『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
   * 老人力より、満足力、感謝力を
 著者は私より10歳若いので、老いの実感が少し違うのは仕方がない。老いは、60歳代は重症の病がない限り、
ある意味、一生で最良の時節!が分ってない? 夕暮れ時の楽しさである。 70歳代も、その延長とみるのは、
無理があるが、人による。兄、姉4人が70代だが、実際の心情は分からないが、不幸でもなさそうだ。
問題は、後期高齢者といわれる75歳以降。  ーここで紹介しているインディアンの教えの次の一節が良い!
《  おまえは(若者)わたし(老人)に言う、
    去年という年に住むご老人よ、
    昔の歌を歌うご老人よ、
    目を覚まして
    現実の世界を見てごらんなさいと。
   わたしはおまえに言う、
    どこにも住んでいない若者よ、
    雑音しか聞くことのない若者よ、
    世界はわたしの内部で育ってきた
    だからわたしは歳月とともに豊かなのだ。  (「今日は死ぬのにもってこいの日』ナンシー・ウッド著              
  老人は弱るからこそ、深い知恵をつけられる。失敗し、挫折し、何度もあきらめを経験するからこそ、
 新しい地平が見える。 若さや元気ばかりにすがりついていては、知恵や満足から遠ざかるばかりです。
 だから幸福な老後を目指すなら、自らの境遇をあれこれ言う前に、満足力のをつけたほうが早道ではないか。
 ・・・ 老人の知恵として、欲望にはきりがないと悟り、‘無頓着力’‘満足力’‘感謝力’をつけたほうがいい。
それができれば、浅はかな若者たちも自然な敬意を抱くようになるでしょう。 》
▼ 若いうちは、感激力、感動力、感涙力が優先されるが、老いたら、満足力、感謝力、諦念力が必要というのは、
 現在、実感していること。ここでいう「世界はわたしの内部で育ってきた だからわたしは豊かなのだ」は、老いて
こそ、実感できる言葉。老いれば老いるほど、世界は私の中に収まり、さらに広がっていく! ネット社会は、その点、
非常に便利になる。今のところ長生きしたいが、歳を重ねるにつれ、どう変化していくのか?歳月、人を待たずである。
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4386, 「うつ」かもしれない ー2
2013年03月20日(水)
           ー「うつ」かもしれない ー死に至る病とどう闘うか 〜磯部潮著
  ウツは躁鬱の躁の反動による「哀」の肥大による。その他にも連れ合いの喪失、病気、失敗、トラブルなどあるが・・
 バランスをとるには気分を切り替えて、その肥大に喜と楽を加えることだ。これは意識すれば可能である。
   * ウツは、「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加による
≪ 「うつ」というのはある意味、人間の正常な反応の一つです。喜怒哀楽の「哀」であり、私たちの日常に溢れています。
 ではなぜ「哀」だけが突出するのか。実は、こういう疑問の立て方に最大の欠陥があるのではないか。つまり「哀」の
突出ではなくて、「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加こそが、「うつ」をもたらしていると思うのです。
人間の基本的な感情である「喜び」「怒り」「楽しさ」は、ある意味、積極的な他人との関わりのなかでしか産出され得ない。
それに対して「哀しさ」は、積極的な他人との関わりだけでなく、関わりから撤退することでも産出されます。
つまり、対人的な関わりの希薄さの先鋭化こそが、「うつ」の増加を促進させる最大の因子ではないかと思うのです。
戦争のときに「うつ」が減るとされるのは、戦時中は人々の結びつきが強くなるからかもしれません。
 現代は価値観の多様化した社会だと言われています。そして思考力に若干の柔軟性を欠くとされる「うつ」の人たちは、
そのような価値観の急速な変遷に対応することが困難であるために、「うつ」になると考えられてきました(10年程前までは、
診断根拠として、「うつ」になりやすい性格「病前性格」が重視されていました。価値観の急速な変化に耐えられないために
「うつ」になるというのは、「病前性格」があると想定した上での仮説です)。そういう一面も確かに存在するでしょう。≫
 ▼ ウツを「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加によるという見方は初めて。そのため独り遊びが出来れば、ウツに
