ー君は1万円札を破れるか? ー 苫米地英人 (著)
   * 世間を覆う「不安」の正体 ーお金の本質は「情報」であるー 
《 今の世の中、「先行きの不安」を感じている人が、大変多いようです。2010年に、次の世論調査の結果が発表された。
世界の国内総生産の75%を占める先進23ヶ国の人々を対象に「将来について安心を感じるか、不安を感じるか」という
質問をしたところ。将来が「安心」と回答した人が23ヶ国中最低の86%もの人が「不安」と回答えたそうです。
ちなみに,「安心」と回答した割合が高かった国のトップはインド(79%)、中国(78%)、オーストラリア(73%)でした。
 なるほど、インドや中国は今後、飛躍的な経済成長が見込まれていますし、オーストラリアは先進国の中にあって、健全な
財政状況が続いています。それに比べて日本は…と考えたときに、将来に不安を覚える人が多いこと。・・・恐怖というのは、
その対象がハッキリしているものをいいます。その対象によって、自身にどんな危険がもたらされるのかという認識が生じます。
その危険に対して、なんらかの対処をしなければという反応を伴う精神状態が「恐怖」です。 たとえば、山道を歩いていて
へピに出くわしたときに感じるのは、「不安」ではなく「恐怖」です。「かまれたら、危ないかもしれない」と危険を認識して、
一目散に逃げるなり、危険を回避するための行動を取ろうとします。それに対しして不安とは、その対象がはっきりしないもの。
精神医学でいう不安症とは、具体的に恐れる対象や根拠がないにもかがわらず、「何かいやなこと、恐ろしいことが起こるかも
しれない・・」といった悪い未来を漠然と予測し、不安にとらわれる病気。日本国民の大半が、この不安感に取りつかれている。
「会社の業績が不振で減給された。いずれリストラされるのでは……」「企業が次つぎ倒産し、求人がへり仕事に就けなくない…」
「年金や国保などの社会保障制度も維持できなくなることはわかりきっている…」など不安を感じる理由が挙がってくる。
けれど、「不況」や「財政破綻」などの問題に対して、「どのように危険なのか」を正確に判断し、「どうすれば対処できるか」
といったことにまで考えをめぐらせている人は、あまり多くないでしょう。 大半の人は、テレビのニュースや新聞、雑誌などで
それらの言葉を見かけるたびに、ただ漠然と「何か困ったことが起こり、その弊害が自分の身にも及ぶのではないか」と不安を
煽られているだけでないでしょうか。 その不安の正体を突き詰めれぱ、「お金に関する不安」です。世の中の先行きが恩わしく
ない方向に向かつていて、そのために自分が充分なお金を得られなくなり、生活が苦しくなる・・ そんな不安に多くの人が
さいなやまされているわけです。 最初に結論を言っておきます。現代のお金は、単なる「情報」に過ぎない。
「これには、これだけの価値がありますよ」と主張する情報です。これもまた「信用」という情報のみです。 多くの人は、
日ごろ目にしている紙幣や硬貨のことをお金と思っているかもしれません。紙幣や硬貨には物理的な実体がありますが、実は、
それはお金の実質ではありません。仮の姿だといってもいい。お金の本質により近いのは、みなさんの預金通帳に記帳されている
「数字」です。こういうと、「実際にお金があるから。通帳に数字が書き込まれているんでしょう」と思われるかもしれません。
通帳に起蔵されている残高をいつでも引き出すことができる。それはただ、お金が出人りしている記録だろう、と。
実は、そうではないのです。数字のほうが本質で、紙幣やコインはそれを目に見えるようにして、やりとりできるための道具。
ただの紙っぺらであり、金属片に適ぎないのです。》
 ▼ 準備期間を含めた45年間の創業と事業人生、このカラクリを真に分かっていただろうか。 2001年の9・11テロから急激に
  地方経済が悪化していった辺りから、バブル崩壊の上に、更に大きな並みが押し寄せてきている。9・11テロも、やらせ?・・ 
 そして、リーマンショックと、3・11災害と、世界規模の地震津波。経済震災と、自然震災が世界と日本を襲った。 
 お金の正体は情報というなら、情報機器の革命的進化が、世界を根こそぎ変えている。それが、経済震災でリーマンショック
 政治的には北アフリカ、中東の政変であり、欧米経済の衰退である。そして、静かに進行している世界恐慌
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4237, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー10
