* 金正男の暗殺劇、何かチグハグしてない?
 〜この事件が起った直後に、以下の疑問を書いたが没にした文章〜
【 もし北朝鮮ではなく某国?の陰謀とした仮説をたてたら如何だろう。
 尤もらしく見せるため、中国以外のマレーシアの飛行場で第三国の女を
使った暗殺劇。あの無防備な男を、北朝鮮が稚拙な手段で公然とやる?
毎日のようにシリーズの刑事ものドラマや、スパイ映画を見ているためか? 
何か釈然としない。 5年前からの計画?と、事実のように流されているが、
某国の陰謀としたら、ドン様、怒り心頭で何をしでかすか? その辺りが
狙いなら、TVで毎日のようにみているスパイ映画並みのシナリオ。
近く大規模の米韓合同訓練の予定がある… 「某国」とは、韓国、中国、
米国、ロシアの何処か?を考えみれば、これ程、陰湿で効果的ストーリーは
ない。ロシアが物語として一番、陰湿で面白いが。 現地のマフィアへの
暗殺の丸投げを仮説は、さもありなんと思われるが… マフィアも蔭の存在、
これほど危険な仕事は請負うことはない。ということは、北が、このレベル
が精一杯だったということ? 】
――
▼ あと解釈すると、ドン様と4人の取巻きの女たちのインテリジェンスなら、
 これが精一杯?ならば、こんなもの? 危ない状況が刻々と近づいている
ため冷静になれないためか。中国も親指人形と割切ったとしても、見逃すこと
が出来ない事態まできている。最大の誤算は監視カメラが、ことの顛末を録画
されていたこと。それが世界に向けて公開されたのだから、関係者は粛清されて
然るべき。カーター元米国大統領が、原子爆弾阻止のための朝鮮戦争を、阻止
したのが良かったか悪かったのか。あの肥満は5年辺りが寿命としても、ちょと
長すぎる。今のところ、北朝鮮の瀬戸際戦略の一環とするシナリオが一番、納得。
<韓国の98%が、「韓国人である」ことに恥ずかしく思い、70%の人間が海外に
 脱出したい!再び韓国に生まれたいと願うのは30%。> 
日本人が自国に対し考えられない数字だが、隣国が、この有様を考えると、
さも有りなん。日本も南北に分断されかけたが、日本贔屓の蒋介石が身を挺し
阻止したという。アメリカ、北朝鮮、韓国、中国、アメリカ、ロシアを隣国に
する日本で、憲法改正、原爆保持は「絶対必要条件」と確信している。
 
・・・・・・
5458,遊びをせんと 〜遊びを哲学する ー?
2016年02月24日(水)
           〜『世界の哲学・思想』小須田健著 より
   * 遊びを哲学する
 楽しむといえば、「遊び」である。「遊び」に関しては、内なる評価は90点。
進学、進級するにつれ、遊びが一そう面白くなっていた。 実社会でも歳を
重ねるたびに、質量は上がっていた。その背後には、ストレスの解消もあった。
仕事も面白かったが、遊びも、数限りない蓄積がある。
『よく働き、よく学び、よく遊ぶ』 は、人としての目指す行動指標。
 充実の実感は、学びも、働きも、80点。その手ごたえが有難い。
仕事の面白かった経験より、辛い中での、遊びへのトリップの経験こそ、人生の
価値にとってプラスのことは、今さら言うまでもない。 〜その辺りから〜
≪ ・理性と感性による二つの衝動が人間にはある、ということです。
 この二つの、一方は不変へ、一方は変化へ動こうとする人間の中でいかに
調和させるか? そこで、シラーが気づいたのは「遊戯」と「遊び」でした。
彼は、人類の大いなる遊びを歴史に求めます。ギリシャオリンピアの競技、
ローマの闘技、マドリッドの闘牛、パリの見世物、ヴェニスのゴンドラ競漕、
ウイーンの狩猟等々。そして、血を流さずに、人体の美をも競いあい、鑑賞
させるギリシャオリンピアの競技の遊びこそ最上と思いました。それは美を
求める遊びなのですから。シラーは、そこで「美しいものは単なる生命でも、
単なる形態でもない。人間に対し、絶対的な形式性と絶対的実在性の二重の
ものを授けてくれる生き生きした形態、それが美である。しかも、動物が
巣をつくる遊びは、その美を得させてくれる」としている。・・・
ホイジンガーは、目を人類全体の歴史に向けて『ホモ.ルーデンス』年刊を
 まとめました。・・・ そこで、
ホモ・ルーデンス」とは、ラテン語の学名になぞらえた人間の性格付けで、
「ホモ.サピエンス」(知性人)や、「ホモ・ファーベル」(作る人間、工作人)に
対比させた言葉で、意味は「遊ぶ人間」です。すなわち、人間を遊びを知るもの、