  なりようがない。独り遊びは喜怒楽を満たしてバランスをとる効果がある。 女性が男の二倍もウツ病になるのは、
  独り遊びのチャンスが少ない社会構造にもある。 今回も、二年間が大きな節目と精神面には気をつけていた。まずは、
  冬期間二時間、夏場は三時間の運動をする。この随想日記に集中する。週に一回はシネマに行く。読書の時間を必ず持つ。
  就眠直後の4〜5時間は熟睡する工夫をした。スーパーやドラッグストアで、一人で酒と肴や身の回りの買物をする。
  月に1〜2度は飲みに出る。年に数度は地元から出ること、などを意識的にすることで何とか乗り越えてきた。
  これは喜と楽を自分でつくり出すことになる。一日一生と、淡々とスケジュールをこなしていれば、哀しみは肥大しない。
  それが出来ないのが、病。これも無知による要素が大きい。群れてきた人は、特に注意!「独りになれよ!群れてないで」
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4012, 事業生活39年の、独り語り ー1
2012年03月20日(火)
   * 意志の確定
 倒産から一年経つ。 過ぎてしまえば、アッという間だったが、ハードランディングであることは間違いない。
一年間は頭を冷やすということで事業総括をしなかった?9・11テロ以来の10年の年計グラフの数字が、時代の大きな断絶、
「20世紀型既存業態の事業は全て終わった」と、語りかけていた。 ネット世界が、もう一つ、現実世界の上に出来上がり、
グローバル化を促進、NO・�しか事業として成立しえない世界が現れてきた。そう見極め判断すれば、割り切るしかない。そして、
リーマンショックと、東北大震災である。 私にとって40年近い事業が、この結果に終わったことは致命傷。
しかし事業人生の総括を一年経った現在、しておかなければならない。 元々、実家が商家であり、終戦直後に生まれた時から、
創業の真っ只中が幼児期だったため、激しい日々が3つ児の魂に刻まれていた。 そして20歳の時に、自分も創業をしたい!
という気持ちが立ち上がってしまったことを以前ここで書いていた。 まずは、そのコピーから
  * 20歳の頃ーある教授との出会い-1 2002/02/25
≪ この頃は大きなターニングポイントの時期であった。土がたっぷり付いていた田舎の青年が、それを必死に振り払い
「自分に目覚め始めよう」としていた時期であった。キリスト教倫理の教授に「将来の自分の設計」のテーマを夏休みに与えられ、
「生まれて初めて」に真剣に将来を考たレポートを出した。その内容に対し心の入った文章の返事が返ってきた。200人の学生に対し、
これだけ長い心のこもった返事を書くもかと感激をした。それとも「自分の熱意を込めた内容に対する特別の返事」だったのか? 
鈴木教授という名前と、授業内容が心のこもった内容であった事を憶えている。私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容。
初めて第三者に自分の心情を書いた。いや書かされたのかも知れない。要旨は「両親の生き方」に対し姉兄はその激しさ厳しさに
しり込みをした。そして安易な生き方を選んだが、自分は父の生き方を選ぶことにする。 今になって特に「父の生きかた」
に男として魅力を感じるようになった。もしかしたら、「兄二人が20歳過ぎ不幸な死に方をした」ことも書いたかもしれない。
心のこもった返事とは「その中で、よく父の生き方を肯定をした。そしてその生きかたを選んだ貴方の決心が心から嬉しい。
貴方が自分自身で考え抜いて判断したこと、そのことが素晴らしい!」というな内容。この時点で自分の生き方が変わった。
いや決まったように思える。もともと決まっていたのかもしれないが。 俄然それから目標がハッキリした。
「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!≫
 ▼ それから45年後に倒産に至ったが、傷は、それほど深くない。ハッピーエンドとしても、大して変わりがないというと、
  虚勢になるが、しかし私の人生は肯定するしかない。しかし充実はしていた。これを書いた夏休み以降から俄然、日々が面白くなった。
  まずは、自分づくりが始まった。 志を立て、目標を持つと人生は変わる。そして授業の科目を見渡すと、全てが、そのための学問。
  そして、寮の先輩も同僚も、全てが個性的人間に見えてきた。 丁度、将来に目覚める時期だった。
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3646, これまでの人生は何だったの?
