* 金の持つ力ー魅力・魔力・暴力とは
 世の中の8割は?金の力で自由になる。だから魅力と魔力と暴力性を備えた金を持つ人間に惹かれるのである。
今の世界は資本主義社会であり、資本=金が価値基準の元になっている。 金とは、自由であり、力そのもの。
金さえあれば、世の中の8〜9割が自由に出来る。 逆に、金を失うと、不自由この上なくなる。
そして、裸の自分と向きあう事になる。それが、逆に効用になるのは、皮肉といえば皮肉。。
 ーお金の持つ力について、以下で、ずばり指摘している!
≪ お金とは何か、を考える際のキーワードは、金の持つ「力」である。
 お金は、3つの力(魅力、魔力、暴力)を、兼ねそなえている。
1、お金は、価値がコンパクトに保存されていて、必要なときに必要なものと交換できる (お金の魅力)
2、お金は、人々の欲をどんどん大きくする (お金の魔力)
3、お金は、そのカで人々を操ったり傷つけたりももできる (お金の暴力)≫
▼ この3つの力は、人生を生きていく上で大きな働きをする。100万なら100万の、1億なら1億の、
10億なら10億の、100億なら100億の力を発揮するし、それを動かすだけで世界も、視野も開ける。
・小学、中学と、高校、大学の友人を見ていると、学力だけでなく、家系からくる貧富格差が明らかに見て取れる。
・お金の魅力については、その交換価値にある。 世界旅行に出たければ、旅行代理店の旅行パックを選び、
金を振り込めば、世界各国に気楽に行ける。こんな便利で、都合の良いものはないが、これを稼ぐとなると、
それなりの知恵と努力が必要になる。 剥き出しの真実の塊は、そう簡単に得ることは出来ない。
・その金には、魔力が潜んでいる。金の魅力に対し、欲が無制限に広がっていく。それが逆に命取りにもなる。
・お金は、その力ゆえに、人を支配した上に傷つける「暴力」性が出る。お金で何事も解決できるという錯誤を
持ってしまう。しかし、解決のための一番の力でもある。人間の持つ自由への無限の願望の、手段そのものになる。
・お金は、知識、情報に非常に似ている。知識、情報は、自由と力をもたらす点である。持った分、使った分、
自由を得ることが可能になる。 全てが、終わってしまえば夢幻! それを金で買えるのか?買えるのである!
だから、魅力と、魔力があり、暴力性が伴うのである。恐ろしいかな幻覚。 で、饅頭欲しい!。
   
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4532, 閑話小題 ーつまらん男
2013年08月13日(火)
  * つまらん男は私じゃないか
 今さらだが、最近、人生を振り返って、つくづく自分が「つまらない男」「嫌な奴」と自覚するようになった。
色いろの経緯もあって、自己否定と、それを打ち消そうとする自己肯定が、せめぎ合う日々。老年は誰も似たかよったり?
相手を指摘するときの人差し指の下の3本は自分の方を向いている。親指は上を指しているが、親指が天の道理で、
人先指は相手の指摘、他の三本の指が自分のこと、になる。 相手の指摘は、自分に三倍も身に覚えのあること。
 前回の同級会で、社長まで上り詰め、順調に定年をむかえようとしていた矢先、不条理の返り矢に当たった実直な
人物に、励まそうと思って使った枕詞で、大失言をしてしまった。「つまらない男と思っていたが、良かったじゃないか。
この試練でアンタも半人前になれたんだから!」と。これ、自分に対する自問自答の末に出した、その時点の自分への結論。
「つまらない男」は自分のこと。しかし発した言葉は帰らない。恐ろしいことである。その直前に横の席に実家の老舗を
倒産させてしまった人が、「倒産した現状を考えれば考えるほど、心から感謝させられる!」と、語りかけていた。
この心の経緯が、私の自問自答の中でも多くあった。「事業が順調で、息子の一人を継がせるのが、果たしてベストだったか。
もう一人の息子に恨まれるし、継いだ方は上手くいって当り前で、頓挫すれば恨まれるだけ。この三羽の震災クラスの黒鳥の
到来で、思い切った事業撤収の決断こそ、ベストではないか。下手な未練はないし、オセロじゃないが、それまでの白コマを
逆に黒コマとして考える機会にもなる。しかし、これは口外してはならないし、第三者からみれば自己詭弁でしかない。
このクラスの震災と経済震災の出あいは必ず意味がある。」と思っていたので、それが手に取るように理解できたのである。
 で、その返事が偉そうに、「以前の不幸を加えると、あんたも、これで一人前!人生の完成じゃないか。」である。 
哲学で言う「承認」の言葉。 それに対し、もう一人には、あまりに無神経な言葉である。でも、その結果は当人にとって
大きな意味(価値)があるはず。そのぐらいのことは葛藤の中で十二分に自覚はしているはずだが・・
それにしても、常日頃、自覚し始めた「嫌な奴」「上から目線のヤワな奴」の、自己「承認」になった。老いは恐ろしい!
