「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
図書館の返却コーナーで見つけた本で、面白そうなので借りてきたが、これが面白い! 著者は、このところ売れっ子で、
岩井志麻子、中村うさぎなどと、女無頼を売りにしている。しかし答えは至ってまともで、的を得て、簡単。
「被害者面するな。世間体やプライドとか言ってる暇あったら、あの手この手を使って状況を打開しろ」で、
「人生、生き延びてナンボ」が一貫している。
ーアマゾンの内容紹介ー
=『ぼくんち』『毎日かあさん』で知られる人気漫画家・西原理恵子が、波瀾万丈な人生経験をふまえて、恋愛、
家族関係から仕事、おカネの問題まで、あらゆる悩みに答える「人生相談」エッセイ。 主な項目は以下の通り。
「70社受けてもダメ。出口の見えない就活に疲れ果てました」「苦手な上司に毎日のように飲みに誘われます」
「結婚して5年。妻がブクブク太っています」 「夫が浮気しているようです。追及すべきでしょうか」
「息子の部屋からロリコン漫画が出てきました」 「60代の父が30代の女性を同棲。妙にやつれてきました」
「頼まれるとイヤと言えない性格を何とかしたい」 「夫が痴漢で逮捕されました。無実を信じたいのですが」
「小銭を借りて返さない同僚に困っています」など。=
ー「はじめに」の冒頭からして、これ(以下)であるー
≪ ・・私の故郷の高知県なんか、すごいですよ。高知で一番大きな会社はどこかっていうと、「生活保護」。
「あれだけお金払える会杜、ほかにない」って。で、生活保護をもらえる人は貯金しない人だから、きっちり毎月全額を
飲み食い、遊興費で使ってくれる。それで高知県の経済が回っている。 それはまあ半分冗談ですけど、実際ケース
ワーカーさんに話を聞いたら、「確かに腹の立つヤツもおる。こいつはインチキやろ、というのもおる」と。
だけど、「具合悪くて働けんゆうたらそうかもしれんし、そんなに悪ないゆうたら悪ないかもしれんし、人間なんだから
玉虫色なんです。ただ、それで生活を立て直す人たちも確実にいることを覚えてお いてください」と言うてました。
日本人って「正直であれ」とかよく言うけど、真面目すぎるのも生きづらい。もっとウソつきでいいんじゃないかと。
私がこれまで漫画家として生きてこれたのは、正直じゃなかったから。ウソをつくのを悪いと思うてない。
一番最初のお客さんである編集者を、いかにダマすかというところから始まりています。 締め切りがギリギリで絶対OK
もらえなさそうな人には、最初にくだらないA案を見せて、あとにもうちょっとマシなB案をもってくるとか、目くらまし的な
ことをやって。あと、10万円欲しいときには、最初に「100万円くれ」って言ってみるとか。そういう火事場泥棒みたいなことは
我ながらうまいかな、と思いますね。 もうひとつよかったのは、プライドがなかったこと。私の仕事はお客さんを笑かして
ナンボなので、自分の表現がどうとか関係ない。もらえる仕事は何でもやってきた。身もフタもないことを平気でできる
というのは大事です。プライドでご飯は食べられません。誰だって働けなくなる日は来るんだから、とにかく働けるうちは
働いてお金を貯めておけ、と。だから、今でも仕事はどんどん入れてる。国とか会社をアテにしてたら酷い目に遭いますよ。》
▼ 西原は「借金を重ねながらも夫を看取り、子供を育て、誰に頼らないで大量の仕事をこなしながら、ここまで至った。
人生・体験に基づいた回答だから、「生き延びたもの勝ち! 横から攻めたり、一旦逃げたり、ダメな時の解決は人任せ」
でも嫌に説得力がある。男には書けない開き直りが面白みを増している。
・・・・・・
2012-08-03
ある老女の遺書ー 3
10年前に取り上げた、随想集『心に残るとっておきの話』第五集、に載っていた内容である。
10年か20年もしないうちに、生きていれば次のステージで待っている。人は、それぞれ来し方の人生という行蔵がある。
