* 食材産地の不適切な表示について
 現在、問題になっている「食材虚偽表示問題」、騒ぎすぎではないか? 明らかにマスコミも、店側も過剰反応。
「軽い気持ちで始めたことが、情報化時代に移り変わり、現場の告発などで発覚し、大事件となったということ。
「味さえ落とさなければ良い」という現場の調理人の意思がまかり通った時代が終わりを遂げる事件になる。
料理修行で虐められて辞めざるを得なかった人達の告発も、情報機器の進化で気楽に出来る世の中。日本中の料理店は真っ青。
ブランドに頼り、自分の舌に自信がないから、怒るのである。所詮、成り上がり食通など、その程度。
それより、この変な風潮の方が気になる。それも百貨店に入っているテナントの食材表示虚偽まで、何故、大家が責任を
とらなければならないのか? 「他が誤っているから自社も」というのだろうが、酷いもの。 味が悪けりゃ、
二度と行かなければよいだけ。店選定と、味に自信があれば、どうでも良いこと。 メニューに小さく、
「その日の天候で食材が変わることがあります」と、書いてあるかないかの問題である。
   * 消費税増税前のバカ騒ぎが始まった
 来年4月からの消費税の増税前の駆け込み騒ぎが始まった。このデフレの中、どうすればよいか、考えどころ。
特に、車や住宅など高額商品の購入を迷っている人達は、焦って判断を間違う可能性がある。数年前の地デジ移行の
テレビの買替え騒ぎ。 その後のTVの暴落を目の当たりにした経験を、忘れている。 「インフレの可能性と、
売手は、円安による輸入コストのアップを加算すると、1割、2割は高くなる?」という不安心理を巧くつく。
どの道、大恐慌が表面化するため、同じこと? 住宅購入は、人生の大博打。それと生命保険もである。そこには、
大きな仕掛けがある。それが分からないから、生命保険に入ってしまう。理屈からして、採算が合うはずはない。
綺麗ごとを掻き立て、いざとなると、殆ど詐欺同然のため、見返りは無いのが、保険である。相手は数百年かけた
ノウハウを持ったプロの詐欺集団も手口は酷似。あれだけ経費をかけ集金し、その上に利益を出しているのだから、
総体からみれば、半分以下のはず。で、これから数ヶ月は、その狂乱が、一部だが始まった。他人様のことは、言えないが、
結局は、無知が不幸を呼ぶことになる。
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4245, しまった!  ー4
2012年11月09日(金)
                 ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ージョゼフ・T・ハリナン (著)
   * 人は、出会った人の名前はどうでもいい
 私は人の顔と名前が覚えられない性質である。元々、見ないのである。数年前に義妹の名前も忘れいて、呆れ返られた。
しかし、この本によると名前は意味がないため、関心度の重要度が低いという。人は名前や名称より、意味を記憶をする。
逆に記憶するにはキーワードに意味を持たせればよい。人は、職業と趣味に注目されるが、名前や性格は二の次になる。 
   ー その辺りから ー
≪ 人の名前は、じつは、人の特徴とよく似ているが、大した意味がないので、忘れたり、まちがえたりしやすい。
 名前がほかの要素と比べて重要でないことは、数年前にイギリスの研究で証明された。 にせの人物のプロフィールを暗記
させるという実験だ。各プロフィールには架空の名前のほか、その人物ゆかりの地名(出身地など)や職業、趣味といった、
にせの情報が記されている。にせのプロフィールは、たとえばこんな感じだ。〈アン・コリンズ。有名なアマチュア写真家。
ブリストル近郊在住。地元で訪問看護師として働いている〉 では、実在する被験者たちは、その人物の何を覚えていたか?
