つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=k-CGH052TnM

 
 昨日のシネマは、『人間資金』を見てきたが、殆ど期待してなかった分、面白かった。
以前から、M資金の話題が浮かんだりしていたが・・・ 映画では10兆円の金を
元に、日本や世界の発展に融資されているという設定。それが、アメリカとの
共同だったが、米国が運用が・・・ 次の随想日記のネタか。
http://www.cinematoday.jp/movie/T0017062
 ーブログの内容から
亡国のイージス』『大鹿村騒動記』などの阪本順治が監督を務め、
原作の福井晴敏と共に脚本も担当したサスペンス。いまだ、その存在が議論されている
旧日本軍の秘密資金、M資金をめぐる陰謀と戦いに巻き込まれていく男の姿を活写する。
佐藤浩市香取慎吾森山未來をはじめユ・ジテやヴィンセント・ギャロら、海外からの
キャスト陣を含む豪華な顔ぶれが結集。彼らが見せる演技合戦はもちろん、
壮大で緻密な展開のストーリーも見もの。


・・・・・・
2411, からだのままに
2007年11月09日(金) 
         「からだのままに」南木けいし著 文藝春秋社     ー読書日記ー          
数年前、レンタルDVDでみた「阿弥陀堂だより」が非常に印象的であった。
図書館で見つけた本だが、その著者の随想なら読む価値は充分にある。
2004年から2006年にかけて種々の媒体に発表された随想である。
臨床医師として、文学界新人賞芥川賞と受賞した医師だが、終末医療に携わる中でストレス障害から
体調を崩し38歳の時にパニック障害から欝病になる。書くことも読むことも出来ない中で、
生かされている自分を見つけ出し、医師として、また作家として復帰する。
映画も、この随想からも、何ともいえない人間としての深みを感じ取れる人である。
私よりも6歳も下の人とは驚きである。 本人が深い病気を経験したり、
多くの患者を看取ってきた経験と教養の深さだろう。
こういう人を知るにつけて、己は何をしてきたのだろうか?と、・・・。
 ーまずは特に印象に残った部分を抜粋してみる。
  *業の深さ      pー106
末期がんの患者さんを常に数人担当していたから、こんな精神状態では、
患者さんを楽にするためより、自分が早く肩の荷を降ろしたくなって
モルヒネを大量に使ってしまうのではないかと心底恐ろしくなり、
上司に懇願して、外来診療のみを担当して、16年経った。
小説を書き始めたのは、医師になって二年目あたりで、
人の死を扱うこの仕事のとんでもない「あぶなさ」に気づいたからだった。
危険を外部に分散するために書いていたつもりだったが、
それは内に向かって毒を凝縮する剣呑な作業でもあった。
  *病んで出合った『流れとよどみ』 p-110
その後、医学の教科書に不定愁訴として記されているすべての症状にみまわれ、
とりあえず死なないでいるのが精一杯の状況がかなり長く続いた。
書くことはもちろんできず、活字を読む気力もなかった。
不安、焦燥感にあおられる日々から逃れるためなら、と自裁を想いつく
己の思考回路が恐ろしかったが、その回路のスイッチを切るために
向こう側の世界へと誘い、そっと背を押す見えない力のほうがあとで
冷静になってみればはるかに怖かった。こういう根源の恐怖を体験してしまうと、
世俗の価値の調整などどうでもよくなって、とにかく死なないでいることの
大事さのみを考えるようになる。 九十歳をすぎた老人患者さんの、
「これでねえ、死なないでいるてのも大変な仕事だよ」とのため息に深くうなずく。
症状がいくらか軽くなってきたある朝、新聞で大森荘蔵のエッセイを読んだ。
人は大いなる自然の一点景でしかなく、人の感情も天地の有情に左右されるばかりのものにすぎない、
との一見ありふれた内容で、こういう説を押し付けがましい難文で読まされたら即座に反発していたところだが、
老いた哲学者の文章はどこまでも明晰で澄みわたっていた。書かれたものが身の奥にしみてくる実感があった。
心身ともに弱くなると、読む者を思考停止に陥れる安易な言い切り文に頼りたくなり、
あとで大いに後悔するのが常だが、大森荘蔵の文章は何度読み返しても新鮮さを失わない。
それはおそらく、永年積み重ねられた精緻な哲学的思考が、分かりやすさを最終目的とした
「試論」として提出されているからなのだろう。 『流れとよどみ』(産業図書)は
一九八一年初版のエッセイ集だが、内容が古びて感じられるものは一篇もない。
なかでも「真実の百面相」と題された章は今日に至るまで最も多く読み返した達文である。
  ー以下は、その一部であるー
  「本当は」親切な男が働いた不親切な行為は嘘の行為だといえようか。
  その状況においてはそういう不親切を示すのも親切男の「本当の」人柄ではなかったか。
