〜「下位36億人」と「上位8人」が同額資産                 
             国際非政府組織(NGO)は2017年1月16日〜、
 格差には驚かされるが、ごく一部の勝組の総取りが現実であり、それ以外は、
余り豊かではないが、周辺だけは、その一部の分け前が与えられる。高度情報
社会(ネット社会)は、こういうことになる。年々、その格差は大きくなり、
止まることはなくなる。その最たるロボット化が人間を阻害する時代が、より
顕著になり、その利益は、ごく一部の者たちに絞られる。2000年前の世界では、
一般市民にはローマ劇場を与えられ、演劇や、剣闘士の戦いなどの娯楽を与え、
市民を慰撫していたが、今ではTVとスマートフォンタブレットの中に納め、
家の中で幽閉されるようになっている。 で、その大元を抑えているのが、彼ら
という縮図が、格差の数字に端的に現れだされる。
 〜この内容とは〜
≪<世界で最も裕福な8人と世界人口の貧しい半分の36億人の資産額が同じ>と
 する報告書を発表した。この報告書は、スイスのダボスで17〜20日に開催される
世界経済フォーラムダボス会議)に先駆けて発表された「99%のための経済」。
資産額の上位8人の合計金額は4260億ドル(約48兆7000億円)に上り、米マイクロ
ソフトのビル・ゲイツや、フェイスブックの共同創業者マーク・ザッカーバーグ氏、
アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏らが名を連ねる。
 オックスファムが1年前に発表した報告書では、世界人口の半分に匹敵する資産
保有する富豪の人数は62人とされていたが、インドや中国などに関する富の
分配のデータが明らかとなり、試算し直したところ、2016年では9人だった。≫
 また、
≪貧困と不正を撲滅するために世界100ヶ国以上で展開する英国の非営利団体
オックスファムは最新の報告で、世界中のトップから1%の富裕層の持つ資産の
合計が、それ以外の99%の資産の合計を超えました。
そして、2014年1月にBUZZAP!では「世界で最も裕福な85人が人類の貧しい半分の
35億人と同量の資産を握っている」とした記事を掲載しましたが、2年後の現在
ではこの数字はさらに先鋭化し、最も裕福な62人が人類の貧しい半分の人口と
同量の資産を握るまでになっています。この数字は2010年には388人であった
ことから、より富の専有が進んでいることを明確に示しています。
オックスファムはこの偏りの大きな原因として、無税富裕層や企業の資産を誘致
するために税金を無税もしくは極めて低い税率にしている国や地域「タックス
ヘイブン(租税回避地)」を名指しで批判。タックスヘイブンの存在によって
富裕層や大企業が本来所属する国に支払うべき税金から逃れることで、社会保障
や医療、教育などの公共サービスや富の再分配が正常に行われず、富裕層や
大企業のみが肥え太る原因になっているとします。
また、格差拡大の背景には労働賃金の国民所得に占める割合の低下も指摘されて
おり、最低賃金を生活賃金の水準に引き上げ、男女間の賃金格差を解消すること
も提唱しています。さらに、政府は大企業やロビイストからの影響を最小限に
抑制し、徴税対象を労働者と消費行動から富裕層と資本利益へとシフトすべき
であるとしています。≫ 
――
▼ この流れは、止まることなく続き、何らかのカタチで、破壊活動が起こる。
 その一つが難民問題で、これは、まだ序曲で、世界的規模で、拡大する。
貧富の、とりわけ問題は最悪の状態に置かれた難民の冬場の処遇。
6年前に、舟板一枚下を覗いてみたが、そこは今まで想いもしなかった世界が
あった。サメの群れが口を開け、鋭い目と歯が不気味に光っている闇の世界。
元もと、そこにあったが、落ちようとしたからこそ、見えた世界である。
別段、騒ぎたてることもなし、誰も最期は<死>という舟下の海が待っている。
 とはいえ、99%より、1%の方が、本音、良いもの! 
