<「夫に死んでほしい妻たち」〜小林 美希(著)>
 TVで、朝からシリアスなテーマ、『夫に死んでほしい妻たち』の特集を
組んでいた。この本をベースにしたのだろう。インタビューをした二人に
一人の割りが、夫に死んでほしいと切に願っていたという。
 団塊の世代が定年に入った現在、各家庭内は、その確執で大揺れ。
「昼間の間だけでも、家から出て行って!」と言われ、行くところといえば、
図書館、公民のSJ、SC、ツタヤの徘徊か、あとは散歩。といえば、私の日常
に幾つか重なるが、私といえば、家では、居間の外に、書斎コーナーのある仏間
と、寝室のTV前のベッドがネットや読書の空間に丁度よいので助かっている?
 何もするでなし、居間でゴロゴロしている夫に妻は辟易、その行き着く先が、
「死んでほしい」と、心から願うのは自然の摂理。 そこで、TVのテーマその
ままの「夫に死んでほしい妻たち」を、ネット検索して出てきたのが、この本。
 最初から終わりまで息がつけないほどシリアス。ことは、深刻である。
  アマゾンの〜内容紹介と目次〜より
―――
■内容: 家事や育児において、妻の「してほしい」と夫の「しているつもり」
 の差は、想像よりもはるかに大きい。のみ込んだ怒りが頂点に達した妻の抱く
最後の希望は「夫に死んでほしい」…。 毎朝子どもを保育園に送る。
週に一度は料理をつくる。それだけで自信満々な夫を、妻はどう感じているか? 
やがて、怒りを爆発させることにも疲れた妻は、一人つぶやく。
「死ねばいいのに…」 世の中たちを戦慄させる、衝撃のルポルタージュ!
【目次】
 □ 第一章 子育てという試練! そして愛は殺意に変わる
●第一話  育児休業という罠(38歳・会社員)
・「戦場から逃げる夫」
・共働きは当たり前の時代
・幸せから「産後クライシス」へ
・結婚式前日からの押し問答
・妊娠中でも夫は平然と飲みへ /ほか
●第二話  ほどよく良い夫(41歳・システムエンジニア)
・理想は子どもだけがいる生活
・低燃費男性と勢いで結婚
・夫は「できない部下」
・私の子に気安く触らないで/ほか
●第三話  リビングルームで芽生える殺意(45歳・会社員)
・殺意を抱かせる夫の足音
・妻が忙しくなると夫婦関係が悪くなる
・息子に怒ってばかりいる夫
・夫はただの同居人/ほか
 □ 第二章 「寿退社」は地獄の扉! 専業主婦の呪いの日常
●第一話 キャリアを断絶させられた妻の恨み(46歳・一部上場管理職)
●第二話 娘の病から始まった危機(46歳・パート)
●第三話 夢追い夫との家庭内戦争(39歳・パート)
●第四話 二世帯住宅という牢獄(34歳・主婦)
●第五話 セレブ主婦の仮面の裏側(39歳・主婦)
●第六話 欲しがる妻と欲しがらない夫(47歳・主婦)
 □ 第三章 もう夫はいらない! 団塊妻の恨みは骨髄
●第一話 部活未亡人の嘆き(40代・教師)
・毎日がとにかく部活中心
・こんな暮らしやってられない! /ほか
●第二話 2番目に好きな人との結婚(58歳・看護師)
・40歳の転機
・夫の加齢臭が耐えられない
・「だから女は家にいろ」との戦い/ほか
 □ 第四章 これが夫の生きる道?イクメンたちの現実と理想
――――
▼ 第二章の「寿退社」は地獄の扉! は、今さらだが。そこで、
 互いのライフワークを持って、独りの世界をつくりあげるしかない。
TVで、夫の禁句を紹介していた。「手伝おうか?」である。言い分は、
「定年後の家事は分担の筈なのに、手伝ってやるとはフトドキ千万」である。
夫の人生の果てに待っていたのは、妻という名の鬼である。で、以下に続く。
