* 面白い出会い 
 1967年の学生時代に、軽井沢・万平ホテルのレストランで、NHK・朝ドラ「マッサン」を見たことがある。
軽井沢友愛山荘のヘルパーをしていたある日の午後、車で5分ほどの万平ホテルにコーヒーを飲みにいったところ、
品の良さそうな老人が、秘書らしき人とコーヒーを飲んでいた。近くの席の人が小声で、「あの人が、ニッカの
創業者の竹鶴さんだよ」といっているのが聞こえてきた。二人とも黒のスーツにノーネクタイの白ワイシャツ姿。
品が良いが人を寄せ付けない空気が、その席に漂っていた。私の連れの話では、奥さんがイギリス人で、数年前に
亡くなったたという。当時も知名人だったようだ。まさか、47年後の朝ドラの主人公として、たち現れるとは、
思いもよらなかったが! 懐かしい思い出の一コマであった。調べてみると、奥さんリタは1961年に、マッサンは
1979年に亡くなっていた。生まれが1894年というから、当時の年齢は73歳。当時、かなりの年寄りに思えたのは、
私が若かったため? ところで、当時、親しくしていた友人を軽井沢に連れて行ったが、その後、軽井沢に
別荘を持ったという・・ その友人とは、卒業間際に大喧嘩をして、絶交状態? 人生、色いろある。 
所々にある大きな池と並木道を、山荘の宿泊客や、同僚のホステラーと、早朝、歩いた良い思い出がある。
学生時代には、将来の手がかりも何もかも無かったが、背中に羽があるかのように飛び回っていた。
   * 家内が、ある会の議事録の筆記を頼まれて
 毎日、文章を十数年来、書いてきたこともあり、文章を書くことに抵抗はないが、家内にとって、議事録を
まとめるのは初めての経験。必死の形相で四苦八苦。 以前もイタリアのポンペイで迷子になった時の御礼に、
機内で添乗員にメモ書きに添えて礼金を渡すことにしたが、その文章が書けないという。そこで、私が、家内に
かわって書いたことがあったが・・ また、『どうしたら良いか?』というから、『上手く書こうと思うな。
雛形を探し、とにかく、拙速に書き上げること。問題は、その後の、書直しを、何度かすること』と、答えた。
こういうのは、一気に書きあげるしかない。この程度の随想日記でも、前日まで書上げた内容を、60〜90分も
かけ添削をしている。 そう簡単に、気持ちの入った文章など出来ようはずがない。何事も、言えることだが。
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4609, 閑話小題 ー金からの自由
2013年10月29日(火)
   * 金からの自由と解放感!
 脳科学者・認知科学者の苫米地英人の『君は一万円札を破れるか』を図書館でみつけ借りてきた。
銀行に倒産させられた?バイオ企業の雄だった林原の専務の著書『破綻』と並列に読むにちょうど良い内容。 
脳科学者が、金融、特にお金の本質を書くと、こうなるのか、と読むと尚の事、面白い。後日、ここで取り上げるが、
 概要といえば、《お金は経済支配者の洗脳でしかなく、早めに呪縛を解いた方がよい》、と。森林(現実、経済社会)から、
サバンナ(隠居生活)に出てみると、森での思い込みの枠が明確に見えてくる。長年の間、恐れていた倒産に至って、
汚名をきて、曝し首になっても、「それが、どうした!」と開き直ってしまえば、何んてことはない。
 地方の中小の三分の一が、今日明日の資金繰りに追われ、残りの大部分が、一歩手前。まともは1〜2割もあるかなしか。
事業整理をした結果、今までの心労はゼロ。事業をやり直す気持ちなど、さらさらない。独り4時起床、ブログを書き上げ、
6時にポタリングに出て・・と、一日のプログラムを淡々とこなす日々。 お金が無くて、不自由をするかといえば、
皆無といえば嘘?になるが、ほぼなし。全て、やりつくした感があるため、別に今さら。 酒もビールも、味などかまわなく、
美味いと思えば美味いと感じるから不思議。 リッツカールトン・ホテルのレストランが、偽装のネタの料理を出していた云々? 
