ー武器としての決断思考〜 瀧本 哲史 (著)ー
『学問のすすめ』が、明冶5年の3000万人の人口の中で、300万冊の大ベスト
セラーだったというから、当時の民度が高かったことが窺い知ることができる。
明治初期の日本で、欧米のバイブルみたいに読まれていたことになる。
現在の人口比からすると1200万冊。現在の日本人が、これだけ読む知性も、
教養もない。明治以来、日本は果して進化したのだろうか。国敗れて教養なし!
* 『学問のすすめ』は、いま、若い世代こそ読むべきだ
≪ 変化が激しい今の時代、これまでの価値観や方法・人生のレールという
ものは、意味をなさなくなってきているということです。京大医学部生の話は、
その顕著な一例にすぎません。右肩上がりの「幸福な時代」は過ぎ去りました。
良い大学、良い会社に入れば人生は安泰、みたいなことはもうないのです。
さらに断言すれば、これからの日本はもっともっと厳しい状況になっていく。
良い時代を経験して「逃げ切り」ができる世代であれば、昔はよかったとただ
嘆いていればいいのでしょうが、これから社会に出る世代、もしくはこれから
社会のメインステージに立つ世代にとってみれば、問題は深刻です。
では、どうすればいいのか? ここで、リベラルアーツの話に戻ります。
人間を自由にする学問がリベラルア↓だという話をしましたが、まさにいま、
それが求められているのです。
医者の話が良い例ですが、国家試験に合格しただけでは、これからの時代は
生き残れないし、幸せになることもできません。むしろ奴隷として、上の世代が
作ったシステムにからめとられる可能性が高い。それも自分が気づかないうちに。
だから教養が必要です。自由になるために。自分の力で幸せになるために。
といってもそれは、大学生がパンキョーと呼んでいるものとは違います。
極端に言ってしまえば、大学の教養課程で教えている一般教養は、大学教授を
食わせるためのものでしかなく、本来の意味での「リベラルアーツ」とほど遠い。
もっと実践的で、実用的な知でなければならない。
ここで、福沢諭吉が著した『学問のすすめ』から一節を引用してみましょう。
まさに私が言いたいことを代弁してくれています。
《学問というのは、ただ難しい字を知って、わかりにくい昔の文章を読み、
また和歌を楽しみ、詩を作る、といったような世の中での実用性のない学問を
言っているのではない。(中略)いま、こうした実用性のない学問はとりあえず
後回しにして、一生懸命にやるべきは、普通の生活に役に立つ実学である》
(引用『現代語訳学問のすすめ』齋藤孝訳/ちくま新書)
『学問のすすめ』が刊行されたのは明治5年。新しい時代の幕開けに、明治人
が持つべきメンタリティを説いたこの本は、300万部を超す日本史上最大の
ベストセラーとなりましたが(当時の人口は約3000万人)、いま、既に20年以上
が過ぎたこの平成の世にこそ、そして、そんな時代に生きる若い世代にこそ、
この福沢諭吉のメッセージは伝えていかなければならないでしょう。
そう、まさにいま、実学が必要なのです。医学部生が起業論を学ぶように、
自分にとって必要な学問は何かと考え、探し、選び取るーそういった行為が、
ベーシックなものとならなければなりません。≫
▼『学問のすすめ』は、学生時代に読んだが、これほどベストセラーとは!
『世間』に対し異常なほど嫌悪感を持つのは、身近な人間関係に取込まれた
奴隷のような絡みとられた視線を感じるため。教養とは、それらから自由に
なるための素養。情報化社会こそ、実学としての教養が必要になる。
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5012,幸福優位7つの法則 −4
2014年12月04日(木)
【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著
* 法則3: テトリス効果
ー まずは、テトリス効果の意味を、要約すると
≪ テトリスという強い中毒性の強いゲームがある。一度、はまると、街を歩いていても、
本屋の本から電気屋の段ボールまで、何でもテトリスに見えて組み合わせたいと思ってしまう。
周囲に、この「テトリス効果」にとらわれている人がいる。いや、誰もが、何らかのカタチで、
同じように無意識で実行する習性を持つ。思考や行動が一つのパターンにはまって、そこから
逃れられない人。しかも、それは、ネガティブのパターンである。
このテトリス効果は良い方向にも悪い方向にも働く。刑事は、知らぬ間に不正を探している。
警察官は、家族まで不正探しの習性がついてしまう傾向が強くなり、一般人からみたら異様に