2012年11月01日(木)                       
   * 卓球をピンポンと呼ぶのはなぜか        ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より   
 卓球は英語で「テーブルテ二ス」という。1880年代、イギリスのテ二ス愛好家たちによって考案されたスポーツだ。
じつはテーブルテニスというのはあとでついた名前で、もともとはイギリスでもアメリカでも「ピンポン」と呼ばれていた。
ピンポンの語源は、当時使われていた中空の革張りラケットで球を打つと「ピン」という音が出て、球がテーブルに当たると、
「ボン」と聞こえるところからきている。この名称が卓球協会の名称として正式に採用され、イギリスとアメリカでは
「ピンポン協会」が設立された。ところが、このピンポンという名称はすでにイギリスで商標登録されていることが、
あとになって判明。スポーツ用品メーカーが家族で遊べる玩具として発売していた卓球セットの商品名を、「ピンポン」
として登録していたのだ。そこで、トラブルを避けるため、イギリスのピンポン協会は解体された。
今でも卓球をピンポンと呼ぶのは、当時の名残なのである。
   * 土壇場は斬首刑の土もリ
 ドタキャンとかいう、土壇場の意味は、字の通り「土を盛って築いた壇の場所」。江戸時代の死刑に、この土壇場に
罪人を横たわらせて斬首刑を執行したため、土壇場は「斬首刑の刑場」を意味していた。土壇場に上げられた罪人は、
手足を拘束され、どうにもならない状態で処刑を迎えた。ここから土壇場は、どうにもならない事態をさすようになった。
 ▼ 土壇場で死に直面した時のの恐怖は、言語に絶するだろう。そういえば、Youtubeで、フセインが絞首刑に
 なるまでの映像があった。吉田松陰も恐怖で転げまわったとか。ところで、バンジージャンプの飛込み台の恐怖のどん底
 凍りついた瞬間を思い出した! 数分前から恐怖で呼吸困難、頭の中は真っ白!「こんなはずでなかった!」という言葉。 
 躊躇するほど恐怖が倍増してくる。ワッーという感じで飛び込んだが・・  高層ビルから投身自殺をしようとして、
 2Fで何かに引っかかり九死に一生を得た人のインタビューをTVで見たことがあるが、その直前まで意識があり、
 鮮明に落下していく光景が見えていたという。ロシアン・ルーレットも、こんな感じだろう。快感のところもあるようだが。
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3872, 一人旅
2011年11月01日(火)                       
  一人旅を過去に何度かしたことがある。北海道と九州に、それぞれ10日間ほどと、大学を出て四日市に勤務をしたときに、
紀州の尾鷲に一泊したこともあった。 金沢で修行していた時には、観光バスの日帰りコースで能登半島に行ってきた。
23歳から26歳の4年間、精神的な体力が出来たころである。一人旅には、それに似合った時節がある。27歳で結婚し、
事業の立ち上げを始める直前。振りかえってみると、その時節しかタイミングがなかったのである。
一人旅をすべき時節に、すべき事をしていたことになる。
 一人旅は思い立ったら、駅の旅行センターで、「一週間ほど北海道の一人旅をしたい」といえば、窓口の担当者が、
そのルートを一緒に組んでくれ、列車と宿の手配をしてくれる。そして、そのルートに従えばよい。一度、列車に踏み込めば、
不安とか、孤独感はなくなる。 若さもあり、一人旅そのものに酔っている部分もあった。 当時の記憶が少ないのは、
目先が変化変化の連続で、刺激の強い日々だったからである。 現在、一人旅というと、面倒という思いが先にたつ。 
しかし今から思うと北海道も、九州も思いで深い。人生を振り返ると、それぞれの時節の思い出があるが、特に旅行の思い出は大きい。
北海道は、青森から青函連絡船に乗り、函館、札幌、釧路、網走、旭川、函館と周遊した。北海道の旅も、一歩踏み出すと気ままだった。
 結婚してから10年間は家内と国内旅行ガ中心だった。 事業と家庭中心で、海外旅行に切り替えたのは15年経ってから。
卒業記念に海外への一人旅が流行りだしたのは、私が卒業をして数年してから。しかし当時の私の精神的体力では、海外の一人旅は無理。
私の知人ではオーストリアが二人、イタリアに一人、留学をした。 それと幼稚園から高校まで同窓で、慶応大学教授になった直後に
亡くなった男が、学生時代に欧州を数ヶ月一人旅をしたといっていた。 そう、新潟県活性化案を一緒につくった松下さんも、一年間、
