「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * ホッファーが生きた時代背景と、弱者
 ホッファーは、自分の生きた時代背景と、そこに適応出来ない人々の
精神状態が、いかなるものか?を、自身をそこに置くことで詳細に観察した。
当時は、現在の断絶の時代に酷似しているようだ。情報機器を使いこなせない
中高年たちは、情報段差に呆然とするしかない。それでも、タブレット
スマホの普及がフォローをしてはいるが。物理的な金銭に加え、現在は
情報格差の問題が加わっている。  
≪ ホッファーが分析の対象としたのは、何よりも同時代の「気質」であり、
 そこに生きる人々の「精神状態」であった。近代人は、長きにわたって拘束
された神から逃れ、ようやく自由を手に入れたものの、今度は、
「かれ自身の魂の救済を、しかも四六時中、行なわねばならなくなった」。
自らに対して、そして社会に対して、自らの価値を日々証明し、自らの存在を
理由づけなければならなくなった。 これは容易ではないし、絶え間なく変化
する社会に生きる一個の人間にとっては途轍もない重荷である。
われわれは、往々にして、自分自身に満足できず、「自己自身と異なったもの」
になりたいと熱望する。そして、「真に欲していて、それを持つことができない
ものの代用品」を追求して多忙をきわめる。好ましからざる自己から自分を
引ぎ離し、文字通り「心を亡くそう」と試みる。かくて、「人生のあらゆる
部門に熱狂の噴出がある」のであり、「社会組織そのものが、一般に、心の病
に冒されやすい、すぐ燃えやすい体質になってしまった」とホッファーは洞察。
本書に鮮やかに描かれているように、この簡潔で力強い分析の源泉は、
彼自身の浮浪者としての原初的な生活の中にあった。
「金がつきたらまた仕事に戻らなければならない」生活に自殺未遂をするほど
うんざりしながらも、それを克服して「旅としての人生」を生き抜いていく
ホッファー、その彼は、季節労働者キャンプでのささいな出来事から、
自分も他ならぬその一員の「社会に適応しえぬ者たち」に興味を抱き始める。
そして、彼ら固有の自己嫌悪が放出する「生存競争よりもはるかに強い
エネルギー」こそが、人間の運命を形作るうえで支配的な役割を果たしている
のであり、「弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ことが、
人間の独自性であるという洞察に到達するのである。
 ここで本書の歴史的な背景に少し目を転じてみると、ホッファーは
路上にあった1930年のカリフォルニアには、浮浪者がかなりたくさんいた。
F・L・アレンの『ジンス・イエズタディ』(1939年)が記している、その原因
のひとつは、テキサス州からカナダ国境から大平原地帯で起きた異常気象。
1933年から二年余りにもわたって無数の嵐が起こり、過度の放牧で荒廃した
広大な地域で大量の砂が吹き上げられた。大恐慌ですでに苦境にあった。
この「黒い大吹雪」と大洪水によって、決定的な打撃を受ける。
 農業の崩壊は、町を衰退させ、住民は、「約束の地」西部へと逃れる。
そして、ホッファーと同年生まれのスタインベックが『怒りのぶどう』
(1939年)で鮮烈に描いたあの苦難を経験したのである。
「普通の安定した地位に留まることができず、社会の下水路へ押し流された人々」、
「居心地のよい家を捨てて荒野に向かった者たち」こうした人々の内面に欝屈する
「こんなはずではない」という不満と「別の人間になりたい」という変身願望を、
ホッファーは折に触れて感じていたのかもしれない。そして、自分の内面を
厳しく見つめ、自分が存在する歴史的世界を認識することによってこそ、
あの近代人の「情熱的な精神状態」を見抜くことができたのであろう。
 人間の抱く"情熱"の現実を見ようとしたホッファーは、常にその両面性を
指摘した思索者でもあった。われわれは、まずもって、情熱的な精神を
「創造の新秩序の発生」として見なければならない。情熱のない人間など、
その独自性を放棄した存在に等しい。しかし、同時に、それが「退行化」
そして死をも辞さない狂信になることに絶えず警戒を怠ってはならない。