 〜これまた偶然、去年の同月同日に、同じようなテーマで書いていた〜

・・・・・・
5424,閑話小題 〜世界の貧富
2016年01月21日(木)
    * 世界の貧富
 欧米の貧富の格差は「上層が3%、中流・30%、その他」という。
日本も、バブル崩壊以降、これに近づきつつある、日本は3分の2が下流
 先日のTVニュースで、<世界の金持の62人の資産総額が206兆円で、
世界の下位半数の36億人の総額と同じ>と報じていた。金持の一人当りは、
3・3兆円で、下位の36億人の平均は5万7千円。6年前は、388人が下位
半数と同額というから、更に少数に絞られた。
 『世界がもし100人の村だったら』に
< すべての富のうち、100人のうち、6人が59%をもっていて、
 みんなアメリカ人で、74人が39%を、20人が、たったの2%を
 分けあっています >とある。この本の出版から大分、前なので、より
格差が広がって、そこにはロシア、中東などが多く入っているだろう。
 先進国の一員だった日本も、冷戦終了以降、地政学的有利性が小さく
なった上に、グローバル化もあって、国内格差が更に大きくなっている。
TPP問題も中長期的にみて、日本にとっては大問題。アメリカの経済的、
軍事的支配力は、ますます強くなるのは自然の成り行き。
   * 終末医療
 先日の‘「クローズアップ現代」の終末医療の“最期のとき”をどう決める’
で、末期患者が苦痛で頭を掻き毟っている場面が映像で流されていた。
これが死に際の現実である。それもNHKのゴールデンタイムに。その現場に、
5〜6歳の子供が涙を流しながら立合っていたが、身近の人の死に際の苦闘は、
幼児教育として一番の教えになる。その人は、撮影当時71歳、私より2歳上。
3〜7年?以内に、自分にも起こる死に際でもある。〜NHK・HPの内容紹介〜
クローズアップ現代“最期のとき”をどう決める“終末期鎮静”をめぐる葛藤! 
 いま、在宅で療養する末期のがん患者に、「終末期鎮静」という新たな医療が
静かに広がっている。耐えがたい苦痛を取り除くために鎮静剤で意識を落とし、
眠ったまま最期を迎えるというものだ。最新の調査では、在宅で亡くなった
がん患者の7人に1人に行われていたことがわかった。
 自分の意志で、眠ったまま苦しむことなく死を迎える患者。その一方で、
遺族の中には、「“終末期鎮静”に同意したことで、患者の人生を終わらせて
しまったのではないか」と悩んだり、罪悪感にさいなまれたりする人もいる。
自宅で最期を迎えるがん患者が増る中、終末期医療はどうあるべきか考える。≫
▼ 父親が苦痛で頭を掻き毟っている姿が目に焼きついている。
 最期は、医師が近親者の同意の上に、呼吸を止めることが多い。
壮絶な死に際が現実だからこそ、「ピンピンコロリ!」が理想になる。
だからこそ、「いま」「ここ」の「わたし」を慈しむしかない。
 で、以下につづく!
―――
2015/10/05
不平等を歴史に学ぶ 〜?
