『王たちのセックス―王に愛された女たちの歴史』エレノア ハーマン(著)
   * ダイアナのセックス
 アマゾン内をネットサーフィンをしていたところ、ダイアナ・スキャンダル本に出会った。
むしろ、「王女に愛された男たち」の内容だが、これでは暗殺?されて当然。事実とすると、
どうみても淫乱。ボディガードから始まり、次々と男漁り励むと、ゴルフのタイガー同様、
性依存症疾患である。当人は、これほど面白いことはないだろう。 ーアマゾンのビューよりー
・ダイアナの情事で一番有名なのは、ダイアナの乗馬教師だったジェームズ・ヒューイット大尉。
 ヒューイット曰く、「ダイアナは性欲に飽くことがなかった。いつも、もっととせがんだ」
「ベッドで長い時間を過ごして帰った後、10分と経たずにダイアナから電話がかかってきて、愛してる
 と言って欲しいとせがまれた。こういう電話が日に10回もかかってきて、毎回同じことを言わされた」
・ヒューイットとの関係が始まった直後、ダイアナは銀行家のフィリップ・ダンとも交際していた。
 この交際は、チャールズ皇太子も半ば容認していた。
チャールズ皇太子と結婚した頃でさえ、チャールズは3週間に1回くらいしか、ダイアナと夜を共に
 しなかった。ダイアナがチャールズの浮気を責めたところ、「自分は愛妾のいない初めてにして
 唯一の皇太子になるつもりはない」と言われた。
・次男のハリー王子が生まれた後の1984年10月、ダイアナとチャールズは最後のベッドを共にした。
 しかし、この頃から、ダイアナは自分のボディガードのバリー・バナキー軍曹を愛人にしていた。
・バナキーは、不可思議なバイク事故で死亡した。ダイアナは諜報部に暗殺されたと信じていた。
・1986年、チャールズの弟アンドリュー王子の結婚式パーティーにダイアナが出席した際、
 ダイアナは銀行家のチャーリー・カーターと関係を持った。他のパーティー客の証言によれば、
 ダイアナとカーターは草の茂みに隠れて情事の最中だった。
・1989年夏、ダイアナは10代の頃に交際していたジェームズ・ギルビーと再会した。
 その後しばらくの間交際したが、ダイアナはギルビーとテレフォンセックスに興じてしまい、
 この時の音声は大衆紙Sunに盗聴・録音されて、後に公開されてしまった。
・チャールズと正式に別居した1992年、ダイアナはイスラム美術商オリヴァー・ホーと交際し始めた。
 この関係は1994年頃まで続き、この頃からダイアナは自分にボディガードを付けるのを止めた。
 これが後の事故死の遠因となってしまう。ホーの運転手によれば、ダイアナはホーに1日20回も
 電話することがあり、少ない日でも5〜6回電話してきた。あまり回数が多いので、ホーは最後には
 電話線を抜いてしまった。
・ダイアナはフィットネスクラブに通っていたが、それは体型維持のためではなく、男性を探しに
 行くためである。ダイアナは気に行った男性を見つけると、すぐに近寄って行って自己紹介し、
 いつお茶に誘ってくれるかを聞いていた。こうやって交際した男性は数しれない。
・ダイアナは有名なラグビー選手のウィル・カーリングとも交際していた。
・1996年、ダイアナとチャールズの離婚が成立した。この頃からダイアナはパキスタン人の
 心臓外科医のハスナット・カーンと交際を始めた。
・カーンと別れた数日後、ダイアナはドディ・アルファイドと出会って交際を始めた。
 アルファイドは毎月父親から10万ドルの小遣いを貰っていたが、浪費癖があり、クレジット
 カード会社からの催促がたびたび来た。アルファイドはダイアナと交際する一方で、モデルの
 ケリー・フィッシャーと交際して婚約もしていた。
・ダイアナがフランスで死亡した当日に電話でダイアナと話した親友曰く「ダイアナはアルファイド
 と別れたがっていたが、アルファイドはダイアナと絶対に結婚するつもりと言っていた」。
・ダイアナの個人秘書を8年間勤めたパトリック・ジョンソンは、ダイアナを執念深くて妄想症で
 陰険で冷血な性格だとしている。
▼ ダイアナが週刊誌を賑わせているころは、全く興味がなかったが、現在、読んでみると、
 むしろ自由奔放で、可愛げがあるような、ないような・・ 当の本人は面白く、スリリングな