「職業」だと思ったあなた、正解だ。職業は全被験者の69%が記憶していた。タッチの差で二位だったのは「趣味」の68%。
次いで、62%の「出身地」。ぶっちぎりで最下位だったのが「名前」である。ファーストネーム(名)は31%、ラストネーム(姓)は
30%しか覚えてもらえなかった。どういうわけか、その人がパン屋を営んでいることは姓がベイカーであることより覚えやすいのだ。
なぜこうなるのか?研究者にもわからない。おそらくは、人の名前は、あまり意味がない恣意的につけられた「ラベル」でしかない
ということだ。ジムにしろティムにしろ、可能だ。・・・ 人はパン屋さんであるベーカリーの方を、ベーカーさんより記憶する。≫
 ▼ 営業は顧客の顔と名前を必ず一緒に記憶する重要性を知ることから始まる。過去のツアー仲間たちで、憶えているのは、
  職業、趣味、出身地、そして顔。しかし、名前は、実際のところ殆ど憶えていない。031538という数字を例えると、
  「3月半ばの15日の3時と8時か、どちらかに」か、「王(おー)さん、いこか38本。」とか、何か意味づければよい。
  意味づけるには、上記のように小さな物語を作ることである。名前は、それぞれの物語だが、他人にとって符号でしかない。
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3880, 東北大震災と、9・11、9・15を重ねると
2011年11月09日(水)
   * 東北大震災と、9・11、9・15を重ねると
 東北大震災と、9・11テロ、プラス9・15リーマンショックを重ねると、現在の世界金融危機が見えてくる。
東北大震災は三つの地震が連動しM9の大地震になって、それが10メートルの大津波となって太平洋側の東北の海岸線に押し寄せた。
その上に宮城の原子力発電所を襲い破壊してしまった。 起こりうる最悪の重なり(大地震、大津波原発事故)である。
その原発事故は今だ進行中である。 9・11テロと、9・15の金融危機の重なりも、ことは重大である。9・11はイスラムキリスト教の対立。
またリーマンショックも、金融王国アメリカがもたらした経済大震災。アメリカのサブプライムローンを組み込んだ債権を世界中の企業と
金融機関などに撒き散らしたが、今だ塩漬けの状態。 しかし遅かれ早かれ表立って世界中の金融機関を破壊してしまう規模のもの。
 今回のギリシャは何とか目先乗り越えたが、次はイタリア、スペイン、ポーランドアイスランドが待っている。
東北大地震が起きた後の大津波の襲来は、1時間から4時間経ってから海岸線に押し寄せた。 リーマンショックを大地震と例えると、
その大津波は金融恐慌、経済恐慌に例えられる。 前回の1929年の恐慌は、当初の株の大暴落から3〜4年後の1933年に本格的大暴落になって、
大恐慌落に落とし込んだ。 今回はG20を緊急に組んで各国の首脳が対策に努めているので、何とか目先を引き延ばしている。
それも瀬戸際に近づいてきた。 不安を煽るようだが、東北大震災が日本経済に与える影響は、これから。一年一年、ジワジワと我われの
生活に影響をしてくる。 失われた20年とリーマンションショックの時期が重なっているため事態は深刻。 
以前は世界規模の戦争を起こして清算してきた。しかし、現代では、そのロスの方が遥かに大きいのは目に見えている。その中で、
世界の指導者も、我われも自然の流れに身を委ねているのが現在。 株式の暴落=Xディーが、何時のなるのか、薄氷の日々が続く。
 起こってしまった経済大震災と自然大震災、極めて大きな黒雲が漂っている。 これに情報化社会がもたらす社会変化が加わる。
その結果としての近未来の惨状は世界も日本も第二次世界大戦を超える可能性がある。特に経済的ロスは下々の方が大になる。
その彼らは正常性、同調性バイアスで、日々を過ごしている。 しかし、それも、あと僅かになってきた。悲観的過ぎるかもしれないが、
そうとしか考えられない。私の現状が既に震災の被害を直撃したため悲観的過ぎるのか、そこに身を置いたから分かることなのか?
