* 「語り直し」を始めて驚いたことは
 3年前の結末で、オセロゲームの駒が、白から黒に変わったと思い込んでいた。ところが、変わったのは
細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みる
ことが出来ることだ。むしろ、不遇の渦中の中にこそ、人生の醍醐味があるということ。ただ、気づくか気づかないか。
不遇であればあるほど、周囲の人に親切になる。だから、多くの邂逅が生まれ、味のある日々になっている。
成るほど、人生は面白いものである。生きてきた課程で、日々、世界が変化している。そして、自分自身も、大きく
変化している。特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢にいた頃の会社は、最後は吸収合併をされて、
今は、何一つ残ってない。あるのは、抽象画のような記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。
 金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、同僚との東尋坊へのドライブに行ったり、
早朝の金沢港でのキス釣とか、金沢駅前の居酒屋で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・ 
 ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。同僚から聞いたのが、自殺者の
霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から下を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。 
 せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの家に習いにいっていた。異様な緊張感が
漂う中、来ている女性は、なかなかの若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落ち着く。
それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみになっていた。ただ、それだけだが、金沢を急遽、
去るにあたって、その事情を師匠に話すと、「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。
「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」と答えると、「どっちの娘がいいの?」と!
結婚相手など微塵だに考えてなかったので、「別に!」と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。
考えてみたら金沢での伴侶の選定も考えられた。 浅く広い、いちゃつきレベルでは、多くの思い出はある。
一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中にこそ、多くの心の痕跡がある。それが青春ということか。 
人生は多くの出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、「自分」は、その蓄積そのもの。 
そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、創業以降の30年より、遥かにエネルギーが入っていたことになる。 
結果が、どうであれ、野心を持って、ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、人生の醍醐味があったようだ。
 結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を自らしていたことになる。今だから言えるが、面白い日々だった。
・・・・・・
4463, 余命半年 −1
2013年06月05日(水)
             「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
 老いるにも準備が必要であるが、死ぬことにも準備が必要のようだ。「あと余命半年」と悟った時に何をするか?
その時には、苦悩と苦痛が頭を占めて殆ど何もできない。あと半年と悟った時、「準備をしてきて良かった」と言えるよう、
普段から一歩ずつ足を踏みしめて生きなければならない。それにしても、それほど遠くない未来に、余命半年+−数ヶ月の
余命を宣言されるか、自分で悟る時がくる。これが脳溢血、心不全、交通事故など瞬間死の数倍の確率というのが現実である。
その瞬間から悟りすまして生きるなど、無理。それまで積み重ねた知識と経験と覚悟を持って、心を平静に保つしかない。
  ーまずは、「はじめに」より抜粋---- (要約でもある)
≪ 「あなたの余命は半年です」突然そう宣告されたら、あなたはどうするだろうか?
 とりあえず遺産をどうするか、そこから手をつけるだろうか。
あるいは、かねてより行きたいと思っていた海外の国に旅行に出かけるだろうか。
いずれにせよ、ぼやぼやしていたらあっという間に半年など過ぎてしまうだろう。
半年・・・たった六ヶ月である。「命はそれまでですよ」と告げられたあなたは、その半年の間に
やるべきことをすべてやり、心にも折り合いをつけて最後を向かえることが出来る自信はあるだろうか?