【*哲学でいう承認とは? =ホネットの研究テーマは、相互主体間関係の倫理的な再構成(ハーバーマスと同様、
個々人の関係における道徳性の再構築)にある。つまり、倫理的(道徳的)発展は、相互主体的関係を前提とし、その中心は、
承認関係に置かれている。】ー究極状態の主体たる相手を認めなさい!これ人間関係の基礎ー ご先祖様、歪んだ私を助けて!
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4157, 老後は夫婦の壁のぼり
2012年08月13日(月)            
  ーまずは、内容紹介よりー      「老後は夫婦の壁のぼり」ねじめ 正一著
 すべての団塊世代に捧げる老後のヒント。団塊世代の作家・ねじめ正一が、人類永遠のテーマ「夫婦、男女のすれ違い」を
縦軸に、今、団塊世代が直面する「老後の問題」を横軸に、ユーモラスに、時に真摯に縦横無尽に紡ぐエッセイ集。
 ーー
 図書館で、この本を手にして早速よんでみたが、身につまされる話が次々と出てくる。人生は坂を上ったり、下ったり、
マサカの坂に出会ったりするが、老いは、そんな生易しいものでなく、ロック・クライミングの室内用壁のぼり、のようなもの。
とにかく一日一日が、下に落ちまいとニジリ登っていく壁である。亭主が外で働き稼いでいるうちは、奥さんも一歩下がってきた。
しかし稼ぎを無くして年金暮しで収入も激減し、家でゴロゴロしていると、それだけで腹がたつのは道理。そのため、すれ違いと
溝は深まるばかり。 ここで、ー夫婦喧嘩‘健康法’ーを紹介している。NHKの健康に関するTV番組に出演した時の、鈴木清順
ー夫婦喧嘩‘健康法’ーである。 番組が始まり、「ねじめさんの健康法は何ですか」と、著者に話を振ってきた。
著者は草野球をしていたので、「年間25試合の草野球が楽しい。身体を動かす喜び、仲間との交流の嬉しさ、そして、
試合が終わってから家へ40〜50分歩いて帰ること・・・」と上ずって話した。次に、清純さんに、その質問が移った。
≪「うん、そうですね。夫婦喧嘩ですかね。ばあさんと喧嘩していると、腹が立ってきてぼけないし、脳みそが活性化し、
どなると大声が出て肺に良い。毎日欠かさず喧嘩しています」 いやはや凄い。隣に座っていた私は目から鱗が落ちた。
私の草野球健康法は海の藻屑、いやスタジオのゴミになった。≫ 
 以上だが、それにしても大変なエネルギーだが、それなりの信頼感がないと大声で喧嘩もしていられない。
家内とも大喧嘩は日常茶飯事だが、どうもこうも、精神的にも肉体的にも健康法とはいえない。それよりも、
家に入ってからは、互いの壁のぼりが言いえて妙である。「神様は連れ添いに世界一相性の悪い人を選ぶ!」という
格言がある。若いときは、自分にない部分を持っている人に惹かれるもの。それは逆に、自分と重なる部分が少ない人。
それが長年かけて鬱積として蓄積されている。それでも昼は、すれ違いで何とか耐えてきたのが、年金暮らしで昼も夜も
一緒なら叩き合いになって当然である。特に男は、縦社会に生きてきたので、日常という横社会中心の場での生活に
慣れてないため、どうしても妻一人に気持ちがいってしまう。小さな家の中での啀み合いが、
「老後は夫婦の壁のぼり」になるのである。もしか、これ、ロック・クライミング? 酸素切れ?
