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* 虚実皮膜論
実に面白い説である。以前、若い女性タレントが、対談で
『役割の皮と、私という存在の間を薄くすることに心掛けています』
と語っているのを、成るほど!聞いていたた。 虚という役割を実の私が演じ、
その間の皮膜を薄くするだけでなく、個性で皮膜に味付けするのが名優その人。
近松門左衛門の説だが、ネット検索に、次のようにあった。
≪ 原文では「きょじつひにくろん」と振仮名が振られている。
近松門左衛門の演劇理論で、真にすばらしい演劇を作るのに、ウソ(虚)
とホント(実)の間にこそ、美味しいところがある、という論理。
近松に私淑して近松の脚本作成に参画していたともいわれる穂積以貫が
近松の死後に刊行した「難波土産」によって知られるところとなった。
近松自身が書き残したものではない。
<虚(うそ)にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰
(なぐさみ)が有るもの也>≫ また他にも、
≪ …〈虚〉を実体のないもの,うそ,偽り,〈実〉を実体のあるもの、
まこととみる一般的な考え方と,
〈虚〉は超越的な存在根拠であり,〈実〉はその具体的な現れであるという
《荘子》風の考え方とがある。
中国では古く《荘子》関係の思想書にこの言葉が見られ,以後詩文,書画,
医学,兵学等の分野でもしばしば用いられた。
日本では主として近世の俳諧や演劇の方面で用いられ,その芸術観,
文学本質論,表現論等を記述する場合の重要概念となっている。…
【難波土産】より
…〈芸といふものは実と虚(うそ)との皮膜(ひにく)の間にあるもの也。
…虚にして虚にあらず,実にして実にあらず,この間に慰が有たもの也という
〈虚実皮膜論〉で名高いこの聞書は,魂のない人形に魂を吹き込むには,
文句に情をこめることが大切で,個々の人物にふさわしい言葉を用い,
人物の実情・底意を表すためのデフォルマシヨンを行い,また,浄瑠璃の
眼目である愁いの表現には,説明的な描写を排して,〈芸のりくぎが義理に
つまりてあはれ〉,つまり,劇の展開に内的な必然性を持たせるべきだと
説いている。≫ とある。
――
▼ 偽善者とは、善の膜で悪を包んでしまう者。露悪とは、そのままの悪を
露出する者。偽悪とは、善をあたかも悪にみせること。私など、役割ごとに、
偽善者と、偽悪者と、露悪の私を演じていたため、今では何が何だか…
分かりません。何処かの大統領のように、最後は人間性の問題になるが、
役割の能力不足そのまま、裸の大将というのもある… まだ偽ならいいが?
〜ところで前に関連したような文章を書いていた。
――
2001/12/21
[109] 偽坊主
10年ぐらい前か、ー男はつらいよ(風てんの寅)を見ていたとき、
ふと哲学的になってしまった。内容というと「世話になったお寺の和尚
が風邪をひいたとき、法事に坊主に成りすまし、口からデマカセの法
事で無事代役を終える役(偽坊主)を、トラが演じていたー
そのとき奇妙な感覚になった。
まず本人ー 1・能作があり 2・本人の苗字があり
3・俳優の渥美清 4・寅さん 5・偽坊主ーと重なりがある。
能作?が2345を演じていることに気づいたためである。
このような場面は私自身も何回も経験をした事がある。
仕事も役割もこの重なり合いといってよい。
この重なりを名優はこれを簡単にやってしまうのだろう。
渥美清もそのときその重なりを感じたと思う。(2001/08/15)
・・・・・・
5446,人生の意味を見つけるための逆説の10カ条
2016年02月12日(金)
ー「それでもなお、人を愛しなさい 〜人生の意味を見つけるための
逆説の10ヶ条ー」ケント・M・キース著
* 逆説の10ヵ条
図書館で借りてきた本の「逆説の10カ条」が良い。
ネットで検索すると、以下のようにあった。
≪ 1968年、当時ハーバード大学2年生在学中に、高校の生徒会のリーダー
たちを激励すべく150回以上の講演を行なう。代表作「逆説の10ヵ条」は、
その活動の一環として自治活動のリーダーの為に19歳の時に書いた小冊子
「リーダーシップの逆説10ヵ条」の一部から初めて出版された。後にそれが
マザー・テレサの目に触れて、彼女が感動し「カルカッタの孤児の家」の壁に
その言葉を書きとめた。ルシンダ ・ヴァーディ編著の『マザー・テレサ語る』
に掲載され、マザー・テレサの言葉として世界中に広まった。キース本人は、
それを25年後に初めて知った。 長い年月をかけて今日に至るまで、口伝で、
写しで、インターネットで、本人の知らない間に、ゆっくりと広まり、世界中
で愛される格言となっている。 米ニューヨーク・タイムズ紙も、その出版まで
の不思議な経緯と格言の価値を1面で報じた。
★ 逆説の10ヵ条 (The Paradoxical Commandments)
・人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。
・何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に
責められるだろう。 それでもなお、良いことをしなさい。