そんなもの、業界の連中からみれば日常茶飯事で、何を今さら。 食通とかいう人が、能書きたれていても、それが、いかに
下らないことか、料理人が一番良く知っている。 とれたての魚や、野菜を産地で食べるのが一番美味しいし、それ以上の味が
あろうはずはない! 一流シェフの料理が美味いなど錯覚。その錯覚も良いことは良いが・・ 目隠しをし、料理、酒の味見を
すれば分かること。平べったい顔の若い女性に、整形をし、プロが化粧をし、ブランドの衣装を着せれば、誰でも絶世?の美女。
それと同じで、料理の味も集団催眠の一種。 そういう変身番組を土曜日の9時過ぎにTVで毎週、お笑いで放映している。 
 お金も、同じ。 紙切れを、あたかも価値があるように洗脳し、現物を騙し取る。米国の基軸通貨のドルが、そうである。
更にバラまいたドルを米国債で回収すればよい。ネズミ講と同じで、国家が倒れない限りは大丈夫。 世界はバカばかり、
欺し証文(お金)と、大事な時間を対価にした労働や資産を、紙切れと平気で交換する。それで、何かが買えるからだ。
その証文の価値は、一部の連中が紙切れに印刷をし、価値があると洗脳しただけの、詐欺そのもの。
 それが、森林から出てみると、鮮明に浮かび上がって見えてくる。とはいえ「金から自由になるには、気にしないで済む、
何がしかの金が必要」という現実がある。地方では、年3百〜4百万の支出に耐えられる金額が目安。それさえ確保すれば? 
その生活に甘んじれば、金から自由になれる、それ以上は同じことになる。1千万以上の生活を20数年してきたが、充実感が
あったが、現在と大して変わりはしない。いや、金の呪縛から解放された分、現在の方が良い。
以前、「会社を良い状態で、息子に引き渡した状態をベターなら、整理をし曝し首の現在がベストという実感がある」と書いた、
それである。 それもこれも、それぞれの成り行き。どうでも、よいこと。 「饅頭嫌い!」の落語の話かも? が、オチ。
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4234, プレイボーイの人生相談 ー2
2012年10月29日(月)
  今東光の回答も面白いが、柴田錬三郎の回答も単調直入に切って捨てるところが面白い。
   * 愛の本質とは?
● わたしは、18歳の女子学生です。愛の本質について悩んでいます。今まで3〜4人、肉体関係のあった人がいますが、
 わたしの求める愛ではありませんでした。いまも一人の男性と、月に二〜三回あっているのてすが、彼と分かれたあとの
 何ともいえない むなしさはいったい、なんなのしょうか? ー愛の本貿とは何んでしょうかー
◎ チンビう同志が裸体をくつつけ合つて愛の本質など判りはせん。魂というものについて、まず考えなくてはならないのだ。
 君には、それを考える能力がないらしい。一八歳にしかならないのに、もう数人の関係を持つとは、驚くべきズベ公ぶりだ。
 行為そのものが、どうせ、二〜三分の動物的なエンヤコラに相違ない。 だからキミは、セックスさえも知らないのだ。
 まず、阿保らしいセックスを中止して、愛するということは何かを知るために、名作といわれる古今東西の恋愛小説を読みたまえ。
 魂の美しさ、苦しさ、清らかさ、そして浄化を知るがよい。
   * 惚れて、許して、妊娠し…
● 私は十八歳の女子学生です。今、市内のある喫茶店でアルバイトをしています。店のバーテンをどうしようもないほど好きに
 なってしまいました。相手も私を思っているようなんです。でもその人は結婚しているらしいのです。人の話を聞いたのだから
 ハッキリわからないんだけれど、聞く勇気もありません。でも時々、彼にがらかわれているようにも思えるのです。
  相手は遊びのつもりなのでしようか。
◎ 嬉れて、からだを許して、一度ぐらい妊娠して人工中絶して、やがて、すてられて、なかばヤケになって、新宿あたりの酒場の
 ホステスになって、だんだん美しくなって、野心を起して、酒場のマダムになる野心を起して、いろいろの男から、金をひき出して、
 ついにその無理がたたって、ダマした男に殺されて、バラバラにされるかね。
  ▼ いずれの世の中も、悩みは同じ。悩み、悶え苦しんで、その格闘の中から、人生は生まれてくる。いずれにしても、
   人生は真正面からぶつかるしかない。とはいえ綺麗過ぎる人生も、つまらないが、汚いのも考えもの。「小汚い人生を
   小奇麗にして生きることこそ、避けるべき??」か。それとも、そんなことを一切、無視すべきか。 どちらにしても同じ。
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3869, 地球の中心点からの声 
2011年10月29日(土)
   * 瞑想のヒント?