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3792, つれづれに ー 今日は御盆
2011年08月13日(土)
  今年の御盆は格別の思いである。 姉、兄に続いて、私もこの三月末で会社を倒産させてしまった。
「亡き両親と兄たちに、どう報告すべきか?」という気持ちは、何処かにある。急激な悪化は、あと数年は大丈夫という見通しも、
数ヶ月もしないうちに、少し前倒しの決断をせざるを得なかった。この事態の中でも事業を継続発展させるのが私の務めだったはず。
経営は結果責任、言い訳は一切無用である。20年前のバブル崩壊、10年前の9・11テロ、そしてトドメが三年前のリーマンショック
その上に更に東北大震災。 この20年と、これから10年の異変は、明治維新第二次世界大戦に匹敵するか上回る規模になる。
問題は、それが今だ進行中であること。 父親が、第二次世界大戦の敗戦時には42歳であった。私は現在、65歳で、年齢からみて
再チャレンジ出来る年齢ではない。 また情報化とグローバル化の時代背景がある。 特に、情報のネット化が数千年、
いや数十万年に一度の人類にとって想像を絶するツールで、人類のあり方そのものを根底から変え始めてきている。
 情報化、デジタル化は、多くのものを無料化させる力が働く。これはプラスにもマイナスにも働く。携帯電話にパソコン機能が入り、
個々人の間の情報が瞬時にやり取りが可能になった。 そのため世界中の既存体制が、そのコントロール不能になっている。
この中での事業経営は、非常に難しくなってしまった。 日本も世界も、この混沌とした中にあって、大きな岐路にたたされている。
この時期、リーマンショックで疲弊した日本に千年に一度の東北大震災が襲った。この布置は、世界規模では戦争か、災害が起こる
可能性がある。 それが我々の前にどのような事態で現れ出るのだろうか。 幸いといって良いのか、世界に先立って、日本は20年前に
バブル崩壊を経験し、国家も、会社も、個人もダウンサイズをしてきた。その点では、体質が既に変わってしまっている。
 第二次世界大戦の半年後に、日本で生を得て、そして、それに匹敵する変動を、ここで経験している自分が、そして日本がある。
その三分の二が右上がり、三分の一が右下がりであった。人生の丁度良い時節が、歴史的繁栄の右上がりだったことを感謝している。
日本の浮き沈みに自分の人生が、ほぼ同じように重ねっていた。 所詮は国家と盛衰のウネリの中で、浮き沈みをするしかない人生か!
 目出度し目出度し!より、この方が、よほど良い人生かもしれない。 そう思うしかないが! でも、やはり恵まれていたことになる。
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3427, iPad 対 キンドル ー4
2010年08月13日(金)
『iPad 対 キンドル ー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著
   * タブレット式パソコンのブレイクの意味することは
 日進月歩にパソコンが形を七変化をして便利な道具として提示されてきている。その一番ホットなのがモバイル携帯電話。
代表的なのがiPhone。それが今やiPadにとって代わろうとしている。早くいえば4倍の大きさのiPhoneである。
これをキッカケに多くが参入を始めてきた。 その競争が激しくなればなるほど、消費者は使い勝手が良くなる。
その結果、マスコミと出版業者の大部分が淘汰される。これにツイッターのようなミニ・ブログを個々人が持って、
情報の受発信を始める。 空間を越えて、それぞれがキーワードで繋がるのだから、これまでとは全く違った社会になっていく。
これからの社会の変容は誰も予測はつかないし、これまでとは違った価値観が出てくる。 
 考えてみればパソコンが卓上と、ノート型パソコンしかなかった方がオカシイ、ということになる。最近になって携帯に
パソコンが付いたばかり。 これが板状の平面のパソコンになった。 とすると、次の何かが出てくるはず。
ヘルメット式とか、メガネに画面が映し出されるものとか、投射式とか、想像を遥かに超えたものが、早晩に出てくる。
(字数の関係でカット 12年08月13日))
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3052,都会暮らしが良いか、それとも田舎が良い?
