* 映画「樹海のふたり」
 録画をしていた映画の「樹海のふたり」を先日観たが、何とも味わいが深い。
富士山麓の樹海での自殺者のTVレポート番組を何回かみていたこともあり、
WoWoWを録画をしていたもの。 重い内容を軽いタッチで飽きさせない内容。
 〜ネット検索の内容より〜
≪フリーのテレビディレクターとして活躍する竹内と阿部。二人は富士の樹海の
 近辺をさまよう自殺志願者たちにインタビューしては、その経緯や心情を聞き
出しつつ、自殺を思いとどまらせるドキュメンタリー番組を制作する。番組は
高視聴率をたたき出し、テレビ局や彼らが所属する制作会社は続編の撮影を持ち
掛けてくる。しかし、自殺志願者たちのさまざまな人生に触れてきた二人は、
そうした番組の制作で生計を立ることに良心の呵責を覚えるようになっていく≫
▼ 自殺のため樹海に足を踏み入れようとする人々の姿を追うドキュメンタリー
 番組のディレクターの二人が、おのおのの事情を抱えた自殺願望の人たちと
接する中で、二人の問題を抱えた人生を見つめ直していく筋たてがよい。 
この中で、「何故、富士山麓の樹海を死に場所にするか?」の疑問に対し、
「自殺は自宅内の首吊り、ガス自殺、服毒死、そして自宅近くが殆ど・・」
ところが、自殺を決意できないため、「樹海に行けば人知れず決行できる」と、
思いたって来るという。以前、ここで、『実録・ゴールデン・ブリッジからの身投げ』
を取り上げたが、こんな映画、日本での製作は無理!
 そういえば、私のブログのビュアーに、『最近、いやに死を扱った読書録が
多いですね。(陰の声として、何か危ないのですか)』と、怪訝な顔で言われた。
そこで、『その時になってからでは予習効果は少なく、死の問題は、まだ先
だろうと高をくくっている内で、長年の蓄積が必要。』と答えていたが。
「正中心・一点・無」の最たる難問が死の問題。これも、突き詰め、凝視を
続けると、慣れが出てくる。ところで方法の三分の二が首吊り自殺で、
9割の人が、その瞬間、止めておけばと後悔する、という。世間様とやらと、
妄想に充分に気をつけ、何があっても苦海を面白おかしく生きなければ!
――
503, 実録・ゴールデン・ブリッジからの身投げ
2013年07月15日(月)
 先日、蔦屋で本を一冊買ったところ、レジの人がいうに「今なら、シニア様
なら無料でDVDが借りられます」という。そこで借りてきたのが、『ブリッジ』。
軽い気持ちで、身投げ自殺のドキュメントのタイトルにひかれ借りてきたが、
初めから終わりまでシリアスで見入ってしまった。次次とサンフランシスコの
ゴールデン・ブリッジから身投げをしていくのが映し出され、遺族や友人が、
インタビューに答えている。このところ『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
や『どうせ死ぬなら「がん」がいい』の読書録と、その下書を書いているので、
死にゆく者の心模様がシリアスに伝わる。橋の手前で、死のうか迷って考え込み、
決断する悲痛な姿が痛ましくバンジージャンプのように飛び込んでいく姿が
痛ましい。その後の身近の人の証言では、ほぼウツ病で、それが高じ自殺に到る。
生きているのが辛く、死にたいのである。 反面、誰かに助けて欲しい気持ちが
迷いを生み出す。その中で、一人、助かった人がいた。足から落ち、上手く靴が
水面に突き刺さって衝撃を和らげた上に、水中でサメかアザラシ?が踏み台に
なり、押し上げられたという。普段なら40Mの落差の衝撃で亡くなるが、
このブリッジは66M。内容は暗く恐しいが、心の闇が、身投げを通して
浮かび上がってくる。  ーウィキペディアによるとー
≪『ブリッジ』(原題:The Bridge)は、2006年に公開されたアメリカの
ドキュメンタリー映画。社会の禁忌としている『自殺』をテーマにしている。
観光の名所のゴールデンブリッジに1年間カメラを設置し、自殺者の様子を
カメラに収めた。後に遺族にインタビューをし、そこから自殺を図る人々の
様子を映しだそうとしている。映画では24人が、橋から66Mの高さから海面に
向かって飛び降りている。監督のエリック・スティールはこの映画を取る際、
映画の宣伝効果で自殺者が増加しないように極秘に行っていた。また、
橋の柵に足をかけたら管理局に通報することをルールとして定めていた。
 映画は主に橋とその周囲の日常を撮影した風景、自殺者の飛び降りるシーン、
遺族や友人、目撃者へのインタビュー、遺書などから構成されている。
中でもインタビューの映像が多く、自殺者の情報はインタビューの情報でしか
語られない。自殺者の多くが精神的な病やトラブルを抱えていることが
その中で分かる。≫
▼ 2006年の時点で、この橋からの自殺者は年に24人もいるというから、
 全員撮ったことになる。次から次へとブリッジから飛び降りるが、躊躇している
うちに警官や近くの人に、取り押さえられた人が数人いた。 生死の問題もあり、
それぞれの人生が浮かび上がる。ゴールデンブリッジという名所が、ロマンチック
な気持ちを駆り立て、志願者が国内から集まってくる。県内なら新潟の万代橋が
河口に近いため海に流され、死体が上がりにくいとか。人知れず消えている人
がいるのだろう?テーマがテーマだが、決して後味が悪くないのは、
シリアスすぎて、実感がわかない為? 死ぬには死ぬ理由があるはず!