 そうこう考えると、そこそこの金と、健康と、自由精神が必要である。
「 ああ〜〜〜〜〜〜〜 」の声が聞こえてきそうである。
――――
2016/04/04
閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜①
           『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 産業廃棄物の末路
 第二の人生の準備のない人の末路は哀れである。
この言葉は、著者の淳一が、老後の生き方の講演で、聞こえてきた言葉。
リタイア後、邪魔者扱いされている団塊世代の夫に対する、奥方の、
『男って、定年になったらいらないのよね!』が、耳に聞こえてくるようだ。
私自身が、その一人だからこそ身にしみる。ただ、少し離れた仏間に、書斎・
兼パソコン・コーナーをつくって棲み分けて、何とかバランスがとれている。 
また日中は、互いに違ったスポーツ・ジムや図書館に行ったり、別行動が多く、
それで丁度良い間隔が出来ている。 一般的に、夫は妻より7〜8年も早死に
するが、これも長年の仕事からくる磨耗の結果。
 雄ライオンも、支配下の群れを、何時か、より強いのに敗れて乗っ取られた
後は、離れライオンとしての野垂れ死が待っている。先日、旅行帰り立寄った
居酒屋で、何処かのOBらしきグループ7〜8人が、不在の元同僚の悪口が、
襖を隔て聞こえてきた。退職後も、会社の首輪と紐を付けたまま集まって、
昔の傷口を舐めあっている姿が、痛ましい、というより何とも哀れ。
定年後の寂しさを紛らしているようだが、せっかく解放されて、自由を謳歌
できるのに、今さら何だろう? 飼い主の家が全世界で、それも仕方がない
といえば、ないが。 こういう人が、四六時中、家でゴロゴロしていたら
連れあいは、地獄。そういう私も大同小異。 それでも一日単位では、
スポーツジム、図書館、早朝の一時間のミニ・サイクリングに。週単位で、
シネマと、月単位では、何処かの飲み会に。年単位は、家内の鞄持ちの旅行と、
何とかバランスを保っているだけ。
 一般的に、夫が驚くのが妻の外出の多様さという。何せ、長年の主婦歴と、
横に繋がる人間関係が幅が違う。『あの人は、息子の小学校時代の友達の母親
で気が合うの』とか、『今日は大学の同郷OB会の幹事の打ち合わせ』とか、
地元密着型。 ところが、男は縦社会の他動型ロボットで、指示をされないと、
動けない。 「自由の不自由」で、自失呆然。 家に篭るが、妻から家から、
追い出されて、午前は図書館か、公設のSJ辺り。午後からはSCのベンチで、
人通りを眺める日々。これが慣れると悪くないらしい。
そこで、小遣い格差と教養格差がシリアスに出てくる。   ーつづく
2016/04/05
閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜②
           『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 出かけようにも、何処に? 
 『男って、定年になったらいらないのよね!』 リタイア後に、
こんな言葉を投げかけられたら夫は、グサッとくる。これに近い言葉を
週一は投げかけられているが、長年かけられたら生きる気力がなくなる。
 著者は私より12歳年上。この本を発行した2年後に80歳で亡くなった。
私にとって、70歳代を生きる道標のような内容。75歳からの後期高齢期は、
右下がり一方で厳しいらしい。 教訓として、あと5年間、捨身で生きろ!
