ー「私が語り伝えたかったこと」河合隼雄著ー
   * 日本人と宗教
 以下の内容は、巷の日本人の宗教観をズバリ言い当てている。
これに世間論(世間=神様)を混ぜれば日本人論にもなる。人間は、地勢と、
人種と、貧富などの社会的立場で細かく差別されている。更に最期は死という
避けることが出来ない最大の不幸?が待っている。で、神という共同幻想
つくり上げ、その幻覚で今を生きようとする。しかし、日本では、互い監視の
世間様が神の役割を果たしている。 ーその辺りを抜粋ー
≪ 人間が生きてゆく上で、何らかの宗教が必要であり、それは経典や儀礼など
 を通じて教えこまれると世界の多くの人が信じているなかで、日本人はよほど
特異なのである。このことを知らずに、終戦後に渡米した日本のインテリたちが、
「宗教」という欄に「無し」と書いて、コミュニストと断定されるようなことが
よくあった。 「無宗教」などと公言するのは、欧米では大変なことである。
 そこで、日本人の宗教について欧米人に尋ねられたとき、筆者は次のように
答えることにしていた。日本人は宗教が日常生活と著しく混っていて、本人も
意識していないのに、宗教的な言動をしているのだ。たとえば、最初にあげた
「もったいない」にしても、これを「宗教教育」と思っていた親は少ないが、
結果的にはそれは大切な宗教教育になっているのだ。食事のとき「いただきます」
と言うのもそうであろう。一神教のように明確な超越者の存在を意識しないが、
あいまいな形で、自分を超えたものに対する感謝の念を表現する。
 日本人の場合、自分確かな存在としての神、というよりは、自分を包む存在
としての自然ということが、宗教の中核にあるように思う。自然のうつろいに
対してきわめて敏感である。それに美的感覚が結びついて、日常生活のなかでも
それに呼応するかずかずの行事をもっている。そのような体験のなかで、仏教の
言う「無常」は感じとられるし、人生を支える「循環」のイメージが体感される。
 これはおそらく輪廻という思想に結びつくことだろう。日本では、茶道、華道
などという考え方がある。さらに、お茶を飲むとか花をアレンジするとか、欧米
であれば日常生活に属することが、「道」という超越的な考えと結びつく。
このようなことを習慣にしているので、家庭内における諸生活が、知らず知らず
のうちに広い意味の宗教につながっていくのである。≫
▼ 7割が森林に覆われ、海に囲まれた島国では、自然が人間と一体化をして、
 直接間接的に自然の摂理が人を支配する。それが日常生活では「道」として
 我々を支配する。
・・・・・・・
4698, シニアの人生設計は三年の中期計画を
2014年01月24日(金)
  * シニアは「何事も予防に勝る良薬なし」でいく 
            ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
シニアは3年の中期計画で、年ごとに、一年をプラスする方式は納得できる。 
ーその辺りを抜粋
《 現在、自分が65歳と仮にすると、乎均寿命へ男79・5歳ー65歳=14・5歳、
 女86.3歳ー65歳=21.3歳)が人生の残り時間の目安となります(この男女間の
6年間余の時間差は夫婦の人生設計図を描くうえで重要な意味を持ちます)。
さらに健康寿命で考えると、男70・4歳ー65歳=5.4歳、女73.6歳ー65歳=8.6歳
となります。平均寿命-健康寿命"不健康期間と考えると、男性は9.1年、女性は
12・7年という長い時間になります。これらの基礎的な数字を踏まえたうえで
人生設計図を描くとしても、10年以上にわたる長期プランは、不確定要素の
大きさからみて現実的とは思えません。そこで3年間の中期計画でローリングで
(1年目が終わったら4年目を入れて)常にこれからの3年間を計画対象とするのは
如何か。10先を見通すのは困難でも、これから3年間だけを視野に入れて計画を
毎年修正していくのならある程度・具体的な数字を書き込むことができるはず。》
▼ 二年前のOECD加盟各国の平均寿命は、日本が82.6歳で34ヵ国中トップ
 だったが、死ぬまでの不健康期間が、その分、増えたことになる。
で、私は平均健康寿命年齢まで2年半しかない? とすると元気な現在、
何をすべきかを、より真摯に考えなければならない。しかし50代までに
個人として、やりたい事を終え、65歳で会社関係が・・ さほど焦りはない。
男70・4歳の平均不健康年齢からみて、寝たきりや入院などの介護を受けている
人が、身辺の3分1は存在している筈だが、知人にさほど見当たらない。 
元気な人しか会などに出てこないため? シニアは、病気に関して予防が第一。
お金に関しては、まず手堅く、専守防衛が基本。3年の中期計画として、身辺
の物理的整理(処分)ぐらいだが、こうなると、私個人の資産が何も無いのが
プラスに感じる。言い残したいことは、この随想日記に、13年近くかけて、
ほぼ書き出してある。 で、振り返ってみて、この詩を思い出した!
