* 「ニヒリズムに落ち込む世界」 〜⑦
   ー価値は、すべての観点から見たものに過ぎないー
 「価値」を、一つの点に修練される「遠近法」の、それぞれの立ち位置
 の観点でしかない、というのも面白い! 今まで「価値」の意味の解釈で、
 最も合点がいく。情報化で、それぞれが違った立居地から情報の受発信が
 出来るため、それが逆にニヒリズムを起因する。 
(13) ≪ 誰もが、広い意味で、何かの「専門家」になってしまっていて、
 特定の論点にしか関心を持てなくなってしまった。それぞれの観点を総合
 することが出来ないのである。かくて、我々の世界像は、巨大なピカソ状の
 壁画のようなもので、そこには統一もなければ、まともな論争も生じない。
 全てがちぐはぐだ。それこそ、ニヒリズムの特質で、ニーチェも言うように、
 ニヒリズムとは、統一も、目的も、真理も失われた状態である。≫
(14)≪『ではどうすればよいのか。このニヒリズムの時代には、残念ながら
 容易に答えなど見つけられるすべもないのです。ニーチェは、価値は、全て
 ある観点から見たものに過ぎない、といいました。確かな真理などという
 ものはない。ただ、様々なパースペクティヴ(= 観点、見方)があるだけだ、
 というのです。われわれは、結局、特定のある「パースペクティヴ」から
 見ているに過ぎない、というわけです。その意味では、誰もがある特定の
 専門家もどきにならざるを得ません。それはそうでしょう。そのことが悪い
 わけでもないのです。・・ 「パースペクティヴ」といったときには、
 すでにおぼろげながら、ある遠近法が忍び込んでいるのではないでしょうか。
 ある特定の観点、という自覚そのものが、おぼろげながら遠近法を想定して
 いるのではないでしょうか。少なくとも、様々な「パースペクティヴ」が
 バラバラになっては困るのです。それらの観点が文字通り、ひとつの点に
 収斂してくれなければ困るのです。・・この遠近法の収束点を与えるものは、
 やなり、我々の構想力以外には無い。この構想力は、決してグローバルな
 市場競争や大衆化した民主主義や新しい技術革新の延長上に置かれるもの
 ではありません。それらは、世界を一層混沌へと落し込むでしょう。』≫
(15)≪『そうではなく、われわれが、われわれの歴史的経験と文化を確認
 しつつ、しかも日常の常識(コモン・センス)に立ち返って将来の社会像や、
 よき生というものを構想する力というほかないでしょう。それは決して
 専門主義からは出てこないものなのです。一種の総合力と構想力なのです。≫
▼ ニヒリズムでは、世界は救われない。やはり総合力、構成力が必要である。
 民主主義、自由主義が正しいと信じてきて、今さら何を信じろ!というのか。
長くとも、10年先に生きているかどうかと、考えると虚無になるが、せっかく
地球に奇跡的に生を受けたのだから、知る限りの知識と経験を貪欲に求めて
やろう、と生きるべきだが。
・・・・・・
4738,<つまずき>の事典 〜   ー6
2014年03月05日(水)
* 据え膳食わなねど高楊枝の後悔と・・ <つまずき>の事典>中村邦生編著
人生の黄昏時になると、若い時の愚行と共に、
絶好の機会でありながら、犯さなかった愚行の悔い?が交差する。
  ーここで紹介している内容からー
《「男が最も悔やむ愚行は、絶好の機会でありながら犯さなかった愚行です。」
                    ヘレン・ローランド『男への案内』
ヘレン・ローランドは、アメリカのジャーナリスト・作家・主に若い女性への
愛と結婚をめぐるユーモラスで、皮肉な寸言を得意とした。例えば、「結婚前、
男はあなたの言ったことを夜中あれこれ考えて眠らずにいるが、結婚後はあなた
の話がまだ終わらないうちに眠ってしまうものなんです」といったように。
 o(・`ω´-+) --☆Wink…o(;-_-;)oドキドキ♪ _+)(/_;) 
 引用の警句「絶好の機会でありながら・・」を読んで、忸怩たる思いが込み
上げてこない男はいないだろう。もちろんこの種の「愚かさ」は、特に男だけに
限られたものではないが。しかしこれはやはり男のもの。つまり「悔やむ」
という未練の引きずり方のだらしなさにおいて、男独自のものである。
そもそも「絶好の機会」などというものからして、常に後になってみなければ
気づかないようにできている「機会」なのだ。》  (“o(>ω<)o”))オシイー!! 