2011年03月20日(日)
  地震 ―つれづれに 二題 ー9
   * これまでの人生は何だったの?
 九死に一生を得て、避難所に来た人のインタビューが生々しい上に哲学的である。
ある中年女性が、「全ての生活を失ってみて、これまでの生活と人生は何だろうか考えてしまった」と呆然自失とした言葉が印象的。 
死など考えてもみなかった人が突然、「あと数ヶ月」と宣告されて、これまでの人生を振り返った時の言葉と同じである。
これまでの生活全て目前で喪失してしまった純朴な人が、走馬灯のように現象世界を呆然と振り返ったとき、
「人生50年夢幻」の実感がみてとれる。 これは、まる一週間前に起きてしまった日本という国にとっても同じこと。
この日を境に日本は、大きく変わってしまったのである。この事実を見極めないと、判断を間違ってしまう。
 また、「現在起こっていることが、いまだ現実として受け入れられない」という言葉も、悪夢としてしか受けとめられないのである。
空ろな顔をした少女が行方不明の母親を探しながら絶望的な声で「オカーさん」と叫んでいる姿は何をか言わんである。
一瞬で大津波が生活に襲ってきたとき、ただヒタスラ逃げるしかない。そこで助かった人は、身ひとつしか残ってない。
家族と家など全て失い、避難所で何もなすすべが無い人が多く見かけられる。 まさにホームレスの状態である。
「私一人が生き残ってしまったが、それが良かったのかどうか、今でも分からない」 は、厳しい!
   * TVを見るたびに、絶望的な事態になっていく!
 ホウレン草と牛乳に基準値を超える放射能量が検出されたのに続き、今度は水道から放射性ヨウ素が検出された。
福島の、この時期のホウレン草はビニールハウスでの栽培というし、牛乳の中にというと、タダゴトでない。
かなりの放射能が既に放出されているという事実を表している。最悪に向かってことが進むと、本州は壊滅するというのが。
決してデマでないことになる。 死の雨が農産物に行渡れば、我々に待っているのは言わずと知れたこと。
だから在日の外国人は、そそくさと帰国していったのである。函館か、九州にでも長期旅行と考えてもみたが、
何を今さら・・・ 充分に生きてきたから、数年早いか遅いなら、ジタバタすることもない? 
この数年、地球破滅を取り扱った映画を何本かみてきてが、直面するとは、今でも信じられない日々である。 
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3281, 5千台、トヨタ車販売をした人の死
 2010年03月20日(土)
 会社の車の保険の更新が毎年、この時期にある。いつもトヨタの営業の人から電話がある時期にかかわらず、
電話が来ないので事務の人が電話をしたところ、「二日前に急に具合が悪くなり病院に行ったが、肺炎で昨日亡くなった」という。
そういえば去年のいま時分、数年ぶりに事務所に訪ねてきたが、ビックリするほど痩せこけていた。本人が言うには、
「インドに行って帰ってきたら歩けないほど目眩がしたので病院に行ったら、何か訳の解らない奇病。
半年間、入院をしていたが命にかかわる病だった」という。 「たまたま紹介をしてもらった先生が良かったので助かった」とか。
初めに見てもらった病院の先生が好い加減な先生で、処方箋の薬を貰いに行った薬局の窓口に人が、「あの先生は当てにならない、
他の病院に行った方が良いですよ」というので、知人の紹介で新しい医者に行ったところ、奇病が分かって半年間、
入院して命が助かったという。 この中に現在の医師問題など多くの医療問題が隠されている。 で、昨日の地元紙の朝刊に、
本人の死亡広告が出ていたが、アッサリと人は亡くなるものと驚いた。 加齢とともに、こういうことが多くなるのだろう。 
(字数制限のためカット 2012年3月20日
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2906, ユングの世界のような夢
2009年03月20日(金)
最近不思議なユング的?な夢をみる機会が多い。夢自体が不思議であるが。
 ーその一つを披瀝してみよう
あるビルのような場所にいて、右の数メートル先にエレベーターがある。そのエレベーターは、違う次元へ上がるようで、
危険なイメージが漂っている。ところが、上からエレベーターが下りてきて、数人の人間がドアから出てくる。
ところが全身何も着てない上に、全身が全て皮膚だけのノッペラの人間のカタチをした一団。