 * 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だ          「滑稽」 高橋新吉
 *「何もないのだ/わかったか/わかるということもないのだ」 高橋新吉
・・・・・
4331, 自己とつきあうということ ー1
2013年01月24日(木)               
 * 自己への思考の旅    
         「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 哲学者のソクラテスモンテーニュパスカルなどを取り上げながら
「自己とつきあうということ」を考える書である。アマゾンの紹介には、
【 悩む人も、悩まない人にも。モンテーニュら偉大な思想家たちの思索を
 たどりながら、他者や世界と繋がる自己発見への旅。そして、誰もがそこから
逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。】とある。
6年前に買って目を通したが、熟読はしてなかった。しかし、節目時に改めて
読んでみると、思わない発見がある。バイアスが薄れ、ゆとりを持って過去を
振り返ると、前だけを見ていた時には気づかなかった自分が見えてくる。
一昨年の節目時には「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を読んでいた。
そこでは、「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など15章の
テーマの人生の真髄を、傷ついた心に語りかけてくれた。そして現在、
今度は古今東西の哲学者の引用で、自己の行蔵に対し語りかけてくれる。 
 ー プロローグの「自己の旅」の、次の言葉が良い!ー
《 終わりなき旅 = そこから自己への旅が始まる。その旅は、いまだ
 知られていない自己をめざす思考の冒険である。はっきりしたルートも
道しるべもなければ、方向指示器もない。目的地がどこにあるか分からないし、
目的地がどこか定かでない。その旅の途上では、われわれひとりひとりが、
手さぐりで一歩一歩進まなければならない。 しかしその歩みを通じて、
自己がどのような存在であり、自己として生きることがいかなることか
少しずつ見えてくるであろう。自己の旅は、われわれが自己の多様な側面を
説き明かしていく思考の経験であり、自分との対話や反省や試みを介して
自己を掘り下げていく経験である。しかし、その経験は自己に収束して閉じて
しまうものではない。それとは逆に、自己への旅は、自己の生を可能にしている
他者や、世界へとつながるものである。自己への旅には、あらかじめ定められた
出発の時があるわけでも、終わりの時があるわけでもない。それはどこに行き
つくか分からない。その旅の途中で、自分が、他者が、世界が、どのように
違って見えてくるのかも分からない。それを身をもって知ること、それこそが
自己への旅の醍醐味であろう。》
▼ 自分の立居位置で、確かに物事は違って見えてくる。特に人の滅多にない
 経験?後なので私の自己の旅路は複雑である。事業を目指すと決心してからの
45年間の自分の行蔵を省みるだけで、自分を身を持って知ることになる。
非力な、無知な、しかし理想だけは高い自分がいる。その時々に全力を出して
いたので、その時々の自分に後悔は一切無い。出来ない人ほど、辛辣に、
実践するものを非難する。同じ後悔なら、実践者の方が良いことを一番
知っているためだ。この経験で実感したことは、「人生はハッピーエンドより、
後悔の無いアンハッピーエンドの方が良いのでは?」ということ。 
後悔の無いアンハッピーなどあるのかどうかの疑問もあるが、実際に私の
経験が、そうである。実際にアンハッピーではない、といえば、その通り。
  要は、これも自分との付き合い方。どっちにしても大方はアンハッピー
の悶絶の死が待っている。 この内なる旅、面白くなる。
・・・・・・
3956, 他人を責める「新型うつ」について ー2
2012年01月24日(火)
 数ヶ月前に、閑話小題で「(他人の)せい病」について書いたが、その時は、
それが現代型「新型うつ」とは知らなかった。たまたま周辺の何人かの異様な
言動の「うつ病」現象が耳に入ってきた。共通点は、自分の内側に向かうのでなく、