見えることがある。税理士は監査などで、毎日細かい経理のミス探しを続けるため、家に帰って
からも家族のあらを探しをする傾向になる。これらは負のテトリス効果だ。
逆に、良い方向に働くと、テトリス効果は抜群の効果を発揮する。
ここで、「今日あった3つの良いこと」の振り返りがある。一日に5分、この作業を毎日繰り返す
ことで、脳内に、ポジティブな自分をスキャンする回路が生まれ、徐々にポジティブな部分を
見つめるようになる。意識的にポジティブなことを考えることで、それまで頭にあった
ネガティブなことを意識から追い出すことができ、心が安定する効果がある。・・
科学者によると、我々に入ってくる情報のうち、およそ100分の1しか覚えてないという。
他は効率よくフィルターではねられて、脳の中のごみ箱箱に捨てられる。我々は見ようと思う
ものしか目に入らない。自分が買いたい車か、買った車しか目に入らない経験があるだろう。
・・脳が常にポジティブな面をスキャンしてそれに注目すると、最も重要な3つのツール
「幸福」「感謝」「楽観性」の恩恵を受けることができる。恩恵は、「幸福優位性」で述べた。
二つ目の有益なメカニズムは「感謝」である。ポジティブな感情で持つ機会が増えるほど、
感謝の気持ちを覚える。感謝を常に忘れない人たちは、活発で、心の知能指数が高く、
寛容で、抑うつになりにくく、不安や孤独も感じないことが、多くの研究が証明している。
三つ目は「楽観性」。脳がポジティブの事柄を多く拾上げるほど、いいことが続くと思えるので、
ますます楽観的になる。ある研究によると、楽観主義者は、悲観主義者に比べてより多くの
困難な目標を立てる。そして、その目標達成のために多くの努力を注ぎ込み、困難に
長時間立ち向かうので、障害を比較的簡単に乗り越えることが実証されている。・・・ ≫
▼ 私は商家で育ったため、何事も損得で考える傾向が強いことに学生時代に自覚したとき、
ゾ〜ッとしたことがある。社会には、損得以前に、善悪、嗜好、倫理など、様々な道理がある。
それを知るのが教養である。 私が一番警戒している、『世間様』がテトリス効果で、小さな
世界の価値観に縛られ、思考や行動が凝縮した人たち。小さな岩穴の中で、大きくなり、
その穴から出られなくなった山椒魚そのもの。誰もが、少なからず持っている要素だが。
うつ病は、その穴の中で精神が圧迫された状態から生じる症状である。
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4645, 一年で全米記憶力チャンピオンになれた理由 ー2
2013年12月04日(水)
『一年で全米記憶力チャンピオンになれた理由』ジョシュア・ジョア著
* 古代ギリシャの記憶術の誕生 ー「シモデスの記憶術」
この本は、科学ジャーナリストが、古代ギリシャの時代から知識人の間で受け継がれて
きた記憶術で、1年後に記憶力全米チャンピオンに輝くまでを描いた実験ドキュメンタリー。
ベストセラーになったが、当然の内容である。記憶をまず洞窟の岩壁に書き残し、次に
石片、木片、動物の革、紙、そして今ではデジタルに変化してきた。それが外部記憶装置。
そのため、ネット検索で、一瞬にして世界中の情報を取ることが可能になった。
その中で記憶力が、どこまで必要なのだろうか。 ー「シモデスの記憶術」を検索するとー
【 奇跡的偶然で助かったシモデス。身内や知人を崩れた瓦礫の中から遺体を掘り出したが、
酷く押しつぶされ見分けも付かない。しかしシモニデスは、パーティに参加していた人達が、
どこに座っていたかの記憶を頼りに、その位置から身元を判別し、一人一人を埋葬することが
できた。この経験からシモニデスは、記憶術(座の方法)を思いついた。 『鮮明な記憶
というものは、順序や場所と関連付けられた場合、鮮明に蘇ること』を発見した。
この「座の方法」=「記憶を鮮明の保持する方法(記憶術)」は、
1、何かの場所を選ぶ
2、記憶したい物事のイメージを描き
3、それぞれの場所に関連付けていく方法で、
現代記憶術で言う「場所法」です。シモニデスは更に、『場所の順番が物を護ってくれ、
物のイメージが記憶そのものを護ることになり、我々は、場所を蝋板代わりに、イメージを
文字代わりにして、関連付ければいい』と、記憶術の真髄を述る。これが2500年前に
発見された記憶法である。 】
▼ 早速、事例にした、熊、ゴミ、靴、大学、ドラマ、トラックなどをイメージし、自宅の駐車場、
庭、玄関、居間に貼り付けた。そして一日後、思い出してみたら完璧に憶えていた。
ベテランでも時に忘れるが‘記憶の不備’でなく‘認知の不備’という。ここで、紹介していた
実験に考えさせられた。学生たちに30枚の写真をスライドで見せて、憶えているか?
