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『エゴの力』石原慎太郎著
* 浪費こそが最大の預金
石原慎太郎の著書に、「浪費こそが最大の預金」と、あった。二人の息子に、
青少年期に、スペイン、インド、エジプト・トルコ、ベネゼイラなどに連れていった。
一見、浪費だが、青少年期の、これらの経験は大きな預金になっているはず。
何事も、若いうちの経験が大きい。
倒産というカタチで会社整理をしたが、今では未練も後悔もない。実際に、
父親の影響もあり、創業(狂気)を目指し、自分を狂気の道具(凶器化)をし、
捨身で生きてきた。最後に(家族の手持資産)が数分の一になったが、元金の
数十倍を楽しみ、行蔵として最大の預金が残った実感がある。 そのため、
「浪費こそが最大の預金」という言葉がじゅうじゅう理解できる。
その結果が、この様だから、何をかいわんだが・・・ 「日々、是、口実」である。
半世紀前の学生時代の「欧州30日の旅」が、今では300〜350万の費用。
幼児期からの大晦日に父などから貰った「お年玉」の積立金を、高校入学と
同時に父親に金銭教育のためか、銘柄を自ら選らべと勧められ、初めて買った
株式の20数万の元金があった。欧州に行きたいと決心した時、これをベースに
10万円を貸して欲しいと、母親を通して父親に頼んだ。頭の硬い父親がスンナリ
と承諾したのは、20年近くかけた資金をベースにした計画だからである。
その30年後に、母親の財産分与の話合いで、4人の姉たちに、『あなただけ、
父親が甘かった。学生時代に欧州旅行など私たちには考えもつかないこと。
それに、大学を2つも行かせてもらっている。不公平過ぎる!』と詰られた。
私にすれば、自ら情報を得た上に、求めたからである。 で、浪費の話に戻る。
創業から、幾つかのホテル物件に30数億以上を投資をし、最後は、数羽のブラック・
スワンの到来で、あえなく事業清算に至った。結果からして浪費になるが、しかし、
その経験は、その数倍の心の預金として残っている。事実は事実である。
その辺りは第三者には全く理解できない。浪費は、あの世に気楽に持っていける。
そのことを学生時代に、「欧州旅行」の浪費?から、当時、学んでいた。
30億の投資経験の楽しみは、「あの世」に持っていける。生きている内に失った
経験は、持ってあの世に持っていける。 それが、何も考えない「あの方々」には、
理解不能。これは実体験をしてこそ分かること。『100億残すより、100億失う方が、
その人にとって真の財産になる』という道理。 同時に、敗者の泣き言でもある。
〜これも、偶然だが、以下の同月同日のテーマに脈絡が繋がる〜
これからすると、私には、起業には向いてないことが実感できる。 ったく!
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5290,起業こそ、自分を超えていく道 〜『自分を超える法』ー②
2015年09月08日(火)
ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
* 起業こそ、自分を超えていく道
ここで、「自分を超える5つの方法」を提示しているが、
キーワードは『起業』。実績あるの起業家が書いているだけに説得力がある。
〜アマゾンの内容より〜
〔考え方さえ変えればお金は必要ない。世界No.1コーチのアンソニー・ロビンズ
の「史上最年少トレーナー」として活躍するピーター・セージ。22社の会社を
経営し、1兆円ビジネスを手がけるビジネス界の若き天才。
その「世界初の著書」で語られる、自分を超える「5つの法則」とは。〕
【著者プロフィール】からして面白い!
