、その人気度が
はかられる時代、変といえば変である。    バカタレ!
 ▼ NHK[クールジャパン」HPより
 (字数制限のためカット 2012年7月24日)
 ・・・・・・・
3407, 人みな骨になるならば ー15
2010年07月24日(土)
 * 心理学が自虐 
(−P199)もしフロイトの「発見」のうち、後世によって葬られず引き継がれる
べきものがあるとすれば、それは人間が認識において都合の悪い現実よりも快い
虚偽を愛し、しかもそのことに自分自身で気がついていないという、つまり
われわれは自らの「無意識」を信用できないのである。われわれの無意識は
われわれに信じたいように信じさせる傾向があり、しかも、その操作をわれわれ
に気づかせない。ということは、われわれが信じていることが、信じざるを
得ないことか、単に信じたいことか、わわわれには判別できないのである。 
いったんこの思想に感染してしまうと、以後、人間は自分の判断を無邪気に
信じ込むことが出来なくなる。それまで気づかれなかった自分の暗黒面を知り、
受け入れ、引き受けることで初めて精神的な健全さが回復されるとするフロイト
以後の治療論仮説は十分実証されているわけではない。なぜなら、そうした
「無意識」の洞察なしでも治療効果が得られる心理療法薬物療法がいくつも
知られてしまったからである。とはいえ、われわれの「無意識」が、まるで別の
生き物のように、意識的な感情や記憶や判断を本人の知らないうちに歪ませるのを
勘定にいれておくことは、いくばくか愚行を防止するのに有用なはずである。
目常生活において、おいしい儲け話に飛びつくことが危険であるのと同様に、
世界や人生に関する認識においても、自分たちに好都合すぎる筋書きには眉に
唾しなければならない。願望充足をたくらむわれわれの無意識が、
そのように誘導しているのかもしれないからだ。
 フロイト以後、いやしくも十分知的な教養人は、何らかのムシのよさを
 備えた世界観や欺瞞の人生観を受け入れがたくなった。
・話がうますぎるような信念は自己欺隔であり、
・自民族や人類だけを特別視する思想は単なる願望思考の産物でしかない。
・輪廻転生は「死んでも命のあるように」という見苦しい未練の現れで、
極楽往生は現世の不如意を慰める童話である。
・文明をもった宇宙人の存在を信じたがるのは人類の孤独を
 ごまかしたいためであろうし、
・超能力への期待も味気ない現実から目をそらし繍時の夢を見たいがため。
▼ 上記の中にも、多くの示唆がある。フロイトの「人間が認識において都合
の悪い現実よりも快い虚偽を愛し、しかもそのことに自分自身で気がついて
いないという、つまりわれわれは自らの「無意識」を信用できないのである。
 (字数制限のためカット 2012年7月24日)