・成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
それでもなお、成功しなさい。
・今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。
・正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。
・最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女に
よって撃ち落されるかもしれない。それでもなお、大きな考えをもちなさい。
・人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていない。
それでもなお、弱者のために戦いなさい。
・何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築きあげなさい。
・人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると
攻撃されるかもしれない。 それでもなお、人を助けなさい。
・世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかも
しれない。 それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。
【ケント・M・キース『それでもなお、人を愛しなさい
―人生の意味を見つけるための逆説の10カ条』早川書房 2002年】≫
アマゾンの内容説明によると、ケント・M・キースは、アメリカの行政官僚、
講演家。ニューヨーク生まれ。ハーバード大学、オックスフォード大学で哲学と
政治学、早稲田大学で日本語を学び、ハワイ州立大学で法学博士号を取得。
1979年よりハワイ州の経済企画開発局の要職を歴任、同局長として州政府の
閣僚を務めた。その後も私立大学の学長、YMCAのリーダーなどを務める。
―――
▼『毎日、早朝に起床し、この添削や、ネットアップ、読書と、決まった
スケジュールをこなしている。それが、何になるかって? ただ面白いから。
馬鹿馬鹿しくとも、それでもなお、スケジュールを続けなさい!』と内なる声。
「それでもなお」は、意志であり、力。最期は死という挫折で終わるとしても、、
ーそれでもなお、自分の人生を愛しなさいー
・・・・・・
5082,閑話小題 〜地方の現場では
2015年02月12日(木)
* 佐渡経済からみえてくる地方経済の惨状
ネットサーフィンをしていたら、ウェブ版産経新聞に以下の記事が載っていた。
内容は、去年4月のものだが、3月14日の北陸新幹線の開通で、更に追い詰め
られることになるが、止めるに止められないのが実情。 固定資産と、水道料金
の滞納の金額からみて、かなり重症。これは一部であって、地方経済全体が死に体
状態である。地方再生というが、土台無理。 その大都会も、行き着く先は、
ブラックホール化現象になる。周囲を吸い込んでいくが、最後は自滅状態。
≪ 〜【島が危ない】第2部 佐渡に迫る影 産経ウエブ 〜
◎ 一時、年間120万人の観光客で溢れていたが、長年にわたり減少が続き
昨年は53万人にまで減った。島の主力産業だった観光業界は縮み続けている。
元県議の清野正男(64)によると、景気がよかったころの上客は全国の農協。
東京オリンピックと新潟国体以降、観光バスを連ね、百人規模の団体で訪れた島
には、大型ホテルができ、木造の小さな旅館も大きなホテルに変わっていった。
◎ 観光業の深刻さを表す数字は多い。平成24年度末現在で佐渡の固定資産税
滞納者をみると、滞納額の1位から9位までがホテル、旅館業者。1位は
1億2255万円、2位は7307万円、3位は4102万円…と8位までが
1000万円以上だ。水道料金滞納者も、滞納額の1位から5位までがホテル、
旅館業者。1位は3397万円で2位は965万円。いずれも100万円以上を
滞納している。 ホテルや旅館の関係者からは悲鳴ともいえる声が聞かれる。
「道の駅がタダ同然だったように、値段うんぬんというより、どこでもいいから、
うちのホテルを買ってほしい。このままやっていても赤字が膨らむだけだ」
「中国でもどこでもいいから買ってくれるところがあれば喜んで売りたい」
「佐渡にはアベノミクスという言葉はない」
◎ 観光客激減にもがく佐渡。「トキや佐渡金山で話題を呼ぼうとしているが、
なかなか難しい」と市議会の祝(ほうり)優雄議長は苦悩の表情をみせる。
甲斐市長は中国による観光施設の買収にも言及した。
「中国が山林をあさっているという形跡はないし、ホテルを買い占められている
こともない。むしろ、反対に高く買って経営でもしてくれればありがたい」
そこには、経済疲弊から脱却するため、韓国に近づいていった長崎県・
対馬と同じ構図が見えてくる。(宮本雅史) ≫
▼ 佐渡経済の惨状は、以前から聞いていたが、こんなもの。4年前、決断が
出来なかったら、佐渡の同業者と同じ事態に至っていたのが実感できるため、
悲鳴が直接伝わる。 地方再生の名のもとに、地方経済の惨状は覆い隠される。
これがアベノミクスの実態。政権は、任期さえ乗切れば好いだけ!