2009年08月13日(木)
 生きていくに都会が良いのか、地方が良いのか。 その人によって違うし、その判断は出来ない。
私自身は、成行きで人生の大部分を地方で過ごすことになった。 それに対して、良かったとも悪かったとも思っていない。 
どっちにしても同じでしかないのは分かっている。それぞれの性格もあるし、体質もある。 また歩んできた道もある。
ところで、地方で自然に囲まれた老荘的な生き方を自慢げにいう人はいるが、逆に都会の方が良いと声高に主張する人は少ない。 
が、あったのである。 渡辺淳一著『反常識講座』のー第三章 住むなら猥雑な都会ーの中に、堂々と書いてある。
 反常識の御題目だから、堂々と書けるのである。  
  その概要といえば
【 齢をとって田舎住まいというなら解らないでもないが、若いうちは都会の方が良い。
田舎は社会的制約が多すぎる。東京に多くの人が住み、離れたがらないのは、都会が周囲に対して
無関心で余計な干渉をしないからだ。それだけ自由になれるからである。具体的に言えば、未婚でも、ホモでも、
レズでも、どんなカタチでもそれなりに容認してくれる寛容さがある。もし地方なら白い目で見られ
逃げ出しざるを得ない雰囲気がある。それと圧倒的な刺激に満ちていて面白い。むろんその裏には悪が満ちている、
その分面白いのである。そのチョッとやばいのが若者にとって魅力なのである。若者にとって、緑や空気が
美味いなど二の次である。生臭いのが地方では露出できないのである。だから齢をとってからなら、地方は良い。
若者は、表の顔とは別に、我がまま勝手に利己的で、性的欲望を満たし暴力もある、それを誰も咎めようしない
緊迫した都会で刺激を受けた方が良いに決まっている。 また、都会の良いところは、人材の上限と下限の
幅が広いことだ。上も下も果てが無い。】   まったく、その通りである。
 私の場合は三十年近く、新潟と長岡を住と職が分かれていた。 だから地元で我慢?出来たと思っている。
どちらにも属しているようで実は、何処も属していないで済む環境が良かった。 その通勤で感じたことは、
地方の若者の緊張感の希薄性である。 希薄だから都会に出て行かなかったとも言えるが、都会のあの猥雑な
緊迫感が全く感じられない。 それはそれで、良い部分もあるが。 しかし・・・
 先日、大学の同級生と四十年ぶりに一期一会の対話をしたことを書いた。 彼は資生堂のキャリアとして、
大都市の転勤暮らしを34年間してきた。そして、奥さんが病で倒れ、最後の住まいを二度目の赴任の地の
仙台の郊外の河口の漁村に決めた。 そこは大好きな釣りの魚場。その彼に都会派?、田舎派?など問う方が野暮。 
この問いの対象は、何も分かってない若者向きの問いである。 才能と金があって、もっと若ければ、都会の
猥雑の雰囲気の新宿の近くに住んで、川口湖あたりにセカンドハウスを持った生活も良いだろう。
そう一度、【新幹線を新潟駅から飛行場まで延ばそう会】で、太鼓を叩かれて踊らされかかった松下さんは、
当にそれじゃないかい! と言って、取って代りたいとは全く思わないのは、どうしてか。
 それぞれ! ということを知っているから。
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2687, 閑話小題 
2008年08月13日(水)
 *お盆か〜
お盆は、早朝に因縁ある3つの墓参りをし、夕方に実家の墓を参りをして、坊様に顔出しをするぐらいである。
もちろん休むことなく、誰も居ない事務所で本とパソコンいじりをしている。これも普段と変わらないが。
盆・暮・ゴールデンウィークのような民族大移動の時期はジッとしているのが習慣になっている。
(字数の関係でカット 12年08月13日))
 *北京オリンピック
 *最近の車事情
(字数の関係でカット 2010年8月13日)
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2007年08月13日(月)
2323, 面構え       ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆
つらだましい『面魂』 ーとは、強くはげしい性格や精神が表れている顔つきをいう。
先日の葬式で同級生の何人かに会って、それぞれの顔をみると昔の面影をのこしているが、やはり人生の風雪に
鍛えられた経験が顔ににじみ出ていた。私が見るところ、その人の顔が出来てくるのは50代に入ってからである。
『面魂』に似た言葉に「面構え」がある。「面構え」とは、むしろ長い年月をかけて出来上がった顔のこと。
片岡球子という画家が「面構」をテーマとして、色んな人の肖像画を書き続けている大作シリーズがある。
その中の第1作「足利尊氏」など、あまりにも味のある漫画的顔で、頭に描いていたイメージとはまるで違う。
(字数の関係でカット 2011年8月13日)
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2006年08月13日(日)
1958, 今日はお盆ー2        \(^▽^*)おはよう
「今日はお盆」というテーマで書こうと思ったが、この日に、そのテーマで書いてないわけがないと振り返ってみたら、
4年前にチャンと書いてあった。(あとにコピーしてあります)気がついてないで書いていたら、80?は同じ内容だったろう。
4年も経って、大して成長していない?自分の脳が見えてくる。まあ、後退しないだけでも有難いと思わなくてはならないか?