日々だっただろう。先年、パリの事故現場をツアーのバスで通ったが、ガイドは、欧州で暗殺を
疑うものはないとか。彼女を通し、上流階級のセックススキャンダルの一端を垣間見たことになる。
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4654, 閑話小題 ー今年の総括
2013年12月13日(金)
   * 今年の総括
 今年も総括の時期になった。去年と一昨年は、平凡の日々?の中にも結構、色いろあったが、
今年は何も見あたらない。朝、4時〜4時半起床。ブログの下書きを仕上げてアップ、そして翌日分の
下書か、読書をする。6時から一時間のポタリング(12〜3月を除く)そして新聞とTVを見ながら朝食。
8時過ぎに風呂に入って、9時から読書。昼飯を食べて、1時前からスポーツセンターに1〜2時間。
図書館かスーパーか蔦屋などに寄り、4時からビデオかTVのドラマをみて夕食。21時前には、就寝。 
11月からは15時から週2〜3回の晴間をみたポタリングが加わったが、これも今週で終了。 
週に一回、スーパー、図書館、シネマに行き。月1回の飲み会。日々この繰返しだが、充実感がある。 
今年は、県外に同級会のため上京した以外は出ていない。御隠居生活に入って3年近く、気持ちも
落ちついた。事業生活45年間の分厚いバイアスも薄れ、思いの他、後悔や挫折感が少ないのが意外。 
落ち込みは、このブログを書き上げるストレスと、SJとポタリング、週一のシネマもあって少ない。
60歳までに、やりたい事、全てを消化した実感が気持ちの支えになっている。あと3ヶ月余りで御隠居
生活に入って3年になる。あと一年で古希。具体的な身辺の整理だが、身の回りのもの以外、何もない。 
   * 北朝鮮の不可解
 北朝鮮金正恩第1書記の叔父で実力者の張成沢国防副委員長の粛清が確認された。これで
正恩体制が強化されるか、逆に弱体化するか今のところ分からないが、暴走の可能性は高まった。
ドン様、能力の限界の設定が出来てないのでは? 中国から、金正恩の排除の働きが露見し粛清? 
それとも中国の引き締めで追い詰められ、その槍玉に上げられた? 目先は国内引き締めのため、
韓国との間に、いざこざを起こすか、軍事クーデターでアッサリいくか? あまりに劇的だが、
崩壊への一現象だけは間違いない。この時代かかった漫画的金王朝天皇王朝日本と何処が違う?
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4289, 学ぶということ −3
2012年12月13日(木)
                   「最終講義 生き延びるための六講」 内田樹
  * 教えたい人間が引き受けるべきリスク ー教育の原点
 教育だけでなく、事業も、忘年会の幹事も全てに通じる内容である。何かを引き受けたり、
事業を立ち上げたようと決心した瞬間から全うしようとする自己責任が起きる。これは誰の問題
でなく自分の問題。決心と実践の本質の問題になる。著者は教育者のため「教えたい人間」が
主語だが、実は「実践者としての人間」が、引き受けるリスクのテーマである。
  ー まずは、その辺を書き出して考えてみる。
≪ 教えるということは本質的には「おせっかい」だということが骨身にしみたのは、
 ある出来事のせいです。・・80年代の中ごろ道場を始めた。台風がきて、一時間くらい
薄暗い体育館の中でまっていたけど誰も来ない。そこの道場の中に座りこんで、来るか来ないか
わからならない門人が来るのを待っている。これは理不尽でないかな、と。「だいたい、
ただ同然のすごい安い月謝で教えているのにさ、ちゃんと来いよな」と思ったり、だんだん
気分が沈んできた。そのときに体育館の鉄の扉がガラガラと開いて、近くの中学生が顔を出した。
「あ、先生いたんだ。今日台風だから稽古ないのかと思った」「台風でもやるよ」。
それから二人で一時間くらい稽古をしました。そのとき、外で嵐が荒れ狂う暗い体育館で
腕組みしながら、誰も来ない畳の上に座って待っていたときに、僕は覚悟したんです。
人に教えるって、多分こういうことだろうって。誰も「教えてください」と言ってこないけれど、
こちらが「教えたい」と言って始めた以上、教える人間はこのリスクを引き受けなければ! 