〜世田谷区内の高齢者10万人のデーターによると、
・65歳以上の高齢者の4人に3人は、自宅内から一歩も外に出ない。
・近所付き合いは、「ほとんど付き合いがない」「挨拶をする程度」が6割弱。
都会の高齢者、特に男性は家に篭りきりで、外には滅多に出かけないため、
急速にボケるらしい。外に出かけようとしても、何処に行っていいか分からない
上に、手持ちの金が少なく、足腰が痛んだりして外出が億劫になる。
 それに比べ女性のキャリアが長いため、日々を楽しんでいる。
 ここで、著者は妻の禁句として、『どこかに出かけたら』の言葉。
これを言われると、すべての夫は居たたまらなくなり、「うるさい!」と、
言いたいが、その気力もなくなり、それが痴呆化を促す。だから、人生設計に
ライフワークを長年かけてつくっておく必要がある。 そこで、『自伝』の作成
を勧める。誰のための自叙伝でなく、自分のための自叙伝と割切ってしまえば、
過去の思い出は、次々と湧き出てくる。
 独立独歩で生きてきたので、リタイア以後の生活に全く戸惑うことはないし、
部下を介して何かをするのより、一長一短があっても、自分の手足でする方が、
物事がはかどる。 以前から実行してストレス解消になっているのが、週一の
酒とツマミと飲料の買い物。買物症候群という精神質症があるが、私のは小さな
ストレス解消。それと嫌なことがあった時の「百均」の買物。一時間で、7〜8個も
買えば、心が晴れる。 高齢期は特に『おもしろき こともなき世を おもしろく
すみなしものは 心なりけり』の高杉晋作の言葉のように生きるしかない。 
目を凝らすと、面白いこと、楽しいこと、知りたいことが、あまりに多い。 
如何に馬鹿の壁のため、それに気づかなかった?か。
「犬も歩けば 棒にあたる」と、成るほど、昔の人は良いことをいった。
――――
2016/04/06
 閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜③
            『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 70歳代、特に後半は、すざましい!
「70歳代、特に後半は、すざましい!」は、医師である著者からみて、私の
同世代からみて、充分に頷ける。 数ヶ月前に70歳代になって感じたことは、
「(3年を見据えた)一年単位でしか、人生計画を立てられない」という実感。
後方から迫ってきた己の死が、真正面から迫りくるような感覚は、やはり60歳代
とは、全く違う。 人生の峠から見えてきた風景も、寒々としてきた。 
  〜その辺りから〜  
≪ 六十代で運動して、体力をつけるのも悪くはないが、外に出てさまざまな
 人と触れ合い、話し合うのは、それ以上に明るく、若返らせるはずである。
 そして七十代、これはなってみて改めてわかるが、すさまじい世代である。
すさまじいとはなにか。これをあえて具体的にいうと、日々、確実に老いて
弱っていく年代、とでもいおうか。
 その前、六十代は老いるとはいえ、まだ鍛えようによっては伸びる、
強くなる余地もないわけではなかった。しかし、七十代はすべて下るだけ。
あれ、こんなことができなくなった、これも無理かと、不可能なことが増える
ばかり。といって、努力しても無駄。 かくして、ここからは「諦めの時代」、
老いてやがて死ぬ、そのための準備期間といえなくもない。
 こう書くと、人生の末期、暗いだけの時代、と思うかもしれないが、
そうともいいきれない。 このすべて終わりに向かって傾き出す、このときに、
とてつもない発想にとりつかれ、動き出すことがある。 たとえば、突然、
動物や植物に異様に熱中したり、今迄と全然、別の仕事に全力を注ぎこんだり、
激しい恋に溺れたり。
 七十代の高齢者とは思えぬ、激しい行為に熱中する人が少なくない。
そう、わたしも七十代後半になって、突然、自らの不能、インポテンツに
ついて書こうと、思いついたけど。これも、七十代の狂気かも。
賀寿のなかで、七十七歳を喜寿としているが、なにをやらかすか知れない、
狂寿としたらどうだろう。とにかく人生、長く生きてみるとそれなりに
妙味に富み、面白いものですよ。 ≫
▼ 夜半に目が覚めて、フッと自分の死を考えることがあるが、ここにきて、
 それが、リアルなフラッシュの塊と、生きてきた人生が小さな丸=(。)
に凝縮して、それが更に点(.)になり、無限の極小になり、消滅していく
イメージが出てくる。 そして我に返ると、その微小の人生が愛しく思える。
その点の中には、両親、亡くなった兄姉、因縁のあった知人たち、恩師が
リアルに生きている。そして行蔵が詰まっている。 我が人生、万歳。
我が両親、万歳。我が恩師、万歳。我が因縁在りし恩人たち、万歳。
残された人生に、万歳。 考えてみれば、『人生はそのものが狂寿』である。
「誰の?」「すべての!」 だったら、せめて心の底で、狂喜乱舞したら?