イギリス若手No.1起業家。お金を使わずに、ビジネスを作り出すプロ。
世界No.1マーケッター、ジェイ・エイブラハムのビジネスパートナー。
資金なしから22社の企業を成功に導き、そのビジネス手腕は世界的に高い。
過去に二度、ビジネスパートナーを選び間違えて無一文になったものの、
2回とも再起してすぐに億万長者に戻った。また、3カ月間で、資産ゼロから
5億円の不動産を買うなど、極めて短期間で大きな結果を出したことで知られる。
最近では、起業家精神の分野で、世界のトップビジネススクールの1つである、
INSEAD(欧州経営大学院)の顧問委員会(パリ)に招聘されたり、学生企業家
協会の世界大使としてCEOに任命されるなど、経営のかたわら、講演家や
コンサルタントとしても活動中。 また、ピーターは年に約1カ月間、自発的
にボランティアとして世界中を旅をしており、チャリティとして世界中から
のべ数千万円もの金額を集めた。現在は「スペース・エナジー」という
事業に携わり、宇宙空間で太陽エネルギーを発電し、地球に供給する
「1兆円プロジェクト」に取り組んでいる。
▼ プロフィールだけでも面白い。起業を勧めると同時に指導者でもある。
規模が桁違いだが、起業原理は納得する部分が多い。何かを決めるとき、
「安定感」を基準にすることより、「居心地のよい不安定」を優先せよ、
とは、成長過程では当然のこと。チャレンジ、チェンジ、コンペティション
の成長サイクルでは不安定感がつきもの。20歳代に、この本が傍らに
あったら、また違った人生になっていたはず。世界が大きく変化する中、
適応した新システムを提供することで、基盤を拡大するには起業しかない。
その点で、まったく力不足だった自分を思い知らされる内容である。
「優秀な起業家に、優秀な指導者あり」ということか。今さらだが・・
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4925,パワレルな知性 ー3
2014年09月08日(月)
* カフェという集い −② 『パワレルな知性』鷲田清一著
カフェといえば、30年も経つが、『致知』という月刊雑誌を知って購読
するうちに、全国に愛読者の同好会があるのを知り、新潟支部を立ち上げた。
今では年に一回参加しているが、30年も続くとは驚き。全く知らない新潟で、
肩書きを横にした同年代の人たちとの出会いの場、一種のカフェのような集い
の場を求めたため。とはいえ、当初は営業ネタを探して参加する人が過半数は
いたが、それも良しだった。 ところで、学生時代の寮がまさにカフェの
ようなものであった。今でいうシェアハウス。大きな屋敷の一角に、平屋で、
4畳半と6畳の和室が25室、「く」の字に並んでいて、角が炊事場と洗濯場
で、両端がトイレ。廊下は土間で、あたかも馬小屋のようだった。
各部屋には鍵が付いているが、私生活があってないような。それが寮という
ものだが。炊事場やトイレの行き帰りなどに、どこかの部屋の前にサンダルが
幾つか並んでいると、つい顔を出し、お茶などを飲んでいる輪に入る。
そこでは、読んだ本や、政治経済、現在進行形の恋愛の話題が中心になる。
寮生は全国各地の出身者で、早大の学生が半数を占めていた。 雰囲気は、
まるで「住込みカフェ」のようで、なにもかも参考になることばかり!
その上に、それぞれの大学の親友が遊びにくるため、その輪は更に大きくなる。
そこで、軽井沢の山荘でのアルバイトとか、留学や、海外旅行の情報が、
ごく当り前に交されていた。それに加えて、大学では、クラブ、ゼミ、欧州
旅行の仲間と、クラスの友人の網目が出来ていて、広いコモンルームや、
中庭、学食で誰かと話をしているかであった。学生だからこそ、自由に様々の
人と邂逅しえたのである。 現実社会に入ると、組織や、地域の社会の、
それぞれの立場があって、自ずと人間関係に制約があるが、学生時代は、
思惑は最小で済む。それと、高度成長期真っ只中の恵まれた環境があった。
『カフェの集い』の視点で、人生を振返ると、やはり最終の学生時代が最も
良かったことになる。プライベートの時間が持てなかった『青雲寮』に、当時、
不満もあったが、この環境が最良だったことに、これを書いていて気づいた。
この寮生活で、それぞれの私生活で垣間見た姿から、<人間には、教養とは別に、
想像を超えた、善良と邪悪が混在する人が存在する>ということを、知ること
になる。そして、実社会に出てから、その多くを己の中で見ることになる。
秘境ツアーなども、これに似たところがある。全国から集まった見も知らない
人たちと1〜2週間、親密な時空を共有する。その多くは、ツアー慣れをして
いるので、直ぐ胸襟を開くが、それぞれが様々な情報の宝庫のため、そこは
ツアー・カフェそのもの。かって長屋の御隠居は、横丁カフェの主。
私の友人に、喫茶店に入浸って?半世紀以上、その人自身が、カフェみたいな
人がいる。いや、居酒屋? 問題は、そこが教養ある知的会話?であるかどうか!