遊びと切り離せないものとして定義付けようとしたのです。彼はそこで、
人間の遊びの歴史は、「ホモ.ファーファル」の歴史より古いことを実証し、
「人間は遊ぶ存在である」と定義したほどでした。遊びの歴史を探ることこそ、
人類の歴史、文化の歴史を探る直接の素材であり、その手掛かりでもあるのです。
また、ホイジンガーの言葉で言いますと、「遊びの面白さは、どん名分析も、
どんな解釈も受け付けない」ものでした。いったん遊びだしたら、面白くて
もうやめられない、その遊び心を歴史的に記述したのが、ホイジンガーの
ホモ・ルーデンス」でした。ホイジンガーは、カナダのインディアンなど
各国の諸民族に伝わる儀式を伴う遊びを検証し、古代ギリシャアゴ
(競技や、子供の遊びなども含めて考証しながら、改めて「遊び」をキーワード
に、数々のその特性を発見しました。
「遊びは文化より古い」
「遊びは本気なものではない、と言ってはならない」
「遊びは、われわれのまだ知らない秩序を創っている」
「遊びは、人やものを結びつけ、また解き放つ共同性をもつ」
「遊びは、人間がさまざまな廓象の中に認めて言い表わすことのできる
 性質のうち、最も高貴な二つの性質によって充たされている。
 リズムとハーモニーがそれである」
「遊びは、本気でそうしているのではないもの、日常生活の外にあると感じ
 られるものだが、それにもかかわらず、遊んでいる者を心の底まですっかり
 とらえてし塞うことも01麓な、一つの自由な活動である」
「遊びは本気で何ものかを求めての競争であるか、あるいは何かを表す表現
 であるかのうである」  ≫
▼ 晩年の両親の後姿から、遊びは、その時点時点で計画的に消化しなければ
 ならないと、学んでいた。あれだけ楽しめば、悔いも、何も残らないだろう。
仕事の合間に遊ぶより、遊びの合間に働く位で丁度良いのかもしれない。
もっと遊んでおけば良かったと思っても、もっと事業拡大をしておけばなど、
終盤にさしかかった現在、全く思わない。仕事を趣味にし、楽しんだ実感が
あって満足できれば、それも遊び。思え返せば、仕事も、遊びも、面白かった!
 TVの番組に「YOUは何しに日本へ. Why did you come 」(東京放送
があるが、これを「YOUは何しに、地球へ」と、問われ、『働いて金儲けする
ためやってきた』とは、答えない。 ・・これは、長くなるので次回へ!
・・・・・・
5094,タガメ女の正体  ー?
2015年02月24日(火)
       ー日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体〜深尾 葉子(著)
  * タガメ女度チェック
 カエル男に続いて、タガメ女度のチェック。
まあ、世の亭主、良いように飼い馴らされたもの。他人事ではないか!
  ☆ タガメ女度チェックシート
1.規則正しい生活を送っており、周囲から「ちゃんとしているね」と言われる
2.パートナーには「0時には帰る」という“カエルコール”を義務づける
3.相手が失敗をすると、「ほら、だから言ったでしょ」と言う 
4.いかに自分が日々の家事(仕事)を頑張っているかを周囲にアピール
5.習い事に夢中になっている
6.休日は友人と会ったり、イベントが目白押しだったりで忙しい
7.マンションの階層にこだわりをもっている(戸建ての場合は家の立地)
8.近所からどう見られるかにはかなり敏感だ
9.スマホではなくガラケー(ガラパゴス・ケータイの略。
日本国内では便利だが世界標準ではない)でドコモユーザーだ
10.住宅ローンを組み、「郊外のベッドタウン」で暮らしている
11.結婚願望は強かった(強い) 
12.まとまったお金は投資型の運用よりも郵貯や積立保険にまわす
13.アルバムが充実している
14.誕生目やクリスマスパーティなどのイベントを企画するのが好きだ
15.ディズニーランドが大好き
16.女子会では“意味のない会詰”を延々と続けられる
17.身近に独身のオタク男性などがいると不安になる
18.「主人は〜」(カレは〜、)というのが口癖だ
19.PTA活動(行事)では積極的に「役職」につき、懸命にこなす
20.働きながら子育てをする女性や独身女性とはあまり親しくしない
 ・0〜4:タガメ女度20%
 ・5〜10:タガメ女度50%
 ・11〜15:タガメ女度80%
 ・16〜20:タガメ女度100%
▼ 家内は問題なので、姉の一人を想定すると何と80%? 