 二年前から、早朝のウォーキングをポタリング(ミニ・サイクリング)に切り替えたが、それ以前は、25年以上近くの土手を
歩いていた。1万から1万5千歩を目標にしていたこともあって、週末には2時間以上歩いてい時期もあった。しかし1時間も
歩き続けると腰が痛くなり、屈伸をしたり、何度かシャガミこむ。その内に、そこで深呼吸をするようになっていた。
屈伸は10回ぐらい繰り返すと不思議と腰痛が引く。ある時に思いついたのが、しゃがんだ時に地球の中心点まで気持ちを落としみ、
そこからエネルギーを汲みあげ、逆に立ち上がったときには、天に向けてエネルギーが宇宙の彼方に向かうイメージである。 
呼吸法などの本から租借した呼吸法ということになる。その時に、何時の間にか擬人化した声と対話するようになっていた。 
しかし最近になってウォーキングからポタリングに切り替えたため、殆ど、その呼吸法をすることはなかった。ところが、昨日の朝、
ポタリングの途中、信濃川の大手大橋の上を引きチャリをし歩いていると、地球の中心点が頭に浮かんできて、呼びかけてきた。
《 ワシ(中心点)をリアルにイメージしろ。そして、ワシと繋がったと思え。この一点の声を聞こえる奴は少ない。何時でもよい。
 目を瞑り、そのイメージを持つのだ。 それで地球の中心に己を置くことができ、そのエネルギーを得ることが可能になる。
まずは、ここを歩いたときは必ず、この瞑想をしろ! 》と。 本当の話である。 地球の大元に繋がる?イメージは面白い!
もしかして頭が変になってきたか。元もと変だから、何だろう。 内なる声なのか、はたまた妄想か。ただ、純粋にイメージを持てば、
これは内なるエネルギーの大元に繋がることになる?。 外に向かっていたエネルギーが内向きになった結果か、それとも鬱から躁への
切り替え時のイメージか、これは。 呼吸をしてくれという身体の叫びが正体か。 深呼吸は意識的にしていたが、まだ足りないようだ。
 毒が溜まる状況下、エネルギーが枯渇ぎみ、ということ。 深呼吸が精神の大元そのもの。 中村天風の教えと同じである。 
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3504, 10−10−10 ー�
2010年10月29日(金)
   「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」   スージーウェルチ (著)
 ここで多くの事例をあげて、3つのスパンで考える方法を教えている。そこで自分の日常の小さな判断の経過をあげてみる。
▼(例)=今月は、どういう訳か飲む機会がなかった。そのためか帰りの新幹線車中で「さて今月は、外で飲んでいない。
酒の肴でも買って家に帰ろうか? 殿町にでも飲みに行こうか?」と誘惑の気持ちが出てきた、とする。
 そこで、この3つのスパンで考える。≪ 店での二時間はストレス解消になる(短期)、しかし酔った勢いで下手をすると
数軒まわる可能性があり、明朝は後悔する(中期)、それも一週間後には全て忘れている(長期?)。
飲みに行けば明朝のウォーキングかサイクリングは中止になり、せっかくのゴールデンタイムが、二日酔いで帳消し。
さて、どうするか。朝か、夜か? 一週間後には全く記憶の彼方なら、帰るか ≫になる。
これは数ヶ月に一度はある。以前は三度に一度は誰かに電話をしたが、今は歳のせいか、ほぼ帰る。
要は考えるという間で、衝動を抑えることができる。 事例としては、人生とは違う内容だから相応しくないか。