  人が状況によって、また相手によって、様々に振るまうことは当然である。
  部下には親切だが上役には不親切、男には嘘をつくが女にはつかない、
  会社では陽気だが家へ帰るとむっつりする、こういった斑模様の振る舞いかたが
  自然なのであって、親切一色や陽気一色の方が人間離れしていよう。
  もししいて「本当の人柄」を云々するのならば、こうして状況や相手次第で千変万化
  する行動様式が織りなす斑なパターンこそを「本当の人柄」というべきであろう。
  そのそれぞれの行為のすべてがその人間の本当の人柄の表現なのである。
・・・・・
2006年11月09日(木)
2046, 教養について -2
 数ヶ月前に、同じテーマで書いたが、再び書く。
<前回の要旨>は、
・「教養」の概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味する
 Bildungに対応していていて、豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験をいう。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであり、
   市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なり、世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。
  しかし地域差別のコントローラーとして機能しており、そのことを客観視できる素材が教養である。
・なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくかというと、
 「何が大切で、何が大切でないかが、経験を通して見えてくるからある。
 * 私にとっての教養とは、
「感動すること、感激すること、感謝すること、その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」
「知ること、愛すること、創造すること、それらを楽しむこと、このために必要な知識・経験」である。
『親や、育った環境から与えられた先入観から自由になるための知識・経験』というのが、結論である。
ーー
先日の朝日新聞の紙面のトークショーの内容が、「今、教養とは」であった。
なかなか納得しやすい言葉で、各自が語っていた。 印象的な発言を集約してみる。
日本画家の千住博の講演がユニークである。
{サルにとって、進化するための教養が壁画だった}という説が面白い。
西欧州の300ある洞窟の壁画のうち、新しいものの一つにアリタミラの壁画がある。
約1万5千年前、時代は氷河期であった。その時期、氷河を前に旧石器人は洞窟に引きこもるしかなかった。
そこでやることはなく、絵を描いたのです。絵は洞窟の奥ほど古く、出口ほど新しく次第にリアルになっていった。
(数千年かけて書き継がれていた)これはなかなか良いとか、こう描けば良いとか、
といったコミュニケーションが生まれていった。
彼らは絵を描くという行為によって一歩ずつ人間に近づいていった。
その過程で、イマジネーションや観察力、知識、理解力、コミュニケーションが、当時の旧石器人に芽生えた。
つまり芸術がサルをヒトにした。それがアルタミラの壁画の持っている意味です。
サルにとって、進化するための教養が壁画だった。芸術を料理にたとえてみる。
つくり手が材料から、美味しい料理を作ろうというイマジネーションが、他人に食べてもらおうという、
コミュニケーションになります。芸術とは作り手が、自分のイマジネーションを、何とかして他人に伝えたいと思う心。
「俺の叫びを聞いてくれ」「私の歌を聴いてくれ」と思うのが芸術なのです。
私はこの芸術的発想が人類の発生と同時に存在していながら、こうした考えが弱まる時代は非常に危険だと思います。 
だからこそ、芸術がサルを人間に引っ張り出したという歴史を考えてみる必要があります。
相手が伝えようとしていることに対して、まずは相手の話を聞く。
こんなことをしたらどうなるのだろう、と考えてみる。たったこれだけのことがこの時代にどれだけ大切なことか。
この発想が、教養という考え方の柱になると思っている。
--
以上だが、現代の教養は書物はさることながら、インターネットとブログという手段を使いきれるかどうかが、
その人の教養度を大きく左右するだろう。                      \(^▽^*)バイ! 
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2005年11月09日(水)
1681, うそつき-4
「うそつき」の話になると、いくらでも面白い話が思いつく。筒井康隆の『嘘と法螺』という随想に、子供の嘘がある。

