* 齢は68になって
 何度も何度も書いているが、ふと気づくと、あと三ヶ月で古希である。まさか自分がである。
周りを見渡すと、誰も彼もが年下に見えてくる。4人に3人以上が年下なら、こんなものだろう。
中、高、大学の男たちの4人に1人の割りで亡くなっている。 私も父が亡くなった歳まで、あと二年。
私が20代半ばで、父親が老いていくのが悲しかったことを憶えている。あと、せいぜい7〜8年だろうが、
やはり身体の衰えは隠せない反面、世界への関心は、ますます強くなっている。 このところ歩いていて、
20分もすると、腰が痛くて据わりたくなる始末。 何事も面倒になるし、頭の切替えが以前ほどきかない。
 人生の多くを、し尽した感があるので、さほど、老いに対してマイナスの気持ちは少ない。その時々に、
やるべきことをしてきた実感があるからだ。人生のトータルとして、面白かったし、楽しかった。
嫌のこと一つに、良いこと三つの割合である。そう割り切ると、老いもまた乗り越えていける。
 まあ、何事にも興味を持って、感動と感激と感謝の出来る心の新鮮さを失わないようにしたいもの。
   * インコのピーコ
 我家のペットは、30数年来、インコである。私はペット好きだが、家内が生きものが大嫌い。
そこで、何とか小型の小桜インコに妥協して飼ってきた。 大体が2〜3年で亡くなったり死んだりした
6代目の後、5年前に中型のコガネ・メキシコインコに切替たが、風邪と下痢で一年余りで死んでしまった。
これが、鳥というより犬に近い感覚で、人に懐いて、その利口さに驚かされた。小桜インコとは格段上に、
人の気持ちを読み取り、言葉を理解でき、クシャミや、鼻水を出し、頭を撫ぜてもらうのが大好き。
しかし、熱暑の最中に、下痢をおこして、衰弱をして亡くなってしまった。そして、現在の、オオム科
最小の大きさの「マメ・ルリハインコ」。コガネインコに比べ、反応は低いが人恋しいため、ベランダの
サッシ越しに常に呼びかけてくる。席を立とうとすると、鳴いて振り返させ、枝を回転して、「行くな」
と自己表現をする。多いときは、50数回も回転する。 必死の呼びかけの「美味しそうな?鳴き声」に、
近くのカラスや、スズメ、渡り鳥などの野鳥が反応し、庭や、ベランダに集まって来ている。
夕暮れ頃に、野鳥が一匹、必ず挨拶に来ているが、そろそろ渡りの時期である。

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4594, そして、人生はつづく ー5
2013年10月14日(月)
   * 生き直すために ー2        ー朝日新聞の「耕論」『生き直すために』小田嶋隆
  ー 前回の『生き直すために』の続きから        
《 ・・生き直すといっても「やめる」こと以外に何もしていない。サッカー観戦、自転車、イグアナも、
時間を潰すため。酒をやめることで仕事は上手くいくようになったが、それは結果であって、目標ではない。 
AAで、最初に「私は、自分では何もできない人間であることを認めます」と言わされる。これは一理あった。
自分で人生を立て直せる」と思い込んでいると、依存症から逃れられない。 ・・「自分で自分を律する」
というのは大きな勘違いで、その意識がある限り、人生のやり直しはできない。就職のやり直しにしても、
結局は運です。「夢に向かって努力する」では、こだわりでがんじがらめになるだけ。
自分がどの仕事に向いているかは、実際にやってみないと分からない。人生を途中からやり直そうとするなら、
何かを捨てること。捨てた結果、その空白に強制的に何かが入ってくる。その何かが良いか悪いかは別ですが。
会社を辞めたことも、酒と一緒にそれまでの生活を捨てたことで多くを失いましたが、その代わりに膨大な
時間を手に入れたものも明らかにある。あそこでやめてなかったら、今のような人生を歩んでなかった。
どちらが良い人生かわかりませんが。 30歳を過ぎた人間が、自己を改革するなんて不可能。ただ、何かを
やめることはできる。人生をやり直すには、何かを「目指す」のではなく、「やめる」ことからです。》