・・・・・・
4695, 霊気(スピリット)には、3種類ある
2014年01月21日(火)
            ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
  * 企業家と経営者との違い! 
 企業家は「真性不確実性」の中に「利潤の源泉」をリスクを持って主観的
判断をしなくてはならない。そのために自分自身に絶対的な信念を持った楽観的
アニマルスピリットが必要となる。ここで、「スピリット(霊気)」には3種類
あると記されている。 ーその辺りを抜粋して考えてみる
《 ●心臓から生まれるとされる生命精気、 ●肝臓から生まれる自然精気、 
 ●脳から発する動物精気です。 哲学者ジョージ・サンタヤナは「動物信念」
の中心性をもとに哲学体系を構築したが、彼のいう動物信念とは「純粋で絶対的
な精気、知覚不能な認知エネルギーであり、その本質は直感である」と記されて
おり、ここまで説明されると、私たちにもナイトやケインズの主張も理解
しやすくなります。たとえばナイトはアントレプレヌアー(企業家)と
マネージャー(経営者)を明確に区別し、後者はナイトの唱える数値計算
可能な不確実性、すなわちリスクを保険付保するなどして、分散しながら
通常的に経営者としての業務を行い、報酬を受け取る立場にあります。
しかし想定外の数値的な表現が不可能な不確実な事象(真性不確実性)が発生
すると、それに対応すべく経営機能も質的な変化をとげなければならないし、
その時にはマネージャーはアントレプレヌアーに変身して、きわめて重要な予測
とか判断を主観的に行うチャレンジングな役割を果たすということになります。
一方、ケインズも、限られた知識に基づいて、不確実な将来に向かって、例えば
設備投資のような長期的なコミットをしていくためには、自分自身に対して
絶対的な信念を持ち、楽観的なアニマルスピリットを持つ人材が必要であると
説明しています。そして投資.投機に関して、最も重要なナイトの指摘は、
「利潤の源泉」は保険付保が可能な(彼の言葉では)リスクの中には、それに
よってリスクがコスト化されるということですから、利潤の源泉とは言えません。
彼の言う「真性不確実性」の中にこそ発見されるものだ、という点にあります。
これは、まだ海のものとも山のものともわからないベンチャー企業に敢えて
投資する態度につながります。・・・ 》
▼ 3年前の決断と、その後の対処が本能に根ざして淡々と、後処理が
 出来たのは、歴史的テロによる断層と、数百年に一度の経済的震災
リーマンショック)と、二万人の死者を出した東北大震災と津波のため。
これらの現象で、アニマルスピリッツが目覚め、思いきった決断と、
行動が出来たことになる。そこに悪い霊気が向うと、返り矢になるのは当然?
  創業者を気取って、10年で転身をしないで経営者に甘んじたのが、
この結果の真の理由になる。 上手くいった創業来の10年分の蓄積を、
20年かけて食べ尽くしてしまった! 微温湯で動物的直感が茹で上がって
しまったのである。企業家の状態でリタイアが、良かったか、茹で蛙
良かったか? もちろん、前者だが、その辺りの自覚が足りなすぎる! 
