* 書斎は、自分の壺中!
 3年前のリタイアで、まず考えたのが自分の居場所。それまで仏間の一角に本棚と机を置いていたが、
ほぼ座ることはなかった。家では居間で、早朝に起きて、本を読むか、ノート型パソコンでブログを書いていた。
仏間の一角は、あくまで、そのための予備コーナーの場でしかなかった。また、通勤の新幹線の往復一時間の座席も、
大事な読書空間になっていった。高速の移動空間は、脳にとって最適だが、この様。 更に会社の事務所も、訪れる人も
少なく、ここも書斎空観になっていた。しかし、リーマンショックで、リタイア時期が三年早く到来してしまった。
 一挙に失われた会社の事務所と新幹線の時空間が必要になって、倉庫と仏間の一角に移動することになる。
もともとあった机と書棚に、サイドテーブルを設置し、事務所のパソコンと、ステレオ、ミニコンポを移動した結果、
そこは私の最適空間になっている。今では、早朝に2〜3時間、午前9時半〜12時まで、平均5時間はいる。
 ここは心の落ち着く自由空間で、我ながら気にいっている。音楽をバックグランドにて、自由気ままに、読書をし、
ブログを書き、ネットサーフィンをし、瞑想をしたり・・・ 
 先日、図書館で文庫本のコーナーで偶然、『ミニ書斎をつくろう』杉浦 伝宗 (著)を見つけた。立読みだったが、
「書斎が無理なら、ミニ書斎をつくりなさい」には、全く同感である。私の空間は、仏間の半分に、2m四方の4平米の
だが、著者の目安は1・3m四方。 私の一歳下の団塊世代が、一斉に停年になって家に入っているが、問題が居場所である。 
著者は狭小住宅を手がける建築家で、1畳・1万円の予算から、階段下や寝室の一部などの空きスペースを書斎化する
イデアを提示している。 流し読みで、面白いと思ったのが、「ミニ書斎は壺空間」。自分独りのシェルターの確保こそ、
粗大ゴミと蔑まれる我身の守るため必要なことである。もう一つ、電子書斎があれば、その空間は更に良いものになる。 
オタクもいいところだが!「大不況には本を読む」(橋本治著)を、借りてきた。ネットの検索に、「ミニ書斎 写真」
と入れたら、面白いものが多くあった。 私のミニ書斎と共に、ヤフーブログに載せたが、理想的な良いものが多くある。 
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4400, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −2
2013年04月03日(水)
              『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』 天野祐吉、お相手 横尾忠則
   * 第一時限 ー猫の自由に学ぼう 横尾忠則
 横尾の『猫の自由に遊ぼう』が面白い! 気の向くまま、飼主に気兼ねすることもなく、自由気ままに時間を過ごす。
これを御隠居と二重合わせにしている。専業主婦の家庭は、亭主が犬型で、主婦が猫型に自然になっている。家内をみると、
つくづくと猫の生き方を見て取れる。亭主は会社で赤くなったり青くなったり。しかし、猫型の主婦は、給料を持ち帰って
くれれば、我関せず。 亭主は、リタイアー後も猫になりきれず、切れた首輪をつけたまま外をうろつく。 元何某の
肩書きなど何にもならない。リタイアをして新しい環境に直ぐに適応するために、長年かけた準備が必要になる。
 以下の対話は、なかなか面白い。
≪ 天野: 猫型人間とか犬型人間とかいうが、誰にでも心の中に両方を養っているじゃないかと。子供の頃は、
 だいたい猫型の方が偉そうにしているが、大人になって組織の中で働くようになると犬の方が成長していく。
横尾: 猫は、僕にとってアーティストの見本です。猫は妥協しないし、犬みたいに尾っぽを振らない。
 自分に忠実で、他人に忠実でない。アーティストは自分以外に忠実になっていけないのです。
天野: ぼくの場合ですと、二〇年前にふっと気がつい。自分の内側をのぞいてみたら犬ばかり肥大していて、
 猫は息も絶え絶えになっていった。動物虐待もいいところだなあと思って、それから犬的部分の猫に栄養を
与えるようにして。そして猫が元気を取り戻してきたら次第に「なんで真面目に働いでばかりいたんだう。
こんなことのたために生れてきたのか?」という思いがどんどん強くなってきたんですね。そして、これって、
多くの隠居候補の人に気持ちに近いと思う。世の中のルールに従うことも、あるいは働くことも大切なんだけど、
でも隠居生活を送る上では、猫の自由をもう一度学びなおす必要もあってよいんじゃないか。
それで『猫の自由に学ぼう』を隠居大学の校訓その一にしたいと思ったんです。≫
 ▼ 私の中の犬猫は、首輪をつけたままの野良犬と野良猫。一応、自由に放飼いをしていたが、何時も喧嘩ばかりで、
  札付きの嫌な奴である。どうも酒を飲むと、表立って出てくるから困ったもの。 青年期までの猫、成年期の犬、
 そして老年期に猫に戻るという説が何とも珍妙である。両者とも野生動物を人間に都合の良いよう改良されたもの。
 「犬は家につき、猫は人につく」というが、今さら男は新しい人間関係の構築は難しい。縦社会で生きてきた男達は、
 横社会には向いていない。家では嫌われ、紐のきれた首輪をしたまま街中を彷徨うか、猫を被るしかない。誰?それ!