共通した価値観と、それぞれの全く違った価値観を備えた人との出会いこそ、
カフェの集いの面白さになる。 とすると、このブログ、『居間の一人カフェ』
になる。 時々、塩昆布茶も出るが。
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4558, 東京が、2020年の開催地に決定!
2013年09月08日(日)
5時20分に、次次回のオリンピック開催地が発表された。
その2時間前の3時に何時ものように目が醒めたため、布団の中で瞑想モード
に意識を持っていき、「私が神としたら、3都市の何処を選ぶだろうか?」と
考えた。その結果はイスタンブール。5時からのTVの特別番組の選定会場で、
まずマドリッドの落選。あとの残ったイスタンブールと東京の二者択一の中で、
東京が決定された。 「そんなことをしている場合じゃないだろう!」が、
気持ちにあったが、いざ発表となると「東京」と願うのが人情。以前から、
「2020年の75歳が死に時」と思っていた。その年が、これで東京
オリンピック開催の年になったのである。一回目は昭和39年、18歳の年。
二回目は生きていれば75歳。現実は、世界も日本も2020年までは、
大きな試練が山のように待ち構えている。福島第一原発の汚染処理、世界恐慌
の対応、国家財政の破綻、国境問題等々がある。トルコか日本?の二者択一
というと、選ぶ方は、原発汚染への不安より、中東の政治的不安定と、欧州危機
を考えると、安全、安定面から、今回は極東の安定した都市の「東京」を選んだ。
これで、「2020」と「東京オリンピック」が、キーワードとして浮上、国家
として明るい目標が出来た。オバマがシリア攻撃を示唆したのもトルコにとって
マイナスになった。タイミングをみていた? 日本のような島国では、一つ明確
な目標があれば元気が出るが、大きな問題が残っている。南海トラフ地震と、
東京直下地震、富士山噴火の可能性である。 福島第一の汚染に目を向けさせた
のは戦術としては良かった。実際問題は、これらを考えると二つの都市の危険さ
と遜色はない。 国内の政治面では、予想される混乱の中で、国民の目を
オリンピックに向けさせることが出来る。今日を境に大きく空気が変わる。
今日は目出度い日になる!
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4183, 呪いの時代 ー3
2012年09月08日(土)
「呪いの時代」内田樹著
* 記号の過剰化 ー第2章 「祝福」の言葉についてーより
呪いは怒りや羨望、嫉妬などの要素が相まって内面に作りあげられた一種
の記号と著者が指摘している。しかし怒りの感情を言葉にし繰り返すうちに、
その毒が己の脳を侵してしまう。鬱である。そこで医者から貰ったハッピー
ドラッグで目先、散らしている内はよいが、いつの間に、呪いの感情を更に
強く苛んでいく。呪文は記号のため、反復するうち、その人そのものになって
しまい、自滅の道をひた走ることになる。 次の箇所は、悲劇と喜劇の境い目
としてみると、うなずける。
≪ なぜ、このようなニヒリズムが社会を覆うようになったのか。
それについて考えてみようと思います。僕はそれを「記号の過剰」あるいは
「過記号化」という枠組みで説明できるのではないかと思っています。
「呪い」は、その本質からして、記号的なものです。藁人形に五寸釘を打ち込む
「丑の刻参 り」という古典的な呪いの儀式がありますが、これ自体、きわめて
記号的な行為です。生身の人間の心臓にではなく、代替物の藁人形に五寸釘を
打ち込むわけですから。メタファーとして行われる殺人が生身の人間の生き死に
影響を与えるという信憑が共有されていないとこの種の類感呪術は有効性を持ち
ません。つまり、藁人形が生身の人聞でないように、殺意や嫉妬、羨望や憎悪も
記号化されない限り呪いとして機能しない。忘れられやすいことですが、呪いが