彼方此方のアメリカの大学を聴講してまわったとか。 感受性の強いうちに世界を見ると見ないとでは大違い。それも一人旅で・・・
 幕末から明治維新にかけ、外国に行った人と、行かなかった人と、その後の活躍が全く違っている。 明治政府の高官になって、
新しい政府つくりの邁進したのは、前者が多い。一人旅は変わっていく景色を見ながら、独りブツブツ呟きながら思いにふけるもの。
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3507, ユダヤ人の頭脳活性法
2010年11月01日(月)
              「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
 図書館で借りてきて目を通したが、なかなかである。ピアノとか、吹奏をやる人は勉強の成績がよい人が多い。
それは長年の間、繰り返し集中し、続けないと身に付かない。教科書を理解し、暗記するなど、それに比べれば、取るに
足らないから成績も良くなると思っていたが・・・ ユダヤだけでなく、優秀な人間?の特性、頭脳活性法が書かれている。
  * アマゾンの ー内容紹介ーより
 マルクスフロイトアインシュタインドラッカースピルバーグ…… 彼らはみなユダヤ人。
もちろんユダヤ人全てが優秀なわけでは無いけれど、優秀な人間が多いのも事実。それには何か理由があるのだろうか――。
 実はそのヒントは彼らのささいな日常にあった! 五感を目一杯に使い、日々を楽しく過ごすユダヤ人たちの文化。
子どものころから全身を使って本を読み、聖典の名言を吸収していく。そして創造することのみに自分の価値を見出す。
そんな生活の積み重ねによってユダヤ人の発想力が生まれるのだ。 そんなユダヤの世界からヒントを得た、
頭脳活性のための様々なトレーニング方法。ほんの少しの工夫でユダヤ人のすごい発想力が手に入る! ユダヤ本というと、
怪しさのようなものを感じてしまうが、この本には、それがない。ヘブライ大学卒業後、企業コンサルタントなど、学者ではなく
実学」の世界で生きてきた著者自らの人生観を通して、ユダヤ箴言、格言などから学ぶべきことを的確に表現している。
 〜「まえがき」より〜
ユダヤ人だから特別に優秀である」と強調するつもりはありません。 それは人種の優劣をつけることであり、
私の本意ではありません。けれども、彼らから学ぶべき点が大いにあることも事実。 確かに、世界にこれだけ有能なユダヤ人が
いるということは、どこか秘密があるに違いない。 そう思ってこの本を読むと、彼らが勤勉で自らを高めるために努力を惜しまない、
ということが見えてくる。 そして「何かに感動する素直な心」こそユダヤ人共通の特性!と。
 *ユダヤの格言やユダヤ人の名言として   ・人の目は前にある。後ろにはない。
  ・考えるのをやめることは、私にとって生きるのをやめることだ。
  ・話す前に、あなたの言葉を選べ。……etc
  ―
 基本は「五感を研ぎすます」こと。 見る、聴く、触れる…そういった感覚を養うことで、人間は心の豊かさを手に入れ、
頭脳も活性化していくのだ、と。心の豊かさが持てれば「何かに感動する素直な心」になれる。彼らはユダヤ教の基本構造として
選民意識を持ち、それを実行していくことである。そこに、生まれつきの天才的頭脳が重なれば優秀な人材が輩出するのは当然。
金融世界で支配しているユダヤ人も、こういう背景があると知ると、納得がいく。アラブ人やインド人が、彼らに敵うわかがない。 
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3132, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー6
 2009年11月01日(日)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)     ー読書日記
   近代イデオロギーの罪
 * 理性主義の恐怖 p−99
科学の発展や、大航海以来の欧州世界の拡大で、それまで宗教が欧州人に一つの統一的説明を与えていた世界が崩れていく。
そこで登場したのが「理性」という理念である。これが「神」の代わりになった。1789年のフランス革命では、「理性」が
至高の価値として掲げられ「神の死」が宣言された。「唯一の神の信仰」が「唯一の神としての理性への信仰」にすり替わった。
そうすると、理性からはずれるものが出てくる。それが子供であり、未開人であり、精神病者である。近代は理性というものを
発見し、そこから逆噴射する形で、子供、未開人、精神病者を発見したのである。その三者の共通点は理性の欠落である。