 傍目でみても、それは大変? 専業主婦を持ったサラリーマンなら、
タガメ度80%は仕方がないか。婿取り娘なら100%?
「このオレに あったかいのは インコだけ」
「領土権 妻はリビング 俺仏間」というところか。
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4729,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー3
2014年02月24日(月)
 * クラインの壺と、パラノ型、スキゾ型人間 〜�   
          ー「経済予測脳で人生が変わる!」中原圭介著
 自分の節目を書いているような? 男女の組み合わせも、このようなペア
が多い? 私が?パラノで、家内が? 「パラノ」と「スキゾ」について、
浅田氏は『逃走論』で、次のように解説しています。
《・「パラノ型というのは偏執型(パラノイァ)の略で、過去のすべてを微分
  統合化して背負いこみ、それにしがみついているようなのを言う。パラノ
  人間は《追いつき追いこせ》競走の熱心なランナーであり、一歩でも先に
  進もう、少しでも多く蓄積しようと、目を血走らせて頑張り続ける」
 (『逃走論』)、それを読んでわかるとおり、これは前項で説明した
 「脱コード化」(近代資本制)社会における典型的な人間の姿を言い表わす。
・それに対し、「スキゾ型というのは分裂症(スキゾフレニー)の略で、そのつど
  時点ゼロにおいて微分ー差異化しているようなのを言う。スキゾ人間は、
 「追いつき追いこせ競走に追いこまれたとしても、すぐにキョロキョロ
  あたりを見回して、とんでもない方向に走り去ってしまうだろう」
  要するに、お金を求めてクラインの壺をぐるぐる回り続けるパラノ人間
  に対し、その行為を全く拒絶して、自分の思うままに生きるのがスキゾ人間
  であるということです。浅田氏は『逃走論』のなかで、パラノ人間は成長
  社会においてのみ肯定されるという本質を見事に探り当てています。
  頑張れば、それなりに結果(地位、報酬など)が得られる社会だからこそ、
 《追いつき追いこせ》の運動が活発化するのであり、それを否定するスキゾ
  人間は社会から異常者としてつまはじきにされます。いわゆる「おちこぼれ」。
  しかし、高度成長期ならいざ知らず、このデフレの時代には、パラノ的
  価値観の方が、むしろ異常と捉えられる。》
   ーネットで、この説明を解りやすい例えの内容があったー
【 1980年代、浅田彰氏を中心に、人間はパラノ型とスキゾ型の二つがある、
  と説く。・パラノは偏執型(パラノイア)のことで、十億円もってる
  吝嗇家が、あと十万、あと五万、と血眼になってるみたいな。
 ・スキゾってのは、つねに《今》の状況を鋭敏に探りながら一瞬一瞬に
  すべてを賭けるギャンブラーなんかが、その典型だ。もっとも基本的な
  パラノ型の行動といえば、《住む》ってこと。一家をかまえ、そこを
  センターとしてテリトリーの拡大を図ると同時に、家財をうずたかく蓄積。
  妻を性的に独占し、産ませた子供の尻をたたいて、一家の発展をめざす。
  このゲームは途中でおりたら負け。《やめられない、とまらない》で、
  パラノ型になってしまう。これビョーキだが、近代文明はまさしくこうした
  パラノ・ドライヴによってここまで成長してきた。成長が続いている限りは、
  それなりに安定していられるが、事態が急変したりすると、パラノ型は弱い。
  砦にたてこもって奮戦したあげく玉砕になりかねない。ここで《住むヒト》
  にかわって登場するのが《逃げるヒト》。何かあったら逃げる。
  ふみとどまらず、とにかく逃げる。そのため身軽じゃないといけない。
  家というセンターをもたず、たえずボーダーに身をおく。家財をためたり、
  家長として妻子に君臨したりはしないから、そのつどありあわせのもので
  用を足し、子種も適当にバラまいておいてあとは運まかせ。
  頼れるのは、事態の変化をとらえるセンス、偶然に対する勘、それだけだ。】
▼ 家庭内をみれば、旦那がパラノ型で、妻がスキゾ型。定年前の男なら、定年
 までは、パラノ型で、その後は、スギゾ型。私自身は、50歳まではパラノ型で、
 それ以降は、スキゾ型に比重が移動。そして65歳からは、完全移行になった。 
 こう振り返ると、15年間の準備期間があったことになる。
 クラインの壺の渦中だと、自分自身が見えなくなっていた? 