・・・・・・
4717,閑話小題 ー45年前の自分
2014年02月12日(水)
* ゴーストライターの報酬は?
一般的にゴーストライターの報酬の相場は幾らほどか?書籍、音楽の印税は
その一割が作家や作曲家の取り分になる。だから、ミリオンセーラーには、億
以上の報酬になる。「現代のベートーベン」のゴーストライターの場合、20曲で
700万。一曲35万円は決して安くはなく、CMソングで、40〜50万。
フォークとかは100万が相場。 時と場合で、ゴーストに印税10%のうち、
2〜3%が支払われることもある。物書きの場合、200Pで100万前後(50
〜130万)で、雑誌のコラムの場合は2〜3万。有名作家や作曲家は、ゴースト
ライターから出版社や、レコード会社に認められ世に出てきた人が多いようだ。
で今回、本当か嘘か、男同士の愛情関係の縺れ?と誰かタレントが話していたが、
話題としては面白い! ゴーストライターの存在は、この世界においては暗黙の
了解事項。前提の絶対の秘密事項の約束事からみて、何故、この時期に、発表
するのか疑問であり、愛憎関係?と考えると、成るほど? 笑点の「大喜利」
の巧妙な落語どうしの遣り取りも、放送作家のつくったもの。
子供のゴーストライターは、両親?父、母?それとも先生?
* 45年前の自分と向き合って
毎年、この時節になると、学生時代の社会に飛び出す直前の日記を読み返えす
ことになる。当時の逼迫した不安と期待が相まった緊迫感が懐かしい。それも
年々、リアルに記憶が鮮明に蘇る。「遠き日は年とるごとに近くなり」であり、
書き残す重要さを改めて思い知る。書いてない期間の記憶は、空白に近く、
具体的記憶は蘇えらない。書いたそこには、息づいている当時の私が存在する。
当時の友人と何十年ぶりに会ったところ、『堀井は、用心深かったからな。
今回の件を聞いても、手立ては必ずうっていると思っていた! 汗かきも、
顔色がツヤツヤしているのも変わってない』という。当時から心配性で、何事
にも用心深く逃げ口を用意をしていた。それを40数年ぶりに会った友人に
指摘されると、本質は何にも変わってないことになる。「真面目な路線上を、
面白可笑しく」は、当時も今も同じ? しかし45年間の激動は、思いのほか。
それと、情報化社会も想像を絶するSF世界。毎日が、刺激的で、面白く、
夢のようでもある。当時の自分に言いたい! 『その気持ちを忘れずに、
学び続けなさい! 相手と自分を思いやる気持ちを忘れずに!』と。
・・・・・
4350, 書くことが思いつかない人のための文章教室 ー2
2013年02月12日(火)
*「思う」と「思い出す」の違いは?