機能するのは、それが記号的に媒介された抽象物だからです。具体的、個別的、
一回的な呪いというようなものは存在しません。あらゆる呪いは、抽象的で、
一般的で、反復的です。それが記号的ということです。
なまの現実が記号化されて、「情報」になるプロセスを「情報化」と呼びます。
情報とは「なまもの」が加工され、分類され、ラベリングされ、パッケージ
されたもののことです。「高度情報化社会」とは情報だけが行き交い、
「なまもの」に触る機会が失われた社会のことです。生きた動物が殺され、
皮を剥がれ、血を抜かれれ、骨が切り離されて、細切れになってパッケージ
されるという工程については誰も考えず、清潔な商品だけが売り買いされている。
医療でも過情報化の問題は深刻なもの。当今の医師たちは、なまものとしての
身体ではなく、「記号としての身体」を診療している。『医療崩壊』の著者
である小松秀樹さんが指摘されていましたが、今の診療室では、机上のパソコン
のディスプレィに患者のカルテや検査数値が表示されます。患者が診察室に
入ってくると、医師は患者を診るより先に、まずディスプレイに表示された
さまざまの数値を見る。うっかりすると診療時間のうち、患者の顔を見ている
時間よりもディスプレイを見ている時間の方が長いのです。 ≫
▼ TVのワイドショーは情報を提供するところ、情報化は「なまもの」とは
違うため、それを扱う解説者は、記号としての言葉にして発信するするため、
呪詛的な言葉になっていく。それを受け止める視聴者は、いつの間に、呪いと
して、なまものを呪ってしまう。これが端的に出のが政治であり、政治家は手軽
な呪いの対象になる。だから、島国日本の首相は、一年しかもたないのは、
何ら不思議ではない。そして、その行き先は?
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3818, 哲学人 ー�
2011年09月08日(木)
* 精神と肉体ー 二元論 ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
ーまずは二元論についてのデカルトの誤りを、ライルが指摘している部分ー
【 ライルは二元論について『心の概念』で、私たちの誤用に的を絞って
書いている。ライルの攻撃対象はデカルトである。・・ 二元論の生みの親
をデカルトと特定したが、実際には二元論、もしくはそれに似たものは、原始
時代から人間についての通説となっていた。常にと言っていいほど、人は自分を、
肉体と、肉体に宿る非肉体的な要素から出来ているとみなしてきた。そして常に
時代によって霊、魂、心と様々な呼ばれ方をしてきた、この非肉体的要素を、
ある程度独立した存在として、また、そうなる可能性があると見てきたと言って
いい。私がかつて、この事実を挙げて異議を申し立てると、ライルはこう答えた。
「この間違いを最初に犯したのがデカルトだと思っている人はいないでしょう。
要はデカルトがこの考え方をとても明確に打ち出したので、デカルト時代以降、
これが教義もしくは定説なったということです。シェイクスピアも聖書も言って
いませんが、デカルトは実際にこう言いました。『私の心はひとつの実体であり、
私の身体はそれとは別の実体である』と、それが事実であるかのような言い方
なら、それまでもされたことはありました。が、デカルトは確かに事実である
と言ったのです」 実を言うと私はそうは思わないのだが、それはさておき、
精神という実体などないのだから二元論は誤りというのがライルの主旨。
その著書で述べられている詳細な分析をもとに、ライルはこう書ている。
≪ われわれ人間が行なっているのは、自分の行動と経験のある部分を精神的な
ものとして分類し、その他の部分とは異なる、主体に帰属させること、そして
その主体を精神として物象化することである。精神に関連する概念の使用法を