考えたことが無かった? なら、考えてみたら! 考えている? 本当に?
バカバカしい? バカになってみてから言ってみたら! で、『男はつらいよ
を見たら!「泣いても笑っても、同じ空」。「狂っても正気でも、同じ空」。
「エライコッチャ、エライコッチャ、同じアフォなら踊らな、ソンソン」か。
それが面倒だから、ウタタネ寝をしている。それもありか! で、残された
時間を、どうしようか? うたた寝で、心の中で狂喜乱舞か、これまでの
人生で培った材料を駆使して、燃焼するか? それもこれも、今さらか。

・・・・・・
5229,閑話小題 〜中国経済が変と言われてきたが、ついに?
2015年07月09日(木)
   * 中国が変と言われてきたが、ついに?
 数日前から、中国の株式が変である。昨年7月以来、株価が2.5倍なら、
当然、反動がくる。それにしても、半数近くが売買停止とは、異常事態である。
これが、隠れていた世界恐慌の現出のキッカケにならなければ良いが。
 〜以下は、ネット上のニュースだが、どうなることか?
≪ 中国リスクへの警戒感が市場に広がっている。上場銘柄の約半数が売買停止
 となる「異常事態」にグローバル投資家は、株式や商品などのポジションを
手仕舞い始めた。実体経済への影響も懸念され、金利は低下、リスクオフの
円買いも出ている。・・
 8日の中国株式市場の上海、深セン取引所では約1300社の企業が売買停止。
全上場企業2808社のうち約45%が売買できない状況となっている。・・
 中国株が下落したこと自体を、市場関係者が驚いているわけではない。
上海総合指数は年初から60%、昨年7月からは2.5倍という急上昇を
みせてきた。 ≫  
   * ギリシャの末期現象と大阪都構想の破綻
 ギリシャが、EUのギリシャの改革案の是非で、大方の予測に反して、
「ノー」を主張する現首相を支持をする選挙結果に終わった。この結果を
携えてEUと交渉するというが、本末転倒は誰の目にも明らか。
気の毒だが、「ヨルダン化」「レバノン化」の茨の道が待っている。
 国家とはいえ、『金が無いのは、首が無いのと同じ』。首無しの彼らが、
地中海のエーゲ海を背景に右往左往する見苦しい姿が、現実問題として、
目の前につき付けられる。ところが、これが近未来の日本の姿である現実を、
誰も語らない。 橋下の『大阪都構想』が、僅差の投票で破綻したが、これと
何か似たところがある。全国各地から大阪市大阪府の二重行政の甘さに惹かれ
移住してきた連中は、無駄の廃止など、もっての外。その彼らに判断の一端を
委ねることが誤り。その点、ギリシャも同様。 オリンピックの、お祭り騒ぎ
の日本国家も同じこと。ギリシャはEUが見捨てないとタカを括っているが、
果たして、そうだろうか。残留ならドイツのEUの離脱もあり得ること。
 ある日、EUもギリシャも、怒涛のような金融の大混乱が生じて、特に
ギリシャは国家破綻の可能性が強い。 日本の近将来の行方が見ものである。
その時、誰も助けてくれないことが理解できないのだろう、彼らには、
いや、日本もである。 〜以下は、あるHPのコラムだが・・ 
――   何もおきなければよいが・・
《 本欄7月7日付け「9月リスクに身構える市場」で挙げた、米利上げ・
 ギリシャ危機・中国株不安の3つのリスクが早くも共振現象を引き起こし、
市場を揺らせている。なお、引け後の日本時間朝6時台に、ブリュッセル
ユンケル欧州委員長とトゥスクEU大統領が記者会見。EUホームページで
伝えられる発言は、語気鋭い。「合意できずば、ギリシャは破たんし、
国内の銀行は倒産する。それはないという錯覚に陥っている人がいれば、鈍感と
言わざるをえない。」(トゥスク氏) ユンケル氏は「ギリシャのユーロ離脱は
