* 毎日が面白い! ―まずは、ヨガ(後半)
 6年前に始めたが、何故か数度で止めてしまった。そして翌年、まず5回、
そして10回と意を決して再挑戦をして現在に至っている。平日・昼間コースの
ヨガの枠が5回ある。当初の週二の枠が、5回に増えたが、参加者も8割だった
のが、現在は、50人の定員が殆ぼ満タン状態。火・水は事前に予約チップを
数時間前に取りに行かなければならない。ヨガは、60〜90分で、1200〜1500円。
私の場合、月に18回として、一回千円とすると18000円になる計算。満タンに
なるわけ。慣れるほど、自分以外の人たちが気にならなくなる。5年になるので、
600〜700回は参加したことになる。ヨガは、心にも毒が溜まるのが自覚できる。
それを一刻の間に、少しでも吐出すことが出来る。最近、5年前とは体質が変化
した感がする。老いるとは、長年の心の毒が一人歩きをし、そのまま生老病死
の4苦として重く圧し掛かる。
 ポーズで、例えば『ガス抜きのポーズ』がある。仰向けになって曲げた両足
を両手で抱えるポーズとか。『ゴキブリのポーズ』で、仰向けで両手両足を
ゴキブリにように、ばたつかせるポーズとか。『立木(リツギ)のポース』で、
立ち木のように両手を頭の上に合わせて、ギリギリ上に伸ばすポーズとか、
顔をしかめたり、縦に伸ばしたり。犬や猫が背中を伸ばしたりするポーズが、
結構、面白い。これらを50人のポーズを一番後方から見ると、それは壮観。
――
2013/05/25
早朝座禅 
        「早朝座禅ー 凛とした生活のすすめ」山折哲雄
  * 座禅とヨガの呼吸法
 雲頓庵で座禅を組んだのは六日町にある雲頓庵と、金沢時代の新人研修での
永平寺。近くでは悠久山の曹洞宗・堅正寺で、禅室で独り座禅を組んだことも
あった。そうこう考えると、延べ30回は座禅を組んでいた。禅僧からみれば
ド素人の野狐禅だが、青年期の私には新鮮で面白い経験であった。今から考える
と、自ら‘ひとり’の状態に追い込んで、心の整理を自然に任せ整理をしていた
ことになる。 進路が定まらない20歳代、迷いと混乱の中、禅寺心をゼロにし
行き先を考えていた。雲頓庵では新井石龍禅師から直接、姿勢の正し方、呼吸
の仕方、心のあり方を指導してもらったが、教えられるのはカタチだけ、
禅定に近づくには、只管、座禅を組しかない。 
 このところスポーツジムのヨガ教室で、瞑想のための呼吸法を教えているが。 
基本は鼻から1、2、3と10秒数えて吸い、5秒間止め、10秒かけて吐き出す。
そして5秒止め… を繰り返す。 実際にやれば分かるが、この息が続かない。
これに対し著者の丹田呼吸法は、2秒で吸い、4秒かけ吐き、2秒間息を止める。
それを繰り返す。
  ーネット検索の「座禅の呼吸法」ではー
【 息を吸うことよりも、吐くことに主眼を置いて下さい。上記の気海丹田まで、
 体の中の空気を全部吐きだす感じで、吐ききってください。吐ききれば、自然に
吸えます。数息観というのは、呼吸を整えていくための方法で、一〜十まで数える。
 ヒト〜で静かに長く深き吐き、ツで吸います。フタ〜で長く深く吐き、ツで
吸います。これを、何回も繰り返すのです。呼く息は、自分の気海丹田に吐き
かけるように、そして数えるのも気海丹田で数えるという観念でやることが大切。】
