ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
             〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
  * 私の物語、私が書かずに誰が書く
 一年前に50回に渡ってー「事業人生を決心して45年」の語り直しー
を書いていた。思い浮かぶままの書きなぐりだったが、傍目からみたら、
バイアスがクッキリみえていたのだろうが、それが、その時の私自身である。
それも他人に向けて書いた内容ではなく、自分自身の旅路をそのまま書き
残したもの。あとで余禄も書いてあったが。 この〜人生の物語化が良い〜
≪ 我々は皆、それぞれの思考や感覚の癖によって歪められた主観世界に住み、
自分に都合よく書換えた物語を生きている。登場する他者たちもリアル世界
の存在ではあるものの、そのキャラクターは主観者によって解釈され色付け
されるため、被害妄想的な物語を紡ぐ者にとっては迫害者となる一方で、
同じ人物が別の人間の目には英雄的存在として映っていたりするわけである。
 したがって、どれが本当の物語なのかは誰にもわからない。いや、本当の
物語などないのかもしれないのだ。マリー・アントワネットヘンリー8世
いった歴史上の有名人物も、その語り継がれたエピソードを忠実に再現しても
なお、解釈のしようによってその人物像はいかようにも描かれ得る。
私は私の物語をできるだけ正直に書こうと心がけてはいるが、己の主観の歪み
からはどうしても逃れられないため、公正なる第三者(そんな者がいるとして)の
目から見ると、かなりバイアスのかかった物語になっている可能性も大いにある。
それを考えると「正直でありたい」などという‘夢'というか、途方もなく
誇大妄想的な万能感に基づく放漫な野望なのかもしれないのだ。
 だが、私はそれを承知していてもなお自分の物語を書かずにはいられない。
私の物語を私の視点で語れるのは、この世に私ひとりしかいないからだ。
私が書かなくて誰が書く、といった心境である。いや、ぺつに誰も書かなくて
いいけど。どうせくだらない物語だしね。 しかし私は、ただでさえ少ない
脳みそをぎゅうぎゅうに絞っては、必死で己を表現しようとしている。私が
「言葉」を諦めないのは、自分の物語を諦めたくないからなのかもしれない。
私が体験したこと、私が感じたこと、私が見てきた世界の風景を、ありのまま
に届けたい。それは何故か? 私は何を伝えたいか? おそらくこういうことだ。
 私が何者なのかを、私は知らない。自分が何のために生きたかもわからない。
そんな無知蒙昧な私が己の人生を通して、どのような答えに行き着くのか、
私とは何者だったのか、私の人生にはどんな意味があったのか、それを
読者に問いたいために、私は私の物語を書くのである。 
 正確なジヤッジを下して欲しいから、できるだけ正直に書きたい。
私の主観によるバイアスも含めて、私という人間を客観的に解読して欲しい。
その結果、とんでもない詐欺者だという結論を下されようが、ただの頭の
おかしい自己顕示欲女だと言われようが構わない。私は他者の目にどう映るか…
それが知りたいから、私は書く。間違っていようが狂っていようが、私の中の
本気の言葉を書き続ける。「言葉」は私の神であり、「言葉」は私自身である。
そんな私の言葉を信じなくても構わないし愚弄したければしてもいいが、
わざと歪曲するのは許さない。無意識から生まれた曲解であれば仕方ないけど、
故意にやったらそれは悪意だ。私に対する、いや、私の「言葉」に対する
侮辱なのである。・・・ ≫