▼ 私が嵌ってしまった異境・秘境のツアー参加者に、多く見かけられるのが、ガンなどで余命が見えて、
 その克服や人生を改めて見つめ直すために来ている人が多い。晩年になれば、今さら生き直すことは
出来ないが、考えるために、極限の秘境ツアーは悪くない。被災地視察という名の「ダークツアー」に似ている。
「やめ時」を悟ったら、あとは「前向きに目をつぶって倒れこむ」しかない。そうすれば、自動的に現象は
生き直しになってしまう。これも一期一会。捨て身でやれば「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」になる。
といって、覚悟が必要で、そのための周到な準備が必要。最期は、「そして、人生は終わり」!「プツン!」。
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4219, 神は妄想である ー2
2012年10月14日(日)
   * 有神論と理神論と汎神論         ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著
 理神論という言葉を、この本で初めて知った。「神を信じますか?」と、問われた時に、口を濁す代わりに、
この理論を、答えればよい。私は汎神論に近く日本人的考え方だったが、理神論を加えることにする。 ただ、
「今ここにある自分の存在」が不思議でたまらない。「類人猿が宇宙の存在と原理を意識して、そこに自然原理を
見出し擬人化した『神』をイメージした」と一言でかたずけられない。神という言葉の解釈がいくらでも
可能だからだ。 ーその辺りを部分を抜粋してみるー
 ≪ 用語法について念を押しておこう。有神論者は、そもそもこの宇宙を創するという主要な仕事に加えて、
 自分の最初の創造物のその後の運命をいまだに監視し、影響を及ほしているような超自然的知性の存在を
信じている。多くの有神論的な信仰体系においては、神は人間界の事柄に密接に関わっている。神は祈りに答える。
罪を赦し、あるいは罰する。奇跡をおこなうことで世界に干渉する。善行と悪行に思い悩み、私たちがいつそれを
行うかを知っている。理神論者も超自然的な知性を信じているが、その活動はそもそも最初に宇宙を支配する
法則を設定することに限定される。理神論の神はそれ以後のことに一切干渉せず、人間界の事柄に特別な関心を
もっていないのも確かだ。汎神論者は、超自然的な神をまったく信じないが、神という単語を超自然的なものでは
ない〈自然〉、あるいは宇宙、あるいは宇宙の仕組みを支配する法則性の同義語として使う。
理神論者は、彼らの神が祈りに応えず、罪や餓悔に関心をもたず、私たちの考えを読みとったりせず、気まぐれな
奇跡によって干渉したりしないという点で有神論者と異なる。理神論者は、彼らの神が、汎神論者の神のように
宇宙の法則の比喩的あるいは詩的な同義語ではなく、ある種の宇宙的な知性である点で汎神論者と異なる。
汎神論は潤色された無神論であり、理神論は薄めた有神論なのである。「神は老獪なれど、悪意はない」や
神はサイコロを振らない」や「宇宙を創造するとき神に選択肢があったのか」といった有名なアインシュタイン
語録は、どう考えても、理神論的ではなく汎神論であり、まちがっても有神論ではない。
神はサイコロを振らない」は「すべての事柄の核心に蓋然性が横たわっているわけではない」と翻訳されるべき。
「宇宙を創造するときに神に選択肢があったのか?」は「宇宙はいまある形以外のやり方で始まることができた
だろうか?」という意味である。アインシュタインは「神」を純粋に比喩的、詩的な意味で使っていたのである。≫
▼読み込めば読み込むほど、こんなシビアな無神論の明快さに驚いてしまう。日本人からみれば、何を今さらだが。 
「神がいるかどうかでない、存在しなくてはならないのだ!」という言葉があるが、その人には神は存在すればよい。
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3854, 50歳代が勝負時? 