腹式呼吸で、吐きに意識を集中して長めに、そして少し息を止め、短めに吸い込み、
少し息を止め、吐きを長めに、を繰り返す。
  ー禅は腹式呼吸に対し、ヨガの呼吸法は腹式と胸式呼吸法のミックスー
【*腹式呼吸のやり方は、へそに意識を集中させ、鼻からゆっくり吸い込み、
 腹に空気を溜めて膨らませます。そして腹から空気を押しだすように、鼻から
 ゆっくりと息を吐いてお腹をへこませます。息を吐いた時は、お腹がぺたんこに
 なるようにします。呼吸のリズムは、3秒で息を吸って、6秒かけてゆっくりと吐く
 イメージ。胸式呼吸のやり方は、胸式呼吸とは肋骨を大きく広げて息を吸う呼吸法。
 ラジオ体操の深呼吸などが胸式呼吸になる。】
基本的には、座禅もヨガも同じだが、ヨガでは胸式呼吸を含むところが違う。
30年前からの早朝の散歩とミニサイクリングで、深呼吸は身にはついているが、
新鮮な空気は本当にうまい。新鮮な場所で、深呼吸をする習慣をすれば、
その必要もないが。
――
2013/05/16
ヨガと座禅の違い
 毎週二回、スポーツジムの「ヨガ」に参加して14ヶ月、百回は超えているが、
回数を重ねるたび、身体も、気持ちも解れていく。学生時代に野狐禅だが、六日町
の雲頓庵で持ち込んだ卒論の種本を読みながら、合間に広い禅室で独り座禅を
組んだことがあった。ただシーンとした中、「直ぐにでも止めようか」という気持
と戦いながらのたった独りの座禅は、永平寺での一瞬気持ちを緩めれば、禅僧に
叩かれる状況より辛い。誰もいないため、直ぐ止めたい誘惑との闘いになる。
 ヨガで仰向けになり全身を弛緩する「死者のポーズ」があるが、これは座禅の
禅定に似ている。飛行機内の座席で、耳栓をして姿勢を正し、次々出てくる思い
を泡のように流していると、何かのゾーンに入ってしまい、10時間以上の時間が
アッという間に過ぎてしまう。ヨガは、瞑想で心を解すのが目的で、禅は、その
状況から仏の悟りに近づくことにある。
ーヨガと座禅の違いをネットで調た中で、納得にいった3つをコピーしてみるー
《人は疲れたときに目をつぶる事がある。そこで何かを思い浮かべながら瞑想に
ふける。この繰返しがヨガという。 このヨガはもともと「軛(くびき)」という
ことで、牛に車を曳かせる腕木を指した。これが次第に神の力に人間を結びつける
ことを意味するようになり、その修行法として智慧、愛、行、瞑想が重視された。
一般にヨガと呼んでいるのは、このうちの瞑想による神人合一の方法である。
このヨガは紀元5世紀ごろには「ヨーガ・スートラ」を根本経典としたヨーガ派
が独立してさかえ、完全性をそなえたひとつの霊魂を最高神としてあがめた。
このヨガの修行法が仏教にも広く取り入れられてきた。それが坐禅につながる。》
《 ヨガと坐禅は、まず姿勢を正して、呼吸や五感(眼、耳、鼻、舌、身)を
 整え、誘惑をさけ、精神統一するのはどちらも同じ。ヨガは、これによって
初めて超自然的な力が得られ、対し禅は「禅定」に深くかかわり、静けさを求める。
禅とは(ジャーナ、禅那)という梵語の音写で、釈尊の悟りを追体験して
”身心脱落”し仏の境地になりきり坐禅をすること。禅は「無」を標誘し功徳や
利益を求めない。ひたすら足を組んで坐禅をすること。ヨガは神人合一して
身心の健康を増進させる。》
《ヨガは、インドに古くからあり、ウパニシャッドと言われる古代インドの哲学書
にも出てくるもので、瞑想や呼吸法、座法などによって心身を鍛える事で、心の
動きを抑制する方法として古くから用いられた。 後に、ヨーガ学派という哲学
集団によって、解脱への実践方法として体系化されていったと言われています。
そして仏教においても、このヨガは悟りへの実践方法として用いられ、釈尊も、
瞑想によって真理を悟ったと言われますし、「瑜伽行」という修行法として
確立されました。現代のヨガも、もともとはそのインド独特の修行法をアレンジ
したものですから、仏教の修行とヨガとは、出発点は同じであると言える。
違いと言えば、仏教における修行は、さとりを目指す為の方法であり、現代の
ヨガは、心身の健康維持のためのもの、という点でしょうか。座禅とヨガとの
関係についてですが、ヨガは、座法や呼吸法を盛り込んだ、精神統一の方法で
ありますし、「禅」といいますのは、「禅定」つまり精神統一をし、真理を観察
することであって、「座禅」は座法や呼吸法を用いた「禅定」一つの方法ですから、
根本的な部分で同じ要素を持つものと言える。》
▼ ヨガは座禅と出発点が同じ「座法」「呼吸」を盛り込んだ精神統一の方法
 に対し、座禅は精神統一を通して真理を観察するもので、少し意味合いが違う。
腰痛持ちの私にとって、週二回のヨガは腰痛緩和の自己マッサージ治療。
私の腰痛は完治はないが、仲良くするのは可能。その方法がヨガの中に多くある。
手軽なベストの場が見つかったもの。たまたまー「早朝座禅」山折哲雄著ーを
見つけ読んでいるが、数日前から、30分早く起き、早朝座禅を取り始めたが、
これが良い。4時から7時までは、正にゴールデンタイム。
60年以上溜まった毒出し、矯正の時間でもある。
――
2013/02/18
閑話小題 ー因果一如
  * ヨガ・エアロの場にて
 週に二回、スポーツセンターの「ヨガ」に参加しているが、あと一月で一年。
欠席は4〜5回で、ほぼ皆勤に近い。週に三回、行われているが、火曜日と木曜日に
参加している。50人定員だが、毎回、ほぼ満員。幅60センチ、縦120センチの
ヨガマットを縦にして、その中で先生の指導の下、50分の間、マントラなどの音楽
を聴きながら、色いろなポーズをとる。室内はカーテンで暗く、大人数のヨガは何とも
不思議な気持ちになる。「マット内は、自分の宇宙で、周囲を無視してください。」
と何度も何度も繰り返す。9割は女性で、時間からして主婦が大部分。一年近く続けて
いたため、関節の硬さは、かなり取れてきた。「スローヨガ」と名うっているが、
だんだんハードになっていく。私にとって、医院での腰痛治療のようで、背骨、足腰
の骨の矯正をしていることになる。ヨガは、元もと座禅など瞑想をしている合間に、
足腰の矯正をするためのもの。とはいえ、これで腰痛が良くなったというより、
悪化防止という感覚。終わると、脳と身体がスッキリした感覚になる。
で、先日、私の近くでプッという音。 ガス抜きのポーズで、誰かが思わず・・ 
そこに、男は私ひとり。誰がみても・・ まあ、いいかで時間が過ぎていった。 
――
2012/03/16
閑話小題 ースローヨガなど
  * 昭和的価値が人々を苦しめている!