▼「あの時、もし、愚行をしてしまったら、どうだったか」を考えると、
 やはり留まる理由があったから。逆に「愚行の失敗の結果が現在の自分」
と思うと、これまた複雑な心境である。「踏みとどまって良かったのか、踏み
とどまらずに云々・・」などを考えることが、引きずっている男の哀しさ。
結婚を考えると、解りやすい! 男は強力な下半身のエネルギーによる愚行で
結婚相手の判断を狂わせ、一生かかって後悔する。その結果が世の男たちの、
 姿だが。「若気のいたりの愚行が無いのが一番の愚行、若気のいたり!」と、
今東光が身の下相談で言っていたが。
「いい女、いい男」は、「いい女、いい男に見えるため、思えるだけ!」
というのが解らず、家庭内離婚を含め、大部分が一生かかって後悔する。
人生の大部分が愚行で成立している。「絶好の機会」は「絶体的危機」だった。
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4371, 歳を取りそこねる人たち ー3
2013年03月05日(火)                  
    「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち」春日武彦(著)
  * 嫌なジジイの自覚 
 人は歳をとるにつれ、嫌なジジババになっていく定めにある。肉体と精神が
緩んでくる結果である。自分で気づかないが、世代の違う人から見れば、60歳
過ぎればシッカリした老人である。 ーシビアに述べている部分を抜粋するー
≪ おそらく、わたしは老いていくに従い偏屈で意地悪で寂しい老人となって
 いくであろう。ひと筆描きの描写で事足りそうな「いやなじじい」で片づけ
られてしまうだろう。いやなじじいであることはその通りであるにしても、
そのようにタイプ分けされてオシマイー そんな呆気なさが付いて回る老人たち
の孤独感や屈託には、そうした粗雑な決めつけを受けがちな立場に由来している
部分が予想以上に大きい気がしてならない。 とはいうものの、たとえば人品
卑しからぬ「かくしゃく」とした老人がアンフェアなことをすると、わたしは
必要以上に失望し立腹してしまう。イメージに忠実でなかったから、と。
強がりを言ってまでも独りぼっちの生活を送っていた井杉あやが、風邪を契機に
急に弱気になったりすると、左知子は裏切られたように感じてしまう。
勝手なものである。老いることとは、自身の在りようを一方的に決めつけられ、
それを甘受させられることなのである。つまり物語を押し付けられることに
他ならない。しかもその物語は、なべて安っぽく底が浅い。
不良少年にまつわる物語のように。 P−66≫
≪ 60歳あたりで急に妄想的になったり、精神的に不安定になる人が結構いる。
 改めて考えてみると、彼らの胸の内に若さに付随する筈の楽しいことや
充実感を享受し損ねたという未練や不満が「損をした」という感覚で漂っている
のではないだろうか。その恨みの気持ちが、世の中から取り残された、見捨て
られたという実感と合体すると、そこに被害者意識が生まれることになる。
それは往々にして「だから自分は何をしても許される」といった放漫さや尊大さ
につながる。そうした心の動きが、異様なほどの自己中心的な行動として顕現
することになるのではないか。たとえば暴走老人や高齢者の万引きとか。P−208≫
▼ 噂話そのものが、安っぽく底が浅いもの。その物語が、さらに書き加えられ
 魔女狩りのようになっていく。特に老人は、その手の名人になっていて、歳を
重ねるにつれ嫌なジジ、ババに色濃くなっていく。往々にして人生の総括期に、
思いもよらないことになり、それまで全く気付かない肯定すべき材料が一挙に
自己嫌悪の対象に下落してしまう事態になる(私も)。癌だったり、連れ合いの
喪失、初老性欝、事業の倒産など生々しい事態が急に圧迫する。
円熟などの妄想は一瞬に吹っ飛ぶ。いきなりオセロゲームのように人生の
行蔵が裏返しになってしまう。それも、こういった事態は幾つか重なる。 
不幸論は、こういうところから成り立つ。問題は、独りに成りきれるかどうか。 
孤独に徹っし、受け入れるかどうか。それらも含めて、人生を味わう心掛けが
最後の一里に必要になる。他人に嫌しさは見えても、自分のそれは見えづらい。
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3997, ビジネスマン退職後の誇りある生き方 ー3