    \(∀\)ココハドコ? 娑婆娑婆♭♯♪〜(/∀)/アタシハダアレ?  ユー レイ♪ノ(^-'o)♪☆(o^-^)\ 
レジャーの無かった時代の盆・暮れという里帰りのシステム、当時の長期?休暇だったのだろう。
考えてみれば良い文化である。一年に1~2度、田舎に帰り家族や幼馴染に会ったりするのも良い。
先日、学生時代のゼミの後輩と酒を飲んで聞いた話だが・・ ーM氏は東京の中野に住んでいるが、小学校の同級会を開こうと
思い立って同級生と三人と名簿を調べたら、63人の同級生が他に一人しか見つからなかったという。
都会は、それだから良い!と思うのか? いや寂しいと思うのか?やはり後者だろう。    
       (字数の関係でカット 12年08月13日))
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2005年08月13日(土)
1593, ひらがな思考術 −1  −読書日記        
図書館から借りてきた本だが、目から鱗の本である。著者はコピーライター、シンクタンク社長、コミュニケーション学部教授、
という三つの経歴を持つから言葉に説得力がある。ひらがなでわざわざ文章を書いてみたら、なるほどドンドンかけるのだ。
 (字数の関係でカット 09年08月13日))
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2004年08月13日(金)
 1228, 広松渉(3) 哲学についてー27
ー人生舞台の役・割について
「実践するとはどういうことか」の(「行為の存立構造」の人生劇場))の概略を前回書いたが、行為の存立構造をなしている
「役・割」について、私の説を書いてみる。「役・割」が一番鮮明で解りやすいのが嫁姑の関係である。
永遠の人生の課題といってよい。結婚は二人だけの関係と思っていたのが、その取り巻く複雑な人間関係がついてくる。
それに舅・小姑が絡んでくるから、その役・割をこなす事は並大抵ではない。離婚は互いの相性もあるが、
この複雑に入り組んだ関係もある。演技者も「外面・内面」を使い分けなくては、下手な役者になってしまう。
長い年月かけて育て上げた息子が、バカ嫁に結婚を機会に取られてしまうのだから、コトは複雑である。
嫁の立場からすれば亭主の母子関係も、べたべたしたマザコンにみえてしまう。
その母親は、いつまでも子離れをしない嫌な存在になる。 家という制度が強い時代ならまだしも、
今のように個人が主体という時代では、嫁姑の関係はこじれるケースが多い。
正に人生劇場における集約された「役・割」で、お互いにぶつかる場面になる。
地方のような固定社会では、なおさら役・割が固定化するから、行為の存立構造は露わになるケースが多い。
・小さな世界が全世界と信じて疑わない「子狐」のミニ・テリトリーの因習の世界で因果関係の芝居が演じられる
・「おれは田舎のプレスリー」的存在の地方(?呆)名士役
   (字数の関係でカット 2010年8月13日)
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2003年08月13日(水)
 861, プライドー2
 プライドは失意のどん底の時とかマイナスの状態の時に出てくる膿でもある。その状態が逆にエネルギーになる場合もある。
(字数の関係でカット 12年08月13日))
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2002年08月13日(火)
 486, 今日はお盆
13日のお盆の朝の夢は面白い夢を見る。両親の夢が多いが、祖先の霊の夢を見ることもある。
(字数の関係でカット 13年08月13日))
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 2001年08月13日(月)
 [107] 「私の死亡記事
図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い! 各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」
(字数の関係でカット 13年08月13日))