階上から逃げてきたようで、私が反対にある違うエレベーターに彼等を誘導し下界に連れて行く。
その後そこに戻るが、禁断の上階へのエレベーターに乗ってみたくなる。思い切って乗ると、いつの間にか異次元の天空に
自分がいる。 時は40年前の20代前半である。そこには当時の懐かしい人がいる。何もかも解放された天空の中で、
全てが許されて洗い流されている。しかし自分は、ここいることに疑問を持つ。もしかしたら、あの皮膚だけの人たちと
同じように、自分のそれからの過去が消されるのではと不安になる。 そのあたりで夢から醒める。
▼ 出来すぎたユングの世界ともいえる内容である。死と生の二つが重なりあった内容とも解釈できる。
 上階へのエレベーターで上がっていった先は時空を超えた純粋意識。
 下界へのエレベーターは現実社会の世界で、横に流れている日常である。
面白いのは上階〈上界)から降りてきた人がノッペラの皮膚だけの(個性を削ぎ取られた)人間集団である。
その彼等を違う下り専用のエレベーターというところも面白い。心の構図ということか。
この随想日記で、人生をビルに喩え、10年単位でフロアーを分けて何をすべきか云々を書いたのが影響したのか。 
その時に屋上から見える外界のイメージが天国へと一歩踏み込んだ場所だろうか。
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2542, ロシアの小話、8つ( おまけ ) ー2
2008年03月20日(木)
・交通事情
*東京発モスクワ向けアエロフロート機内で突然モーターが動かなくなった。
 乗客はパニックに陥った。すると操縦席のドアが開いて、パラシュート姿の機長が出てきた。
「皆様ご安心下さい。地上に救援を求めに行ってまいります」
*新潟発ナホトカ行きの大型旅客船が沈みかけている。 船内放送「乗船の皆様方の中で、
 切符を分割払いでお求めになったお客様。 どうぞ1番初めに救命ボートにお乗り下さい」
・「もしもしニコライ先生ですか?女房が盲腸の発作で大変なんです。すぐに来て下さい!」
「落ち着きなさい。あなたの奥さんは私が3年前に盲腸の手術をしましたよ。
 いいですか?人間には2つ目の盲腸はありえないんですから」
「はい、その通りです。でも先生、人間に2人目の妻がいても不思議ないですよね」
・「酔っぱらうってどういうこと」「ここにグラスが二つあるだろう 四つに見え出したら 酔っぱらったってことだ」
 「お父ちゃん そこにグラスは一つしかないよ」
・ 「あなた、指を入れるときは、指輪はずすっていう約束だったじゃないの」 「これ、腕時計だよ」
・旦那が予定外の帰宅。妻は愛人を無理やり窓から飛び下ろさせた。 落ちながら男は思う、
「神様、私はなんて愚かなのでしょう!彼女のところに首を突っ込んだが最後、今地面に叩きつけられて私は死ぬ。
 家には妻、子供、団欒。あそこに座っていれば、テレビでも見ていれば、茶でも飲んでいれば....。」
   ボサッ。 柔らかい土の上に落ちました。
 体を起こし、汚れを叩き落として、「畜生、頭の中にやたらとくだらんことが浮かんで来るもんだぜ。」
・一人の男がバーに入り、バーテンダーに賭けを申し出た。 彼は言った。
「あそこの床にグラスを置いて、20フィート離れたとこから小便を一滴もこぼさずに命中させてやる。
 これに50ドル 賭けよう。 ただし、こぼれた小便はお前さんが掃除しなけりゃならんがね 」
 バーテンダーがこの賭けに乗ったので、男はグラスを床に置いた。 そして、そこから20フィート(約6m)離れると、
 小便をバーの中全体に撒き散らした。小便は通路、床、バーの中にいた者のグラス、そしてバーテンダーにまでひっかかった。
 バーテンダーは、勝ち取った50ドルに笑みを浮かべながら、バー内を清掃した。すると、賭けに負けたはずの男が笑い出した。
 バーテンダーは訊いた。 「おい、あんたは50ドル負けたんだぜ。なんで笑ってられるんだ 」
 男は答えた。 「外の歩道に突っ立ってるヤツがいるだろ。オレは、あいつに200ドルを賭けたのさ。
 このバーに入って、小便を撒き散らして、バーテンダーに、笑みを浮かべながら掃除させてやるってね 」
(字数制限のためカット 2012年3月20日
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2007年03月20日(火)
 2177, ゆとり・個性化教育って何だったの?     オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