2011年10月14日(金)
 何度か取り上げているが、51歳時、痴呆症だった88歳の母を見送り、「さて、これから如何しようか?」
と考えた時に、曽野綾子の「人生の良いところは60歳まで」という言葉に出会った。そうすると9年しかない。 
そこで考えついたのが、「残りの人生を、50歳代の9年間の中に押し込んで生きる」ことであった。 
想定を70歳か75歳の寿命として、3〜5倍に圧縮して生きることである。 そのためには捨て身で、
やりたいことをする。そこで、思いついたのが秘境・異郷ツアー。行きたいところをピックアップし、
何はともあれ行くことにした。 年に4回も行った年もあった。 更に10年前の55歳の時に、個人HPを
作って、それを公開し思いのままを書き出すことにした。丁度ブログが普及する直前。この随想日記の始まりである。
これを書き始めた5ヶ月後に9・11テロが起き、世界の情勢が一変してしまった。毎年10パーセントの売上減が
3年続いた。そして4年目に入って中越地震が起き、逆に売り上げを二年間下支えをしてくれた。
しかし3割の売上減は長期借り入れの返済原資を三分の一にしてしまった。それも血の滲むような合理化の上である。
その中で、やりたいことを実行したから、大変といえば大変。その結果60歳辺りから心に大きな余裕が出てきていた。
「何だろう、これは?」という感覚である。 人生の元を取った実感は、心に大きな安心感を持たせてくれる。 
その余裕が三年前のリーマンショック以来、毎年20数パーセントの売上げ減の中でも、そして今回の事態でも、
何とか精神のバランスを保させてくれている。準備15年の立ちあげ、30年間の事業、合計45年の結果が、
この結果としても、精神のバランスを何とか保っているのは、50歳代の9年間で、人生のページの余白を埋めた為。
 事業も、趣味も、自分の範囲の余白を埋めてしまうと、他人との比較も、自分が達成できなかった夢も、余裕を
持って諦められる。それから考えると一年一年、自分の経験の範囲での余白を、捨て身で埋めることが残された
人生の課題ということが分かる。70歳まで、四年少ししか残されてない。不摂生だったこともあり人生の余白も
残されてない。60歳前半は、リーマンショックでエネルギーを奪われ、そうこうしている内に、事業閉鎖に
なってしまった。 その埋め合わせと、人生の始末は何かを考え抜いて、捨て身で後片付けをする時節ということ。
しかし世界の情勢は、この5年間は大荒れになるのは必定。60歳代は、世界の激変の真っ只中、それへの
適応時期になる。 時速数千キロで回転している地球上に我々は住んでいるが、周囲も同時に回っているため、
それを自覚できない。時流も激しく変化しているが、見ても見えずが、我々。人間は現象との情死?しかないのか。
 自然と、芸術とに触れ、感動することが、現象との情死から少しは守ってくれる。 
さて、信濃川ポタリングに出るか。
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3489、金は暴落する! 2011年の衝撃    
2010年10月14日(木)
             「金は暴落する!2011年の衝撃」ー鬼塚 英昭 著
 先日、ここで取りあげた「ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」鬼塚 英昭
の最近の著書である。要は、ロスチャイルドが中国と組んで新しい世界マネー覇権を共有するために、金を値上
がりさせ、2011年か2012年の早い時期に金バブルを崩壊させて、下がりきった金を買い漁るという。
そのため金は世界恐慌に対して一番有利な投資と信じ込ませてきた。わずか3年前の2007年に一トロイオンス
700ドルだった金価格が現在1300ドルを超えている。わずか3年で二倍近い値段である。
これを著者はロスチャイルドと金融エリート集団によって仕組まれた説を立てている。 来年から再来年に
金価格の暴落をはかり、逆張りで利益を稼いだ上に、下がりきったところで金を買い漁るという。1985年の
プラザ合意で日本は国内需要の喚起のためと、大幅な金融緩和をアメリカに強要された。そしてバブルの発生と、
崩壊で「日本は失われた20年」といわれる大打撃を被った。バブル崩壊後に狙い通りにユダヤ資本が日本の株と
優良な土地を買い漁ったことは言うまでもない。 やはりソ連崩壊後、ロシアでも似たようなことをした。
そして次は、アメリカの住宅バブル。バブル化した住宅債権を束ねて世界中にばら蒔いてしまったから始末が悪い。 
著者は、これもユダヤ資本の要のロスチャイルドが仕組んだ罠という。ロスチャイルドは、今度は中国に目をつけ、
供に新通貨システムを作ろうとしている。そのため現在、金のバブルを発生させ、次にバブル崩壊を狙っている。
それが、来年から再来年にかけて発生し、下がりきったところで、金を買い漁る目論見とみる。 そのため、
金の上場投信(=金ETF)の市場をつくりあげた。それが金バブルの崩壊を容易にさせる手立てになる。 
大雑把の要約すると以上だが、ウソか本当か、信じられない内容が面白、おかしく書いてある。 ー つづく
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3114, つれづれに ー閑話小題 
2009年10月14日(水)
   * 低反発マクラ
 最近、ニトリに行くと低反発マクラとマットレスが山積みになって多く並んでいる。 売れ筋なのだろう。