回避したいが、ユーロ離脱に備えた詳細な計画も既にある。」と明かした。
市場では、「プランB」と呼ばれる非常時対応計画。 独ビルト紙も、
メルケル首相がブリュッセルに持参する「5項目プラン」の中に
ギリシャのユーロ離脱のケースも含まれる。」と報じている。
たしかなことは、今週中が、ギリシャにとって「ラスト・チャンス」ということ。
「もはや時間的猶予は数週間も無い。」と語られる。 ECB(欧州中央銀行
保有ギリシャ国債(35億ユーロ)償還が7月20日に迫ることを考慮すれば、
ギリギリの期限設定と言えよう。》   問題は、今日、明日である。
・・・・・・
4864,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー32
2014年07月09日(水)
   * ホテルと学生ショップのオープン
 ホテル一角の学生ショップは、メーカー社長と新潟市内の販売権の移動も話が
ついていた。 更にペガサスの立地セミナーで確実に値上するはずのバイパスと
生活道路のクロスしたポイント箇所を把握、長岡郊外の二つの更地を購入した。
それが数年で倍近くに値上がりをしていた(税制の関係で5年後売却)。 
千葉・千城台ビルの売却資金が、次期計画の基礎資金を予定。 
後で気づいたが、この二ヶ所こそが、郊外型ビジネスホテルの立地。それを薄々
気づきながら売却したのが、私の限界。当時、郊外型ホテルに取り組んでいたら、
数十棟のホテルチェーン展開が可能だった。しかし、リーマンショックで、
これも間違いなく壊滅の道を歩んでいたから同じ! 
現に郊外型ホテルのルートインとαー1が、現在、苦境に陥っている。
 振り返ると、節目の時々こそ、アップスケール(脱皮)の機会があった。
予定挫折で節目を自ら作り、転進した時にチャンスが生まれていた。
 そこで、孤独、孤立に自らを置いた第一歩からから、創業が始まる!
決断をして、大風呂敷を広げ、行動を起こしてしまえば、もう後には引けない。
しかし今度こそ、白紙である。目先の問題は、経営計画書の作成、ホテルの設計、
千葉・千城台ビルの売却。それと、有り余った手持時間を使った「宅建資格試験」
セミナー通い、から出発。
 フロントやベッドメイクなどホテル業務など何も知らないため、ただ呆然自失。
そこで考えたのが、ホテルの一括の運営委託。その場に立てばこそ、知りえたこと。
最終的には、ビルメンテと、ベッドメイクだけにして見積もりを4社に取ったところ、
開けてビックリ玉手箱! 47万、140万、240万、320万である。詳細を
見ても同じ。何で、これだけの差が? とんでもない世界に自分が飛び込んで
しまったことを改めて実感した一現象である。最終的に、これにフロントの夜間
委託を加えた。そして片腕の人材、これが、帯に短し、襷に長しで、見つからない。 
最後の最後に、リクルート本社の中途採用部門を通して、マネジャーを採用する。
 その他の学生服ショップとフロント要員は、中途採用と新卒を6人を採用した。 
オープン前に、何日か研修したが、寄せ集めのため、バラバラで手ごわい相手。
その上に学生ショップのオープンでは、学生服メーカーの思うまま、なすがまま。 
相手は既成の組織がある上、内装費の一千万円近くを出させてのだから、耐える
しかない。 次は、付属のレストランである。そこで、コーヒー卸「Sコーヒー」
の営業担当に相談すると『任せてください!そんな難しくはないですよ。一人、
面白い男を紹介するので、任せれば良いですよ!』で、開業直前に本人が乗込んで
無事にオープン。 そこで飲食業界の一種独特の世界を知る! ホテルなど、
よくぞやったもの! 全てが綱渡りで、赤裸々の自分が露出するが、それこそが
己を導いてくれる。 咽喉過ぎれば熱さ忘れるから人は生きていける!
