対談ー小菅正夫  『脳がよろこぶ話』茂木健一郎ー5人との対談
    * 「平気で生きている」ことの強さ
 三年前に、めったに出来ない経験をしてみたが、いざとなると意外と平気。よほど、事業立ち上げの準備期間の
 15年間の方が厳しい状況であった。足元が、固まってない不安と、虚無感は、何とも厳しいものがあった。
 開き直りもあるが、全力で、し終えた実感があるが、まだ見ぬ計画段階を独りで、ひたすら具体化をするのは
 非常に厳しい。あった物を失うことより、無いものを形にするほうが、何倍、何十倍のエネルギーを要する。
   ーその辺りよりー
≪ ・茂木:共通の幸福の条件ってあるんですかね。
・小菅:先ほど申し上げた通り、まず食べ物を発見したとき、ちゃんと食べられたとき。それと繁殖。
 交尾がちゃんとできた、出産がちゃんとできた、育児ができた。これだけです。
 彼らはホントにそぎ落とした生き方しているから。
・茂木:ムダがない。
・小菅:ムダがないというより、余裕がない。生きていくというそれだけで精一杯。
・茂木:もともと野生環境は厳しい。
・小菅:人も日本人を基準に考えたらダメ。僕もこの前ケニアに行っていたんだけど、ホントにね、痩せた子ども。
 ハエがたかった子どもが街にいる。それを抱えているお母さんが物乞いをしている。人ですらそうでしょう。
 ましてやチンバン?も死んだ子ども抱えて、ライオンだってごく一部の幸運な子どもしか育たない。
 彼らがそういう環募なかで生きているということは、われわれとちょっと次元が違うと思う。それで満足という
 よりも、本当にそれしかできない。余裕がない、僕らは食べ物を取ったらその後、何か楽しみが待っているけど、
 彼らはそこから、せっかく自分の身体の中に入れたエネルギーをなるべく長持ちさせるようにゆっくり休んでいる。
 (中略)・・・
小菅:百何歳の曹洞宗の禅師のインタビューで、「悟りとは何ですか」という、質問者がたずねた。
 「平気で死ぬことですか」と。そしたら禅師は、「平気で生きていることですよ」― あれ、動物と同じだと思った。
 動物って平気で生きている。たとえばうちにアサコ,、ていうゾウがいました。六十歳超えていて、最後の臼歯が
 半分欠けて落ちた。それであまり食べられなくなっちゃったんだけど、それでも平気で生きている。気にしない。
 文句言わない。今までとまったく変わらない生き方をしている。そしてパタッと倒れて死もんでいく。 
 あの平気さっていうのはね。宮崎さんという方が「平気で生きていることが悟り」と言うん だったら、
 動物はみんな悟っているなと。
茂木:不思議ですね、そうすると修行を積まれた高僧の方がたどりついた境地というのは、もっとわれわれの
 祖先が動物だった時代に持ぞいたものかもし裂い。われおれは忘れちゃっているだけなんですかね。
 そういう蓄があるんだと思う。≫
▼ でも、「平気で死ぬこと」も、動物の大きな特性である。人間の最大の問題は、肉体的苦痛と、苦悩への
 恐れの解決である。確かに、底知れぬ苦痛と、苦悩の中、消滅していくのだろうが・・ 
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4588, 2050年の世界 ー16 
2013年10月08日(火)
       「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著)
    第九章 おぼつかない自由の足取り ーのまとめ
・民主主義は、先進国と自由主義国で後退し、後進国と独裁国で前進する。
・中国は、一党独裁国家ならではの脆弱性に直面しなければならない。
 インドは、複数政党制ならではの欠点と挫折に苦しめられる。
一党独裁の政治体制のもとでは、民主主義という言葉は、人々がウェブなどを使って反政府活動をする共通の