・・・・・・
4026, 「人生の知恵」ノート
2012年04月03日(火)
  4年前に、図書館からグラシアンの「賢人の知恵」という本を借りてきて、ここで書き始めたが、一回限りで終わっていた。
少し読んで、いま一つピンとこなかったので途中で止めていた。ところが先日、図書館でー本当に役立つ「人生の智恵」ノートー
というグラシアンの他の訳書を見つけて読んだ。 今回は、言葉の一言一言が納得出来た。 現役を退いたこともあるのだろう。 
グラシアンの経歴は、『雄弁な伝道師として圧倒的な名声を得るが、1657年、サラゴサでの聖書学の教授の地位を追われる。
逮捕され、追放されたタラソナという村で一年後に没した。』とある。これで、この人物の処世術が生くさすぎることが分かるが、
内容は、現在も納得するものが多い。“善人が損をするのは善良だからではなく、世間を見る目が甘いからだ。”など、
伝道師にしてはシビア。人間は、真面目に生きているわりに、次から次へと、問題が生じてくる。 何故だろうか、
智恵が足りないのである。グラシアンは、「高邁な知識だけで人生は乗り越えられない。日常生活に適応するのが重要とまでは
いわないが、最も必要。使えない知識より、今日使える術こそ真の知識である。」という。 
ここで人生と事業を振り返ると、多くのことが改めて見えてくる。
  ー 以下は、人間関係を良くする言葉のノート ー
 1 愚か者とはつきあわないー愚か者ほど優秀と思っている。指導するだけ徒労。ー互いに思っているからすくわれる?
 2 誠実になりすぎない ー蛇の悪知恵と、鳩の誠実さを使い分けよう。自分が騙したことがないから、直ぐ騙される。
 3 第一印象にとらわれない ー人の心は多面的。一面だけで判断しない。
 4  口に合わない料理をすすめない ー相手の好みを知ること。自分の好みは相手の好みとは限らない。
 5 突飛なふるまいをしない  ー突飛な振る舞いは、欠点として相手はみる。
 6 もろい人間とつきあわない ーもろい人間は自分勝手な心が強い。被害者意識が強く、人は悪意の塊と思う。
 7  不幸な人ともつきあわない ー走り続ける成功者は不幸な人と関わる余分な時間はない。
 8 他人の欠点に慣れる訓練をする ーこれは訓練で慣れる。
 9  多数派とともにある賢者たれ ー周囲に合わせるのは良いが、品位を忘れない。少数派の愚者もいるが。
 10 友人であり続ける努力をする ー長く付き合える友人は見定めること。
 11 賢者を見つけ助言を求める  ー相手を見定め、助言を求めるのは、思慮深さの証である。
 12 認められなくてもがっかりしない ー必要なのは厳しい自己評価。
 13 会話は慎重に、そして楽しく ー会話は雄弁さより慎重さが大事。相手に合わせよ。
 14 親切をおまけにつける  ー親切は費用対効果が高い。相手より先にするのが技。
 15 相手の急所を見つける  ー殆どの人が求めているのは快楽。その急所を見つけよ。
▼ 品位のない人間は最後の裏切りの切り口で、本姓が分かる。 見上げても見下げても、全て自分の範疇。
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3660,音信不通だった友人から連絡が!
2011年04月03日(日)
 * 5分の差で助かった
 学生時代の友人の奥野和夫さんから、昨日の午後に電話が入った。安否を知るために、
宮城県亘理町の住所先に葉書を出していた。それが昨日になって本人の手元に届き、電話をくれたのである。
  彼の話の概要とは! 