 ・・・まさに人の数だけ物語があり、バッドエンドもハッピーエンドもある。
ある時から、私は何がこの二つを分けるのか、あるいは、ある人の終末期に光が包まれるのに、ある人の終末期に色濃い
闇に閉ざされるのか疑問に思った。 結論から言うと、老いる前から老いることを、病気になる前から病気になることを、
死ぬ前から死ぬことを考え、そこで悲観的になるのではなく、だからこそ一足一足を踏みしめて生きようと、そう思った
人間にはそれ相応の最期が約束されるということがわかった。
 老いること、病気になること、死ぬこと、それを事前に考えるのは、ものすごく精神力を使い、大変な作業である。
ともすれば抑うつ的になってしまうこともあるだろう。しかし、その差は必ずいつか出る。ひょっとすると、最期ばかりか、
明日からも大きな差となって現れるかもしれない。・・・ ≫
 ▼ このところ、老い、病気、死についての本を読むことが多い。 読んでいると安らぐのである。どっちにしろ、
  そう遠くない先に直面するのである。その時になって、急ごしらえの準備は、それでしかない。しかし、この本も、
  健康時からの心得、病初期・病中の心得、病末期の心得、死の心得と、段階をおってるから、シビアで引き込まれる。
  緩和医療のお医者さんもあり、著者は、その実態を紹介することで不安を少なくしたいのが、この本の主旨である。
 「精一杯生きました。悔いはありません」そういって誇らしげに言えるための準備、それは「今を幸せに生きる」こと。
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4089, 老いの見本帳ーダークサイト −9
2012年6月5日(火)
   * 役割としての「年寄り」    「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 ここで、「老人と年寄の意味合いの差は、喧嘩の仲裁ができるかどうか」という。村の長老は、争い事の仲介者としての
役割が最も似合っている。若づくりをした粋な老人も良いが、何もかもしりつくした重みのある長老も良いものである。
≪ 【老人と年寄り】 老人という言葉には、老化現象の起きた人間とか老衰間近の人間といった印象を覚えてしまって、好きになれない。
老人ホームとか、老人病院といった具合に。それよりは「年寄り」といった呼称のほうが、経験や年輪を重んじている気配が感じられる。
相撲界でも年寄株は必ずしも高齢者が持つわけではないし、江戸時代の武家では役員待遇的な意味合いではなかったか。
長老、なんて尊称も最高齢者というよりは「年寄り」に近いニュアンスであろう。
 わたし個人の勝手なイメージでは、年寄りとは喧嘩の仲裁ができる人である。「ここはひとつ、年寄りの顔に免じて堪えてくれんかのう」
と言えば、それで喧嘩している同士はしぶしぶ矛先を納める。立腹しつつも、どこか安堵した表情を浮かべながら。そんなふうに心の機微を
読み取り、また最後の最後に腰を上げる状況判断の確かさと、人生経験を重ねてきていることへの万人の敬意とかが、その場を収めるのである。
 ・・・ 六十歳を超えると急に「余りにも下世話な」妄想が突出するケースが散見されることは、既に第5章で触れた。その背景には、
若さから遠ざかったことへの無念さとともに、年寄りであることを受け入れるに足る価値感が高齢者に与えられていないことがあるだろう。
暴走老人などというものが出現したのも、老人であるという無力感や孤独感のみならず、年を重ねたという事実を劣化といった文脈でしか
認識しない世間への恨みが大きかったからだろう。 年長だからとそのことだけで威張るのも、あるいは落胆するのも問題だけれど、
年長者の顔を立てるといった世の中の「知恵」が通用しなくなっている。その辺りの軋みを是正するには、もはや老人が年寄りであることを
意識的に「演じる」ことから再スタートするしかないのではないか。
 世の中が認めてくれるかどうかはさて置き、年寄りというキャラクターを、役割を、もっと意識してみてはどうなのか。そのキャラクターが
現今においては「カッコ悪い」といった了解があるから、年寄りであることを皆が演じたがらない。若く見える意外性ばかりを狙いたがる。
 団塊の世代がこれから老人へと突入していく。どのような老人像を頭の隅に思い描きつつ年寄りになっていくのか。ジーンズやTシャツが
少なくとも外見的に旧来の老人とは違ったイメージをもたらすだろうし、家族のあり方も変化してきているのだから、過去の年寄りの姿が
そのまま手本にはなるまい。還暦に赤烏帽子と赤いちゃんちゃんこを贈られていた頃とは時代が違う。≫
 ▼「あえて自分らしい年寄りを演じてみることで、配役として全うしてみることを楽しんでみればベスト、人生など所詮は
  座興に過ぎないのだから」という著者の言葉が説得力がある。清濁併せ飲む老人を演じるのも面白いが・・・どうも、クソ真面目は?