入念に調査すれば、そのようなことをする正当な理由はないということがわかり、
さらには人間は単一の存在であり、行動と経験のただひとつの主体で、アイデン
ティティも歴史もひとつしかないことが明かになる。 われわれはふたつの実体
が神秘的に結びついたものではない。これまでわれわれは、「カテゴリー錯誤」
(ライルが哲学の世界に広く普及させた用語)を犯してきた。
われわれは精神という概念を一種類のものを意味するとみなしているが、実際は
多種多様なものを意味している。精神とは、独立して存在する実体であって、
なんらかのことをして経験をもつものと考えているが、通常はさまざまな行動
形式のうちのいくつか(行為、気分、経験など)を総括する言葉にすぎず、また
こうした行動様式はどれも、正しくはひとつの主体に帰属させるべきなのだ。
このカテゴリー錯誤がもととなって、われわれが自分自身を想定する上で、
そして考えたり語ったりする上で数多くの誤りが生まれている。これは哲学的
誤謬の好例であり、我われの思考の広大な領域はこの誤謬に犯されている。≫
ライルの本は、いかにして言語分析派がこうした問題を解決するかを示す
範例である。P・106 】
▼「肉体が消滅した後、私(精神)はどうなるのだろう」という疑問
そのものが、二元論である。デカルトが言わなくとも、大昔から天国か
地獄に召されると言われている。肉体と精神と、改めてデカルトが述べただけ。
肉体が無くなれば、当然、精神とやらも消滅するのは、当たり前である。
精神を指している一つに『言葉』がある。「生きているときに発した言葉。
それは現在でも生きている」というが、それは、生前に発した言葉。
死んだ後に、言葉は発せられない。
・・・・・・・
3453,, ニューカレドニアの休暇 −3
2010年09月08日(水)
夕飯でいったフランス料理、ベトナム料理、中華料理が、それぞれ美味しい。
フランス領のためだろう。特に天使の贈りものといわれる「海老」が美味い。
ベトナム料理、中華料理は日本的味付け。それより新鮮な貝魚がふんだんに
入っているからである。値段も、日本の居酒屋に少しプラスした程度である。
ところで、オプションツアーで行った「天国にもっとも近い島」のニック
ネームで親しまれているイル・デ・バン島が良かった。日本では、その称号は
森村桂の著『天国にいちばん近い島』から、ロワイヨテ諸島のウベア島がそう
呼ばれているが、実際はここ。数多くの種類の熱帯魚や珊瑚礁を、透明度の高い
海水の中に見ることができた。この島は南北15キロ、東西13キロの大きさで、
島人口は約2,000人である。珠玉のような島で、ニューカレドニアで是非とも
行ってみたかったところ。双発のプロペラ機で首都ヌメアから30分ほどの
ところにある。 行く先々の小さな湾の海岸線と海と空が美しい。
いまだ観光づれしてないハワイと考えればよい。ここに宿泊するツアー
もあるが、値段は非常に高くなる。ニューカレドニアは日本人に特に好まれて
いるようで、親しみやすい。中国、韓国人の姿は、ここで一人も見かけなかった。
まずはハワイ、東京、欧州、オーストラリアなのだろう。この島を通して、
日本の現状を現地のポリネシア人を通してみてしまう。小さな島国で、フランス
の占領に甘んじているが、日本も同じ被占領国。ドルとアメリカ国債という紙切れ
と小麦・大豆と、汗水たらして作った商品と交換。 その紙切れは、20年〜30年
単位で価値を数分の一に一方的に下げさせられている。アメリカ、豪州も、
欧州人が現地人を虐殺して建国したところ。現在も、その構図は同じである。
マスコミを背後で操り、教育システムで骨抜きにし、官僚を洗脳、コントロール
することで、間接占領をしている。フランス領の観光地で、気楽に避暑。
それだけで、深く考えることもないが・・
・・・・・
3078,富豪と金の使い道
2009年09月08日(火)
(字数制限のためカット 2015年9月8日)