▼ 人の口は歪曲そのもの。その歪曲を許せないとは! とすると、
 己の歪曲もまた許せないことになる。そこから悩みも矛盾も出てくる。
物書きだから、仕方がないとしても・・『日々是口実』と自覚を持てば、己も、
他者の歪曲も許せ、見逃せる。 自分の物語を書き出すことは、自分の歪み、
壁に気づくことになる。 それこそが自分自身であると自覚することになる。
・・・・・・
4927,パワレルな知性 ー5
2014年09月10日(水)
   * 専門主義と、教養     『パワレルな知性』鷲田清一
 人生を振返ると、あらためて教養の必要性を感じる。仕事や、目先の事象に
影響する経験や知識でない純粋に知っておくべきことがある。古典文学、芸術、
音楽、大自然の景観に感動することや、世界の果てから、あらためて現在の
自分を振返ることも、教養である。その積み重ねが、複眼で問題を見ること
を可能にする。見識が狭いと、その枠内でしか考えることが出来ない。
 ーその辺りからー
≪ 学者や専門家は、ながらく、みずからの知的努力を一つの専門領域に絞り、
専門外の領域に対しては、越権行為としてみずから禁じてきた。逆に、専門外
の意見は、受け入れようとしなかった。しかし情報化の時代に、そんな態度は
とれなくなってきた。 ・・協同するプロたちにとって、組む相手はいずれも、
じぶんの専門領域からすればアマチュアだということだ。とすれば、ほんとうの
プロというのは他のプロとうまく共同作業ができる人のことであり、彼らに
じぶんがやろうとしていることの大事さを、そしておもしろさを、きちんと
伝えられる人であり、そのために他のプロの発言にもきちんと耳を傾けること
のできる人だということになる。一つのことしかできないというのは、
プロフエッショナルではなく、スペシャリストであるにすぎない。
 このことが意味しているのは、ある分野の専門研究者が真のプロで
ありうるためには、つねに同時に「教養人」でなければいけないということ。
「教養」とは、一つの問題に対して必要ないくつもの思考の補助線を立てる
ことができるということ。いいかえると問題を複眼で見ること、いくつもの
異なる視点から問題を照射することができるということである。このことに
よって一つの知性はより客観的なものになる。そのためには常日頃から、
じぶんの関心とはさしあたって接点ない思考や表現にふれるよう、心懸けて
いなければならない。じぶんの専門外のことがらに対しいつも感度のいい
アンテナを張っていること、そう、専門外のことがらに対して狩猟民族が
もっている感度の良さが必要である・・≫
▼ 穴を深く掘ろうとしたら、間口を広くしなければならない。その間口
の広さが、知識の幅になる。ここで、スペシャリストとプロフェッショナル
との違いが分かりやすい。そのために、人の話を聞くこと、本を読む、何事
にも興味を持つ、一流のものに接する、とにかく変化する、など長年かけた
習慣が必要になる。情報化の時代、専門主義では大波に一瞬で流されてしまう。
それにしても我が教養の少なさを実感する。これも自覚できるか、出来ないか
の違いでしかないが! 高学歴ほど、それが分からないから始末が悪い! 
知れば知るほど、知らないことが多いことに気づくはずなのに、である。
知れば知るほど、膨大な未知の世界の存在に気づくはずなのに、である。 
専門分野も、掘り下げれば下げるほど、専門外の知識が必要になって然る
べきだが? 掘り下げが中途半端だから、視野狭窄になる?
・・・・・・
4560・横尾 忠則の老人論 ー3
2013年09月10日(火)
 「猫背の目線」横尾 忠則 (著)
    * コスプレの公開制作が面白い!
 コスプレはアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮する行為。
画家が、自分の描く風景の登場人物のコスプレで公開制作とは面白い。これまで
色いろな職種を経験してきたが、制服を着た当初はコスプレのような感がした。
それも数日で同化するから不思議。それは事業も同じで、無我夢中で取り組んで
いるうち、その機能になってしまうもの。人生もコスプレのように、服装も心も
身体も全身仮面で時節ごと付け替えているに過ぎないのではないか。
化粧と服装も、自分が主役のTPOSに合わせたコスプレ? ギャルとか、
キャバクラ嬢の見なりは、その典型・・
  ーその辺りの箇所からー
《 1980年代にさしかかった頃、グラフィクデザインから画家に転向したが、
 当初アトリエがなかったため美術館のスペースで絵を書く事が多かった。
それもただで場所を提供してくれるところはなく、「貸してあげるが公開制作
にしてくれないか」という条件が出された。絵は本来アトリに独り籠って
かく孤独な作業なのに人前で描くということは考えてもいなかったので、
果たして描けるかどうかに頭を痛めたが、やってみると意外と抵抗なく、
むしろスイスイ描けることに我ながら驚いたものだ。
 それ以来アトリエができるまであちこちの美術館で公開制作を行ってきた。
人前で描くことは確かにプレッシャーになったり、ストレスの原因を生むが
慣れてしまえぱ平気。背後の観客から、集中する僕に突き刺さってくるのが
ヒシヒシとわかる。こんな想念がぼくの中でエネルギーに変換されてより
創造的になることを発見した。この場合の創造というのは無私になること。
不思議なことに雑念が去来しなくなるのである。そう言う意味で座禅に近い
のかもしれないが、座禅とて雑念に振り回される場合が多い。
その点、公開創作の方が「私」意識が薄れるのである。それはは考えるという
ことと描くということが一体化されるからだ。おまけに描くスピードが早く
なり、手と心が同化していくのがよくわかる。だから時には一日で150号大
の作品が描き上がることさえある。観客がこちらの一挙手一投足を固唾を飲んで
見ているのが体に伝わるので、思わず手を休めるのを忘れ描き続けてしまう。
このことが描きてであるぼくを解放する。公開制作の味を占めたぽくは最近
また続づけるようになった。しかもコスプレによって制作する。
公面制作で描く絵は、ぼくが近年描き続けている「Y字路」である。
そこで道路で作業している現場の人たちと同じ格好で絵を描くことにした。
街でよく見かけるー幅の広いズボンにベスト着用、頭にはタオルを巻いてー
とこんな風景をよく見かけるでしょう。つまり鳶職スタイルである。
他の学芸員も道路工事の関係者の役回りになってもらう。
最初は観客は度肝を抜かれ、ギョッとした顔になって、次はケラケラ笑う。
それも一瞬、こちらが真剣に絵を描くものだから、あとは会場は水を
打ったようになる。 よく仮面効用というが、コスプレはまさに全身仮面
になり、人格も他者になるわけだから不思議な解放感に襲われ、その結果、
実に自由な気分になるのである。そして描く行為そのものも絵と同じように
作品化されてしまう。だから観客はパフォーマンスを鑑賞することになる。
制作の休憩時間に美術館のレストランにこの格好で入っていくと、
まずお客は場違いなものを目にしたわけだから、なんとも当惑した顔をする。
われわれに向ける視線には明らかな拒否反応の色が見える。
「作業着のままでよく、ソフィスティケイトされた美術館のレストランに
入ってくるわね」という視線を投げてくると同時に「レストランの人たちは
何もいわないのか」と。ぽくがコスプレしていることがわからないのだけど。
そんな反応をぼくは実は楽しんでいるのである。これも仮面の効用で、
普段体験できない経験にほくは悦に入っているというわけだ。》
▼ それは、自分自身にも人間そのものにも当てはまる。両親合作の心身を
「魂らしい自分の芯」が、コスプレ? としての自分を見つめ続けている。
さすがに横尾忠則である。描き手の目線を、その環境の一人として、まず
服装から当事者になってしまう。そして観客も、その場の一人として
引き込んで、作家のイメージの世界に誘導する。
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4185, 呪いの時代 ー4
2012年09月10日(月)
             「呪いの時代」内田樹
