* 行蔵の中の、旅行の棚には
 学生時代の欧州旅行が当時の40万円。5〜10万円を別途プラスして、現在の金額からすると一ヶ月間の400〜500万になる。
丁度、高度成長時代に入った昭和42年。馬小屋のような寮生活しか知らない地方出の私にとって、この旅行のカルチャー
ショックはあまりに大きく、固定観念が粉々に砕けてしまった。これが、その後の事業人生で、他人の思惑を気にすることなく
生きてこられたバネになってきた。その前には、大きな挫折経験があったが、これはカルチャーショックによる自己崩壊?
 それから20年後の40歳から年に平均二回、20年近く行き続け、合計48回の秘境を中心としたツアー。
今からすると、【来年前半に一月間の5百万のツアーに参加。余韻を半年、楽しんだ後半から、隔月ごと年6回の割合で旅行に
出るとして、まる8年。家内と共にすると4千万円はかかる】 その旅行に出続けてる期間は、手取り一千万以上の収入があり、
給与面からみて、収入範囲である。 それがどうした?といえば、それまでだが、「べき時に、べく事を、べく実行してきた」
ことになる。 御隠居の今では、肉体的に金銭的に、気力的に不可能。 河口湖や、軽井沢に別荘を持っている豊かそうな?
知人を見ても、気持ちに余裕を持つことが出来る。 「遠き日は、歳とるごとに近くなり」が、齢を重ねる度に、どれもこれも
昨日のように感じ取ることが出来て、人生の終盤にプラスに働いてきた。プチブル主義の露出になるが・・・
 この年齢で、新羅ウィグル地区からカラコルムハイウェーを抜けるコースや、パタゴニア南アフリカなど、無理。 
その十倍の4億の現金と、この旅行経験を交換しないかと言われたら、迷いなく行蔵をとる。あのTPOSの中で遣り繰りつけて
行ったから価値がある。事業整理の結果に、さほど動じないで済んだのは、幾つかのライフワークを続けていたため。
それもこれも両親の生き様から学んでいたため。見方を変えれば「これで、この男、狂ったか!」 だが「狂って良かった!」
ー最後は、いつも、「良かった良かった」の自画自賛かいー の誰かの声が聞こえてきそう!
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4288, 学ぶということ −2
2012年12月12日(水)
                    「最終講義 生き延びるための六講」 内田樹
   * 母親と父親の育児戦略の違い
     −まずは、親の教育論の部分より
 ≪ 母親は破局的状況を生き延びることを求め、父親は優劣を競う戦いに勝ち残ることを求める。
  相対的競争の勝者になって目立つことを求める父親型育児と、群れに紛れて、あたりと見分けのつかないものに
 なって欲しいという母親型育児、この二つは実は排除しあうものではない。対になっている。その二つの育児戦略の
 拮抗の中で、子供はいい具合に育つ。この拮抗の並列が、一番バランスが良いのが理想的。これが両方とも「競争に勝て」と
 子供を責め立てたら、子供はストレスで壊れてしまう。「生き残っていさえすればよい」と言えば、社会性がつかない。
 でも、数多の親たちをみると、どちらかに偏りすぎでバランスの良いのは少ない。 偏りすぎると社会的成熟が出来ない。
 1980年代からあとは、日本社会では、母親までが父親型の「競争優位」になってしまった。あまりに日本が豊かで安全な
 国になってしまったからです。もう破局的状況を生き延びる緊急性がなくなった、どう転んでも心配なくなった。
 だから、人のことなど顧みず、私ひとりよければ、それでいいという時代になった。競争に負けても、取りあえず
 食べていける保証があったからです。まだ50年代までは貧しい時代で、「共和的貧しさ」であった。 ところが、今、
 時代は変わってしまった。日本が例外的に豊かな時代が終わった。「ラットレース」は勝ったものの総取りで、
 負けた人間には何も与えない時代になったら、本当に飢死にする可能性が出てきた。そこで、ここで「ルールを変更しようと」
 という話になったわけ。競争原理は、豊かな社会向けルールだった。しかし今や資源が限られた中、「潮目の変化」が起こった。
 限られた資源を複数の個体で分け合うためには、行動パターンを変えなくてはならない。 動物は、そういうようにしてきた。
 あるものは夜行性になり、あるものは昼行性になる。樹上で生活するもの、地下で生きるもの、肉食か、草食で、あるものは
 大きく、あるものは小さく、などなど生態学的な地位をずらしていく・・ それが共生の原理なのです。 ≫