・・・・・・
4362, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー4
2013年02月24日(日)           
 * 親しい友人は何もしてくれない理由   
        「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲 著
 生きてきて感じることに、「親しい友人は何もしてくれない」という厳然たる
事実がある。当たり前のことだが、友人に物事を頼ること自体が間違っている。 
が、全く違う理由がある。 ーその辺を著者は次にように述べている
≪ 親しい友人同士は、長い付き合いのうちに、頼りあった友人関係は責任が
 伴うため淘汰されることを経験上知っている。強い親しい友人は似たような
仕事か環境であるため、助け合うに不向きである。知人の方が弱い絆で責任も
伴わないし、違う分野の世界だけ広い世界を持っている。そのため貨幣世界の
人の方が割り切って紹介しやすい。 貨幣空間の成功者は、人と人を結ぶことに
喜びを見出している。優秀な人材を紹介することで人間関係の貸借対照表
資産を加えることが出来ることを経験上、彼らは知っている。 紹介された方は
心理的負債は負うが、これは金銭と違って返済義務はない。世界中のすべての人
と6次以内でつながるスモールワールドの貨幣空間では、たくさんの弱い絆
向こう側に大きな鉱脈が眠っている。グローバル時代のビジネスでは、その
‘真理’を本能的に知っている人が、成功を確実に手に入れることが出来る・・≫
▼ ビジネス社会をみると、有能の人は、人間関係の貸借対照表の資産が多い。
 私など人間関係論を専門にしてきた割に全くというほど資産も、負債もない。
独りの世界も良いが、それにしてもである。ビジネスの世界を離れれば、
その資産もアテにならない。そこでネットで検索すると
《 友情は、共感や信頼の情をもって互いを肯定し合う人間関係、もしくは
そういった感情のこと。友達同士の間に生まれる情愛のこと。しかし、それは
すべての友達にあるものではなく、自己犠牲ができるほどの友達関係の中に
存在する。》とあった。 基本は「人は人 我は我 されど親しく」である。
群れた老人ほど(若者もか)、不釣合いのものはない。最近、暴力団にかわって
「半グレ」が話題になっているが、自立できない半ガキの群れそのもの。
半子供だから群れるしかないのも分かる・・ やはり法律で締め上げるしかない。
何かしてもらう目的で、セッセと人と人を結びつけ、人間関係の資産を増やす
貨幣空間も、これまた面白いようだ。逆に、それとは全く違った資産勘定も
必要だが、歴史上の偉人とか小説上の人物でも親しい人は作ることができる。
・・・・・
3987, 宇宙論コペルニクス以上の大転換 (宇宙は本当にひとつなのか)
2012年02月24日(金)
           宇宙は本当にひとつなのか ー1
  * 我々の宇宙は10の500乗分の1個でしかない!
