つれづれに

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今回の台風、新潟県は外れたが、栃木、茨城、千葉などが
豪雨の被害を受けている。 それにしても、次々と、天候異変の
被害がつづく。 今朝は、なんとかポタりングに行ってきたが・・


・・・・・・
3455, 渥美俊一氏死去
2010年09月10日(金)

 ペガサスクラブの主催者で、日本リテイリングセンターの
渥美俊一氏が亡くなった。チャーンストアの時代の大きな転換期の目安になる。 
そこには、桜井たえ子という渥美先生の片腕の女史がいるが、彼女がペガサス
を支えることができるかどうか? 昭和30年半ば、大手スーパーや専門チェーン
の創業経営者のほとんどが渥美先生の元に終結、成長・拡大し、消えていった。 
現在でも流通界におけるカリスマ的指導者で、亡くなる直前まで講義を続けていた。
氏が主宰していた「ペガサスクラブ」の指導は厳しいのは衆知のこと。
日本の高度成長を流通面から支えた貢献は多大である。 バブル崩壊後は、
ダイエー・マイカル・西武流通グループの倒産が象徴するように、チェーン
ストア理論が必ずしも有効に機能しない側面が表面化し、これまでの勢いを
失っていった。 最近ではユニクロのように、ペガサスに創業当初から属さない
成長チェーンも出現してきている。学生時代、大学の近くの書店で月刊誌の
販売革新」を手に取り、渥美俊一が「ペガサスクラブ」を立ち上げ、
ダイエーヨーカ堂などのチェーン店のコンサルタントをしていることを知った。
そして、「チェーンストアへの道」という10巻シリーズのチェーンストア
つくりの戦略、手法が書かれている理論を貪り読んだ。そして、それをベース
に卒論「流通革命」を書いた。 それもあってジャスコの創業一期生として
入社をした。 そうこうあって渥美先生には、大きな影響を受けた。
そして現事業の立ち上げでは、その裏づけとしての理論的背景にチェーン理論
があった。セミナーだけで、50~60回は出続けた。その費用は、長岡市
郊外の二つの土地転がしで直ぐに元は取れた。立地論から、バイパス沿いの
若い土地の短期転売で利益を得て、その理論の正しさを確認した。
 しかし20年前にバブルが弾けた瞬間、彼の理論は、時代とはかけ離れた
ものとなってしまった。「バランスシートの右と左を拡大しながら店数を
増やしなさい。それも町のバイパス沿いのヘソ(要所)を見つけ、自店舗を
建てることで価値をあげ、それを担保に拡大出店を続けなさい」という理屈。
 またアメリカの流通事例を見せるため、店舗見学ツアーを組んで、200人、
300人と連れて行くのである。私も二度、参加したことがある。 
大量生産、大量消費の時代、流通システムが全く旧態だった日本に、
新しいバイパスとして、スーパーや、総合量販店、専門店を、チェーン化で、
販売経路の拡大戦略を指導してきたのである。彼は死ぬ直前まで、
「日本の流通は未完である」と、その指導の手を緩めることがなかったのは、
やはり経営コンサルタントとしては、超一級だった証。ご苦労様。ご冥福を! 
 ・・・・・・・
3080,再び死について考えてみる
2009年09月10日(木)
 一昨日、従姉妹の通夜に参列をしてきた。地元の米屋に嫁に行ったが、
小姑が多くいて難儀をしていると聞いていた。「この世に、今時にこんな
厳しい嫁の環境があるのだろうか」と思われるほどの重荷を背負っていたようだ。
 その10日ほど前に、長岡のグリーン・ホテルの先代社長が先月27日に
亡くなったと死亡広告にあった。一度、当方の事務所に来たことがあったが、
創業時にホテル業についての話を聞きに行った事があった。暗い顔をした
気難しそうな人だった。 「自分の兄弟二人が、新潟駅前でホテルをして
いるのを知らないね」と言われ、それさえ知らない無知を恥じた記憶がある。 
三条、柏崎、長岡三棟、東京の上野近くで6棟を建て、子供たちに一棟ずつ
与えるのが夢だったというから、それはそれで・・。 
 ところで、身近な知り合いと、第三者の中間の立ち位置の「二・五人称の人」
が死を考えるに最適という。第三者と第二者=知人と中間の立場の立場の死
から多くのことが見えてくる。知っている程度の人である。「死ぬ=無になる」、
という論理の矛盾(無になる~無には成りようがないー無いものに何故なる?)
という池田晶子の言葉の通りに、死という言葉のイメージが刷り込まれる立ち
位置にあるのが2・5人称の人である。10歳の頃、親戚の葬式に親と出席した
時に思った、「何で人は周囲の眼を気にして好き放題生きないのだろうか?」と。
子供ながら凄い疑問を持ったのである。そのうちに、その疑問を忘れてしまったが、
次の疑問は父親の死に接した時である。 死の瀬戸際から、逆に「生きる輝き」
を逆噴射して見つめた視点である。死に際で、「あと、せめて三年、生きたい」
という生への渇望の言葉を聞いた。それが日々強くなっていった。その時に
「人間は生きているそのことだけでベストである」ことを肌で感じ取った。