  ▼ 時代は、父親型から、母親型生存戦略に変わってしまった。もう二度と終戦から半世紀近く続いた右上りの時代は戻らない。 
  当然、母親が子供教育でも家庭内で主導権を持つようになるのが自然の成り行き。首都圏に住んでいれば、
  何時、直下型地震が襲ってくるか分らない、とにもかくにも生き延びることが優先される。 日本という国家からし
  資源のない条件の中で、これほど危険な状態はない。国家も母親的戦略と、父親的戦略の拮抗が必要である。
  これが三極の「石原・維新の党」と「未来の党」の戦略に見て取れる。地政学的にみて、これまでちょうど良い島国が、
  これから大きな試練に立たされる。韓国と日本の差は、近隣に時代錯誤の軍事国家が在るか無いかである。徴兵制度で、
  青年期に鍛えられるかどうかだ。それを見守る母親は自然、優しくなる。日韓の若者は青年期に歴然とした差がついている。
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3913, 閑話小題
2011年12月12日(月)
   * ひとり焼肉専門店 「焼肉ひとり」
 最近、独り者が増えているためか「ひとり用の専門店」がニュースになっている。 一人カラオケ、ひとり焼肉専門店などである。
店サイドは、一人で一部屋・一テーブルは効率が悪いので良い顔をしない。が、この不景気で、そんなことは言っていられない。
しかし最近の国勢調査で単身世帯が全世帯の三割を突破、「夫婦と子供」世帯を上回っている。アメリカでは、一人客は寂しい人と、
白い目で見られるという。 映画やTVのドラマでも店の中の一人客は少ない。そこで、店の構造から一人用の席をつくる発想である。
30年間続けてきた事業も「お一人様専用ビジネスホテル」だった。 ひとりカラオケを「ヒトカラ」に対して、二人のカラオケを
「フタカラ」、多人数のカラオケを「タカラ」と呼ぶらしい。 ヒトカラは、歌の練習やストレスの発散に使われるが、何か侘しいか。
  * そろそろ今年の総括
 今年は、東北大震災と、30年続けてきた事業の惨事?が重なった。20%半ばの売上ダウンが三年目に入っても止まらず落ち続ければ、
この事態は当然。 恐慌の前ぶれの波に直撃されたことになる。 過去の40年近い事業人生で資金繰りの心配をしたことが無かった。
しかし、数値は数ヶ月後に資金枯渇状態になることを示していた。 何度も何度もシュミレーションしても、半年後にはアウト。 
その上に東北大震災が起こってしまえば何の躊躇することなく決断をせざるを得ない。 そうこうあって、心の痛手は深いが、未練とか、
後悔はない。 それより現在起きつつある大恐慌の近将来の到来と、東北震災の経済に及ぼすマイナス現象である。
 今さら最悪の状態の私が何を言わんであるが・・・  今年の総括は、もう少し年末が押し迫ってからにする。

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3548, 遊ぶように生きる
2010年12月12日(日)
 =横尾忠則の、ある雑誌にあった「死を想う〜人生の一考察」が面白い!
    その一部を抜粋してみる=
【 一体人生とは何なんだ。お釈迦様は生老病死と言われた。確かに上手いことを言う人だ。 大抵の人間はこの四文字を経験する。
 お釈迦様みたいなエライ人でも、このことだけはぼくと平等である。 エライから死なないということはない。エライ人でも
 アカン人でも全員がこのフルコースを味わうことになっている。だったらぼくひとりが死を恐れるのはおかしいけれど死だけは
 自分にとって特別のもののように思っていて、他人の死は死でないのである。では一体何をそれほどまで恐れなければならないのか。
 死の到来が苦痛であることをわれわれは知っているが、死以上の苦痛がないのかといわれればそんなことはない。じゃ何がそんなに怖いか。
 死によって愛する人や物と別れなければならないからか。それとも死によって自分が消滅してしまうからか。消滅すれば全ての煩悩も
 瞬時に失くなり、身心的な苦痛から解放され、これこそ真の平和なんじゃないのか、なのにどうして真の乎和をそんなに恐れるのか。
 それとも死後生を信じているあまり、もしかしたら地獄に堕とされるのじゃないかと不安に襲われているためなのか。
 それはそうと、では人生の目的は何なのかということになる。 生きるため? 死ぬため? 感動するため? 美味い物を食べるため?