ーある人が、下駄を片方なくして帰ってきた子を叱った。するとその子は、泥棒が持って逃げたのだと言い訳をした。
泥棒が持って逃げるのをみて、どうしてお巡りさん言わなかったのかと訊ねると、子供は、下駄を持って逃げた泥棒は、
実はお巡りさんだという。お巡りさんが下駄の片方を持って逃げても、何の役にもたたないだろうというと、
そのお巡りさん片足だったという。ー
このような話だったと記憶しているが、こうなると瞬間芸としての子供の創作力に感心をしてしまう。ー
次の『嘘』についての話も面白い。
ー昔、法螺話をする男がいて、村人からも面白いので好かれていた。
その男は毎朝、村から出て行き夕方になると帰ってきて、仕事を終えた村の働き手が仕事を終えた後に、
彼が今日見たという話を楽しみに聞いていた。ある日のこと『今日は何をみてきたか教えてくれ』というので、
その男は次の話をしたという。
「森のなかで笛を吹いている牧神をみたよ。その音につれて、小さな妖精が、踊っていた」
『もっと話してくれ、ほかに何をみた?』
「海岸にいってみると、波うちぎわで人魚が金の櫛で髪をとかしていたよ」
ところがある日、海岸に行くと人魚が金の櫛で髪をとかしていた。
そして、その後歩き続けて、森に行くと、牧神が笛を吹いて妖精たちが踊っていた。
しかし、その夜、帰ってきて村人に『今日も話して欲しい、何があったんだ』ときくと、
彼は何もないような顔をして、「きょうは何も見なかったよ!」
 ーー
見てきたような嘘だから、男にとってよいのであって、現実なら面白くも可笑しくもない、ということだ。
嘘といえば、化粧も、動物の擬態も、政治家の公約もある。

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2004年11月09日(火)
1316, まさか、地震が地元で!ー12
 昨日の月曜日、ホテルの今週予約が如何なっているのか、実のところ心配であった。
新幹線と在来線の不通の事態なら、普段の客数の五分の一か、十分の一である。
実際、下越の観光ホテル・旅館でさえも殆んどがキャンセルである。
中越地区はゼロは情況から見れば、今さらいうこともない。
新幹線がストップなら、駅前型のホテルも同じ情況で当然だが、復興の為の手伝や、
役所が全国から当分は集まって来ていて、差し引してもプラスになっている。
イベントも殆どキャンセルになっている。お客様のほとんどが、作業服を着た被災救援の関係者。
今のところ、復興部隊の人の宿泊でカバーしてくれるが、新潟県の経済は大打撃を受けたことは
間違いのない事実。建設・土木関係は当面、神風がふいた状態だろうが。
何処まで続くかわからない事態の余震が、まだまだ収まりそうもない。昨日も震度4~5の余震があった。
通勤の帰路にある長岡駅裏のダイエーが、地下の食品売り場を除いて閉鎖をしていた。
今朝の4時前に震度4弱の余震があった。 余震がいつまでも続いている。では余震の度に、震度の当てあいをしている。
メルクマールの日記内容である。
 ーーー
メルクマール  堀井
 ー11月08日
・今日、会社に来ると、国土省の延べ400人の予約が入っていた。これからも震災関係も入ってくるから、
予測していた動きが、でてきたようだ。殆んどが事務方だ。長岡では宿がとれないためだ。
といって、これは一時的なことでしかない。東京~長岡間は4時間15分~5時間半はかかる。高速道バスで
6時間だから、値段から考えたら、バスが多くなる。
新幹線の脱線の工事は、11月10日からというから、当分開通はないが。
しかし亀裂をおこした立柱は、もう工事に入っているだろう?から、
年内は無理としても最短年越し直後辺りではないか。
長岡の奥座敷といわれた、蓬平温泉の「イズミヤ」など、三つのホテルの従業員全員-100人あまりーが
解雇されたと、新聞に出ていた。失業保険で急場をしのいで、一年後に再開するのか?
いずれにしても、経済は生きるか死ぬかの大打撃であることは間違いのないことである。
 ー11月7日
・朝8時過ぎに、また震度3の余震があった。
ドッスンという縦揺れのドキッとする地震だった。当分はこの状態が続くだろう。
・「男はつらいよ」DVDを借りてきた。 こういう時は、これにかぎる。

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2003年11月09日(日)
949, 流通大戦争
 長岡と隣接している見附市の今町に5000坪のスーパーセンター
「PLANT5」が開店をした。10月29日に開店をしたがチラシをまかなかったのでオープンを
している事に気がつかなかった。規模もさることながら、それぞれのアイテムの多さと値段の安さに驚いた。
 エブリデー・ロープライスをそのまま実践をしていた。お客の立場からみればアイテム数が多く、
廉価であることが第一である。ただただ「安い、アイテムが多い!」と驚いてしまった。
新潟の郊外にも聖篭の長崎屋の後に入っているが、その一回り大きいものだ。
47台のレジがフル回転をしていた。チラシをまかないで、これだけ入っているのだから凄い。
 今月末には同じバイパスの反対側の小千谷市の郊外に「ベイシア」がオーペンする。
これで長岡はSSM(スーパー・スーパーマーケット)のウオロクも含めた三箇所のポイントが、
この数ヶ月でおさえられた事になる。合計で200億である。20?以上?の売上げが
いっきょに奪われたことになる。
 一番の影響を受けるのが、勝ち組のジャスコと、スーパー原信と、HCのコメリとムサシである。
中越地区が無店地帯であったことが、これで証明された。流通は車社会になって、いちだんと競争が激しくなった。
確かに今の私の商売は厳しいが、流通の厳しさからみれば全く軽い。ただ真綿で首絞めのところもあるが?!
といって、このディスカウントが本物かというと、5~10年スパンで終わりであることも間違いはない。
それにしても圧倒的な廉さには驚いた。   http://www.palge.com/news/h15/5/plant20030509.htm
 以前書いた流通関係の文章をコピーする。