 * 脊髄反射的その場のつくろい  ー第3章「後手」に回る日本ーより
島国の閉鎖的社会では、問題を荒立てないために「その場のつくろい」も必要。
しかし、情報化社会では、それは許されるものではない。現在の日本の政治は、
毎年、首相を交換させることで、その場のつくろいをしているに過ぎない。
それを国民が求めているから首相は、問題解決の痛みを敢えて強いない。
そして一年もしないうちに引きずり下ろされる。
  ー以下の部分は、その理由を端的についている。
≪ 日本の政治家とアメリカの政治家の違いというのは、武道で言うと、
 アメリカは基本的に「先手」の人であり、「日本は後手」の人ということ。
欧米では、とりあえず国家が行くべき道というか、実現すべき国家像という
ビジョンがあり、それが国民的規模で共有されている。日本には、そんなものは
ありません。終戦時に、それがなかった。とりあえず「アメリカ人が日本が
かくあるべしと考えていること」をもって国是とした。「自分で与えた憲法
理念と背馳する命令が出せるほどの強大な国家には従属するしかない」という
経験則が存在したということです。それが日本の国是です。アメリカに従属する。 
・・相手が次に打ってくる一手に最適対応すべく全神経を集中すること。
どれを武道では「居着き」と言います。物理的には足の裏が地面に張りついて
身動きならない状態ですが、構造的に「負ける」ことです。日本の政治が三流
であるということはそういうことです。政治家個々人の資質がどうこうでなく、
構造的に負けているのです。国家像が描けない、統治原理が語れない、外交
戦略が起案できないというのは個別的な知性の問題でなく、日本人全員が罹患
している国民的な病です。・・・ ≫
▼ 現在、日本が直面している問題は、まさに上記のことによる。数十年に
 渡って、間接的米国隷属国家として、当然、と言えば当然で、これしか
出来なかった。上司と部下の関係である。アメリカには建国の精神がある。
独立宣言書である。何かあると、ここに立ち戻って、立て直す。問題あるのは、
それから軌道がそれたと理屈づけ軌道修正をしてきた。明治維新も、太平洋
戦争の敗戦も、アメリカの圧力で変化を余儀なくされた。それに日本人の
特質もあり、後手という守りしか手が打てなかった。 現在の領土問題も、
これから起因して周辺各国から遊ばれている状態。   〜つづく
・・・・・
3820, 哲学人 ー�
2011年09月10日(土)
  * 現実と経験と言語は一緒ではない 
             ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
  ーまずは、「現実把握は、言語的分類次第で決まる」という部分からー
【 言語が経験を構成するというのである。この見解について
  ジョーン・サールが、明快に述べている。
≪ 私は言語が現実をつくると言っているのではありません。とんでもない。
 むしろ、私が言おうとしているのはこういうことです。何を現実とみなすか
 ーどういうものをグラス一杯の水として、一冊の本として、一脚のテープル
としてみなすか、どういうものを同じグラスとか違う本とか二脚のテープルと
みなすかー は、私たちが世界に押しつけるカテゴリーしだいなのです。
そして、こうしたカテゴリーはたいてい言語的なも。それだけではありません。
世界を経験するとき、私たちは経験そのものを形成する際に役立つ、言語的な
カテゴリーを通じて世界を経験しているのです。世界はもとから物体と経験
に分かれて存在しているわけではありません。何を物体とみなすかは、
もともと私たちの表象体系の一機能の結果であり、経験のなかから世界をどう
知覚するかは、その表象体系に影響を受けているのです。 言語を世界に適用
することを、いわばみずから独立自存する物体にラベルをつけることだと想定
するのは間違いです。私の考えでは、世界は私たちが分類するとおりに分類
されるのであり、事物を分類する主な方法は言語によるものなのです。
 現実の把握は、言語的なカテゴリーしだいなのです。≫
この考え方はいまなお、哲学者ばかりか、文学や言語学をはじめとする
他分野の専門家たちによって、さらには、一部の社会学者や人類学者たちに
よって唱えられている。「何を物体とみなすかは、もともと私たちの表象体系の
一機能の結果であり、経験のなかから世界をどう知覚するかは、その表象体系に
影響を受けている」という点について、私もサールに賛成したいし、誰もが同意