 金持ちになるため? 美人の奥様を持つため? etc  そこでぼくは考えた。ぼくの職業のアートと同じ生き方をすれば? と。
 ぼくにとってアートは仕事というより遊びだ。 目的のない遊びである。ところで遊びって最初から目的がないものでしょう。
 もし目的があるとすれば遊んでいること自体が目的である。 目的がないから自由があり、快楽があり、解放があるのではないだろうか。
 人間は本能的に自由を希求する。そしたら人生全部を遊びにすればいいのではないか。つまり人生から目的をはずしてしまえばいいのでは
 ないだろうか。 生きることも死ぬことも目的を持つからシンドイのである。どうせ生老病死なんだ。生老病死は別に目的ではない。
 単なる現象だ。 そしてお釈迦様に言わせれば現象は夢、幻だということになる。そんな実体のないものにいかにも実体があるかのように
 思って振り廻されているのなら、それを遊びだと思えばいいのではないか。 】
  ー人生に意味などないと、五木寛之も書いているが、意味=価値とすると、そんなわけがない!と言いたくもなる。
  身近の人の死をみると、様々の人生があるが、意味など、あまり深く考えても仕方がないような気がする。
  横尾のように、目的ない人生なら遊ぶとして、割り切るのも良いだろう。「遊びをせんと生まれけり」で、それはそれで。
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3173, 閑話小題
2009年12月12日(土)
 * 腰痛
 腰痛が、この季節の変わり目にかかわらず、今のところ落ちついている。
いずれ出てくるのだろうが・・・。 今のところ考えられるのは、・ベッドに低反発マットを敷いたことと、
・海老反りマシーンを毎朝晩使っていることである。・それと外で酒を飲む機会が少なくなったこともある?
もちろん、20数年来の毎朝のウォーキングは欠かさず行っている。
 * 変な話
 家内が言うには、「駅裏の越後交通ビル(元ダイエー跡)の駐輪場に自転車を置いて、用を済ませて帰ろうとしたところ、
自転車の籠の中に、年代ものの女物の財布があった。 気持ちが悪かったが、駅前の警察まで行くのも面倒なので、
1Fの酒売場に事情を話して置いてきた。 千円札が数枚と小銭が見えたが、それ以上は見ないようにした。
(字数制限のためカット 2010年12月12日)
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2808, 心を込めずに女を褒めよ !
 2008年12月12日(金)
  作家の渡辺淳一が、ある雑誌の対談での、「心を込めずに女を褒めよ」という言葉?が面白い。
 【イギリス帰りの若い女性に「レディファーストは、マダムだろうが小娘だろうが、差別をつけてはいけないの。
 『女と見たらしなさい』って、向こうは子供の頃から叩き込まれるの」って、全くそのとおりだと思った。
 要は、心を入れないでやりなさい、ということなんだけど、こういう思想は日本には無かった。
 武士道は何でも心を込めろっていう思想。 でも、その御蔭で女を見たら直ぐに褒めるようになったよ。
 顔が綺麗なら顔を、顔を褒めるのが辛いと思ったら、髪の毛を。服、ネックレス、バッグはどうか・・・
 と見ていけば必ず褒めるところがある。女性はまず褒めるべきだよ。 妻とまともに話そうと構えるから、話せなくなる。
 日ごろから『ありがとう』『綺麗だね』って言う癖をつければよい。 そのレトリックは非常に大事だと思う。
 ・・・僕は京都のお茶屋でよく遊んでいたけど、帰るときには必ず、おかみと芸姑が門まで出てきて、大声で『おおきに、
 ありがとうございました」という。僕が2〜30メートル先に行っても言っている。どうしてあんなに丁寧に言えるか、
 その理由はたった一つ、客を何とも思っていないからだ。銀座は逆で、これは金払いが良いかどうかで・・・】 
  成るほど、道理である。当たり前になるまで習慣化しなさい、ということだ。 私の知人は営業畑の人が多いため、
 飲みにいくと、当然のように女性を褒め上げる。それが枕詞であるかのように、まず褒める、そして褒める。
 『今日は、いやに綺麗だね』『へ〜、今時に、こんな綺麗な人いるんだ』『新潟美人は、東京のオナゴと肌が違うね』
 まあ、よく言うよという位、平気でいう。 でも、そういう店のママやホステスも、言われ慣れていて、軽く流す・・・
 それでもいいのである。 言えないのは心を込めようとするから、である。
 何度も書いてきたが、学生時代にカーネギーの『人を動かす』という本に「人に好かれる6原則」とかがあった。
 そこで黙って友人知人に、それを実行したと同時に私の周りに人が集まりだした。 心を入れる余裕など無く、
 ただ、相手の関心のありかを探し、にこやかに、聞き手にまわり、相手が話し終わるまで我慢し、最後に褒める!
