* 北陸新幹線開通1ヶ月
 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、
富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と
引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在
でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアー能登半島
一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に
習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。
特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。
その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半
で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を
つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 
 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の
会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ
こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉
高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 
金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。
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   * ジヌ(銭)よさらば! ーシネマ評
ハリウッドか邦画か、翌日放映の‘ソロモンの偽証(下巻)’にするか
 迷ったが、上記の内容を読んで、こういう風変わりも「良いか」で、
これにした。80点だが、不満も残らない内容。観客は10人あまり。
《 田舎の小さな村“かむろば村”に、大荷物で降り立った1人の青年。
彼の名は通称・タケ。一見どこにでもいる若者だが、実はこの男…お金を
“さわれない、使えない、欲しくない”の三拍子がそろった“お金恐怖症”
になってしまった元銀行マン。現金にさわるだけで、とたんに激しいめまいに
襲われ失神してしまうという筋金入りだ。「1円もお金を使わない!」
と悲壮な決意を固め、かむろば村へやって来たタケは、どこか田舎の自給
自足ライフを甘く見ているフシもあり度々命の危険にさらされるが、憎め
ない天然キャラに救われ、村人たちに度々助けられるのだった。・・(略)
クセ者なのはタケだけではない。彼がやって来たかむろば村こそ、一見
どこにでもある寒村ながら、ユニークというには濃すぎる村人たちが生息
していたのだ。学校はないけれど、異常に世話焼きな村長がいる。銀行も
ないけれど、写真好きで目が光ったりする神様がいる。病院なんてもちろん
ないけれど、色っぽい美人が(多少)いる。そんなキャラクターの濃い村人
たちのお蔭もあり、危なっかしいながらも奇蹟的に1円も使わない生活を
続けるタケ。最初はタケの無知と無鉄砲さに半分あきれていた村人たちも、
タケの存在を優しく受け入れてゆく。そんな矢先、穏やかだったかむろば村
に不穏な風が吹き始める。村長の過去を知る不気味な男の出現、同時に迫り
くる村長選挙をめぐる陰謀が発覚!村に来て間もないタケも、知らず知らず
のうちに騒動の渦中へ…。タケの生活は思わぬ方向へ向かいだす…! 》
▼ 少し、いや非常に甘い主人公と、その物語の設定だが、それでも、
 何時の間にか、‘かむろば村’の世界に引きこまれてしまうには、
主人公の松田龍平の周りに、松尾スズキ松たか子西田敏行などが、
脇を固めているため。「ぼんやり」と息を抜くには丁度良い。以下に続く!
・・・・・・
4775,ぼんやりの時間 ー8
2014年04月11日(金)              
  * 「懶」 ー心の余白    「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
「『ものうい生活』の中に自らなる別天地に休んじ、楽しむことを気取ることが
懶惰」というらしいが、これが、この年齢で、少しは分かってきたようである。
事業を立上げ、軌道に乗せて暫くの間、何もすることが無い日々の別天地を
知っればこそ、この懶惰の味わいが分る。振返ると、あの退屈の懶惰こそ、
お宝だった。その合間の、読書や、秘境ツワーなども、それだ。
《 谷崎潤一郎は、1930年に『懶惰の説』という随筆を書いている。西洋の
 人々がいかに活動的であり、精力的であるかを例示し、これに対し東洋の
人々がいかにものぐさで、面倒くさかり屋であるかを対照的に書いている。
懶惰の代表者は誰か。物語のなかでの人物ではあるが、物臭太郎三年寝太郎
の名をあげている。 さて、瀬惰とはなんだ?.