 キャッチフレーズになりうる。
・逆にある程度の民主主義が保証されている国では、複数政党制のなか、ロビイストの暗躍や、圧力団体と官僚、
 政治家との癒着腐敗、政府の巧妙なマスコミ操作など、民主主義ゆえの欠点が見えやすくなっている。
・前者を中国、後者をインドに当てはめればわかりやすい。中国では民主主義が前進し、逆にインドでは、
 複数政党制ゆえの混乱で民主主義は苦しむことになる。
・民主主義のアキレス腱は二つある。ひとつば金で、ひとつは選挙に対ずるさまざまな形のバイアスのかかり方。
・第一のアキレス腱は、企業や企業の圧力団体が、政治家に献金をし、規制当局に圧力をかけるということだ。
・第二のアキレス腱は、民意がマスコミ等を通じて操作されやすいこと。ウェーブの力はそうは言っても限定的で、
 マスコミはさまざまな形で情報操作を受けている。
・こうした民主主義の脆弱性を補う一手段として、法の支配の貫徹がある。
・さらに他人のことを思いやる「公共心」が、この民主主義の欠陥を補う。
・しかし、二〇五〇年までに、すべてを効率と個人の利益に換算して考える「経済第一主義」と、
 この「公共心」が大きな対立事項となり、民主主義を揺るがしていくことになる。
▼ 民主主義がネット社会の中でベストの政治体制だろうか?という疑問が出てくる。ある意味で、法による
 絶対的な支配も必要になる。特に、この変動期において考えなければならない問題。世界は、ある一握りの
権力者で支配されているというが、実際に、そうだろう。自由、平等、博愛が、民主主義の前提にある。
しかし世界には、その前提を受け入れない世界が無数に存在している。それらの地域の壁が取り払れれば、
そこに争いが出てくる。自由には制限があるが、各々違うため問題が次々と派生し、世界を混乱に陥れる。
しかしネット社会では、それらを飲み込みながら改革を繰り返し前進すると信じたい。自由を放任すれば
格差がうまれ、平等を優先しすぎれば豊かさ減少。友愛を掲げれば内向きになり弱体化し、独裁者を生む。。
その辺のバランスは、人類の永遠の課題である。経済第一か、公平第一か。
それが、現在の自民党民主党の対立軸である。
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4213, 閑話小題 ー去年は凄い年だった、で今年は?
2012年10月08日(月)
   * 去年は凄い年だった! で、今年は?
 去年は凄い年だった。東北大震災に原発事故、欧州の債務危機北アフリカや中東の革命の連鎖、
中国の新幹線の脱線事故、タイの大洪水、ニュージーランド地震、それと北朝鮮金正日とアップルのジョブスの
死などなど。私自身も30年間たずさわった事業を整理をせざるを得なくなった。 しかし今年は、シリアが内戦
激化したことと、中国と尖閣列島の問題が表面化し中国国内の日本企業が焼き討ちぐらいで、株価暴落や戦争などの
大きなクラッシュはないが、残る三ヶ月間に問題がしわ寄せされた感がある。去年に発生した問題は全く解決された
わけでなく目先を押さえ込んで、ここまで引き延ばしただけ。しかし、ひと月で、中国のトップの交代、アメリカと
韓国の大統領選挙、そして日本の政権交代の可能性もある。更に欧州危機と、中東もイスラエルによるイラン核施設
攻撃の危険がある。世界中は固唾を飲んで、この三ヶ月間は過ごすことになる。それと、スマートフォンの普及が、
世の中の変化を、より推し進める。これはパソコン機能が携帯電話に入いり、パソコンがポケットに入ってしまった
ということ。これで大衆への情報は格段に多くなった。「今年は、まだ小沢か?また小沢か?の年」とも言われた。
党を割り新党をつくったが、再浮上をするかどうか? 常識的にみれば無理だが、どうなるか? 
