〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦
    * 哲学は生の芸術だ
「その人の生き方が、哲学そのもの」とすると、その人生が芸術作品になる。
それは人生を俯瞰すれば、わかる。ということは、志、信念、信条が、その人の
シナリオになる。生き様が、そのまま芸術作品ということになる! 〜p19
≪ ・・哲学は「真理を追求する」学問だと考えられている。高校の倫理社会
 の教師や大学の先生たちが教壇の上で今でもそう言っているし、簡単そうな
哲学解説書にもそう記されているので、みんなそう思ってしまう。
 ところがだ、二ーチェはまったくそんなふうには思っていなかったのだ。
「哲学は論理の正しさがどうのこうのというものではないし、そもそも
哲学は学問ですらない」とニーチェは考えたのだ。
 ニーチェは、哲学は人間が今ここに生きるべき生の本質だと考えた。
生き方が哲学だと思っていた。真理がどうのこうのではなく、まず生き方を
二ーチェは重要視する。だから、論理が正しいから真理だという考え方はしない。
 この生き方が人間としてまっとうかどうかということを問題にする。
このまっとうさとは、社会的、倫理的、宗教的な真摯さの意味ではない。
人間本来のまっとうさを具現化しているかということだ。
 だから、人間はどうあるべきかということをニーチェは生涯をかけて考え、
あとで説明することになるが、人は超人として生きるべきだと考え至った。
さらに二ーチェは若い頃から、
「哲学は芸術的なものであるべきだ」とも考えていた。バーゼル大学での
 就任講演ではすでにこう述べていた。
「きわめて日常的なものが、まったく新しい魅力をもって立ちあらわれてくる
 こと、いな、まるで魔法の力にかかったように、たったいま生まれたものの
 ように、いま初めて体験されるもののように見えるということこそ、
 学問と芸術の共通点である」(秋山英夫「思想するニーチェ一)
伝統とでもいうべき緻密で乾いた論理の果てに見出されたものが哲学では
なく、哲学は生の芸術に貢献すべきものなのだ。ニーチェは知入への手紙
(1888・5/4)で「われわれ哲学者は芸術家と取り違えられるほうが嬉しい」
とさえ記している。これほどユニークな哲学観を持っていた二ーチェの言葉を、
 次に「哲学者の書」からいくつか拾っておこう。
すると、二ーチェが哲学をどう考えていたかが実感できるだろう。
・「哲学は芸術であるのかそれとも学問であるのか。…哲学の目的やその産物
 のうちには芸術がある。しかし、概念による叙述というその手段において、
 哲学は、学問とたったこれだけの引用でも、おおかたの人の哲学に対する
 イメージとまったく異なる考え方をニーチェが持っていたとわかるだろう。
 実際、過去の哲学者でもこういうふうな哲学観を持っていた人はいないのだ。
 これを共有しているのである。それは、詩作芸術の一形式である」
・「哲学者…彼は詩作しつつ認識し、認識しつつ詩作する…」
・「世界構成(別名は哲学)の美しさと壮大さが、今や、世界構成の価値を
 決定するのである。すなわち、それは、芸術として判定されるのである」
・「(哲学以外の)ほかの学問(自然、歴史)は、ただ説明することができる
 のみであって、命令することはできない」
・「哲学者が製作するものは、(彼の著作に先立って、何よりも)彼の生活。
 それこそが、彼の芸術作品である。すべて芸術作品というものは、第一
 には芸術家に、第二には他の人間に、向けられたものなのである」
・「哲学者…彼は詩作しつつ認識し、認識しつつ詩作する…」
・「世界構成(別名は哲学)の美しさと壮大さが、今や、世界構成の価値を決定
 するのである。すなわち、それは、芸術として判定されるのである」
・「(哲学以外の)ほかの学問(自然、歴史)は、ただ説明することができる
 のみであって、命令することはできない」
・「哲学者が製作するものは、(彼の著作に先立って、何よりもまず)彼の生活。
 それこそが、彼の芸術作品である。すべて芸術作品というものは、第一には
 芸術家に、第二には他の人間に、向けられたものなのである」 ≫
▼ 数年前、準備15年、実業30年、合計45年の創業人生について書いた。
 芸術作品と思えないが、一応、物語になる。喜劇か、悲劇か? 両方である。
その生活そのものが世界構成を作りあげていた。一つの気休めは面白かったこと。
・・・・・・
4884,閑話小題  ー「Line」殺人の深層とはー
2014年07月29日(火)
   * 「Line」殺人の深層は
 「Line」による苛めが背景にある?が、ニュースを見たときに感じたこと。
 仲の良かった母親が、去年10月に死んだ後に、父親が結婚。時間からみて、
愛人だった人?とすると、殺したかったのは、友人ではなくて、父親と、
新しい母親。 その転嫁がネット上での虐めの仲間外れ?