そのためか、父親が亡くなってから全く人生観が変わってしまった。
「一日一日を生ききること」が人生から与えられた責務と思うようになった。 
知人の死だけでなく、身近な人の死も多く教えてくれる。生老病死 苦集滅道 
とは よくいったものだ。 般若心経をパソコン画面に貼り付けておこうか! 
・・・・・・・・・・
2715, 「要素還元論」と「二元論」
2008年09月10日(水)
 島田雅彦・対談集「無敵の一般教養」の松井孝典の対談で
松井孝典が、考える方法として「要素還元論」と「二元論」を解りやすく
手短にまとめていた。  ーまずは、その箇所である。
 ~~
【物事を深く理解しようと思うと、考える枠組みをよりシャープに
細かくとっていかないと、解くべき問題を設定することすらできない。 
それがわれわれの脳の仕組みと合っているのかもしれない。だから、時代と
ともに、より細かく対象を分け、より細かい領域で物事を明らかにしてきた。 
それが要素還元論です。しかも自然と人間とを分ける。考える主体と認識
される客体を、とりあえず分けなければ思考はスタートしないわけで、それが
二元論でしょう。 現代を生きる人は、これまでの教育でそれを徹底的に
たたきこまれているわけ。「わかる」とは何なのかについて、それ以外の
「わかる」ということは考えられないわけです。ぼくは今、地球学とか
アストロバイオロジーとかで、二元論と要素還元主義の枠を超えて、
昔のようにとりあえず現代の知の体系のすべてを認識しましょうということを
主張しています。何か新しい方法論が出てこないと、「生命の起源と進化」
という問題は解けないと思うからです。そういう過激な認識を持っているわけ。 
とりあえず、二元論と要素還元主義に対抗する方法論として、「システムと歴史」
という見方で、もう一回すべてを見直そうとしています。宇宙も地球も生命も
人類も文明も全部一緒に論じようとしています。数学は言葉です。
経験しない現象を語れることばが数学なんです。宇宙の始まりは過去のことで
我々は経験しえない。そういう現象を語るためには数学以外に語ることばがない。
いわゆる言語はすべて経験によって意味が裏付けられている。
そういう種類の以外のことばを持たない限り語れないでしょう。】
 ~~以上である。
なるほど、こういう思考の捉え方があるのには驚いた。
帰納法演繹法」発想法として「KJ法」、「テーゼ、アンチ・テーゼ、
ジンテーゼ」とか、情報収集の中での発火(発想)方式などあるが、
「要素還元法」「二元法」も、上記の中でしていたことである。
この年齢になって初めて初歩的な知識を得ることの、何か恥ずかしいような、
無知の再確認をさせられているようである。それに加えて、松井教授は、
「システムと歴史」という考え方を提示している。これは宇宙、地球システム、
人間の歴史、個人の歴史、全てに当てはめて考えることができる。要素還元法、
二元法の限界を、一度「システムと歴史」という視座に入れて考えると、限界を
超えることができるという。「システムと歴史」の意味が理解できなかったが、
人間の歴史、個人の歴史に置き換えて考えてみたら理解できた。「システムと、
これまでの始まりとプロセス」ということ。「数学は言葉です。経験しない現象
を語れることばが数学なんです。宇宙の始まりは過去のことで我々は経験しえない。
そういう現象を語るためには数学以外に語ることばがない。いわゆる言語はすべて
経験によって意味が裏付けられている。そういう種類の以外のことばを持たない
限り語れないでしょう」など、非常に新鮮に驚かされたことばである。
そうこう考えると、中学校時代の教科書の内容は、全ての基礎であった。
昨日、図書館で「やりなおし教養講座」-村上陽一郎著 を借りてきた。
学校を卒業して、平均2~3時間は、本を読んできたが、これで、この様だ。
カントがいうに、「犬は犬の理解しか出来ないように、人間も人間レベル
しか理解できない」というと、私は私レベルしか、理解できない!ということ。 
悲しいかな・・・やはり、よい大学に入り、よい会社、機関に入り、レベルの
高い人に接し続けないと、駄目?か。 本が呼びかけてきても、気づかないのも、
そういうこと? 今更か~
・・・・・・・・
2007年09月10日
べナレスー7
3、 多くの化身を持つヴィシュヌ神
インドには石造りの壮大な寺院から路傍の祠にいたるまで、
様々な神様が祀られている。それらの中で現在最も信仰を集めているのが、
ヴィシュヌ神シヴァ神である。 (字数の関係でカット08年09月10日)
 ーーー
解)ユダヤ教キリスト教の関係と、ヒンドゥー教の関係が似ている。
 何でもそうだが、必ずその母体があるものである。特に、厳格なものから、
弱者の立場に立ったものが・・・
 ーー
4、破壊と再生をもたらすシヴァ紳
ヴイシュヌ神と勢力を二分するシヴァ神は、もともと暴風の神であった
ものが民間信仰と融合し、次第に破壊と再生を司どる最高神となつた。
  (字数の関係でカット08年09月10日)