「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) 
  本書は(第一部:人間とその相互作用)(第二部:環境、信仰、政府)(第三部:経済とビジネス)
 (第四部:知識と科学)それぞれ5章の合計20章から成る。人間、宗教と政治、経済、知識と科学の、4つ括り。
 次回からは後半ほど面白いため、20項目の一番最後から⑳⑲⑱⑰と逆向きに取り上げる。ーまず目次からー
  (第一部:人間とその相互作用) 
① 人口の配当を受ける成長地域はここだ    ② 人間の病気の将来
③ 経済成長がもたらす女性の機会       ④ ソーシャル・ネットワークの可能性
⑤ 言語と文化の未来
 (第二部:環境、信仰、政府)
⑥ 宗教はゆっくりと後退する         ⑦ 地球は本当に温暖化するか
⑧ 弱者が強者となる戦争の未来        ⑨ おぼつかない自由の足取り
⑩ 高齢化社会による国家財政の悪化をどうするか
 (第三部:経済とビジネス)
⑪ 新興市場の時代              ⑫ グローバリゼーションとアジアの世紀
⑬ 貧富の格差は収斂していく         ⑭ 現実となるシュンペンターの理論
⑮ バブルと景気循環のサイクル
 (第四部:知識と科学)
⑯ 次なる科学                ⑰ 苦難を越え宇宙に進路を
⑱ 情報技術はどこまで進歩するか       ⑲ 距離は死に、位置が重要になる
⑳ 予言はなぜ当たらないのか
 ▼ これを見ていると、人口の推計以外、どれもこれも、この程度ではない?と・・
  日本一つ取り上げてみても、40年前の1973年は高度経済成長の真っ只中で、石油ショックで茫然自失。
 12年後にバブルが発生、5年後にバブル崩壊。そして、失われた20年を経て、リーマンショックと東北大震災。
 現在は1000兆円の借金を抱えている。明らかに10年後は国家破綻国の可能性が大。まして、40年後は・・・ 
 それでも、叩き台として想定するのは必要である。最終章の「予言はなぜ当たらないのか?」の答えは、
 「土台無理のテーマ」。情報化によるグローバル化で、世界が平準化していく結果は、誰も想定出来ないだろう。
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4186, 閑話小題 ーヨーカ堂の正社員削減
2012年09月11日(火)
   * オスプレーを一番必要としているのは日本じゃないかい?
 政府がトラフ地震の被害情報を発表してから、次の大震災に対しての被害想定が表立ってきた。
道路が寸断された災害地に対する緊急の救済にヘリコプターが一番有効に働くが、短距離しか有効に働かない。
問題は中距離からの輸送である。そうオスプレーのような中距離の大量空輸が可能な緊急輸送手段こそ必要になる。
被害地の近くに飛行場は無いのである。問題は数千、数万の命に関わる問題、危ないとかいっている場合でない。
尖閣列島などの領土問題でもしかり。もし戦闘になった時に最も必要になるのは中距離輸送。 オスプレーの着陸は、
別に住宅密集地にする必要がない、問題はコース。ヘリ機能はコースを如何ようにも変えられる。
こういう意見は、この国では口に出せない。出せば袋叩きになる。何かがおかしい!