 しかし、この本、久しぶりに頭がスカッとさせられた本である。 再度、おさらいをすると、
【 紙とエンピツで、目の前の悩みや葛藤を自問形として書いてみる。<わたしは○○をすべきかどうか?>つまり、
人生の様々な節目に現われてくる問題をまず自分に問いかけてみる。大切なのは、その決断を下したら10分後、10ヶ月後、
10年後(別に10の数字にこだわらなくともよい。一週間、半年、数年後でもよい)の結果を予測することだ。
予測は、ただの想像とは違う。目下の問題の充分の情報を集め、分析し、客観的に見つめなおし初めて予測可能になる。
その過程で、「自分の本心」と「価値観」が浮き彫りになり、裸の自分と向き合うことになる。
そこで、さらに「よりよい決断」をしたかどうかを、その過程で知ることになる。もし、そうでなかったら、そこで修正する。
人間は誰も節目で同じように考えるのだろうが、これを習慣化すれば、より深く考えることが容易になり、判断と決断が早まる。
現在の恐慌?も、「100年、250年、500年に一度のスパン」で捉えたり、「500年、1万年、20万年に一度のスパン」で
捉えたりすることもできる。この視点で過去を振りかえると、自分を見つめ直すきっかけになる。 
・・・・・・・
3129,電気自動車の時代
 2009年10月29日(木)
先日、NHKスペシャル「電気自動車革命」を放送していた。以前にも「電気自動車が、これからの主流になる」
という内容の特集を組んでいたが、地球温暖化防止のための‘脱ガソリン’として、世界中が電気自動車へ
向けてギアが変わってきたようだ。GMが先駆けて脱ガソリン車の開発・完成をした時にあらゆる妨害が入った。
それを「誰が電気自動車を殺したのか」というテーマのドキュメントも放送していた。
石油業界にとって脱ガソリンは大打撃になる。が、温暖化を考えたら、そうはいってはいられない。
 ーNHK・HPのこの番組紹介からー
《 自動車革命 第2回 スモール・ハンドレッド 新たな挑戦者たち 》
シリーズ2回目は、世界各地で同時多発的に勃興する電気自動車メーカーの動きと、電気自動車に社運をかける日本メーカー
日産の最前線の動きに密着する。中国の農村部で「電気自動車ブーム」が起きている。町工場が雨後のタケノコのように生まれ、
今まで自動車と縁のなかった層が新たな市場として活気づいている。 新興メーカー中には、ヨーロッパに進出するなど、
自動車メーカーと市場争いを繰り広げるところも出てきた。一方アメリカでは「グリーンニューディール」を推進する
オバマ政権のもと、グーグルなどシリコンバレーのIT企業を中心に「21世紀の産業革命」を起こし、世界のイニシアティブを
握ろうという動きが進んでいる。これに対し、世界の自動車メーカーで初めて本格的な電気自動車の量産化を打ち出した日産は、
ガソリン車の購買層をターゲットに市場の開拓を推し進めている。 市民の意識改革の難しさ、充電インフラ整備など様々な
課題をかかえながら、新時代を切り開こうとしている。
 ーー
 違う時代に紛れ込んでしまったような錯覚を受けてしまった内容だった。
  ー印象に残った部分を列記してみると、。 
  (字数制限のためカット 2011年10月29日)
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2764 ,ウォール街の魔女
 2008年10月29日(水)
  【産経抄】の10月25日のコラムが強烈である!