    【『21世紀の資本』トマ・ピケティ を私はこう読んだ 特集】
   〜‘不平等を歴史に学ぶ’柴山桂太著   新潮45・2015年3月号
  * 上位1%や上位10%への富の集中
 中流社会の、三分の二のサラリーマン対、残り下位の構図が崩れた現在、
この本では、“10%vs90%”又は“1%vs99%”の不平等に焦点を当てている。
ネット社会の到来が、世界をグローバル化を促進させ、一部だけが勝ち組に、
残りは負け組の社会になっていく。この著書で、ピケティは、その点を
クローズアップして我々に問題提示をしている。 〜ここで筆者は
「過去の不平等は戦争や革命により暴力的に解消された、しかし著者の
目論見は、この失敗のスリリングな回避にある」とある。さらに・・
≪ 格差社会という言葉はすっかり日常に定着した感がある。“1億総中流
 と言われたのも今は昔、最近では社会の二極化が懸念されるようになった。
日本だけではない。不平等の拡大は世界的な傾向である。特に顕著なのが
アメリカ。 “1%vs99%”とも言われるように、人口の1%の富裕層の富が
増加する一方で、大多数の国民の所得は伸びていない。最近では上位1%
どころか0.1%、或いは0.01%の超富裕層の富が急激に増加している事実が
明らかになっている。なぜこれほどの富の集中が起きるのか。
 この問題を考える上で目下大変な注目を集めているのが、
ピケティ氏の『21世紀の資本』である。・・(略)
 本の内容は至極真っ当だ。不平等のデータを過去200年以上に亘って
収集・整理した上で自説を展開するピケティ氏の理論は、類書には無いわかり
やすさと説得力がある。日本の格差論争はこれまで、非正規やワーキングプア
の増加が問題視されてきた。非正規の割合はこの20年で増え続け、現在では
労働人口の35%を超えている。年収が200万円を超えないワーキングプア
(働く貧困層)も、若年層を中心に増加の一途を辿っている。
平均的なサラリーマン(中位層)とそこに入れない貧困層(下位層)の格差が、
従来の格差論争であった。 それに対して『21世紀の資本』が扱うのは、
「上位1%や上位10%の富裕層への富の集中がなぜ生じるのか」という問題。
これまでの格差論争が“65%vs35%”の格差を問題にしてきたとすれば、
こちらは“10%vs90%”又は“1%vs99%”の不平等に焦点を当てている。
この本がアメリカでベストセラーになった理由もここにある。 ・・ ≫
▼ アマゾンのビュアーの『21世紀の資本』を要約によると
《本書の主たる主張はごく簡単に言い表すことができ、何度も繰り返されている。

  • 人類の歴史のほとんどの期間において、資本収益率は成長率を上回っている。

(つまりr>g)であると、富は賃金所得や産出を上回って成長し、持てるもの
と持たざるものの格差はどんどん拡大。事実、20世紀以前には一握りの金持ち
と大多数の生活に困窮する庶民で社会が構成されていた。

  • 20世紀後半に比較的格差が縮小し、そこそこ裕福な中間層が出現して穏健な

市民社会が実現したのは、2度の世界大戦による富のリセット、インフレ、
各国の格差縮小的な税政策、歴史的に見て例外的な高度成長の継続、などの
要因が重なったためであったが、今や成長の時代は終わりを告げ再び格差拡大
の時代に戻ろうとしている。

  • 格差拡大を防ぐためには、高度な国際協力と資本に関する情報開示を基礎と

した累進資本税の導入が最適な解決策である。》と、要約を、まとめている。

・・・・・・
5060,閑話小題 ー樹海のふたり
2015年01月21日(水)
   * 映画「樹海のふたり」
 録画をしていた映画の「樹海のふたり」を先日観たが、何とも味わい深い。
富士山麓の樹海で、自殺者のTVレポート番組を何回かみていたこともあり、
WoWoWを録画をしていたもの。 重い内容を軽いタッチで飽きさせない内容。
 〜ネット検索の内容より〜
≪フリーのテレビディレクターとして活躍する竹内と阿部。二人は富士の樹海の
 近辺をさまよう自殺志願者たちにインタビューしては、その経緯や心情を聞き
出しつつ、自殺を思いとどまらせるドキュメンタリー番組を制作する。番組は
高視聴率をたたき出し、テレビ局や彼らが所属する制作会社は続編の撮影を持ち
掛けてくる。しかし、自殺志願者たちのさまざまな人生に触れてきた二人は、
そうした番組の制作で生計を立ることに良心の呵責を覚えるようになっていく≫
▼ 自殺のため樹海に足を踏み入れようとする人々の姿を追うドキュメンタリー
 番組のディレクターの二人が、おのおのの事情を抱えた自殺願望の人たちと
接する中で、二人の問題を抱えた人生を見つめ直していく筋たてがよい。 
 この中で、「何故、富士山麓の樹海を死に場所にするか?」の疑問に対し、
「自殺は、自宅内の首吊り、ガス自殺、服毒死、そして自宅近くが殆ど・・」
ところが、自殺を決意できないため、「樹海に行けば人知れず決行できる」と、
思いたって来るという。そういえば、以前、ここで、『実録・ゴールデン・
ブリッジからの身投げ』を取り上げたが、こんな映画は国内の製作は無理!