   * ヨーカ堂の正社員削減
 ヨーカ堂が現在の正社員8600人を4,000に以上削減すると発表し、パート比率を90%に引き上げるという。
それだけ、経営状況が悪化しているということだ。 ヨーカ堂グループは、セブンイレブンを持っているので、
グループとしての経営体質は良いが、その発生の元のGMSの業態のヨーカ堂店舗を多く抱えている。
それが正社員比率を一割まで減らすというから驚き。 店舗も一割削減するため均衡縮小になる。
情報機器が高度化しているため、それほど店舗レベルの質の低下は避けられるのだろう。
地元の長岡駅前のヨーカ堂は、私と家内の目からみて死に体の店。ファッション、雑貨に買いたくなる商品が皆無。
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3821, 哲学人 ー�
2011年09月11日(日)
 * ウィトゲンシュタインの『論理哲学考』      ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
   ー まずは、以下の箇所である。
【 オックスフォードでは、しきりとこの本「論理哲学考」が参照されいたけれど、学生は読むように勧められていなかった。
これを理解するには、論理学の技術に習熟する必要があったからである。・・・ 私はこの本に取り組む準備はできていると感じた。 
おそらく、このような本だと知ったときほど驚いたことは、あとにも先にもないのではないだろうか。
オックスフォードでは『論理哲学論考』は常に論理実証主義の基礎をなす文献として挙げられていた。
ところがきちんと読んでみると、その中心テーマは論理実証主義のほぽ対極にあったのである。
 論理実証主義者は、世界に関するあらゆる真理探究を科学に同化させる傾向があり、その結果として、科学を律する
基準によってすべての真理探究活動を判断し、科学的発言に適用されるルールによってすべての発言の妥当性を判断した。 
観察か経験によって立証されるものしか、世界について知ることはできないのであり、確実な論拠を提出できるものしか、
有効に、もしくは正当に語ることはできない。だが重要な事柄はすべて、少なくとも原理上は語ることができるはずである。
そして曲がりなりにも語ることができるものは、明確に語りうるだろう。『論理哲学論考』は、こうしたこととは正反対に、
きわめて重要なもののほとんどはまったく語ることができず、言葉を使ってもせいぜい示すことができるだけと言いきっていた。 
それは示されうるとしても、語ることはできないのだ、と。 また、「論理哲学諭考』は科学をあまり評価していなかった。 
命題言語が有効なのは、経験や分析に基づく真実、すなわち事実と論理にかわる事柄を表現する場合にかぎられる。
それ以外の分野では、役に立つというよりむしろ誤解を招きやすいので、有益というよりむしろ有害となりやすい。
このため、私たちにとってきわめて重大な意味をもつ問題はどれもその範囲の外にあることになる。倫理・道徳・価値観に
関する疑問・人生の意味に関する疑問、自我や死の本質に関する疑問、全体としての世界の存在に関する疑問は、観察にも
論理にも解決できない。したがって命題言語が扱えるものではなく、強引に命題言語で処理しようとすれば、行き詰る結果となる。】
▼《『論理哲学論考』は、きわめて重要なもののほとんどはまったく語ることができず、言葉を使ってもせいぜい
 示すことができるだけだと言いきっていた。それは示されうるとしても、語ることはできないのだ、と。
 また『論理哲学諭考』は科学をあまり評価していなかった。命題言語が有効なのは、経験や分析に基づく真実、
 すなわち事実と論理にかわる事柄を表現する場合にかぎられる。それ以外の分野では、役に立つというより
 むしろ誤解を招きやすいので、有益というよりむしろ有害となりやすい。》 上記の中で、この部分は、非常にシビアであり、
 したり顔で小理屈を述べている学者風の人を一言で切り捨てている。これは哲学の否定でもある。語りえないことを、
 哲学は求めていることになる。論理実証主義者と言語哲学者たちが、この『論理哲学考』をまったく誤解していたことになる。
*「論理は考えられるもの」の範囲を定める。 * 語りえないものには沈黙を * 言語は「写像形式」によって世界につながっている。
 言語はものや出来事を写し取って名前をつけたもの * 言語が対象に意味を持たせる=言語ゲームの始まり、である。