子供には理性を持つように教育をしなかればならない、未開人には、教え導かなければならないということで、植民地主義
正当化され、精神病者は回復するまで隔離されるようになった。 
 フランス革命ロシア革命も、理性によって理想社会を作ることができるという考えから起こった。
反計画経済の大御所のハイエクは、社会主義共産主義は、社会は人間の理性で設計できるという思想だが、
それは「致命的な思いあがり」だと。 共産主義というのが理性の理想的社会だとすると、これに反対するヤツは
みんな殺されなけばならないことになってしまう。 で、中国やソ連カンボジアで大虐殺が生まれてきたのである。
社会主義がなぜに間違えていたかと言うと、経済が下部構造になっていて、それを計画経済でやっている。
あれは要するに意識が全てを決定するということ。 ところが基本的に経済の流動的動きは無意識が決めている。
 ーー
 この辺を考えると、知性、理性的にあろうとしてきた現代人の方向そのものを根底的に考え直さなければことになる。
最近、年齢のためか根底から今までの生きかたに対して疑念を感じるようになっている。 
毛沢東は何を国民にしたのだろう。スターリン毛沢東も、理想社会を目指して数千万人も虐殺をしてきたのである。
また、アメリカも、この金融恐慌を引き起こしたのも、理性主義の行き着いた先であった。 
時代は丁度良く欧州大陸からアメリカ大陸へ重心を移していたのが、今世紀はアジアに移行する。
アジア的な考え方が見直されなければならないが、動乱を通してか、それともソフトにいくのか? 
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2767, こころと脳の対話 −3
 2008年11月01日(土)
   面接や新入社員教育の時には、河合隼雄と同様、
  「中心をはずさないで、無心になって対象の人と相接する」しかない。
  そうすることで、心だけでなく、心の中心点の奥の魂同士がクロスをすることができる。
  そこまでしないと、相手のことが理解できないのである。 美人とか、センスや、頭の良さなど属性になるのである。
  河合は当たり前のことを素人向けとして、解りやすい事例を出しただけ。 
  相手の中心点だけを見ると、逆に性格とか、片親とかの属性が浮きだって見えてくる。 
  そこまでいくには、経験を重ねるしかない。  それにしても、色いろな心の病があるものだ。
 「 こころと脳の対話 」 河合隼雄 茂木健一郎
    第三回 魂を救う対話 
  *相手の「魂」だけを見つめる
 P−160 
茂木 「中心をはずさない」って、僕、すごく大事なことのような気がしてきたんです。というのは、『五輪書』には、
   たしか、相手のどこかに注意を置いてはいけない、というようなことが書いてあるんですね。やっぱり同じ感じですか。
河合  同じです。それからね、これは僕が人にほめられた最高の賛辞というか、
   「うれしくてしょうがないからあちこちでしゃべっているんですけれどね、どないうてほめてくれたかというとね……。
   その人は、「離人症性障害」っていう、大変なノイローゼなんです。現実感覚がなくなるんですね。
   こういう場所にいても、みなさんが生きている人間に見えなかったり、それからこういうふうに手を振っても、
   本当に自分が手を動かしているのかわからない。すっこい苦しいけど、誰もわかってくれない。
   自殺する人も多いんですけれど。でも外見はふつうで、ちょっと見てもわからない。
   そういう離人症になられた人が、自分が現実感覚がないのをなんとかしたいと思うから、人と接近するわけね。
   その人、きれいな女の人やったから、恋人がいっぱいできて、また、いっぺんに二人も三人もつくったらしいから、
   恋人同士が殴り合いしたり、劇的なことが周りでいっぱい起こっているんだけれど、その人は全然、劇の外にいるわけです。
   そうでしょう、現実を生きてないわけだから。 その入が、あちこちのセラピストのところに行ってみても、
   どうしてもうまくいかない。何入かのあとで、私のところにこられた。 私のところにこられて、治るまで五年ぐらい
   かかったんですよね。「本当にありがとうございます」とお礼をいわれたときの言葉がおもしろいんですよ。
   「いちばん初め・先生に会ったときに、この先生で自分は治ると思った」
   「どうしてですか」 「いままでの先生と全然違った」 「どう違った?」
   「私が部屋に入ってきたとき、先生は、私の顔にも服装にも、全然関心を示されなかった」