 私のブログのビュアーに、『最近、いやに死を扱った読書録が多いですね。
(陰の声として、何か危ないのですか)』と、怪訝な顔で言われた。
そこで、『その時になってからでは予習効果は少なく、死の問題は、まだ先
と高をくくっていられるうち、これは長年の蓄積が必要。』と答えていたが。
「正中心・一点・無」の最たる難問が死の問題。これも、突き詰め、凝視を
続けると、慣れが出てくる。ところで方法の三分の二が首吊り自殺で、
9割の人が、その瞬間、止めておけばと後悔する、という。世間様とやらと、
妄想に充分に気をつけ、何があっても苦海を面白おかしく生きなければ!
――
503, 実録・ゴールデン・ブリッジからの身投げ
2013年07月15日(月)
 先日、蔦屋で本を一冊買ったところ、レジの人がいうに「今なら、シニア様
なら無料でDVDが借りられます」という。そこで借りてきたのが、『ブリッジ』。
軽い気持ちで、身投げ自殺のドキュメントのタイトルにひかれ借りてきたが、
初めから終わりまでシリアスで見入ってしまった。次次とサンフランシスコの
ゴールデン・ブリッジから身投げをしていくのが映し出され、遺族や友人が、
インタビューに答えている。このところ『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
や『どうせ死ぬなら「がん」がいい』の読書録と、その下書を書いているので、
死にゆく者の心模様がシリアスに伝わる。橋の手前で、死のうか迷って考え込み、
決断する悲痛な姿が痛ましくバンジージャンプのように飛び込んでいく姿が
痛ましい。その後の身近の人の証言では、ほぼウツ病で、それが高じ自殺に到る。
生きているのが辛く、死にたいのである。 反面、誰かに助けて欲しい気持ちが
迷いを生み出す。その中で、一人、助かった人がいた。足から落ち、上手く靴が
水面に突き刺さって衝撃を和らげた上に、水中でサメかアザラシ?が踏み台に
なり、押し上げられたという。普段なら40Mの落差の衝撃で亡くなるが、
このブリッジは66M。内容は暗く恐しいが、心の闇が、身投げを通して
浮かび上がってくる。  ーウィキペディアによるとー
≪『ブリッジ』(原題:The Bridge)は、2006年に公開されたアメリカの
ドキュメンタリー映画。社会の禁忌としている『自殺』をテーマにしている。
観光の名所のゴールデンブリッジに1年間カメラを設置し、自殺者の様子を
カメラに収めた。後に遺族にインタビューをし、そこから自殺を図る人々の
様子を映しだそうとしている。映画では24人が、橋から66Mの高さから海面に
向かって飛び降りている。監督のエリック・スティールはこの映画を取る際、
映画の宣伝効果で自殺者が増加しないように極秘に行っていた。また、
橋の柵に足をかけたら管理局に通報することをルールとして定めていた。
 映画は主に橋とその周囲の日常を撮影した風景、自殺者の飛び降りるシーン、
遺族や友人、目撃者へのインタビュー、遺書などから構成されている。
中でもインタビューの映像が多く、自殺者の情報はインタビューの情報でしか
語られない。自殺者の多くが精神的な病やトラブルを抱えていることが
その中で分かる。≫
▼ 2006年の時点で、この橋からの自殺者は年に24人もいるというから、
 全員撮ったことになる。次から次へとブリッジから飛び降りるが、躊躇している
うちに警官や近くの人に、取り押さえられた人が数人いた。 生死の問題もあり、
それぞれの人生が浮かび上がる。ゴールデンブリッジという名所が、ロマンチック
な気持ちを駆り立て、志願者が国内から集まってくる。県内なら新潟の万代橋が
河口に近いため海に流され、死体が上がりにくいとか。人知れず消えている人
がいるのだろう?テーマがテーマだが、決して後味が悪くないのは、
シリアスすぎて、実感がわかない為? 死ぬには死ぬ理由があるはず!
・・・・・・
4695, 霊気(スピリット)には、3種類ある
2014年01月21日(火)
          ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
  * 企業家と経営者との違い! 