 図書館で、何気なく月刊誌「新潮45」をチラ読みをしたところ、ある対談の中で
印象に残った言葉があった。「良い大学を出て、大企業かに入るか、公務員になり、
マンションを買って、子供を二人つくり、とかいう戦後の昭和的価値から抜け出せない
で、苦しんでいる人が多い」という内容。 特に、団塊世代の親子、とりわけ子供の心に、
その断層があり、両者が、その葛藤に苦しんでいる、ということ。 ここで現役から
退いて一年、昭和的価値観に影響された、それまでの人生が見えてくる。学生時代の
専攻が社会学だったこともあり、卒業後も社会の潮流に興味を持ち、昭和的価値観を
突き放して鳥瞰したきたつもりだった。しかし振り返ると終戦後から高度成長期の
昭和的価値観に縛られていた自分に、あらためて気づいた次第。特に地方は、昭和的
というより戦前戦中の日本的価値観が失われず、そのまま残っている。 それを良し
とするには、情報化が許さない。そのため、その年代の横の繋がりが強すぎて孤立化
傾向が強い。 それを絆というらしいが・・・ 大量生産、大量消費を目指した昭和
が終わり、情報化もあり、グローバル化の波が大きく覆い被さってくる。
その昭和の価値から抜け出れない人たちが、財布を握りしめているため経済は停滞、
少子化もあり経済は最悪の事態に突き進んでいる。
  * スローヨガ
 スポーツジムで二週間前から「スローヨガ」に参加を始めた。入会当初に3回、
参加したことがあるが、腰にきつかったため、それ以降、参加するのを止めていた。 
イージーラインを続けて二回するのが習慣になり、それが私にとってベストになっていた。
ランニングマシーンのウォーキング30分に、イージーライン(25分)を連続二回に、
週二回のスローヨガ(50分)を加えたことになる。チャレンジ10と勝手にキーワード
を決めて昨日で4回目。 この言葉を繰り返しながら通っている。
 腰痛改善のためのコースと思えるほど腰が軽くなる。 40坪位のエアロビの
スペースに30〜40人の参加舎。男の参加は4人。 殆どが常連で、最後列から
みると全員、姿勢がよい。 まずは、あと6回は参加すれば、恐らく常連になるだろう。 
――
2012/07/14
ヨガ 
 スポーツジムのヨガに参加して4ヶ月になる。‘スロー’ヨガというから
初心者向けだが、腰痛持ちは少し厳しい。定員50人に、平均40人位が参加。
男性参加者が5〜6名で、最高齢は私で、片隅で目立たないようにしている。
その中、時どき先生がヨガの説明をする。先日の内容は、「ヨガは瞑想法の一つ。
無念無想になるために呼吸法と、色いろなポーズを取ることで、そこに気持ちを
集中して、頭を空ッポにするため。従って、ヨガが上達したとか、しないとかは
気にすることはない」という。なる程!いいことを言う。週二回、4ヶ月経った
印象は、「腰痛解消のために病院で集団治療をしている感覚。」腰には良いが、
少し痛みが残る。それでも合計33回、ヨガを続けてきた成果が出始めてきた
体感はある。数十年かけて固まった足腰が、徐々に解けているのがポーズの積み
重ねで実感する。  ーそこでヨガの意味をネットで調べてみたー
≪  ◇ ヨーガの意味と起源 
 ヨーガの起源をたどると、紀元前二千五百年程のインダス河流域のハラッパ
モヘンジョダロなどの遺跡から、ヨーガの坐像の印形が出土していることから、
その頃を起源としているようだが、実際に「ヨーガ」という言葉が宗教用語と
して確認されているのは紀元前五百年前後のベーダンタ時代で「ヨーガ」とは、
「馬を車体につなぎ、その馬車をコントロールして、道をはずさず、人生の目的地へ
行くこと」を意味していた。 カタ・ウパニシャッドでは 「真我(アートマン)を
車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と心得よ。賢者たちはもろもろの
感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん でいる」と述べています。このこと
から「ヨーガ」とは、馬を車に「つなぐ」が語源であり、意味するところは「結ぶ」
「コントロールを する」「バランスをとる」との意味をもってきました。
 又、少し遅れた同時代には釈迦族のゴータマ・シッタルダが悟りを開き、仏教が
スタートしています。このお釈迦様も二十九歳の時、王宮から出家して山野で六年間
修行された後、ブッダガヤで瞑想し、悟りを開かれたのですが、その間、瞑想をしたり、