佐世保・高1女子殺害!〜母の死後、少女の生活激変「頭よすぎ変わってる」
産経7月28日(月)
 殺人容疑で逮捕された同級生の少女(16)は周囲から「文武両道で多才」
と評価される一方「暗く、変わった子」とも見られていた。昨年秋に母親が亡く
なって以降、生活が激変していた。女子生徒の遺体は首などが切断されていた
だけでなく、胴体にも切断しようとした痕があった。学校関係者によると、
少女をめぐる環境は1年間で激変。仲が良かった母は昨年10月に他界。
冬季に父親とともに年代別の全国規模のスポーツ大会に出場した際は、
「母のためにもがんばる」と話していた。事件現場となったマンションで1人
暮らしを始めたのは今年4月。大通りに面し、父親の職場に近く、学校へも
徒歩圏。「アニメ好き」が共通点だった女子生徒の自宅とは徒歩で10分ほど
の距離だった。少女は9月から海外留学する予定で、自ら1人暮らしを希望。
父親は「留学の練習」ということで許可したという。進学校に通い、父親の
影響で始めたスポーツだけでなく、芸術的な才能にも恵まれていた。
父親は地元で顔が広く、「誰もがうらやむような名士の一家」。ただ、学校
関係者によると、少女は小学生時代に同級生の給食に異物を混ぜる問題行動を
起こしていた。中学校では小動物の解剖に夢中になっているという噂が広まり、
「少し浮いた感じになっていた」という。】
 佐世保の高1女子殺害の内容が凄惨である。
直ぐに思いついたのが、昨日のブログで引用した内容である。
《 若い世代には、スマホが普及した別の理由がある。仲間はずれにされない
 ためだ。無料通話やメッセージのアプリ「LINE」が急速に普及したのは、
メールやツイッターと違って、簡単に仲間はずれができるからだ。例えば三人の
仲よしグループがあるとしたら、LINEで全員が同じ画面とメッセージをやりとり
できる。その一方でAさんとBさんが陰でグループをつくり、Cさんを仲間はずれ
にできるのだ。喫茶店などで若い人が集まっていると、みんな黙々とスマホ
いじっていることがある。お互いに話さないのは異様だが、実はあれが彼らの
社交術で、誰々とお茶を飲んでいるとその場にいない友人たちにLINEでしている。
・・・》
 複雑な家庭環境の激変の中で、9月から海外留学もあり、ネット上の虐めが、
この犯行になったのだろう。3年前から現在に至るまで、数ヶ月に一度は、想像
を絶する嫌味、嫌がらせがある。その経験を重ねるうちに、「全身全霊を込めて、
首を叩き落とすイメージ」を、相手の顔を見たとき、想い出したとき、持つ。
20回で相手は自分の中では死者・ゾンビに変身。怒りは不思議と消える。
 わざわざ代表してくるのに、??回以上が数人いた?が、墓穴二つになると
直感し中止。佐世保の少女、若いから、実行に移したのだろう!小動物の解剖で、
呪いがカタチを変えて彼女に? 小動物を父親、愛人?に見立て拷問していたと
仮説をすると!真の敵は両親の不和というより、父親? 父親、義母、娘の業火
の日々が永遠に続く! ネットは、恐ろしい。
・・・・・・
4517,スポーツ自転車の勧め! ー4
2013年07月29日(月)
  * マウンテンバイク    「自転車で痩せた人」高千穂 遙 (著)
 私が現在乗っているのがマウンテンバイク。 舗装されてない山道などを走る
ため、特徴は丈夫かつ軽快さである。ただ値段の安さに惹かれ買ったが、私の
毎朝のコースからみて、これがベスト。小さく軽いのがよい。
  ーそこで、ウィキペディアで調べると、以下のとおりー
《 1970年代後半にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ郊外の
マリン郡で、ヒッピー達がビーチクルーザーや実用車などに太いタイヤをつけ、
急勾配の山を下りタイムを競った遊びが始まりと言われている。同時期に
北カリフォルニアでも同じ遊びが発生していた。初めは手作りだったが、
一つのジャンルの大量生産で一般に広がっていった。マウンテンバイクの定義は、
【 荒野、山岳地帯等での高速走行、急坂登降、段差越えなどを含む広範囲の