(次数制限のためカット 2012年10月14日)
   * 最近の万歩計
20数年前から早朝ウォーキングを始めたが、15年前辺りから万歩計を腰につけて
年間1万5千歩を数年の間歩いていた。(次数制限のためカット 2011年10月14日)
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2749, ソロスは警告する −2
 2008年10月14日(火)
 「ソロスは警告する」 ジョージ・ソロス著  講談社   ー読書日記ー
アメリカ経済の終わりの始まり』などの著者の松藤民輔の解説の中の次の文章が、
欧米のエリートの意識感覚を言い表している。これがアメリカのエリートだけでなく、日本の官僚や、
エリートの偽らざる意識である。 所詮そんな意識とて、猿回しの芸を仕込まれたエテコウが一方的に
大衆をブタと決め付けているだけのこと。そのエテコウの舞い上がった演技で最悪の犯罪を犯したのが、
このサブプライム問題。 しかし彼らから学ぶことは「哲学と歴史を学び続けること」である。
歴史と哲学は最も重要な基本的な教養であるからだ。といって所詮あんなものかと、冷笑して学ばなければ、
ブタと言われた時に認めざるを得なくなってしまう。
 まあ、面白いから、一度は知っておくべき彼らの意識構造である。 世の中は差別で出来ているのです、
 ー松藤民輔(解説文)よりー
 (次数制限のためカット 2011年10月14日)
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2007年10月14日(日)
 2385, 私の嫌いな10の人びと −3
「私の嫌いな10の人びと」 中島 義道 (著)  ー読書日記
2章の「常に感謝の気持を忘れない人」が中島らしく面白い。少し歯切れは悪いが、それでもただ無闇に感謝する
日本人の感覚に疑問を持つのも、ご尤もである。感謝を売りにして一財産をなした小林正観という人もいる。
この人の本を何冊も何度も読んだが、一度ひいてみれば、所詮「感謝という言葉を売りにして、一財産を築いた男」
でしかない。英語で、まず憶えるのはイエス、ノーの次にサンキューであるから、大事なのだろう。
営業の場合、この人の本を読んで心から感謝をする訓練をすれば、営業ギアは一桁は間違いなく上がるだろう。
 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日)
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2006年10月14日(土)
 2020, 13日の金曜日恐怖症               
    (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
昨日は「13日の金曜日」であった。日本では、あまり騒がれないが、西欧社会では
13日の金曜日恐怖症」がある位、この重なりの日は自重をしている人が多いようだ。
(以下、字数制限の関係上、カット13年10月14日)
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2005年10月14日(金)
 1655, 北イタリア旅行記−6
 イタリア三大巨匠 ーダ・ヴィンチミケランジェロ、そしてラッファエロー
このイタリア旅行まではフィレンツェの「ウッフィッツェ美術館」の存在を知らなかった。
この美術館にはイタリア美術史に燦然と輝く名画が勢揃いしてあり、馴染みのある絵画を次々とみることができた。
 ・ボッティチェッリの「春」「ヴィーナスの誕生」         ・ミケランジェロの「聖家族」
 ・レオナルド・ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」「受胎告知」  ・ラッファエロの「ヒワの聖母」
 ・フィリッポ・リッピの「聖母子と二天使」 などなどである。
特に印象的だったのが、ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」である。この絵は下書きの未完のものだが、
モナリザ」「最後の晩餐」に匹敵するもである。また、ボッティチェッリの「春」と「ヴィーナスの誕生」が素晴らしい。
「春」を壁紙のHPよりコピーして一ヶ月位パソコンの背景画にしていたので身近な感覚で観ることができた。
地元の女性ガイドが絵画の説明の中で、同時代に生きたダ・ヴィンチミケランジェロ、そしてラッファエローの
三人の関係を解りやすく説明してくれた。特に、ダ・ヴィンチミケランジェロの人間臭い対立のエピソードが面白い。
それぞれの絵画の中の意味を知れば知るほど、その奥行きの深さが伝わってくる。
きしくも、三巨匠にボッテェチェリーなどが同時代にいたことが不思議である。
「旅は肯定である!」と、何かの旅についての随想にあった。ー旅は、肯定するためにある。ときにおこなう否定もまた、
肯定の一種なのだ。人間は、存在そのものが「!」であり、肯定なのだ。−
全くそのとおりであり、人生にも通じることである。如何なる場合でも人生は前向きにあらねばならない。
憎むためでなく、愛するためにある。苦しむためにあるのではない、楽しむためにある。
疲れたら、休めばよい。 急ぐことはない。 旅行は、そのことに気をつかせてくれる。    ーつづく
・・・・・・・
2004年10月14日(木)
 1290, ダイエーが再生機構活用!