 「言語が語れることだけが思考できる範囲」と言うが、私として、「解釈できる範囲が思考できる範囲」であって欲しいが。
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3456, 渥美俊一氏死去 −2
 2010年09月11日(土)
 一回の追悼文で終わる予定だったが、何か言い足りないので更に書く。
7月21日に亡くなったが、どういう訳か死亡記事を見過ごしてしまった。知人に聞くと日経新聞に小さく載っていたという。
氏の業績から言えば、より大きく取り扱われてよいのだが、既に時代が変ってしまったか? 所詮はスーパーの神様でしかないのか。
早くいえば、流通先進国アメリカをウォッチング、そっくり真似をし、日本の遅れている流通経路に新しいバイパスを創りなさい、
ということである。「大量生産、大量消費の間に、大量流通の仕組みつくりを、それぞれの立場で、新業態をつくること、
それをロマンとして志すべし」は、高度成長期には正しいことであった。その時期、ジャスコや、いとはん(その後、北陸ジャスコ
に勤めていたので、濁流の渦で色いろな現象を目の当たりに見てきた。そしてバブル崩壊。以降、今度は激しい生存競争に晒される。
その中で、長崎屋、マイカル、ダイエー、西武流通グループなどが次々と姿を消していった。 大手で残ったのがジャスコ=イオン、
ヨーカ堂だけになってしまった。 その二社も最近、変調をきたしてきている。
(字数制限のためカット 2011年9月11日)
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3081, 第三の場所
 2009年09月11日(金)
 我われは家と職場だけでは息がつけないので、行きつけの居酒屋やスナックをつくり、学生時代の校友会や、
気の合った飲み友達の会などの自分の世界を広げる。その他にもスポーツクラブやゴルフの会にも参加したりする。
 それがレイ・オルデンバーグがいう「サードプレイス(第三の場所)」である。
「サードプレイス」とは 家(必要不可欠な第一の場所)と 職場(必要不可欠な第二の場所)に加え、
都市に暮らす人々にとっての「必要不可欠な第三の場所」を意味する。 オルデンバーグは「サードプレイス」の代表例として、
イギリスのパブ、フランスのカフェ等を挙げ、それらが自由でリラックスした雰囲気の対話を促進し、都市生活における良好な
人間関係を産み出す重要な空間であるとする。 その特徴を「インフォーマルでパブリックな営み」を促進する場としている。
インフォーマルとは社会的立場を脇に置くことであり、パブリックとは仲間がいて協調する場をいう。 
第三の場は、年齢とか趣味で個々の組み合わせが変わってくる。
 私のベースは、居酒屋・スナック+秘・異郷旅行+図書館・読書+早朝のウォーキング+新幹線通勤の車中などである。
誰もそうだろうが、私も学生時代から現在まで、第三の場所を直ぐに創る習性があった。 家が商売をしていて大家族だったこともあり、
自分の世界を創るしかなかったのである。但し中・高校時は、その余裕は全く無かったが、その分、大学時代に一挙に爆発したようだ。 
ところで8年前にパソコンを始めて、HPを開いてからネットが第三の場所の一つに加えられた。 もしかしたら第四の場所? 
いや、第三の場所か??。 サルトルは、その一つとしてパリのカフェの一角で多くの友人とサークルを作り、オープンな議論をした。
 そうこう考えていたら、人生でみると学生時代が第三の場所だったような気がする。第一の場が両親の影響下の家庭、第二の場が自立後、
そして第三の場が中間の学生時代である。だから現在でも学生時代の友人と会いたくなるのである。学生という身分でスポーツやゼミなどで
日本中から集まった人たちと、酒を飲み、議論をし、旅行などをした。第三の場所に父親に頭を押さえつけられた二世・三世が逃避している
ケースが多く見られる。青年会議所、ライオンズなどである。こういう時期に人間関係を形成する機会という見方もあるから否定は出来ないが、
要は第一・第二・第三のバランス。 場所といえば、時間にも「第三の時間」という言葉が成り立つ。「第三の場所で過ごす時間」である。
 時間と空間と具体的な内容ーTPOの問題と、それを受け止める心(立場)の問題が出てくる。
で、「第四の場所」を想定すると? 「絶対孤独の場」それとも「何かに夢中になっている場」か「忘我の読書」?