そう思ったんです。誰かが扉をあけて来てくれるまで、待ってなければいけない。畳を敷いて、
準備体操をして、呼吸法もして、いつでも稽古できるように備えていなければならない。
それが「教えたい」と言った人間の責任の取り方じゃないか、と。そのとき、教育というのは
多分そういうものと思ったのです。27・8歳の頃でしたが、気持ちは今でも変わっていません。
それが僕のなかの起点的経験としてあるのです。≫ 
▼ 新潟で30年近く前に立ち上げた会が、今でも続いている。私は10年ほど前に抜けたが、先日、
参加してきた。私の経験からして幹事は大変のはず。これを立ち上げに際して、3年は続ける!
が、後は成り行き次第と決心をした。最初は我慢我慢の連続。「荒れ狂う、体育館で腕組み」
なんてものでない。その会を利用してやろうという気が全くないため、逆に欲が見えてくる。
それも土足で平気で上がりこんで来る。「私は来てやっている」というのが丸見え。
その我慢そのものが修養になったが、「自分が引き受けたからには、やるしかない」と続けたが・・ 
慣れると、その我慢も面白くなる。何も知らず参加している方々は、私は鼻持ちならない
傲慢な場所貸しの男でしかない。 そして30年、時代は大きく変わった。
 事業も同じ。これは己の魂の問題。生きんがため、そして自己実現のため、リスクを背負い、
心の奥底は半狂乱。それを隠し、ひたすら思いの実現のため手順を踏む。
起承転、の後に待っていた「結」は、経済大震災。40年前に事業を始めるにあたって、
全てを失っても後悔はしないと何度も心に誓ったので、後悔の念は無い。
リスクに、普通のリスクと震災型リスクがあったのだ。
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3914, 50冊の本をデジタル化してみて
2011年12月13日(火)
 iPad2を購入して4ヶ月になるが、これは良い。パソコンゲームは面白し、ネットサーフィンが
直ぐに出来、電子書籍を気楽に読め、アプリが豊富で面白いのが手軽に入手出来るなど、充分に満足
している。そうこうあって二ヶ月前に50冊の本をスキャン代行業者に送りデジタル化した。 
本を送った一週間後に封筒に一本のUSBが送ってきた。そこに全てが入力されていた。ところが、
これをiPadに如何したら移行したらよいか分からず二ヶ月以上経った。サポートセンターへ電話を
すれば済む問題だが、まだ本気になっていないだけのこと。 特に気に入っていた本を送ったため、
デジタル化の判断を間違えてしまったか、後悔しかけたが、数日前から気を取り直して居間と書斎に
あるiMacパソコン取り込み読んでみたが、これが案外に良い。 特に字を大きく出来るのがよい。
実際のところ目の前に本があっても、いざ開いて読むかというと、必要にせまられないとなかなか
開かない。ところが、パソコン画面のファイルに50冊を入れておき、気が向くとクリック一つで
気楽に本を開けるのが良い。 それも大文字にワンタッチで変換できる。
 先日、東京に行ったときに駅の売店で何気なく週刊誌を買ったが、家内に「何で、電子の週刊誌に
しないの?」と言われ、ハッとした。朝にネットでiPadに入れていけば良かったのだ。
しかし売店で選び車内でバラバラと見ること自体が良いのだが。実際に、紙の週刊誌と、
iPadの中の週刊誌のどちらを取るかというと、もちろん電子本。紙の週刊誌は、一度読むと二度と開く
ことはないが、電子書棚に放り込んでおけば開く機会が格段に多くなる。 ところで、送料を入れると
電子書籍化には200円かかるが、200冊で4万円が高いかどうかである。実際にiPadとデスクトップ
でダウンロードした書籍などを読んでみて実感したことは、数年で、間違いなく日本の出版業界と
書店は滅的打撃を受けるということ。 50冊のデジタル化は早まったか?の迷いはきれいに無くなった。
私にとって、これは読書のスタイルという面で大きな出来事になる。 年内に、あと50冊を電子化
するかどうか思案中である。それにしても、パソコンとiPadとiBookで書籍を読もうとは
思ってもいなかった。
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3549, 生きてるだけでなぜ悪い ? ー1
2010年12月13日(月)
 「生きてるだけでなぜ悪い?」―哲学者と精神科医がすすめる幸せの処方箋ー
                        中島 義道 , 香山 リカ (著)
 中島義道が、女心理学者に最後まで、遠慮をしているようで、歯切れは悪いが、それでも面白い。
二人とも大学を出て社会的にも金銭的にも恵まれている余裕からこそ、好きなように出来るが、