 それを全ての人に試みたのである。 また女性の多い職場環境に若い頃に居たころの一時期に、多くの美人?
 と友人になったことがある。(男女?ではない) 私は美人が好き、そう知らせれば良いのである。次に人畜無害のサイン。
 それだけで、心を開いてくれる。 姉が4人も居たから、その辺は幼児のころから鍛えられていたが・・。
 (いやいや、冷静に考えてみたら、嫌われる方が限りなく多かったが・・嫌なことは都合よく忘れてしまうから生きられる)
 逆に、心を入れて女を褒めたら、誤解されることが多くなる。 さりげなく、口先で褒めること。
 これが最高の贈りものになる。 面倒とか、馬鹿馬鹿しい、という気持ちを乗り越えて素直に言うことが基本だが、
 それが最近になって言えなくなってきた。 原点に戻って、心を込めずに、あたりかまわず言うしかないか!
  まずは、カミさんから・・・   辛いけど!      
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2007年12月12日(水)
 2443, 死刑直前の手紙      【GOOD MORNING】q・ω・´)
『哲学の教科書』・中島義道ー の中で見つけた、処刑前夜から処刑二時間前までに断続的に母親に送った死刑囚の手紙である。
 人生の不条理が、そのまま出ている。今回は私の感想などは、何も書けない!  何度も何度も読まなければ、
 その心の底には辿りはつけない。ガン末期の別れの似たような場面に何度か立ち会ってきた。
 違いは、刑死かどうかの差である。 罪悪感を持って虚空へ立ち向かう心情は如何なるものか?。
 ーーー
一九六九年三月八日
ーおかあさん
あたたかい晩ですね。 きょうはひょっとしたら東京に泊まるとか言っていたけれど、とにかく、あまり悲しまずにからだに
悪いことは気をつけて、よくやすむようにしてください。ほんとに思いがけないことになってしまい、(むろん、そして一方では
じゅうぶんソノタの用意はしてきてはいたけれど)おかあさんに最後の、そして最大の親不孝をしてしまい、ほんとうにすみません。
おかあさんは、よくしてくださいましたね。ありがとう。
M先生のおっしゃるように、ぼくはおかあさんによって〈神の愛〉を知った、と思います。
まだまだ努力が足りなくて、それに書きたいことや、考えて深めたいことも多くあって、
そのうえなによりおかあさんはじめ皆さんと別れるのはつらいけれど、しかしこの与えられた
〈時〉は絶対的な意味をもっており、ただ、耐えつつ受け入れる以外にはありません。
でも、ソレは、ぼくひとりのことで、おかあさんに与えつつある悲しみの責めをまぬがれることは、むろんできません。
ゆるしてくださいね。おわびのしるしに、天国へ行ったら、きっとおかあさんのために山ほど祈り、
守ってあげますね。 だから、おかあさん、もう泣くのはやめなさい……
 −−
ー今は八時過ぎ。
夕がた、おかあさんのハガキが、美絵君と「あけぼの」のシスターの御文とともに到着しました。
もうおかあさんのハガキを見られないのか。 会えないんだな……ということのすべて、
きょう突然あったことと、あすのことすべてが、ユメのようです。
ユメならさめればいいのに……と思うのだけれどもやはりユメではない。だからこの一瞬一瞬をだいじにしましょう。
ほんとうに長いようで短い一生でした。 四十歳と七か月とすこし。 おかあさんの半分です。
いろんなことがありましたねえ。 ほんとにいろんなことがあった。
そして今、おかあさんにとって すべてのことが喜びに満たされていたというのに、
ぼくのためにいっさいが灰色になってしまいましたね。  ごめんなさい。
きょうは、久しぶりにおかあさんの肩をたたき、髪をくしけずり、手をさすることができました。
すっかり白髪になって、シワだらけになって、小さくなって、 やっぱり幼いころに知った 
あのおかあさんと同じでした。 でもおかあさんはやはり幼い頃に知ったあのお母さんと同じでした。・・・・・・ 