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2716, 東京について
 2008年09月11日(木)
家内は東京大好き人間。 私は好きではないが、少なくとも住みたいとは思わない。大都会は確かに情報が集まり、面白いかもしれないが、
何か豊かさの方向を間違ってしまったように思える。私は日本の中央の東京の反対側の日本海の都市で、職は新潟市、住いが長岡市である。
のんびりしているが四季の変化が激しく、地方特有の時間がユックリ流れている。そこには色いろな人生を、活き活きと生きている人が多い。
(字数制限のためカット 2010年9月11日)
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2007年09月11日(火)
 2352.ベナレス・・・8
  6、輪廻と解脱の思想
 輪廻と解脱という考えは、ウパニシヤッド聖典(奥義書)の中に最初に現れた思想である。
過去の善悪の業(もともとの意味は行為)が現在の果報を生じ、現在の業が未来の果報を招くというように、われわれの生死は
繰り返し続いていく。古代の思想家の大半は、このような輪廻の世界に存在すること自体を苦であると考え、いかにして
輪廻の束縛から解放されるか、すなわち解脱できるかを最大の問題とした。彼らにとつて解脱とは、自我の本質とされる
アートマン(我)が宇宙を成り立たせている根本原理、すなわち万有に遍在する力であるブラフマン(梵)に合一することである。
しかし、庶民一般にとつてはこのような思想はいささか難しく、普通は死後天界におもむくことと考えられている。
現在の生が過去の生の結果であるという考え方は一見宿命論的に思えるが、輪廻の大海で生死を繰り返すのも、またその連鎖を
断ち切つて解脱を獲得するのもすべては自己の行為にもとついている。いわば執看を離れた努力主義精進主義こそが、
ヒンドゥー教徒にとっての理想的な行動原理となつている。解脱は日々の正しい行いの蓄積によつてこそ達成さる。
ーー
輪廻と解脱。まあ、解りやすい因果応報の内容である。この位の制約をつけておかないと、
征服者の支配はインド大陸の中では不可能なのだろう。宗教による縛りとは考えたものである。
これで3000年支配してきたのだから、奇跡といえば奇跡である。 
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2006年09月11日(月)
1987, デジタル一眼レフカメラ−1           おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
 ー字数制限のためカット09年09月11日ー
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2005年09月11日(日)
1622, 戦略的思考について
「戦略」については、書いたことがあったが。不況の真っ只中に、それに対して戦略的な手をうってきたのかというと、問題がある現在?
あまり偉そうなことも書けないが。まあ、いいだろう!理屈は理屈である。 戦略的思考とは、「自分に対する質問と、その答え」であり、
その飽くなき繰り返しの中での練り上げのプロセスをいう。質問に、その大きな要素が含まれている。
ー私の手帳に「戦略的質問」がポストイットに書いて貼ってある。(どの本から書き抜いたか憶えていないがドラッガー?)
・現在おかれている事態は何だろうか?        -What
・それは何故そうなったのですか?         −Why
・現在うっている手は、本当によいのだろうか?
・そのためには何故を何回質問しましたか?     ー最低5回繰り返しまたか?
・それは、『自分の強み』を生かしたものですか?  −その自分の強みとは何ですか?
・今後、どうなっていくのですか?
以上であるが、なかなか良い含蓄のある内容である。貼ってから、自分で自問自答したかといえば、ほぼしていないが。
「自分のおかれている事態は何だろう?」という質問を考えてみると、全てに、根本問題が噴出してくる。
この歳になれば、誰も似たりよったりだろうが。そして、この問題の答えがそう簡単に見つかるわけがない。
問題に対して『正中心一点無』なって自問自答を、し続けるしかない。       ーつづく
以前書いた『戦略について』をコピーしておきます。
 ーーー
「戦略について 」
ー少し難しい問題を定義してみる しかし一番大事な問題である。
・時代の流れを認識して  ・限定された資源を
・自己の強みを認識して  ・集中して投下を決めるー選択
その為に
・戦略を良質な情報に触れて、じっくり考える事。
 決済、権限を委譲する事。
・戦略を考える基本は他人と違う事,自己の強みに集中する事。。
・旧習を壊す事  ・戦略を考えることに集中する事。 ・ひたすら、1人で考える事。
戦略とは  −キーワード
・長期的ー継続し続ける     ・革新的−革新の継続
・集中的ー革新ポイントへ集中し ・統合的ー集中のために要素を揃える
ペガサスクラブの4C主義も同じ
 チャンス     ー機会の開発
 チャレンジ    ー挑戦
 コンペテテーションー闘い
 チェンジ     −変化し続ける
その為には
 4S主義をとる
 スペシャリゼーション  −特殊化
 シンプリフィケーション −単純化
 スタンダデゼーション  ー標準化
 セグメンテーション   ー限定化
人生もまったく同じである。
・自分の持っている材料から、自分の課題とチャンスをさがす。
・その中から課題と最重要な重点課題を見つける
・そこより戦略を構築ー自動的に戦術を具体的に見つける
・実施をするー習慣化をする。
・継続して執拗に   この結果がライフワークの構築となる。
 今朝家内から聞いた話、
−自分の知人の知り合いが定年になり、家にいるが何もしないという。
 犬の散歩とTVゲーム以外に。 私の答えーその人実は何もできないんじゃないか? 