  年寄りは、目立たないことだ。団塊の世代の年寄が、目立ち始めてきた。だから海外旅行者の数が不景気にかかわらず減らない。
  彼らは「皆んなで渡れば怖くない世代」である。兄弟、友人も皆んな年寄りになっていくため、無力感や孤独感は少なくて済む。
 ・・・・・・・
3723, ジャズについて −15
2011年06月05日(日)
   * 日本のジャズはどうなっている ?  ー 「音楽の本」三枝成彰著 より 
【 二十世紀初頭にアメリカに生まれたジャズが日本に入ってきたのは、明治から大正に入り、第一次世界大戦が勃発した頃だ。
 当時は社交ダンスが華やかなりし時期で、ダンス音楽として輸入されたのである。 一九三〇年代にもなると、東京を中心に
 ダンス・ホールがお目見えし、日本人によるバンド演奏も行なわれるなど、第一次ジャズ・ブームが起こる。わが国最初の本格的な
 ジャズメンとの評価を得るトランペッター南里文雄が活躍を始めたのも、そんな時代である。しかし、ジャズが本当に日本に
 もたらされたのは、第二次世界大戦後の進駐軍占領時代といっていいだろう。それというのも、戦争が激しくなる一九四〇年前後には、
 ジャズメンの主な活躍の場であったダンス・ホールは閉鎖され、やがては「敵性音楽」との理由から演奏そのものが禁止されるなど、
 ジャズの空白期間に入るからである。戦後のジャズ。それは、進駐軍として駐留する兵隊の娯楽として、NHKがジャズなどアメリカの
 ポピュラー音楽を放送したことを直接のきっかけとする。やがては慰安のため進駐軍のキャンプを巡ってジャズを演奏する日本人も出現。
  同時に、日本人の心もとらえ、五〇年代に入ってルイ・アームストロングベニー・グッドマンデューク・エリントンなど本場の
 巨匠たちが来日するにいたって、第二次ブームとも呼ぶべき様相を呈したのである。もちろん・進駐軍とともにもたらされたジャズは、
 アメリカと同じようなスタイルの変遷を経ながらも日本にすっかり定着していき、一方、日本の流行歌にも大きな影響力を及ぼすのである。
  そんな日本のジャズで活躍した多くのプレイヤーの代表をあげるとすれば、サックスの松本英彦渡辺貞夫、トランペットの日野皓正、
 ピアノの秋吉敏子、菊池雅章、山下洋輔らになるだろう。なかでも日野晧正や菊池雅章、秋吉敏子といった面々は、ジャズの本場
 アメリカを拠点に活躍。日本におけるジャズも、本場がそうであるように、八○年代以降やや沈滞気味だが、そもそもは輸入された
 音楽であるジャズの世界でも、世界に通用するアーティストを輩出していることだけは忘れてはならない。 】
  ▼ 私が学生時代に、TV番組でジャズが多く流れていた。それだけでない、カントリーにウエスタン、ブルースにロックと、
   当時はアメリカに如何に同化するかが、大きなバロメーターのところがあった。現在も、その傾向が残ってはいるが。
   地方出身の学生であった私も、何の抵抗もなく、アメリカナイズされていった。それから考えれば今さら何がジャズか、になる。
   とはいえ、当時の刷り込みのあるジャズに、興味を持つのは当然といえば当然で、むしろ抵抗なく、その世界を楽しめばよい。
 ・・・・・・・
3358.すでに世界は恐慌に突入した ー1
 2010年06月05日(土)
「 すでに世界は恐慌に突入した ーデリバティブとドルはあと数年で崩壊する 」 ー船井幸雄 朝倉慶 著
  ーまず、アマゾンの 内容紹介 よりー
いよいよ、資本主義が音を立てて、崩れていきそうな気配。今の我々のシステムはデフレという状態では崩れません。
貨幣への信頼があるからです。ところが、世界的に始まってきた、石油や食糧をはじめとした、今の商品高が止まらなくなり、
酷いインフレ状態に陥ると、やがて貨幣に関する信用が失墜して、経済活動、その他も収集がつかなくなってしまいます。
そうなれば、資本主義の崩壊です。そのきっかけを作るのがドルの暴落です。ドル暴落という引き金が引かれれば、国債大量発行
という借金漬けの日本の状態もそうですが、中国の体制の問題、イラン、イスラエルに見る中東問題、インド、パキスタンの紛争、
さらにはロシアや東欧、書きだしたらきりがないほどの世界を取り巻く矛盾が一気に噴き出てしまう。 ・・・・ (中略)
 恐らく今回の混乱は、経済的な破壊に留まらず、天変地異や、鳥インフルエンザなどの破壊的な疫病も伴うこととなる。 
まさに人類史上最大の困難が幕明けようとしています。しかし、この事態を決して悲劇的なことと捉えないでほしいのです。
豊かになった我々は、実は、多くのものを失ってきているのです。親殺し、子殺し、無差別殺人、振り込め詐欺、こんなことは
なかったことです。豊かさとともに何かが変わったのです。家族や隣人への愛情、屈託のない笑顔、世の中には、お金では
買えないものが山のようにあって、そのものすべてを取り戻す旅が始まるのです。お金や人の地位などは目で見ることができます、
しかし愛情や信頼などは、目では見えませんし、計ることもできません。一番大事なのは、この目に見えないもので、これから、