(以下、字数の関係で中間カット 11年12月12日)
 −−
後記)これを読んだ母親の気持ちは? やはり宗教は必要である。
  やはり、言葉を持ってしまった人間は、それゆえ苦しみが倍増する。
  その言葉で、神をつくり、そして苦しみを和らげるしかない。 あまりに辛い手紙である。 (○´∀`)ノ
 ーーー
2006年12月12日(火)
2079, 談合列島!ー2             才ノヽ∋―_φ(^O^*)♪
この土日の大手新聞の「知事の犯罪」の特集記事や社説の中で、日本経済新聞がずば抜けて要点をついていた。
 その要旨は
  (以下、字数の関係でカット 08年12月12日)
・・・・・・・・
2005年12月12日(月)
 1714, 脳梗塞について
      (*´ノД`)<<<才八∋ー゜                    
   先週の日曜日夜のNHKスペシャルで、   ( ^-^)_且~~
  脳梗塞の患者となった多田富雄氏の日常を半年にわたってリアルにレポートしていた。患者になってしまった彼がふり絞るようにいう
  言葉が深く心に突き刺さる。番組を見ながらパソコン内の「メモ帳」に下書きをして数日以内に『随想日記』に取りあげようとした矢先、
  産経新聞の「産経抄』に名文を書かれてしまった。プロの文章を読んでしまったら書く気がしなくなるが、それでも書くのが
  文章上達の早道。 学生時代の友人や、仕事の関係などで脳梗塞や脳溢血で倒れる人が多くなってきている。 Σ(´Д`;)
  数ヶ月前にも、会社のナイトフロントの人が定時になっても出勤して来ないので、副支配人が一人暮らしのアパートに行ったところ
  玄関で倒れていた。救急車をすぐ呼んで緊急入院をしたが、もう少し遅れれば?脳出血で左半身が麻痺が残り、退社をせざるを得なくなった。
  私など、深酒の機会が多いので気をつけなければならない。脳梗塞は身体は動かなくなっても、思考だけはしっかりして
 「身体の監獄に閉じ込められる』というのが実感という。 多田富雄氏も放送で『生き地獄』と言っていた。
  『地獄がこの世にあるものと実感した』という言葉が重い。   s(・・;)(/_;)
  人間、生きているうち、元気なうちに、出来ることを出来るだけしておくべきと思う。  ja~ (*゜∀)ノ.。・:*:
ーーーーー
産経抄=    ~~ ~~┗─y('〜`;)
  米国のコラムニスト、ボブ・グリーンに「勇気あるアルファベット」という佳品がある。
 (以下、字数の関係でカット 08年12月12日)      ○o。―y(・ε・) フウー
・・・・・・・・・
2004年12月12日(日)
1349, 教養が試される341語
本屋で立ち読みをしていた本だが、図書館にあったので早速借りてきて目を通した。
 思ったより内容は気楽に読める本で、何気なく使っていたり、知っていたが意味まで考えたことがない内容で
 面白い本である。検索で調べたら、その中の71語の意味を書き出していたのがあったので、
 コピーして貼り付けておきます。毎日、文章を書いているためか、言葉に対しする興味が全く違ってきている。
 言葉は、そして文章化は人間を人間たらしめているものだ。それと数千年、いや数万年かかってつくりあげてきた人類、
 そしてそれぞれの民族の蓄積された叡智である。
・冥加に余る(みょうがにあまる) :ありがたすぎて罰が当たりそうだ。
・弥栄を祈る(いやさかをいのる) :ますます栄える。
・惻隠の情(そくいんのじょう)  :人の不幸を黙視できず、その人の身を哀れみ傷む心。
・やんぬるかな:予想した通りに事態が進行して、今となってはどうしようもない。
 (以下、字数の関係でカット 09年12月12日)
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以上ですが、なるほどすごい人がいるものだ。よくぞ抜粋して書き写したものである。