2003年を境に宇宙論は、コペルニクス的大転換に匹敵するほど大きく変った。
コペルニクスが地球が宇宙の中心と思っていたところに、実は太陽が中心で、
その周りを地球が周っているに過ぎないと主張した以上の衝撃的進展という。 
それは、観測の結果から宇宙全体のエネルギーの内訳が明らかになった。
星や銀河、それを形作るすべての元素のエネルギーは宇宙全体の4・4%で、
目に見える星や銀河は、宇宙の中のほんの一部分でしかないものだった。 
ここで、残る96%は何か?というと23%が暗黒物質で、約73%が暗黒
エネルギー。それを合わせると、残りの96%になり、元素のエネルギーを
合わせると100%。しかし、その正体は殆ど分かってなかった。
つまり、宇宙の殆どが分かっていなかった。ところが、その暗黒物質が分かる
一歩手前まで来たのである。この暗黒物質の研究から出てきた考えが、宇宙は
もっと沢山、もしかしたら10の500乗個もあるかもしれないという宇宙多元論。
たくさんある宇宙の「たまたま」真空のエネルギーが十分小さかったものが
わずかあり、私たちの宇宙は、その一つだったという説。殆んど宇宙のことが
分かってなかった事実と、我々の宇宙は、気の遠くなるような多くの宇宙の一つ
でしかない裏ずけがで始めてきた。
 学生時代にビッグバンとブラックホールの理論を知ったときの新鮮な驚きを
今でも憶えている。その後の科学の飛躍的進展で、宇宙のことが格段に知られる
ようになった。その一つにブラックホールの先が違う宇宙への入り口ではないか
という説。それが2003年を境にコペルニクス的大転換以上に変わったという
のを最近、知ることになった。哲学が宇宙の外があるかどうかを論じているが、
科学は、宇宙はもっと多くあり、10の500乗もある可能性を論じている。 
科学が哲学を遥かに超えたことになる。 永遠の中の有限の存在を知った人間が、
その苦しみを緩和するためつくり上げた神も、多元宇宙論を知ると、所詮は、
そこまでということが分かる。 私にとっても、衝撃的大転換である。
137億年前のビッグバンで我々の(今度から、我々の、を付ける)宇宙が
出現し、その広がりには千から2千億の星からなる銀河が、100億もある。
そこには星の消滅の時に生じる空間の歪みが、ブラックホールになり、周辺の
星を吸い込んでいる。それは、どうも他の宇宙に通じる通路と思われる。
これが、私の知っていた宇宙である。それが、気の遠くなる数の多くの
宇宙の一つというと、根本が変わってくる。
  ・・・・・・・
3622, お姥捨てるか裏山へ
2011年02月24日(木)
            「日本の名著名言事典」より ー1
* お姥捨てるか裏山へ    「楢山節考」 深沢七郎
  ーまずウィキペディアの「あらすじ」からー
 山に囲まれた信州のある村。今年も楢山の歌が歌いだされる季節になった。
村の年寄りは七十になると楢山まいりに行くのが習わし。六十九のおりんは
それを待っていた。息子の後妻も無事見つかって安心したし、山へ行く時の
支度はととのえてある。 済ませることはあともう一つ …。
 −塩屋のおとりさん運がよい 山へ行く日にゃ雪が降る−
自分が行く時もきっと雪が降る…おりんはその日を待ち望む。
孝行息子の辰平は、お供で一緒に行くのだが、気が進まず元気がない。
しかし家計を考えて年明けも近い冬の夜、誰にも見られてはいけない
という決まりで背中に母を背負って楢山まいりへと出かけていく。
辛くてもそれが貧しい村の掟なのであった。ー以下の部分が凍りつくようである  
               ―「日本の名著名言事典」紀田順一郎著より
「お姥捨てるか裏山へ 裏じゃ蟹でも這って来る 這って来たとて戸で入れぬ  
 蟹は夜泣くとりじゃない」 山深い村で昔、年寄りを裏山に捨てた因習がある。
或る時、老婆を捨てたところが這って帰ってきてしまったので、家の者たちは
「這って来た、這って来た、蟹のようだ」と騒いで戸をぴったりと締めて中へ
入れなかった。家の中では小さい子が蟹が本当に這つて来たのだと思い込んで
しまった。 老婆は一晩中、戸の外で泣いていた。その泣き声を聞いて子供が
「蟹が泣いている」と云ったのである。 家の者が「蟹じゃないよ。蟹は夜
泣いたりしないなよ、あれはとりが哺いているのだ」と子供などに話しても
わけがわからないので、そう云ってごまかしてしまったのである。
この村では、白米は年に一度の楢山祭の時や、重病人でなければ食べられない。 
早くに嫁を貰うことは愚かなことで、それは少ない食料が減るからである。
「曾孫が生まれる」のは多産や早熟の者が続いているということで、嘲笑の対象。
老いても丈夫な歯を持っているのも恥ずべきで、食い意地が張っていて、浅ましい
と見做される。この村は七十になった老人は、裏の山へ捨てられる。息子が背板に
老いた親を乗せ楢山に登っていく時に一言も喋らず、後ろを振り返らないが山の掟。
▼ それほど遠くない時代に日本の山間部には、こういう風習があったようだ。
 現在の日本は不況不況と騒いでいるが、実際に、こういう時代が来ないとは
いえないことを知らない。隣国の北朝鮮が、これに近い惨状といっても、現実
としては考えられない。それにしてもリアルである。都会などの餓死などの
孤独死があるが、楢山考と何処が違うのだろう。