その行蔵に他人は入ってみることは出来ない。しかし本人には蔵があり、それぞれの棚には多くの経験というお宝がある。
外見はボンヤリしていても、一歩藏に入ればお宝の山である。だから元気なうちに、ここで書き残すべきことを書いている。
ところで遺書を書いた老女は80歳後半辺り。看護婦の叱責に怒りと哀しみが蓄積されている。 老人同士の愚痴は、
その解消のためにある。しかし老人ホームでは、それも限られる。 老化は、それだけでウツになる要素が十分にある。
だから元気なうち、動けるうちに、やるべきことは、全てしておくことだ。老いるということは、過去のしてしまった失敗と、
しなかった後悔にうち震えることだ。
・・・・・
3782, ユング ー15
2011年08月03日(水)
* ユング心理学、3つの流れ ー ? 元型派
☆ 元型派ーひたすらイメージと対話し、遊ぶ
< 元型派= 古典派が自己の元型の象徴と、その変容に重点を置くのに対して、『元型派』は変容や自己実現は
フィクション・幻想であるとする。そして常に変容を目指すという古典派の態度そのものが、かえって人間を傷つけるとして、
変容や統合を目指さないでひたすら「イメージそのものを大切にする」という態度をとる。それはたとえば「オルフェウス」の
神話の解釈に表れている。{ギリシャ神話の音楽と詩の神オルフェウスは、蛇にかまれて死んだ妻を地下の世界、つまり黄泉の国に行き、
連れ帰る途中に、決して後ろを振り向いてはいけない約束を破ってしまったため、妻は洞窟の奥に吸い込まれて消えてしまった。
そして、彼の使っていた竪琴だけが天に昇って琴座の星座になってしまう。その後、オルフェウスは放浪の旅先で殺されてしまう。}
この神話は古典派的視点から見れば、女性像=アニマを獲得しそこなって男性性を確立しそこなった失敗例として扱われる。
しかし、イメージそのものを大切にする元型派は、この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしていることが大切」である。
竪琴が星座になってキラキラしているのであれば、自己実現しているのだと理解できる。患者が統合や発達の失敗、男性性や
女性性の確立の失敗などの夢を見ても、失敗例と見ない。その夢の中のイメージや登場人物・アイテムについて、じっくりと
話し合い、そのイメージと遊ぶように接していくのが元型派の特徴である。
ー元型派の治療態度とはー
元型派は、患者の夢のイメージそのものを何よりも大切にし、イメージと遊ぶ。古典派の患者の変容や治癒だけを目指すのではなく、
患者のイメージにいかに寄り添えるかを大事にし、夢そのものを色いろな角度から味わい、深めることを目的とする。
時には、治療者と夢に関連させて共に空想を膨らませたり、昔みた映画やドラマの話しをしたり、突拍子もない話をする態度である。
それは、あくまで治療者の「癒し」につながる遊びである。それらの対談の中で、その夢は単に、その人だけのものでなく、
人類に普遍的なものだったり、時空をこえた昔話だったり、神話につながることに気づくことで、孤独が癒されることになる。
このように、イメージに忠実に寄り添い、深めることで、結果的に治療や変容が生じてくるのであり、変容を起こそうと思っては
いけないのが、元型派の基本的態度である。 > (『ユング心理学』福島哲夫著ーP・200)
▼ 患者の夢について、色いろな角度から深く語りあううちに、患者の悩みが特殊なものでなく普遍的なものと気づくことから
孤独感が薄らいでいく。何ごとも肯定的に受けとめることが重要になる。 〔 イメージそのものを大切にする元型派は、
この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしていることが大切」 〕とあるが、考えさせられる。そのイメージと遊ぶように
接していれば生き生きしてくるはず。神話は民族の元型である。その登場人物はキラキラ輝いていなければ!
・・・・・
3417, 64歳の現時点で、感じること!