 のは、ご覧の通り。  「ご覧のとおり、そのまま、結構」である。
「�心臓から生まれる生命精気、 �肝臓から生まれる自然精気、 
 �脳から発する動物精気です。 �ドキドキ胸がときめき、�酒を飲むと
 開放される、あの霊気、�何かを直感する認知エネルギーこそ、人生の礎。
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4328, 財政恐慌 −4
2013年01月21日(月)                 
   ー次の質問群よりー     『財政恐慌』浜矩子著   
● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか 
● 我々はここで立ち止まりたいのか
● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか
   * 我々はなぜ元いたところから立ち去った。
 それは簡単だ。元いた場所が、我々に不相応な場所になったからである。
 日本経済は成熟した。大人の経済になった。
 だから、育ち盛りだった高度成長期に場所を立ち去った。
   * 我々はここで立ち止まりたいのか
 それは、「ここ」を我々が居心地のいい場所に仕立て上げられるか否かに
かかっわっている。「ここ」を嫌がってばかりいたのでは、「ここ」はいつまで
経っても立ち止まっていたい場所にはならない。成熟した経済社会が、居心地の
悪い場所であるはずはない。この場所のよさをどう引き出していくかが課題だ。
   * それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか
 プラザ合意の時まで戻ってやり直す。それができれば、そうすべきだろう。
しかしタイムスリップができないのなら、出直しを考えることには意味がない。 
それよりも今、どこにいるのかを確認し、ここを新たな出発点にすればいい。
▼ これらの質問群を読んでいると絶望的になる。その元凶はアメリカに
 与えられ忠実に従ってきたことに行き着く。一度ハイパーインフレを受け入れ
国民の財産を清算し、憲法を改革すべき時に来ている。新潟駅前シリーズの事業、
これは日本経済の縮小版だった。 リーマンショックの直撃で清算に追い込まれた。 
しかし日本経済は今だに、借金を増やし続け、国家財政破綻に向けて暴走している。 
自民党に政権が戻ったのは、明治維新に例えれば旧幕府に権力が戻ったようなもの。
幕府に明治維新が出来ようはずと思うのは当然である。憲法改正グローバル化
中では絶対条件。 安部・麻生の二人は分かっているだろうが、最後は「維新の会」
の石原と橋下のコンビが仕上げるのだろうか。見渡す限り他には存在しない。
いずれにしても、経済成長の幻想は捨てるべき、という著者の主張は正しい。
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3953, ファイナル・クラッシュ ー5
2012年01月21日(土)  
   * 迫り来るメルトダウン      「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」
【 結論からいうと、世界恐慌は避けることができない。ドル還流のポンプ役が日本から中国にバトンタッチしたのは、
 日中の経済規模が逆転し、中国が世界第二の経済規模になった2010年でなく、日本がバブル崩壊をしたときである。
 その段階で中国の元が変動相場性になっていれば、実体経済からかけ離れた還流システムが早い段階で正常に戻ることになり、
 世界中に過剰なドルがばら蒔かれることなく、ファイナルクラッシュは妨げられただろう。しかし、実際には中国は、著者が
 予測するように、今のままを続けようとするだろう。アメリカは国債を、それに甘んじ増発する。原著で予測されていることが
 現実に起こっている。もう、遅い。クラッシュは避けられない。 ドルがクラッシュを起こすと、元もユーロも大損害を受ける。
 ユーロは今やドイツのことになっている。ドイツだけで支えている状態が、ドルのクラッシュで、ドイツはユーロの犠牲者に
 なってしまうと思っているから、この辺が限界である。原著では、「全て共倒れになるだろう」と悲観的に述べている。】
▼ この本が書かれたのが去年の8月として、原著が、その一年前として考えると、その後の動きは、この通りに動いている。
 それも連日の欧州危機のニュースは、その緊迫度が増していると報じている。 何時、何処かの国がデフォルトするか、何時、
 株式市場に異変が起きるかだが、そのメルトダウンが始まった?ようだ。ファイナル・クラッシュが起きると実際どうなるか?は、
 今のところ誰も分からない。世界戦争になるのか、国家非常事態宣言後に、食料の一部が配給性になるのか、銀行閉鎖になるのか、 