  関西で「がめついヤツ」とかいう三益愛子が主演していた演劇があったが、
 そのウォール街版である。 ここまで徹すれば、これまた御立派である。
  ーまずは、そのコピーから
 1世紀ばかり前の米国に「ウォール街の魔女」と呼ばれる女性がいた。へティ・グリーンという。
 父親の遺産をもとに株や債券、不動産に投資を続け、1916年に81歳で亡くなったとき、
 当時の金で1億ドルの財産を残した。 今のレートで100億円近い。
 ▼作家、ジェイ・ナッシュの『世界変人型録』という本によれば、彼女は金銭に関する第六感のようなものを持っていた。
  銀行の破綻(はたん)や金融恐慌を巧みにかぎとりながら、稼ぎまくった。
  さらに、大富豪にしては「常軌を逸した締まり屋」でもあったという。
 ▼20年間、同じ服を着てウォール街を歩き回り、決して車には乗らなかった。食事は安いレストランですまし、
  安下宿を転々とし週5ドル以上の家賃は払わなかった。読んだ新聞は息子に売りにいかせ、その息子がケガをしたときは、
  治療代をケチり片足を切断させられた。  (字数制限のためカット 2010年10月29日)
 ・・・・・・・・・
2007年10月29日(月)
2400, こころの旅 ー4         (* ̄0 ̄)ノ 才八∃一 gozaimasu!
*まわり道*
  神谷八重子の「こころの旅」ー第六章の中に青年期の「まわり道」について書いてあった。同じようなことが、
  立花隆の文章にあった。「青年期の10年は潜伏期間、そこで何を蓄積するかで人生が決まってくる」と。 
  誰もが直線的な人生より、まわり道をする。 が、問題はその道で如何に自分を培養するかである。
  行ったきりの人生もあるが・・・ 精神喪失(精神病)や自殺は、その極端な例。
  一つや二つは、迷路の迷い込み七転八倒した経験は人知れず持つのが人生。お伽噺や神話は、その理想の物語として
  我々に提示される。まわり道こそ、物語なのである。その時は辛く、激しく、情けなく、悲しいが、真実と夢があった! 
  逆にまわり道のない人生はそこに何の味わいがないだろう。 中学校の担任が定年の祝いの同級会の二次会で、
 「オレの人生はなかった!両親が先生で、今も90歳近いのに矍鑠としている。そして二人のコントロール下にある」
  という言葉が重く聞こえた。   
   ーp.121ー
  ・・・しかし人生はまだ長い。これですべてが決定されてしまったわけではない。 「運命」と当面のしごとが要求することを
 忠実にはたしているうちに、意外にもそこから本来の道へ行く糸口があらわれてくることもある。あるいはまったく思いがけない人が
 みていて、本道へとつれ出してくれることもある。けなげに目前の仕事に励んでいる者は長い間、見捨てられているわけではない。
 いずれにせよ、青年期にまわり道をすることは一生のこころの旅の内容にとって必ずしも損失ではなく、たとえもし青年期を病の中で
 すごしたとしても、それが後半生で充分生かされることが少なくない。人間は「ただではころばない」という芸当もできるのである。 
 落伍者のようにみえた青年の中から、のちにどれだけ個性豊かな人生を送る人がうまれたことであろう。それは彼のこころの道中で、
 順調に行った人よりも多くの風景にせっし、多くの思いに心が肥沃にされ、深くたがやされたためであろう。 そのためにやっと
 「わが道」にたどりついたとき、すらすらと一直線でそこに来た人よりも独特なふくらみを持った、人のこころにせまる仕事を
 することができるだろう。・・・」
  ーー
 人生60年余生きてきて、無駄なことは無かった!と実感する。 それも順境の時より、逆境の時の方が有益だった。
 「順境は枝を張れ、逆境は(枝葉を切って)根を張れ」というが。佐藤優の文章が心を打つのは、
 決して奇麗事を書いているからではない、留置所の中で差し入れられた本を読み、考え、言葉を練りまわしていたからである。   
 そこを「勉強の場」として、割り切ったからである。 まわり道の中でこそ、個性ができるのである。  honnja ヾ(・ω・`)ノバイ