 この世の悪を絶滅しようとする宗教的、民族的・イデオロギー的な熱狂の
罠に陥ってはならない。そもそも「山を動かす技術があるところでは、
山を動かす信仰は要らない」のである。
 情熱を飼いならし、加工し、創造的なカへと変容させること ーそれは、
きわめて困難な作業である。「抵抗しがたい渇望」は突然襲ってくるもの。
 しかし、われわれは、「希望」より「勇気」をもって、それをやり抜かねば
ならないのだとホッファーは訴える。自己欺隔なくして希望はないが、勇気は
理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は
長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それを
やり遂げるには勇気がいる。闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、
勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の
存在になるのである。≫
▼ 考えさせられる内容である。時代に合わせ、自分を変えてるリスクと勇気
 こそが激動の世に求められる。それは常に不安定が伴うが、それを観察し、
楽しめる精神の強さが求められる。現在は、「情報革命による断絶の時代」。
『勇気』こそが、時代を切開くキーワード。人生を創造していく勇気!である。
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4907,ホントに大事なお金の話 −5
2014年08月21日(木)
  * 真のお金持ちは紙袋を持つ
 元ネタは、プレジデントオンラインー2010年8月頃の記事
              『なぜお金持ちは紙袋を持つのか?』
  ー面白いと思った部分の要約をするとー
◎ お金持ちはなぜ紙袋を好むのか? 彼らは紙袋で移動してもOKだからだ。
 運転手付きの車、タクシー移動とドアtoドアで雨にも濡れない。
 だから紙袋でも平気。必要なくなれば折りたたむことも、処分することも
 できる紙袋が、一番使い勝手がいい。
◎「海外ではいい時計や靴がセレブの証だ」というが、本当のお金持ちに
 とって、それも無意味。なぜなら予約の際すでに彼らの身分は割れている。
 お金持ちは決して粗雑に扱われないルートで予約するし、定宿は決まっている。
 一流ホテルとなれば、常連の顧客の顔を覚えていないわけがない。安い時計に
 スーパーで買ったシャツでも、彼が歓待されるのはそういうわけがある。
◎ ブランドショップにもいない。ものを買うなら知り合いから少しでも
 安いものを買うのが基本。
◎ さらにお金持ちは「ブラックカード」や「プラチナカード」も持たない。
「ゴールド」ですら必要ない。「年会費がバカ高くてもったいない、普通の
 カードで十分」。必要な局面ではコネがあるので優遇されるし、不必要な
 場所で自分がお金持ちであることを、ことさら触れまわるのはリスクが大きい。
◎ また彼らは絶対に見栄を張らない。元もと、「お金持ち」であることを人に
 知らせる必要がない。ランチは1円まで割り勘。でも慈善事業に多額の寄付を
 している。使い切れないお金を持てる人は、それに振りまわされない独自の
 価値観をしっかり持っている。見栄を張ると無駄な出費も多くなります。
 本当のお金持ちは絶対に見栄を張らない
▼ ここで著者がいう本当の金持ちは、上の上の人たち。百億以上の資産を
持つ人たち。上の中といえば、純資産が10億以上。上の下が1〜2億。 
上の下から上の中ギリギリが、その嫌らしさが現れ出てくる。知識同様、
その辺りの「似非」が金持ちを演じたがる!金持ちのラインは10億の現金か、
純資産である。 47年前の学生時代に、一ヶ月間の大名旅行をした時、
ここでいう大金持ち?の子弟が多くいた。 身なりからして違う人種。しかし
お金には、非常に敏感で細かい。何気ないオシャレでブランド品をさり気なく
着こなしていた。見栄を張るのは一部の人たちのみで、開放的でフレンドリー。
漂う空気からして、それまでの友人とは違っていた。周囲の思惑など気にしない
で、紙袋などを平気で、何処にでも持って行く。その紙袋が実にセンスが良いが。