周辺に怒りをぶつけることである。 秋葉原の大量殺人犯のは、この拡大版。 
自分に自信を持てない反面、その防波堤としてプライドが異常に高いのが特徴。 
現在の日本の国そのものが「新型総うつ」であるが、怒りを国政のトップに叩き
つけ潰していく異常性は、国の末期現象といえる。自分より他人を責めるのは、
情報化社会の特徴である。自分より社会に、他人に、怒りの原因を探しやすい
ためである。そういう私も、この一連の出来事の八割は、二つの経済震災と
自然災害と現在でも信じている。借入総額の七割を返済しても、残り三割の
総額が十億もあり、売上が三分の一、四分の一に激減すれば無理というのも
言い訳にならない。出来ることは、瀬戸際の一歩手前で見切ることぐらい。 
 以前書いた、文章をコピーしてみる。
≪ 2011/06/28 閑話小題   ◎ エイズ並みの、恐ろしい性病
 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。その中で最もリアルに出る
のが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。人間には「あなた群」
というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、体の細胞たち
からの記憶が、人の中に蠢いている。過去の色いろな感情や感覚が、塊になって、
その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を待っている。 
その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。さしずめ、今回の倒産劇の
「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、それである。
そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・
原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。「他人のせい」は、メビウスの輪で、
「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、あれは
数百年に一度の天災が原因である。そこまで、想定できないのは自明である。
それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。≫
▼ 医者に行くとハッピードラッグをくれるが、これが攻撃対象に怒りを
 ブツケル劇薬になる代物。秋葉原の集団殺人犯、どうだったか?
 ・・・・・・
3591,10分ルールと、30、60、90秒ルール ー2
2011年01月24日(月)
 * 「3分、90秒、30秒ルール」とは、
  ー3分ルールー
ボクシングの1ラウンド、即席ラーメンの待ち時間、公衆電話は以前3分10円。
これは目先、集中していられる時間で心の小さなリズムでもある。読みかけの本
を読むときに、いま一度、前書き、後書き、これから読もうとするページに目を
通すと、読まなかった時に比べて二倍は効率がよくなる。これもポイントに集中
して一度、本を鳥瞰してから読めば、理解度も高めることになる。
  ー90秒ルールー
 これは感情的な反応は90秒でいったん収束することを基にしている。
驚きや、不安感、恐怖といった感情的な反応が脳に起きると、その興奮が収束
するまでに90秒かかる。その90秒間、慌てふためいたり、パニックを深めるような
行動をせず、じっと脳の興奮が収まるのを待てば、理性的な対応が出切る。 
非理性的な対応を90秒以上に引き延ばすことを抑制する利点もある。
私の場合、それより10秒ルールが必要だ。まず、10秒、そして30秒である。
 他に60秒ルールというのがあり、学習成果を維持したり、特定の行動を良い
習慣として身につけたい時に、学習や行動の後、60秒以内にそれに良い評価を
与えてやればよい。褒めたりする時は、60秒以内に実施したほうが良い。
  ー30秒ルールー
 コマーシャルが、これである。対象に強力なメッセージを与えたい時の適正
の時間である。これ以上になると、間延びをしてしまうし、それ以下では情報量