   * 多人数兄姉の末っ子として
 家族と、その兄弟の立ち位置で、その性格を大きく左右するようだ。 母一人、子一人なら、非常に強い
ザコンに、多人数の一番上の長女なら親分肌になり、とかある。私は八人兄姉の末子としての立ち位置に生まれ
育った。下から二番目の直ぐ上の兄は、一番下の私の影になり、その虐めは陰湿そのもの。しかし他の兄姉からは
比較的愛されたようだ。しかし、常に多くの視線の中で緊張を強いられていた。一つ間違えると苛められるからだ。
それもあり常に知らないふりをしながら、その場の状況を読み、必要のないことは見ないふり、陰口などもっての外。
10歳位までの私の武器は、大声で泣くこと。大家族のためか、自分の主張や欲を少しでも見せてはならない
原則があった。 大家族の特徴は誰に対しても心が開けない、群れの中の孤独がある。両親の職業、教養、兄弟の
自分の立ち位置と、時代背景などが、自分をカタチつくっている。振り返ってみて、生まれ育った国と、時代と、
家庭に恵まれていたと、つくづく実感する。それ以上に面白かった。これから、そのツケが帰ってくるか、こないか。
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3848, 料理はメディア
2011年10月08日(土)
  * 料理はメディア、コミュニケーションのツール  ≪「知的な大人へのヒント」林望 著 より≫
【 食べるときは考えながら食べる。どうしておいしいんだろう、また、こんなにまずいのはどういうわけだろうとね。
それはしかし、自分の中で考えておけばいいわけで得意がってベラベラ言う必要はない。大切なことは「よく味わう」こと。
それがおいしかったら、「うまいなあ、実にうまいなあ」と言って、おいしそうな表情をして、食べる。
 この「食べる表現」ということが肝要です。 料理はメディアです。コミュニケーションのツールです。
本来は、主である自分がつくって客たる相手をもてなすというのが食べ物をメディアとする、コミ二ケのあり方です。
 昔は、人を招いてご馳走することを「主(あるじ)もうけ」とも言いました。この言葉はそういう機微ですね。
つまり、主人がつくって客をもてなす、で、実際にそういう場合も多くある。 そのほかに料理屋に行くという形の
「主もうけ」もありますね。それは、ほんとは自分でつくってもてなしたいけれど、その技術を持っていないとか、
自分よりずっと上手な人がいるというので、その板前さんに委嘱して、自分のかわりに料理してもらっているわけです。 
それが、料理屋でもてなすという本来の意味です。つまり、なぜ、この店に招いたかというと、ここの料理が
美味しいので、これをぜひ食べて欲しいのに、全然料理の味なんかそっちのけで、つまらないゴルフの話ばかりして
いられたら、主がわも、またその代理としての板前さんも、がっかりしてしまうでしょう。
そういうことを考えてもわかるように、料理というのは、コミュニケーションのための手段、つまりメディアなんです。
プロの料理人は料理に命を賭けている人たちですから、いい板前さんは一生懸命考えて、大変な努力をして、板長に
なっていく。そういう人が、多くの知恵を結集して、額に汗して出してきたものを、知らん顔して食べていては、
それは仁義にもとる。薀蓄など語る必要はないのです。「美味しいな〜」だけでいいんです。】
▼ ファミレス、イタメシなどは、その店の個性があり、それに惹かれ客は店に行く。その個性が店のメッセージ。
 美味しいものを食べつくしてきたので、それほど美味しいものを食べたい欲求は少ない。それより、店の醸し出す
雰囲気をが好きで、それを求めていく。それ自体、既にコミュニケが始っている。 隣の席で、私が注文した料理の
薀蓄を自分の部下の女性に得々と話している人がいたが、これほど不愉快なことはなかった。家内も私も、美味しい
料理の場合は、小さな声で、美味い美味いと自然に言う。それが、更に美味しくなることを知っているからだ。
チョットした店構えの店で、売りにしているものが美味くないわけがない。ビジネスマンは、その交渉の前後に
食事を共にとる。食事を通してメッセージが幾重にも伝わる効果があるからだ。
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3483, フューチャリスト宣言
2010年10月08日(金)                   
フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著)
 ー内容(アマゾンより)
インターネットによってすべての人に学ぶ可能性がひらかれ、ブログが名刺になり、ネットでの評判がパワーとなる。
過去に何を成したかではなく、いま何ができるかだけが勝負の「新しい世界」の到来。日本社会との齟齬はないのか?