 以前にも個性について書いたことがあるが、 現在の小・中学校の教育現場の荒廃をもたらした「ゆとり・個性化教育」の
誤りを確認するために、いま一度個性について考えてみよう。 大失敗に終わった「ゆとり教育」の目的は、
「個性的な人間」を育てることであった。 そのため、現在の子どもは幼児の頃から「意図的に個性的でなくては!」と
、刷り込みがされてきた。 そのためには、それぞれの特性にあった教育をすべし!ということだった。
 しかし、個性化とは何だろうか?と少し考えてみると、明らかに間違った理解をされてきたことが解る。
「珍気な子を作るのが個性である」という先入観が、教育現場の興廃を招いてしまった。先生も、その珍奇な子供のなすがままに、
自信を失い学級崩壊を招いているのが現状である。人生経験の少ない子供に個性化など求めること自体が無理がある。
お笑いバラエティーに「将棋少年」とか、「エレキ少年」とかいう珍気な子が出てきて、天才少年と煽て上げて笑いの対象にしている。
あれは個性的でも、天才的でも何でもない珍奇な子供でしかない。習い事に「守・破・離」という原則がある。
まずは、基本を身につけて、乗り越え、新しい技・個性を身につける。個性的性格は、30年、50年かけて作りあげるもの。
職業とか、趣味とか、色いろな経験が織りなす輝きを個性という。長年の生き方が、その人らしさを作り、「らしさ」が
味として滲み出るのが個性である。「珍奇な早熟の生き方」を幼い子供に押し付けること自体、中味のない珍奇な生き方を
強要していることになる。最近になって教育現場の惨状に政治家も腰をあげ、教育制度に根底から変えようとしているが・・
「仲の良い両親が温かく子どもを見守る明るい家庭こそ、子どもの人生の基盤になる」と言われている。
それは長年かけた家庭の結果でしかない姿である。大きな波風の中で、結果として明るい温かい家族ができたのであって、
そのプロセスこそが子ども教育になるし、個性の芯になる。その時その場の「いま・ここ」で与えられた課題を、
一つずつこなしていけば、その永年の積み重ねが個性になるのである。別に個性的でなくても、いいじゃないか。
そう、砂利同士がカタチは丸いとか四角とか言っているのと同じ。そんなこと気にすることはない。でも変わったのに眼がいくか?    
社会ルールを壊さない程度で好きなことをやっていればよい。個性なんぞ考えることは、人との比較をしていることになる
ゆとり教育とは、ゆとりのある親が公立でなく、私立の小・中学校に子供を入れることに結果としてなってしまった。
ブラック・ユーモアなんてものじゃないのが、現状である。  ホンジャ、バアア    ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪
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2006年03月20日(月)
1812, WBCー日韓戦 が面白い!           才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
昨日のWBCの日韓戦が面白い試合であった! 勝ったから尚のことだったのだろうが。WBC戦で6勝全勝の韓国と、
三勝三敗の日本の戦い。おまけに日本は韓国に二戦二敗である。15日に韓国に敗れ99?諦めていた日本が、
米国がマサカの敗戦で生き返った。日本は負けて元々。全勝をしてきた韓国は負けられない戦いであった。
(字数制限のためカット 2013年3月20日
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2005年03月20日(日)
 1447, ロシア人立てこもり
3日前の夜半に、シングルイン第二新館で大立ち回りがあった。
 ー現場の人の証言から、内容は以下の通りであるー
深夜の0時近く、警察官が第二新館のホテルに宿泊しているロシア人をなだめながら連れてきた。
(字数制限のためカット 2012年3月20日
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2004年03月20日(土)
1081, ST訓練 ?2
去年の今頃に「ST訓練」について書いた。ー(後でコピーしておきます)
先日、二年ぶりに新入社員に対する「ST訓練」のインストラクターをした。30回近くしたことになる。
(字数制限のためカット 2011年3月20日