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3515, ユダヤ人の頭脳活性法 ー7
2010年11月09日(火)
  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
 * ユダヤ人の考え方から何が学べるか
  ー 日本人は、第一人称不在である。
 記憶力が良いことと、自分で問題解決方法を工夫するのは別次元である。
「それについて自分がこう思った。私はここを疑問に思った。私であったらこう考える」という主張が欠如している。
つまり「自分自身は」という一人称が不在である。日本人の、無思考シンドロームの若者の多さは、大人たちの解答直行主義が
まいた種子の結果である。学校時代のまる暗記などで大学受験を乗り切ってきた根源が社会に出てからも続いてきたからである。
ベストセラーなど名著を読んでも、その本に感化されるわけでもない、吸収もしない、いわば、消化器の胃腸を持たない食道だけの
状態の人間、知識の食道人間、それが日本人である。ソクラテスもカントもニーチェも、自分の時代の問題を自分のことばで
考えたのであって、他人の言説の解説はほどんどしてない。 対照的に、日本の知識人は、
あたかも自分の考えであるかのように海外の思想を引用し、それを基準に世間の動向を批評している。 
 ■ここで考える四段階とは?を説いている。
△第一段階で、考えるための基礎的知識とヒントをどうつかむか?を、
△第二段階で、考える課題を自分自身に引きつけ
△第三段階で、自分で疑問を持ち、問題を発見し、解決法を組み立てて
△第四段階で、自分のことばで、自分の考えを述べる   これを徹底的にすることで思考力を高めている。
 ■「質問」ができるか?という能力も大きく問われる日本人は、小中高校を通して、先生にあまり質問をすることはない。
それは逆に言えば、深く問題を自ら求めてないからである。先生の方も生徒に課題を多く出して、生徒自身が研究し、
自分で解答を見つけるように仕組むのが教育もあるべき姿である。ユダヤでは低学年の時から小人数のグループ編成と
ディスカッションを進めている。一クラス25人を超えることはない。課題研究は5〜6名で、生徒たちは議論をしながら進める。
自分たちで考え、自分たちで疑問を持ち、自分たちで質問しあい、自分たちで答えを出す作業をしている。
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 自分の頭で考えること、そのためには「自分自身は、こう思う」という第一人称で考えること。疑問を持ち、何が問題かを見つけ、
解決策を見つけ、自分のことばで考えなければならない。特にユダヤの教育は子供のころから、これを徹底させる。
島国の中で、外敵から攻撃の心配がないことが、思考の必要性を最小限にしたのだろう。明治維新は、外的の脅威から起こった。
 坂本龍馬高杉晋作吉田松陰など、強烈な個性を持った男たちは、第一人称を持っていた。
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3140, マイケル・ジャクソン 「THIS IS IT
 2009年11月09日(月)
 昨日、長岡T.joyでマイケル・ジャクソンTHIS IS IT」ーを観てきたが、期待した以上の内容だった。
長男が二回も観てきたというし、家内も観て良かったというので、ネットで内容を調べ納得し見ることにした。
亡くなった時に、あれだけ世界中が悲しんだのだから何かがあるはずと・・・。
ライブをそのまま映画化したものを観たいと思っていたので丁度よいタイミング。
 《以下字数の関係でカット2010年11月09日》 
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 2775、仮説思考 −2
  2008年11月09日(日)
    ー この本の背裏の紹介の内容が、ズバリ要所をついている ー
 「情報が多ければ多いほど、よい意思決定ができる。このように信じているビジネスパーソンは多い。
 そうであるがゆえに、できるだけ多くの情報を集め、それらを分析してから、経営課題の本質を見極め、解決策を出そうとする。
 実際に起こることは何か? 情報収集しているうちに時間切れになったり、あるいは、ほかのどうでもよいデータはあるが、
 最も重要なデータがないことに土壇場で気づき、苦し紛れで「エイヤーッ」と意思決定せざるをえないことになる。
 徹底的に調べてから、答えを出すという仕事のやり方には無理がある。では、どうすればよいのか? 仮説思考を身につければよい。
 仮説とは、十分な情報がない段階、あるいは、分析が済んでいない段階でもつ、「仮の答え」「仮の結論」である。
 常に仮の答えをもちなながら、全体像を見据える習慣を仮説思考と呼ぶ。
 「仕事が速く、優れた成果をもたらすコンサルタントはみな、仮説をもって仕事をしている」と著者は言う。