2010年08月03日(火)
最近、首相や、県知事、市長などをみていると、「何、これは!」と、心の底から思うようになった。
青年期にみた老人の捩れた言葉?が何だったのか分かりかけてきた。 当時は、「自分が、何も出来ないのに他人に対し
何故に背後から刺す言葉しか吐けないのか?」と、嫌悪感を持ったもの! 特に一生を無為に過ごしてきた人ほど、強くなる。
ベルクソンが「人生の歩みを進めれば進めるほど、私はわれわれがあまりに貧しいものであるのに気づく。
偉人と呼ばれる人と、他の人々との間にはほとんど差はない。特にいわれもなく与えられたものと、その時々の状況、
あるいは人生の運というものを除外するなら、差は少しもない」という言葉に深く納得する。特に情報化がリアルに表出させる。
ところで、ベルクソンは「時間と自由意志」でアリストテレス以来の時間論に対して、画期的な反対論をとなえ一気に名前を高めた。
ベルクソンはまず、人間の意識によって時間を考えなおそうとした。普段、我われが考えている時間とは、現在の一点を中心に過去へ
未来へと空間化され、直線のように考えられ、測れるものとされている。現に私も、同じである。 アリストテレスもカントも、
伝統的な時間論に従っていた。アリストテレスは「以前と以後に関しての運動の数」、カントは「時間は人間主観に備わった形式」という。
ベルクソンは、時間は、本来数えることのできない、はっきりした輪郭を持たず、外在化する傾向も持たず、数との間にいささかの
類縁性ももたない、継起(数えることの出来ない感覚や感情の持続)であると、考えた。彼は、人間の生を純粋に持続するものと
とらえた上で、その純粋持続こそ時間だと考えた。純粋持続は意識に直接与えられる時間、内側から生きられた時間であり、時間は、
音楽のメロディを聞いているようにときのように、空間や世界から切り離されて、徹底的に主観化され、内面化されている、とする。
演劇を観ていて時間を超越している感覚である。 話は少し脇道にそれたが、人生など結局は独りでしかない。偉人とかいうのも、
所詮は、その時代の尺度の評価でしかない。 それも時代時代に評価が変わっていく。
「人間は<よく生きること>ただ、それだけで充分」と思うようになっただけ、歳をとった。
・・・・・・・・
3042,上杉謙信の家訓
2009年08月03日(月)
NHKの日曜日の大河ドラマは、この数十年来ほぼ見てこなかったが前回のシリーズから転換した。
今年の「天地人」の視聴率も良いと聞くが、上杉謙信の精神が直江兼継を通して我われに伝わってくる。
それが何かというと、あまり知られてない。数日前もTVで上杉神社などを紹介していた。
そこで検索に「上杉謙信の家訓」といれたら、やはりあった。 米沢の上杉神社に石碑にもなっている。
【 上杉謙信公家訓16ヶ条 「宝在心」 】
一、心に物なき時は、心広く體泰なり ー心を見失わせるような物がない時は心が広々として、体がゆたかである
一、心に我儘なき時は、愛敬失わず ーわがままに振舞うことがない時は、全てを愛し、慈しむことを 忘れないものだ
一、心に慾なき時は、義理を行ふ ー惜むようなことがない時は、他人への義理や思いやりを 忘れないものだ
一、心に私なき時は、疑ふことなし ー自分勝手な心がない時は物事に対しても疑うことはない
一、心に驕(おご)りなき時は、人を敬ふ ー思いあがった心がない時は他人を尊び敬う気持ちになる
一、心に誤(あやま)りなき時は、人を畏(おそ)れず ーやましい心がない時は他人を恐れることがない
一、心に邪見なき時は、人を育つる ー心に偏見がない時は人を立派に育てられる
一、心に貪りなき時は、人にへつらうことなし ー心に欲が深くない時は他人におべっかを使いへつらうこともない
一、心に怒りなき時は、言葉和かなり ー心に怒りがない時は言葉は柔らかく和やかになる
一、心に堪忍ある時は、事を調ふ ー心に耐え忍ぶ努力がある時は物事は順調にすすむ
一、心に曇りなき時は、心静かなり ー心が曇りなく晴々とした時は、また心も穏やかである