と聞いたところ、全員が笑って、憶えているわけがないという。そこで、その一枚一枚の
横に違う写真を貼り付けて、見せたところ、最初にみた写真を、全員が憶えていた。
人間は、一度見たもの、経験したことの殆どを記憶しているという。
48回の海外旅行の行先の旅番組を見るのが楽しみの一つだが、行ってなければ、
見ないし、その時の、記憶と番組が混合し、再び、そこに行った気持ちになる。
番組の映像が、この二枚並べたスライドと同じ効果が働き、少し違う風景から、
実体験の記憶が蘇ってくる。だから何でも見てやろう、挑戦してみようという
積極一貫の精神が必要ということ。 考えさせらる本である。
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4280, 閑話小題 ー随想日記のテーマの見つけ方
2012年12月04日(火)
* 随想日記のテーマの見つけ方
11年7ヶ月、休むことなく、この随想日記を書き続けてきた。一つの張り合いになって
いるが、問題はテーマのネタ。これが難しい、というより思い浮かばない。TVや新聞から
思いついたり、雑談で思いついたり様々である。二週間に1〜2度、図書館で10冊を
借り換える。それを机の左に積み重ねておき見つけるのが半分くらいだろうか。
自分が面白い、成るほど、と納得する内容でないと後で読み返した時、心に振動しない。
その為、本探しから違ってくるが、これが良い。それと、たびたび自分のワダカマリを
テーマにする。これは考えることになり、解消の切欠になる。
去春以来、何のワダカマリをテーマにしてきたのは、そのため。 赤裸々過ぎたが。
その時々のテーマを探すのは、人生にとって最重要事項。それを続けることは最上の
習慣化だが、12年近く実施しているわりに教養が増した感がない。書いたと同時に
完全に忘却するためだろう。しかし、この習慣、一度身に着けると良いことが多々ある。
何か事があると、その場でキーワードを探し文章化してしまう。3つも見つければ、
完成に近い。それは、考えることそのもの。それを後でパソコンに書き込むが、メインの
キーワードをテーマに入れる。そこで違うテーマに変更する場合がある。
毎日書いていると、その辺が何とも面白い。 プロの書き手はテーマを依頼されると、
数十冊、数百冊の本を集め、目を通すという。その過程で内容の荒筋をつくり、その後、
内容の肉付けをしていく。 現在ではパソコンとネットがある。アマゾンなどから多くの
資料の入手が可能になった。4千も超えると、同じような内容を知らぬうちの繰り返し
書いている。現在のような、有り余るような時間の中では、テーマ探しは、けっこう
面白いもの。それにしても、下記のテーマと文章を読み返すと、赤裸々で、心根が、
そのまま現れ出ている。今さら、虚飾も何もないと開き直るしかない!
・・・・・・
3905、さらし首の独り言
2011年12月04日(日)
あの日から八ヶ月、現在置かれている立場は打首獄門の刑場のさらし台の首のようなもの。
しかし、それが面白い。その首が目をパチクリし見物人の評価している目線と心境が、である。
それも、「その辺の世間様レベル」の目線が、かって憶えのある自分の目線として蘇ってくる。
カント哲学の具体例とすると分かりやすい。見物人は、それぞれ知っている範囲の情報と
知識で烙印を押し付けてくる。それは自分のことを言っているに過ぎないことを全く
自覚していない?愛らしさ。人生の満足度が低い人ほど、自分の影としての対象として
鬱憤をぶつけている。それが世間様の犠牲者、「その辺の輩」という所以。
自己卑下を他の対象に投影するに一番手っ取り早い世間話のため、その視線が、そのまま、
その人となり。 他者を批難することは、自分を更に卑下しているだけの理屈が分からない。
それが身近ほど辛辣になるから、人間観察にはもってこいになる。
元もと卑しい臭いのする人は近づけないつもりだったが、実は違っていた? しかし、
それが人間の赤裸々の姿。これは「自己確立の出来ているかどうか」の基準で見ると、
直ぐに分かる。 この10数年、独学で哲学を学んできた?が、自分の頭で考えること、
現象の中にある事実と、その中の真実。その真実も、本当に真実なのか、それとも
カントの言う、自分の経験と知識の範囲の思い込みなのか?という自問自答。
その意味では「その辺の何=自己卑下の人」も、実は私自身が貼り付けた言葉でしかない。
世の中、何も考えてないと思える人が多い。特に老いてくると、それが露出する。
それが、この文章を書いている自分に当てはまるから、これも自己卑下。
これは、実はお互い様ということ。人生は悲劇と喜劇は紙一重。 悲しくもあり、
可笑しくもありが人生、と実感する日々この頃である。
・・・・・・・
3540, 価値観の中心の書き換え ー2