 ーこれだけを身につけるだけで、全てが変化をするだろう。そして、その効用とは・・・
 *仮説思考の効用
    著者は、仮説思考の効用を3つ上げている。
    (1)情報洪水に溺れなくてすむ、(2)スピードアップ、(3)他人に状況がよく見える。
 (1)は、学生時代の研究レポートのようなものを考えると分かりやすい。「できるだけたくさんの情報を集めて
    分析してストーリーを作ろうとすると、提出日前の夜中になって重要な点を調べ忘れたと気が付いたりする。
    その結果、その部分は穴をあけたまま提出することになる。情報収集に時間を取られた結果、思考する時間が
    ほとんど取れなくなってしまうのは最悪だ」(内田)。これでは仕事の質が悪いばかりか、時間の無駄となる。
   「最初に答えを決めておいて、それに必要な部品を集めていけばいい。100を網羅的にやるより、もっともらしい2、3をやる。
    仮説思考は繰り返せば繰り返すほど経験がものをいうし、精度も上がる」
 (2)は、仕事がスピードアップし、楽になるという点だ。多くの作業をこなした方が仕事をした気にはなるが、
    実際には仕事の価値とはまったく関係ない。(1)とも関連するが、「100のうちの3に絞って考え、
    それで結果的に問題の解決策につながれば、仕事は加速度的に素早くなる」。作業のスピードを向上させるのではなく、
    仕事の量を減らすことで作業の効率化を図るというわけだ。
 (3)は、他人に仕事が見えるという効用だ。例えば、部下に仕事を依頼し途中経過を確認しようとしても、
    頑張ってはいるようだが、状況がよく分からないということがある。作業の状況よりも着地点を先に決めている人への方が
    アドバイスしやすいし、上司も安心できる。ここでも先に仮説を立てている人の方が結果として良い結果につながりやすい。
    同様に上司も仮説を持っていると、部下は最初から仕事の方向性が見えるので無駄な作業をしなくてすむ。
   「徹夜してやらなければならないような作業を行ったのに、結果的に間違ったものが出てくる」という事態を避けられる。
    もう一つ事例を挙げると 「実験をする前に論文を書く」ケースがある。 最初に論文を書くことで、アウトラインを明確にする。
    そのため、その結論に至る実験内容を決定できる。 つまり、その結論に至る余分な実験を行わなくてよくなる。
     失敗しても自分の出した結論は間違いだと短時間で分かるため、それほど時間の無駄にはならない。
 *自分より1つ上のポジションの立場で考える
   仮説を持って仕事をするためのポイントは、全体のストーリーを立てることだという。
   全部いっぺんにやろうとしてはダメだ。「網羅的にやって80点を取ろうとするよりも、ヘソをおさえてやる方が大事だ」
  「少ない情報でもイマジネーションを使えば2週間もあれば結論を出せる」。新米のコンサルタントに最初の2週間で出させた結論と、
   プロジェクト修了後に出した結論を比べてみても「これがほとんど変わらない」という結果になるという。
   著者は仮説思考を訓練するために「常に自分よりも1つ上のポジションにいる人間の立場になって考えてみる」ことを勧める。
   また「相手の眼鏡を掛けてものを見る」ように心掛けるのも役に立つという。
   ーー
 後記)考え方としては、「演繹法」に似ている。まずテーマを決めて、その要素を探し出す方法である。次回は、この本で紹介している、
   天才棋士の羽生の話である。棋士ほど、あらゆる仮説を一瞬に立て決断しなければならない。
   彼の言葉の一言一言が仮説思考について当てはまるのである。            ーつづく
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2007年11月09日(金)
2411, からだのままに      (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》
 「からだのままに」 木けいし著 文藝春秋社   ー読書日記ー 
 数年前、レンタルDVDでみた「阿弥陀堂だより」が非常に印象的であった。図書館で見つけた本だが、
  《以下字数の関係でカット2008年11月09日》            ノヾィ♪ヾ(´_`●)ノ ノヾィ♪
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2006年11月09日(木)
2046, 教養について −2
     (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん
数ヶ月前に、同じテーマで書いたが、再び書く。
<前回の要旨>は、
・「教養」の概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味する
