* 20年後には、どうなっている?  ー『スマホの次に流行るものは』岡田斗司夫ーより
 20年前は、Windows95の発売直前であり、まだパソコンも、ネットも、携帯電話も普及したての頃。
スマートフォンも、タブレットPCもなく、ノートPCが普及を始めて5年ほど経った頃である。
それが今ではスマートフォンタブレットPC。 これは未来学者も想像すら出来なかった優れもの。
それからして20年後の予測など、考えられないはずがない。
  ー以下の箇所は、既に現在進行のものが多いー 
≪・二十年後は検索がさらに滑らかになり、何かを思い出したとき、それが本当に自分の記億なのか、
ネット上のデータなのか、区別がつかなくなる。SF的にいうと「脳の外部化」だ。これからスマホは、
腕時計やメガネのようにウエアラブルで身に着けるようになる。さらに小型化すれば、肉体の一部に
埋め込まれるかもしれない。情報は画面で見るのでなく、プロジェクターで外部に映し出される。
会議で紙の資料を配らなくても、視線と連動して目の前のテーブル上に文字や絵が投影される。
そうなると現実の光景と、ヴァーチャルな画像とが共存するのが当たり前になる。
・二十年後の地球は、人口が増えすぎて資源が底をつき、経済は低迷して、あらゆる人が貧乏になっている。
資源とエネルギーは最小限にし、情報だけはありあまるほど使うのがカッコイイ平均した生き方になる。
その次には、限りある時間をいかに大切に使うかもかっこよくなる。その時代は、実際に活動するのでなく、
やった気になることで満たされる。自分でエベレストに登るのでなく、そのヴァーチャル映像を自宅で眺め、
疑似体験するのが楽しみになる。数万人に1人ぐらいは、手間と時間と金をかけて実体験するが、
ヴァーチャル映像の感動に比ぺてせいぜい五割増しが限度という具合。それなら、ほとんどコストを
かけずに疑似体験したほうがいいことになる ・・・(略) ≫
▼ 年金生活と年齢もあるが、以前ほど海外旅行に行きたいと思わなくなったのは、これまで行った先の
写真と 映像をネットで手軽に見ることで擬似体験が出来ることがある。実際に現地に行った上、ネットで
検索したベストのブログの写真や映像を見ると、その何割かを追体験をした錯覚が起き、記憶そのものが
書き換えられる。二度目、三度目の繰り返しで、擬似旅行体験が、よりリアルになる。
 またシネマではヴァーチャル世界が年々迫力を大幅に増し、実体験より遥かに刺激的になっている!
またスマホタブレットのネット情報を、大型TVにも映し出すことが可能になった。物価は上っても、
ヴァーチャル情報の値段は下がり続けるため、疑似体験の価値が限りなく高くなる。 
 インスタントラーメンを食べながら、高級レストランの食事場面を見て、満足するしかない時代。
缶ビールとツマミをスーパーで買って、居間で「酒場放浪記」で日本各地の居酒屋で、レポーターと供に、
店内の客と一緒に飲んでいる気になっている視聴者(私)と同じようなもの。これは未来でなく、現在、
既に起こっている現象。目を凝らしてみれば未来は既に起こっている。気がつくかつかないかである。
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4518, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー8
2013年07月30日(火)             
   * 「断食往生」の具体的工程   『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 人生など考えてみれば、日々、緩慢なる自殺行為の積み重ね、それが病となって死に至る。とはいえ、
それが中途半端のため、直接、自殺するのも問題を残す。そこで断食で餓死という方法=「断食往生」もある。
  ー まずはその部分を抜粋して、考えてみようー
《 まず、基本的には、現在の、死に際に医療が濃厚に介入する「医療死」ではなく、子どもの頃に接した
 年寄りの死に方、何百万年と続いていたご先祖様の死に方、「自然死」が希望です。ぼけたり、寝たきりが
年余にわたれば、わが家は家庭崩壊してしまいます。 そこで、タイミングがむずかしいのですが、
完全にぼけ切る前に、山折哲雄さんの提唱する「断食往生」ができないかを考えています。具体的な工程は、
山折さんは教えてないので、中村流に考え、まとめた「事前指示」が表5。西行さんのように「死に時」が
察知できれば、非常に楽だと思います。できるだけ体内サインに敏感になれるよう、できるだけ自然に
任せて様子をみるというトレーニングを積むようにしています。
○ 中村流「断食往生」の具体的工程