が少なすぎる。首相や大臣のブラサガリの一言コメントも大よそ、これ位。
 〜以上、取り上げてきたルールの組み合わせで世の中の動きが決まっていて、
知らないうちに慣らされている面もあるが。そういえば、人と人間と、時と時間
の関係は非常に似ている。「間は、ルールの構築から成り立つ」ということか。
 ・・・・・・・・
3226, フリー −3
2010年01月24日(日)
  ー以下は、印象的な部分をランダムに抜粋してみたー
* 世界中のビジネスがアトム経済からビット経済圏へ大きく変化している
  潮流を説いている。「ウェブの世界には、貨幣経済以外に、評判経済と
  注目(リンク)経済がある」と、核心をついている。 
* googleは、多くの人から評価・注目されているページを検索結果の上位に表示
  している。知りたいのは、評判経済・注目経済があることを、google
  見抜いて、その検索を無料で提供することでアクセスを独占し、そこに広告を
  出すことで収益を上げた。
*「市場に参入するもっとも破壊的な方法は、既存ビジネスが収益源としている
  商品をタダにすること。すると、その市場の顧客はいっせいに押しかけてくる」 
  無料で使ってくれる顧客をたくさん獲得すれば、その中の顧客が有料の商品を
  買ってくれる可能性が高くなる。 無料には顧客を爆発的に増やすパワーがある。
  したがって全ての情報はフリーになりたがる。 今の情報化社会が次の世代に
  変わろうとしている。「人々が欲するものをタダであげて、彼らがどうしても
  必要とするときにだけ有料で売るビジネスモデルをつくる」
*<新たなる価値インターネットの出現によって、製造コスト、仕入コスト、
  オペレーションコストが 劇的に下がり、これによって収益モデルがかわった
  ことを例をあげて紹介している。 中国をはじめとした不正コピーの問題に対し
  防ごうとするのではなく 逆にどういかすか、も示唆してくれている。 >
〜以上だが、ビットは、コピーが可能であり、圧縮などによりコストが劇的に
下がり続ける。それが、アトム経済の価格も影響をし始めてきた。これは経済
だけでなく思想的領域まで影響している。そこまで掘り下げて考えないと、
このフリーの潮流を理解できない。それだけこの情報革命は世界の有りかたを
変えようとしている。
ーここで紹介されているビジネスモデルとして、以下の4つを上げているー
(1) 直接的内部相互補助 ・・・ 消費者の気を「無料」で引き、
その他のものを販売する。
    ex)一枚スーツを買えば2枚目はタダ。オンラインゲーム
(ゲームは「無料」だが、アイテムは「有料」)
(2) 三者間取引 ・・・ コンテンツを「無料」で提供し消費者を集め、
その後広告を乗せるなど第三者から収益を生む。
    ex)google、Mixi、TV等
(3)フリーミアム ・・「無料」版サービスと機能追加した「有料」
プレミアム版サービスを販売する。
     ex) MixiとMixiプレミアム
(4)非貨幣市場 ・・対価を期待しない市場 ここは対価として評判と人気
       ex ) Wikipedia 等
 ・・・・・・・・
2851, チベット旅行記 −2
2009年01月24日(土)
 100年前に、死を覚悟に、よくぞ・・ 江戸時代に外国人が日本に潜入した
 ようなもの、それもヒマラヤを越えて。仏を心の底から信じなければ乗り
 越えることが不可能なことが次々と続く。信じるとは何かを、この旅行記
 通して少しは理解できたようだ。 
* 断事観三昧
 テントが二つ三つみえる。そこに行くと怪しい者と思われる。
他を見ると間道がありそうなところが、ちょいと見える。とにかくどうにか
極まりをつけなければならんと思って、そこに座り込んだ。私は理論上で
決められぬことがあると断事観三昧に入って事を決めるのである。そもそも
断事観三昧とは、およそ道理で決めれる事は道理によるけれども、理論上
決められない将来のことなどは仏陀に従って座禅により無我の観に入り、
そこで発見された観念に傾くのをもって、その取るべき方法を決定する事。
深い意識の中に入っていき自分も何もないところで問うてみるとは、次元の
違う世界へのつながりを求めてどうあるべきか、どうするべきか判断する
ということである。 この方法を仮に断事観三昧と名づけた。