「『ものうい生活』の中に自らなる別天地のあることを知り、それに安んじ、
それをなつかしみ、楽しみ、或る場合にはそう云う境地を見えや気取りにするか
の如き傾向の存すること」 瀬惰心という言葉があるとすれば、この谷崎の
定義はその一面を言い当てている。むろん、西洋人にも瀬惰心の人がいるし、
東洋人にも活動的な人がいるのはいうまでもないが、あるていど類型化
しないと、論旨がはっきりしない。瀬惰をよしとする人は、年中あくせくして
きりきり働く人を冷笑、ときには俗物扱いにする。朝から晩までせかせかと
動き回る人を嗤う傾向がある。一方、瀬惰心に批判的な西洋人は、浮世を
捨てて山の中に隠遁し、独り瞑想にふけっているような人物を聖人とは
思わない。高潔の士とも思わず「一種のエゴイスト」にすぎないと切り捨てる。
 谷崎自身は、瀬惰心というものに、一定の共感をもっていたことはたしかだ。
「とにかくこの『物臭さ』『億劫がり』は東洋人の特色であって、私は仮りに
これを『東洋的瀬惰』と名づける、というとき、自分にもまた、その東洋的
瀬惰なるものの血が流れているという自覚があっただろう。 》
▼ 事業を目指し、準備15年間、立上げ、最後は、津波で流され終わった
 私の事業人生。それを全面否定され、あざ笑われているような内容である。
それも、あと一年で古希になろうとして気づいた底浅い己には、この結果が
似つかわしいと独り納得させられる。 こういう視点もあると割り切っては
いても、気になることは確かである。心の余白など埋めぬがよい! 
いや、埋めようがない!
・・・・・・
4408, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −6
2013年04月11日(木)
    第五時限「うふふ力を磨こう」ー「隠居大学」天野祐吉
  * 俳句はゲーム感覚で楽しむ     お相手 坪内捻典
 母が50歳の頃、それまでの苦労のため重症のウツ病になり、数年かけ独り
立ち上がったが、子供なりに壮絶さを垣間見た。88歳で老衰で亡くなったが、
医師の要請による解剖で心臓の四分の一が壊死していた。第二の人生の40年
近くは、趣味の世界に徹底していた。舞踊、謡い、茶道、写真、短歌、どれも
これも負けず嫌いで、ある領域まで達していた。
 晩年、母親に、「一番、極めたのは何?」と訊ねたところ、
短歌という。 老年の趣味といえば、短歌と俳句と川柳がある。
  ー 次の箇所は、短歌と俳句の違いを端的に示している ー
≪ 坪内:俳句的人間と短歌的人間って呼んでいるんですよ。ぼくの中では、
 つぶあんは俳句的人間、こしあんは短歌的人間。天野 どういうところが、
俳句的、短歌的なんでしょう。坪内 そうですね、まず、俳句は、自分の言い
たいことを言わないんです。これは、つくるときにも意識しておくといいと
思うんだけど、いちばん言いたいことを言わないのが、俳句がうまくなる
コツですよ。よく「わたしのこの俳句は こんなところがこんなにいいんです」
と、自分で一生懸命説明する人がいるんだけど、そういう人はあまりうまく
ならない。自分の俳句についてしゃべらなくて、人の意見を聞いている人が、
うまくなるっていうか、俳句向きだと思います。
天野 主体性のない人がいいんですね。
坪内 そうです。無責任で主体性がないんでいいんです、できるだけ(笑)。
天野 自分ってものを、強調したがるような人は……。
坪内 それはもう、あきらかに短歌の人です。短歌は最後の七七で、
 自分の言いたいことが言えるんですよ。俳句には、その七七を言わない
 醍醐味というのがあります。
天野 そうか。これは短歌じゃなくて狂歌ですが、「世の中に金と女は仇なり
 早く仇にめぐり会いたい」というのがありますよね、これも、言いたいことは
 最後の七七ですもんね。
坪内 俳句だったら、最後の七七はいりません。  ・・・(略)
天野 言いたいこと言わないなんて、欲求不満になりませんか。
坪内 そう思うのが、こしあんの人の特色なんじゃないですか(笑)。
 俳句的つぶあんは、言いたいことを言う欲求より、自分の言葉を他人が
 どう読むか、っていうほうに欲求や興味がいくわけです。
天野 じゃあ俳句は、こう見て欲しい、感じて欲しい、こう解釈して欲しいって
 いうのは、表には出しちゃいけないんだ。
坪内 いけないってことはないけど、出さないほうが俳句らしいでしょうね。
天野 お話を聞いているうちに、「三月の甘納豆のうふふふふ」がなんだか、
 これまでとは違うふうに思えてぎました。 なるほどねえ。今日、帰ったら
 さっそく俳句、つくってみようかな。・・・ ≫
▼ 「俳句は、ひとりきりで捻っていく人はうまくならない。それは自分を
 読者にしていまうから」に、ドキッとした。句会では、たいてい作者名を隠す。
それで非難され恥ずかしいと思ったら句会に入れない。恥をかくから上手くなる。
この随想日記、だから公開しているが、あくまで自分中心。毎日、書き続けて
いると、誰かの嘲笑を独り感じる。そこで、馬鹿丸出しを曝してよいものか?