≪ 妻が病院に行くのに付き添った後、自宅に帰ってきて、たまたまTVを見ていたら、激しい地震が襲ってきた。
それが長い時間にわたり続いたが、急にTVの画面が変わって6メートルの津波が押し寄せるという緊急の内容。
直ぐに6Mより10Mに変わったのをみて、着のみ着のままで自動車で高台の方面に向かった。しかし、道路は
渋滞で前に進まない。そこで機転をきかせ農道に回ったが、そこも渋滞。その間に余震が激しく前に進めないほど。
それでも何とか高台に辿り着いた後の5分後に大津波が襲ってきたという。 その後、避難所に行ったところ数百人の
先客がいて寝れる状態ではない。そこで車の中で一晩過ごしたが、着の身着のままで逃げてきたため、寒がきつい。 
暖房もガソリンが無くなるので、一晩中、5分ごとにエンジンをつけたり、止めたりして過ごした。朝までの時間が非常に
長く感じた。水洗トイレは、ボランティアの中高学生が水を近くの川から次々と運んでいた。命は助かったが・・・ 
妻が病のため、避難所では悪化の可能性がある。 ふと30分の所に前の会社の先輩が住んでいるのを思い出し、
そこに9日間、避難させてもらった。そのうちに群馬の実家の兄に連絡がついて、車でガソリンを新潟県経由で持って
きてもらい、何とか兄のいる実家にたどり着いた。最近になって道路が復旧してきたので、自宅を見てきたが、
1Fが海水の泥で滅茶苦茶のため、廃材処理の手続きをしてきた。命一つでも助かっただけで充分! 
火災保険に入っていたが、地震保険には入ってなかった。 ≫
 ー以上が、彼の15分間の電話内容だが、一つ判断を間違えれば助からなかったようだ。住所の亘町荒浜は
仙台飛行場の南下に位置し、阿武隈川の河口にある。 終の住処を、そこに選んだことに羨ましさを感じていた。 
それが、まさか・・・ それでも命が助かっただけでも喜ばなければなるまい。他人ことではない、まさかまさかの日々。
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3295, 果たして、日本は財政危機が訪れるか?
2010年04月03日(土)
  昨日の朝日新聞の ーキーパーソンーのみずほ証券の高田創氏への
「先進国最悪の借金、財政危機は起きますか?」のインタビュー形式の内容が、時が時だけに注目して読んでみた。
  ー その内容を私の主観でマトメテみた ー
 日本の国債残高が2010年度で637兆円に達する見通しだが、「先進国で最悪の借金体質」といわれる中で、
 国債発行余力を探った。  
 (字数の関係でカット2012年4月03日)
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2920,私は嘘しか言いません
2009年04月03日(金)
 ー養老孟司が、対談で次のようなことを述べていていた。
《 数年前に亡くなったユングなどの研究者の河合隼雄が真面目な話をする時に「私は嘘しか言いません」
 と言っていたそうです。これは考えてみたらシミジミと効いてくるセリフです。つまり「私は嘘しか言いません」
 というのが本当だと既に嘘をついている。河合さんは、この言葉に「言葉など当てになりませんよ」という意味を
 込めていられるのだと思いますよ。》    なるほど、面白い。 
 哲学に似た問題提起があった。 「クレタ人の嘘」である。
ー『クレタ人は嘘つきだ』が真ならば,クレタ人が発した『クレタ人は嘘つきだ』自体が嘘で,
クレタ人は嘘をつかないことになり,『クレタ人は嘘つきだ』が真という仮定と矛盾する。
もし、『クレタ人は嘘つきだ』が偽ならば、クレタ人は嘘をつかないことになる。
つまり、『クレタ人は嘘つきだ』が真となってしまい,『クレタ人は嘘つきだ』が偽という仮定と矛盾する。
クレタ人は嘘つきだ』の真偽がいずれであると仮定しても、矛盾が起こる。ー
 言葉の何とも妙なところだが・・ 「私は嘘をいいません、信じてください!」の口癖の人がいた。
これほど好い加減な言葉はないが、言うほうも言うほうだが、騙される方も騙されるほうだ。騙している方も騙されている方も、
ボケ漫才のように気づかないから始末が悪い。それなら「私は嘘しか言いません」の方が良い。それも哲学的ときているから面白い。
しかし、それでは世界が回らない。詐欺師は「嘘しか言わない」からこそ、その奥にある言葉の意味を知っている。言葉は共同幻想
そして仮想を創りあげる。それに己が気づかないから問題は拗れるのである。「私は嘘を言いません」と真面目に言う人がいるが、
「私は嘘しか言いません」を悪用するとどうなるか? 「私は嘘を言わないように心がけている。嘘を言った分、何倍も自分に
跳ね返ってくるし、自分の中に残る」これは、私の基本だが、一般も同じだろうか? 