それがないと? 島国の世間的体質にドップリ漬かり、そこから一歩も出ることができない日本人に
冷笑をしているのである。地方に住んでいると全く開直りの出来ない人達に呆れるやら、腹がたつやら。
  ーまずは内容紹介よりー
 若い読者を対象に「生き難い」男女に語りかけてみました。しかし両著者とも、他に類を見ないような
「突き放した態度」や、「見もふたもない態度」で一貫。甘えを蹴飛ばし自己幻想を突き破り、しっかり
自分を見よ!と、「喝」を入れる。といって、「まじめに生きればいつか報われる」なんぞクソ食らえ。 
人生何事もやってみなければ分からない。「成功したければ動け! 失敗しても学ぶ事はある」といった
メッセージ  〜まずは< 第1章 結婚なんかしなくていい! >から〜
 家族至上主義を告発し、家族がないっていいね、といっても排斥されない健全な世の中がくればよい。
 ー中島義道の結論ー 現代日本は多様化していると言われながら、「勝ち組」と「負け組」という
言葉が横行しているように、ずいぶんはっきりした価値基準があります。結婚や家庭もその一つ。
結婚したくてもできない人は「負け組」に分類され、結婚できるのにしたくない人は「変人」に分類。 
そして「家庭」とか「家族」という言葉こそ、錦の御旗になっている。
「あなたにとって一番大切なものは何?」と聞かれて「家族」と答える人は、まともな人。
「金」や「会社」、まして「自分」と答える人は、「かわいそうな人」なのです。しかも、結婚して
家庭をつくることは、現代日本では「つつましい幸福」とみなされているからこそ、「善良な市民」
という名の、何の才能もないけれど身の丈に合った幸福を求めている国民大衆に大受けする。
こういう風潮を「家族至上主義」と呼んで私はずっと告発してきましたが、今や「家族ファシズム」と
呼んだほうがいいかもしれない。「家族っていいね」とごく自然に語る人と並んで、「家族がないって
いいね」とごく自然に語る人が排斥されない「健全な」世の中が早く来ないかなあ、と思います。
 ー香山リカの結論ー 結婚で得られる自信や安心は、本当の意味では自分を支えてくれない。
 〜〜
 時代の流れだろうが、結婚すること自体が難しい時代になってきた。
「結婚をして家庭を一度は作らないと、それを肯定も否定も出来ない。」というのは、
「家族至上主義」の侵されているためか。しかし、ベースであることは確か。
逆に「家族で群れてなぜ悪い?」という問いを立てると、そのプラス・マイナスが見えてくる。
「群れている分には良いが、独りになれないだろう」とか、逆に「‘人’と‘人間’の初めの
境い目が家族だろう」とか。
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3174,言葉はこころの杖
2009年12月13日(日)
 「片耳の話」ー秋山駿著 で、
「言葉は、人生を歩くための杖である。というより、こころの杖である、といった方がよい。
 若いときは、高く跳ぶための杖だが、老いれば、転ばぬための杖である」
「―汚い言葉は、汚い痰のようなものだー 私は教室で若者達に、このようなことを言っている。
もっと言葉にお洒落になってもらいたい、として、よくプルタルコス[饒舌について]の次の言葉を紹介。
《 すなわち、酒は本来楽しんで愉快になるために発見されたのに、むりやり何杯も、それも生のまま
 飲ませる連中がいて、こうなると酒は不愉快な泥酔のためのものになる。 まさにそれと同じように、
言葉は本来楽しく、かつ最もよく人間味を伝えるものなのに、それを悪用、また無造作に使う者がいて、
そうなると言葉は人情に反し、かつ人を孤立させるものになってしまう。》」と、
言葉の人生に対する影響を述べている。 それは、杖だけでなく刃物にもなってしまうこともある。
人生の終盤を迎え、そろそろ転ばぬように、自分を支える杖としなければならない。
「ありがとうございます」や「般若心教」は、こころの杖として、最上級のものだろう。仏教では
南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華教」という御経を杖として与えている。晩年は如何に良い言葉を
多く知っているかで決まってくる。そういえば学生時代、紙に書いて部屋の壁に貼っていた言葉がある。
  ロマンローランの「ベートーベンの生涯」の中の言葉「良くかつ高貴に行動する人間は、
それだけでも不幸に耐えることが出来る」「苦難の通りぬけて歓喜へ」である。 現在は何だろう? 
「如何にでもなる!」あたりか?
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2809, 閑話小題
2008年12月13日(土)
 閑話小題
 *米自動車救済法案、協議決裂 政府支援白紙だと!