 企業家は「真性不確実性」の中に「利潤の源泉」をリスクを持って主観的
判断をしなくてはならない。そのために自分自身に絶対的な信念を持った楽観的
アニマルスピリットが必要となる。ここで、「スピリット(霊気)」には3種類
あると記されている。 ーその辺りを抜粋して考えてみる
《 ●心臓から生まれるとされる生命精気、 ●肝臓から生まれる自然精気、 
 ●脳から発する動物精気です。 哲学者ジョージ・サンタヤナは「動物信念」
の中心性をもとに哲学体系を構築したが、彼のいう動物信念とは「純粋で絶対的
な精気、知覚不能な認知エネルギーであり、その本質は直感である」と記されて
おり、ここまで説明されると、私たちにもナイトやケインズの主張も理解
しやすくなります。たとえばナイトはアントレプレヌアー(企業家)と
マネージャー(経営者)を明確に区別し、後者はナイトの唱える数値計算
可能な不確実性、すなわちリスクを保険付保するなどして、分散しながら
通常的に経営者としての業務を行い、報酬を受け取る立場にあります。
しかし想定外の数値的な表現が不可能な不確実な事象(真性不確実性)が発生
すると、それに対応すべく経営機能も質的な変化をとげなければならないし、
その時にはマネージャーはアントレプレヌアーに変身して、きわめて重要な予測
とか判断を主観的に行うチャレンジングな役割を果たすということになります。
一方、ケインズも、限られた知識に基づいて、不確実な将来に向かって、例えば
設備投資のような長期的なコミットをしていくためには、自分自身に対して
絶対的な信念を持ち、楽観的なアニマルスピリットを持つ人材が必要であると
説明しています。そして投資.投機に関して、最も重要なナイトの指摘は、
「利潤の源泉」は保険付保が可能な(彼の言葉では)リスクの中には、それに
よってリスクがコスト化されるということですから、利潤の源泉とは言えません。
彼の言う「真性不確実性」の中にこそ発見されるものだ、という点にあります。
これは、まだ海のものとも山のものともわからないベンチャー企業に敢えて
投資する態度につながります。・・・ 》
▼ 3年前の決断と、その後の対処が本能に根ざして淡々と、後処理が
 出来たのは、歴史的テロによる断層と、数百年に一度の経済的震災
リーマンショック)と、二万人の死者を出した東北大震災と津波のため。
これらの現象で、アニマルスピリッツが目覚め、思いきった決断と、
行動が出来たことになる。そこに悪い霊気が向うと、返り矢になるのは当然?
  創業者を気取って、10年で転身をしないで経営者に甘んじたのが、
この結果の真の理由になる。 上手くいった創業来の10年分の蓄積を、
20年かけて食べ尽くしてしまった! 微温湯で動物的直感が茹で上がって
しまったのである。企業家の状態でリタイアが、良かったか、茹で蛙
良かったか? もちろん、前者だが、その辺りの自覚が足りなすぎる! 
 のは、ご覧の通り。  「ご覧のとおり、そのまま、結構」である。
「�心臓から生まれる生命精気、 �肝臓から生まれる自然精気、 
 �脳から発する動物精気です。 �ドキドキ胸がときめき、�酒を飲むと
 開放される、あの霊気、�何かを直感する認知エネルギーこそ、人生の礎。
・・・・・・
4328, 財政恐慌 −4
2013年01月21日(月)                 
   ー次の質問群よりー     『財政恐慌』浜矩子著   
● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか 
● 我々はここで立ち止まりたいのか
● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか
   * 我々はなぜ元いたところから立ち去った。
 それは簡単だ。元いた場所が、我々に不相応な場所になったからである。
 日本経済は成熟した。大人の経済になった。
 だから、育ち盛りだった高度成長期に場所を立ち去った。
   * 我々はここで立ち止まりたいのか
 それは、「ここ」を我々が居心地のいい場所に仕立て上げられるか否かに
かかっわっている。「ここ」を嫌がってばかりいたのでは、「ここ」はいつまで
経っても立ち止まっていたい場所にはならない。成熟した経済社会が、居心地の
悪い場所であるはずはない。この場所のよさをどう引き出していくかが課題だ。
   * それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか