<つまずき>の事典> 中村邦生編著
   * 何ゆえに神はノアの方舟に人間を選んだのだろう?
ノアの箱舟の上で俺たちは絶えず不可解な気持ちで頭を悩ましていたんだ、どうして神は他の明らかにもっと優れている
 候補をさしおいて、人類を被保護者として選ぶことになったのかって。神がもし他の種を選んでいたら、そのほとんどは
人間なんかよりずっと忠実なことに気づいただろうさ。もしもゴリラを支持していたら、神への不服従にしたって人間の半分も
犯さなかったんじゃないかと思うよ。そうなけりゃ第一、洪水だって起こす必要はなかっただろうね。一ジュリアン・バーンズ
 箱舟の密航者であるキクイムシが語っている一節。{神が「人類を被保護者として選ぶ」ことにしたのは、地球環境から言えば
取り返しのつかぬ〈過失〉であったのは間違いない。したがって、あるフランスの皮肉屋の次の言葉は、紛れもない真実なのだ。
「人間は祖先が猿であることを自慢している。しかし猿は祖先が人間であると決して自慢などしないだろう」。
したがって、あるフランスの皮肉屋の次の言葉は、紛れもない真実なのだ。「人間は祖先が猿であることを自慢している。
しかし猿は祖先が人間であると決して自慢などしないだろう」。』
 ▽ 人間こそ、地球の大気圏の生物にとって、ガンそのもの。
   * 分別
 『どんな愚者でも真実は言えるが、嘘の上手のつきかたには、分別のある人間である必要がある』 ーサミュエル・バトラー
 ▽ 今まで平気で真実を誰かまうことなく公言してきた。それも常に上から目線で! 時と場合で、嘘と真実を混ぜ合わせて
 語ることこそ、分別ある人間のすること。そうこう考えると、この随想日記の公開は非常に危険。 真理と真実を直感したまま、
書き続けると、分別がついたように錯覚に陥るが、愚者の真実は気違いに刃物? 相手を思いやる嘘こと必要である。 
   * 失敗には安らぎがある
 『それは前に数学の試験に失敗して、かえったほっとし、解放感があった時に似ていた。失敗というのは明快で、そして
 確実なものだ。そして確実なものの中には、いつも安らぎがあるのだ。』 ートルーマン・カポーティ「最後の扉をしめよ」
 ▽ 強がりか、居直りかもしれないが、<つまずき>の半年辺りから、奇妙な心の安らぎが出てきた。不確実な日常の45年間の
 緊張が切れたこともあるが、この安らぎは思いの他。私自身が招いた因果応報と認めれば、人の思惑など考える必要もない。
実際に経験してこそ分ること。「会社を綺麗に後継者に引渡すより、全て失い独り佇んでいる方が良いのでは?」と思ったのは、
確実なものの中に心の安らぎを感じたため。前者は解放はされなく不安が常にまとわりつく。 道理は何処も同じ!である。
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4340, 自己とつきあうということ −6
2013年02月02日(土)
    * ソクラテスと自己の問題     
 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)   
  「人間は無知であり、無知であることに対しても無知である」というソクラテスの言葉が広く知られているが、それを
 本当に我われは理解しているかというと疑問である。無知を自覚した上で、良く生きること、己の心と魂に配慮することと
 2500年も前に、ソクラテスは気づいた。 ーその辺りを抜粋してみる 
 ≪ ー汝自身を知れー  吟味することのない生は生きるに値しないと見なし、よく生きることこそ人間のつとめだと
考えたギリシアの哲学者、ソクラテス(前470〜399)も、自己へ配慮することの重要性を力説した。 神殿の壁に記された
「汝自身を知れ」は、神から人間にくだされたメッセージであり、永遠の存住としての神と異なり、つかの間の生を生きて死ぬ
ほかはない人間に与えられた「身の程を知れ」という意味のこめられたものとされる。その言葉は、神殿に訪れる者たちに
「神に過剰なことを望んではならぬ」という自戒を促すものとみなされる。・・ 。それゆえ彼が強調したのは、おのれの
無知に気づき、すこしでも無知でない状態へと自己を導くことであった。 そのために、自己は配慮されなければならない。
無知な状態に脱して、真の知を得るためには、よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。
そうしたソクラテスの信念は、『ソクラテスの弁明』のなかのアテナイ人への呼びかけに明らか。
 【 世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力においても、最も評判の高い、
   偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、できるだけ多く自分のものにしたいというようなことにだけ
   気をつかっていて、恥ずかしくはないのか。評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気にかけず、
   精神をできるだけすぐれたものにするということにも、気もつかわず、心配もしていないというのは。】
金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、真実をめざして精神を配慮する方向への転換を
説くソクラテスは、当時、嫌味な老人として嘲笑と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう態度を
頑固なまでに強調している。彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひつばられやすいものであり、それゆえに、
そうした方向を制御して、ひたすら「自己自身をよくすること」につとめなければならない。≫
  ー「よく生きる」という実践ー  しかし、自分自身をよくするとは、いった.いどうすることなのか。
「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ」というソクラテス
周知の言葉は、どのように理解されるべきか。彼は、よく生きるの「よく」を「美しく」とか「正しく」と同じ意味で
理解すべきと主張しているが、そのために必要なことは、ブッダの主張と同様に、もっぱら自己の心、魂に配慮することである。≫
 ▼ 一生かけて自分を覆っていた固定観念を叩き壊してきたつもりだったが、振り返えれば、あまり壊れていなかったようだ。
  壊すほど、その奥には、さらに頑強なバイアス(偏見)の岩盤が表出してくる。 周辺を見渡すと、ゾンビの群れが、
  彷徨っているのを見かける。己を忘れ、現実に溺れ死に、墓に埋められたミイラが死に切れず徘徊しているのが、ゾンビ。 
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3965, 首都圏崩壊の可能性、7割
2012年02月02日(木)
  数日前に突然、東京大学地震研究所が「首都圏でマグニチュード7クラスの直下型地震が4年以内に70%の確率で発生する」
という研究結果を発表した。(政府発表は30年で70%だったが)「死者が1万一千、負傷者が数十万、倒壊・延焼が85万世帯」。
東北大震災で10倍以上も、その確率が高くなったという。85万世帯といえば建物の二割近くになる。「死者が万分の一のなら、
それも仕方がない」と安穏としてはいられない。 私が都内在住で幼い子持ちなら移住を考えざるをえない事態である。。
外国人なら大挙の帰国も不思議でない。 直下型地震は過密ビル群の都市ではなす術がない。 ビルは津波には避難場所になるが、
問題は古い建物の倒壊。 それにしても、これだけの衝撃的ニュースが、あっさりと出てくるもの。あとは各自の勘になるが、
それぞれ生活事情がある。 これまでは福島原発放射能汚染に対して上から目線?で見ていた都民が、そこより遥かに危険地区に
住んでいる現実を突きつけられたことになる。 神戸淡路震災の死者が6400人以上、負傷者がその7倍も出ていることから、
神戸市の人口が150万人の8倍の人口の東京からみて、十倍以上は出るとして6〜7万以上が亡くなる可能性がある。 
その上、首都の一極集中の機能が壊滅をしてしまう事態でもある。 20年前のバブル崩壊から始まり、9・11、9・15、
3・11震災と経済・自然災害が立て続きに襲われている日本にとって、首都圏壊滅が4年以内で70%とは、ただならぬこと。
  * ここで、仮説を立ててみる。
≪より現実的に考えるため3年早めて、「首都圏でM7クラスの直下型地震が年以内に90%の確率で発生する」という仮説。
 東京はパニック、現実問題として企業も政府も、その機能の移転の具体的作業になる。第二次大戦時の、あの疎開が始まることになる。
今まで小さな地震に対して気にしてなかった都民は、かって無かった恐怖に襲われ、夜も眠れない日々を過ごすことになる。
富裕層は我先に海外か北陸か北海道あたりに家族を疎開させ、外国人は我先に家族を帰国させ、働き手だけが残務整理のため一部が残る。≫
 実は、これと同じような現象が現在の首都圏では目立ってないが、原発事故以降に起きている。それが更に徹底して始まる。
現に私の会社が3つの災害で、あっさりと壊滅してしまった。そして、今度は、首都圏? まだ信じられないのが本当である。
まだ東北大地震が継続していて、東北大震災をパート?とする「東北関東大地震のパート?」が動き出した、という見方をすべき?
 あの地震津波は、東北関東大地震パート?でしかないとすると? パート?が東海・南海・東南海地震の可能性もある。
しかも、景気に対する悪影響は大きい。 誰が、この事態で家を建て替えるか、自動車や、大型家電を、家具を買うだろうか?
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3600, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理  −3
 2011年02月02日(水)
 読んでいて、エッと驚く普通のアメリカ人の考え方や生活が次々と出てくる。
そのアメリカを通して、日本人のマイナーなアメリカナイズされた歪んだ日本の一面が見えてくる。
日本では家族の崩壊が問題になっているが、アメリカでは想像以上に「家族」を大事にしている。
その一つとして、子供と一緒に過ごす時間を大切にしている。アメリカ人の97〜8パーセントが神の存在を信じている。
それに対し日本人は35パー。あの世の存在は大よそ7割が信じているが、日本人は16パーである。8割の人が
「天国に行くか地獄に行くかを神が判断する日が来る」と信じているのに、日本人は1パーセントのキリスト教徒ならいざしらず、
殆どの人は信じてない。彼等の日常は神が見ているのである。その辺が日本とは違う。女子中高生の売春などは、日本人に比べ
非常に低い。競争主義、成果主義プロテスタントの倫理があってこそ、成り立つのである。彼等の日常は常に聖書が傍らにあり、
教会が心の拠りどころとしてある。もう一つ著者が指摘しているのは、都会の背景にアメリカには広大な土地での雄大な自然である。
そこには「農村の豊かさ」がある。これが日本ほど格差に敏感にならないで済んでいる。広大な土地に大自然があり、
豊かな農業があり、聖書を日常の心の拠りどころにして、ペットと住める環境が全土にあるから、他人の成功に一々目くじらを
立てないで済むのである。 英国人も日本人もアメリカ人の陽気さと楽観性に比べると非常に劣っている。
それは、国土の広さと豊饒性がなせることである。 
 日本青少年研究所が2002年に発表した「中学生の生活意識に対する調査」によると
・「私には人並みの能力がある」          日本人  15・6パー     アメリカ人 56・5パーセント
・「私は他の人々に劣らず価値がある人間である」  日本人   8・8パー     アメリカ人 51・8パー
  私は他の人より価値がないと考えていれば、これほど自分を制限する心理はない。
・「自分に起こったことは、すべて自分の責任だ」  日本人 25・2パー      アメリカ人59・7パー
 起こったすべてが自分の責任と思えればエネルギーが生じてくる。他のせいという日本人とは大きな差が出て当然。
 薩摩芋なら薩摩芋のままで良かったか? バナナ(外が黄色で、内が白)は、バナナで良かったか? 我々は日本産バナナ? 
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3235, 女性だけの健康ジム
 2010年02月02日(火)
 ・入会金7500円、・月会員費3500円で、・一日30分だけ ・何度でもOK ・女性だけをうたい文句に世界中に
ジムを多く出している女性専用の健康ジムがある。初め聞いたのが去年の夏の頃に、長岡のスナックのママさんが
「駅前のヨーカ堂の中にあるジムに週二回ほど買い物ついでに通っている。会費が3500円で週に2〜3回行く。
計算すると一回あたり400円位。 コースになっていて30分で終わる。喫茶店のコーヒー代と思えば安い。
買い物ついでに丁度良い気分転換になり、色いろな人と話ができるのもよい」と、言っていた。「成るほど、面白いシステム」
と世間話をしていた。 ところが先日、私の知人が新潟の郊外でイタメシ屋に店舗を貸しているが、不景気で芳しくないので
家賃の値下げに応じたと聞いていた。ところが、そこを経営している会社が、、同じ店舗で最小の改装で、フランチャイズ
主婦向けの健康ジムにするという。店舗と健康機器には経費をかけず、女性のイラストレーターをつけて、次々とプログラムを
こなすシステムという。 ネットで調べたら、長岡と同じ系統のフランチャイズ。HPの写真を見ると円を囲うように健康機器が
置いてあり、真ん中のイラストレターが音楽に合わせて次々と健康機器をこなすシステム。 鏡はわざと置かないそうだ。
置くと????。 家内は、駅から車で20分ほどのイオンのSCのスポーツジムに週一回通っているが、具体的内容は一切話さない。 
ここは週一回で、月に4000円位?のようだが。 自宅の居間には4種類の小さな健康機器を置いているが、朝晩10分ずつ
使用している。腰痛対策なのだが、非常に効果がある。だから女性専用の30分のプログラムが身体によいのは理解できる。
音楽にあわせ、一台あたり2〜3分運動させ、隣に移動させていけば、合理的で楽しいはず。しかし男は無理。
大元はアメリカのフランチャイズというが、なるほど合理的である。 10分100円というのも在るそうだ!