迷いが出る。しかし、人間には露悪趣味が心の隅にある。露悪とエゴと無知を
偽善で包んでいるのが人間の本来の姿と思って開き直るしかない。私が短歌を
書いたら、ほぼ狂歌だろう! 
 母の短歌より :窓の下 逆巻く波のはげしくて わが生涯の縮図の如し
  :大仕掛け 空を焦がして彩どれば 中天の月いろを失ふ
  :若き僧 煙草の吸いがら 投げ捨てぬ 早朝のホーム 一点のしみ
  :青き田の水に浮かべる没つ日を 絵心あらば 描かむものを
  :ものかなし 豆腐屋の鈴流れきて 秋の夕暮足はやに来ぬ
・・・・・・
4034, 幸福になるための五箇条
2012年04月11日(水)
          「幸福になるためのソフト」の五項目 ー中川昌蔵
  「今日一日 親切にしようと想う。」
  「今日一日 明るく朗らかにしようと想う。」
  「今日一日 謙虚にしようと想う。」
  「今日一日 素直になろうと想う。」
  「今日一日 感謝しようと想う。」
「以上のことを、実行してはだめです。意識して実行すると失敗します」。
意識するとエゴがでてしまいます。そういう想いが、いつも体の中にある人間に
なるのが一番いい。 潜在意識に刷り込むのが良い。
▼ 老齢とは、この逆になっていくことをいう。
「しようと想う;なろうと想う」が良い。パソコンかトイレに貼っておくと良い。
「今日一日、しん(親切)、めい(明るく)、にかけ、謙虚に、素直に、感謝
 しようと想う」と憶えればよい。
・・・・・・・
3668, 節目どきに ー3
2011年04月11日(月)
 これまでと違う日常に入って、10日になる。もっと、その変化に違和感を
感じるかと思いきや、それが全くない。恐らく10年以上、一日2〜3時間を
集中し、蓄積してきたこのHPのためである。事象の変化に対して、脳の外部化
した基地が、ここにあるためだろう。 ある人に「HPに偉そうに書いているが、
現状のその様は何だ!」と酒席で言われたが、その通り。その時に「少なからず
経営に携わっている限り、赤裸々に曝け出すブログを書くのは如何なものか」と、
他の人から忠告された言葉を思い出した。毎日の記憶をHPの中のブログに
記録したり、読書の感想を書き残したり、毎日一文を書き始めた時から何かが
確実に変わっていった。脳の外部化で、因縁のある人の何人かと繋がっている
実感があるのが心を広く明るく自由にする。心は言葉である。毎日、言葉として
表出していれば、現象が変わったとしても、気持ちの芯が乱れることはない。
毎日、書き続けているのは、経営を良くするためでない。経営は失敗すれば、
全責任はトップにある。何を責められても言い訳は出来ない。 立場的に、
赤裸々に自分の心を露出すること自体が大問題である。ギリギリのところで、
表現を注意していても本音が表出してしまう。しかし、その何倍も、書き出し、
公開することの効果を感じ取っている。だから 偉そうに! と言われても、
その通りと認めざるを得ない。初めから覚悟をして書いている。5年、10年後
から振り返ったとき、書いた時々のマイナス、プラスなど、如何にでもよい
ことを毎日、過去の文章を読み返していて分かっている。以前に都銀の担当に、
「借りた金は、返すな!」という読書感想文を書いたのを読まれ、貸し剥がし
をされかけた事があった。その上に、いわれのない? 数百万を強奪?された
ことがあった。それなりに書き、表現すると周囲に波を立てることになる。
しかし、その蓄積が、このような節目どきに、安定した心を保つことが出来る。