「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
ー この違いを具体的に述べている箇所を抜粋してみる。
≪ ◎ まず「思う」を列記してみると
・さびしい ・孤独感 ・人間の幸、不幸 ・忙しいとか慌ただしさ
・一年の反省 ・街のあかり ・年末行事のこと
◎ 次に「思い出す」の列挙である
・暮れも押し詰まったころの祖父の卦報
・船上でのメリークリスマス体験。遠く見えるみなとみらいの夜景
・祖父母の家に帰省する時の父の革ジャン ・パーの匂い
・親戚一同でやる暮れのそば打ち
・ラグビー早明戦前の一週間に、一年生みんなで夜通しでやった
グラウンドの落ち葉拾い
・所属していた吹奏楽部の厳しい練習の日々。
・野球部恩師の死(もうすぐ一周忌 ・センター試験に向けての勉強
など「思う」ことと「思い出す」ことではこんなにも違うのです。
原稿用紙に向かって何も浮かんでこないとき、いかに乗り切るか。その手立て
としては具体的に描写しやすく、かつ書き進めやすい題材が並んでいる。それ
には「思う」ことより「思い出す」こと。 これはぜひ覚えておいてください。
「師走」というテーマで「さびしい」「孤独感」といったことをいくら
文章にしようと思っても、それらは心の中のことですから目に定かでない。
五感も働かないから描写もできない。 最悪、一行すら書けないということに
なりかねません。ちなみに司馬遼太郎の『関ヶ原』は、こう書き出されています。
「いま、憶いだしている」 作品は大小、長短を問わず、「思い出す」ことを
おいては始まらないのです。・・ たとえば「つらい」というのは心に抱く思い。
皆さんは「つらい」はつらいと表現すればいいのでは、と言うかもしれませんが、
「つらい」というだけの言葉なら、A君の「つらい」もB君の「つらい」も
みな一緒だということになります。でも、同じつらい体験と言っても、人が
違えば体験そのものも異なるはず。心に抱く感情も人それぞれでしょう。
それをみんな同じ「つらい」という形容詞で表現していいものかどうか。
つまりどうつらいのかが具体的に書かれていないと、自分の心にある思いを
ちゃんと表現したことにはならないのです。そうだとすると、自分がつらいと
思った出来事(体験)を細かく描写して、読んだ人に追体験してもらい、
そのときの胸中を察してもらう表現法を心がけるべきなんですね。
▼「思い出す」は、状況の具体的再現ということになる。果たして詳細に
記憶が残っているかどうか? を、自分の幼稚園時代を具体的に思い出すと、
意外と記憶が戻ってくる。更に小学、中学、高校、大学時代に焦点をあてると、
記憶が戻ってくる。その機会は同級会か同窓会でしか焦点を合わせることがない。
ガンなどの病気で、「あと半年」と宣言されると、急に過去の記憶が溢れかえり
出てくる。あと僅かと思うと、自分の人生を具体的に思い出し、味わい懐かしみ、
物語として編成する。これを訓練するに、日記や随想を書く習慣が必要になる。
・・・・・・・
3975, iPad購入半年、経過報告
2012年02月12日(日)
再びiPad購入半年の途中経過報告である。居間と書斎の二台の卓上型パソコン
のiMacに、iPadが新たに加わり、生活パターンが変わったことは何度か書いた。
先日、新たに書籍を70冊を電子化のため業者に送ったが、愛蔵書の電子化は
合計120冊。蔵書の電子化は一応終了だが、これで何処にいても書斎にいる
気持ちになれる。それにネットで購入した電子本が入っている。
タブレット一枚を持ち歩けば、何処にいても自分の居場所にいるような
不思議な感覚になれる。タブレットの読書は抵抗がないか?と問われれば、
まったくない。 三台のパソコンの画面のファイルに入れておき、ことある
ごとに開けるのがよい。 タブレットPCの柱として、
◎読書◎ゲーム◎お気に入りブログの閲覧◎電子新聞、雑誌の閲覧◎メモ。
便利なのは、常に手元におき、気楽に立ち上げ、直ぐ目的のウィンドウにたどり
付けること。そのためチョットした隙間時間を有効に面白く使うことができる。
卓上パソコンは、電源を入れ、スタートボタンをクリック・・の時間がかかる。
それに対しタブレットは極めて短時間で済む。 それと自分の気に入った蔵書
を入れたのが良かった。 一度読んだ本は自分の一部のように感じるもの。
読書の効用に何ども繰り返し読むことがある。繰り返す間に、知識が熟成される。
それがタブレットに入れると気楽に繰り返しが可能になる。ノートパソコンを
自分の鞄、書斎とみたて使っている人がいるが、タブレットPCで、その感覚に
なってきた。 購入時に半年を導入期としてきたが、一応、及第。iPhon
より私には相性が良い。「事業も終え5ヶ月後、気持ちが落ち着いた頃に