嘘も方便だが・・・冗談のつもりの嘘で何度も大失敗をしたが。 ところで本当(真実)って何だろう?
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2556, 印度放浪 ー1
2008年04月03日(木)
  『印度放浪』 藤原新也著  朝日文庫
写真家の文章は何故もこのように対象を、そして対象に映った気持ちを上手く表現出来るのだろうか。
言葉の一言一言が詩のようでもある。以前、買って目を通したが、長男がインドへ行ったのを機会に読んでみた。
文庫本になっているが、半分以上がカラー写真で、40年以上前に書かれたものとは思えない。
 表紙を開くと、すぐ次のページに、この一行だけが書いてあった。
ー 歩むことに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界が虚偽に見えてきた。ー
そして、その二ページ後に、
ーぼくは歩んだ。
 出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。
 出会う人々は、悲惨であった。
 出会う人々は、滑稽であった。
 出会う人々は、軽快であった。
 出会う人々は、はなやかであった。
 出会う人々は、高貴であった。
 出会う人々は、荒々しかった。  世界は良かった。
《旅》は無言のバイブルであった。《自然》は道徳であった。《沈黙》はぼくをとらえた。
 そして、沈黙から出た言葉はぼくをとらえた。良くも悪くも、すべては良かった。ぼくは全てを観察をした。 
 そして、わが身にそれを《写実》してみた。
▼ 40歳になって15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が「なぜインドに行ったのか」の質問に言葉がつまり、
 その若者の後の影に、過去の自分を投影する。 (若いときの自分について)
 青年は何かに負けているようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。
 そして、青年は大地に負けていた。青年は人に負け、熱に負けていた。
 青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。
 青年はパンに負け、水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。
 青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。
 青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。
 疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く白熱する、
 目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに残していた。・・・・
 ・・・なんか知らんけど目茶目茶に何でもかんでも、負けにいったんじゃないかなぁ。最初の頃は。
(字数の関係でカット2012年4月03日)
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2007年04月03日(火)
「定年以降の生き方」を考える         才八∋ウ_〆(∀`●)
 今年から、大量の団塊の世代が定年を向かえる。
その第一期生が、この4月から正式に大量に会社から(悪くいえば)放りだされる。「組織」から離れて「個」として、
どのように自立(自律)するかが問われる。「孤独」「孤立」した時に、自分と如何に付き合っていくかが真に問われるのが、
これからの人生である。それまでの組織内での相互依存関係の環境が、自分自身への依存になるから厳しい。
宅上犬が「明日から家の外で暮らしなさい!」と翌日から屋外に放り出されるのと同じ。勤めていた会社の価値観は、
他では全く通用しないしないことに、そこで初めて気づく。鑑札のある首輪があるうちは、誰も温かく向かえてくれるが、
首輪が外されてしまえば、誰も相手にしない。その時ただ一人茫然とするしかない。そこで手っ取り早く
「定年退職者の溜まり場」にソソクサと出かけても、「自己を持たない濡れ落ち葉同士の葉っぱ」の絡み合いになるのは、
当然の成り行き。 そこにいるのは自分と同じ「虚しさ」を埋めにきているゾンビばかり。「人生とは何か」を考えたことの
ない人は、自我の先の自己が希薄である。そこでは自我と自我のぶつかり合いになるだけ。ここではゾンビの話ではなく、
定年退職後の生き方を問おうとしているのである。面白いので、つい話がそれてしまった。 還暦になる前に10~30年かけて
ライフワークを確立すべし!ということ。今さら言っても仕方がないが・・ 面白いから話を続けよう。
そこでは即席でもよい、「楽しい」と思えることをやること。その「楽しい」が何かも解らないから始末が悪いときている・・
何時間やっても疲れないものを探せばよい。 それも解らない? じゃあ、愛玩動物ーペットが好き?なら、飼えばよい。
もういる。もし犬を飼っているなら、さらに小鳥を飼えばよい。もし持ち家があるなら家を売って、その資金で旅行三昧を
すればよい。その覚悟がなければ、家の中でウジウジすればよい。二度とない人生、最後は楽しみ尽さなければ。
定年後は、年金の他に10万円の収入が理想という。年間120万円あれば、海外の安いものなら夫婦で二回は行ける。
せっかく死が貴方の後ろから追いかけてくる歳になったのだから、その死への恐怖と危機を借りて、他人からの目や、
プライド、見栄など、一度無視することである。死の前では、そんなものは霞でしかない。限られた時間を自分の奥底の
声の通り生きなくては何の意味もない。死ー無という絶対的な宇宙からみたら自分の存在なぞ無いに等しい。
だから一度独りになって、ジックリ多くを考えるべきだ。図書館があるでしょう、図書館が!それと身近にいくらでも自然が! 