その時に、書く内容に力を落としたら、その分だけ心に違和感が出てくる。
先月末を持って、数ヶ月、節目ということで、休もうとした。しかし、
あと一月で、まる10年に辿りつくまで書くことにした。結果からして、
心を乱さないためには、休まないのが正解であった。 で、・・
・・・・・
3303, 人みな骨になるならば ー10
2010年04月11日(日)
 * 死の不安の克服は可能か
ー まずは、その部分の抜粋 ー
 老いゆく日々はまた死の不安に対する対処の日々でもある。その圧力が
あまりに大きいため、われわれはそれと正面切って対決するよりは、なにかで
紛らせてしまおうとする。人生前半は若さや時間をもてあますあまり何かで
紛らせようとするが、人生後半になると若さや残された時間の急速な目減りを
直視しないために何かで紛らせる必要が生じる。不安や恐怖に対して、
そこから目を逸らせて別の関心事で紛らせることは必ずしも悪い料簡ではない。
何かで紛らせるのが下手な人物のほとんどは中高年期以後に精神障害に陥る
ように思われる。つまり、何かで紛らせそこねたとしても、自らの死や限界を
直視したり対決したりできるものではなく、ただノイローゼになるだけなのだ
としたら、死の直前まで俗世間のことで紛らせ続けるほうがはるかにましな
選択かもしれない。ある意味で病気というのが紛らせる工夫として最後の手段
なのであろう。少なくとも、病気はそこからの回復という一時の目的を用意して
くれる。 ただ、ノイローゼになろうが、別の何かで紛らせ続けようが、
最後の時が近づいている事実を変ることはない。猛獣にねらわれた駝鳥が逃げ
あぐねて、砂の中に頭をもぐりこませたとしても、猛獣そのものが消えてなく
なるわけではないのだ。 俗世において最低限の衣食住を確保すること以上の
関心や活動の全ては、死や滅亡しないで済ませる工夫でもあり得る。 
仕事も趣味も健康法も孫の世謡も老入クラブもゲートも、いやい老人向けの
ものばかりで無い。あらゆる交際、作業、訓練、試合、家事、育児、創作、
旅行、遊興、その他、ありとあらゆる実務と余技と行楽が空虚を埋めてくれる
レパートリーなのである。 与えられた時間の中身を埋めていく営みを、交流
分析の祖、E.バーンは「時間の構造化」と名づけた。確かに、われわれは
無構造な時間、中身のない時間を過ごすのに適した脳を進化させてはいない。
 ・・(中略)恐らく人間は、ただ死を待っている例外的な状態か、それを
忘れるために俗事に忙殺されている通常の状態かのいずれしか許されていない。
・・われわれのできる最大限の抵抗は、せいぜい「生まれる前なることが、
それほど恐れるべきことか」と自他に問いかけることぐらいだろう。
・・(中略)それがしの不安を宥めるために思いつかれたかどうかはさだけで
はないが、祖先や供養や崇拝もわれわれにとって捨てがたいことである。
・・もちろん、われわれは多くの祖先に負っている。祖先がどこかで安らんで
いると思えば心安んじることができるし、なによりも、わたしたちが、そこで
安んじることができる。しかし、ああ哀しいかな現代のわれわれは、草葉の
陰も、煉獄も、もはや信じていないのである。
▼ あまりにも虚無的な内容だが、そんなものかもしれない、特に目を逸らして
 きた人は。60代までは、後ろから迫ってくるが、70歳代に入ると前方より
迫ってくる感覚になるという。 病気でさえ、それから回復という目標としての
気を紛らわせる手段でしかないとは・・ 死は本人にとっては、無だから、
そんな存在しないことに恐れることはない!とはいえ、そういかないのが、