こういう存在を身近で見る初めての機会だった。 当時、その段差を、さほど
意識はしなかったが、現在、考えると、上記の通り。
時おり海外ツアーで、それらしき人を見かけるが、まずユニクロを着ている
ことを隠さない。アンダーとして割切っている。元もと隠す必要がない。
ブランド品を着ること自体、自分のセンスに自信がないため、ブランドで、
それを覆い隠すしかない。 TVドラマで、セレブ世界のドロドロした社会が
出てくるが、その世界を知らない人が演出したものとしか思えない。実際は、
あんなものではない。それぞれ独自の価値観を持って振り回されない人が殆ど。
この一連の経験から見えたのは、それぞれ独自の価値観の質の格差。 
その視点の質は、隠せないようだ。 
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4540, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー2
2013年08月21日(水)
  * TVが比較地獄をつくった  「ひとり達人のススメ」山折哲雄
 まずは、ひとりになれない人たち、B層の人たちの比較地獄の話。 
自分の頭で考えることが出来ず、マスコミに流されていること自体、気づかない
人たち。ファッション、化粧、車、スマートフォンなどメーカーの比較戦略の
術中に嵌ってしまう。人間の性としてのコンプレックスこそが狙い目で刺激する。
ファッションのプロと称するオカマが、街頭で女性に声をかけ、服装のセンスを
チェックするお笑いコーナーとか、健康チェック、英会話など番組が続く。
そのTVの弊害の結果、「ひとり」になれない比較、嫉妬地獄の罪人のような
群衆のひとりにされている。 ーその辺りを、抜粋するー
《 戦後の変化といえぽ、テレビ文化の波及もひとつ。家庭の娯楽の主役が
ラジオからテレビへと移り変わり、映像が強大な影響力を持つようになりました。
テレビというのは視覚を重規したメディアです。そして、現代人は視覚を
重要視し、視覚に振りまわされるようになった。もちろん、人は基本的に、
朝起さてから夜寝るまで、目を開けています。たえず視覚を使い眼前にある
何ものかを見て、さまざま判断をしている。もし、ひとりが嫌いで、常に誰かと
一緒にいるとすると、どういうことが起きるのか。視覚は人間を比較に誘います。
この人は(自分より)いい服を着ている、あの人は(自分より)容姿が整っている… 
 視覚で判断すると、要望や才能、環境などの違いが歴然とします。そのことに
耐えられない人が多いはず。人間は平等、平等と教えられてきたにもかかわらず、
現実を見ると、何から何まで違う。だからひとりになれない人間、結局は比較
地獄に陥る。たえず他人と自分を比鮫せずにはいられない。比鮫して、自分が
劣っていても、現実はどうすることもでません。すると恨みがつのって、
「嫉妬地獄」に移行してしまいます。さらに批難や中傷、陰口の井戸端会議で、
自分より優れていると判断した人を引きずり下ろそうとする。このような、
群れの関係がしばしば陥りがちな「嫉妬地献」から身を守るためにも、
ひとりの時間は大切だと思うのです。  》
▼ 私が地元に帰ってきて、まず決めたことは、学校関係以外の人間関係を
 最小にすること。商業界とか、ライオンズとか銀行が主催する「何何会」
とかは、まさに比較地獄の世界。町内、寺の檀家衆、商店会とかには「ひとり」
になれないB層がC層を中心にした輪があって、住みやすい絆がある。
そう、NHK連続TV小説のコメディの東北の、あの街の人たち。実態は、
あれは地獄の針のむしろに座っているようなもの。都会人が思い抱いた地方の
理想郷、妄想である。地方経済は疲労困憊の結果、若者は都会に出ていくしか
なくなっている。絆は、一人一人が確立されて出来るもの。その逆の弊害を
TVが数十年かけて作り上げてしまった。それから逃れるためには、
ライフワークを持つしかない! それがA層とB層の境目の目安である。
それさえ持っていれば、比較とか嫉妬に陥ることが少なく済む。TVも、
シネマも、ネット、面白くなっている。これでは、比較材料の垂れ流しで
「ひとり」になれない人たちの嫉妬地獄の修羅場が、ますます拡大していく! 