美術館も、いや百貨店もある。それに気づくには独りになりきることしかできない。誰かに言われそうだ。 
シツコイ!同じことばかり書いている、と。定年の時期なので、ついついアウトサイダー的人生観は、これから必要になるから?
(別の声)そういうけどね、今さら如何すればよいんですか、路頭に迷ってしまっているのだから、致し方ないのです。
ただ、朝起き、飯喰って、ボーッするのも、良いじゃないですか。それしか出来ないのだから。何で好きなことを探さなければ
ならないのですか? こういう生活が好きなのだから、ただ比較しているだけじゃないですか。ウジウジして生きる、
ナメクジの人生もあるのですよ。人生、人生というけど、ナメクジのはった跡を言っているだけじゃないですか。そんなもの!
・・・・・・・・・
2006年04月03日(月)
1826, ずっとやりたかったことを、やりなさい?4           
          ー 3月22日 12:00記
 朝起きがけのモーニング・ページを始めて8日経つ。(3月14日開始)
 学生時代の卒業間近に半年分書いてあった日記がある。 何の構えの無い、筆が向くままの文章だが、 
 もっと日常の些細なことや気持ちの動きを書いてあればと面白いのにと、読み返してみて実感する。
 それをカバーするのが、モーニング・ページである。何でも良いから気の向くままノート3ページに書いていく。
 書くことがなかったら、書く事が無いと書いた上に、その後に「ありがとう、嬉しい、楽しい、幸せだ、ついている、大丈夫、
 許す、よかった」などを自動的に書く。そうすると、不思議なことに何かが出てくる。
 学生時代はそれに近かったが、最近は構えてしまう。モーニングペイジは脳の排水というが、その排水に何かがある。
 この文章も頭に浮かんだままの内容の文章である。毎朝一時間近くかけて修正・構成している随想日記ーテーマ日記も
 面白いが、ただ何も考えないで起きがけに構えないままのモーニング・ページも面白い。
 これはHPで公開はできないし公開したら、そこに構えが入ってしまう。
             ー 3月30日 pm12:30記
「8週間は読み返さないこと」とあった。それでも数日前のものを読むとナカナカ面白い。
(字数の関係でカット2010年4月03日)
・・・・・・・
2005年04月03日(日)
 1461, 「どう思いますか格差社会
昨夜の19時半から22時半の特番が深く考えさせられる内容で、好きな?巨人戦も殆ど見ないで、この番組に見入ってしまった。
 (字数の関係でカット2011年4月03日)
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2004年04月03日(土)
1096, 人生と時間
 1日=24時間、 1年=8,760時間、 80年=700,800時間
 人生80年間を時間換算すると、確かに700,800時間になる。
人間には睡眠や食事、排泄など、生理的に欠かせない時間がある。
そうした時間を1日10時間とすると、70万?292000(10時間×80年)=約41万時間となる。
<人生は41万時間の配分ゲーム>といえる。
・ 1日=労働時間+生理的必要時間(睡眠、食事、排泄etc.)+自由時間
(字数の関係でカット2012年4月03日)
・・・・・・・
2003年04月03日(木)
729, 「イヌが教えるお金持ちになるための知恵」  ー読書日記
(字数の関係でカット2008年4月03日)
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2002年04月03日(水)
365,ミカン集中法
「ミカンを頭の上15センチ上に置くイメージを抱き、本を読んだり、書き物をすると集中力が数倍増す」という。
(字数の関係でカット2008年4月03日)