・・・・・・・
4497, 怒らないって本当は恐い! ー12
2013年07月09日(火)                      
   * 怒らない作法      『怒りの作法』小川仁志
 矛盾しているが、ここで「怒らないという方法」について言及している。
≪ 怒らなくても問題が解決する時に、あえて怒る必要がない。その場合、静観
する勇気も必要で、淡々と処理をする。相手が怒っている場合、特に注意すべき。
ネガティブの人、卑小な人を相手にすると、同じレベルまで落ちる危険がある。
 ニーチェは、他人の成功を妬んだり、自身の弱さを他人への復讐心に変えていく
ような人間を「ハエ」と表現、そこで「そんなハエを叩いて人生を過ごしては
いけない」と警鐘。もう一つ、人間が一人考え行動できることに限界がある。
そういう限界に謙虚になるのも必要なこと。怒って解決できる物事ばかりでない、
気が熟するの待つことも必要である。その間に、知恵を増やすか、仲間を増やし、
力を増やしてから、改めて怒れば良い。その意味で、信長型ではいけません。
待つという意味では秀吉型でも足りない、家康型でなければいけません。・・≫
▼ 一連の事業撤退のプロセスで、地方経済の惨状認識の実感と周囲の段差に
 驚き、怒りさえ感じた。商売柄、津波の到来が早い立ち位置にあっただけだが。 
ニーチェは「ハエ」と表現したが、私は「シラミ」である。そういう私もシラミ
だが、ただシラミを自覚している。いや自覚できないのがシラミだから? 
 私は?・・ だから、そろそろ気持ちに余裕が出来て、改めて見渡すと、
危険度が増しているのが分かる。民主党も酷いが、自民党も酷い。あの戦犯の
二人が首相と副首相になり、更に悪い間違いをしようとしている。その付けを
支払うのは国民である。その自民党に国民が多く支持いているのだから。 
確かに政治的にみて憲法改革は必要。甘い餌で釣ることもありだが。
 怒るには覚悟がいるが、怒らないことにも覚悟がいる。その場をともかく
遣り過し、タイムラグを置く。 そのため「シラミ」と頭の中で繰り返す。
これが一番、効果があるが、「三ヶ月に一度は、嫌なことはあるもの」と覚悟。
面白いもので慣れ。シラミ、ハエは事実は事実であると確信すると割り切れる。
「娑婆娑婆」である。その意味で、この経験は私の人生の物語にとって必然
だったことになる。 受け止め方の問題でしかないが・・
・・・・・・
4123, 予言の書「日本の自殺」 ー11
2012年07月09日(月)
  * 戦後民主主義の弊害
 アメリカに与えられた擬似民主主義を、現在でも大事に守っている府ぬけた
日本も、ここまでくると呆れ果ててしまう。まずは憲法改正と、原爆所持は最低
条件である。そして海洋国家として空母を7〜8艘の配備をすべきである。
決して極右的発想でない。 中国と北朝鮮が隣接して隙を伺っている現実が、
その必要性を求めている。この国民では無理だろうが・・・
 ー次の箇所が正しく疑似民主主義の徴候を書き出している。
  所詮は、アメリカに充てがわれた民主主義国家。
【 平等主義のイデオロギーに限らず、「戦後民主主義」という名の疑似民主主義
 のイデオロギーは、すべて現代1975年時の日本の「自殺のイデオロギー」と
して機能している。それをわれわれが疑似民主主義と呼ぶ理由は、それが民主主義
本来のあり方とは似て非なるものだからである。それは混沌とした意識にとっては
確かに民主主義と大変類似したものに見えるかも知れないが、決定的に重要な
いくつかの本質点において、本来の民主主義とは明確に異質のものだからである。
 〜疑似民主主義は次のような幾つかの特徴を持っている。病理診断の言葉を使う
  ならば、これを疑似民主主義の徴候群と呼んでもよい。
* 疑似民主主義の第一徴候群は、その非科学的性格である。疑似民主主義は、
 イデオロギー上の独断的命題の無批判的受容から出発する。 
 そのドグマに従って行動するなら、必ずや全人類の解放が実現され、
 一切の社会問題が完全な解決をみるであろうと、そのイデオロギーは主張する。
 その命題は唯一、絶対的なものであり、完全で、誤りなきものである。