一、心に勇ある時は、悔やむことなし ー心に勇気がある時は後悔することはない
一、心賤(いや)しからざる時は、願い好まず ー心が卑(いや)しくない時は無理な願いを好まず努力して掴める
一、心に孝行ある時は、忠節厚し ー心から尽くそう心がける時は真に仕えようとする気持ちが深い
一、心に自慢なき時は、人の善を知り ー心に自惚れ(うぬぼれ)がない時は、他人の優れた素晴らしさを知ることができる
一、心に迷なき時は、人を咎(とが)めず ー心にしっかりとした信念がある時は他人を責めないものだ
〜〜〜
日本人、特に越後県人の生真面目さが、そのまま現われている。戦国の世だからこそ、これを実行してきた謙信の誠実さが、他国の
武人に評価され、それが、信玄に塩を送ったことなどに現れたのだろう。天地人の隠れ主役は謙信の上記の精神ということが理解できる。
・・・・・
2677, 閑話小題
2008年08月03日(日)
*長岡祭か〜
8月1日〜3日は長岡祭。
一昨夜は、恒例どおり第一金曜日で長岡の殿町で飲み会。やはり人出は金曜日ということもあり例年より多いようだ。
居酒屋もスナックも、何処も満席に近い状態、それでも午前様に近い時間まで飲んでしまった。
昨日は、次男夫婦が花火見物のため日帰りで帰省。花火の観覧席を含めた新幹線指定席こみで、二人で3万2千円という。
フェニックスという大スタマインには感激しただろう。ただ天気は快晴というわけではなかったが、
それでもフェニックスは良かった。写真を多く撮ったので、ブログの「バードウォッチング」に、明日でも載せるつもり。
不景気なので、地元の人にとって手近なレジャーとして、見直されているようだ。
一番良かったがフェニックス、次が100連発スタマイン、三番目は取引先のワタナベのスタマイン。
〜〜〜
*内閣改造で、一挙に選挙に
*北京オリンピックも間近くなってきた
*赤塚不二夫が亡くなった
(字数の関係でカット 09年08月03日)
・・・・・・・・・
2007年08月03日(金)
2313, 政治家の家族とは・・ −2
ー焼き尽くす季節にー ー2 〜(前日のつつき・・) ますいさくら
でも、わたしは、いつか、自分が叫びだしてしまうことを知っていて、その前になんとかしなくては、と思いながらも、
周りに理解されたいとは、全然思わなくて、逆に、自分のことなんて易々と他人にわかられてたまるものかと思っていました。
一方で、わたしは、この家から逃げ出そとしていたのです。理由は、ゆるやかにやってきた体の変化でした。
思春期の体は成長していき、どす黒い癒と傷をいくつも背負う醜いさなぎも動けない羽を持ちあわせた蝶へと変身していったのです。
「兄さんの、わたしの体を見る目が怖い」何度も相談したのに、両親は耳を貸しません。わたしは、ついに、父の選挙期間中に、
通っていた中学校に火を放ちます。どこか、わからない、どこかへ行きたかったのかもしれません。いえ、実際は、わざわざ
放火しなくても、よかったのかもしれないのです。しなくてもよいことばかりしてしまう。だけど、なにかしていないと、
いてもたってもいられない、やっかいな季節を迎えていたのです。 校庭の裏庭から火は回り、火の粉は空中を這う,煙道'を作り、
天空に立ち昇る陽炎となりました。なのに大船という土地柄、松竹撮影所の映画ロケかと思ったみたいで、消火活動が大幅に遅れた。
そして、わたしは、だらしなく、酸欠で倒れているところを発見されました。まるで、自分の激しさが、わたし自身を、
焼き尽くしてしまうかのように。 事件後-両親は、わたしを引取りに警察へ来てはくれませんでした。
選挙期聞中だったからかもしれないし、私という存在自体をなくしてしまいたかったのかもしれません。
結局、わたしを守ってくれたのは、少年法という法律だけでした。暴力を受けること、口を封印されること、それが生まれた時から、
すでに決定されていた事柄なら、自分でひっくり返して、踏みつけて、蹴散らして、何がいけないの?