   というのは、ものすごく美人ですから。服もきれいなのを着ておられるんだけれど、その服も見てないし、顔も見てない。
   (以下、字数制限のためカット10年11月01日)
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2007年11月01日(木)
2403, 恩送り      (゚▽゚*)♪  ('-'*)オハヨ♪
 ある本に「恩送り」という言葉があった。よい言葉である。もともと江戸時代にあった言葉で儒教的、仏教的な味わいがある。
それが明治以降西欧的な考え方が入り、死語になってしまった。親が子供にしてやったことは、子供もまた順繰りに子
孫代々受け継いでいくもの。それが血統であり家系として引き継がれていくものである。最近は「家」そのものが崩壊傾向にあり、
個人に重きを置くようになったが、それでも個人として「恩送り」を必要ということである。
 最近「Web 2・0」で、情報公開が大きな流れになっているが、これも類似したものである。
 ー電子辞書のウキィペディアによるとー
「恩送り」をとは、自分が誰かから受けた親切・善意・思いやりなどを、与えてくれた人へ直接返すかわりに、別の、
必要としている人達に送る事である。又、それにより善意が社会を巡り、様々な善き連鎖が社会全体へと広がってゆく事も指す。
これに似た言葉として、「恩返し」があるが、それは字の通り恩を受けた人に直接に恩を返すことが、
これだと二人の閉鎖的な関係で終わるが、「恩送り」という考え方・実践ならば、返す相手が限定されていないので、
親切を送り出す相手や、親切の内容は、自在に無理なく選ぶ事が出来る。従って比較的短い期間・時間の間に、
具体的に親切をこの世に"現実化"させる事が出来る。 人々が「恩返し」にこだわらず「恩送り」も選択肢とする事で、
社会全体としては、"現実化" し "流通" する親切の量が、圧倒的に多くなるのである。
これは1人1人の視点でも、日常的に自分が出会う親切の量が増える事を意味する。
井上ひさしNHKの番組『井上ひさし福祉都市を語る〜イタリア・ボローニャの共生社会』において以下のような主旨の事を語っている。
ー 江戸時代に、「ご恩送り」という言葉がありました。ご恩返しは、贈り物を送ったり返したりで、関係は2人しかないわけです。
ご恩送りは、誰かから親切を受けたら、これを親切を受けた誰かに返すのではなくて、他の人に渡していくんですね。そうすると、
江戸に100万人いるとしますよね。1日に一度ぐらいは親切を受けることはありますよね、一瞬のうちに江戸の町に
100万の恩というものがバーッといくわけです。 それをお互いに回すわけですよね。
 ・・・(中略)最近ではある程度の年齢の人たちだけでなく、学生などにもこのような考え方が広がってきている。
特に旅好きの青年、ボランティア活動に熱心な青年などには顕著にこのような考え方を持ち、日々実践している者も多々見られる。ー
   −−
  −以上だが、それでは「恩」とは、どういう意味なのだろうか? 漢和辞典を引くと
(以下、字数制限のためカット11年11月01日)
・・・・・・・・
2006年11月01日(水)
 2038, 躁鬱病について −6   オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
 「夫はうつ、妻はがん」    ―夫婦で苦境を踏み越えて ー ?  小川 宏 著
この本で有名人で「うつ病」から脱出した人や、亡くなってしまった人を何人かあげている。
脚本家の倉本聰、俳優の木の実ナナ高島忠夫、気象士の倉嶋厚などである。
皇太子妃の「適応障害」も、専門家の話によると「うつ病」という。
世界を股にかけたキャリアの女外交官が小さな籠に入れられ、男児が生まれない重圧の中で、ノイローゼになるのは当然のこと・・
倉本聰とラジオの対談で病気の話を聞く機会があった。それによると20歳代から欝を繰り返し、さらに二十数年前、北海道の
富良野に居を移してからは、毎日のように自殺を考えていたという。 その地に適応するまでの苦闘が思い知れる。
自殺で亡くなった人は、桂枝雀ポール牧嵐寛寿郎などがいる。精神科医の大原健士郎氏との対談で、
「小川さん、自殺未遂者が息を吹き返した時の第一声の言葉かわかりますか?」と訊ねられて、
「多分生きていて良かったと言うんじゃないですか?」の答えに、 先生曰く、
「そういう人はわずかで・・・ほとんどの人は、助けて!といいます。」 自ら命を断とうとした人が、助けて!
とは矛盾しているが、先生は「誰でも命への執着があるので、そういう言葉を発するのです」という。