2012年03月05日(月)
 ービジネスマン退職後の誇りある生き方章ー キングスレイ・ウォード著
 この本の中で7人の人が提唱している「若いための十の秘訣」がある。
その共通点は、次のようになる。これは年齢に関係ない人生の秘訣でもある。
 * 若いための十の秘訣
1、人生に好奇心を持ち、冒険を恐れない ー自主的であること
2、あらゆる年代の人たちと接する場を持つ
3、何ごとも最善を尽くせ ー諦めず、忍耐強くあれ
4、楽天的であれ、これは考え方の訓練で可能になる ー障害を挑戦と受け止める
5、ユーモアのセンスを持つ 
6、運動をする。散歩、ヨガと、スポーツジムなど。 ー健康が一番の財産
7、教養を身につける。そうすれば、いろいろな人たちと気楽に付き合える
8、家族、友人を大切に ー友好の関係を当たり前でなく、
             壊れやすいものとして維持とメンテに心がける。
9、自分自身の最大の長所を見つめ、自分を好きになれ 
             ー本来の自分を受け入れること
10、今日一日を大切に生ききること
▼ どれもこれも、老化は逆の力が働くもの。ここには書いてなかったが、
 これらを実現するための少々のお金が必要である。それと思いやりと、家族。 
 一つバランスを崩すと、誇りない人生になってしまう。
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3631, 入試投稿漏えいには驚いた!
2011年03月05日(土)
 韓国で数年前に摘発された入試漏えい事件からしばらく経つが、
日本でも似た事件が発生した。起こるべくして起こった問題で、氷山の一角か
どうかは誰も今のところは分からない。中国ではビジネスとして成立っていると
マスコミで報じている。眼鏡などに超小型の撮影機を埋め込んで、それを
近くの受信機で受け取り、回答をメールにして携帯電話などに送り込めばよい。
犯人は逮捕されたが、これらから大掛かりな不正合格ビジネスが成立してくる?
機器の高度化に防犯がついていけるかどうかだが、無理だろう。
本人にすれば、カンニングにネットを使っただけで、これほどの大騒ぎになる
とは思ってなかったようだ。 せいぜい、学校当局の厳重注意ぐらいしか考えて
いなかったのでは。この手際からすると、帯電話を使ったカンニングのキャリア
ではないか?と疑われる。過去の分まで記録が残っているはずだから、キャリア
なら情状酌量の余地はなくなる。そうこう考えると、かなりの受験生が、
これまで入試投稿で合格をしてきたと疑うことができる。こういう暗記した
問題を解く入試方式はアジア特有のもの。そろそろ、入試そのもののあり方を
考える時に来ている。高校までの、本人の総合評価と、大学独自の能力検定
などを加味した判定方式など・・ それより大学の選定によって、その人の
人生が大きく変わることも間違いはない。京大が早稲田、同志社より、よい
とは限らないが、そこで出会う教授、先輩、友人等から受ける影響は膨大。
学校のブランドは伊達ではないことも確か。一流大学のビリの方が、三流大学
のトップより格段に良いことは、周知の事実。「田舎の学問より、京の居眠り」
という諺がある。
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3266, 大阪市の支出の半分が生活保護
2010年03月05日(金)
 昨日の朝のTVで「大阪市税の6091億の半分近くが生活保護
(2863億)に消えている」と報じていた。大阪は他より生活保護を受け
やすいとは、聞いてはいたが・・ 13世帯に一世帯が給付を受けており、
アパートの前に「このアパートに入居すると生活保護がもらえます」
という看板が出ているのがあるとか。 他と比べると5倍以上である。
人口230万人で国の2%で、国の1割の生活保護費である。ネットによると、
大阪市の予算は1兆7千憶円。国や大阪府交付金、その他税収で、公債発行は
千二百憶で済んでいる。市債合計は5兆円))夕張の次の、市の破綻の候補。
「これは日本の将来の姿?」とキャスターがコメントをしていた。
これでは厚生年金や国民年金などかけないで、最後は大阪市に移住して生活保護
を受ければよい。大阪は、社会党共産党の支持基盤が前より強い地区。