しなくてはならないだろうが、私としてはこれをカント哲学的な意昧に解釈
したいと思う。 ただし、その表象体系に含まれるカテゴリーが基本的に、
もしくは第一に言語という性質をもつとする点は認められない。考え方と
してはわかる。 わからないのは、そしてこれまで一度として理解できた
ためしがないのは、どうしてそんな考えを抱けるのかということだ。
というのも、それは私の直接の経験によって真っ向から否定されるように
感じるからである(この点に関して私が特殊であるとは思えない)。】
▼ 事業が、この結果(倒産)で終わった。総括は頭を冷やした来年早々にする
 つもりだが、それが、この30年の構成の提示になる。創業10年、中間期
10年、最後の10年、そして最後に、どのような終わり方をしたか?、
その時の断面は、どうだったか。それを、どういう切口で分類し、評価するか。
30年、人生の事業生活の大部分を注ぎ込んだ、この結果は? 要は、倒産で
終わったということ。その視点を失うと、総括は不可能になる。炎上している
世界経済と、ネット社会の移行の中で日常が音を立てて変化している。
その中で、言語的分類の枠組みを立て直すことが、まず求められる。
「3つの震災が何もかも飲み込んだように見えるが、実は情報化の潮流に飲み
込まれたのが真の理由だったのか?」これも言語的分類。分類は分析の第一歩。
そのプロセスが総括。そこで価値(意味)を自ら下げることもない。
今までの価値観のコペルニクス的転換の時。ここの小テーマが「現実と経験と
言語は一緒ではない」である。 当然、この小テーマが問題になる。
「言語は、それを構成する」だけ。消滅してしまった事業の総括。
ただ、それだけだが・・あと講釈でしかない、だから冷静に見つめないと。
意思決定から45年である。
・・・・・・・
3455, 渥美俊一氏死去
 2010年09月10日(金)
 ペガサスクラブの主催者で、日本リテイリングセンターの渥美俊一氏が
亡くなった。チャーンストア時代の大きな転換期の目安になる。そこには、
桜井たえ子という渥美先生の片腕の女史がいるが、彼女がペガサスを支える
ことができるかどうか?  昭和30年半ば大手スーパーや専門チェーンの
創業経営者のほとんどが渥美先生の元に終結、成長・拡大し、消えていった。
現在でも流通界におけるカリスマ的指導者、亡くなる直前まで講義を続けていた。
氏が主宰していた「ペガサスクラブ」の指導は厳しいのは衆知のこと。
日本の高度成長を流通面から支えた貢献は多大。バブル崩壊後は、ダイエー
イカル・西武流通グループの倒産が象徴するように、チェーンストア理論が
必ずしも有効に機能しない側面が表面化し、これまでの勢い失っていった。
最近ではユニクロのように、ペガサスに創業当初から属さない成長チェーンも
出現してきている。 学生時代、大学の近くの書店で月刊誌の「販売革新
を手に取り、渥美俊一が「ペガサスクラブ」を立上げ、ダイエーヨーカ堂
などのチェーンのコンサルタントをしていることを知る。 そして
「チェーンストアへの道」という10巻シリーズのチェーンストアつくりの
戦略、手法が書かれている理論を貪り読んだ。そして、それをベースに卒論
流通革命」を書いた。それもあってジャスコの創業一期生として入社。
そうこうあって渥美先生には、大きな影響を受けた。そして現事業の立ち上げで、
その裏づけとしての理論的背景にチェーン理論があった。セミナーだけで、
50〜60回は出続けた。 その費用は、長岡市郊外の二つの土地転がしで
直ぐに元は取れた。立地論から、バイパス沿いの若い土地の短期転売で利益を
得て、その正しさを確認した。しかし20年前にバブルが弾けた彼の理論は、
時代とはかけ離れたものとなってしまった。「バランスシートの右と左を拡大
しながら店数を増やしなさい。それも町のバイパス沿いの要所を見つけ、
自店舗を建てることで価値をあげ、それを担保に拡大出店を続けなさい」
という理屈である。 またアメリカの流通事例を見せるため店舗見学ツアー
を組んで、2、300人と連れて行くのである。私も二度、参加した。
大量生産、大量消費の時代、流通システムが全く旧態だった日本に、新しい
バイパスとして、スーパーや、総合量販店、専門店を、チェーン化で、販売
経路の拡大戦略を指導してきたのである。彼は死ぬ直前まで、「日本の流通は
未完である」と、その指導の手を緩めることがなかったのは、やはり経営
コンサルタントとしては、超一級だった証である。 ご苦労様。 ご冥福を!