iPadを購入、気持ちを紛らわせてきた。 そして、半年を経過した現在、
それに同化を始めてきた」ということ。 現在、タブレットPCが、スマート
フォンの陰に隠れているようだが、そろそろ、タブレットPCにエネルギーが
向かい始めた。 ところで有機Elの画面がタブレットに向いているようだ。
画面の鮮度と薄さと軽さが次のメーカーの争いのポイントになる。
これに居間の大型液晶TVとの連動もポイント。
・・・・・・・・
3610, 大相撲八百長事件 ー2
2011年02月12日(土)
八百長事件は昔から深い闇に包まれてきた。ウキィペディアに、その一端
が書かれている。あの名解説の北の富士に以下の恐ろしい?過去があった。
初場所では八百長に関しては歯切れの悪いコメントをしていた。
≪橋本 成一郎(1940年 - 1996年4月14日)は、元大相撲力士で、元横綱・
北の富士の現役時代の名古屋後援会副会長、元関脇・高鐵山の大鳴戸親方が
経営した大鳴戸部屋の後援会会長。元力士で力士時代は幕下まで昇進した
ことがある。廃業後はバーやキャバレーを経営し、昭和40年代には北の富士の
名古屋後援会の副会長を務めた。元大鳴戸親方の著書によれば、第52代横綱・
北の富士の横綱昇進・優勝では八百長資金面などをバックアップ。
黒幕として暗躍したとされ、多大な尽力があったとされている。北の富士と
決裂してからは、独立した元高鐵山の大鳴戸部屋の後援会会長とし大鳴戸部屋
の最大のタニマチとして存在した。週刊ポスト誌上では、元大鳴戸親方とともに
角界の八百長体質などの裏事情を暴露。しかし、1996年に元大鳴戸親方と同じ日
・同じ病院・同じ病気(肺炎)で死亡(同時刻とされることも多いがこれは誤り
であり、元大鳴戸は午前4時45分、橋本は午後7時48分に死亡している。≫
この事件は報道規制のためか? あまりマスコミは騒ぐことはなかった。
しかし誰もが、この事件は不可解であり、何?がらみと思っても、声を高く
いえない不気味さが付きまとっていた。先日、地元紙の新潟日報で取上げていた。
そこで、優勝のかかった勝負は230万円で、橋本は、これまでいくら使ったか
数知れずという。何で橋本が告発に踏み切った理由は感情のもつれである。
北の富士は潔く早々、弟子の千代の富士に親方の座を譲った背景に、こういう
事件があったのである。 興行世界の一端が垣間見れる。
・・・・・・・・
3245, アメリカ一極は終了したのか?
2010年02月12日(金)
欧州のユーロが、ここにきてジワリ下げてきて、1ユーロ120円割れ
直前で数年前の三分の二である。PIIGS(ポルトガル、イングランド、
イタリア、ギリシャ、スペイン)といわれている国も破綻懸念。
その上に、中東欧のルーマニア、ハンガリーなどの危機もある。ドバイの
バブル破裂の今後も、どうなるか先が見えてない。日本も異常な財政赤字で、
国家も経済も疲弊しきっており、いつ経済の底割れが起こるか分からない事態。
今年は欧州か日本が発火点になる可能性がある。ところが発火点のアメリカは
大きな変動がみられないのもおかしな話。彼等は不良債権を発行し世界中から
過剰輸入をしたが、その見返りはドル札とアメリカ国債、それと怪しげな債権を
発行しただけ。発行残高の数字が増えただけで、いざとなれば踏み倒せばよい。
支払ったドルも、行き場が無いのでアメリカに戻ってくる仕組み。
リーマンショックからの金融恐慌で「アメリカの一極体制が終焉した」
と思っていたが、経済雑誌に欧米の数人の学者が、
≪ 経済の寡占化には、歴史的にみても必ず軍事的な圧倒的な優位が必要で、
アメリカが、いまや圧倒的な軍事力を有している。特に海軍の戦力の影響が
大きく、地勢的に見てアメリカは大西洋と、太平洋に面しており、その海軍力は
世界で圧倒的に強い。中国はもちろん、ロシア、欧州も、どこも、その力は無い。
その力を背景に、今後ともアメリカは世界一極の中心でありつつける」≫ という。
大英帝国をつくった英国も、当時は大艦隊で世界を圧していた。スペインも同様。
世界が不安定になるほど海軍力がものをいう。 海軍力の上に、さらに圧倒的な
空軍も、核弾頭もある。中国と2G体制など、おこがましいというのがアメリカ
の本音。 日本など、隷属国でしかないのは自明のこと。その暗黙の上で、世界が
成り立ってきた。ところが、この世界恐慌でアメリカ一極体制が本当に終わって
しまったのだろうか。それとも圧倒的な軍事力と情報産業で、その主導権を
持っている強者の立場が、これから続くかどうかの見極めである。
残念ながら、続くのではという論に一理あるようだ。アメリカ一極支配は、
まだ始ったばかりか?それとも飛躍的情報革命の進行は、それさえ呑み込んで
いくか?その辺が面白いところ。この数年が見ものなど、いっていられないか。