 これまでの延長線上でないことだけは確かである。起きるのは、既存の企業の倒産と、それによる社会不安と犯罪増加。そして、
 IMFの管理下に置かれて、徹底的な合理化を一般家庭にも求められることになる。アメリカによる完全支配下になる可能性がある。
 この年齢になれば、何が起きても割り切ることが出来る。 3、6、9月、年末と、ギアが動く。 来年の今ごろ、どういう気持ちで、
 この文章を読んでいるのだろう。少し悲観的だったと思うか?現実の方が激しかったかと思うか? この一年は、後者だったが・・・
  ・・・・・・・
3588, 戦略ネット会議システム
2011年01月21日(金)
 先日、30数年来の友人が事務所に訪ねてきた。来社は年に三度位で、酒を飲むのは年に1〜2度。
節目ごとに変身していくから、会っていて面白い。地頭が良いというに相応しい人。先日の彼の話が久々の重厚の内容。
 ー 二時間の談話?を要約する ー (その人をk氏とする)
≪ K氏、最近、二週間に一度、上京、 あるコンサルタント会社の会合に出ている。
 メンバーは全国の異業種の人たち(5〜6名)で、現在直面している経営の戦略課題を全員で知恵を絞り出す。
 学生時代のゼミで一年間みっちり仕込まれたケース・スタディーに酷似している。K氏のそれは二日に渡って話しあうが、
 その後、家に帰った後に、時間を調整して互いにチャットをする。そして月二回の割で一同に会し、その内容を深めていく。
 そのメンバーの具体的な職種と、テーマの内容を聞いたが、戦略のコアそのもの。 全国レベル、いや世界レベル?で、
 それらが、異種業の視点の照射で、互いに刺激をしあうのだから、そこで戦略のスパークが起きてくるのは当然。≫
  ー 以上だが、会合が月に二回と、それ以外にも互いにチャットをするところが面白い。
 それぞれの自己が確立されてないと、マイナスにも働くことになるが、その辺は選ばれ者達、十分認識しているはず?
 現在、我々は時代の断層の狭間にある。今までの勝者は時代の波の中、どんどん敗者に振り落とされていく。
 その中で、戦略の練りこみ深さが生死を決める。 地方では地銀が、顧客に対するサービスとして、顧客の囲いみを含め、
 例会を開いてきた。それは地元企業の井戸内の知恵の範囲になる。グローバル化の時代は、逆にマイナスになることもある。
 このシステムは「戦略の深化」を本気で(ネットで)練る効果がある。電脳化で経営戦略の練りこみに活用する事例である。
  Aクラスの脳を集め、知恵を搾り出す中で、超Aの脳に互いに持ち上げていく効果は測りしれない! 
   カルチャーショックだが、面白い時代である。  このような時代に入ったのである。
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3223, メタ認知とは
 2010年01月21日(木)
 フリー百科事典『ウィキペディア』によると、
【 メタ認知とは、認知を認知すること。人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として
客観的に把握し認識すること。それをおこなう能力をメタ認知能力という。 現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して
認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力を言う。 自分の認知行動を正しく知る上で必要な心理的能力。
Knowledge Monitoring AbilityKnowing about knowing.(知っているということを知っている)、
Cognition about congnition.(認知していることを認知している)、
Understanding what I understand.(私は理解しているということを理解している)
現代において、メタ認知能力の育成は、教育、とくに学校教育において特定の教科教育を越えた重要な課題の一となっている。
 * メタ認知能力を測る9項目  ≪以下の質問に「はい」と答える数が多いほど、メタ認知能力が高いことになる。≫
・自分が用いる方法がどのような問題解決のときに、最も効果的なのかを知っている
・このようなやり方が有効か、十分考えてから課題に取り組む
・問題の中の重要な部分に意識的に注意を向けている
・自分がどの程度よく理解できているかについてうまく判断できる
・問題が解けたとき、自分がどういう方法を用いたかわかっている
・問題に取り組んでいるときに、うまくいっているかどうか、定期的に自分でチェックしている
・勉強するときは、その目的に合わせてやり方を変える
・勉強したり課題を行うときには、計画を立てる
・考えが混乱したときには、立ち止まり、もとに戻って考えてみる 】
 ー以上だが、メタ認知が出来るのは人間だけである。いつも目にはしたが、その意味を見逃してきた。