我々はこの目に見えない、今まで失った一番大事なものを取り返しにいくのです。
 ▼ しかし朝倉慶の「大恐慌入門」は、たとえ話を多く取り入れながら分かりやすい内容で、非常に多く売れたよう。
 その続編といった内容で、6京という信用取引の残高のマイナーは、まだ世界中の企業、金融機関、政府系機関の金庫の中で
 ジッと眠っているだけ、必ず、その損失処理をしなければならない時期がくる。それが今や刻々と近づいているのは
 誰の目にも明らかである。対処処理で札を刷りまくった結果は、札の価値の下落、ハイパーインフレである。
 今年の暮れから2012年には、発生するのは間違いないこと。
・・・・・・・
2983,超円高社会ー 6
2009年06月05日(金)
 現在の年金問題の大きな問題は誰が起こしたのか、そして、その問題点とは何かを簡潔に書いてあった。
これによると、田中角栄である。考える方も考える方だが。 彼の功と罪は、あまりに大きい。最後は消費税とは別に、
「年金税」という直接税で賄うしかないのだろう。
  ーまずは、その部分を要約して書いてみたー
  * 孫代にツケを回す年金制度の犯人は角栄
【 自分が積み立て、増やしたお金を老後に受け取るという制度は、当初のように続いていたら、これは公平な制度である。
「制度を越えた支え合い」などという政府のマヤカシで洗脳される余地はなかった。では何時、世代間で極端に不公平な賦課方式に
替わったのだろうか。実は、あの詐欺師のような男、角栄である。田中角栄時代に、日本はハイパーインフレに襲われた。
当然年金は目減りをする。年金を引き上げれば喜ばれる。しかし、下げれば嫌われる。そこで角栄は考えたのである。
日本の制度は大福帳会計である。個人個人の会計の口座の中味を把握できる仕組みになっていない。そこで、年金制度を賦課方式に
切り替えれば、年金を掛け金を値上げすることなく、当面の年金額だけを大幅に増やせるぞ、と。この決定こそ、身勝手に国民の財産を
奪い取る、悪魔の決定であった。 それを解りやすく説明をすると、若いXさんの積み立てた財産を勝手に奪い取り、老後期にある
Yさんに勝手にばら撒くという案なのだ。自分の積み立てた金は現在の老人に支払われてしまい、老後は、その時の若い人から支払えばよい、
という考えである。負担を後世代に回すことで票を買うという背信的な政策だったのである。当時、角栄の熱狂的に支持した層が、現在、
老後の世代になっており、この歪んだ制度の最大の受益者になっている。彼等こそ角栄円高社会ー 5の共犯者なのである。
積み立て方式を賦課方式に替え、そして自ら払った金額より大幅に超える年金を受給し、今の若者に尻拭いを押し付けたのである。
角栄は「今太閤」と呼ばれ人気者になって、票を取り、私腹を肥やして、あの世に逃げていったが、残された国民はいい面の皮である。
こうして角栄の手で年金はネズミ講のシステムに切り替えられたのである。このネズミ講の破綻を避けるには、より多くの金を集め、
被害者の数を多く集めて、誰かが尻拭いをしなければならないのである。そのためには人口が増え続けなければならない。】
▼ 以上だが、私たちの年代は、その恩恵を受けるが、その後を考えると大変な負担になる。
 これと同じようなことを、自民党が大量国債発行を続けてきた。
 更に、この金融恐慌をキッカケに大量に積み増している。 もう手が付けられない手負い獅子。
 この総選挙で抹殺されるか、生き延びるか? 自民党を選択してきた国民の民度が一番の問題。
・・・・・・・・・
2008年06月05日(木)
2619, 消費社会から格差社会へ ー3           ー読書日記ー
ー若い人の一人旅は流行らないー
 この本によると、10年ぐらい前までは、「深夜特急」とかいう本に啓発されて若者がパックを背負って世界を旅するのが
流行っていた。 が、今では全くといってよいほど見られないという。 いつの間にか時代は変化していたのである。
  ◎ まずは、その部分を抜粋してみる。
以前、ある研究会で旅行関係の仕事をしたんです。聞くところによると最近の若い子が海外旅行に行かなくなったと。
まあお金もないし、頻繁に海外旅行しなくなったと。でもお金の問題だけじゃなくて、どうもコミュニケーションカが
非常に低くなっているんじゃないか、と。 七〇年代初期に 「団体旅行なんてカッコ悪いぜ、デイパック背負って行く
旅がいいじゃん」っていう、「地球の歩き直的なムーブメントがあったけれど、今は「若者だから一人で旅をしろ」って
言っても、もう行かないんです。  (字数制限のためカット 2012年6月5日)
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2007年06月05日(火)
2254, ビョーキな人々探訪記 ー3     o(゜∀゜)o オッハヨウ
鬱病について
依存症とは違うが、これも大変な病である。作家の原田宗典中村うさぎの対談も絶妙である。
原田宗典は数冊読んだことがあったが、彼が鬱病とは驚きだ!