兄みたいに、父親の輝かしい学歴や経歴に押しつぶされ精神に異常をきたすより、わたしの方が、よっぽど健康的なんだから。
だって、わたしたち家族は、まるで表面は無傷で綺麗なフルーツに見えたでしょ。でも世間なんてアホだから、その中身が、
どんなに虫に喰い荒らされ腐っていようが、量ろうともしない。指でつけられたへこみしか見つけられないじゃないって、
そう思っていましたから。でも、時間の経過とともに、その気持ちは曖昧になり、不安なものへと変わっていきました。
わたしは、行き場所を探していたし、自らがその答えを出さなければならないことも知りました。
兄にどんな目に遭わされても流したことのなかった、涙も顔を伝わるようになりました。
そんな時に、生きる術を教えてくれたのが谷川俊太邸の本だったのです。
ーーー
現役の銀座ママが、よくぞここまで書けるものである。 父親も健在のようだし、火宅の内情をそのまま書いてよいのだろうかと、
考えるのは、まだ書き手として甘いのだろうか?こういう背景があったから、銀座で双子のママの一人として生きていけるのだろう。
私が学生時代に入っていた寮が、早稲田大学の理事の自宅の庭にあり、24室ばかりの馬小屋みたいな平屋の建物だった。
そこに政治家志望の学生が数人いた。 さらにOBも卒業しても、酒を持って世間の憂さ晴らしにきていた。
(字数の関係でカット 09年08月03日)
・・・・・・
2006年08月03日(木)
1948, ローマから日本が見えるー19
第八章 「パクス・ロマーナ」への道 −2 ー読書日記ー
ー皇帝への「5枚のカード」ー
彼は気づかれないように皇帝になるため、一枚ずつカードを集めていった。
カードゲームで、一つ一つはつまらない手札なのに、5枚揃うと「最強の手」ができるのに似ている。
その5枚とは、
1、アウグストゥスとカエサルの名 2、「第一人者」の称号
3、インペラトール のちの「エンペラー」の語源になる名だが、戦の勝者をいう。
これもこの時点では単なる称号に過ぎない。 4、全軍最高司令官 5、護民官特権
−護民官とは貴族階級に対して平民階級の政治的権利を守るために生まれたもの。
彼は、貴族のカエサルの養子だったので、平民だけがなれる護民官にはなれない。
しかし、一年限り「護民官特権」を貸して欲しいと頼んで元老院から了解を得た。彼は死ぬまで、この特権を放さなかった。
この5つを得ることで権力基盤を絶対的なものとした。すなわち、初代の「皇帝」が誕生した。といって、無冠の帝王であった。
皇帝になった彼は具体的にローマを、いかにすれば安定路線へと導けるか考えた。その答えは「平和ーパクス」の確立しかない、
と考えた。そこで考えたのが税体系の確立である。相続税を発明、 関税、売上税、 奴隷解放税、等々、
シンプルで解りやすい5つの税体系にまとめ上げた。 (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
・・・・・・・・・
2005年08月03日(水)
1583, 郵政民営化法案について
(字数制限のためカット 2010年8月3日)
ーーーーー
2004年08月03日(火)
1218、「君のためにできること」 −1
1昨日の日経新聞の最終ページの「文化」の欄のエッセーがよかった。悲しい純真な恋?に思わず涙がこぼれてしまった。
ーweb日経で調べてコピーをと思ったが、記載されてなかった。ならば、書き手の名前「大崎善生」で検索をしたところ、
彼の奥さん(女流将棋棋士の高橋和)のエッセーが出てきた。そこに「第24回 言葉にできない」というテーマで載っていた。
ー新聞の書き出しをまず、書き写してみるー
題名は 「君のためにできること」大崎善生
ー我が家に天使のような10歳の少年が舞い込んできたのは、今年のまだ寒い頃のことだった。
舞い込んできたといっても、彼とは一度もあったことはない。
私の妻が手紙のやり取りを始めたのだ。 ーで、はじまっている。 最後のほうは、