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2860, 若者たちは今
2009年02月02日(月)
 *若者の○○離れ、というが
ある雑誌の中に「若者の○○離れ」という現象のレポートがあった。若者は明らかに旧世代とは違った消費行動をとっている。
まずは○○とは《 ・クルマ離れ ・酒離れ ・活字離れ ・新聞離れ ・洋画離れ 
         ・海外旅行離れ ・ギャンブル離れ(マージャン、パチンコ、競馬) etc》
  (字数の関係でカット2012・2・02)
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2008年02月02日(土)
 2495, ー自宅にも iMac
 昨日、会社の事務所に引き続いて、自宅にiMacを導入した。これで一年以内に熱狂的とはいわないが、圧倒的なファンになるような
気がしている。とにかく画面の明るさと、WindowsVistaとMac両方が使えるのが良い。これまでノートパソコンに何故
拘っていたのか? 居間の座卓の上のスペースの問題と、Macをよく知らなかったことである。WindowsXPとノートパソコンの束縛から、
やっと解放された感覚がよい!。Macには熱狂的なファンがいて、使っているだけで優越感を持っているという。
ここ三年位は、出遅れて損をした感覚である。いや、今が時節ということか。パソコンン、インターネット世界への知識経験の浅さを、
そのまま書いているようだが。導入を手伝ってもらったHさんの話だと「Windowsより音楽などの音質が良く、映像も数段良い」という。
デジタル・ラジオをBGMとして聞けるのもよい。とにかくパソコンに向かっているだけで楽しい!という気持ちになるだけで充分である。
ワンセグを外付けで入れて、地上波のTVを見れるようにした。イヤホーンをつけたので、チャンネル争いのときに、
敗者は?これを見ればよい。一人で地上波の番組を見る場合は、パソコンを見れば電気代が節約できる。 もともとWindows Xpの機能の
数分の一しか使ってなかったのが、より使いやすくなったため、もう一歩踏み込んで使う気になったということである。
これが国内のメーカーより安く買えるのに、あまりシェアが伸びないのは、やはり既存のソフトが転用できないからである。
私のように元々持ってないものは、それが強みになる。ただ、なれるまでは戸惑うことを我慢しないと!
ところで、値段は20インチiMacで、山田デンキでポイント割引で129000円、他に色々入れると+2〜5万円は必要である。
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2007年02月02日(金)
 2131, 葬式よもやま話 −2   オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
 故・内山由蔵さんの長男の喪主の挨拶の中の一節に興味をひかれた。
ー 危篤になったが持ち直し、‘しばらくは大丈夫だろう’と、住居のある仙台に帰ろうと新潟あたりに来たとき、今まで
見たことのないような奇麗な虹が出た。「父に急変が起きたのでは」と思ったとき携帯電話が鳴り再び危険状態になったという
連絡が入った。そして急遽Uターンをして長岡に近づいた時、燃えるような夕陽が輝いていた。この時、「ああもう駄目だ」と思った。
そして着くのを待つようにして、間もなく亡くなってしまった。という内容であった。私自身も何度も親戚の葬式の後に、奇麗な
虹と遭遇している。とくに義父の亡くなった時のこと、葬式帰りの峠で7回も虹が次から次へと出て、その下を車で通り抜けた経験がある。
何か異次元の不思議な感覚であった。涙雨とか雷鳴とか、その人により色々な自然現象がおこるようだ。霊魂が死後35日から49日の間に、
次の世に通じる六本の道路の内の一本を選ぶ最も大切な宗教的儀式の日を「七七日」という。よく、葬式の読経のあと「七七日法要」
を引き続きやりますと言って、さらに有難そうな読経をあげるが・・。死者は七色に輝く一番まぶしい光の出ている道路が極楽に通じていて、
そこを通って浄土にいく。虹が人の死後によく現れる現象は、「故人がこの道路の近くにいますよ、というサインを身近の人に
見せようとしているのではないか?」と、思えば、ファンタジーな気持ちになる。ところで十年位前のことになるが、
会社に勤めていた人の両親が一日違いでたて続きに亡くなり、二人一緒の葬式に参列したことがあった。事故とか心中ではなく、
母親が夫の死を待つようにして亡くなった。正視できない!とは、こういうこと。 葬式にまつわるドラマは色いろある。
「お葬式」という映画もあった。伊丹十三が妻・宮本信子の父親の葬式で喪主となった実体験をもとに、わずか一週間でシナリオを
書き上げ、日本アカデミー賞をとったもので、赤裸々な人間関係を面白おかしく表現していた。葬式という一見暗いタイトルにも
かかわらず作中には笑いが溢れており、そのギャップが何とも印象に残っている。それと、どぎつい性描写も。(o ・д・)ツ  バイ!