2010年12月04日(土)
* 石井一男という画家
「ビジネス書 大バカ事典」勢古浩爾・著の中で、数多のいい加減なビジネス書をなで斬りを
している反面、こういう画家には優しい眼差しを向ける。さっそく、ネットで絵をみたが息を飲む
ほど素晴らしい。一種の自閉症?なのだろうが、画家の魂が対象の画中の女性や花から
迸り出ている。何か自分の世界の中で作り上げた女性像が彼の魂から溢れ出て迫ってくる。
何が成功か、そんなものと、勢古がいうのも理解できる。 ーまず、勢古の文章からー
【 石井一男という画家である。TBSの「情熱大陸」という番組で知った。
人付き合いが苦手で、49歳までアルバイトだけで生計を立ててきた。それも、人とあまり
関わらなくてもいい仕事ばかりを選んだ。神戸在住で長屋の二階にひとりで住んでいる。
母親が購入したものだから部屋代は必要ないが、生活費は月七、八万円。酒も煙草も
パチンコも一切やらない。喫茶店にも滅多にいかない。 夕食は近所の惣菜屋で100円に
値下がりした惣菜二種類と100円のパック入りごはんを買って済ます。 しかしそれらを
きちんと器に移して盛る。可愛いことにみかん一個のデギトもつける。それをひとりで正座して
食べる。絵を描いてきた。だれにも師事せず、どの団体にも属さず、途中休止した年月も
あるが、たったひとりで描いてきた。ときおり行く画廊の主人が書いた文章を読んだことが
きっかけだ。この人なら自分の絵を見てもらえるかもしれないと思い、手紙を書いた。
この気持ちはじつによくわかる。ちょっとだけ大きい世界に開くこと。そして、ひとりの
承認者がいてくれたら、と願うこと。主人は石井の絵を見て「こんな人がいたのか」と驚き、
個展を開いた。石井一男の絵は49歳ではじめて陽の目を見た。人々の目を惹きつけたのは、
ルオーの画風に似た純粋な「女神」シリーズである。目を瞑った慈母か天使のような顔が
描かれている。その絵を見た人のなかには、涙を流す人がいた。わたしが好きなのは、
後藤正治『奇蹟の画家』の冒頭に載せられた黒一色の「女神」(二〇〇八年)である。
表情がいい。石井その人もまた、絵に似て、いい。長身で痩身。照れ屋で寡黙である。
無愛想ではない。温厚である。恥ずかしそうな笑顔である。1943年、神戸生まれ。
父親はフィリピンのルソン島で戦死。祖母と母の三人で暮らしてきた。その祖母も亡くなり、
現在、母は九〇代になり老人保健施設で暮らしている。この個展で100万円の
収入があった。しかし石井はそれを貰うことを拒み、ある団体に寄附しようとしたのである。
画廊の主人はそれを思いとどまらせた。絵を見てもらえるだけで満足だったのかもしれない。
それ以上の反応は、おそらく過分なものだったのだろう。その後、個展は大阪や東京でも
開催されるようになり、作品もほとんど完売するという。 固定ファンもついた。
小さくて静かなブームになっているといっていい。だが、石井一男の生活は以前と
まったく変わらない。マンションなどに移るつもりはまったくないという。
長屋の二畳と六畳一間の部屋。母親を見舞う。生活費は相変わらず月7.8万。・・・】
ー
勢古の本を読むのは数年ぶりだが、なかなか味わいが出てきた。 ところで朝のNHKのドラマ、
今年になってから、「ゲゲゲの女房」以来である。時間帯を7時半からBSで放送したこともある。
現在は、「てっぱん」である。下宿屋の人間模様を藤純子を主役?としている内容だが、そこに自閉症の
初老の画家がいる。石井一男がモデルなのだろうかと思ったが・・
ネットでみた石井一男の絵に、一瞬で虜になってしまった。パソコンにファイルしたが・・
・・・・・・・・
3165,金本位制が復活? −2
2009年12月04日(金)
*ーそれでは、「アメリカ金本位制復活論」の高橋靖夫が文藝春秋に記載した
一部を抜粋するー
1971年8月15日、ニクソン大統領は突然、金とドルの交換を停止した。世界を仰天させたこの
「ニクソン・ショック」によって、金は「通貨としての役割」を否定され、たんなる「商品としての地位」
に追いやられた。 当時の通説は、「モノづくり」で競争力を失った米国が、ドルを守り切れなく
なったために「ブレストンウッズ体制を自ら放棄した。 ところがその後の米国といえば、崩壊
どころかドル覇権を拡大し、冷戦終結後にはユニテラリズムを振りかざす唯一超大国として
「独り勝ち」を達成した。では、「崩壊」したかに見えたニクソン・ショックの狙いはなんだったか。
ブレストンウッズ体制下では、アメリカは1オンス35ドルで各国政府の保有する金の交換を
保証していたため、赤字の増加は金の流出につながる。そこで米国は”負けたふり”をして
「失った金の再備蓄」を密かに狙った。
(字数制限のためカット 2015年12月4日)