「和して同ぜず」なら良いが、「同じて、和せず」になる。アウトサイダーは、
「和せず同ぜず」になるが、インサイダーとして、何処かの高校の校是に
「和して同ぜず」があるが、「ひとり」が鍵になる。
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4165, 閑話小題 ー今年の熱さ対策
2012年08月21日(火)
  * 今年の熱さ対策
 今年は当初は熱暑だった。しかし7月末辺りから暑さも収まってきたが
再び盆からぶり返してきた。ひと月前にミニサイズの扇風機二台を買ってきて、
居間と書斎に一台ずつ置き、これまでの古い扇風機と併用して使っている。
それにスーパーで売っていた「冷却ジェルパック首もとベルト」を3つを
冷凍庫で冷やし交互に使っている。これは冷たさが一時間しかもたないが、
冷却時間が三時間のため複数必要になる。 ところで今年の電力不足騒ぎ、
今のところ起きてない。問題は残暑のこれからになるが。クーラーは寝室の
就寝時間だけ入れて、居間では夕方の一時間ぐらい入れている。
夏場の電気料金が月に三万円、一日千円になる。
  * 大手大橋にて
 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング)
の大手大橋で、ヒキチャリをしながら歩いていると、後ろから声をかけたれた。
車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で右腕を根元から切断、下半身
麻痺で自走式車椅子である。私の電動アシスト自転車に興味を持ち声をかけてきた。
電動アシスト自転車の良さを説明すると、自分の車椅子が電動切替え式で、
背後に電動モーターがついていて時速6キロという。何度か薄暗い中、かなりの
スピードで走っているのを見たことがあった。人それぞれの運命と人生がある。 
 ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、
屋根つきの休憩所で、30歳前後の男女二人が、その電動車椅子を畳んでいた。
本人は不在で、まさか聞く訳もいかないで、遣りすごしたが。その前に何か
熱中症とか?)あったのだろう。ポタリングを始めて4年目になるが、
続けていると色いろある。そういえば、雀が少なくなった。去年の大雨で
河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。燕も少なくなった。
多いのはカラスだけ。   
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3800, 人間の五感が認知できる範囲を世界という
2011年08月21日(日)
                「知的余生の方法」渡部昇一著 〜2
  * 人間は世界内存在である
 第二の人生は、その世界内存在の隅に足を入れたことでもある。
隅から逆視線で世界内を見直すと、これまで見えてこなかった世界内存在の皺と
虫が不思議に思えるぐらいに奇妙に見えてくる。なるほど悲劇と喜劇は裏表とか、
善悪の基準のいい加減さとかが。学生時代あたりから、この辺のこと、
「現象に現れていることと、本当のことは、違う」ことをゼミなどで少しだが
分かっていた。だから、「学び続けていないと、大きな転換期に対応できなく
なってしまう」危機感が人一倍あったが、最期は、このザマ。それでも、最悪の
事態の備え、家族を事業に入れないとか、家内と私の通帳管理は全く別にして
おくとか、家内にも厚生年金を別口でかけておくとか(退職金や、倒産時の失業
保険はないため)一般の勤め人とは違ったリスク管理をしてあった。
それをもって勤め人の立場からすると、計画倒産というらしい。
【「人間は世界内存在である」という場合の「世界」というのは、人間の五感が
認知できる世界ということになる。縦、横、深さの他に時間をいれてもせいぜい
四次元の世界である。五次元、六次元の世界がどのようなものであるかは想像
すらできない。音も光も人間が五感で認識できる周波数の範囲は限られている。
それは、象の皮膚の襞の中の寄生虫には星が存在せず、梅の香が存在しないよう
なものではないか。人間は五官世界に閉じ込められていて、これから逃れる方法
はない。 この状況を「人間の世界内脱出不可能性」というらしい。
人間は象の皮膚の嫉につく寄生虫とは違う。人間は自分が五官の世界内に存在
していることを知りながら、そこから脱出しようという努力をしたり、脱出する
ことを、祈ったりするからである。そしてそれに成功している人もあると
主張する人もいる。それがオカルトである。オカルトとは、つまり五官と時間の
囲い込みを超越しているという意味。どの宗教の神様も人間の世界内に閉じ込め
られてはいない存在だ。だから有難いのである。神様とはいかないまでも、
超能力があるという人もある。ある宗教家には私の前世がわかるという。
私の霊魂は在原業平ベンジャミン・フランクリンのそれだったという。
二人とも私が好きな人であり尊敬する人でもあるから悪い気はしないので、
それを信ずるわけでないが、有難く承っている。こういう認識の仕方は、
人間の世界内存在の状況を完全に超越しているわけである。普通の人間は