 家内ー実は私も同じ意見なの。私ー指示待ちで、誰も指示してくれないだけじゃないか?   
私ならー年単位、月単位、週単位、日単位で日程を立てる。中心は週単位を最重要にする。
その計画に考えて考えて考え抜く。これが戦略である。その為に本屋と図書館に通う。
時には東京の神田の本屋を回る。そしてパソコン教室に行き、インターネットのやり方と
ホームページの作り方を勉強する。幾らでもあるが。まあいいか、人は人の生き方があるだろうから。
理屈の割りに大した人生でなかった?そういえばそうだ!
・・・・・・・
2004年09月11日(土)
 1257, オーストリア旅行記ー4
ーパプスブルク家の人たちのことを書いてみる。
パプルブルク家は、オーストリアを統治した640年の間、多くの人たちで
時代時代を彩った。日本の徳川幕府の二倍の間、よく続いたものだ。
主な名前をあげてみると
・パプスブルク家の基礎を固めた「ルドルフ1世」−13世紀
プラハの王城で閉塞して芸術を愛でた「ルドルフ2世」−16世紀半ば
・近代オーストリアの基礎を作った辣腕女帝の「マリア・テレジア」−18世半ば
・実質最後の皇帝「フランツ・ヨーゼフ1世」
・ヨーゼフ皇帝の皇后で、悲劇と美貌の伝説をうんだ「エリザベート」 などをあげる事ができるが、
 マリー・アントワネットの母のマリア・テレジアと、エリザベートをあげてみる。
ーまずは、エリザべート。
19世紀の欧州で最も美しいと称えられ、「シシィ」の愛称でも知られた。
彼女のことをロシアの提督は「すべての士官は老いも若きも皆、エリザベートに恋をしてしまった。
比類なき美しさと、近寄りがたい品格を持ち、いかなる時も皇妃としての威厳を備えている」と述べたという。
彼女はたとえ礼儀作法を習わなくとも、品格を生まれつきもっていた。
エリーザ・ベトは子供の頃から、芸術に関心を持ち、絵画や語学、作詞などに才能をしめした。
しかし誰もが羨むような皇妃として生活は、幸せではなかった。愛する子供達は、生まれると同時に姑である
大公妃ゾフィに取りあがられ、一日に一時間、監視付にしか会わせてもらえなかった。
そして、その姑の溝はますます大きくなり、自分の中に閉じこもるようになり、乗馬や作詞などにのめり込んでいった。
その中で、彼女がとりわけ愛したのは旅であった。彼女は自分の美をも深く愛し時には栄養失調になるほど食事制限をした。
そのような生活の中に、突然不幸がおこった。息子の皇太子のルドルフが若き男爵令嬢と心中事件をおこして、
自らの命を絶ってしまった。この時から、彼女は公式の時だけでなく、常に喪服を着るようになる。
そして、あてども無い旅がより頻繁になる。しかし62歳になった年に、彼女はあっさり暗殺されて劇的な生涯が閉じられてしまう。
王宮には二人のヨーゼフ1世とエリザベート肖像画が大サロンに飾られてあった。そこは永遠な二人の魂が漂っているようであった。