乗用に対応して、軽量化並びに耐衝撃性、走行性能および乗車姿勢の自由度等の
向上を図った構造の自転車のこと。舗装路でも広く利用されており、用途に
よって様々な形態が存在する。】である。 
 マウンテンバイクは、クロスカントリーバイク、ダートジャンプバイク、
ダウンヒルバイク、などの種類がある。
クロスカントリーバイク=山道の長距離走行に特化したバイク。
 軽量なフレームに軽量なサスペンションフォークが組み合わされ
・ダートジャンプバイク= ジャンプスタントに特化した、BMXに近いバイク。
 小さめで取り回し易いフレームが、堅牢なクロモリか、十分な補強を
 施したアルミニウムで作られる
ダウンヒルバイク= 山を下り降りる事に特化したバイク。
 数メートルの崖を飛び降りるなど過酷な環境に耐える強度が必要。
・プレイバイク= 2010年頃よりジャンルが定着し始めたMTBとBMXを
 ミックスさせたバイク。・・・ 》
▼ 以上だが、MTBポタリングに手軽な自転車で、軽快さが良い。
 それとママチャリと同じく、普段の生活の何にでも使えるマルチがよい。
親が、このタイプを少年用に買うことが多いこともあり、HCの自転車売場
では、丈夫でない見た目だけMTB風のチャリが並んでいる。そのため愛好家から
は「モドキ」とか「ルック車」などと呼んで、良いイメージはない。
その見分けはデザインで直ぐ分かる。また「悪路走行禁止」と書いてあるのも
ある。私のようなスポーツ車初心者に向いている。とにかく軽く小回りがきき、
乗りこなしがスムース。次は、クロスバイクのつもりだが、折畳式も捨てがたい。
スポーツジムと、家でパソコンか、TVか、読書になりがちな生活の中で、
これはソロで出来る手軽な趣味になる。早朝に加えて午後からのポタリング
習性も悪くはない。それと現在、ジムや、図書館への移動に使うことも考えてよい。
趣味としてポタリングにするとなると、違った切り口が出来てくる。それより、
まず事故に気をつけなくては。これまで色々なマウンテンバイクを見て、
デザインが違うとしか思ってなかったが、実は、使用目的が違っていたのである。
・・・・・・
3777, ポタリング
2011年07月29日(金)
  最近、面白い言葉ーポタリングを知った。ーネット辞書によるとー
【 ポタリングとは、自転車でぶらつくことを意味する和製英語で、観光
名所などに自転車を用いる「散歩」的なサイクリングをいう。散走とも言う。
サイクリングの一種で、散歩程度に軽く走ることをいう。】
中高年のオジサンが、行く当てない風にママチャリに乗っているのとは、違う。
毎朝、ウォーキング代わりに、信濃川まで一時間、自転車で散走をしているが、
サイクリングというには違和感があったが、適切なポタリングがあった。
「ちょっとポタリングしてくる!」なら、丁度よい。自転車は野球帽を少し
深めに被っていれば目だたないし、人は気に留めない。また電動アシストなら、
エネルギーは普通の自転車の三分の一か、五分の一で済む。近くのSCや図書館に
気楽にいけるのも良い。この御陰で生活が一変したと言ってよい位である。 
イメージとして、サイクリングは、中・長距離の場合に使い、目的は自転車に
乗る方のニュアンスが強い。またツーリングは、長距離で、自転車で旅行をする
場合につかう。 東京など密度の濃い都会の二時間の散策なら、かなりの場所に
行くことが出来る。現在、信濃川ポタリングが主だが、今度は午後などに
折りたたみ自転車を車に乗せて日本海沿岸をポタリングするのも面白そうだ。
そうこう考えると、周囲に面白いことは、山ほどある。ただ気づいていないだけ。 
ベストの敵はベターというが、その通り。それにしても「ポタリング」という
語感がよい。これから少し与太るで,「ヨタリング」という言葉も浮かんでくる。
 陰鬱の時、少し与太らないとやってられない。 でも、自重の時期である。 
で、自転車でヨタルしかないか。少し離れた場所のポタリング用に、もう一台、
安い折りたたみでも買うか?でも、車で一時間で何処かあるのか考えると?