  Bildungに対応していていて、豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験をいう。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであり、
   市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なり、世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。
  しかし、それは地域差別のコントローラーとして機能しており、そのことを客観視できる素材が教養である。
・なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくかというと、
 「何が大切で、何が大切でないかが、経験を通して見えてくるからある。
 * 私にとっての教養とは、
「感動すること、感激すること、感謝すること、 その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」
「知ること、愛すること、創造すること、それらを楽しむこと、 このために必要な知識・経験」である。
 『親や、育った環境から与えられた先入観から自由になるための知識・経験』 というのが、結論である。
▼ 先日の朝日新聞の紙面のトークショーの内容が「今、教養とは」であった。なかなか納得しやすい言葉で各自が語っていた。 
印象的な発言を集約してみる。
日本画家の千住博の講演がユニークである。 {サルにとって、進化するための教養が壁画だった}という説が面白い。
西欧州の300ある洞窟の壁画のうち、新しいものの一つにアリタミラの壁画がある。
 《以下字数の関係でカット2010年11月09日》 
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2005年11月09日(水)
 1681, うそつき−4
「うそつき」の話になると、いくらでも面白い話が思いつく。筒井康隆の『嘘と法螺』という随想に、子供の嘘がある。
ーある人が、下駄を片方なくして帰ってきた子を叱った。するとその子は、泥棒が持って逃げたのだと言い訳をした。
泥棒が持って逃げるのをみて、どうしてお巡りさん言わなかったのかと訊ねると、子供は、下駄を持って逃げた泥棒は、
実はお巡りさんだという。 お巡りさんが下駄の片方を持って逃げても、何の役にもたたないだろうというと、
そのお巡りさん片足だったという。
ー このような話だったと記憶しているが、こうなると瞬間芸としての子供の創作力に感心をしてしまう。ー
次の『嘘』についての話も面白い。ー昔、法螺話をする男がいて、村人からも面白いので好かれていた。
その男は毎朝、村から出て行き夕方になると帰ってきて、仕事を終えた村の働き手が仕事を終えた後に、
彼が今日見たという話を楽しみに聞いていた。ある日のこと『今日は何をみてきたか教えてくれ』というので、
その男は次の話をしたという。「森のなかで笛を吹いている牧神をみたよ。その音につれて、小さな妖精が、踊っていた」
『もっと話してくれ、ほかに何をみた?』「海岸にいってみると、波うちぎわで人魚が金の櫛で髪をとかしていたよ」
ところがある日、海岸に行くと人魚が金の櫛で髪をとかしていた。
そして、その後歩き続けて、森に行くと、牧神が笛を吹いて妖精たちが踊っていた。しかし、その夜、帰ってきて村人に
『今日も話して欲しい、何があったんだ』ときくと、彼は何もないような顔をして、「きょうは何も見なかったよ!」
 ーー
見てきたような嘘だから、男にとってよいのであって、現実なら面白くも可笑しくもない、ということだ。
嘘といえば、化粧も、動物の擬態も、政治家の公約もある。
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2004年11月09日(火)
 1316, まさか、地震が地元で!ー12
昨日の月曜日、ホテルの今週予約が如何なっているのか、実のところ心配であった。
新幹線と在来線の不通の事態なら、普段の客数の五分の一か、十分の一である。
実際、下越の観光ホテル・旅館でさえも殆んどがキャンセルである。
中越地区はゼロは情況から見れば、今さらいうこともない。新幹線がストップなら、駅前型のホテルも同じ情況で当然だが、
復興の為の手伝や、役所が全国から当分は集まって来ていて、差し引してもプラスになっている。
イベントも殆どキャンセルになっている。お客様のほとんどが、作業服を着た被災救援の関係者。
今のところ、復興部隊の人の宿泊でカバーしてくれるが、新潟県の経済は大打撃を受けたことは間違いのない事実だ。
建設・土木関係は当面、神風がふいた状態だろうが。何処まで続くかわからない事態の余震が、まだまだ収まりそうもない。
昨日も震度4〜5の余震があった。通勤の帰路にある長岡駅裏のダイエーが、地下の食品売り場を除いて閉鎖をしていた。
今朝の4時前に震度4弱の余震があった。 余震がいつまでも続いている。今では余震の度に、震度の当てあいをしている。