 解)窮地に追い込まれて独りで決断しなければならない時に座禅の無我の観
に入り、自分を超越した深い意識の中で判断をする、すなわち仏の心境で判断
すれば、仮に上手くいかないとしても、次の知恵が湧き出てくる。
人間は最後は自分の心奥の無(正中心一点無)で、判断しなければならない。 
そのためには、孤独の世界を、孤独の時間と場所を確保しなければ。
*積雪中の座禅
 羊を追い立てますと、余ほど疲れたとみえて少しも動かない。無理もない。
相当の荷物を背負っている上に今日昼までは草を喰っておりましたけれども、
その後は高山に登って来たのですから草も得られなかった。サア進むことが
できないといって進まずにはいられないから、可哀そうではございますけれど、
押し強く後から叩きつけてみたりいろいろなことをしたが、羊は動かない。
ようやくのことで首にかけてある綱を引っ張って二間ばかり進むと、また
立ち往生する。芯まで冷え込んだ身体や衣服、荷物を十分に乾かすことも
できない中、なんと今度は大雪が降ってきた。岩も隠れ場所も見つからず、
とうとう荷物を背負わせていた二頭の羊が雪中に座り込んでしまって一歩も
動かなくなった。「こりゃどうしても羊と一緒に死なねばならんのか。
何とか方法がないものか。この前聞いたところでは14〜5日も人に会うまい。
どこで羊の荷を下ろし、夜着を出してかぶり、さらに頭の上にカッパをかぶって、
羊の寝転んで居る間にはいって「積雪中の座禅」ときめこんだ。羊もその方が
良いと見えてジッと私に寄り添っている。その羊も余程私に慣れているものです
から、まるで私の子のような具合に二つが左右に寄り添うて寝て居った。
「だんだんと寒さを感じて非常に感覚が鈍くなって、こりゃどうも危ない。
しかし今更気を揉んだところで仕方がないからこのまま死ぬより外はあるまい」
と覚悟を決めたのであった。雪中の中を夢うつつにいると、突然に自分のそばで
動く者がある。ふと目をさますと、二匹の羊が身震いをしている。それから
身体を動かそうとするが思うように動かない。よこで雪を解かして麦焦しの粉を
バターを入れて1杯ばかり食べた。・・
 解)ヒマラヤでの窮地の雪中座禅は、100年の時空を超えて読む者の心に
  伝わる迫力がある。「現代の生き仏」と呼ばれる天台宗大阿闍梨、酒井雄師
 は仕事にことごとく失敗し、妻を自殺で ... しかし、出家後、厳しい修行に
耐えて、千日回峯行に二回も挑み、二回とも達成した。それに通じるところがある。
深い決意が無ければ決して達成できないことである。それが深いほど仏の心に深く
通じるのである。信仰の力とは何か、必死とは何かが教えられる究極の場面。
ただただ、感動してしまった。
・・・・・・・・・
2008年01月24日(木)
 2486, 閑話小題
  * 片岡球子
 この人の「面魂・シリーズ」の絵を初めて見たときには驚いた。
たまたまインターネットで見つけたが、写楽の現代版というか、奇をてらった
何ともいえない味わいがあった。画壇からは、ゲテモノといわれ不遇だったが、
小林古径に「ゲテモノと秀作は紙一重、それを大事にしなさい」という言葉に
励まされたという逸話が良い。それにしても味わい深い絵である。
先日、103歳で亡くなったとマスコミで報じていた・・  
         http://www.shibayama-co-ltd.co.jp/tamakoyuki.htm  
  * 昨夜の夢
 昨夜は、奇妙な夢をみた。夢の世界の中で、2〜3歳の自分が、60年近く前
の実家の商店の入り口を凝視して、その詳細をこと細かく見ている。ところが
気持ちを集中したためか呼吸を何分か?忘れ、息が出来なくなり目が覚めた。 
夢の世界に没頭しすぎて呼吸するのを忘れ、独りパニック状態に陥ってしまい
三十分ほど激しい動悸と動揺が続いた。久々に深夜の漆黒の恐ろしさを味わった。
「睡眠時無呼吸症」だが、よほど夢の中で神経を集中していたことになる。
一〜二度、睡眠時無呼吸の経験はあったが、これほどの経験は初めてである。
霊日記の先祖霊・四四太郎様は、次に何を言ってくるやら?
寝る前に、霊様と会話したのも影響したのだろうが。あの時の夢の中の
「凝視の集中力」は、目が覚めた後でも持続していた。
  * YKって何?!
(字数制限のためカット 2012年01月24日)