 問題の鍵は、どれだけ多くの大衆が、どれだけ強く、また熱烈にこの福音を
 信ずるかにかかっている。 「信ぜよ。さらば救われん」なのである。
* 疑似民主主義の第二徴候群は、その画一的、一元的、全体主義的性向である。
  多数決原理の誤った認識の仕方に端的に示されている。疑似民主主義は本来、
  多元主義のための一時的、かつ極めて限定された調整のための手段、便法として
  工夫された多数決を、一元主義、画一主義、全体主義のための武器に巧妙に転用
  するのである。 多様なものの見方の存在を否認する方向で作用することになる。
* 疑似民主主義の第三徴候群とは、権利の一面的強調の仕方にある。 
  疑似民主主義にとっては、義務も責任もどうでもよいことである。
  できるだけ権利、権利と主張し、取れるだけのものは取り、しかも
  義務と責任はできる限り拒絶する。
* 疑似民主主義の第四徴候群とは、批判と反対のみで、建設的な提案能力に
  著しく欠けるということである。個人や社会のアラ捜しをすることは、
  易しいが、問題解決の提案は骨の折れることであり、責任も生じる。
* 疑似民主主義の第五徴候群とは、エリート否定、大衆迎合的な性格である。
  真の民主主義はエリートやリーダーシップを否定するものでないばかりか、
  それに重い責任を課するものである。専門家を否定し、リーダーシップを
  否定するなら、その結果として、どうしようもない衆愚政治の泥沼に落ち
  込んでいくほかない。
* 疑似民主主義の第六徴候群とは、コスト的観点の欠如である。 
  疑似民主主義は、その権利主張の一面的性格、提案能力の欠如、
  大衆迎合主義などから、大衆の気に入りそうなことを並べたてるだけで、
  その制約条件を覆いかくそうとする。こうした偽善的なポーズで、大衆の
  人気取りをしている限り、国家は破産し、社会は滅亡するしかないのである。】
▼ 以上の懸念のとおり、これらの症候に冒された隠れ社会主義政党が与党に
 なった結果、収入の二倍の国家予算を組み、動きが取れない事態をつくっても
 平然としている。それも国民が擬似民主主義の徴候群におかされた結果だが、
 それにしても酷い。
・・・・・・・       
3757, 下流の宴
2011年07月09日(土)
 NHKで「下流の宴」という面白そうな連続ドラマをあったが、見るほどで
ないと見過ごしていた。しかし、先日の夕方に二回分の再放送を見て、そのシビア
の内容に苦笑してしまった。エリート・サラリーマンの母親(医者の娘)の息子が
中卒でフリーター。何とか受験校に心を入れ替えてチャレンジさせたいのに、その
彼女が、母親の目には下流家庭の娘。その娘に、「私は医者の娘、旦那も一流会社
勤め。貴女のような家庭とは身分が違うのです」と言い放つ。しかし、その旦那は、
リストラ対象で自分たちも下流に?なろうとしている、で・・・侮辱を受けた娘は、
「私が医大に入学すれば、結婚を許してくれますか?」というところで、終わった。
しかし、これはあくまでドラマでしかない。小中学校の基礎が出来てない人が、
猛勉強で今さら! が現実。私の一番上の姉が、その母親に考え方がそっくり。
婿取り娘で、長岡社交界が彼女の庭。彼女が意識している庭の住人は、上流だとは
当時も、現在も私には思えないから喜劇にしかみえない。もちろん、その人たちは
上・中流など全く意識にはない。自分のことを一番知っている? しかし学歴と
学力のない姉は付き合いを、その庭の人たちに絞り、見栄に全てを入れていた。
(字数の関係上カット、2012年07月09日)
 ・・・・・・・
3392, 911・考えない・日本人  ー8
2010年07月09日(金)
             「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 著者の哲学についての解釈が書いてある。自身の言葉だから、納得する。
特に「哲学することの要点は、驚異と認識、懐疑と確実性、自己喪失と自己発見」
は、分かりやすい。  = 哲学とは =    (P−217)