言葉を持ってしまった人間の宿命。 だから、天国のイメージを永年つくって
おく必要があるから宗教が最後のよりどころということか。最後のレッスン=
学習と思っても、身近な人の苦痛と苦悩の極みを見ているから、一日一日を
精一杯生きることしか、紛らわせることができないのだろう。 知ること、
新しい経験をすること、愛すること、楽しむこと、等々、時間の構造化(一週間
の予定を立て入れていく)をすること位しか無いのだろう。
気を紛らわせるために。
・・・・・・・・
2928,中沢新一の『三位一体モデル』 −7
2009年04月11日(土)
それでは、実際の演習をしてみる。
 ー「会社役員」ー
子=会社役員
父=変化する社会変化、その変化に関わるニーズの変化、市場の変化そのもの。
  会社の理念、そして「あるべき姿」を把握。精霊=会社の現状、そして
  父の姿を反映しているか?ということになるが、何か書きながら赤面
  してしまうから、・・・
 ー設計事務所
子=設計事務所
親=会社の理念、創業者の積重ねた信用、長年積み重ねてきたノウハウと実績。
  社会の変化と、新しい技術、そして
精霊(自己増殖するもの)=設計で完成した建物。地域社会との繋がりと貢献。
 ーソフトハウス
子=ソフトハウス
親=ニーズとされる人材の確保と、
  〜〜
ー保険事務所ー
 子=保険事務所
 親=万一の危険に対する対応のニーズ。危険を金で分散をしておくノウハウ
 精霊=得意先のニーズの充足。 顧客。 金融商品
 こんなものだが、自分の名前を「子」に入れてみようか?
 ドッキとするだろうが。
・・・・・・・・・・
2564, サルも朝日の美しさに感動する! −1
 2008年04月11日(金)
 以前、旅番組で猿が二匹で夕陽が沈むところを眺めている姿を後ろから
映していたが、いやに、その画面が目に焼きついている。猿も日没の美しさに
心打たれるのだろうか。それは感動という心の働きではないだろうか?
それを猿が持っている?等を考えた。しかし、同じような姿を、ユング
見ていたのである。夕陽の入りと、朝日の昇るのを見るのは万国共通のようで、
その不思議を感じていたが、猿も、その美しさに見とれていたのである。 
ユングの『自伝』の一節に以下のような印象的な言葉である。
 まずは、その一節を書き写してみよう。
* ウガンダのナイル河上を、ユングが旅をしていたとき 断崖の上にヒヒ
 たちの群れが東の方にむいて並んで座っている。 その地帯の夜明けは信じ
 がたいほど劇的った。朝日の光が、渓谷の深い闇の底から一切の物の形を
 浮かび上がらせる。ヒヒたちはその朝日の最初の瞬間を、身じろぎもせず
 待っているのだ。そしてその光のドラマを見終ると、ぞろぞろと台地の
 向こうに去ってゆく。「光への憧憬、意識に対する憧憬」
 「原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動」・・。
* この地方の日の出は、日々新たに私を圧倒する出来事であった。
 劇的だったのは、地平線上に太陽が急に昇ってきたときの光輝よりも、
 それに続いてひき起こることの方にあった。私は夜明け直前に、キャンプ
 用の椅子を持ち出して、アカシアの木の下に座る習慣をつけた。私の前には
 小峡谷の底に、黒い、ほとんど暗緑色のジャングルが細長く横たわり、
 谷の反対側にはジャングルの上に聳える台地の外輪があった。 
 まず、光と闇との対照がくっきりと鋭くなった。
  (字数制限のためカット 2010年4月11日)