  一、五穀絶ち 7日間                   二、十穀絶ち 7日間
  三、木食   7日間(木食は木の実だけを食べること)   四、水断ち  7日間
これを見ると、すぐ顔色を変えて、医者ともあろうものが自殺を勧めるとは何事かと、威丈高になる
建前論者がいますが、大丈夫です。日本人の自殺願望というのは、いっそひと思いにとか、注射一本で
というせっかちなものです。このようにほぼ一ヵ月もかけてというのには、よほど強靭な精神力が必要です。
そんな日本人は、極めて稀でしょう。なぜ7日間にしたかには理由があります。比叡山延暦寺の修行の中に、
千日回峰行がありますが、その7百日目位の時に、断眠、断食、断水の「籠山行」があります。
そして、水断ちは9日間以上やると危ないという言い伝えがあるということを聞いたのと、老人ホームで、
一滴の水も身体に入らなくなって亡くなるまで、7日から10日が多いという事実を重ねた結果です。
 延命治療に間しては、日本尊厳死協会の「いっさいの」ではなく、個別に「心肺蘇生」「人工呼吸器」
人工透析」「人工栄養」「輸液」に関して指示しています。 心臓は、もう70年以上も生きているんです。
原因のいかんを問わず、ひとたび停止すれば、そのままでいいのです。》 
▼ 30年の間のホテル営業で、様々な自殺があった。警察からは泊めた方も当事者として自殺者の動機とか
 事情が知らされる。自殺者にとって、この世は苦海で、死ぬだけの理由はそれぞれに十分にある。
誰も自殺などしたくない、死ぬしかない理由が、あるから死ぬのである。 数日後、体調が悪くなって、
「あと三ヶ月です!」と言われれば、死ぬまでの間は地獄。そうこう考えると、断食往生などの自死
真剣に想定しなければ。 大往生など諦め、もがきながら逝くのも自然だが。
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3778, ユング ー12
2011年07月30日(土)
  * 箱庭療法 ー1
 ユングといえば(日本では)河合隼雄で、砂遊び療法を箱庭療法に発展させた人。
彼の著書で、その概要は知ることになった。一種の創造療法だろう。幼児の頃、砂場で山を作ったり、
幼稚園で初めて手にしたクレヨンで我を忘れて家や動物の絵を描いた、あの頃に立ち返り、用意された
オモチャの植物や動物で、思いのまま自分の内的世界を表現することで、自分の中の何かにつながる方法。 
その辺のことを、あるHPに分かりやすくマトメテあった。まずは、その部分をコピーしてみた。
≪「箱庭療法」は、1929年、イギリスの小児科医ローエンフェルトが、子供のための心理療法として
 考え出したもの。ユング派の心理療法家ドラ・カルフが「砂遊び療法」として発展させた。 後に、
日本の心理療法の第一人者であり、ユング派の心理療法家でもある河合隼雄氏が日本に持ち込み「箱庭療法
と名づけた。 その方法はいたって簡単。52cm×72cm、高さ7cmの長方形の箱に砂を入れます。
さらに、動物や植物、建物などの様々なおもちゃ、人形などを用意し、適当な場所においておきます。
患者は、箱庭のなかに、先ほど説明したおもちゃや人形を自由に使って、遊びながら自分の内的世界を
 表現していきます。ここでは、治療者は、特になにもしません。患者(クライエント)を見守る役に徹します。
この「見守る」ことには、深い意味が込められています。治療者は「見守る」という行為を通して、患者の
状態を深く理解していきます。また、患者は治療者に見守られていることで、安心して自分自身の内面を
表現することができます。1回の治療単位をセッションといいますが、患者が箱庭を見つめるだけで、
なにも表現しないセッションもあります。ただ砂にさわって砂遊びをしているだけのセッションもあります。 
 こんなセッションのときでも、治療者は特に指示をしないで、見守り続けます。   ーつづく ≫
▼ 人生を俯瞰すれば、箱庭みたいなもの。色々なオモチャを掻き集めて、自分の庭に配置する。
 それを、小さな箱内でやるのだから、面白いといえば面白い。言語というと、その限界で真の気持ちが
表現できないが、玩具を箱庭に気ままに配置すると、自分の中の精霊が知らないうちに心の底から湧き出て
きても何ら不思議ではない。私は家庭菜園は知らないが、そこには、箱庭的な面白さがあるはず。
 他に遊戯療法というのがある。これは遊びを通して悩みや問題を表現し、子供の心理的な問題に取り組み、
課題を乗り越える。この場合、次から次へと玩具を変えて落ち着きのないケースが多くなる。
言葉や絵となると、その表現に限界ができるが、玩具の組み合わせは、それを取り除き具体的な
モノを組み合わせることで自分の心が表現される。 この随想日記は、言葉の箱庭?になるのか?