解剖学的制限の下にある。これを哲学的に言えば「世界内存在」の実体である。
だから解剖学者はオカルト世界を認めない人が多い。霊魂だとか超能力などは、
人間をいくら解剖し、いかにすぐれた顕微鏡や検査法を用いても存在をつきとめ
られるわけではないからだ。】
▼ ビックバンが起こって宇宙ができたというが、それは世界内というのか、
 それを人間の知識が感知した範囲でしかないから、人間は世界内存在という
のか、どうか。インドのカースト制度。それぞれの身分に世界があり、最下位
にも、チャンとした目下がいる。世界は、それぞれの視界内のことになる。
この情報化、世界中の寄生虫が、他の寄生虫と瞬時に情報交換が可能になった。
・・・・・・・
3435, 再び、死について考えてみる ー3
2010年08月21日(土)
 新聞広告に「死ぬときに後悔すること」の幾つかが載っていた。
直接、死とは関係ないが死際の後悔は事前に準備で少なくできる。 
面白そうなのでネットを調べてみた。
  ーアマゾンの「死ぬときに後悔すること25」の紹介文よりー
《 ほとんどの人は死を前にすると後悔するという― では人生の最期を前に、
 どのようなことに後悔するか。本書は、終末期医療の専門家である著者が、
千人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に集約して紹介。
この本の著者は1000人の死を見届けた終末期医療の専門家。
死に直面した時でも充実した生き方をして生ききったら、
『この世に未練はない!』の境地になれそうである。》
   =「死ぬときに後悔すること25」のうち20に絞って記した。
▲1 健康を大切にしなかった ●病気になる前にお金を使うか、なって使うか 
               ●健康のうちから健康を大切にする
○3 生前の意思を示さなかったこと   ●大切なのは遠慮なく話し合うこと   
                   ●平素から意思疎通をしておく
◎5 自分のやりたいことをやらなかったこと ●自分の気持ちに嘘をつかない   
                    ●自由に生きるか、忍耐に生きるか
○6 夢をかなえられなかったこと   ●一つのことを続けると良いことがある   
○8 感情に振り回された一生を過ごしたこと  ●小事に心を揺るがせないこと
?9 他人に優しくなれなかったこと
            ●優しさを行う難しさ 心の優しい人は後悔が少ない
?11 遺産をどうするかを決めなかったこと ●遺産と介護の問題   
                    ●遺産分与の話し合いは元気なうちに
?12 自分の葬儀を考えなかったこと  ●自分の望む葬式とはどういうものか 
                    ●自らの葬儀を準備した女性
◎14 美味しいものを食べておかなかったこと ●好きなものを楽しく食べる
◎15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
  ●「仕事命」の人生を後悔しないために●病気をきっかけに散歩の喜びを知った
◎16 行きたい場所に旅行しなかったこと ●旅行は出来るうちにしておくが良い 
                     ●最期の旅で人生を完結させた人たち
◎17 会いたい人に会っておかなかったこと  ●人は終わりまで他者を求めるもの   
                     ●人との出会いは一期一会の精神で
?18 記憶に残る恋愛をしなかったこと  ●恋愛の記憶は最後の日々を豊饒にする  
                    ●スローラブのすすめ
○19 結婚をしなかったこと    ●結婚という「形」がもたらす安心感     
                 ●夫婦の深い結びつきが苦しみを和らげる
○20 子供を育てなかったこと  ●多くの家族に囲まれた患者には笑顔が多い  
                ●自由と孤独はいつも隣り合わせ
?21 子供を結婚させなかったこと  ●子供が結婚していないという心残り  
                  ●まず子供を独り立ちさせるところから
◎22 自分の生きた証を残さなかった●人生の総括は早めにしておくほうがいい
               ●生きた証として何を残すか●手紙に思いの託して
◎23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと ●生の意味、死の意味を考える 
                       ●「マイ哲学」を確立する
○24 神仏の教えをしらなかったこと ●世界で一番死を恐れる現代日本
        ●「来世」の持つ癒しの力●健康なうち宗教について考える
○25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと●家族愛が問われる時代
 〜〜
×▲○◎は、私自身の評価である。第三者の評価は違っているのだろうが、
死ぬときの心の問題としての自己評価。 ×と▲が少ないのに驚いているが、
普通に生きていれば?、こんなものか! 唯一の▲は酒の飲みすぎ!