  ・・・・・・・
3412, マイナス思考法講座  ー3
2010年07月29日(木)
 著者はここで、「人間とは自分にとって都合のよいことを信じたがる」と指摘。
 その結果、「信じる」というより「期待しすぎる」ことになってしまう弊害が
出てくる。そして「期待に沿わなかった」結果に対し(自業自得でしかないのに)、
「裏切られた」と思ってしまうことになる。以下の絶望的、否定的な見方の多くは
自分自身に対する本音。それを隠すために無理をして逆の自分をイメージしている。
他者から見れば、大したことがないのに、必死に「あるべき自分」を演じている。
この構成は14の絶望ワークからなっている。この本を読む前に自分の意見を
入れてみた。書いた本人は哲学書を、ほぼ読んでないのではと思いざるを得な
かったことも事実。「しかし、くだらない、嫌われ、恨まれ、何をやっても
失敗する、誰も理解してくれない存在」と自覚することこそ第一歩である。
汝自身を知れ! のソクラテスの言葉を己に当てはめれば、下記のとおり。
 ー14の絶望ワークー  ≪ ≫内は、私の意見。
第1講 あなたはくだらない存在です     
   ≪だから、指摘されたら怒るのである。あくまで相対でしかない、それは!≫   
第2講 あなたは嫌われています       
   ≪もちろんである。だいたい誰からも好かれている人など信頼できない≫
第3講 誰もあなたの話を聞いていません   
   ≪聞いて欲しい、ということ自体が、もう対他的になっている≫
第4講 あなたの話は面白くありません    
   ≪面白い話など、そうそうあるわけがない。だから、本を読むしかない?≫
第5講 あなたは恨まれ、攻撃されます    
   ≪今さら、いわれる筋合いじゃない。そういう人こそクズである。ったく!≫
第6講 あなたは空気が読めません      
   ≪空気の読めない人など、元もと傍に寄せないこと≫
第7講 人はわかりあうことができません   
   ≪当たり前じゃないか! 名を出版社名にした理由が、この辺で分かる≫
第8講 あなたは成長できません       
   ≪要らぬお世話じゃ! これも上記の同じである≫
第9講 弱音を吐くことは許されていません  
   ≪泣き言も、やせ我慢も、それはそれでいいじゃないか≫
第10講 人はみな悪人です          
   ≪当たり前のこと、で、どうした。そう思っていれば裏切られることも無い≫
第11講 恋愛はすべて「脈なし」です    
   ≪逆に、脈がありすぎたら、どうする? うるさいだけか≫
第12講 あなたは何をやっても失敗します  
   ≪当たり前だろう、だから死に物狂いで練習を繰り返すのでは!≫
第13講 本当のあなたを知る人はいません  
   ≪本当のあなた、って何じゃ?自分で自分を知っているのかい≫
第14講 あなたの夢は叶いません      
   ≪夢は夢だけのこと。それを計画に落とすのが智慧だろうが・・・≫
 ーマイナス思考は人を不幸にするとされているが、逆に、その考え方が慎重に
 ものごとを進め、確実に幸せになれる。要は、「慎重にいこう」こそ、
人生の要諦。一つの失敗が、99の成功を破壊してしまうということ。
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3037,読書について
 2009年07月29日(水)
 読書については何度も書いてきたが、それでも何度も取りあげる価値は
充分にある。手軽に時空を超えて多くの人や現象に接することができる情報伝達の
手段である。大学卒業間近に、色いろ重なって頭がグチャグチャになってしまった。 
そのグチャグチャになることが学生時代には最も重要な経験と、後で知ったが、