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3413, 中学校同期会 −65歳
2010年07月30日(金)
 まだ65歳まで半年あるが、先日、長岡郊外にある蓬平温泉で中学校・同期の会が開催された。出席者が
67人で約2割が出席をした。この年齢では2割弱が亡くなってので、亡くなった人が、逆に出席している
「あの世の会」と思うと一人ひとりが際立って見えてくる。把握された亡くなった一割近くの27名の名が
呼び上げられ、黙祷をした。5年前に還暦の会が開かれたが、このときは、三分の一の110名の出席者。
4割減ったことになる。60歳を過ぎると年々、老化が目立つようになる。 事故、糖尿、脳梗塞などで、
何らかの問題が肉体に出てくる時期にはいった。今回の同級生に卒業以来初めての出席の女性が2人いたが、
どのような感慨があったのだろう。 前回の還暦の会の時には懐かしさのあまり泣いていた人がいた。
私のいたクラスに面倒みの良い女性が二人いて卒業以来、頻繁にクラス会を開かれていた。
20歳代を除くと、高校時代を含めて、ほぼ毎年開かれていた。 しかし年々、参加者が亡くなったり、
転居をしたために、還暦を機会に、他のクラスに呼びかけ同期会になってしまった。地方だから可能なのだろう。
男80歳弱、女86歳強の平均年齢と先日、発表されたが、まあ全体活き活きしており、その位は生きそうだ。
それにしても、65歳は長く生きたものである。この年齢になると分かってくることは、人生は生きること、
そのことが目的である。それで充分。 しかし、恵まれている人は何処までも恵まれており、そうでない人は、
そこから抜け出せないのが人生。九州など県外からの出席者が三分の一位だったが、一回ごとが一期一会になる。
子供の頃の想い出は魂の故郷というが、昔話に花咲くとき、なるほど合点がいく。通ってきた道で出会うことは、
奇跡的なこと。一人ひとりには、それぞれの宇宙がある。その宇宙同士が触れ合うのは素晴らしいと、歳を
重ねるごと実感する。それにしても、幹事は大変である。とりつかれたように役をこなしていたが頭が下がる!
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3038,明日になれば何とかなる!
 2009年07月30日(木)
 これは菊田一夫の言葉である。 誰もそうであるように、若いときは心配性の傾向が強い。
そして長い人生で色いろ経験して分かったことは「先の心配事は、その時になってから当たるしかない。
で、今は問題の中心から目を外さないこと。明日は、明日の風が吹く。今心配しても、今心配している
範囲のことしか考えられないのだから、それ以上のことは考ても同じこと」である。
「明日になれば何とかなる」の菊池の土壇場での悟りのような言葉は、心に迫ってくる。
創業時の不安感は、底知れない海の上を小さなボートで漂っているようであった。 
そういえば一休の逸話があった。 一休禅師が亡くなる直前に、三巻の巻物を弟子たちに遺した。そして・・・
「この先、私が亡くなった後本当に困り果てた時にだけ、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」
と遺言し、遷化されました。何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事になりました。
弟子たちは、知恵の限りを尽くしましたが、妙案を思いつかず、どうしようもなくなってしまった。そのとき、
一休禅師が遺してくれた巻物のことを思い出して、恐る恐る紐解いてみると、そこにはこう書かれていた。
 一巻目・・大丈夫  二巻目・・心配するな  三巻目・・なんとかなる!