・・・・・・
3060,逆説思考 ー4
2009年08月21日(金)
  逆説思考で思い出したことがある。
 武澤ゼミの武澤信一先生に中根千恵著「縦社会の人間関係」の読書と、感想
を述べる課題が与えられた。その前年の昭和42年に出版されて注目された本、
日本社会の特性をズバリついた内容。 現在も日本社会を知る名著として知られる。
  ーその概要をネットで調べてみると
《今では、常識になっている縦社会(日本)、横社会(西欧)という概念を
最初に提示した古典的な本。初版本は昭和42年であるが、今でも現代の日本社会
に当てはまる内容である。逆にいうと、それほど日本社会における普遍的な構造
を捉えた本と言う事ができる。 本書によると、社会集団の構成の要因を、
資格(構成員に共通したもの、例えば、氏、素性、学歴:出身大学、地位、職業、
資本家、労働者、など)によるものと 場(一定の職業集団、所属機関、地域)
によるものに分類し、どちらの要因で社会構造が構成されているかで、社会が
特徴づけられている。日本は場により構成される社会であり、その中での順序:
通常は年功序列、が重要な縦社会である。 日本のような縦社会は、分業が
成り立たない社会(競合メーカーはフルセット戦略をとりがち)、能力平等と
いう非現実的な事柄を前提とした悪平等社会、中央集権の政治構造を持つ社会、
派閥の功罪の生じる社会、である。 一見すると縦社会であるということとの
因果関係がわかりにくいような現象についても、縦社会という社会構造が原因
であると、分かりやすく説明されている。また、契約精神の欠如のために、
共通の目的・仕事の達成に責任感が乏しく、往々にして、それ以上に感情的な
人間関係が重要視される社会である。》
▼ 以上だが、年功序列・終身雇用を前提とした日本社会の人間関係について
 社会人類学の観点から論じている。日本社会はタコツボ社会とも喩えられ、
現在の中央省庁の官僚機構も、それぞれ独立性が強すぎて国家運営の
障害になっている。  (字数の関係でカット11年8月21日)
 ・・・・・・・・・
2695, 「レンタルの思想」−3
2008年08月21日(木)
「レンタルの思想」を、私の理解したレベルで、まとめてみよう。
ー以下は、思いのまま書いた内容で修正を敢えてしなかったー
《地球システムを構成しているのは、大気圏、その中の物質圏、その中の
生物圏、更に一万年前に出来た人間圏である。それまでの生物圏で採取、狩猟で
生きてきた人間が、牧畜・農業を始めたことで、爆発的な人口増加を可能にした。
そして5000年前から始る各地の文明は一万年前の牧蓄・農業への転換と、
その結果としての人口の爆発的増加から始っている。人間が狩猟に留まって
いれば、せいぜい5〜600万の人口が限度であった。
  (字数の関係でカット14年8月21日)