そこで「もっともっと本を読んでおくべきだった」という後悔の念が起きた。
そこで決心したことは「何があっても、毎日二時間の読書」であった。
それを今でも守っている。私レベルとしては朝の散歩と、この随想日記と共に
最高の習慣になっている。まずは読みこんでない人が直ぐに分かる。 
これは学歴とは違い、意志が大きく左右する学力の問題。この詩は、読書の
素晴らしさと効用を素直に表現している。また書物を旅に置き換えて読んで
みると、ほぼ同じく感じることができる。人生で時間だけはリッチであった。
  ー 「書」 ー         西條 八十 《少年詩集》より
1 雨が降るとき、−風引いて            
  すきな遊びが出来ぬとき、                                       
    こどもよ、書物をあそびなさい。  :(旅行紀を読んで遊びなさい)
     書物はあなたをつれていく、   :(空想はあなたをつれていく)
     海山こえていく千里
     知らない国や、とおい国。
  見たこともない人たちや、
  また、めづらしい動物が
  あなたと遊び、話する。
     書物を読めば、友だちは     :(旅行の空想に出れば)
     いつも出てくる、目のまえに。
2 どんなにだいじにしまっても、
  万年筆や、カメラなど
  なくしてしまうこともがある。
     かわいい鳩なき時計でも、
     電気じかけの機関車も、
     こわれてしまうことがある。
  書物は、いっぺん読んだらば      :(旅行は、一度旅先に行けば)
  あなたのこころの奥ふかく            
  じっとそのまま残ってる。
     書物がくれる財産は、      :(旅行が与えてくれる経験は)
     一生消えない、なくならない。
・・・・・・・・
2672, 雁行的進歩とは
 2008年07月29日(火)
「雁行的発展法則」というのがある。大空を渡る雁の群れは、先頭の鳥から
しんがりの鳥まで、くさび型の隊形をなして飛んでいく。これは長距離の飛行に
一羽一羽の空気圧が最小になる。鶴翼と同じ形である。ー字型の群れと同じ
パターンで、アメリカ合衆国を少し遅れながら日本や欧州が追いかける。
アジアでは、先頭をきって工業化に成功したのが日本であり、次に台湾や
韓国の経済発展がこれに続き、さらに中国の沿海部などが急速な経済成長を
開始して、それを追うといった形である。このような「選手交代」の形で経済
発展が受け継がれていくのが、「雁行的発展法則」の考え方である。
現在もそれにしたがい、動いているかといえば、現実は違ってきたのである。
グローバル化の進展に伴い、今までとは違った「世界システム」が出来、
拡大している。欧米中心の雁行発展法則は崩れはじめ、今後は中国、インドに
その重心は移動していくプロセスに入った。中国に隠れているが、インドも
大きな変化のポイントになる。中国は製造、インドはサービス、の部分を担う。
その背後には、ITなどの「情報化」がある。もう、時代は引き返せない。
モダン主義社会から、ポスト・モダン主義社会へ変化したということ。
欧米が優れていて、未開発国が遅れているという考え方が、そもそもオカシイ?
という構造主義が出てきたこともあるが・・・ 先日、インドの発展について、
NHKスペシャルで3回シリーズで放送していた。20年後には、アメリカを追い越し、
世界のトップを目指すとアメリカ在住の印僑が話していた。見ていて、それも
ありうると思われた。先日、図書館で『東西逆転』という本を借りてきた。
数日後に、その感想を書いてみよう。IT革命は確実に世界を変えている。