それを見た弟子たちは、あっけにとられ、笑い出した。そして、そのときに素晴らしい解決策を思い浮かべた。
「なんとかなる」と信じていたら、本当に「なんとかなる」もの。「なんとかなる」だけではなく、
人生は思いようで、本当は「なんとでもなる」ということである。19才でライ病発生以来深刻な体験を
もとにリアルな小説「いのちの初夜」などを書いた北条民雄に次の言葉がある。
《 私にとって最も不快なものは、あきらめである。 あきらめ切れぬ、という言葉は、あきらめを肯定して
 それに到達しえぬ場合にのみ用うべきものである。が、私はあきらめを敵とする。私の日々の努力は実に
このあきらめと戦うことである。あきらめるくらいなら自殺した方がよほどましである。 というよりも、
あきらめと戦うためには私は決して自殺をも否定しない。死んで勝ということは絶対にないが、しかし死んで
敗北から逃れるということはあるのである。》 (北条民雄(頃日雑記より)
 絶望の果てに行き着いた言葉だから、鬼気迫ってくるのである。 明日になれば何とかなると、
何もしないで生涯を過ごした人を多く見てきたが・・ 大部分の人は似たようなもの?
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2673, iPhoneは、超小型パソコンだった!
 2008年07月30日(水)                 (っ´Ι`)っ { おはよう
一昨日iPhoeを購入した。新潟市郊外の赤道の山田デンキで買ったが、説明やら、手続きに二時間もかかった。 
購入の手助けをしてくれた知人と、購入直後に居酒屋で操作をしながら「これは何だ?」と丁度よい酒の肴になった。
携帯電話や、情報だけの端末ではないし、パソコンの括りにも入らないし、何だろうかと? 私が玩具ではないか?
というと、そんな軽いものじゃないと反論された。そりゃそうだ。 私の現時点の判断は、「ポケットサイズの
タッチ式超小型パソコン」である。超小型のため、身体に密着できて、タッチで情報を瞬時に呼び寄せることが
出来るところがミソ。それに音楽が数千曲も入力でき、電話が出来て、インターネットもできる。カメラや、
携帯電話機能は、多くの機能の一つでしかない。現行の日本の携帯電話は、各メーカーが競って色々の機能を
付加していったもの。そのため、その多くは使われない。平均5?の機能しか使ってないという。
ボタン・キーは他に無いので慣らされ使っているだけのこと。この中の機能で驚いたのが、みたい部分を二回、
指で叩くと拡大する。これで小さい画面のデメリットをカバーしてくれる。よく考えたものだ。
ただ、文字入力が慣れないせいか、躊躇している。キーワードは、・ワイヤレス通信 ・マルチタッチ
インターフェイス ・超小型(ポケットサイズ)。
 常にポケットに入れておけるところが良い。脳のサイボーグ化?ともいえる。次ぎのポイントは
低価格化が可能かどうかだろう。 私自身、7年前にこのHPを開設してから感覚が変わってしまった。
開設してから数年後に、ブログという個人のHPが爆発的普及した。更に携帯電話が爆発的に普及をし、
機能も良くなった。そして、これからは「ワイヤレス超小型携帯パソコン」である。 
これは世界を、更に根こそぎ変えるだろう。携帯電話はタッチ式に大きく舵を切るだろうし、あと十年後から
振り返ったら、これは大きな折り返しの歴史的マシーンの位置づけになるだろう。パソコン?に、携帯電話と、
カメラとiPodを付けてポケットに入れたという意味で!そんなものが果たして必要か?皆が持ち始めれば
必要になるのでは?お宅という言葉も、これで死語になるのでは? 部屋に居る必要もないからだ。  
いや、閉じこもりは別か! ヾ(^ω^*) あと、数日経ったら、その後の感想を書きます。 
まだ、焦って買うこともないようだ。
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2007年07月30日(月)
2309, 自民党が惨敗!
              ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
参院が予測どおり自民党の惨敗に終わった。 当然だろう。
自民党のパフォーマンスには、国民はうんざりである。これで本来あるべき二大政党の枠が出来上がった。
小泉が党内の保守派=悪との対立軸を作り、旧来の自民党をそのまま存続させたのが、安部政権である。
岸信介の孫、安部晋三の息子というだけで、憲法改正の騎士として期待されてなった首相である。
だから、あれだけ甘い組閣をしたのである。最後は赤城農林大臣だが、その前の防衛大臣がタレント上がりの
女性はいただけいない。   (字数の関係でカット 10年07月30日)
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2006年07月30日(日)
1943, ローマから日本が見えるー17          八∋ウ_〆(∀`●)
第七章「創造的天才カエサル」ー4
 ーカエサルがヨーロッパを作ったー
ところで、カエサルによるローマ帝国の安全保障構想は、後世のヨーロッパ史にも大きな影響を与えることになる。
カエサルがヨーロッパを作った」とする人も多い。 現在の西ヨーロッパの都市の多くは、
カエサル以降のローマ帝国時代に作られた軍団基地や、植民都市を起源としています。
・フランスのリヨン、ストラスブール、フレジュス  ・ドイツのケルン、ボン、マインツ  
・イギリスのヨーク、チェスター、バース  ・オーストリアのウィーン  
ハンガリーのブタペスト、セルビィア ・ユーゴスラビアベオグラード  などなど・・・  
ヨーロッパは古代ローマ人によって作られた。
 ーなぜカエサルは寛容を掲げたのかー
カエサルは「新しいローマ」のグランド・デザインを描き、それを次々と具体化していったが、
その構想をよく理解できた人は同時代に一人もいなかったといってよい。当時の一番の知識人であった
歴史家のキケロさえ、カエサルは協和制の再建に力を貸せてくれるものと信じていた位である。
   (字数の関係でカット 10年07月30日
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2005年07月30日(土)
 1579, 閑話小題
 一昨夜の夢の話ー
面白い夢を見るものだ。医者から薬による至高体験のため、無害の麻薬を注射してもらった夢である。
薬によるハイ状態とはどんなものか、病院のベッドに横になって冷静に薬によるハイを待っている。
ところが、横になっていなければならないのに、歩き出してしまった。危ないと思って元のベッドに戻った。
しばらくすると、フア?とした酔った感覚になった。潜在意識が、薬の至高状態の経験を夢のカタチで
させようとしたのだろう。安全であれば一度は経験してみたいが、安全のわけがない。インドに行った時
ツアーの同行の女性から?を飲んだ体験談を聞いたことがあった。とにかく可笑しくなり腹の底から
笑って嬉しさが極限になるとか。経験者がいうことは解りやすい。
 ー広い世界に馬鹿ひとりー
    (字数の関係でカット 10年07月30日)
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2004年07月30日(金)
 1214,パスカル(3)ー哲学についてー24
  ー「賭けの断章」ー
「賭けの断章」は『パンセ』の中でも最も有名な断章の一つである。神の存在と信じる方に賭けることの
有利さを確率的議論から説得しようとするものである。「神は存在するか、しないか。どちらに賭ける? 」
すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。賭けないということ自体が、
結果的に一つの選択になる。 賭ける対象は「自分の人生そのもの」であるから大きな命題だ。
(字数の関係でカット 13年07月30日)
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2003年07月30日(水)
 847, 海は見ていたー映画日記
 wowowで放映した映画『海は見ていた』がすばらしい内容であった。レンタルのDVDで見た
たそがれ清兵衛』と『阿弥陀堂』に匹敵する。    (字数の関係でカット 09年07月30日)
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2002年07月30日(火)
 472,近くの川の鴨
15年前に自宅から150m先の川に鴨のツガイが来た。
そして半年がたった頃13羽の雛を連れていた。そしてある時期が来ると旅立っていった。
(字数の関係でカット 13年07月30日)
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2001年07月30日(月)
 [92] 変わった人ーとの出会い
 旅行それも秘境系に面白い人が多い。
・人生の余白を埋めにきましたとか、
・毎月ー年12回来ている人とか、女の人で退職金使い切るまで続けるそうだ、
(字数の関係でカット 13年07月30日)