談合型エスタブリッシュメント社会をぶち壊し、新世界の側・ネットの側に賭けよう。
未来創造の意志をもって疾走しよう。フューチャリストの二人が、ウェブのインパクトと無限の可能性を語り倒す。
〜〜
 これは「ウェブ人間論」の続編的内容である。梅田望夫茂木健一郎の「ネット未来」に関する対談で、ネット社会
を明るい視点で見つめる「フューチャリスト宣言」の書。 現在から将来に向けての、ネットを軸とした社会の変化や
人間の存在のあり方の変化を語り合っている。「フューチャリスト宣言」を「世界史の4つ目のリンゴ」に例えている。
1つ目がアダムとイブのリンゴ、2つ目がニュートンのリンゴ、3つ目がアップル社のリンゴ、そして4つ目が
フューチャリスト宣言」。肯定的にデザインされた明るい”未来”というリンゴになる。 
現在、出来上がった「もうひとつの地球」=「ネット世界」。そこには、それを可能としたツールが日ごと進化し、
身近に新しい可能性が次々と出来ている。「新しい芽は大きな流れとして正しければ必ず育つという確信がある」
と茂木は言う。二人には「インターネットの双方向性が必ずや世界を革命的に変える」という明るい見通しがある。
パソコン&インターネットは「グーテンベルグ以来の革命」と言われるが、 茂木はさらに「言語以来」の大革命という。
既にあるリアル世界の上に、Web世界が別に出現した以上、この二つの世界を生きなければならない現実を肯定的に
捉えなければ、生きづらくなってしまった。 また、ネット社会はリアルの世界の負け犬や一匹狼たちにやさしいと
語っているが、そういった公平性はネットの大きな魅力である。 インドのカースト社会の最下層の少女が、ネットで
新しい何かを創りあげる可能性がネット社会ではありえる。 そのことを茂木は、インターネットは「学ぶ」という
最も根源的な喜びを得る機会を無限大に爆発させているという。 言語獲得以来の脳の使い方が全く変ったのである、
ここで二人は、「ネットの世界は、オープンソースに代表されるように公共性と利他性をその特質としている」と語る。
「お金」が支配するリアル世界の超資本主義に対するカウンター、あるいは資本主義とは別軸のパラダイムが機能する
可能性がネットにはあることだ。 茂木は「大学」というシステムは既に終わっている、と。 レポートや試験という
システムそのものがナンセンスと切り捨て、入試も同様、あらかじめ決められた範囲で優劣を競うこと自体おかしい、
と指摘。 今更いうまでもないが、ネットという新しい世界は、人間の在り方を根源から変えている。
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3108,政府の借金など返済の必要なし? ー3
 2009年10月08日(木)
 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」 三橋貴明著    ー読書日記
 四番目のキャッシュフローを始めたら要注意だが、これを数年前から日本が始めたのである。
国債の発行と、その日銀の引き受けである。このキャッシュフローは、あくまで国債が自国通貨建ての場合のみ、
利用可能な解決策。もし日本政府が借りている借金が「ドル建て」として考えてみると、日本の850兆円の国債は、
為替ルートで8兆ドルになる。これがある日、日本円が対ドルで大暴落したケースをみると、円が180円に暴落した場合、
1700兆円に倍増することになる。それほどでないとしても、ロシアやアルゼンチンは、このプロセスで財政が破綻した。
しかし日本の現状は、このリスクにはない。 政府が外国から「外貨建て」で借りて、自国通貨が大暴落をしない
限りは大丈夫ということになる。 少なくとも、家の中の借り貸しは、返済をする必要はないという理屈になる。 
 ところが家の預金が底をついてきたのである。それも半分はアメリカ国債に化けているから、これ以上の国債
発行は無理な領域に入ったのである。 ところでアメリカが狙ったのが郵政の預金。郵政自由化を日本に迫り、強引に
小泉、竹中を使って、推し進めたのである。 しかし日米とも民主党へと保革逆転したことは、日本にとって幸い。
現在の借金残高までは著者の論法は成り立つが、これ以上は無理である。更に続けるならば、子供たちが
親の預金通帳から金を下ろして、金(キン)や外国債権に移動を始める。ネットで誰もが可能の時代の恐ろしさがある。
 《 ところで、この本に日本国家のバランスシートが示されている 》
2008年12月末の数字で、日本銀行のHPに公開してある「資金循環統計」から、作成したもの。
*資産の部で、 政府の資産=467兆、金融機関の資産=2743兆、非金融法人企業の資産=819兆、
                家計=1433兆、民間非営利団体の資産=52兆円      資産合計 5515兆
*負債の部で、 政府の負債=974兆、金融機関の負債=2762兆、非金融法人企業の資産=1142兆、
                家計=375兆、民間非営利団体=17兆円          負債合計 5272兆
*純資産の部で、政府の純資産=▲507兆、金融機関の純資産=▲20兆、非金融企業の資産=323兆、
                家計の純資産=1058兆、民間非=35兆          純資産合計243兆
 政府保有の不動産などの有形固定資産や、無形の資産を入れれば、この倍にはなるのだろう。
それにしても日本の資産が5000兆以上とは、知らなかった。 そうこう考えると1000兆円の負債も驚くほどでもないが、
これを人口の1億2500万で割ると、一人あたり4000万円になる。しかし純資産は200万しかない。世界の一時期の株価の
総額に近いとみると、少し多いように感じる。そうこう考えると、日本は、核を持つべきであるし、アメリカの属国
という事態から脱却しなければならない時期に来ている。これをもって、日本は豊かで国家の力量があるとは言えない。 
中国は膨大の土地と、日本の十倍の人口がある。アメリカは機軸通貨という絶対的な信用力と、軍事力、英語という
世界共通言語がある。永久国債しかないのか?