断食をしたり、野山で遊行した修行が、まさに当時のヨーガそのもの。その生きた
お釈迦様の実際に語った言葉を、後に弟子が書き残したと云われる「ダンマパダ
(法句経)」の中にも、「ヨーガ」という言葉が語られています。
「まさに智はヨーガより生じ、ヨーガなくして智は滅ぶ。その道理を知りて、
ヨーガを行じ、智を増大せしめよ。」「智」というのは、物事を分析するの知識
(分別知)ではなく、知に日がついて光あふれた、命の智恵「英知」と云われて
います。それを人々に伝える人を、かつて、日知り「聖人」と云ったのです。
このように「ヨーガ」とは、「結びつける」「コントロールをする」
「バランスをとる」という意味と、その「修行法」「技法」として発達してきた。
それでは何と何とを「結びつけ」「バランスをとる」のでしょうか? それは、
?身体と心をバランスよく結びつける。
?内なる私(真我)と大いなる我(宇宙)とを結びつける。
?人と人をバランスよく結びつけることなのです。
仏教では、それを三宝と云って、?身体と心をバランスよく結びつけ解放した
人間存在を「仏(ブッダ)」といい?宇宙や自然の法則と自己とを調和させる
生き方を「法(ダルマ)」といい、?人と人とが調和し助け合う平和な社会を
「僧(サンガ)」といって尊んだのです。 そしてヨーガでは、その方法を、
具体的な生活法(ヤマ・ニヤマ)、運動法(アーサナ)、呼吸法(プラーナヤーマ)、
瞑想法の階梯(プラティヤハーラ、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディ)
そして祈りの言葉・神の名(マントラ、ジャバ)等として、 私達に伝えて
きているのです。 ≫
▼ ≪「真我(アートマン)を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と
心得よ。賢者たちはもろもろの感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん
でいる」と述べています。このことから「ヨーガ」とは、馬を車に「つなぐ」
が語源であり、意味は「結ぶ」「コントロールを する」「バランスをとる」
との意味をもっていた。≫が、ヨガの本質。内なる真我と大宇宙を結ぶ修行と
いうこと。10数年ほど前に、散歩で出会った地球の核の一点を擬人化して
現在も話をしているXが、宇宙。向き合っているのが真我ということ。
――
2011/06/25
閑話小題 〜エアロビ・ヨガ
   * エアロビックス
 スポーツジムで週二回は「エアロビ」に参加する。だいたい30〜50人が、
スタジオで色々なプログラムをこなしている。 15〜20分の休憩をおいて何かが
30〜50分の間行われている。けっこうメニューがきつく、年代が高くなるほど
参加者が少ない。男の参加者は数名で、片隅で小さくなっている。いい歳をして
はずかしいが、それでも気を入れて何とかついていっている。
 年代が高い人やメタボの人は、スタジオ外のランニングマシーンや、サイクリング
・マシーンの間の空間で、インストラクターの指導で、12人がステップ台とマシーン
を交互に使うイージーラインというプログラムをこなす。それをエアロビックの参加者
が冷たい?視線で、行列に並びながら見ている構図になっている。このところイージー
ラインの25分のプログラムを5分の休憩をおいて続けて参加してきたが、この梅雨の
湿気で一回限りにしている。 
 ところで、一昨日は、スローヨガに初めて参加をしてみた。キツイと覚悟をして
参加したが、意外と楽であった。 これまで「らくらくエアロ」「バランスボール」
シェイプボクシング」「ステップ30」「スローヨガ」など10回以上は参加した。 
最後の、「スローヨガ」を除いて、他は、ついていくのにやっとだが、3回をこなすと
力の抜き方が分かる。 それにしても、あの熱気は凄い。時どき、それに参加している
自分が可笑しくなって笑いを堪えている。今日は、「ZUMBA」というプログラムに
参加するつもりだが、ドンチャン騒ぎをエアロビに取り入れたものと、説明書にあった。
面白そうだが、65歳の男が昼間からドンチャン・エアロに参加してよいものだろうか?  
ここまで、くれば同じか! そういえば、6月に入ってから、どうも私のいる時間帯
では、2〜3割位は減ったような気がする。不景気が影響しているのだろうか。