 (字数の関係でカット09年06月05日)
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2006年06月05日(月)
1889, 閑話小題       おはよ?!(*^ワ^*)i              
  ーインフレの足音ー
 家内の話では、
「スーパーの特価のトイレットペーパーが売り出し直後に売り切れる。主婦レベルの買いだめが始まっているようだ」
とのこと。値上がりを見越して、主婦レベルでのささやかな生活防衛が始まったようだ。 原油の値上がりからみて
当然の現象である。インフレはまだ先のことと思っていたが、悪性インフレが徐々に姿を現してきた。2008年から
2010年辺りに世界的な大変動がある。
  ーサッカーのドサクサにー
 サッカーのワールドカップのドサクサを狙って政治的な大事件が起こる可能性がある。
 冷静に、それが何だか見てみ極める必要がある。その一つが村上の逮捕か?
 それとも、あの大銀行の手入れか。アメリカの株価の大暴落か。
 アメリカの大手??会社の倒産か。大きなテロも可能性がある。無ければ無いでよいが。
  ー自殺が8年連続で3万人超ー
 3万人超の自殺が8年連続とは異常の数字である。ホテルで自殺者が出ると当事者として、
その詳細が警察から知らされる。「おん宿 かわせみ」という時代小説があったが自殺者だけに限らず、
(長期宿泊者などの事情を聞くと)色いろな人生を垣間見れる。 例えば
・12平米のツウィン・ルームに男女二人が5〜6年近く宿泊して(暮らして)いた。
・子供連れの女性が二年近くシングル・ルームに住んでいたとか。
・怪しげな若い男が、明らかに純情そうな素人娘のヒモとして、ピンサロで働かせていたとか。
・最近は見られなくなったが、流れのピンサロ嬢も時期になると宿泊するという。
  (字数制限のためカット 2011年6月5日)
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2005年06月05日(日)
1524, わたしの酒中日記ー3
   金沢編ー1
ー1971年10月某日
 会社の寮から50Mのところに「トラちゃん」というホルモン焼屋がある。まわりカウンターの中で、小太りのトラちゃんというに
相応しい小母ちゃんがやっている店である。
(字数制限のためカット 2013年6月5日)
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2004年06月05日(土)
1159, 「武士の家計簿
いま話題になっている本に、この「武士の家計簿」がある。激動の時代が、武士の家計簿でリアルに浮き彫りにされている。
  (字数制限のためカット 2010年6月5日)
・・・・・・・
2003年06月05日(木)
 792,起業とは-1
 現在、起業家という言葉がキーワードになっている。国家が支援金まで援助して新しい事業を興すことを勧めている。
(字数制限のためカット 2011年6月5日)
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2002年06月05日(水)
428, おしっこをしながら、水を飲む
 「おしっこをしながら、水を飲むとそのまま飲んだ水が垂直に排出された感じになる。
(字数制限のためカット 2012年6月5日)
・・・・・・
2001年06月05日(火)
[43] オークションサイトについて
(字数制限のためカット 2012年6月5日)