これが成れの果てといわれても仕方がない。民主党自民党の自壊のため政権を
取ったは良いが、綺麗ごとを並び立てた22年度の予算。税収の二倍以上の予算。
国家破綻へまっしぐら。 大阪市の拡大版を国家として、やろうとしている。
もう国家としてのコントロールが不可能と市場が判断をすれば、
国債と株式の暴落圧力が一挙に高まる。 
・・・・・
2891, 末期自民党政権
2009年03月05日(木)
 自民党が最後の醜態を露出している。その最後に相応しいのが麻生首相
思えば腹が立たない。どうして、こうなったのであろう。 以前のような
ドスのきいた首相がいなくなった。
三角大福中は、叩きあげで派閥を率いていた。
 早くいえば「汚職」ギリギリの塀上で集金し手下の面倒をみていた。
・その後、安部晋太郎、宮沢喜一竹下登という半二代目が派閥を率ていた。
・更に小粒の村山、橋本竜太郎、小渕、森などが続いて
・小泉が一言パフォーマンスを駆使して改革という幻想を
 国民に抱かせて何とか自民を持たせた
・極めつけが直近の安部、福田、麻生首相である。ひ弱な二代目、
 三代目が とても一国を率いる器ではない。
劣化の最たる者が政権にきゅうきゅうしている姿は、亡国の醜態そのもの。
首相は学歴とか、血筋で務まるものではない。それぞれの世界で、
叩き上げでのし上がったものしか、国のトップになれない。
下から這い上がってきたからこそ、庶民の気持ちをくみ上げることができる。
麻生に関しては全く大衆の生活が分かってないのを大衆が直感で解った。
第二次大戦を潜り抜けてきた連中が消滅してしまった。では、なぜ彼等が首相
になれたのか?といえば、彼等でもやれる環境が、そうさせたのである。
そしていざ地球規模の危機に際して、これほど程度の低い首相に国民は茫然自失。
あのレベルの失言で済んでいるだけ!まだ良いとしなければならない。
実際は致命的ミスが出ないかハラハラ。それだけではない、自民党そのものも
劣化の最たるもの。ところで今度の小沢の第一秘書の逮捕は、タイミングから
見て明らかに国策逮捕である。検察の頭からして腐りきっているから始末が悪い。 
これで更に国民に自民は嫌われること必定。これは歴史に残る腐りきった
自民と検察(官僚)の仕組んだ猿芝居として残る。日本は世界恐慌に先駆けて
突入したというのに。4〜5月には株価が6千円はおろか5千円を割るのでは?
・・・・・・・・・
2008年03月05日(水) 
「千年、働いてきました」                          
  「千年、働いてきました」ー老舗企業大国ニッポン が面白い。
三ヶ月に一度、金融を中心にコンサルトをしてもらっている林さんから、
是非面白いから読んでみたらというメールが入った。さっそくアマゾンから
(中古だが)この本を取り寄せたが、成るほど面白い。
まずは最も面白い部分を書き出してみると
*「世界最古の会社はどこの国にあるだろうか?」。企業の寿命が30年と
 いわれる中で、我が国日本に578年から創業している会社がある。
 聖徳太子に招かれ百済(中国)から来た職人の技術を持った会社である。
・他にも、創業して千三百年にもなろうかという北陸の旅館、
・千二百年以上の京都の和菓子屋
・同じく千百年を超える京都の仏具屋  
・千年を超える薬局といった具合に、開業当時に思いをはせると、
 気が遠くなる店や会社ばかりである。
*日本には創業100年以上の老舗企業が10万社以上あると推定されている。
 これほど老舗が多い国は世界でも例がない。こんなにあるのは、
 アジアだけでなくヨーロッパにもない。
*伝統は革新の連続である。
*製薬トップの武田薬品(1781年)、大手ゼネコンの鹿島建設1840年)や
 竹中工務店(1610年)、化粧品トップの資生堂(1872年)、ゲーム機の
 任天堂(1889年)、楽器最大手のヤマハ(1887年)など・・ 大手デパートの
 ほとんどが江戸時代に創業した呉服店から発展しているし、三井、住友
 の様なロスチャイルドより古い歴史を持つ財閥も存在する。
*初代目から11代目に当たる福田さんは、こう言った。
 「身の程をわきまえるというのが、ずうっと貫かれてきたのではないかな。
 バブルの時など、それはもう土地を買えとか言われたんですが、・・
 『コア・ミッション』=使命の核心=から離れてはいけない、
 というのはわかっていました」(字数の関係でカット2012年3月5日)