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797, 流通業界よりみた時代の変化ー
- 2003年06月10日(火)

字数の関係でカットー2007年11月9日
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648, 流通業界を考える
- 2003年01月16日(木)
 実家も勤務も前業も流通業界の出身の為か業界のウネリに興味がある。
一般小売店と地方百貨店はほぼ壊滅。その流れが都心の百貨店にきている。
そごう百貨店の倒産、西武流通グループの解体と西武百貨店の再生法。
東急もしかり。三越の不祥事の連続の事態。これからは高島屋の隠れた問題が吹き出るはずである。
字数の関係でカット(2007年11月9日)
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516,デフレと流通大乱
- 2002年09月11日(水)
 夏季の土日・祭日の午後の散歩はダイエーに行く。店内を3~40分歩いて帰ってくると、
1時間の散歩コースに丁度よいからだ。 クーラーもきいているし面白いし。
それにしてもお客が少ない。 商品はそんなに悪くはない。
ただこれはという商品はヨーカ堂と比べると少ない。ニーズ商品は悪くはないが、ホット商品が少ない。
でも安いし、面白い事は確かだ。家内もダイエーヨーカ堂と専門店の特売を使い分けている。
それにしても消費物価が信じられないくらい安いのに驚く。300円、500円クラスで面白いぐらい良い商品がある。
これでは洗濯屋が悪くなるはずである、洗濯代の方が高くつくのだ。誰もわかっていることだ。
「バーミアン」というスカイラークが展開を始めた中華料理屋も、ここに来てやっと本物になり始めてきた。
イタリヤ料理の「サエゼリア」の価値に近づいている。とにかく安い、味はまあまあだが価値は充分感じる。
チェーン店評論家?として、この2つと、マクドナルド、家具のニトリユニクロ無印良品、100円ショップ、
しまむら、吉野屋、居酒屋の一部に、日本にも本物が出始めてきた。デフレに強い業態で、
ロアーポピュラープライス専門店グループだ。それにしても大手GMSのチェーンの盛衰が凄い。
・西武流通、ダイエーグループの実質解体。
・長崎屋、マイカルーニチイ、ヤオハン、九州最大の寿やの倒産。 百貨店だが,そごうの倒産。
総合店が苦戦している構造になっている。本来GMS(ゼネラル・マーチャンダイジング・ストア)
は専門部門を束ねたものであるはずだが、組織がそれについていけないのだろう。
アメリカでは、10年前の雄であったK-マートが倒産。今はウオールマートの時代だ。
西武流通グループから西友を買い取って日本に乗り込んでくる。
ジャスコとイトーヨーカ堂が合併しても太刀打ちできない相手だ。ジャスコは、この3年間荒利を
このままにして人件費を20?減らすという。正社員は3年間殆んど入れないという。
それも可能かどうか???実際は不可のはずだが??
ところが下げたとしても、20?以上人件費の比率がウオールマートより高いという。
創業者の元会長が「あと3年で準備ができないときはジャスコも危ない」と警告を発している。
流通は渦中でなく、横でウオッチングしていると面白いが、渦中で働く人は阿修羅の世界だろう。
デフレが更にこれに拍車をかけているからだ。 時代の変わり目だ!!

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575, つれづれに学生時代のこと ー2  
2002年11月09日(土)
現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。その価値観はまるで違う物差しになる。
今の私は午後の人生の学生期にある。それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの午後の
人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを自分の中に見出していく時期だ。
そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
コペルニクス的視点の大逆転、『人生に何を求めるのでなく、人生が何を求めているか』
の追求」である。 人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。
午後の人生を余白でなく、新しいページの書き込みの過程として捉えると解る。
その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。可能な限り行動し、
知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が必要ということだ。
その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。 両親がそれをしっかりやって死んでいったモデルがある。

・・・・・・・
2001年11月9日
ベトナム旅行中