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2006年02月02日(木)
1766, こころの羅針盤(コンパス) −1    才ノヽヨーφ(・ω・`)  −読書日記
三十篇の文章を、どれを読んでも深い心の世界に引き込まれる。
「私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。」
という言葉一つ捉えても、ハッとする内容が次から次へと出てくる。その幾つかを抜粋してみる。^ー^)/C□~コーヒーいかが?
 まずは「こころの震えを感じるとき ─まえがきに代えて─   五木寛之
▼ 「人生いろいろ」という歌があったが、こころ模様もいろいろである。「こころの羅針盤」というタイトルヘの感想もまた、各人各様。
  (字数制限のためカット 2010年02月02日)
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2005年02月02日(水)
1401, 危ない格言ー4   −読書日記ー
  ー愚者と賢者についてー
・最も贅沢で、最も洗練された社交ーできる限り一人で過ごすこと。
  (my感想)ーどうでもよい人となら、一人の方がズットよい。そのために本があるのだ。 
   但し、よい本である。どうでもよい人でもよいから、一人でいたくない時があるのが‘にんげん’だろうが。
・人々が社交の中に求めているのが孤独からの逃避としても、そこで手にするのは、せいぜい孤立からの休暇だ。
  (my感想)−そのバカンスが楽しいのだ、と! バカンスと割り切ればよいのか、バカンスと?
(字数の関係でカット2011・2・02)
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2004年02月02日(月)
 1034, ダヴィンチが知的障害?
ある本を読んでいて、目が釘付けになった。天才といわれている、レオナルド・ダヴィンチとアインシュタインエジソン
知的障害だったという。天才の90?が梅毒という話は知っていたが、この3人が知的障害だった?エジソンが3ヶ月しか学校に通わなかった
(字数の関係でカット2o11・2・02)
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2003年02月02日(日)
 669, ぶざまな人生
本屋で見かけた本のタイトルである。「ぶざまな人生」というタイトルにハッとさせられる。軽く1分程度立ち読みした程度だったので
概要は主観的になる。「人生を捉えてみると誰もが皆ぶざまな人生だ。それを初めから割り切って自分のやりたいよう、生きたいように
生きるべきだ」という内容。シビアなタイトルだが、皆「ぶざま」という言葉に呪文をかけられている。
(字数の関係でカット2013・2・02)
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 2002年02月02日(土)
319、我が内なる無能性ー具体的内容
 我が内なる無能性を具体的話に書いてみる。
 周辺にいる特にいる「だめな奴ーあれ」ーなんか虐め!
ーこの特性をあげてみると
1、一回も脱皮したことがない。一生をただ何も考えず、そのまま流れている。
   (字数の関係でカット2009・2・02)
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2月2日 日曜日 1969年 
13時まで就寝。 それから夕方まで勉強をする。夜、市川さんが部屋に来る。有神論、無神論を議論する。
その系統は、彼の得意分野でコテンパンにやられる。 中途半端な知識が露呈してしまった。
新約をギリギリのところで読んだ経験があるが、科学的・哲学的の系統にとらえた本は皆無。
これからの人生では、避けて通ることのできない心の奥底の問題である。
その系統の本を読んで、からかって仕掛けただけだろう。勤めると、こういう小手先が効くのだ。
翌朝の3時過ぎまで勉強、ラーメンを食べて就寝。まだ集中が足りない。もっと身を入れなくては。