一昨夜、自宅の近くにあるダイエーの紳士売り場と、靴売り場を見て驚いた。売り場に商品が、あまりに少ない。
 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日)
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2003年10月14日(火)
 923, アイスランド旅行記ー3
 ーオーロラハントー
 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。その時は「何だこんなものか」
という程度で、期待とは全く違うものであった。薄い雲がスジ状に光っているだけであった。
だだ行きの飛行機から見たオーロラがカーテン状に広く光っていたが。今回も5日間で一日しか見えるチャンスが無かった。
夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができないのだ。
そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。天空に展開した時の感激は、想像をしていたより
遙かに神秘的かつ荘厳であった。写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。
これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上の両側に
壁になり揺らぐ青白光の波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。あとは「・・・」である。 
取材できていた共同通信社のカメラマンが、「このオーロラをどう東京の友人に説明したらよいか解らない」と
私に話しかけてきた。「これは実際、この目で見るしか理解はできないでしょうね」と答えるしかなかった。
その時、涙が出そうになっていた。以前ツアー仲間から、この体験談を聞いたことが何回もあったが。
「もういつ死んでもよいと思った!」「聞くと見ると大違い、実際見なくては!言葉で表現できない」
それを聞いて、「ちょっとオーバーではないか?」としか思ってなかった。しかし、この言葉の意味が実際見て
初めて解った気がした。 あと一度見たら、アフリカの大地のように完全にハマってしまうだろう!
 ・・・・・・・
549,「宣戦布告」
2002年10月14日(月)
 先日、映画の「宣戦布告」を見てきた。 北朝鮮拉致事件の帰国も迫っていることもあり、
迫力と現実味のある面白い内容だった。「日本海沿岸の海に,一隻の国籍不明の潜水艦が海岸近くで座礁した。
   (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日)
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[186] 野村と円楽  
2001/10/14
 10年前の話になるが、新潟の大蔵ホテルで野村と円楽の講演会があった。
メインが円楽で前座が野村であった。もちろん私も円楽がまず面白そうで、野村も面白いのではと期待していった。
まず野村が出てきた、そして黙って会場を見渡し、ニヤッと笑い、「大部分は女性ですね、私の話なぞ如何でもよい
と思っているんしょう。円楽の刺身のツマぐらいと思ってるのでしょう」実際そうでだったから、ザワツイテイタ会場は
シーンとなってしまった。その瞬間に野村のペースに聞き手をのせてしまった。
 ー要点はー
・自分は投手の練習用のキャチャー「壁」として採用され
・数年後解雇を言い渡された・丁度その時父親が癌になっていた
・直接上司と掛け合い絶対に辞めないと粘りかろうじて首を免れた
・そのぎりぎりのところでどうしたら一流になれるか考えた
・一流の選手は持って生まれた天性ある、努力だけでは埋めがたい差がある
・そこでぎりぎりのところで、どうしたら一流になるための方法を考えたー頭を使ったー
等々、底から這い上がってきただけに、一言一言が経験のうらずけがあるため説得力があった。
また彼も浪人の真っ最中の状態で、話に力が入っていた。 今までー王、広岡、森と講演を聞いたが、
野村だけは底から這い上げって来たためか、ずば抜けた内容があった。
その日の円楽の話も力が入っていたが、所詮噺家の内容はしれたもの、しらけた会場の空気が漂っていた 。
さすがキャチャー、瞬間その場を雰囲気をとらえ、自分のペースに捉える術。今でもありありと憶えている。
キャッチャーは9人の選手のうち、一人だけ逆方向を見ているのだから。