ー「痛いです。苦しいです」と書かれている手紙に何と答えればよいのだろう。 少年は末期がんの苦しみの中で、必死の手紙を
書きしたためているのだ。「お手紙うれしかったです。いつまでもいつまでもおともだちでいてくさい」とまるで泣き叫ぶような字。
いつまでも、いつまでもお友達でいてください、その純粋なゆえ、自分のことより人の足の痛みを思いやれる少年の優しい心に。
何もしてやれない悔しさもあったが、少年が懸命に思い与えてくれるものの大きさに、胸が締め付けられる思いがした。
危篤に近い状態にあると聞いたとき、妻は自分が好きな音楽を集めてCDを作って送っていたが、それが少年に届くことはなかった。
「あまりにかわいそうに思った神様が、息子に、最後の最後の恋をさせてやってくれたのだと思います。」と
父親から妻あてに手紙が届いた。そして「病気の苦しさをどれくらい紛らわしてくれたことか」と感謝の気持が綴られてあった。
少年から手紙をもらって僅か三ヶ月。少年は前日まで、妻の足が痛くなくなるよう祈っていてくれたそうだ。
少年がくれたテディベアは、リビングの出窓に座り、今も私たちの生活を静かに見守り続けている。−
で終わっている。 ーつづく
・・・・・・
2003年08月03日(日)
851、 いま政治が面白い
私は政治嫌いであるが、今の日本の現状を見ると、そうはいっていられない。自由党と民主党が合併決定、
この秋に向けて政治が面白くなってきた。小沢は首相にさせたい一人であるが、ここで彼の身を捨てた合併はさすがである。
管代表独りでは看板として頼りないが、小沢と二人となると全く違ってくる。米英並みに選挙公約と閣僚予定者を並べて
政策による選択を直接国民に訴えてくるだろうから、今までの手法や感覚では選挙に勝てない時代である。
(字数制限のためカット 2011年8月3日)
・・・・・・
2002年08月03日(土)
476、ある老女の遺書ー2
25歳で子供が生まれ、子供のために安全で幸福な家庭をきずき、30歳の女性になり、子供の成長も早く、永遠に続く絆で互いに結ばれ、
40歳の時若い息子たちは成長し、巣立つ日も近く、50歳の時、再び、私のヒザの上で幼子が遊びたわむれ、もう一度私を愛する子供達と
私は理解しあう。夫が死に暗い日が続き、未来を見つめ、恐怖に身震いする。若い者達はみな子育てに忙しく、私は昔を愛し合った日を思う。
私は年老いた女。自然は残酷だ。老年が私をおろかにみせる。私の体から優雅さは打ち砕かれた。活気はなくなり、かって熱く燃えた心も
今は石のよう!しかしこの古い身体の中に、若い少女は住み続けている。そして今も再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった
日々を思い出し、私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、
あまりにも短い、あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。さあ看護婦さん、あなたの目を開きなさい。
目を開いて私を見つめて、もっとそばによって、気難しい老女でない、‘私を知って!’
ーーーーー
この文は6年前に読んで非常に感動した本だ。一人の人間の心の叫びがそのまま伝わってくる。
これを何時か書こうと思っていたが、その時がきたようだ。いや久々に検査の為、病院に行ったのがきっかけでしかないが。
これだけの文章の中に人生の全てを言い尽くしている。これは詩である、人生を言い尽くした。 必ず誰も思う道だ。
・・・・・・・
2001年08月03日(金)
数日前小学校の同級会の幹事会を今やってるが出てこいとの連絡あり。15分前まで殿町で飲んでいたが再びユーターン。
東京の友人の会とどっちにしようか迷って、返事の期限を10日以上も出してなかった。出る出ないはどうでもいい。
返事を出すのが筋!こってり絞られた。幼稚園、小学校、中学、高校と13年同窓の高木と山崎に頭が上がらず。
結局出席になった。 8月11日鴨川本館。その日はかなり盛り上がり、同級会を終えてしまった感あり。